番外編 三番目の夫(2)
「はぁ……」
テラスに入り一人になると、ユーリィは胸に蟠っていた苦い思いと共に息を吐いた。秋の近付くこの季節。夜風は少し冷たいが、広間の中にいるより余程マシだ。人々の目は好奇と言うより侮蔑に近い。それに気付いた父は常にピリピリしていて、隣に居たユーリィは気疲れしていた。
月明かりに照らされた庭は夜でもその美しさを損なうことはない。春に比べて落ち着いた色合いの多い秋の草花は、大いにユーリィの疲れた心を癒してくれた。聞こえてくる虫の声は人々の囁きよりも優しい響きを持っている。何時までも此処にいたい、そんな風にユーリィが思った時、聞こえたのはカチャッという金属音。
「……ベック様」
ユーリィよりも遥かに高い身長に大きな体躯。広間を背にしたこの国の騎士団長ベック=ワイズの顔は逆光でよく見えないけれど、ユーリィが間違えるはずがない。だって、ずっとずっと長い間遠くから目で追っていた姿だったから。
「お久しぶりです」
「こちらこそ……、ご無沙汰しております」
こうして彼と言葉を交わすのは例の事件で王城に出入りしていた時以来だ。何故彼はわざわざここに移動してきてまで自分に声をかけてきたのか。考えても分かる筈のない問題を、動揺しているユーリィは気づかず自問する。
まともに顔を見られない。自分が好きだった男性に、今の惨めな自分を見られるのは辛くて仕方が無い。あれから一年近い月日が経っているけれど、今のユーリィの状況は少しも良くはなっていない。それ所か周囲に不幸な未亡人として陰口を叩かれる始末。その醜聞は彼にも届いているのだろう。
知らず知らずの内に顔が下がっていく。そんなユーリィの視線に合わせるように背の高いベックは膝を付いた。
「大丈夫ですか?」
低い声が耳朶を打つ。深いボルドーの目から逃れたくて、ユーリィは後ずさりしていた。
「え、あの……」
「お加減が優れないのでは? 迎えの馬車を用意させましょうか?」
どうやら彼はユーリィの体調が悪いと思ってここまで来てくれた様だ。優しくなんかしないで欲しいのに。
「……ありがとうございます。けれど、お気遣い無く。……大丈夫ですわ」
抑えようと思っても声が震えてしまう。こんな状態で大丈夫だと言っても信じてはもらえないだろう。案の定、ベックに引き下がる様子は無い。
(もう終わりにしなければ……)
いつまでもずるずるとベックの事を想っていた所で、この気持ちは報われない。分かっている。いや、最初からユーリィは知っていたのだ。絶対に・・・自分の恋心が叶わない事を。
ベックの生家、ワイズ家はその名を知らぬ者は居ない有名な貴族だ。その理由は二つある。一つは国内で一・二を争う古参の貴族であること。そしてもう一つはワイズ家の因習。現在の王族と共にトゥライア国を造った血族としての意識が高いワイズ家は、その血筋を護る為近親婚を繰り返しているのだ。だがベックはそんな因習を厭い、自らが成人すると同時に一生婚姻を結ばない事を公表した。
だからユーリィの恋が成就する事はない。そうと分かっていても冷めることのなかった恋心。それでもいつかは終止符を打たなければ。それが、きっと今なのだ。
「ベック様……」
「はい」
「わたくしは……」
足が震える。目に浮かぶ涙を散らすように数回瞬きを繰り返す。これで最後。そう何度も自分に言い聞かせて、ユーリィは目の前の恋しい男性を真っ直ぐに見つめた。
「……ずっと、ずっと貴方をお慕いしておりました」
「ユーリィ様……」
人前で動揺する姿など見せない強い瞳が、驚きで一瞬見開かれる。彼は立ち上がると、静かに頭を下げた。
「申し訳ございません。私は……」
「いいのです。分かっています」
「…………」
