第21話✶迷宮からの解脱
朔月の彦が宮殿から出てきた。
他の天人と言葉を交わし、状況を伝える。
見張りは一応立てて、何かあればテレパスを送るよう命じたが、まぁその必要は無いだろうと思う。
一旦、自邸に帰るため、見張りに後を任せて家路についた。
無事、あの罪人を始まりの間に置いてくることができて少しホッとする。
下界を監視する管職の所司目付の太子から、この姫は少しばかり頭が使えるようだ、と先達を受けていた。 油断せぬようにと。
この離宮はこれまで誰も解脱を赦していない。
天人は長寿だが、不死身なのは王族だけだ。
前後左右、天地無用の真っ暗闇で惑い、誰とも会わず話せず、何も口にできず、転び怪我をしても治療も受けられないこの迷宮に入れば、どんな罪人でもだいたい数週間で発狂する。
泣き暮らし動かなくなる者、ぶつぶつと独り言を繰り返し幻影と対話する者、頭を壁や床にぶつけて自傷行為をする者など、発狂の仕方は様々だが、皆精神を病み、常軌を逸していく。
そうなった時に、再び出番が来るのが朔月だ。
彼らの目の前にふわりと現れ笑みを浮かべれば、皆、私を月神と見間違って狂喜乱舞する。
罪を悔い、涙を流して慈悲を懇願される時、得も言われぬ快感が私の全身を満たす。たまらない瞬間だ。
そうして私は、望む者に秘薬を渡す。
天人を殺せる薬を。
彼らはこの苦しみから開放されると喜び、満面の笑みを浮かべてそれを飲み干す。
甘い甘い蜜で作られた薬。
飲んだ者は幸せな夢を見ながら事切れる。
『次世の魂が穢れなきことを』
来世に期待という意味で祈りを捧げる。
それこそがこの常闇の迷い路の本幹だった。
貴族など位が高い者へ死刑が行いにくい時の間接的な死刑だ。
あくまでもこちらが与えたのではなく、自ら望んだ自害による死である所がミソである。
今回の罪人、十五夜月の姫は、この月の都の天人の中でも群を抜いた美人だった。
あの美しく、何にも動じない澄まし顔が涙で歪む姿は是非とも見たいものだ。
心が折れて私を呼ぶ声が待ち遠しい。
それなのに、所司目付の太子から油断しないように言われたから、今回はちょっと慎重に動いてみたのだ。
絶対に失敗できない。
もし万が一、彼女が迷宮を解脱し、無事に脱出できたらあの愉しみを味わえないし、私が女王から罰されてしまう。
しかし拍子抜けしたことに、相手は想像以上に阿呆で、状況理解もできない様だった。
緊張して損した。
宮の中では、番人である自分以外は念力を使えない。彷徨い、絶望し、罪を懺悔したならば、またとろけるような甘い蜜を与えてあげよう。
◇
ふかふかソファで実に半日眠った私は、元気良く伸びをして起きた。
お腹は空いているけど、足は復活している。
相変わらず真っ暗で、視界は自分の掌が辛うじて見える程度だった。
ひょいっと立ち上がる。
「よし! いきますか」
そう言って金色の帯に手をかける。
帯は、ふくら雀結びにして貰っていた。
豪華なお祝いごとに相応しい帯の結び方だが、この結びには必ず帯枕がいる。
帯枕とは、帯の中心に入れて、帯の中心に丸みを持たせる和装小物である。
私は帯枕を落とさないように帯を崩していく。
そして、固く分厚い帯の間から、帯枕を取り出した。
帯枕は通常、中身は綿だが、今回は違う。
私の特製帯枕で、中身は石の器だった。
その器は青い光を湛え、辺りを照らしている。
激しい光ではなく、灯籠程度の光量ではあったが、足元を照らすぶんには充分だった。
(わー! 綺麗… )
勿論これが、仏の御石の鉢だ。
昼間に見た時より、真っ暗闇の中で見る鉢の美しさは格別だった。
仏様の器に相応しい神々しさだ。
今回、例の5つの宝はこっそり隠して持ってきたのだが、ほとんどはアクセサリーに加工した。
だけどこれは、何と言っても鉢だからどう頑張ってもアクセサリーにならない。
茶碗サイズで石だから重たい。
かと言ってバッグに入れて持ち歩くには、本体が光って目立ちすぎるため、帯の中に仕舞い込むことにしたのだ。
帯は光を通さないので、バレることはなかった。
解いた帯はまた違う結び方で腰に結い上げた。
そして私は歩き出す。
仏の御石の鉢ランプで足元と壁は見えるようになったが、ここは迷宮で迷路なのだ。
正解の道が分からなければ出口へ辿り着けない。
せっかく月に来たのだから記念に楽しく探す道もないではないが、愛しの帝が危篤の危機なので、私はなるべく急ぎたかった。
50歩ほど歩いた所に、キラリと光る珠が見えた。
それを拾って手提げに回収する。
珠のあった道に曲がり、またずっと進んだ所に、また珠が光った。
その珠も拾ってずんずん進む。
名付けて、″ヘンゼルとグレーテル作戦″ だ。
私が頭に挿した金銀の簪は、蓬莱の玉の枝で作られている。
蓬莱の玉の枝は、銀の根、金の茎、白金の実がなる宝樹だ。
その白金の実を、分岐の度に落としてきたのだ。
幸いだったのは、床が絨毯だったので珠を落としても音が立たず、気づかれなかったこと。
更に、番人のおじさんが浮いて移動していたため、帰り道にその珠を踏まなれくて良かったことだ。
珠を踏んで気づかれたり拾われたらアウトだった。
おじさんが私を撒こうと急いで飛んで行ったのも都合が良かった。
そんなわけで、仏の御石の鉢で辺りを照らしつつ白金の宝珠を拾いながら帰り道を辿れば、私は問題なく帰れるのだ。
私は鼻歌を歌いながら歩いて戻り、時間軸としては翌朝に、無事、出口の扉を開いたのだった。
抜け目なく、扉を開く直前に、また帯の中に器を結いこんで隠した。
「只今 戻りました。 次の天刑をお願いします」
「・・・!!」
見張りの天人が驚いて管理主、朔月の彦に連絡を取る。
ほどなくして、唇まで真っ白になった朔月の彦か現れた。
「馬鹿な… なぜ… どうやって…」
まだ、あの部屋で別れて1日と経っていない。
念力も使えないのに、どうやって迷宮から出られたと言うのか。
「慈悲深い月神様の情けをもちまして」
なぜ、と聞かれた私は、適当な理由を述べる。
「そんなはずはない… 今まで… しかし…」
納得がいかない様子の彼は、尚も何かを呟いていたが、私が無事に出てきた所の目撃者も多いので結局は諦め、次の天刑の場所まで移動することになった。
ちなみに、その知らせを聞いた女王は、手当たり次第にガラス製品を投げ割ったらしい。
朔月の彦はしこたま怒られた後、一族の長、迷宮の宮の番人を下ろされた。今は宮の掃除夫となっているそうだ。




