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56.拒絶

  

 騎士達に護衛され、玉座の間に着いたマリアベルはどこかうつろな瞳をしているユーリィの手を握った。けれどそれに対する反応は無い。しっかり自分の足で立っているのにまるで意識だけがなくなった人形のようで、マリアベルに焦りが募る。


「ユーリィさん! しっかりして下さい!」

「…………」


 そんな二人のただ事ではない様子にマックが駆け寄って来た。だが彼が声を掛けてもユーリィの様子は変わらず、どうすれば良いのか途方に暮れる。


「何があったんだ一体……」

「魔術師の方の話では、催眠状態にあるみたいで……」

「催眠?」


 聞きなれない言葉にマックは眉を顰めた。魔術の類が原因ならば自分では力になれない。


「ロイヤー医師の下へ運びましょう」

「分かりました」


 国王の傍に控えていたリケイアの指示で騎士団長ベックが動かないユーリィを運ぼうと彼女の傍に立つ。催眠となれば右の魔術師であるリケイアでは管轄外。まずは医師の下へ運び、左の魔術師を呼ぶしかない。

 良く知ったベックの顔が自分に近付き、ユーリィは驚きで目開いた。ずっと思い焦がれていた相手を前にして、それまでぬるま湯につかったまま浅い眠りに付くような心地だった頭が一気に覚醒したのだ。


「あ……、ベック隊長…?」

「ユーリィ様? お気付きになったのですか?」

「え……?」


 命の危機に晒されていたあの場からいつの間に移動していたのだろう。周囲を見渡せば、そこは謁見の間だった。目の間にはあのベック=ワイズ。そして傍らに自分を心配そうに見ているマリアベル、マクシミリアン王子もいる。玉座には国王陛下の姿もあった。


「わ、たし……」

「もう大丈夫ですよ」

「大丈夫……?」


 一体何が大丈夫だと言うのだろう。そう言えば、杖を持っていたあの騎士はどうなったのか。そうだ、夫が犯人だと分かって、それで……

 さっとユーリィの顔が青ざめる。震える体もそのままに、なんとか玉座に向かって顔を上げた。


「陛下……、私……」

「ユーリィ殿。気分が悪いのなら部屋を用意させよう」

「あの、申し訳ありません!!」

「ユーリィ殿?」


 突然頭を下げ、謝罪する彼女に国王は静かに耳を傾けた。どうやら彼女は混乱状態にあるようだ。でなければ上流階級での礼儀作法を叩き込まれている彼女が、許しも得ずに国王に向かって発言するわけが無い。


「夫がしてしまったことは許されないことだと分かっています。私に出来る償いは何でもしますから……」

「待て。ユーリィ、落ち着くんだ」


 マックがユーリィの肩を抱く。それでも彼女の目は国王に向かったままだ。

 こんな風に取り乱した自分をユーリィはベックの前に晒したくは無かった。けれどその口は止まらない。黙ってしまったらこの先の不安と罪悪感で押しつぶされてしまいそうだったから。

 そんな彼女を留めたのは国王の冷静な声だった。


「ユーリィ殿。今回の件、貴方が関わっていると言うのかな?」

「あ……、いえ、ですが……」


 そこでそれまで黙って話を聞いていたベックが口を挟む。

 

「トルマーレから貴方は何も感知していないと報告を受けている」

「ですが、先程もマリアベル様をあの男の前に呼び出してしまったのは私です!!」


 思わずくってかかるように目の前のベックに反論する。今までの自分ならば考えられない行動に、心が乱れているユーリィは気付いていない。

 ベックは痛ましげに彼女を見る。


「ユーリィ様。もう自分を責めるのはお止めになることだ」

「っ!!」


 その一言でユーリィの目から涙が零れた。

 夫が死に、そして彼は重罪を犯した犯人だった。この先に待っているのは決して明るくない未来だけだろう。これ以上好きな人の前で恥を晒し、周囲に蔑まされて生きるのは耐えられなかった。いっその事牢にでも入れてくれたら……。そう考えてしまう程ユーリィは追い詰められていたのだ。