「謝罪すべきはわたくしの方です。ベック様のお答えを知った上で、己の為に想いを告げたのです。……お時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした」
「お顔を上げてください。謝罪など必要ありません」
震える唇をかみ締めて、ユーリィは顔を上げる。ベックは優しく微笑んでいた。それは今まで自分が見たことの無い、騎士団長ではないベック=ワイズの顔だ。
「ご承知の通りユーリィ様のお気持ちに応えることはできませんが、そのお気持ちは嬉しく思います。ありがとうございました」
一礼して、ベックはテラスを出て行った。静かにガラス戸が閉じられる。ようやく緊張が解けて、ユーリィは手すりにもたれかかった。彼の表情、そして優しい言葉。十分だ。殿下達の妃候補ではなく、不運な貴族の娘ではなく、ユーリィを一人の女性として初めてベックが見てくれた。その上で言葉をくれた。それだけでユーリィの恋心は満たされた気がした。
その後もしばらくテラスで庭を眺めていたユーリィは、傍の生垣から物音がする事に気がついて目線を動かした。誰か居るのだろうか? 行儀が悪いと知りつつ、手すりから身を乗り出すようにして覗き込めば、見えたのは人の頭。
「きゃっ!」
「あっ……」
「貴方は……」
跳ねた黒髪にカーキのローブ。幼さの残る顔立ちは見覚えがある。以前先の事件で登城した際、取調べに同席していたバンという名の魔術師だ。何故か彼の手には一本のガラスボトルが握られている。ユーリィの視線の先に気づいたのか、バンは慌ててそれを背の後ろに隠した。
「す、すいません。別に怪しい者では……」
「えぇ。存じております。塔の魔術師の方ですよね?」
「……俺の事、覚えていてくださったんですか」
覚えているも何も、彼は自分の事を助けてくれた恩人の一人だ。ユーリィの立場上頭を下げる事は出来ないが、その場であの時言えなかった礼を口にした。
「勿論です。先の事件の際に貴方が助けてくださったと騎士の方に聞きました。御礼が遅くなってしまってごめんなさい。本当にありがとうございました」
「い、いえ!! そんな!! 俺はそれほど役に立っていませんから」
顔を真っ赤にしてブンブンと手を横に振る。ずっと気を張っていたユーリィにはバンの表裏のない態度が心地良かった。
「それで、魔術師の方がどうして此処に?」
「い、いや~、その……」
再びじっとユーリィの視線が背に隠した物へと注がれる。観念したのか、バンはそれを掲げて見せた。
「実は夜会に知り合いが来てまして。彼が持ち込んだ酒を一本譲ってもらう約束になっていたんです」
「まぁ。そうでしたか」
夜会に招待されていない彼では会場内には入れない。そこでテラス越しに受け取ったそうだ。こっそり塔へ戻ろうとした時にユーリィの前を通りかかったのだと言う。
「あの……、ユーリィ様、今お時間ありますか?」
「……えぇ」
「面白いもの見せてあげますよ」
少年のようにニッと笑って、ローブの中から取り出したのは魔術師の杖。彼が何事か呟くと、杖の先にほんのり光が灯った。夜空のキャンパスに絵を描くように杖を動かせば、光の線が蝶へと変わる。そして最後にふっと息を吹きかけると光の蝶が夜空に舞った。
「まぁ……」
するとどんどんバンは蝶の数を増やしていく。いつの間にか数え切れない程の蝶がユーリィの目の前でヒラヒラと飛び回っていた。本物のように羽を動かし、キラキラと光の燐粉が闇を舞う。
「綺麗……」
自然とユーリィの表情に笑みが浮かぶ。夜風の冷たさなど忘れてしまう位美しく優しい光景。そうしてしばらくすると蝶は光量を落とし、静かに夜の闇に溶けていった。
「どうでした?」
テラスの下からバンが恐る恐ると言った感じでこちらを覗っている。ユーリィは彼に笑みを返した。
