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第13話✶帝―瑠珂のループ

私の背をさすり、落ち着くのを待って、瑠珂るかは話し始めた。


「君が月に行ってしまった後の地上こちらのことは、多分知らないだろう? 良ければ聞いて欲しい」


「あっ! お願いします」


それは想像もしていなかった内容で、私は驚きのあまり言葉を失った。

まずそもそも、瑠珂の記憶は現代スタートではなく、まさかの竹取物語の帝スタートだったのだ。






身体が弱かった父帝が早逝し、僕は14歳で即位した。

僕は別に、帝になりたいわけじゃなかった。

だけど父帝には息子が他にいなかったし、選択肢はない。


帝な僕に媚びる人はたくさん居て、その愛想笑いに嫌気が差していた時、話題の姫の話を聞いた。

なよ竹のかぐや姫、という。


あまりの美しさに幾多の公達が求婚するも、ほうぼうの体であしらわれ、誰もその目に敵わなかったそうだ。


金にも権力にも靡かない、かぐやという姫に興味を持ち、尚侍ないしのかみに様子を見に行くよう命じた。

僕のためにはかなり強引な尚侍を以てしても、かぐや姫の容姿を垣間見ることはできなかった。


ぼくの命は神からの言葉も同じというこの世において、かぐや姫の態度は異質だった。


一目会ってみたかったが、他の男達と同じように帝が屋敷の周りをうろつくこともできず、姫を宮に出仕させるよう遣いを出した。

しかし、かの姫はそれを強いるようなら死ぬと本気で言ったそうだ。


天上の帝の宮に召し抱えられることは、女性にとって至高のほまれな筈なのに、それすらも断固拒否する意思の強さにますます惹かれた。


結局、翁に無理を言って森での対面を果たす。

初めて会った彼女は眩しく光そのものであり、そして清廉だった。

一目で心を奪われて袖に触れかけたが、刹那、彼女は霞のように消えてしまった。

もう貴女を摑まえようとしないから、と口に出して呟けば、彼女がふわりとまた現れた。


その時にもう、彼女がこの世の人ではないと、僕は知ってしまったのだ。


約束通り、会いに行くことも、無理に近くに寄せようとすることもせず、ただ文のやりとりを続けた。

その中で分かったことには、彼女はとても繊細で感性豊かな人だった。

行動や言動を制限され、立場に縛られている僕には見えない世界を、句の中で叙情的に表現する。

世界が彩づくような感覚だった。


今思えば、彼女はいずれ月に還れば見えないもの、感じられなくなるものを慈しみ、記しておきたかったのかもしれない。


加えて、彼女はとても賢く博識だった。

翁の屋敷から離れたことはない筈なのに、他の国のことや宮中のことまでよく知っていた。

きっと、彼女に流れる不思議な血の力だろう。



僕は彼女の自由な心、意思の強さ、繊細な所が好きだった。

僕の初恋で、もちろん片想いだった。


そんな日々を重ねて3年が経とうとした頃、彼女の養父が宮に訪ねてきた。

姫を月の使者が連れ戻しに来ると。

どうか助けて欲しいと言って。


彼女が月の都の人間だと聞いても、僕は別段驚かなかった。むしろ、全てのことが腑に落ちた。

勿論僕は了承し、動かしうる総力を動員して軍勢を準備した。

本当は、自分が直接行って守りたい。

だけど、立場と身体が、そうさせなかった。

僕は父帝と同じく身体が弱い上に、致命的な病を患っていたからだ。



そうしてあの満月の晩。

我々の籌策ちゅうさく虚しく、彼女は月へ還ってしまった。

僕への手紙と、不死の薬を託して。



中将から受け取り、手紙を読んだ僕は、彼女が僕を憎からず思い、本当は傍に上がりたかったという気持ちを初めて知る。

そんな素振りは全然なかったから、本当に驚いた。

後悔しても後の祭りだ。


その時僕は、父帝が亡くなった歳と同じぐらいの歳になっていた。

手紙は、布団から何とか身体を起こして読んだが、それ以上動くことはできなかった。

僕はもう自分の命が長くないと知っていたし、彼女のいない世に生きていても楽しいことがないと思ったから、手紙も薬も、空に近い山で燃やしてくれるよう頼んだ。


頭の中将は、それに反対した。

僕に生きていて欲しいと、せっかくの機会を棒に振るのは勿体無いと言って譲らなかった。

薬を飲むよう、何度も何度も訴えかけた。

僕はまだ独身で、後継がいなかったこともあるかもしれない。


僕は中将に頼むのを諦めて、神官に近い役職だった調岩笠つきのいわがさという者を勅使に選んだ。

彼は指示通りに駿河の高い山へ登り、手紙と薬を燃やした。

その灰は、山頂に祀られている火の女神の御社おやしろに奉納し、念入りに祈祷をして下山してくれた。



しばらくしたら、本当に身体の限界が訪れた。

とうとう死ぬ時が来たと思い、けれどあまり怖くはなかった。

暗くなる視界の中で、今も鮮やかな、姫と交わした文の世界が広がっている。

記憶の中の彼女の光に包まれて、天に昇れそうだと目を閉じた。


それなのに。




結論から言えば、僕は死ななかった。

絶対に、命はついえた筈だった。


口に苦い液体が入ってきて思わず嚥下すると、乱れた鼓動と苦しかった息が急に楽になり、目が覚めた。


「どういうことだ…」


不可解な気持ちを思わず口に出し、再び開いた瞼の向こうで、聞き慣れた声がする。


「申し訳… ありません… 申し訳ありません!」


まだ視界が定まらない。

ゆっくり首を動かして横を向く。


「御身失われること有り得べからざること…」


肩を震わせ、平伏し謝罪の言葉を繰り返していたのは、頭の中将だった。


中将は僕が調岩笠に託した不死の薬の壺を、すり替えていたのだ。

余命短い僕にもしものことがあれば飲ませるつもりで、ずっと隠し持っていたらしい。


「何ということを」


驚いて嘆いた所で、飲んだ薬を吐き出すことはできない。怒る元気もなかった僕は、誰にも心を許さず、部屋でひとり過ごし続けた。


こうして不死の薬を飲んだ僕は、『死んでいない』状態になったのだ。

不死な上に、それ以上は老いなかった。

ただ、不死の薬は万能薬ではない。

身体の状態は最期の直前と変わらず、ただ行きているだけだ。


しばらく生きてみたが、無味乾燥な日々は辛いばかりで、やはり、天命に従って生涯を閉じたほうが自然だったと思った。


ある日、寝室の鏡台の中に、使ったことのない護身用の短剣があることを思い出す。

そこまで何とか這っていき、一番下の引き出しを探る。

冷たいものが触れ、その柄を握った。

ずしりと重く感じるが扱えないことはない。

そろそろ誰かが来る時間だ。


今しかない。


僕は両手でその剣を握ると、迷わず左胸に突き立てた。

焼け付くような鋭い痛みが走って息ができなくなる。

視界が真赤に染まり、そしていつもの薬湯を持って来た典侍てんじの高い声が響く。


湯呑みと急須が割れて散らばる音。

典侍の叫び声に集まった幾人から何度も名を叫ばれた。

遺していく者の嗚咽まじりの呼びかけに、申し訳ない気持ちが無くはないが、後悔はない。


段々と何も聞こえなくなっていく。

これでようやく休めると、最期の息を吐いた。

願わくば、来世は君と過ごしたいと思いながら。



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