第13話✶帝―瑠珂のループ
私の背をさすり、落ち着くのを待って、瑠珂は話し始めた。
「君が月に行ってしまった後の地上のことは、多分知らないだろう? 良ければ聞いて欲しい」
「あっ! お願いします」
それは想像もしていなかった内容で、私は驚きのあまり言葉を失った。
まずそもそも、瑠珂の記憶は現代スタートではなく、まさかの竹取物語の帝スタートだったのだ。
◇
身体が弱かった父帝が早逝し、僕は14歳で即位した。
僕は別に、帝になりたいわけじゃなかった。
だけど父帝には息子が他にいなかったし、選択肢はない。
帝な僕に媚びる人はたくさん居て、その愛想笑いに嫌気が差していた時、話題の姫の話を聞いた。
なよ竹のかぐや姫、という。
あまりの美しさに幾多の公達が求婚するも、ほうぼうの体であしらわれ、誰もその目に敵わなかったそうだ。
金にも権力にも靡かない、かぐやという姫に興味を持ち、尚侍に様子を見に行くよう命じた。
僕のためにはかなり強引な尚侍を以てしても、かぐや姫の容姿を垣間見ることはできなかった。
帝の命は神からの言葉も同じというこの世において、かぐや姫の態度は異質だった。
一目会ってみたかったが、他の男達と同じように帝が屋敷の周りをうろつくこともできず、姫を宮に出仕させるよう遣いを出した。
しかし、かの姫はそれを強いるようなら死ぬと本気で言ったそうだ。
天上の帝の宮に召し抱えられることは、女性にとって至高の誉な筈なのに、それすらも断固拒否する意思の強さにますます惹かれた。
結局、翁に無理を言って森での対面を果たす。
初めて会った彼女は眩しく光そのものであり、そして清廉だった。
一目で心を奪われて袖に触れかけたが、刹那、彼女は霞のように消えてしまった。
もう貴女を摑まえようとしないから、と口に出して呟けば、彼女がふわりとまた現れた。
その時にもう、彼女がこの世の人ではないと、僕は知ってしまったのだ。
約束通り、会いに行くことも、無理に近くに寄せようとすることもせず、ただ文のやりとりを続けた。
その中で分かったことには、彼女はとても繊細で感性豊かな人だった。
行動や言動を制限され、立場に縛られている僕には見えない世界を、句の中で叙情的に表現する。
世界が彩づくような感覚だった。
今思えば、彼女はいずれ月に還れば見えないもの、感じられなくなるものを慈しみ、記しておきたかったのかもしれない。
加えて、彼女はとても賢く博識だった。
翁の屋敷から離れたことはない筈なのに、他の国のことや宮中のことまでよく知っていた。
きっと、彼女に流れる不思議な血の力だろう。
僕は彼女の自由な心、意思の強さ、繊細な所が好きだった。
僕の初恋で、もちろん片想いだった。
そんな日々を重ねて3年が経とうとした頃、彼女の養父が宮に訪ねてきた。
姫を月の使者が連れ戻しに来ると。
どうか助けて欲しいと言って。
彼女が月の都の人間だと聞いても、僕は別段驚かなかった。むしろ、全てのことが腑に落ちた。
勿論僕は了承し、動かしうる総力を動員して軍勢を準備した。
本当は、自分が直接行って守りたい。
だけど、立場と身体が、そうさせなかった。
僕は父帝と同じく身体が弱い上に、致命的な病を患っていたからだ。
そうしてあの満月の晩。
我々の籌策虚しく、彼女は月へ還ってしまった。
僕への手紙と、不死の薬を託して。
中将から受け取り、手紙を読んだ僕は、彼女が僕を憎からず思い、本当は傍に上がりたかったという気持ちを初めて知る。
そんな素振りは全然なかったから、本当に驚いた。
後悔しても後の祭りだ。
その時僕は、父帝が亡くなった歳と同じぐらいの歳になっていた。
手紙は、布団から何とか身体を起こして読んだが、それ以上動くことはできなかった。
僕はもう自分の命が長くないと知っていたし、彼女のいない世に生きていても楽しいことがないと思ったから、手紙も薬も、空に近い山で燃やしてくれるよう頼んだ。
頭の中将は、それに反対した。
僕に生きていて欲しいと、せっかくの機会を棒に振るのは勿体無いと言って譲らなかった。
薬を飲むよう、何度も何度も訴えかけた。
僕はまだ独身で、後継がいなかったこともあるかもしれない。
僕は中将に頼むのを諦めて、神官に近い役職だった調岩笠という者を勅使に選んだ。
彼は指示通りに駿河の高い山へ登り、手紙と薬を燃やした。
その灰は、山頂に祀られている火の女神の御社に奉納し、念入りに祈祷をして下山してくれた。
しばらくしたら、本当に身体の限界が訪れた。
とうとう死ぬ時が来たと思い、けれどあまり怖くはなかった。
暗くなる視界の中で、今も鮮やかな、姫と交わした文の世界が広がっている。
記憶の中の彼女の光に包まれて、天に昇れそうだと目を閉じた。
それなのに。
結論から言えば、僕は死ななかった。
絶対に、命は終えた筈だった。
口に苦い液体が入ってきて思わず嚥下すると、乱れた鼓動と苦しかった息が急に楽になり、目が覚めた。
「どういうことだ…」
不可解な気持ちを思わず口に出し、再び開いた瞼の向こうで、聞き慣れた声がする。
「申し訳… ありません… 申し訳ありません!」
まだ視界が定まらない。
ゆっくり首を動かして横を向く。
「御身失われること有り得べからざること…」
肩を震わせ、平伏し謝罪の言葉を繰り返していたのは、頭の中将だった。
中将は僕が調岩笠に託した不死の薬の壺を、すり替えていたのだ。
余命短い僕にもしものことがあれば飲ませるつもりで、ずっと隠し持っていたらしい。
「何ということを」
驚いて嘆いた所で、飲んだ薬を吐き出すことはできない。怒る元気もなかった僕は、誰にも心を許さず、部屋でひとり過ごし続けた。
こうして不死の薬を飲んだ僕は、『死んでいない』状態になったのだ。
不死な上に、それ以上は老いなかった。
ただ、不死の薬は万能薬ではない。
身体の状態は最期の直前と変わらず、ただ行きているだけだ。
しばらく生きてみたが、無味乾燥な日々は辛いばかりで、やはり、天命に従って生涯を閉じたほうが自然だったと思った。
ある日、寝室の鏡台の中に、使ったことのない護身用の短剣があることを思い出す。
そこまで何とか這っていき、一番下の引き出しを探る。
冷たいものが触れ、その柄を握った。
ずしりと重く感じるが扱えないことはない。
そろそろ誰かが来る時間だ。
今しかない。
僕は両手でその剣を握ると、迷わず左胸に突き立てた。
焼け付くような鋭い痛みが走って息ができなくなる。
視界が真赤に染まり、そしていつもの薬湯を持って来た典侍の高い声が響く。
湯呑みと急須が割れて散らばる音。
典侍の叫び声に集まった幾人から何度も名を叫ばれた。
遺していく者の嗚咽まじりの呼びかけに、申し訳ない気持ちが無くはないが、後悔はない。
段々と何も聞こえなくなっていく。
これでようやく休めると、最期の息を吐いた。
願わくば、来世は君と過ごしたいと思いながら。