「もう、どうすれば良いのか、分からないのです……」


 誰にも頼れない。家族にも知人にも。こんな事になった以上、人は自分から離れていくだろう。罪人の妻。それが今のユーリィの全てだ。


「ユーリィさん……」


 心配そうにこちらを見ているマリアベルの呼びかけにユーリィは無意識に一歩後ずさりしていた。女神の愛し子と呼ばれ、王子から愛を囁かれる美しい少女。何もかもを手に入れた彼女の隣に並び立ちたくなかった。周囲に比較されたくないからだ。何より比較してしまう自分自身が嫌だからだ。

 けれどその態度に傷ついたのか、マリアベルの表情も翳る。


(あ……)


 罪悪感でユーリィは彼女から目を逸らした。

 もういい。もうどうなったっていいから、この場から逃げ出したい。


「……もう放っておいてください」

「え?」

「マリアベル様は、私のような人間に関わるべきではありません」

「…………」


 “私のような”。それはユーリィが自信を卑下した言葉。その気持ちはマリアベルにも分かる気がした。数年前、いや先日までマリアベルも自分自身の価値を見出せないでいたから。それでも前向きになれたのはディンとリジィ、そして自分の周りに居てくれる沢山の人達のお陰だ。

 ユーリィには誰か傍にいないのだろうか。マリアベルにとってのディンやリジィのような、それでいいと言ってくれる相手が。もし居ないのならば、マリアベルが代わりに力になることは出来ないのだろうか。


「ユーリィさん」


 彼女を刺激しないよう、近付く事はせずにその場でマリアベルは呼びかける。ほんの少し顔を上げたユーリィの頬は大粒の涙で濡れていた。


「!!!?」


 その時、爆発的な魔力が大地を震わせた。魔力のない者でも衝撃を感じる程の巨大な力。室内に居た者は皆息を飲み、体を強張らせる。けれどマリアベルただ一人だけが、裏庭に近い方向の窓に向かって駆けていた。


「ブルネイ……?」


 先程の衝撃は一瞬だったが、マリアベルにとって身近な光の魔力だった。その源はずっと自分の傍に居てくれた、守ってくれていた白豹のものだ。

 何が起きているのかと窓を覗くが、今マリアベル達が居るのは謁見の間。客人を招くメインホールでもあるこの部屋からは裏庭が見えないような造りになっている。それが分かるとマリアベルはすぐさま踵を返して出口へと向かう。だが、その扉は外から開かれた。


「マリアベル!?」

「ディン!」


 まず顔を見せたのはディン。そしてヘリオに手を引かれているのはティナトナだ。


「ティナ!!」


 フェイロンが彼女の傍に駆け寄る。姿の見えなかった三人の無事な姿を確認し、皆それぞれに安堵の息をついた。だが全ての問題が片付いた訳ではない。それに加え、先程の魔力の爆発。


「マリアベル。何処へ行く気だ?」


 明らかに室外へ出ようとしていたマリアベルを止めるように、ディンが彼女の手を取った。その手を一瞥して、マリアベルは顔を上げる。


「ブルネイに何かあったみたいなの。私、行かなくちゃ……」


 だがその言葉にディンは眉を顰める。


「此処に来る途中、騎士達に聞いた。裏庭で不審者と魔術師が戦闘中だと。……そこに行く気なのか?」


 マリアベルはディンの目を見て頷いた。自分にとってブルネイはただの精霊ではない。ずっと傍に居て守ってくれた、ディンと同じように巫女ではないマリアベルを必要としてくれた、大切な存在なのだ。女神の愛し子と言ってもマリアベルに特別な力は無い。戦う事も魔術を操る事も出来ない。けれど、もう自分は守られるだけの存在でいたくない。

 握るディンの手に力が篭る。彼を説得しようとマリアベルが口を開きかけた時、先に言葉を発したのはディンの方だった。


「なら俺も行く」

「ディン?」

「危険な場所にマリアベルだけじゃ行かせられない。どうしても行くなら俺も一緒だ」

「……ありがとう」


 護衛の騎士達と共に二人は謁見の間を飛び出した。そんな二人の背を視線で追うティナトナをフェイロンはそっと抱き寄せる。温かい兄の胸に顔を伏せ、ティナトナは静かに涙を流した。






