第11話✶帝との文通交際
「ど… して…」
目の前の彼は立ったまま動かない。
私も動けずにいた。
「かぐや」
私を呼ぶその声は、大好きな彼の声だった。
落ち着いた、ちょっと低めの。
駆け寄って抱き着… きたいのを寸出で堪えて踏みとどまる。
帝の側近がどこかに控えているはずだ。
いきなり触れれば捕縛されてしまうかもしれない。
「瑠珂、なの…?」
「うん、僕だよ。 はじめまして? 姫」
まだ信じられない。
頬をつねりたい気分だった。
「僕が瑠珂だと分かるんだね… さすが 輝夜」
瑠珂はくすりと笑った。
現代でも平安の生でも、私は誰にも転生者であることを話していない。
現代では悪役令嬢や中世への転生話が流行っていたが、まさか童話の中に転生したなんて笑われそうだ。
平安で私は未来から来たなんて話せば、気が触れたと呪術師の所へ連れて行かれるのがオチだと思った。
もちろん帝にも瑠珂にも内緒にしていた。
「瑠珂が… 帝? いつから、なの?」
「いつから… 最初からかな。瑠珂は幼名だから」
「最初から!?」
「そうだよ。かぐや姫な君も、輝夜な君も、ずっと見ていたよ」
「えーっ! じゃ、じゃ、これまでのこと、全部覚えてるの?」
「もちろん」
私は背筋が冷えていくのを感じた。
帝を誘導してヤンデレエンドに持ち込むべく、だいぶ強引な手を使った生があった。
最終的には帝をご主人様呼びし、首輪までかけてもらった。喜んで監禁された変態姫に成り下がったのだ。
月の使者から逃れるためだったとは言え、ずっと瑠珂の意識があったなんて恥ずかしすぎる。
恐る恐る尋ねた。
「私のこと、どう思った…?」
「君のお陰で開いた扉の罠が甘くて、ハマりそうになったよ」
「もう殺して…」
「主上…?」
側近らしい男が、やけに賑やかなこちらへ不審な顔を向けている。
言い寄る男を冷たくあしらう高飛車な美人と噂のかぐや姫と、初対面でこんなに打ち解けるなんて予想外だったのだろう。
しかも突然の名前(幼名)呼び。
「ああ、待たせたね」
「いえ、とんでもございません。ただあまり長く外におられるのは心配です。
近頃の暑さは主上のお身体に障ります」
そう言って私の方をチラリと見た。
どちらかと言うと好意的でないその視線はこの生で珍しかった。
前世ぶりに見た瑠珂の顔は、確かに私が知るより青白い。あまり、元気そうではなかった。
「今日は、このくらいにしようか」
瑠珂がそう言うと、私の返事も待たずに先程の男性がスッと瑠珂に手を添える。
彼がもしかして、頭の中将という人だろうか。
気づけば私の斜め後ろにはおじいさんが居て、恐縮しているのか縮こまっていた。
「また、文を書く。 良ければ、返事が欲しい」
「うん あ、はい。 必ず書く!ます」
私が頷くと男性はそのまま、一礼だけすると瑠珂の手を引いて帰っていった。
そうして、おじいさんによる森で鉢合わせ作戦は、予想外に成功したようだった。
◇
私は屋敷に帰ってもまだ夢見心地だった。
まさか、瑠珂が帝だったなんて。
最初から一緒に転生していたなんて。
考えれば私の拙い作戦が玉砕する所をもう何度もも見られていることになる。
しかもあの、私がヤンデレ属性を引き出したと思っていた前回は、ただ彼がノってくれただけだったなんて… 穴があったら入りたい。
私はかぐや姫の生では何となく、出会う皆のことを物語の登場人物と捉えていて、どこか自分がプレーヤーのような気分だった。
旅の恥は掻き捨て、に似た気持ちで行動していた感は否めない。
なのにそんな私を、瑠珂はずっと見ていたというのだ。
帰ってからずっと、急に呻いて天を仰いだり机に伏したりと落ち着きのない私を、弥生は微笑ましげに眺めていた。
男嫌いの妹の、遅咲きの恋煩いと思っているようだ。
そして更にその後ろから目頭を押さえて成長を喜ぶおじいさんとおばあさんもまた、私がとうとう自分達から離れる日が来たのかと思い、嬉しくも寂しい気持ちでいた。
文通が始まると、思いの外楽しかった。
何と言うか、交換日記みたいなのだ。
瑠珂は帝業もあるから、毎日は文が届かない。
今日は来てるかな、明日は来るかなと待ち遠しく思ううちに、かぐや姫もこうして文通を楽しみにしていたんじゃないかなと思うようになった。
グイグイ家まで来た5人は厚かましく嘘つき、あるいは強引で、かぐや姫の気持ちなんてお構いなしだ。
会わないと言うのに屋敷の周りをうろつき、遠ざけるための無理難題を言われても怯まず愚策を練る。
かぐや姫の男性不信は深まるばかりだ。
しかし帝は、後宮に上がる勅命を突っぱねられた時、権力を行使して無理矢理召し上げることもできたのにそうしなかった。
かぐや姫の気持ちやタイミングを大切にし、3年もかけて文通をする、穏やかな交際を選んだのだ。
そのゆっくりとした時間が、かぐや姫の頑なな心を解かし、あの最後の場面と句につながったのだと思った。
帝はきっと、時間をかけて育んだ、かぐや姫の初恋だったのだ。
さすがに帝ともなれば、文は受け取りも送るのも検閲が入るから、転生云々や前世の話は書けない。
頭がオカシイと思われて交流禁止になったら困るしね。
当たり障りの無い内容にはなるけど、それでもとにかく楽しかった。
私の知る彼の字とは少し違う、流れるような筆使いは平安風なのだろうか。
指でなぞってみたりして。
珂瑠は今日何を食べて何を感じただろう。
帝ってどんな生活?
お琴で難しい曲が弾けるようになったから、今度聴いて欲しい。
早くまた会いたいな。
顔を見て話したい。
しかし文通を始めて2年が過ぎても、原著通り、瑠珂と会う機会は訪れなかった。




