第26話✶下界(地球)への帰還
炉が完全に冷えたら、火鼠ファーの上に素っ裸で寝ていた私は寒くて目を覚ました。
(生きてる… 私、生きてる!)
視線を動かせば、足の鎖についている鍵に、垂直に固まった帯留めが光っていた。
試しに指を動かしてみたら、ちゃんと動く。
そろりと摘んで、右に回してみた。
カチャリ
鍵は外れ、足に付けられた輪と、床から伸びた鎖が離れた。
(やった… やったよ〜〜〜!!)
水分不足すぎて涙は流れない。
あとはもう根性だ。
最後の最後の力を振り絞って立ち上がり、扉を押した。
久しぶりに吸い込んだ外の空気に安心した後のことは、全く覚えていない。
◇
「目が覚めましたか?」
良い匂いのする柔らかいベッドで目を覚ました私は、キョロキョロと周囲を確認する。
「天刑は… 炉の塔は…?」
最後の方は意識が朦朧としていて、夢か現実か分からなくなっていた。
白く輝く煙は、見間違いだったのか。
私は無事に天刑を終えられたのだろうか。
「かぐや様は、ちゃんと天刑を解脱されましたよ。お見事です。天界始まって以来の大事件ですね」
「女王様のご乱心ぶりったら… ウフフ ちょっと笑っちゃった」
「こら、寝待月!」
「あ、ごめんなさ〜い」
キャッキャと盛り上がる2人を見て息をついた私は、身体を確認した。
随所にあった火傷は、綺麗に治っている。
「まぁ、これは貴女方が治療して下さったのですか」
「そうですよ、ここはそもそもそういう宮ですから。
天刑なんて、女王様のご命令じゃなければ、絶対にやりたくな」
「寝待月!」
ぺろりと舌を出す彼女は、素直な剽軽者なのだろう。
「あっ!」
私はガバッと身体を起こし、途端にくらくらと目眩に襲われる。
ぱふっと、またベッドに倒れ込んだ。
「まぁ、かぐや様。7日間眠ったままでしたのに、いきなり身体を起こされては血の流れもついていきませんわ」
居待月に窘められる。
「私、7日も眠っていたのですか!?」
驚いて声が大きくなった。
「はい、そうですよ。だいぶご加護も受けておられるので、傷の治りもお早かったです。
天界では、法力は王族の方が最も強いので、かぐや様もだんだん強くなりますよ。
そろそろ法力も使えるのではないですか?」
どうやら、月で過ごした期間や時間の分だけ、加護が受けられるシステムらしい。
あと、私が念力と呼んでいる謎の力は、正しくは法力ということも分かった。
それはそうと。
「私が塔に残してきた物は、今どこにありますか?」
さっき起き上がったのは、それが知りたかったからだ。言わずと知れた汗と涙の結晶、5つの秘宝である。
「それでしたら、あちらにありますよ」
彼女の差す方を見れば、白い火鼠の皮衣と、蓬莱の玉の枝ドッキング龍の珠の帯留め→現在は鍵、仏の御石の鉢、そして燕の子安貝イヤリングが、きちんと並べて置いてあった。
「よ、良かったぁ」
全て大切な品だし、これから役立つ予定の物もある。女王あたりに没収されてたらどうしようかと思っていたのだ。
目を覚ました私の所には、たまに大王様が様子を見に来るようになった。
また、実は私に姉妹がいることも分かった。
彼女達もお見舞いに来てくれた。
「二日月よ、始めまして」
「三日月よ、大変だったわね」
「十三夜よ、妹」
「十六夜ですわ、お姉様」
「二十三夜と申します。お会いしたかったです」
「三十日月だよ、お姉ちゃん遊ぼ」
なんと私は7人姉妹の真ん中だったらしい。
一番下はまだ小さい。
女系家族にも程がある。
月にはメンデルの法則は適用されないのだろうか。
大王の立場が弱いのも分かる気がした。
食事が摂れるようになり、少しずつ体力を戻して、私はようやく完全復活を果たした。
やっと別れの挨拶ができた日は、月に来て3週間も経っていた。
最後まで、女王は来なかったが、他の姉妹は見送りに来てくれた。