「よろしかったのですか?」


 傍に控えるリケイアに問いかけられ、国王ホーネスは僅かに目を細めた。

リケイアの問いかけはディンとマリアベルを危険な場所に行くことを許した事の他にもう一つ意味を持っている。それはティナトナの事だ。

 ティナトナがディンに想いを寄せていたことは当然国王も把握していた。けれどディンはマリアベルを、そしてマリアベルはディンだけを選んだ。トゥライアという一国の未来の為に選択するならばマリアベルにはマックと、ディンはティナトナと婚姻を結ぶのが一番だった筈だ。トゥライアは解呪の巫女を手に入れ、尚且つサディア国との結びつきを深く出来るのだから。

 けれど国王は王子達の選択に一切口を挟む事はなかった。それがリケイアに疑問を抱かせる事となったのだろう。


「今まで自分の事だけしか見てこなかったあれが、随分と成長したようだ」

「…………」

「全てはマリアベル殿のお陰だろう」


 確かにリケイアから見てもディンは年の割りに子供のような所が抜けきれていなかった。ある程度本来の性格があるとは言え、責任感の強いマックがいるから余計に手を抜いてしまうのか、それとも一国の王子として自覚が足りていなかったのか。だが今は、守るべきものを手に入れ、その為に自分が何をすべきか、己で決断が出来るようになっている。一国の王として、また息子を持つ父親としてそれは歓迎すべき変化であって、忌避するものではない。国王は第二王子に大切なものを与えてくれたマリアベルを快く迎え入れると、既に心に決めている様だ。それが分かったリケイアは国王に向かって頭を下げた。


「余計な事を申しました。」

「気にせずとも良い。それよりもユーリィ殿は色々と限界の様だな」

「……左様でございますね」


 今にも倒れそうな顔色でユーリィは壁にもたれて立っていた。此処最近の事件や今日の事で精神的にも体力的にも参っているのだろう。


「別室へ案内して休ませるように。但し、外には必ず騎士をつけよ」

「承知致しました」


 リケイアは部下達へ指示を出すべく国王の傍を離れる。ホーネスは集まった者達を見渡して、今後の行く末を思った。





 ***


 夕暮れにはまだ早いこの時間、選んで裏通りを進んでいるとは言え、ありふれた日常的な街の賑わいが耳に入ってくる。けれど今のラズにとってそれはどこか遠い地の出来事のようだった。それは先程まで非日常的な状況に置かれていたからなのかもしれない。

 あの安宿で抵抗も見せずに両手を上げたセフィルドはネイが連絡を取った騎士達によって先に連行されて行った。今ラズはネイと共に一つの馬に乗ってゆっくりと王城へ向けて移動している。急がないのは疲れているラズの体調を気遣ってくれているからだろう。

 宿を出てからネイとはまともに言葉を交わしていない。彼の横顔がそれを拒絶しているように見えて、声を掛ける機会を失っていた。いつかのように馬に跨るラズの後ろには手綱を握るネイがいる。けれど二人の心の距離はどこか遠いように思えた。


(マリアベルにも心配かけただろうな……)


 しばらく顔を見ていない幼馴染は今どうしているだろう。自分が居なくとも、彼女にはディンが居てくれるから大丈夫だとは思うけれど。


(そう言えば、グライオが居ないな。)


 いつもネイの傍にいる黒豹。その姿をラズはまだ見ていない。四六時中一緒に居るわけじゃないのは知っているけれど、ラズが捕らえられていた場所にはセフィルドが居た。もしも彼が魔術で抵抗していたら、ネイだけで対抗できる筈がない。そんな状況でグライオがネイの傍に居ないなんて考えにくい。それにネイは〈風〉と一緒だった。ならばグライオもネイの行き先を知っている筈だ。

 ラズは一度ゆっくり息を吐くと、前を見たままネイに話しかけた。


「……ネイ」

「どうした」

「あの、グライオは?」

「…………」


 すぐ言葉が返ってこない事にラズは余計疑問を募らせた。まさか、グライオに何かあったのでは?

