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番外編 二人の夜(1)

 

 これは一体何の試練だろうか。

 邪気の無い笑顔を前に、ネイは心の中で自問した。




 神殿へ訪問の為、豊穣祭が催されるシィシィーレ島へ行く。そう第三王子ダリオンが言ったのは彼の執務室での事だった。

 要人の警護に復帰したネイはダン本人の希望もあって、現在彼の専属として警護を担当している。豊穣祭前に開かれる王城の夜会に参加したダンが一旦執務室に戻った際、近衛騎士の中からネイだけを傍に呼んだ。そして言ったのだ。三日後にシィシィーレ島へ向かおうと思っている事を。

 ダンは来年の春からサディア国へ留学することが決まっている。その前に国内の見聞を広める為、シィシィーレ島へ行ってみたいと国王陛下に打診するつもりだと言う。勿論それも本当なのだろうが、ダンの一番の目的は故郷へ帰ったラズへ会いに行く事だろう。

 それを聞いたネイは一も二もなく自分も連れて行って欲しいと願い出た。その答えを予想していたに違いない。ダンは「なら自分の代わりに行ってくれ」とあっさりそう言ったのだ。


 ダンの後押しのお陰で闇の精霊グライオと共に王城を出発し、予定通り豊穣祭に間に合ったネイはまず神殿に向かった。表向きはセリオス神官長へ王室からの書簡と供物を届けるのが今回の任務だからだ。それが無事に終わり、ラズを探そうと思った所で現れたのは二人の〈風〉。久しぶりに姿を見るラズの友人達だった。

 彼らのお陰でラズ、いやリジィターナとの再会を果たし、ネイは神殿へ戻ろうとした。豊穣祭当日に島へ到着したので既にどこの宿も空室は無く、神殿に泊めて貰おうと思っていたからだ。だがリジィの話では神殿も宿泊希望者で一杯らしい。野宿も覚悟したネイに彼女はこう言った。ならうちに泊まる?、と。

 そうして着いたのは平屋の一軒家。神殿から僅かに離れた場所に建っていて、柵で囲まれた小さな庭には畑もある。花ではなく野菜を庭に植えているのがなんともリジィらしい。だが、そこでリジィが一人暮らしをしていると聞いてネイは玄関で固まった。

 最初は神殿内に部屋が与えられているのだと思っていた。けれどリジィは神官ではない為、十四の時に自分で神殿を出たそうだ。この一軒家は島の人々の力を借りて、長い間放置されていた空き家を改装したらしい。以来ずっと彼女はここで一人暮らしをしている。

 もう一度言おう。一人暮らしである。


「ネイ? 入って良いよ」

「あ、……あぁ」


 固まったネイにリジィは首を傾げる。ネイはなんとか溜息を飲み込んで、家の中に入った。


 ネイが腰を下ろしたのは二人座ればいっぱいだろう小さなソファ。リビングとキッチン・ダイニングが一部屋になっていて、西側の壁には大きな本棚に所狭しと本や地図が並べられている。物が多いが雑多に見えないのはきちんと整理整頓されているからだろう。装飾品の類はほとんど見当たらず、あるのは実務的なものばかり。唯一女性らしいと言える空間は今リジィが立っているキッチンだろうか。お湯を沸かしているヤカンやシンク周りのタイル、乾燥中の食器などはパステルカラーで優しい色合いの品が多い。

 初めて入った場所なのに、ネイがあまりそう感じないのは恐らくここがラズ(・・)の部屋に似ているからだ。彼女がラズとして王城に滞在していた際、与えられた客室も本や資料が種別に積み上げられた、まるで学者のような印象の部屋だった。


「お待たせ」

「あぁ。ありがとう」


 リジィが持ってきてくれたマグカップから香るのは優しい香りの花茶。苦味の強い葉茶は一般的に夜飲む事はない。ネイも詳しくは知らないが、苦味に含まれる成分の中には眠りを妨げるものがあるかららしい。

 温かいカップを手に取ろうとした時、ネイは彼女が立ったままである事に気がついた。


「座らないのか?」


 そう声をかければ、一瞬リジィの目が泳ぐ。


「あ~、うん。……座る」


 そして彼女が座ったのはネイの隣。その頬が僅かに赤くなっているのに気づいてネイは頬を緩めた。

 この家にお客が来ることは稀なのだろう。よく見ればリビングスペースにあるのはネイが座っている小さな布製ソファとローテーブルだけ。つまり、座る場所がこのソファしかないのだ。女性二人なら余裕だろうが、ネイは当然体も大きい。此処に座れば自然と二人の距離は近くなる。少しずれれば肩が触れそうな程だ。その距離感にリジィは照れているに違いない。