「とても素敵でした。これ程美しいものを見たのは初めてですわ」
「……良かった」
「ありがとうございます。バンさん」
それはこの夜会で初めての、いやここ最近人前で見せる事のなかった、ユーリィの心からの笑顔だった。
***
豊穣祭が終わった一ヵ月後。石畳の上を走る不規則な車輪の音を聞きながら、ユーリィは馬車に揺られていた。向かう先は実家の近隣ではない。トゥライア南東部に位置するコーヘンという街だ。農業の盛んな地域で、秋を過ぎた時期だが南はまだ紅葉が楽しめる。けれどユーリィがその街へ向かっているのは行楽の為ではない。そこはクラウド家が治める領地。ユーリィは三番目の嫁ぎ先へ向かっているのだ。
しばらくは父も婚姻を勧めないだろうと思っていたのだけれど、先方から打診があったらしい。クラウド家が迎い入れてくれると言うのなら拒否権は無く、父に言われるがまま実家を発った。馬車にはユーリィの私物も積まれている。しかしそれは貴族の娘の嫁入り道具にしては随分と少ないし、侍女や侍従も連れていない。どうせ子が出来たらまた実家に戻るのだ。長く居つくことはないのだから、先の夫のときと同じくユーリィは最低限の荷だけを積んでいた。
実家を発ってから五日後。無事ユーリィはクラウド家の屋敷に着く事ができた。御者に手を貸してもらい、馬車を降りる。すると先触れも出していないのに、クラウド男爵夫婦がわざわざ門まで迎えに出てくれていた。
「やぁ、ユーリィ様。遠い所をよく来てくれました」
「長旅でお疲れになったでしょう。さぁ、狭い屋敷ですがどうぞお入りになって」
目じりに皺を寄せて、夫婦がユーリィを迎えてくれる。社交界で話題の厄介者になってしまったユーリィをにこやかに歓迎してくれるのは、男爵よりも地位が高い生家のせいだろうか。それとも人の良さそうな夫婦の人柄だろうか。予想と違う二人の対応にユーリィの笑みはぎこちない。
戸惑うユーリィの手を取り、男爵自らのエスコートで屋敷に入る。城下にある実家とは違い、屋敷はのどかなコーヘンの街並みに相応しい、素朴な雰囲気の建物だった。大きさは実家の半分ほどだろうが、それでも十分な広さがある。ユーリィの僅かな荷物は男爵家の侍従が運んでくれた。屋敷に足を踏み入れれば、そこで働く人達も笑顔でユーリィを迎えてくれた。
「息子達を呼んでまいりますわね」
「はい」
男爵夫婦が一旦席を外すと、ユーリィは通された前室を見渡した。レンガで組まれた暖炉、木製のテーブルや調度品、そして自分が座っているソファ。置いてある物は使い込まれているが良い品ばかりで、実家にも見劣りしない。けれど決定的に違うのは部屋の暖かさ。室温のことではない。手作りのタペストリー、花瓶に飾られている花々、キッチンから香る菓子の匂い。この屋敷からは人が住んでいることを感じさせる、そんな温かさがある。
ノックの音がしたので、ユーリィはそちらに視線を移した。入ってきたのは男爵夫婦よりも老齢の男性。男爵家の家令を勤めているそうだ。彼がお茶を用意してくれた。茶請けに出されたのは狐色のマドレーヌ。キッチンから漂っていたのと同じ匂いだ。
「こちらは奥様が焼かれたのですよ」
「え? わざわざ奥様が?」
「はい。ユーリィ様の為にと朝からキッチンに立ってどの菓子を焼こうか迷っていたようです。このマドレーヌは奥様の得意料理なのですよ」
「……そうでしたか」
ユーリィは今まで母親が作った料理など食べた事はない。貴族の女性は家事などしないのが一般的だ。皿に取り分けられたそれにフォークを入れれば柔らかな感触と共により一層甘い匂いに鼻を刺激され、誘われるようにマドレーヌを口へと運ぶ。
「美味しい……」
「それはようございました」
