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61.解呪の巫女

 

 魔術師達が詰めている塔には一般に知られていない部屋がある。通常の移動陣では来ることの出来ない地下層だ。風も通らず陽の当たらない場所だが、転々と灯る明りで照らされたそこはそれ程陰湿な場所には見えない。

 案内役の魔術師が足を止め、後ろについていたラズもそれに倣う。振り返ったのは左の魔術師テグラルだ。


「ここです。中に入って話をすることは出来ますが、体への接触や物品の受け渡しなどは禁じられています。また滞在可能時間は十五分です。よろしいですね?」

「分かりました」


 テグラルが重そうな鉄の扉の錠鍵を差し込む。次いで杖を振るった。扉の取っ手部分が僅かに発光のしたのを確認して、彼が扉を開ける。

 部屋の中へはまずラズが通され、追って入ったテグラルが扉を閉めた。部屋の中の眩しさに、一瞬ラズが目を細める。廊下よりも明るいそこはラズが借りていた部屋よりも若干狭いくらいだ。けれど山積みにされた木箱にその殆どを占領され、随分と閉塞感がある。それ以外に見えるのは中央に置かれた大きな作業机と小さなベッドくらいのものだ。

 机に向かって羽ペンを滑らせていた人物は、ラズ達の来訪に気付き顔を上げた。


「やぁ。来るんじゃないかと思っていたよ」

「…………」


 セフィルド=オレゴンがこちらを見て微笑んだ。長く伸びた金色の髪。愉快そうに細められた目元に以前のような隈は見当たらない。肌の色も良いし、体調に問題はなさそうだ。


「顔色が良くなったね」

「おや? 俺の心配してくれたんだ? 嬉しいねぇ」


 以前と同じ調子でニヤニヤと笑う。それだけでラズはほっとした。一方の面だけ見れば彼は自分を害そうとした加害者だが、それだけではないことをラズは知っている。


「全く。折角ラズが来てくれたのに抱きしめる事もできないなんてな」


 そう言って、セフィルドは肩を竦めた。

 今、ラズとセフィルドは同じ部屋の中に居るが、二人の間には鉄格子が嵌められている。それも対魔術師用の結界が張られた格子だ。

 ここはただの地下室ではない。所謂懲罰房と呼ばれる場所だ。事情を加味されているとは言え、犯人に手を貸したこと、国王陛下の客人を危険な目に合わせたこと、個人的な目的でラズを拘束したこと。その全ての罪をセフィルドは国王の前で認めた。そして現在、犯罪者として扱われる事はなかったが、塔からの罰として懲罰房入りとなっている。テグラルの話では半年間ここで暮らす事になっているらしい。その後三年間は給料を没収されるそうだ。今、作業机の上に広げられている書類や床に詰まれた木箱も、彼に科せられた罰という名の仕事なのだろう。

 ラズはどうしても一度セフィルドに会わせて欲しいとお願いし、今日テグラルの案内で此処を訪れていた。ケヴィンが案内を請け負ってくれるのかと思っていたが、懲罰房に身内は入れない決まりらしい。


「それで? 何も用がないのに此処に顔を出す君じゃないだろう。どうしたんだい?」

「明日シィシィーレに帰るよ」

「……そう。残念」


 本気でそう思っているのか分からない顔でセフィルドが溜息を付く。


「ありがとう」

「うん? 何が?」

「あと、ごめん」

「……それって、俺フラれちゃうってこと?」

「あぁ」


 ラズの顔にも笑みが浮かぶ。そんな表情を見て、セフィルドが大袈裟に悲観した顔を作る。


「酷いなぁ。こんなトコに閉じ込められて面白くもない仕事させられてるって時に、追い討ちかけに来たのかい? 俺は踏んだり蹴ったりじゃないか」

「自業自得だろう?」

「いじわるだなぁ。でも可愛いから許してあげる」

「ばーか」


 彼に会って話そうと思っていた事はもう済んだ。それにそろそろ時間だろう。ラズは後ろに控えていたテグラルを振り返る。その背に声がかかった。


「ねぇ、ラズ」

「うん?」

「俺はさ、好きなモンはどうしようもなく好きだし、嫌いなモンはとことん嫌いなんだ。だから『好き』を躊躇うヤツの気がしれない」

「?」

「相手の為に遠くから黙って指咥えて見てろって? そんなことに意味なんてない。始まりは誰だって一方的で勝手なんだ。躊躇って二の足踏んで、そんなくだらない事してる間に横から掻っ攫われたらどうする? 躊躇う暇があるなら突き進めば良い。掻っ攫われたなら奪い返せば良い」