 ふんわりとした花茶の香りとリジィの存在に癒されていたネイだったが、さて困った。ソファの件でも分る通り、この家には必要最低限の物しか置いてない。ならばベッドも一つだけだろう。この小さなソファではネイ所かリジィも寝る事は出来ない。いざとなったらネイは何処でも寝ることが出来るよう訓練されている。けれどそれをリジィがよしとするとは思えない。何せ以前任務先の宿でベッドが足りなかった時も、ネイが床で寝るのを随分嫌がっていた彼女だから。

 となれば当然――


「…………」


 ちらりと彼女を横目で見る。リジィはこういった事に鈍感な方ではないと思うが、今の彼女を見る限りそこまで考えているようには思えない。もしや自分との再会の喜びで今はまだ気分が高揚していて、そんなことまでは頭が回っていないのだろうか。

 要は浮かれている? リジィが? 自分と会って嬉しくてあのリジィが浮かれているのか?


(……かわいい、な)


 そう思ったら余計に隣でお茶を飲んでいる彼女が愛しくてたまらない。一年間ずっと会えずに悩んで悩んでやっと再会を果たした彼女。想いを告げるだけで良いと思って此処まで来たのに、彼女は想いを受け止めてくれた。嬉しくて嬉しくてこの腕の中に閉じ込めて――そして、今。

 想いが通じて恋人になれた初めての夜。ここまで来たら、彼女が家に誘ってくれたのは自分と同じように離れがたいと思ってくれたのではないかと期待したくなる。もっと傍にいたいと、もっと触れていたいと……


「ネイ?」


 思わずじっと見つめてしまったネイの視線に気づいたのだろう。リジィがこちらを見上げて首を傾げる。自然な角度の上目遣い。さらりと肩から落ちる栗色の髪。そして自分の名前を呼ぶ、彼女の唇。


「リジィ……」


 持っていたカップをテーブルの上へ。彼女の手に自分の手を重ね、彼女のカップもそっと奪ってテーブルへ置いた。それを目で追っていた彼女の頬に手を添えれば、戸惑う碧の瞳がネイを見る。そこに拒絶の色がないことを確かめて、ネイはゆっくりと唇を重ねた。一度目は唇の感触を、二度目は体温を感じ、三度目は下唇をそっとなぞる。彼女の長いまつげが震えるのが見えると、堪らなくなって深く口付けた。首の後ろに回した手で彼女の髪を掻き分け、覆うように再度唇を塞ぐ。合間に漏れるのは熱くなった吐息と、彼女の声。


「…ふ…ぁ、ネイ……」


 彼女を拘束するように抱きしめ、舌を舌で追いかけ、どこまでも追い詰める。熱情に体の芯が痺れているのはネイだけではないだろう。頼りない仕草でネイの服を握る彼女の手は、剣を振るっていたラズとは似ても似つかない。

 彼女が倒れこみそうになってやっと、ネイは唇を離した。


「……悪い」


 感情のまま求めてしまい、思わず謝ってしまった。流石に苦しかったのか、当のリジィは顔を真っ赤にして呼吸を整えている。けれどリジィは首を横に振った。


「あ、…謝る必要、ない……から……」


 恥ずかしさで更に顔を赤くして、言葉は段々小さくなっていく。その言葉の意味も震える声も潤んだ目も、リジィの何もかもがネイの胸を貫く兵器でしかない。

 かつてここまで動揺したことがあっただろうか。そう自問してしまうくらいに、ネイは暴走しそうになる感情に振り回されていた。このままもう一度濡れた唇を塞ぎたい。何もかも取り払って肌に触れて――


『久しいな、ネイザン』

「…………」


 甘い甘い空気を切裂くように降って来たのは男性的な声。それが誰かなど訊くまでもない。このまま無視してしまいたい衝動に駆られたネイを誰も責められはしないだろう。その証拠に、次に聞こえた声の主は非常に申し訳なさそうに現れた。


