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8.味方

「またですか。殿下」

「…………」


 ネイと二人で食堂から帰ってきたラズは、自室のソファに座っているダンを見つけて溜息をついた。またリベリ絡みかとも思ったが、彼女が来たのは昨日の筈。彼が何も言葉を返さない所を見ると特別な用事がある訳ではなさそうだ。それでも追い返すのは気が咎める。


「まぁ、いいんですけど。俺仕事ですぐに出るんですよ。二時間程空けますがどうします? ここで時間を潰したいなら留守番してくだされば結構ですが」

「仕事?」

「えぇ。ハディー執政官の所へ報告と今後の打合せに」

「…………」


 どうやら本当にここで時間を潰すつもりだったらしい。自分の思惑通りに事が進まないことへの苛立ちが表情に表れるが、仕事が絡んでいる以上先日のようにこちらが折れるわけにもいかない。


「分かった。ここで昼寝するから部屋を貸してくれ」

「いいですよ。では留守番をお願いします。じゃあ、ネイ。悪いんだけどこの資料持ってくれるか?」

「あぁ」


 資料の束と大きな地図を持って二人は出て行ってしまった。仕方がないのでダンは彼のベッドへ移動する。

 この部屋は確かに本や資料で溢れているがよく見ればそれらは種別に整理整頓されている。侍従が部屋を掃除しやすいよう床に物はないし、散らかっている印象は受けない。客室といっても文官達同様の部屋を与えられているので華美な装飾はなく、ダンの自室よりも余程狭いが何故か居心地の良い空間だ。

 靴を脱いでベッドに転がる。侍従が用意しているのだろうか。シーツからは爽やかな香の匂いがする。

 他人の部屋で眠るなんて一国の王子としてはあまりにも無防備だ。出会って間もないラズにここまで気を許しているのは自分でも意外だった。きっかけはあの日。トラウマになっている悍ましい出来事を思い出して震える自分を抱き寄せてくれた。ダンを情けないと笑うこともせず、ただ話を聞いてくれた。父にも兄弟達にも明かすことの出来なかった自分の傷。それを曝け出すことが出来た唯一の相手。

 ラズと話をしてからダンはマリアベルへの見方を変えた。相変わらず彼女にべったりな兄達のせいでまともな話をしていないけれど、それでも頑なな態度だった自分を責めることなく、彼女はダンに笑いかけてくれる。きっと最初から与えられていただろう彼女の優しさにやっと気付くことが出来た。それでも自分が居心地良いと思えるのは華やかな彼女の傍ではなく、本に埋もれたこの狭い部屋のなのだ。

 彼女の白い肌に触れてみたいという思いはある。けれどそれは情欲ではなく、今まで知らなかったものに対する単なる好奇心に近い気がする。


(俺が彼女を娶って呪いを解くには根本的に問題があるのかもな……)


 自分が同性愛者だとは思わないが、マリアベルへの偏見がなくなっても抱きたいと思うことが出来ない自分はやはりどこかおかしいのだろう。若く美しく、そして心優しい少女。まともな男なら彼女を求めない訳がないのだ。


(まぁ、兄上達に任せればいいか。どうせ俺は……)


 自分の考えに嫌気が差して、それを振り払うように寝返りを打つ。カーテンを閉めてもほんのり明るい部屋の中で目を閉じた。窓から入り込む穏やかな風。それに優しく頬を撫でられながら、ダンは緩やかに浅い眠りへと落ちていった。






 ハディーの執務室は広い。常に文官達が行き来する忙しない場所で、彼は主に各領地を治める貴族を束ねている。所領で集めた税の徴収、民からの要望などあらゆる報告が彼の下に集められ、内容を精査された後に宰相や国王のもとへ報告書が上げられるのだ。そんな忙しい執政官は王命により此度城に常駐することになった客人、ラズの仕事を管理することになっている。呪いに対する調査結果は勿論のこと、何か必要なものがあれば彼に要望を上げる必要があるのだ。つまりラズの直属の上司に当たるわけである。

 約束の時間にハディーの執務室を訪れたラズはバリバリと書類を処理している彼を眺めていた。


「すまないな。あと少しでキリが良い所まで終わるんだ」

「いえ、お忙しい中時間を割いていただいているのですから。俺達のことは気にしないでください」


 今年五十になるハディーのこげ茶の髪には白いものが混じってきている。それでも老いを感じさせないのはメガネの奥から覗く鋭い眼光のせいだろう。国を支える者としての責任を果たしてきた実績が感じられる。