勿論、手厚く看病をしてくれた居待月、寝待月の双子姉妹と大王も。
「本当に行ってしまうのか。ここで皆で楽しく暮らせば良いだろう」
「考え直してよ。こちらのほうが楽しいわ」
「いえ、お姉様は惚れた殿方がいるんだから仕方ないわ」
「やだやだお姉ちゃんは私のなのにーっ」
天界に期せずして馴染んでしまい、少し情が湧いてしまった。まさか月から離れることを、寂しいと思う日が来るなんて。
我ながらビックリだけど、色んなことがあったのだから仕方ない。
「こちらでとても良くして頂いて、思い出もたくさんできました。ありがとうございました。
何も礼を御返しできないのが心苦しいのですが、遠い下界から、皆様の幸せをお祈りしています」
最後は一人ずつと抱き合ってお別れした。
大王が法力で金豚雲を出す。
金豚雲は天人なら誰でも出せるが、地球まで行ける金豚雲を出せるのは、大王だけなのだそうだ。
「十五夜月の姫、済まなかった。私は何もしてやれず、妻も止められなかった」
最後のハグは大王とで、そう言われた。
「いえ、私が罪人の魂を持って生まれたこと自体が誰のせいでもありません。また、そんな魂だからこそ、然るべき手順を踏まねばならなかったことも理解できます。仕方のないことだったのです。
お父様も、気に病まずに、できれば私の事ごとお忘れ下さい」
「寂しいことを申すな」
「では、時間です。今までありがとうございました」
深々と礼をすると、大王が出してくれた金豚雲に乗って、下界こと地球へ私は帰って行ったのだった。
◇
かぐやが月へ旅立ったすぐ後。
大内裏、平安宮に御わす帝の病状は徐々に悪化していた。
「主上! このままではお命が危のう御座います!
どうか、かの姫より託されたお薬をお飲み下さい」
「いや、このまま天命に従うよ」
中将の悲痛な願いにあっても、帝は頑として譲らなかった。前世より、少し病の進行が早いな、とは感じる。
早めに会議を持ち、調岩笠に薬を託して山へ昇らせた。
2週間後にはもう、言葉を発することが難しくなっていた。
問いかけに対しても弱々しく首を振るだけだ。
数日後に、容態が急変する。
浅く早い呼吸を繰り返していたが、徐々に深く大きく――呼吸の間隔が広がり、止まるための準備をしているようだった。
「 …… ! 」
意を決した中将は、薬棚から緑色の壺を取ると、横たえた帝の口に少しずつ含ませた。
咽こまないよう、滲む程度に、ほんの僅かずつ。
「申し訳… ありません… 申し訳ありません」
何度も謝罪を繰り返しながら、小さな薬瓶の中身は、全て飲ませることができた。
中将はほっとしたが、しかし、しばらく待っても帝の様子は変わらない。
「なぜだ…!?」
徐々に弱くなる脈に触れながら戦慄が止まらない。
どうしよう、どうすればと狼狽する中将の気配に、帝は目を開いた。
そして、掠れた声で紡ぎ出す。
「中将よ、済まない… 薬は、私が、戻したのだ … 」
久しぶりに聞いた声は、隙間風のようにか細い。
「えっ… 戻した…? とはまさか… 主上 」
帝はもう目を開けない。
瞼の裏に映る、かぐや、輝夜との日々を思い出していた。
彼女は今、どうしているだろうか。
月でまたしても酷い目に遭っていないか。
本当は傍で守り、共に戦いたかった。
でも彼女なら、きっと運命に打ち勝ってくれる。
そうしたら、来世こそ。
「主上! 主上! 誰か!!誰か!」
半狂乱となった中将の声が遠くに聞こえる。
大勢の足音が近づいてくる。
中将がすり替えたと思っている不死の薬は、帝の手で本物に戻した。
前の生で、中将が隠し持っていた場所は、聞いていたから。
今度こそ、調岩笠に、駿河の山で燃やさせたのだ。
その煙は黒く燻った色でなく、白く輝きながら雲に溶けていったと報告を受けた。
その煙が、彼女の所に届けば良いと思った。