まるでその菓子が心からユーリィを歓迎してくれている証のようで泣きたくなった。例えこれらの歓迎が子爵家への義理立てだとしても、今まで父親と人々の冷たい視線に晒されてきたユーリィにとっては贅沢すぎる位の温かさだったから。フォークを握る手が微かに震えて、それ以上マドレーヌを口にする事ができなかった。
「おや、戻られたようですね」
家令の言葉とほぼ同時にドアが開いた。入ってくるのは数人の足音。男爵夫婦が息子達を連れて来たのだ。まだユーリィの目には涙が浮かんでいて、それを悟られまいと顔を上げる事ができないまま立ち上がった。
「お待たせしました、ユーリィ様。これが息子達です」
「いえ。これからお世話になります。ユーリィ=ササラです。よろしくお願い致します」
彼らの足元だけを視界に収めて挨拶を交わす。失礼な態度だけれど、それを咎める者は誰も居ない。
クラウド男爵が順番に息子達を紹介した。
「左から長男のジョージア、次男のディルは先日夜会でお会いしましたな」
手袋をした指でさり気なく涙を拭い、やっとユーリィは顔を上げる。確かにそこに居たのは豊穣祭前の夜会で会った顔だった。
「そして端が三男です」
一番ドアに近い所に立っていたのは男爵と同じく真っ黒な髪の三男。首の後ろで短い髪をひと括りにしてまとめ、濃紺に銀の刺繍が入ったジャケットを身につけている。ユーリィよりも大分若いその顔は緊張で表情が硬い。彼は一歩前に出ると、ユーリィの目を真っ直ぐに見つめた。
「バン=クラウドと申します。ユーリィ様」
「バン……?」
頭を掠めたのは夜会の時、自分に光の蝶を見せてくれた魔術師の姿。彼の名前もバンだった筈。伸び放題の黒髪に皺のついたカーキのローブ。幼さを残す黒い瞳。
「あの、もしかして……魔術師の?」
そうだ。髪型や衣服がまるで違うので直ぐに気づけなかった。表裏の無い真摯なその黒い瞳はあの恩人そのものだ。
驚きと共にユーリィがそう訊ねると彼は頬を赤くして嬉しそうにはにかんだ。
「はい。そうです。左の魔術師バンです」
聞けばクラウド家は彼の実家なのだという。二の句が継げないユーリィの様子を見ていた男爵は「それでは」と口にした。
「それぞれにお話したいことはあるでしょうから、私達はしばらく席を外しましょう。食事の準備が出来た頃にまた呼びに来ますよ」
そう言って男爵夫婦と兄二人が部屋を出て行こうとする。その面子を見て、ユーリィは慌てて声をかけた。
「あの、……ジョージア様は?」
婚姻を結ぶのは長男と聞いていた。だからジョージアと二人きりでしばらく話をしろ、という事だと思った。けれど男爵夫婦と共に席を外そうとしたのはジョージアとディルの二人。どういう事かと問えば、男爵は申し訳なさそうに眉を下げた。
「申し訳ございません。実は……ジョージアには既に心に決めた相手がおりまして。次のディルは養子の故、ユーリィ様のお相手はバンにと考えております」
「え……?」
「勿論ユーリィ様のお気に召さないようでしたら考え直しますが」
その言葉に驚いたのはユーリィだけではない。男爵の最後の言葉にはバンもぎょっとした顔を見せた。二人が言葉を失っている間に、さっさと四人は退席してしまう。残されたバンは陽当たりの良いソファへとユーリィを案内した。そして腰を下ろした彼女の前に膝を付く。
「バンさん?」
「この度は突然の事で申し訳ございませんでした」
「いえ、そんな…。私こそ、バンさんがクラウド家の方とは知らず、失礼を致しました」
クラウド男爵に三人の息子がいることは知っていたけれど、まさか三男が魔術師として塔で働いているとは思わなかった。それを聞いて、彼はバツが悪そうに自嘲する。
「そんなこと気にしなくていいんですよ。俺は学院を出てすぐに魔術師になる為に家を出てしまったから社交の場にも顔を出した事は無いんです。俺には兄が二人居るし、子供の頃から魔術に興味があって家業を継ぐ気はなかったから」
