第20話✶壱の天刑
翌朝早く、看守の声で起こされた私は、まだボーっとしたまま壱の天刑の場所に連れて行かれた。
そこは月の裏側の海地にある離宮だった。
この宮は、離宮とは名ばかりの、貴族の牢獄だ。
表立って裁けない、位の高い罪人をひっそり葬るための地下牢が設えられている。
一度入ったら出られないこの離宮の道はわざと複雑に作られていて、宮を管理する一族だけが正解の道を知っているらしい。
「はじめまして、十五夜月の姫。私は朔月の彦。
この宮の管理者にして咎者の番人でございます」
天人の中でもかなりの高身長で、髪も地に摺りそうに長い男が浅くお辞儀をした。
周囲には取り巻きと言うか護衛のような天人が何人か控えている。
「これより、月神の代理人である女王陛下より裁可頂いた、壱の天刑を執り行います」
男は金色の錫杖を突き上げ、選手宣誓のような調子で高らかに宣言した。
「この常闇の宮は月神の作られた回顧の廊が入り組む迷宮です。
光の一筋も差さぬこの宮で、右も左も、上も下も分からぬ恐ろしさ、御世を照らす月神の有り難さを身に沁みて味わうが宜しい。
月神は慈悲深く、決して超克が不可能な罰をお与えになりません。事実、この刑では今の場所から出発地点までは当主の私が一緒に参るのです。
貴方はその道を覚え、擬えば良いだけ。
多少なりとも頭があり記憶に留めらるれば、そう悲観したものでもないかと。
まぁただ、これまで無事に戻れた者はいないですがね」
天人は名を朔月と言ったが、目は三日月のように細く弓なりである。庫持の皇子もキツネ目だったが、こちらはそれ以上で、糸目、といった方が適切かもしれない。
女王を神の代理人と崇拝してる匂いがぷんぷんしていて、逆らった私に良い印象を持っていないようだ。
「では、ついてきなさい」
離宮の扉が開かれ、中を見てみれば真っ暗で本当に何も見えない。
壁も床も見えない。
もし足元に落とし穴があったなら、ドッキリ芸人のように真っ逆さまに落ちる自信がある。
いつか遊園地で鏡の館に入った時と同じく、こりゃ頭をぶつけたり迷ったりするだろうな、と思った。
闇が深すぎて、少し離れたら案内人である彼の背中も見失いそうだったからかなり近距離で歩く。
彼の光る長い髪と白い装束の裾だけが頼りだ。
一寸先は闇とはこの状態のことだと思う。
迷子になったら無事では済まないからか、護衛の人達は付いてこなかった。
500歩目を右、120歩目を左、380歩直進して横の階段を登り…
開始しばらくは暗記を試みたが、分岐が多すぎて途中で断念した。そして広い!
だいたい、左右の基準がないから方向感覚が全く分からないのだ。
よくもまぁこの男はこんなにスタスタ進めるものだと感心しながら追随する。
もうどれくらい歩いたか分からない。
膝、いや全身が限界を迎えていた。
床は絨毯みたいなものが敷かれており、妙に沈み込んで歩きにくいのだ。
しかも、生粋の箱入り娘かつ昨夜から飲まず食わずの私は当然力が出ない。
戦闘準備はしていたが、食べ物までは持ってこなかった。
昨日ひと舐めしかしなかった飴が、今は無性に恋しい。
こいつは疲れないんだろうかと男の足元を見たら、歩いていない。多分、浮いているのだ。
念力ずるい!!
「十五夜月の姫」
「はっ はいっ!」
「着いたようだ。さてこちらへ」
扉を開ける音がして、中へ誘導される。
そして手を添えて空間を探らされると、何かに触れた。
「椅子?」
形状と触感的に、背もたれを触っているようだ。
「いかにも。 さあ姫、長く歩いてお疲れになったでしょう。この椅子でお休み下さい」
わりとふかふかして気持ち良さそうなソファだった。
急に優しくされて不気味だったが、関節という関節が悲鳴を上げていたので遠慮なく休ませて貰うことにする。
柔らかな座面にお尻が包まれ、浮いた足裏がジーンとしている。
すると、フッと笑うような息が漏れ聞こえた。
「そんな警戒心の無いことでは、到底生き残れませんよ」
「どういうことですか?」
「私は今から入口に戻りますが、貴方はここまでの道のりを覚えられましたか? まぁ無理でしょうね。
この廻廊の複雑さは我々が1番分かっていますが、1度で覚えるなど絶対に無理です」
真っ暗だから顔は見えないが、多分意地悪い顔で笑ってるんだろうなと思った。
「貴女の最後のチャンスは、これから入口へ戻る私の後を尾けることでした」
「あー、なるほど」
「その椅子は、座るとしばらくは立ち上がれないようになっています。
私はその隙に入口へ戻ってしまいますので、貴方は後を尾けることができません」
「ほう」
「はぁ…。哀れなほど頭が悪いんですね。
ご自分の状況すら理解ができないとは。
この期に及んで悲しみも縋りもしないなど、貴女の頭は本当に、外界の不浄に侵されてしまわれたのですね。
だがそれすらも、貴女が背負った業の深さ故。
あぁ、もう時間です。
十五夜月の姫よ、さようなら。
此の迷宮、回顧の廊で己の愚行を顧みて、月神に赦しを乞いなさい。
次世の魂が穢れなきことを」
言うや、光の速さで朔月の彦は消えてしまった。
瞬間移動というよりは、多分高速浮遊だ。
あいつは元々、もし私が椅子に座ってなかったとしても、私に後を追わせるつもりなど更々なかったのだろう。
さて、と私は一息ついた。
試しに立とうとしたが、確かに尻が椅子から離れない。
接着剤でくっついたようだった。
これも何らかの念力なんだろう。
ただ、そうでなくても足腰が痛くて、もうとても歩けない。
さっきまでの道中を考えれば、途中で休める椅子も無い。ここは大人しく、休むが吉だと考えた。
今朝は早くに起こされて眠り足りなかったし、そもそも牢の硬い床だったから休めなかった。動けない間にすることもないなと、私はフカフカのソファに沈み込み、それからぐうぐうと眠り込んだのだった。