 嫌な予感に襲われ、先程の気まずい空気も忘れて後ろを振り向く。そこには少し驚いた顔のネイが居た。少し身を乗り出せば触れそうな距離。けれど、


(あっ……)


 ネイが、目を逸らした。何の感情も浮かばない彼の顔。それを目にした途端、ラズは言うべき言葉を失う。なんだか苦しい。ネイと一緒に居てこんなこと今まで無かった。

 耐え切れなくなってラズは顔を前に戻す。ネイに分からないようにそっと息を吸って吐く。呼吸は正常に出来ている筈なのに、何故こんなに胸が苦しいのだろう。何故喉が張り付いてしまったかのように声が出てこないのだろう。

 今までどうやってネイと接していたんだっけ。こんな居心地の悪さなんて知らない。話をするのに怖さなんて感じた事ない。


(怖い……?)


 自分の考えに疑問が浮かぶ。そうだ。今、ラズは怖いのだ。ネイに目を逸らされた。それは彼が自分を拒絶している証に見えた。


(……落ち着いて)


 目を逸らされるぐらいどうってことない筈だ。そんなこと今まで生きていた中で何度もあった。目の前で嫌味を言われたことだってある。それでも話しかけるのなんて簡単だった。気にしなければいい。相手が自分をどう思おうと、どう評価しようとラズはラズとして、リジィターナはリジィターナとして生きていけばいい。そうやって自分を保ってきたのだから。


 ラズが自らの思考に落ちている間にネイは視線を戻していた。直ぐ傍にある栗色の髪。いつも一つにまとめられていた髪は流れるまま肩に落ちている。自分よりも遥かに小さな肩。細い腕。

 あれ程顔が見たいと思っていた筈なのに、今はまともに目を合わせる事も出来ない。その原因は自分の認識の甘さだ。

 ラズが女性だと知っていた。けれど常に怠る事の無い鍛錬で磨かれた剣の腕や〈風〉達の存在で、普通の女性とは違うと思っていた。いや、街に住む女性達と比べれば身を守る事には長けているだろう。それでもラズは女性なのだ。本気で男に襲われればその身を震わせ、涙を流すような。

 今、ネイの感情を支配しているのは怒りだ。ラズの護衛として常に付き添っていながら、守れなかった不甲斐ない自分への怒り。そしてもう一つ。ネイの心の裏側にべっとりと張り付くように存在している感情があった。

 宿の扉が破壊されると同時に飛び込んだあの部屋。セフィルドがラズに何をしていたのかが見えた途端、怒りで目の前が真っ赤に染まった気がした。けれど次の瞬間、それは一瞬にして冷えた。ラズがネイから目を逸らし、セフィルドに守られるように彼の影に隠れたからだ。それは拒絶だった。ネイではなく、ラズがセフィルドを選んだように見えた。

 あの時からずっと、ネイの心に訳の分からない何かが張り付いている。二日酔いのような気分の悪さ、いくら咳をしてもすっきりとしない不快感、嫉妬と侮蔑を向けられた時の苛立ち、中々治らない古傷の痛み。いずれにも似ているようで似ていない、そんな感情をネイは持て余している。

 二人の間に再び沈黙が落ちてからどのくらいの時間がたったのだろう。あと三十分もすれば王城に着く。そんな距離まで来た時、突如大地が震えた。


「っ!!?」

「くっ!!」


 怯えた馬から振り落とされぬようネイは手綱を握りなおし、馬を落ち着かせる。ラズの耳には獣の咆哮が聞こえた気がして顔を上げた。


「ネイ! 王城だ!!」

「あぁ!」


 突然の異変にネイは馬の腹を蹴って走らせる。先程までの思考を隅に追いやって、二人は目の前の事に集中しようと自分に言い聞かせた。

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