112 終わりと始まり
剣を振るうたびに血肉が吹き飛び、魔物の死骸が積み重なっていく。
フォンシエはひたすら敵を切り続けていた。
どれほど敵を倒したのか。あとどれくらい戦い続ければいいのか。
倒した数を数えるのは、千を超えた辺りでやめた。日が沈んでいくのを見て、一日が終わろうとしているのを実感した。
それでも動き続けていたのは、もはや考えるだけの余力もなくなっていたからかもしれない。
「グゲゲ!」
声を上げて背後から襲いかかってくるゴブリンを探知のスキルで見つけると、振り返ることもなく回し蹴りを放つ。
格闘術のスキルによって強化された一発で、弱い魔物はあっさりと昏倒する。
このたった一日の、されど濃密な一日の戦いによって、ほとんど無意識のうちに「光の証」を切り替えられるようになっていた。
磨き上げられた技術であったが、フォンシエ自身はそのことを自覚していなかった。そんな余裕もなかったからだ。
敵を切ればすぐさま次の敵を探知で探し、飛び込んでいく。
ずっとそんなことを続けていた彼だったが、その足が止まった。
付近にはいつしか、魔物がいなくなって、魔物の死骸と魔石ばかりが転がっている。あれほど多かった魔物をすべて片付けてしまったということだ。
フォンシエは大きく息をつく。
もう終わったのだと剣を下げるが、先ほどまでいつ敵が飛び出してくるかもわからないような状況にあったため、緊張感はまったく取れなかった。
「フォンくん。大丈夫?」
「ティアこそ。無理してたんじゃないか? 俺と違って探知のスキルもないから、大変だっただろう」
「私は平気だよ」
フィーリティアは狐耳をぱたぱたと動かしてみせる。
いかに音を拾えると言っても、乱戦となれば聞き分けるのも大変だろう。フォンシエはスキルを使い分けている自分のことを棚に上げて、そう思うのだ。
けれど、大変だったのは彼らではなかったかもしれない。
ドサッと音がしたほうへと視線を向ければ、すっかり倒れ込んだ勇者の姿があった。
「ラスティン将軍でも、こんな厳しくはなかったぞ……」
そんなぼやきが聞こえてきて、フォンシエも笑いつつ、ようやく気が抜けていく。
一度地面に尻をつけると、体はまるで重石でもつけられたかのように動かなくなる。フィーリティアはそんな彼に寄り添い背中合わせになった。
「フォンくん。こんなところで休んでいたら汚いよ?」
「もう全身血まみれなんだ。いまさら変わらないよ」
「今だけは、勝利の証だね」
フィーリティアはフォンシエをぽんぽんと尻尾で撫でる。金色の毛はすっかり赤く染まっていた。
勇者の鎧も、村人の輝く装備も、今ではもう使い古したような有様になっている。
都市に行ったなら、手入れをしてもらおう。
そう考えていると、都市の兵が駆け寄ってくるのが見えた。彼らもフォンシエたちの戦いに影響されて、勇ましく剣を振るっていたのだが、慌てて駆け寄ってきているところを見るになにかあったのだろうか。
「勇者様! ご無事ですか!?」
「……なんともないけれど、もう動けそうにないや」
ただ心配してくれただけだったようだ。
フォンシエの言葉を聞くと、兵たちはすぐに村人と三人の勇者を都市へと運ぶ手伝いをしてくれるのだった。
勝利の凱旋は華やかかと思いきや、街中に入るとそうでもないことがわかる。
魔物の攻撃を受けて壊れた家々があるのはもちろんのこと、あちこちに土がばらまかれているのだ。
都市を爆発から守るためにやったとはいえ、フォンシエはなんとも言えない気分になる。
そんな彼であったが、子供がせっせと土を小瓶に詰めているのを見て、首を傾げた。
「あれはなにをしているんだ?」
「先ほどまで、あの爆発はなんなのかと都市は混乱に陥っていましたが、魔物が倒された報告が広がるなり、女神様の行いなど様々な噂が飛び交いました。そして勇者様がやったことだと明らかになると、魔物から守ってくれるものとして、大切に集め始めたのです」
「……たぶん、御利益ないよ。それ」
なにしろ、勇者がやったものではなく村人の仕業なのだから。ある意味、一番女神の恩恵を受けていないとも言えそうなくらいである。
兵は城にまで案内しようとしたが、フォンシエはそれを断った。
「休憩したら、すぐに出かけたいんだ。この近くでいい。それより……すぐに戦えるよう、装備の手入れをしてほしい。鍛冶のできる者がいれば、呼んでくれ」
彼の言葉に兵は面食らったようだ。今は都市が勝利に沸いているというのに、もう次のことを考えているのだから。
フォンシエとしては、今にでも飛んでいきたいくらいだ。この状態では足手まといになるとわかっているから、行くわけにはいかないだけで。
ラスティン将軍を信用していないわけではないが、敵は魔王モナクだ。ゼイル王国が倒せなかった相手である。
