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第29話✶救済

私が固まって動かなくなったのを見て、龍が言った。


「そんなに驚くことだったのか?」


私は答えない。

受け止めるのにいっぱいいっぱいで、立っている足先の感覚も無くなっていくように感じる。

瑠珂にたくさん助けてもらったのに、何にも返せていたい。


「願い事はどうするのだ。厄介なことに、儂は呼ばれたら願いを叶えるまで帰れないのじゃ」


「・・・・」


「この生をやり直すか? それともお主だけ未来に転生するか?」


「・・・・」


何を尋ねても、進展しない私に龍が苛立っているのが空気で分かる。

海面もさざ波立ち、気温も下がってきた。

ホントに短気な龍だ。


私はもう死んでしまいたかったけど、瑠珂が命をかけて繋いでくれた命を放棄するのは憚られた。


「・・・瑠珂と、人生を歩みたい、普通に生きて、普通に死にたい。良いことばかりじゃなくて良い、悪いことも、悩むことも、瑠珂と一緒に経験したい」


「はぁ。だからそれは」


漠然とした願いすぎて、更に苛立つ龍はいい加減にしろとでも言いたそうではあったが、ふと何かを思い出したようだった。


「まぁ、方法は無くはないか」


「え」


絶望して目の色も失っていた私の心臓が跳ねた。


「人間の魂は、六道りくどうと呼ばれる6つの世界を生まれ変わりながら何度も行き来するのだ。

それを輪廻転生という」


「ああ… どこかで聞いたことがあります」


どこでだったか、、 考えて思い出したのは、瑠珂から聞いた笠地蔵の話だ。


「魂が過ごしたた人生は六つの世界のどこかであり、生まれ変わる先もまた、六道のどこかだ。

それを繰り返していく。

お主にとって、この生はどの道であったか」


「間違いなく地獄ですね」



私は天刑で酷い目に遭った。

それは記憶はないが、かぐや姫の前世の罪を雪ぐためだったから、罪人が送り込まれたこの生は、きっと地獄だった。


「奴にとってはどうだったか」


「瑠珂にとって…」


瑠珂の生を思い出す。

その前の生ではない、目が見えない状態で帝の政務をしながら、私を助けるための算段を立て、自分の幸せを全て捨てて死んでしまった。


「やっぱり地獄だったと思います」


「そうか? 好いた女を助けられたなら、存外幸せな生であったかも知れぬ」


「私は瑠珂じゃないから分かりません。 で?

それが、何なのですか」


「せっかちじゃな」


お前に言われたくない。


「お主がいるこの世が、何道かは儂は知らん。

だが、お主は地蔵菩薩の救済を受けた」


「え、そんなことないよ。誰も助けてくれてないよ。

本当に死んだと思ったもん」 


「だが今生きている」


「それは自力で頑張ったから」


「いやいや、必ず在るはずじゃ。人知を超えた助けが」


「えぇ〜?」


思い返しても辛い記憶しかないし、特に炉刑では本当に酷い目に遭った。全裸で火鼠のファーの上に転がった時なんて虫の息だっ


「あっ…」


あの時、私はもう命を手放しかけていたが、そう言えば死を覚悟した瞬間、急に楽になったのだ。

確か、窓から白い煙が降りてきて、それを吸い込んだから。


何かに気づいたらしい私を見て目を細めた龍が言う。


「あの煙は、お主の想い人が山で燃やした不死の薬の煙だった」


「そうだったんですか!?」


全然知らなかった。

ってか、龍は私の考えてることが分かるの?


「だがそれが、お主の所まで届くわけはない。

駿河の山は高いが、月までは届かないからな。

その煙を届けたのは、地蔵菩薩の奴じゃ。

主の頑張りに免じて、手を差し伸べたのだ。

まぁ、それが仕事じゃしな」


「そんなことが…」


不思議な現象ではあったけど、振り返る余裕がなくて今の今まで忘れていた煙が、またしても瑠珂からのものだったなんて。

瑠珂が飲まなかった、飲んでいれば自分が助かった筈の薬の煙だったなんて。



「地蔵菩薩は六道で苦しむ者のうち、眼鏡に適う者に手を差し伸べる。

帝という奴は、眼鏡に適わなかったのか?

の? 地蔵や」


何も無い空間に声を掛けた龍に驚いて振り返ると、いつからそこに居たのか、所謂いわゆる『地蔵形僧侶』がそこに立っていた。


我々がよく知るパンチパーマヘアで、身体に長い布を巻き付けて左手で如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとっている。地蔵かぶれの僧侶であることに疑いようがない。


「いや、彼は真実純粋で、試練にもよく耐えました」


リビングゴッドはすぐ口を開いた。


「本来、輪廻転生は記憶を引き継ぎません。偶然にして珍しくも記憶を持って生まれた赤児は、6歳までに記憶を消すようにしております。

だが彼は、あなたに頼んで記憶を保持したまま転生、成長してしまいました。しかも、未来への転生でなく過去への転生で、です。これはこの世の理に反します。

そんなことが罷り通れば、世界や歴史を大きく変えてしまうでしょう。そんな転生を、認めるわけには参りませぬ」


「・・・だから、視力を封じたのか」


龍に言い当てられて、頷く。


あなたによる転生処理を、私達は妨げられません。存在の次元が違うからです。

帝である彼の、全てが思い通りにはならないように手を打つ必要がありました。文明の進化を、壊さないように。

そのため、幼少期の彼に進行性の目の病を与えたのは、私です」


何と言うことだ。

この地蔵かぶれが瑠珂の視力を奪ったのか。

言っていることは理解できるが、許せん。


私は静かに殺意を燃やした。


「成し遂げたい願いがある中で、視力を奪われ、作業は進まず、愛しい娘の顔も表情も見えない生活は、辛いことが多かったでしょう。

それでも彼は本当に、記憶を悪用することも、自分の病を治すことにも使わず、ただ一心に人生を掛けて君を助けようとしていました。

見つかるはずのない御釈迦様の法鉢まで自力で見つけ出されてしまいました。その執着心にも似た根性は、脱帽ですね。畏敬の念すら禁じ得ません。

だから本当は最後に、救済を与える筈でした」


地蔵僧侶は少し俯いた。

与える筈でした、ということは、与えられなかったのだろう。この役立たずめ。


「同じく救済し、助かった君を会わせてあげる時に、目の病を治して差し上げるつもりでした。

1度も顔を見たことがない想い人の顔を、お見せしようと思っていたのです」


あ〜 なるほど。

そういうことね。


「天刑を終えた君がまさか、目の病を治してしまうとは…」


うん…


「彼が死ぬのは寿命であって、それはどうしようもないのです。だが本来、苦しい六道の中にあっても腐らず真摯に人生と向き合った者には救済が必要です。その救済を与えるのが私の仕事ですから…」



「だから困ってここに居たのだな。

今この娘の横について離れない、奴の魂について来たのか」


「えっ 瑠珂ここにいるの?」


「ああ、最初からずっと、お主の周りを飛んだり肩に乗ったりしておる」


「え〜〜〜〜〜〜〜〜」


嬉しいやら悲しいやら。だって私の目に見えないから。

見えない自分の周りを見渡してから、ニヘニヘと笑う。

そしたら、龍もニヤリと笑った。



「では地蔵よ、どうせ死んだそいつの魂を、また六道へ転生させるのだろう?

その時間軸を、この娘の転生先と揃いにしてやってはどうか。どの道この娘は死ぬつもりなのだ。そうなれば、この娘も転生処理に入るだろう。

ただその時代を、一緒にしてやるだけだ。

それが1番の、奴への救済ではないか?」



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