13.臥待月
「寒い」
そう答えた月玲が連れてこられたのは、先ほど犬ぞりで滑っていた家族の包だった。いきなりの展開に、月玲は目を白黒させる。こんな男でも北国の王なのだ。見知らぬ住人の家にのこのこ入り込むなど危険すぎはしないか。思わず男の不用心さに呆れて、ぎょっとした顔をしてしまったらしい。男に頭を撫でられる。
「もう、子ども扱いしないでったら」
一歩下がろうとして、月玲は硬くなった雪に足を取られ転びかけた。まったく高貴な女性としてはありえない振る舞いだ。それをさらりと支えながら、男はまた笑う。
「お前が面白い顔をしているのでついな。安心しろ。城には最初から伝えて来てある。この家の者たちは信頼できる。せっかくだ、後から鷹狩りでも見せてもらうがいい。お前に良く似た鼧鼥でも獲ってきてもらうか?」
子どものようだとわかっていながら、月玲はまた頬を膨らませた。まったく、女を花に例えるならともかく、地りす呼ばわりはいただけない。それを言えば、その苦情すら子ども扱いされるのはわかりきっているから言わないだけだ。少女の頬を指先で突つきながら男は続けた。
「不用意に外出するなというがな、そういう意味では、お前の父親たちより俺はよっぽどまともだぞ?」
男に言われた意味がわからず、少女は首を傾げる。父といい、ふたりの伯父といい、王家の男たちはどれだけ周りを困らせて来たのだろうか。確かに父が西国で母に出会ったのも、不思議だと言えば不思議なことだが、この男はもっといろいろなことを知っていそうな気がする。少しばかり困惑した月玲だったが、そのまま案内された家の中に入ることにした。
「北国と言えば、みんなこういう場所に住んでいると思っていたのだろう? 実のところ、城を出ればこんな風にみんな暮らしている。城壁の内側であってもな」
「びっくりするほど、暖かいのね」
実際、家の中は上着を脱いでもかまわないくらいの暖かさだった。家の主人などは、袖のない衣装を着ている。月玲が腰を下ろせば、小さな子山羊が家のどこからか現れてめえめえと歓迎してきた。
「生まれたばかりのものは、凍死しないように人間と同じ家の中に入れておくんだ。お前と同じで、子どもというものはみなすべからく手がかかる。だがそれが可愛いところでもある」
爽やかに月玲を家畜と同列に並べながら、男は家の主人と酒盛りを始めてしまう。どうやら今日はここから移動する気がないらしい。座り込んだ少女の隣には、子山羊がそのまま立っている。子山羊は人馴れしているのか、しきりに月玲に頭を擦り付けてきた。山羊には縁のない少女でさえ、こうやって無邪気に甘えられればつい可愛らしく思えてくる。
柔らかくあたたかい子山羊を触っているうちに、月玲は先日の宴で食べた山羊のことを思い出した。北国の人々は、この小さな生き物に惜しみない愛情を注ぎ、ともに暮らし、そして感謝してその命を頂くのだろう。山羊を見たときに悲鳴をあげた月玲と、そんな少女を辛抱強く見守ってくれる男。少女は、あの時聞いた男の言葉を噛みしめる。自分は、学ばなければならない。この国のあり方を。
振る舞われた食事ですっかりあたたまった月玲を、男が外に呼び出した。冬の北国の昼は特に短い。いつの間にか辺りはすっかり暮れ、夜になっていた。
「ここに来い、月月。星がよく見える」
寒くないようにということだろう、男の腕の中に抱えられて見上げた星空は、確かに見事だった。東国で見上げた空よりもずっと多くの星が、きらめいている。見渡す限り続く地平線、雪原の中に横たわってしまったなら、きっと自分が星空の中に浮かんでいるようなそんな心地になるに違いない。
「東国人が北国を恐れているのを俺は知っている。北国は今まで奪うことしか知らなかった」
とくんとくんと、優しい男の鼓動が聞こえる。男の言葉は月玲に聞かせているようでもあり、男自身に聞かせているようでもあった。そう、北国は奪う国だった。突然他国に攻め込み、土地を、食料を、財宝を、女を、根こそぎ持っていくようなそんな国だった。畑を耕すことを知らず、動物とともに土地を移動する。機動力だけはあったから、そんな風になってしまうのも仕方がないのかもしれないと、初めて月玲は考えた。
「この国にはお前の故郷のようなものはなにもない。だがな、俺たちはこの国を愛している。空と星と草原と川が美しいこの国を。それが、俺の国だ。これからお前が住む国だ。一緒に国をつくっていってくれないか、月月」
男は、北国の先王の失敗談も話してくれた。その昔耕作を始めようとしたが、上手く行かず、結局国境沿いから東国人を拐ってきて耕作をさせたのだという。あんまりと言えばあんまりな話に、少女は小さく苦笑した。
良い男だと月玲は思う。目の前にいるのは初恋のひととは似ても似つかぬ男だけれど、誠実でまっすぐな男だ。
本当は母のように、伯母たちのようにたったひとりの妻として愛されたかった。わかってはいたことだけれど、それはどうやら叶わないらしい。ため息を吐くのが嫌で、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。体の内側まで凍りつきそうな、冷たい清廉な空気が少女の内側を満たしていく。
愛している人間のためならば、政の体制を変えてしまう。そんな存在がこの世にいることを月玲は知っている。けれど目の前の男は、月玲ひとりを選んではくれなかった。きっと男が最初に言った「番」というのは、ともに国をつくり守る仲間になって欲しいという意味なのだろう。
それならば確かに数いる妻のうちでも、月玲にしかできないことだ。東国の血筋である自分にしかできないことなのだ。父には見限られてしまったのかもしれないけれど、文を書いてみようか。北国が暮らしやすくなるような、そのために必要な助力を乞うてみようではないか。あれこれと少女は考えてみる。月玲が夢見ていたような愛情ではないけれど、男はきっと少女を大切にしてくれるだろう。気高い狼が率いる群の仲間の一員として。それはきっと幸せなことなのだ。
星が流れ出す。月玲の足元にまで降り注いでいるような気がして、そっと地面を眺めてみた。