 十分ほど経ってやっと書類から顔を上げたハディーはラズが座っている向かいのソファに腰を下ろした。護衛のネイは扉の横に控えていたが、ラズに呼ばれてソファの後ろに立った。


「そこじゃ話しにくいから座ってくれないか」

「……俺も?」

「あぁ」


 どうやらネイもこの話に参加させるつもりらしい。彼は内心首を傾げつつも護衛対象であるラズの隣に浅く腰を下ろした。


「それじゃあ、君の報告を聞かせてもらおうか」

「えぇ。これを見てください」


 ハディーの言葉に頷いてラズが机の上に広げたのは例の地図。山々が広がる北部から王城までを描いたもので、そこには様々な色のインクで所々印が付けられている。


「この印は?」

「男児しか生まれなくなった、という報告が上がった町や村に印を、そして色は報告があった年代を表しています。初めての報告があってから三年以内が赤。六年以内が青。そして十年以内が黒」

「成る程、これを見ると十年でどれだけ呪いと言われる現象が広まったのかが分かるな」

「えぇ。でもこの地図で注目して欲しいのは点の位置なんです」

「位置? だが、これだけ多くの印があると……」

「赤と青を見てください。すべて川に沿っている」

「……疫病のように水を介して広まっているということか? しかし元々人が住む場所は水源の傍に造られる。これだけでは原因が水であると判断するのは早計だろう」

「仰る通りです。ですがこの赤の点のある町、ここには必ず泉や湖など大きな水源があるのです」

「なんと……!」


 ハディーが改めて地図を辿れば確かに彼の言う通り、最初に異常が報告された集落の近くには必ず水源となっている湖などが存在している。これほどの条件の一致なら偶然とは呼べないだろう。この城に来てから資料集めに熱心だったのは知っていたが、どうやら様々な統計を取っていたらしい。神殿で育ったにしては随分と学者肌のようだ。


「確かに。してどうする? 水を調べるのか?」

「えぇ。そのつもりです。疫病とは違ってこの現象は百年経った今でも続いています。その水源にまだ原因ものが残っている可能性があると思うのです。まずはここから一番近いイーシャの町にある泉に行ってこようと思います」

「分かった。宰相には私から報告しておこう。必要なものがあれば言ってくれ」

「ありがとうございます。馬を二頭と多少の費用をいただければ十分です」


 意外だと言わんばかりに、ハディーは正面に座る二人の顔を交互に見た。


「なんだ、ネイザンと二人だけで行くつもりか?」

「えぇ。水はこちらに持ち帰ってから調べます。大所帯で行って町の人達を驚かせることもないでしょう。我々が水を調べていると分かれば、それを生活用水としている人々を悪戯に脅かしかねない」

「成る程。正論だ」


 細かいことを打合せ、改めてハディーの許可を貰った二人は彼の執務室を出た。目的のイーシャまでは馬の足で往復二日。出立は明日の予定だ。


(こっちはいいんだけど、問題は……)


 心に掛かるのはマリアベルとリベリのこと。王子達や近衛騎士がいてくれると分かっていはいてもやはり心配は尽きない。


「ネイ。部屋に戻る前にマリアベル様の所に寄ってもいいかな?」

「あぁ。構わない」

「ありがとう」


 文官の執務室やラズの部屋がある西棟からマリアベルの客室がある南棟までは歩いて十五分ほど掛かる。明日の話をしながら歩いていると、しばらくして装飾のある白い扉の前に立つ近衛騎士が二人見えた。