『すまぬ。止められなかった』

『ごめんねぇ。野暮なマネはよしなさいって言ったんだけど』

「グライオ!!」


 久しぶりに顔を合わせる黒豹の姿に、頬の赤みが取れぬままリジィは嬉しそうに声を上げた。嬉しいのはグライオも同じなのだろう。もう一度ネイに『すまん』と零し、リジィの足元に擦り寄った。楽しそうにグライオの頭を撫でるリジィ。二人きりの時間が邪魔されてしまった事は惜しいが、リジィと相棒の精霊が幸せそうなら勿論ネイに言う事は無い。

 仕方なくネイは腰を抱いていた手を放し、目の前の〈風〉に向き直った。


「挨拶なら済ませた筈だが?」

『本当よねぇ~、全く大人気ないんだから』

『…………』


 そもそもネイとグライオはリジィより前に〈風〉達と再会している。今更久しぶりの挨拶など必要ない所に声をかけてきたのは悪意あってのものだろう。人ならばともかく精霊達に覗かれるのはもはや仕方が無いとして、せめて今日ぐらいは遠慮して欲しい。切実に。

 ワザと意地悪くネイが言い返せば、当の本人はツーンとそっぽを向いていた。以外に子供っぽい所があるようだ。

 そんな彼らを他所に、隣ではリジィとグライオがじゃれあっている。


「グライオもネイと一緒に来たの?」

『あぁ。神殿にも行ったぞ。清廉で良い気に満ちていた。裏庭はすっかり精霊達のたまり場だな』

「あはははっ、気づいた? あそこは人が入れないようにしてあるんだよ」

『〈土〉と〈火〉達が酒盛りしていた』

「土壌が良ければ美味しいお酒が出来るって言って、セリオス神官長がわざと精霊達が取りやすい場所にワインを置いてるの」

『それは良い考えだな』


 今までに無いくらいグライオの機嫌はいい。楽しそうな声色や黒くて長い尻尾がゆらゆら揺れているというだけではなく、彼の心がネイの胸の内側に伝わってくる。先程まではリジィと再会したネイの幸せな気持ちも、彼に伝わっていたのだろう。互いに喜びを分かち合える。ネイとグライオはそういう関係だ。それは単なる契約に基づくものだけではない。互いが互いの幸せを願える関係だからこそ、相手の喜びを自分も喜ぶことが出来るのだ。

 そんな二人を目にして〈風〉の一人はうらやましい、と素直に思った。これで二度目だ。ヒトと精霊が契約をすることで得られる絆を羨むのは。けれど〈風〉達とリジィターナの間には他の精霊達では得られない、過ぎた時間と共に積み重ねた特別な絆がある。リジィが自分達を思ってくれるからこそのこの関係が今の〈風〉達を支えてくれるし、支えてあげられる。それは誇れる事だと確かに思う。

 リジィと〈風〉、ネイとグライオ。そしてリジィとネイ。それぞれの絆がまた新たな未来を紡いでいく。

 女性的な〈風〉は幸せそうなそれぞれの顔を見渡すと、満足げに息を吐いた。


『ほーら! 何時までも遊んでないで、もうヒトは寝る時間でしょ? 私達はお暇するわよ』

『いや、しかし……』

『往生際が悪いわよ! グライオも! 話したいことがあるならまた明日ね』

『うむ、そうしよう』


 不満そうな〈風〉の一人を引っ張って、一度二人を振り返る。


『じゃ、おやすみ~』

「おやすみなさい」

「おやすみ」


 〈風〉がひらひらと手を振ると、三人の精霊達は姿を消した。

 一気に静まり返ったリビング。ネイとリジィはそれぞれ無言で少し冷めたお茶に手を伸ばす。それを飲み終えると、まずリジィが席を立った。二人分のマグカップを持ち、キッチンへ向かう。

 二人が無言になってしまったのは、“次”を意識してしまったからだろう。つまり〈風〉の『おやすみ』の言葉を切欠に、あとは寝るだけだと気づいてしまったのだ。

 一度は気持ちが盛り上がってしまったネイだったが、幸か不幸かグライオ達のお陰で頭が冷えた。彼女に再会するまで一年待ったのだ。多少の我慢ぐらい出来なくてどうする。


「ネイ」

「! ……あぁ」

「体拭く? お湯沸かそうか?」


 王城には浴場があったが、貴族でもない限り個人宅にはお湯に浸かれる湯船などないのか当たり前だ。その代わりタイルや石造りの小さな浴室があって、そこで桶に入れた湯を被ったり、体を拭いたりする。ネイは流石に長旅の後だ。井戸から水を汲むのを手伝って、湯を頼む事にした。

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