「何言って……」

「自分の為だけに生きて何が悪い」

「!」


 セフィルドが真っ直ぐに戸惑うラズの瞳を見つめている。その強さにラズは自分の胸を貫かれたような気がした。セフィルドの言葉の全てを理解することはまだ出来ないけれど、忘れてはいけない気がした。


「ラズ殿。時間です」


 冷静なテグラルの声が時間を告げる。再び飄々として笑顔を見せて、セフィルドが軽く手を振った。


「じゃあな、ラズ」

「うん、それじゃ」


 一度だけ手を振り返して、ラズはテグラルの開けてくれた扉を潜った。





 ***


 翌日は雲ひとつない快晴だった。陛下への挨拶を済ませたラズはその足で城の玄関口へと向かう。勿論サディアの殿下達が使った正面ではなく、従業員用の出入口だ。見送りは不要と事前に話をしていたのだけれど、裏門へと続く途中の庭にはマリアベルに加え、ディンとダン、そしてヘリオが顔を揃えていた。

 ゆっくりと歩いてくるラズを見て、溜まらずマリアベルがこちらに駆けて来る。王子達は少し離れた場所で二人を待った。


「やっぱり、行っちゃうの?」


 分かっていても言わずには居られないのだろう。心細さを隠しもせずに、マリアベルが言う。その目には既に涙が浮かんでいた。


「もう私は必要ないでしょう?」


 マリアベルには此処に大切な人が出来た。それは将来彼女の家族となってくれる温かい人達だ。彼女の隣はもうラズのものではない。けれどマリアベルは一度唇をぎゅっと噛んで、ラズを真っ直ぐに見返した。


「……必要なくなんて、ない」

「マリィ」

「これから私がどうなったって、リジィが必要なくなる日なんて絶対ない!!」


 マリンブルーの瞳からポロポロと大粒の涙が流れる。シィシィーレにいた頃もこんな風にマリアベルが泣いた事は殆どなかった。感情的にリジィに向かって言い返してくることなどなかったのだ。怒られているのになんだか嬉しくて、リジィはぎゅっと幼馴染を抱きしめた。


「……ありがとう。マリィ」

「手紙、書いていい?」

「うん。私も書くよ」

「大好きよ、リジィ」

「私もよ。幸せになってね」

「……うん」


 ずっとずっと大切だった女の子。貴方が必要とされているこの場所で、どうか幸せに。それが私の傍でない事は寂しいけれど。これが私と貴方が選んだ道だから、後悔なんて絶対しない。

 しばらくしてマリアベルが泣き止むと、するりと足元を何かが掠めていった。不思議に思って見下ろせば、そこにいたのは真っ白な獣。


「……、あれ? もしかして……ブルネイ?」


 ラズが首を傾げるのも無理はない。汚れ一つない真っ白な毛並み、そしてピンと伸びた髭に銀色の鋭い眼光。以前と変わらぬ白豹のようでいて、大きく違う点が一つある。それは―――


「か、可愛い……」

「ふふっ。でしょ?」


 思わず呟いてしまったラズの言葉に、マリアベルはまだ涙の残った表情に笑みを浮かべた。

 可愛いと言われても仕方が無い。体長二メートルは越そうかという大型の獣だったブルネイは今、中型犬ほどのサイズになっていた。マリアベルは難しいかもしれないが、男性ならば抱っこ出来るぐらいの大きさだ。まるで仔になってしまったかのような容姿である。


「この前大量の魔力を消費して負ったダメージが回復してないから、こちら(・・・)で具現化するにはどうしても小さくなってしまうんだって」

「……はぁ」


 精霊ってそういうものだっけ? とマリアベルの説明に疑問が浮かぶ。魔力を消費すると縮むなんて、まるで風船のようだ。馬鹿にされているとでも思ったのか、ぴったりとマリアベルの足元に引っ付いたブルネイはジロリとラズを睨みつける。けれど上目使いが益々可愛い。