「こんにちは」


 一人は昼にも会ったオリバ。そしてもう一人は灰色の短髪に灰紫の瞳を持つ背の高い騎士。この二人がマリアベルの護衛を勤めている騎士達の中心なのだとネイから聞いている。

 ラズが挨拶をするとオリバは眉を下げた。


「お疲れ様です。せっかく足を運んでいただいたのですが、マリアベル様はご不在でして」

「そうですか。彼女はどこへ?」

「ヘリオスティン殿下と共に図書室へ。サーカスの本を探すのだと仰ってました」

「サーカス?」


 サーカスと言われてもラズはいまいちピンと来ない。確かに昔絵本で見たことがあるような気もするが、一体それが何なのかはうろ覚えだ。


「来月城下の広場にサーカスが来るんですよ」

「はぁ。そうですか……」


 だからサーカスって何なんだろう。それを聞けば酷く驚かれそうな気がしたので止めた。後でこっそりマリアベルに聞こう。

 気の抜けた返事をするラズが気になりつつも、オリバは平静な顔で口を開いた。


「それで、ラズ殿はどうしてこちらへ?」

「あ、あぁ。明日から二日間城を空けるので、それを伝えようと思ったんですが……」


 すると二人の近衛騎士は顔を見合わせる。


「もしかして、昼に仰っていた言葉はその為に?」


 マリアベル様のことをお願いします、と言った言葉のことだろう。ラズは苦笑して頷いた。


「えぇ。それもあります。護衛の任を解かれた今ではただの過保護かもしれませんが、傍を離れるのはどうも不安で」

「分かりました。マリアベル様のことは私とクレイドにお任せください」


 そう言ってオリバと灰紫の瞳を持つ騎士、クレイドが頷いた。





 ***


「ダン。起きて」

「…………」

「昼寝しすぎると夜眠れなくなるよ」

「んー……」


 とろとろとした心地の良いまどろみ中、優しい声が聞こえてダンは意識を浮上させた。

 誰かが自分の頭を撫でている。こんなことをするのは誰だろう。母上? いや、違う、母はこんな風に自分に触れたことはない。だって自分は……


「ダン?」

「……ラズ」


 やっと目を開けば見えたのは栗色の髪と碧の瞳。彼は寝ぼけ眼のダンを見てクスリと笑うと、座っていたベッドの端から腰を上げた。


「随分よく眠っていたよ。もしかして最近疲れてた?」

「……かもな」


 髪に残る彼の手の感触。もう一度撫でて欲しいなんて思っている自分は、多分相当疲れているんだろう。


「仕事は終わったのか?」

「あぁ。粗方ね」

「ネイザンは?」

「明日は朝が早いから、今日はもう宿舎に戻らせた」

「何かあるのか?」

「ネイと仕事で明日から二日出ることになったんだよ」

「……お前が?」

「そう」

「随分と急だな」

「まぁ、さっきの打合せで許可を貰ったばかりだから」


 こっちにおいでと笑顔で手招きされたので、ダンはベッドから降りて彼がいるソファに座る。差し出されたのは黄緑色のハーブティー。


「目が覚めるよ」

「……あぁ」


 カップから立ち上るのは仄かで清々しい香り。どうやら彼が自分で淹れたらしい。お茶なんて淹れたことのないダンにとっては中に何のハーブが入っているのかは分からない。けれど確かに頭の隅に残った眠気を取り払ってくれるような、爽やかな後味が口の中に残った。


「ダン。あれからマリアベルと話をした?」

「……し、た」

「そう。どうだった?」

「普通だった……」

「それは良かった」


 まるで子供の成績を褒める親のようだ。けれど自分のことを心配してくれていたのが分かって、ダンは妙に気恥ずかしい思いをした。同い年である彼に自分が甘えていることに薄々気がついているからかもしれない。


「ねぇ、ダン。お願いしてもいいかな」

「あ、あぁ。なんだ?」

「俺がいない間、マリアベルの傍にいて欲しい」

「…………」


 それは彼女のことを花嫁候補として見れないと自覚したダンにとっては難しい願いだった。これまで傍に行こうとしなかったダンが彼女の下にいたらきっと兄弟達は勘違いするだろう。彼女に夢中な彼らにはダンが本音を言っても信じないに違いない。それに今だ彼女と二人きりになるのはダンにとって困難な事だった。


「俺じゃなくても、兄上達がいるだろ」

「ダンに頼みたいんだ」

「……何故」

「ダンが俺の味方だから」

「なんだよ、それ」

「引き受けてくれたら、俺がいない間この部屋の鍵を貸してやるよ」


 ニッといたずらっ子のようにラズが笑う。だが、彼がいない間もこの部屋に居られるのは中々魅力的な提案だ。

 両方を天秤にかけしばらく唸っていたダンだったが、結局ラズの提案を飲むことになったのだった。

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