14.更待月
北国への輿入れの際には希望など持ち合わせていなかった月玲だったが、実のところここでの暮らしはそう悪いものでもない。男の人となりを知るようになって、月玲はそう前向きに考えるようになった。そんなある日のことである。
ぼんやりと外を吹きすさぶ雪を眺めていた月玲は、東国から使者が来たと言う知らせを受けた。ちょうど王と謁見の最中だという。まったく正気だろうか。月玲の輿入れの時でさえ、すでに雪化粧をしていたというあの山を、この時期に使者が越えて来ただなんて。悪い知らせでなければ良いが。少女が慌ただしく使者の元を訪れれば、見知った顔がそこにはあった。あの時の薬師がなぜここに? 不審そうな少女の表情に気がついたのだろう。薬師が仕方なさそうに肩を竦めた。
「本当に君たち王族って横暴だよね。いきなり娘の体調が心配だから見に行ってこいとか。北国にも薬師はいるって話してるのに、慣れた東国の薬師が良かろうだなんて。兵士と違ってか弱い薬師は、雪山登山には向いていないんだけど」
相変わらずの不遜な態度に少しばかり呆れてしまう。薬師以外にも多くの兵が駆り出されたらしい。なるほど、部屋を見てみれば輿入れの時には持たされていなかったはずのたくさんの嫁入り道具。一体何を用意したものやら、うず高く積み重なっている。北国の王は訳知り顔でうなずいていた。
「北国の気候は厳しいからな。だからあれほど、月月ひとりで来れば良いと言ったのに。どうせ東国の衣装などそのままではこちらで着ることも難しい。春になるのを待って、どうしても必要なものだけそのときに届ければ良かったのだ」
その言葉を聞き流しながら箱を開けた月玲は、まあと声をあげた。月玲の馴染みの東国衣装には、すべて内側に毛皮が縫い付けられている。あの白い服と同じように。手際の良いことだと、王は笑う。
「お前を送り出したあとに、必死で仕上げたのであろうな。さすが秘蔵っ娘の一の姫の嫁入りとあっては、なりふり構ってはおられぬとみえる。それにしても、お前たちも山越えは苦労しただろう。月月、せっかくの父親の好意だ。何かあれば相談しておくといい」
ゆっくりしていけとふたりに言うなり、男はあっさり立ち去ってしまった。男の後ろ姿に、薬師も呆れたようだ。侍女も兵も置かず、使者と妻をふたりきりにして出て行くなどありえない。間者であったらどうするつもりなのか。
男の反応もそうだが、月玲は、思いもよらなかった事実に驚いていた。たったひとりで輿入れしたのは、父に見限られたからだと思っていたがそうではないのか。それにあの男が言った「秘蔵っ子」とは、まさか月玲のことを指すのだろうか。
――もしかしたら、わたしは何か勘違いをしているのかしら?――
そんな月玲の思考は、薬師の男により妨げられる。いかにも面白くなさそうな顔をした男が、少女の体調の相談に乗るためにやって来たとは到底思えなかった。
「あんな薬を欲しがるくらいだからどれだけ冷遇されているのかと思っていたけれど、良かったねえ。ちゃんと愛されてるじゃない」
「別に、ただわたしが子どもだから気を抜いていらっしゃるだけよ。それで、実際のところどうして父はあなたをここへ寄越したのかしら」
ひたりと薬師が月玲を見据えた。初めて会った日と同じ、どこか冷ややかな両の瞳。そのせいだろう、薬師に見つめられると少女は自然と居心地が悪くなる。
「王はこう仰った。君がどうしてもこの北国に馴染めないというのならば、静養という名目で西国へ出て行っても構わないと」
にわかには信じられない言葉に、月玲は疑いの眼差しを向ける。輿入れしたはずの娘が婚礼前に出ていくなどありえない話だ。そもそも……。
「西国? 東国じゃなくて?」
少女の問いを、愚問だと言わんばかりに薬師は切り捨てる。
「この季節、北国側から東国へ向かうのは無謀すぎる。あの山を越えてくるのに、僕らがどれだけ大変だったか。死人が出ずに済んだのが奇跡だよ。だから君がもしも結婚が嫌だと言うのなら、西へ向かうしかない。どうせ西国の宰相は君の伯父さんなんだろう。あのひとだって、そう悪いようにはしないさ」
いきなり輿入れさせたかと思えば、今度は逃げてもかまわないという。父の思惑がわからずに、月玲は戸惑う。
「……どうして?」
「さあね。僕には君たち王族のような高貴な方々の考えなんてわからないよ」
お手上げとばかりの薬師の言葉に、月玲は考え込む。そんな少女にどこか苛立ちを交えたように、男が言い募った。
「ねえ、別にそれほど難しいことでもないと思うんだけどな。君の好きなようにすればいい。ここであの男と一緒に暮らすのもよし。さっさと西国へ逃げるのもよし。いずれにせよ、君の自由だ。家族を人質に取られたわけでも、見せしめに両目を抉り取られたわけでもない。国を追放されて男娼に身を落としたわけでもないのだから、選択肢は無限にあるようなもの」
どこか朗々と語る薬師の例え話に、少女は背筋が冷たくなる。よもや事実ではあるまいな。釈然とせぬまま首をひねる月玲に向かって、薬師は背を向ける。
「決心がついたら、僕に教えて。ああ悪いけれど、そう長くは待ってあげられないよ。僕たちにも都合というものがある」
まるで自分の家のように堂々と立ち振る舞う薬師を見て、少女は少しだけ羨ましく思った。月玲にとってこの城は、ようやく馴染み始めたばかりの場所だったから。
月玲のことを自由だと言いながら立ち去る薬師は、やはり少女に対して腹に一物抱えているような雰囲気である。そっとため息をつき、月玲は久しぶりに薬包を取り出した。長いこと持ち歩いていたせいだろうか、薄く青みがかっていた粉薬の色はすっかり変色してしまっている。
――このお守りは、本当に必要なものなの?――
北国に来てから、確かに涙を流したことはあった。それでも王には大切にされてきたはずだ。周りの女たちだって、何くれと気にかけてくれる。差し伸べられた手のひらは、その昔幼い少女が乞い願ったものとは違うけれど、確かにこの国で月玲は必要とされていた。
毎夜抱きしめられる男の熱も、宴の前に教えてもらった命の大切さも、降り注ぐ星のきらめきも、どれもみな愛おしい。月玲は、凍りついたあの川が春に美しく流れ出す様を見たいと思った。だから月玲は薬師を追いかける。この北国に残るという気持ちを伝えるために。