 ブルネイの登場を目ざとく見つけたヘリオは顔を輝かせ、こちらに向かって走ってきた。それを追いかけるようにディンとダンも移動してくる。


「うわ~~!! ブルネイかわいい!!」

『黙れ小童。噛み千切られたいのか』

「かわいい~~!!!」


 いくら威嚇して見せた所で仔豹姿では迫力がないらしい。めげずに手を伸ばしてくるヘリオを避けようと、ブルネイはするりと移動する。そんな可愛らしい攻防の合間に、ディンがマリアベルの隣に立っていた。


「ディストラード殿下……」

「お前には世話になったな」

「いえ。色々と生意気なことを言って申し訳ございませんでした」

「いいさ。マリアベルの為に必要な事ならな」


 ディンが優しい瞳でマリアベルを見下ろす。マリアベルも顔を上げて、彼を見つめ返した。それだけでどれだけ二人が互いを想い合っているのかが分かるようだ。


「マリアベル様をよろしくお願い致します」


 ゆっくりと頭を下げる。そんなラズにディンは手を差し出した。


「これからもマリアベルと仲良くしてやってくれ」

「当然です」


 ラズもその手を握り返す。大きな男の人の手だった。男性のフリしているラズとは比べるべくもない、頼もしい手だ。マリアベルをただ一人の女性として愛してくれる彼ならば、きっと大切な幼馴染を幸せにしてくれると確信する事ができた。

 そして、もう一方からも手が差し出される。ダンだ。


「頑張ってね」


 そう言ってラズは握手に応えた。人前でも敬語なしで声を掛けてくれたラズに、ダンの笑みが深まる。


「あぁ。お前もな」


 互いにぎゅっと力をこめる。それだけで十分だった。余計な言葉はもう必要ない。

 いつの間に戻ってきたのか、少し息を乱したヘリオがラズを見上げていた。その後ろには木の精霊アルの姿もある。


「じゃあね、ラズ! 元気でね」

「えぇ。ありがとうございます。ヘリオスティン殿下もお元気で」

『へっ、お前が居なくなれば〈風〉もいなくなるからな。せいせいすらぁ』

「おや、〈風〉達もシィシィーレに帰るなんて一言もないけど?」

『はぁ!!?』


 咄嗟にキョロキョロと周囲を見渡すアル。まだ〈風〉達の躾と称したお仕置きが怖いらしい。


『アホか! 絶対ジジィ共を連れて帰れよ! じゃあな!!』


 慌しくそう良い残し、アルは直ぐに姿を消してしまった。元気そうで何よりだ。


「それじゃあ、もう行きますね」


 名残惜しいことは確かだけれど、これ以上長居するつもりはない。此処はラズの居場所ではないのだから。


「またね!」


 元気な声を上げ、笑顔でマリアベルが大きく手を振る。それに応えて、ラズも一度手を上げた。


「うん、また!」


 例え距離が離れても、同じ大地の上で同じ風の中で生きているのだ。今生の別れなど二人の間には存在しない。

 しばらく進むと裏門が見えてくる。そこで一度だけラズは後ろを振り返った。いまだマリアベル達がこちらを見送ってくれている。けれどそれ以外の人影はどこにも見当たらない。


(行こう……)


 顔を戻してそう自分に言い聞かせると、もう振り返らずにラズは裏門をくぐった。城下街の大通りに出て辻馬車に乗り、隣街まで移動する予定だ。マリアベルと二人で来た時はシィシィーレ島まで半月かかった旅路だが、ラズ一人なら十日もあれば十分だろう。

 ラズの背負っている背嚢の中身は来た時とほぼ代わりがない。違うのは携帯用の食料が新しい物に入れ替わっているぐらいだろう。他は減りも増えもしていない。


(そうだ。私は変わってない……)


 シィシィーレに居た時から何も。だから故郷へ帰ればまた安寧な日々が戻ってくる。

 ふと見上げれば、少し離れた上空に〈風〉達の姿が見えた。二人を追いかけるように顔を上げ、帰るべき場所に向かってラズは足を進める。

 これが、人々が見たラズの最後だった。





 ***


 塔の窓から裏門の様子を眺めていたレギ=フレキオンは、入室してきた物音に気付いて視線を窓から移動させた。そこには結界の構築・維持を専門としている左の魔術師サグホーン=ベレーがいる。どうやら仕事の話ではないようで、彼は手土産のシュークリームの入った箱をテーブルの上に広げていた。


