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小話 男爵家の昼下がり

 

「あら、いつの間に」


 クラウド男爵夫人が屋敷のサロンから窓の外に目を向けた先には二人の人物がいる。一人は自分の息子バン、もう一人は二ヶ月前に入籍したばかりの息子の嫁ユーリィだ。二人は仲むつまじく手を繋ぎながら庭を通り、馬車へと乗り込む所だった。これからどこかへ出かけるのだろう。

 サロンにお茶を用意していた侍従がその呟きに気づいて顔を上げた。


「あぁ。バンぼっちゃんですか? つい先程いらっしゃいましたよ」

「まぁまぁ、あの子もすっかり色ボケしちゃって。今まではちっともこっちに寄りつかなかったくせに」


 魔術師を目指すべく早々に家を出たバンは、以来特別な事でこちから呼び出さない限りは実家に帰ってこなかった。現にユーリィが屋敷に来るまでは二・三年顔を見ていなかったのだ。所がユーリィを娶った途端、二日に一回は帰ってくる。しかも週末は丸一日屋敷にいて泊まって行く。

 ユーリィが男爵家に嫁入りした際、バンが城で働いているから城下に二人の家を構えようかと男爵夫婦は思っていた。けれどそれはバンが反対した。城下に居れば嫌でもユーリィの実家の人々や貴族達と頻繁に顔を合わせる事になる。それよりも城下から離れた実家のあるこの街の方が、ユーリィが心穏やかに過ごせると思ったのだ。


「良いじゃありませんか。それにしてもぼっちゃんは遠い所を随分頻繁に帰省なさっていますが、お仕事の方は大丈夫なのでしょうか?」

「それがね、あの子ったらこっそり自分の部屋に魔術で仕掛けを作ってたのよ」

「仕掛け、でございますか?」

「えぇ。なんでも陣がどうのこうのって小難しい事言ってたけど、私には何の事だがさっぱり。とりあえず王城の塔と屋敷の自室に仕掛けを施して、魔術で行き来できるようにしたらしいわ」

「ほう! やっぱり塔の魔術師ともなるとすごい事ができるんですねぇ」


 馬車を使っても王城からコーヘンまでは四・五日かかる。流石にそれでは中々帰省できないので、バンは移動の陣を塔と実家の自室に施していた。塔は王城の敷地内。城の安全確保の為に、勝手に外部と繋がる新たな移動陣を敷いてはいけない事になっている。そこでバンはサグホーンに相談し、許可を得ていた。通常はいち魔術師が私用で使う陣など許されないが、国王陛下もユーリィの事はずっと気にかけていたようで、今回は特別に許可が下りた。

 そんな裏事情など知らない男爵夫人は、つれない息子に頬を膨らませる。


「そんな事できるならもっと前から使えば良いのに、可愛いお嫁さんを貰った途端にこれなんだから」

「バンぼっちゃんはユーリィ様にベタぼれのようですからねぇ」

「本当よ~。お陰でバンが身なりに気を使うようになったのは良かったけど。ユーリィさんがしっかりした方で助かるわ。これが男遊びに慣れたご令嬢だったら、あの子なんてお金搾り取るだけ搾り取られてポイッよ」

「大奥様、何もそこまで……」


 男爵夫人の言い様に苦笑して、侍従は走り始めた馬車を見送る。最初は慣れない生活に戸惑っていたユーリィだったが、男爵一家の温かい歓迎を受けて最近は笑顔も増えてきた。その一番の要因がバンの愛情なのだろう。


「お孫様のお顔が見られるのも、そう遠くはなさそうですね」

「そうね。それが一番の楽しみだわ」


 満面の笑みを浮かべ、男爵夫人は淹れたての紅茶に口をつける。茶請けは昼前にユーリィと二人で作ったジンジャークッキーだ。三人の息子を育ててきた男爵夫人もまた、ようやく出来た念願の娘との生活を存分に楽しんでいるのであった。





 ***


「ックション!!」

「大丈夫ですか?」


 隣で盛大なくしゃみをした夫の顔をユーリィは覗きこむ。南東とは言え、季節は真冬。雪こそ降ってはいないものの、暖を取る道具の無い馬車の中は十分寒い。ユーリィは自分にかけていたひざ掛けをバンも入れるように広げてかけ直した。


「あぁ。ありがとう」

「お風邪ですか?」

「いや、くしゃみだけだから大丈夫。ユーリィは寒くない?」

「はい。大丈夫です」


 そう答えれば、バンはちょっと眉根を寄せる。どうしたんだろうと思っていると、ひざ掛けの上に置かれた彼の手が落ち着きなさげに握ったり開いたりを繰り返していた。彼の意図が分かった気がして、ユーリィの口元が自然と緩む。


「でも、手先が……、少し寒いです」


 そう言って両手を擦り合わせると、待ってましたとばかりにバンの顔が輝く。そしてバンの右手がユーリィの手を握る。可愛い年下の夫の仕草に、ユーリィの心が温まった。


「どう?」


 照れた夫の横顔。ユーリィは彼に寄り添って、二人の間に空いた距離を縮める。


「温かいです」

「良かった」






 馬車が留まったのは街の西の端にある大きな工房だ。ここではクラウド男爵と次男ディルが中心になってワラ芋の蒸留酒を作っている。男爵家の仕事を知りたいというユーリィの希望で、今日は酒工房を見学しにやってきたのだ。

