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小話 君が望むのは

 

 よく晴れた午後。陽を遮る物が無い王城の一番高い屋根の上。そこに一匹の白豹の姿があった。真っ白な毛並みが陽の光に温められ、時折吹く風に髭が揺れる。

 不意に心地良さそうに閉じられていた瞼が持ち上がった。その銀色の瞳が向けられた先は音もなく現れた人影。


「おや、相方はいないのかい?」


 小柄な少年が白豹の隣に座った。砂色の髪に黒縁眼鏡、そして魔術師のローブ。これで話しかけた相手が人であれば見た目にはそぐわない口調に違和感を抱くだろうが、相手は光の上位精霊ブルネイ。戸惑う様子は微塵もない。


『グライオならシィシィーレに行っている』

「あぁ。騎士君の付き添いか」

『ネイザンを知っているのか?』

「まぁね。彼の動向は彼女(・・)の関心事でもあるから」


 少年は世間話をするようにさらりと口にする。彼の言う彼女(・・)とは正体を知れば誰もが驚愕するであろう人物だが、ブルネイもまた彼の話を当たり前に聞いていた。それはブルネイにとっても彼女(・・)が身近な存在であるからだ。


『成る程な。全ては御心の通りという訳か』

「いや、そうでもないさ」


 それまで穏やかだった少年の表情が初めて曇る。それをブルネイは見逃さなかった。


『……プレディオか』


 手段を選ばず女神を求めた孤独な魔術師。女神に近付く為に彼が取った方法が、一国を大きく揺るがした。それに気付けなかった事を彼女は悔いていた。

 そう、彼女(・・)とはこの世界を支える柱の一つ、愛と豊穣の女神フェイノーイの事だ。


「……随分と後悔しているようだよ」

『いくら神とて全てに目は配れまい』

「それでも、思う所はあるんだろうさ」


 何も知らない者が聞けば、彼らが語るフェルノーイはまるで何の力も持たない一人の女性のように感じるだろう。実際それは間違いではないとブルネイは思っている。

 神は決して万能ではない。神だから人知を超えた力を持つのではない。フェルノーイは“神”という仕事を割り当てられた、この世界の住人の一人に過ぎないのだ。


 だから、ブルネイは女神に救いを求める人間が好きではない。

 だから、その存在を一番身近に感じながら、それでも女神に頼らず、悩み、必死に生きる巫女が好ましいのだ。


『それでお前が慰めてきた訳か』

「まさか。私にできるのはせいぜい愚痴を聞くぐらいだよ。彼女は全く違う場所にいる存在だからね。魂のあり方なら、私よりも君たち精霊の方が近いだろう」

『女神の血を引けど、お前はあくまでヒトだということか』

「そうさ。私はヒトだから」


 プレディオにも伝えた言葉をもう一度繰り返す。女神の血を引く系譜に名を連ねようと、どれだけ強い力を持っていようと、この国に住む人々と同じ“ヒト”なのだ。人よりも多くの時を重ね知識を得ても、その範疇を越えることはない。

 それは誰より自分がヒトでありたいと思っているから。


「それにしても、君は可愛くなっちゃったね」


 女神の話はここでお終いだとばかりに、少年が明るい声を出す。ブルネイは自分の頭を撫でてくる小さな手を鬱陶しそうに睨みつけた。


『うるさい』

「巫女が結婚したらちょっかい出そうと思ってたのに、その姿のせいで思うようにいかなくて拗ねてるんだろう」

『黙れ』

「くくくっ。図星か」


 実際彼の言葉が当たっていたので、ブルネイは反論が出来なかった。

 先の戦いで大量の魔力を失い、その時の傷を癒す為に魔力を消費し続けている。マリアベルには黙っているので、傷が完全に癒えていない事はグライオのみが知っていた。そして徐々に回復している魔力も傷の治療に当てているから、中々元の姿に戻れずにいるのだ。

 実の所、ブルネイは今のままでもマリアベルを自分の亜空間に呼び込むことが出来る。だが、そこは上位の精霊であろうと偽ることの出来ない無防備なブルネイの内側(・・)。そこにマリアベルが入れば、傷が癒えてない事が彼女にバレてしまう。

 ブルネイは光の精霊。そしてマリアベルが持つ主な魔力も光。治療の為にマリアベルに力を借りることは可能だが、そこはブルネイの矜持が許さなかった。精霊と言えど雄としてマリアベルを欲している身。弱った姿など見せたくないし、何より彼女が自分のせいだと責めるのは見たくない。

 いつかマリアベルに言った通り、彼女を亜空間で可愛がるにはまだ大分時間がかかりそうだ。


『お前も似たような姿ではないか。なんだそれは』


 苦し紛れに言い返すブルネイが指摘したのは、彼が少年の姿をしている事。勿論本来の彼は子供ではない。

 彼は旧友に微笑みかけ、そして姿を変えた。砂色の髪はアイボリーに、茶色い瞳はトパーズに、黄色がかった肌は白に。そして少年の体は中性的な顔立ちをした細身の男性へと変化する。それはブルネイの良く知る彼、レギ=フレキオンの本来の姿だ。


「さっきまで塔で見習いの仕事をしてたんでね」

『塔のトップが今更魔術師見習いの真似事など意味があるのか?』

「何事も初心を忘れずに、って言うだろう?」

『…………。お前はただ楽しんでいるだけだろう』

「うん。とっても楽しいよ」


 かつての弟子達が自分の正体にまるで気づかず、先輩風吹かせるのは見ていて愉快だ。真面目な話をすれば、組織のトップに座っていたのでは分からない問題点・改善点を見出す事もできる。

 先の事件の折、魔術師見習いトマスが魔術師長レギ=フレキオンだと気が付いた者達もいるが、それも極僅か。レギはまだまだこの姿でいけると思っている。


 神の血を引くが故に人より寿命の長いレギは、周囲の時間の流れに合わせて姿を変えてきた。今ではそれが趣味の一つになっているが、全てはヒトとしてヒトと共に生きる為。

 レギはヒトが好きだ。魔力が無くても神が見えなくても、彼らは持っているものを工夫し技術を磨き、時にレギにも予想出来ない成果を生み出す事ができる。本能のまま変化を望まない精霊とは違い様々な欲求に貪欲な分、彼らは未知なる可能性を秘めているのだ。本来“個”に執着する事のない精霊達がまれに人と契約を交わして絆を得るのも、きっとレギと同じようにヒトに惹かれるものがあるからだろう。


「旧友のよしみで傷を治すの手伝ってあげようか?」

『フンッ、いらぬ』

「ははっ、そう言うと思った。じゃ、私はもう戻るよ。またね」


 いつものように緩い笑みを残してレギは姿を消した。先ほど見せた憂い顔より余程彼らしい表情だ。

 ブルネイは再び目を閉じた。瞼の裏に愛しい娘の笑顔を思い描きながら。

 

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