フォンシエの表情を見て兵は、これぞ英雄なのだと、憧憬の眼差しを向けるとともにすぐさま動いてくれるのだった。
一方で二人の勇者はまたしても呟くのだ。
「ラスティン将軍でも、こんな戦い詰めじゃなかったぞ……」
この村人と勇者はどうかしている。
そんな思いを汲み取ったフィーリティアは、彼らに告げる。
「王都には私たちだけで向かいますから、ここの防衛をお願いします」
「しかし……」
「ここが落とされては仕方ありませんし、王都には勇者がいるでしょう。数が足りなくなることはないと思います」
「……わかった。必ずや、ここを守り通そう」
勇者が頷くのを見て、フィーリティアは一息つく。
それから隣のフォンシエに視線を向けた。彼はもうすやすやと寝息を立てている。
こんなところを見ていれば、ただの少年にしか見えないのだが、その胸には決意が秘められている。
(フォンくんが守りたかったものを、今度こそ守ってみせるよ)
フォンシエは魔王ランザッパとの戦いで傭兵団が壊滅し、魔王メザリオとの戦いでは守ることの難しさを実感している。
だから、今度は彼がそんな思いをしなくていいように。
フィーリティアは魔王を倒す覚悟をするのだった。
◇
レーン王国の王都は、いまだかつてない混乱の中にあった。
押し寄せる魔物の大軍は見る者をことごとく恐怖させる。そしてなによりも。
ぐしゃり、と音を立てて兵が潰された。
単眼の巨人サイクロプスは群がる男たちをいともたやすく葬り去ると、歯牙にかけることもなく、ゆっくりと主都に近づいていく。
サイクロプスの群れが迫る様はさながら、壁が押し寄せてくるかのよう。
「うぉおおおおおお!」
そんな魔物のところへと、臆することなく気勢を上げて飛びかかるのは勇者。この国の守護者たる者たちだ。
光の翼を用いて加速すると、一気に単眼の巨人の頭上に躍り出て、頭部から股下まで光の矢で貫いた。
「まずは一体! 数を減らすぞ!」
「王都に近づけさせるな! こいつらは遠くからでもものを投げてくる!」
勇ましく声を上げながら、勇者の光が撒き散らされる。
そのたびに巨人が倒れ、群がる有象無象が消し飛ぶ。
だが、勇者の光はあまりにまばゆかった。
いつしか、彼らのところには漆黒の翼が迫っている。光はそこに勇者がいると、告げているようなものだった。
それをいち早く察した者が叫んだ。
「デーモンロードが来ている!」
すぐさま彼らは悪魔の姿を捉えると剣を構え、突っ込んでくる槍をいなしていく。
戦えない相手ではない。敵のほうが魔物が多く不利な状況ではあるが、こちらの兵も果敢に戦っているのだ。
「俺たちの国に来たことを後悔させてやる!」
若い勇者がデーモンロードのところへと飛び込んでいく。
そして光の剣は振り抜かれるたびに黒の胴体を切り裂き、敵を追い詰めていく。技術、胆力ともに申し分なく、相当な修練が窺えた。
そしていよいよ、背後にいたオーガごとデーモンロードを切り裂いた彼は、咆哮を上げた。
「討ち取ったぞ!!」
その勝利が彼を駆り立てる。さらに魔物を打ち倒せと。勇者たちも彼の活躍に負けんとばかりに奮起し始める。
だが――。
その勇者の前には、いつの間にか一体の悪魔がいた。
デーモンロードよりも一回り以上大きく、人の背丈の倍近くある。オーガやサイクロプスよりも小さいが、その威圧感はそれらとは比較にはならない。
背には骨張った翼。黒に赤が入り混じった肉体は、血と地獄を連想させる。細長い尾は不気味に動いており、かぎ爪にも似た指は獲物を求めているかのよう。
その眼光は鋭く、勇者を捉えていた。
「ディアボロス!」
デーモンの最上位個体の一つ。すなわち魔王。
ここに大軍を率いて攻めてきた魔王モナクに違いない。
やつを仕留めれば、この戦いは終わる。しかし、本当に勝てるのか。ほかの勇者の協力を仰ぐべきか、それとも少しでも引きつけておくべきか。
迷いが生まれたその瞬間。
悪魔の腕は勇者の頭を捕まえていた。
ゴキッと音がして、首が反対側を向く。裂けた首からは、とめどなく血が噴き出していた。
勢いよく舞い上がった血が、雨のごとく近くを濡らしていく。そのしぶきの中、魔王モナクはかの遺体を投げ捨て、口角をつり上げた。
「ォオオオオオオオ!」
その咆哮に勇者たちは怯み、魔物どもはさらに勢いを増していく。
サイクロプスは都市目がけて巨木を投げつけて、市壁が崩壊の音を奏で始める。
「くそ! あいつを止めねえと!」
勇者は叫ぶ。
しかし、悪魔の姿を見て足はなかなか動いてくれない。死した同胞の姿に震えずにはいられなかった。
戦わねばならない。決意と覚悟がある。けれど、本能がどこかで囁くのだ。
勝てない。このままでは死ぬしかないと。
そんな勇者たちに猶予など与える間もなく、魔王モナクは血を求めて動き出した。