「珍しいね。どうかしたのかい?」

「答えあわせをしたいと思いまして」

「答え合わせ?」

「トゥライアの解呪について」


 その言葉を聞いて、平凡な中年の顔をしたレギの顔には笑みが浮かぶ。窓際から移動すると、サグホーンが座った正面のソファに腰を下ろした。


「いいよ。君の考えを聞こう」


 マイペースにシュークリームを取り分け、サグホーンはそれを齧る。いつの間に用意したのか、ちゃっかり二人分のお茶も置いてあった。一口分を租借してからやっと口を開く。


「一般的に呪いだと言われてきましたが、出生率偏りの実際の原因はプレディオ=コーザが作り出した魔石でした。ならばフェルノーイ神の神託通りシィシィーレの巫女が子を産んだだけで、それが改善されるとは思えません」


 出生率の隔たりが本当に呪いのような神がかったものだとしたら、フェルノーイ神の言葉に従い、その意に従う事で解決してもおかしくはないかもしれない。けれど本当の原因は魔石だった。マリアベルが子を産んだ所で、国中に撒かれた魔石を除去しなければ、根本的な解決にはならない筈なのだ。


「うん。それで?」

「我々はトゥライアの為に導くべき兆候についてこう解釈していました。東はマリアベル殿、南はブルネイとグライオの両精霊。西は……、恐らくプレディオ=コーザ」


 レギ自身の先見によってもたらされた予言。それはトゥライアから見て三つの方角からくる兆候を吉兆に導く事が、トゥライア国の明るい未来にとって不可欠だという事。王城から真東に位置するシィシィーレ島から来たマリアベル、南方からサーカスと共にやってきた光と闇の上位精霊、そして人里から離れた最西端の森でひっそりと研究を続けていたプレディオ。この三つの存在が導くべき兆候だとサグホーン達は考えていた。


「呪いの根源を作り出したプレディオを止める為には両精霊の力が不可欠でした。その為南と西、この二つの兆候についてはまず間違いない。けれど気になるのはマリアベル殿です。彼女はまだこの国の者と婚姻さえ結んでいませんが、既に呪いの解決方法を我々は手にしている」


 東の兆候はマリアベルではないのではないか。そうサグホーンは結論付けたのだ。


「現実として問題解決の糸口を見つけ出したのはラズ殿です。……東の兆候とは巫女のことではなく、ラズ殿のことだったのでは?」

「つまり、フェルノーイ神の神託は間違っていたと?」

「分からないのがそこです。フェルノーイ神が間違った神託を授けるとは思えない。けれど実際は巫女が子を成す事が呪いの解決にはなっていない」


 サグホーンの推理が正しいのならば、フェルノーイの神託そのものが不要なものだったという事になる。本当に女神がそんな事をするのだろうか。一人ではその結論を出す事ができず、サグホーンはレギの下を訪れたのだ。

 レギはちらりと窓の外を見た。そこには裏門の外へと消えていく、小さな背中があった。


「答えを導き出す為には手札が足りないようだね」

「レギ様はご存知なのですか?」

「まぁね。でも教えてあげないよ」


 巫女が子を成す。それはラズにとって重要な意味を持っていた。トゥライアで夫を得て子を儲け、マリアベルに幸せになって欲しい。その願いの為にラズはトゥライアを訪れた。つまりマリアベルの為にラズが動くことを分かっているからこそ、女神はあのような託宣をマリアベルに授けたのだ。巫女が神の言葉を伝え、おまけでついてきたと思われていた護衛が呪いを解く為に。

 それに加え、解呪には南の兆候をトゥライアに留まらせることが不可欠だった。兆候である光の精霊にはマリアベルが、闇の精霊にはラズが必要だった。つまり、シィシィーレからやってきた二人共が東の兆候だったのだ。

 答えを得られず、不満そうにシュークリームを齧るサグホーンに、レギは口の端を上げる。


「ヒントをあげようか?」

「是非!」


 まるで子供同士のなぞなぞ遊びのように、レギは屈託の無い笑みを見せた。


「そもそも女神の愛し子は一人じゃないのさ」


 それは本人達すら知らない真実だけれど。そしてこれからも知る事はないだろう。

 レギは見えない相手に向かって呟いた。


(貴方の愛し子達は見事期待に応えてくれたけれど、彼ら自身が幸せな結末を迎えるのかは本人達次第だからね)


 このヒントを得た所で、ラズの個人的な心情など知らないサグホーンにとっては解けない謎である事に変わりはない。相変わらず難しい顔をしながら口を動かしているサグホーンに倣って、レギも甘いシュークリームに手を伸ばした。

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