「そうでしたか」
「あの……」
そこまで話すと、急にバンの表情が不安そうなものに変わる。一度ユーリィから視線を外し、何かを決意するように姿勢を正した。
「やはり、相手はジョージアの方が良かったですか?」
「あ……」
正直に言えば、ジョージアの事もバンの事もまだ良く知らない。それでもユーリィは相手がバンだと知ってほっとしていた。ユーリィの心の奥には今もまだバンが見せてくれたあの夜の光景が残っているから。
「ユーリィ様」
バンの両手がユーリィの左手をそっと握る。騎士の手とは違う、ペンだこの出来た大きな手のひら。それが冷えたユーリィの手を温めるように包み込む。
「今胸にあるこの気持ちが愛というものなのか、僕にはまだ分かりません。けど、貴方を笑わせてあげたい。僕が、貴方を幸せにしたい。この気持ちに嘘はありません」
ユーリィを初めて見た日からずっとバンの胸にあった想い。それはユーリィの笑顔が見たい。ただそれだけだった。
先の事件で傷ついたユーリィに追い討ちをかけるように、彼女に向けられる周囲の目は冷たくなっていく。そうと分かっていてもどうする事も出来ない自分に苛立ちを感じていた頃、夜会にササラ家が参加すると聞いていてもたってもいられなくなった。少しでも彼女の姿が見たい。そう思って、酒にかこつけて夜会を覗きに行った。その際に偶然知ってしまったベック=ワイズ騎士団長への彼女の想い。そして失恋。また一つ、彼女の心に傷がつく。その涙を見たら黙っている事が出来なくなって、隠れていた生垣から出てしまった。
少しでも慰めになればいい。少しでも辛い時を忘れられればいい。そう思って咄嗟に見せたのは魔術とは言えない杖の基本操作。杖に魔力を籠めて光を生み出し、空間に線を描くのはそもそも陣を形成する為に過ぎない。見習い魔術師はまずこの方法で自由に絵を描く練習をするのだ。けれどそんな単純な魔術で彼女は喜んでくれた。そして笑顔を見せてくれた。自分がずっと見たいと思っていたそれは、描いた光の蝶なんかよりも遥かに眩しく美しかった。
そして思い知るのだ。自分が何故、彼女の笑顔を見たいと思っていたのかを。どれだけ自分にとって彼女が特別な存在になっていたのかを。
だが驚く事に彼女の様子を見ていたのは自分だけではなかった。なんとユーリィがテラスを去った後、入れ替わりに実父が現れたのだ。父は父でユーリィが心配になり、声を掛けようと思ったら、ベックがテラスに入ったのでしばらく様子を見ていたらしい。しかもその後現れたのが、久しぶりに見る自分の三男。驚いたのはお互い様だという訳だ。
そこで初めてバンは噂になっていたユーリィの三人の夫の内、最後の一人がクラウド家だと知った。だから父に頼み込んだ。長男でも次男でもなく、自分がユーリィの夫になりたいと。
じっと返事を待つバンにユーリィは何も言うことが出来なかった。拒絶故ではない。喉が震えて、言葉が出てこないのだ。
初めて自分に向けられた愛の言葉。それはこの屋敷を覆う空気のように優しく、マドレーヌのように甘く、自分の手を包むバンの体温のように温かい。
言葉が出ない代わりに、ユーリィは空いていた右手を更にバンの手の上に乗せた。そしてぎゅっと力をこめる。はっと息を飲んだバンは涙の浮かぶユーリィの瞳を見返した。
「よろしいのですか?」
嗚咽が漏れてしまいそうな唇をかみ締め、ユーリィは何度も頷いた。緊張で強張っていたバンの表情が緩む。そして互いに握っていた手を優しく解き、ユーリィを抱きしめた。
「ありがとうございます。必ず、貴方を幸せにします」
ユーリィの手が、ぎゅっとバンの袖を握る。同時に彼女の目から次々と涙が溢れた。それが止むまで、バンは自分の妻を抱きしめ続けた。