 木製の大きな引き戸を開けると、むわっと温かい空気が流れる。暖気を逃さぬよう素早く中に入り、工房の中を見渡した。バンもここに入るのは初めてだ。


「おや、ぼっちゃん!」

「あぁ、こんにちは。親父はいる?」

「奥に居ますよ。どうぞ」


 工房で働いている壮年の男性が声を掛けてくれる。彼に案内されて奥へ進むと、途中に大量のワラ芋の洗浄と皮むきをしている場所があった。数人の男性がそこで作業をしていて、少年から年配まで年齢はバラバラだ。領地に住んでいないバンの姿が珍しいのだろう。少年の一人が洗った芋を持ったまま声を上げた。


「あ! 魔術師の人だ!」

「おや本当だ。今日は奥さんも一緒かい?」

「キレーな嫁さん貰えて良かったねぇ、ぼっちゃん」

「……どーも」


 口々に声を掛けられ、バンは軽く会釈だけして通り過ぎる。愛想が悪いのではなく気恥ずかしいのだろう。その証拠に、彼の耳が赤くなっている。


 城下と違って、領地の人々とクラウド男爵家は距離が近い。皆、まるで親戚のように気軽に声をかけてくる。ここに移住した当初驚いたものだが、男爵夫人に「皆ご近所さんだもの」と言われてユーリィも納得した。男爵家の人々にとって領民は統治するものではなく、同じ土地に住む仲間なのだ。

 それに此処でユーリィはあくまで男爵家三男の妻であって、社交界で噂のユーリィ=ササラを知っている人はいない。お陰で誰の目も気にすることなく、穏やかな日々を送っている。本人は口にしないが、わざわざバンが魔術で遠方の実家までマメに帰省してくれるのも、ユーリィの過去を知らないこの場所で生活出来る様に気を使ってくれているからだと知っていた。


 ユーリィは自分に手を振ってくれている彼らに笑顔で会釈してバンの後に続いた。二メールはある大きな両開きの扉の前にはツナギを着た作業員と話し込んでいるクラウド男爵の姿があった。


「親父」

「おぉ、来たか」


 バンの声に男爵は振り向いた。目じりに皺の寄った笑顔は人好きするものだ。領民が男爵を慕うのも分かる。バンにしろ男爵にしろ、貴族特有の気取った態度を領民の前で見せる事はない。


「どうだ。中々立派だろう」

「あぁ。予想以上に大きな工房だな。驚いた」

「流通の目処がついたからな。これから生産量も増やしていく予定だ」

「奥の扉には何があるんですか?」


 後ろにある扉を興味深そうに見るユーリィに男爵は破顔する。自分の仕事に興味を持ってくれたことが嬉しいのだろう。二人は上着を脱ぐように言われ、端の棚に荷物を置くと扉の中へ案内された。薄暗いその場所には沢山の樽がずらりと並んでいる。


「ここは?」

「手前は樽の中で麹を醗酵させているんだ。奥の樽は芋を加えて二次醗酵しているものだよ」

「温度と湿度を一定に保つ為に洞窟を使ってるのか」

「そういう事だ。そうだ。お前の魔術で醗酵を早めたり出来ないのか?」

「あのなぁ、魔術も万能じゃないんだ。酒造りに応用する研究するぐらいなら、人の手で作業した方が早いだろ」


 扉の中は裏山の土を掘って造った洞窟になっていた。土の中なら夏は涼しく冬は暖かい。温度と湿度の調節が重要な作業に適しているのだ。

 人の手によって掘られた長方形の洞窟一杯に並ならぶ沢山の樽。男爵とバンの話を横で聞きながら、ユーリィは初めて見る光景に夢中で視線を躍らせる。すると、洞窟の端に小さなテーブルを見つけた。


「あの、あれは?」

「あぁ、お供え物だよ」

「お供え物? 神様へですか?」

「いや、違う違う」


 バンに手招きされ、ユーリィは共に端へと向かう。傍に寄ってみれば、テーブルの上には蒸留酒の入った瓶が二本と小さな花が飾られていた。


「ワラ芋の栽培には大地の恵みが欠かせない。だから土の精霊への供物なんだ」

「精霊に……」

「そう。土の精霊は酒好きだからね」

「精霊がお酒を呑むのですか?」

「呑むよ。土の上位精霊は他国じゃドワーフなんて呼ばれてるけど、聞いたこと無い?」

「あ、ドワーフなら幼い頃本で読んだことがあります」

「その本に酒を呑むドワーフの絵はなかった?」

「確か……、あったと思います」

「だろ?」


 バンが瓶を一本持ち上げる。すると中身が半分以上減っていた。本当に土の精霊が拝借しているようだ。お酒を呑む精霊の姿を想像して、くすくすとユーリィが笑う。

 そんな彼女を見守る息子の穏やかな表情に、少し離れた場所で二人を見ていた男爵もまた笑みを深めた。

 

 



以上で連載終了です。

最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

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