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53.研究者

 

 安宿の扉は半ば破壊された形で開かれた。同時に部屋の中に入ってきたのは突風。ラズは知る由も無かったが、セフィルドが扉に張った結界を破ったのは自分の友人である〈風〉だ。けれど今の今まで男の手によって翻弄されていた頭ではその突風が友人の魔力だとは理解できない。ただ、ラズの頭の中は目の前の光景に支配されていた。


「……ネイ…」


 セフィルドの腕越しに見えたのは息を切らせ、剣を抜いたネイの姿。数日振りの彼と目が合う。その瞬間、ネイの目の色が変わった。

 一瞬の驚き、そして憎しみの篭った目つきへ。同時にラズは自分が今どんな状況であるかを再認識した。上半身は服が肌蹴け、下は下着以外脱がされている。このままではネイにまで自分が女である事が知られてしまう。


(ダメ……!!)


 バレる訳にはいかない。今までずっとネイを騙していた事なんて知られたくない。

 混乱していたラズが咄嗟にとった行動は、自分に覆いかぶさっているセフィルドの影にその身を隠すことだった。

 それがネイの目にどう映るのかなど気付きもしないで。


「……ラズ?」


 ぽつりと零れ出たネイの声。けれどそれはすぐに〈風〉によってかき消された。


『ラズから離れろ! 愚か者が!!!』

「くっ!!」


 精霊の怒りと共に狭い室内を暴風が襲う。ネイとセフィルドの視界が奪われている内にラズは何とか服を戻した。慌ててベッドから降りようとするが、ずっと両足を縛られていたせいか、それとも違う要因があるのか、足に力が入らず、そのまま床に崩れ落ちる。


『ラズ!!!』

「あっ……」


 衝撃に備えて目を硬く閉じる。けれど予想していた痛みはいつまで経っても来ず、代わりにラズの体を包んだのは温かい体と汗の匂い。


「……ネ、イ」


 目を開ければ、ラズはネイの腕の中だった。いつの間にか暴風は止んでおり、片腕でラズをきつく抱いたまま、もう片方の腕は握った剣をセフィルドに向けて構えている。見つかった時点でセフィルドに抵抗の意思は無いのか、彼は両手を上げてベッドの端に腰掛けていた。


「残念。タイムアップ、だね」


 少し疲れたセフィルドの笑みがネイの腕の中にいるラズに向けられる。それは自信に満ち溢れた不遜なものではなく、どこかラズを労わるような表情で。そういう顔をしているとやはりケヴィンに似ているな、なんて場違いな感想が浮かぶ。


 こうしてセフィルドの逃亡劇は終わりを告げた。





 ***


『何故巫女を狙う?』


 怒りを孕んだ声がやけに耳に響く。いつでも飛びかかれるよう構えながら、闇の精霊グライオが目の前の男を睨みつけている。けれどその視線などどこ吹く風で表情をぴくりとも動かさず、男はつまらなそうに吐き出した。


「愚問だね。せっかくの成果を台無しにしてしまうからだよ」

「成果?」


 バンも男の隙を探しながら疑問を零す。先程打ちつけた背中が痛むが、気にしてなどいられない。


『それは、あの魔石のことか?』

「……あぁ。そうだ」


 トゥライアの水源に沈められた魔石。水の中でしか魔力を発しない、この国の呪いの根源。


「折角長い歳月をかけて作り出したものを、あの小娘が無に帰すと聞いてね。普通なら我慢ならならないだろう」

「ならば、やはりお前が……トゥライアの呪いの元凶なんだな!?」


 巫女がこの国にもたらすもの。それは解呪。百年前から女児が誕生しづらくなってしまったこの国の現状を改善すること。この国に住む誰もにとって吉兆である筈のそれを台無し(・・・)と称するのは、呪いそのものをかけた当事者以外にはあり得ない。


「お前達が勝手に呪いと呼んでいるに過ぎないが、まぁ、そうなるな」

「何故こんな事を!!」


 怒りの感情そのままに男を怒鳴りつける。けれど相変わらず男の表情は動かない。まるで人間そっくりに作られた精巧な人形のようだ。

 男は素っ気無く言い放つ。


「そんなことは知らぬ」

「……な、に?」

「ワタシは意志を継いでいるに過ぎない」


 意思? 継いでいる? ならば首謀者はまだ他にいるという事なのか?

 二の句を告げないでいるバンを尻目に、グライオは冷静に話を進める。


『魔石をバラ撒いているのはお前の意思ではないと?』

「……私の意志であって、ワタシの意志ではない」

「何を言ってるんだ!」


 ここまで来て意味の分からない事を言う男に再びバンの怒りが湧き上がる。グライオから見れば若さゆえの未熟さだと言われてしまうだろう。けれどこの男がやってきた事は、結果多くの人達を傷つけてきた。それを謎かけのような言葉で返されれば、バンの耳にはただ誤魔化しているようにしか聞こえない。

 男を捕らえようとバンの杖が動く。だが、男の方が一歩早かった。当然だ。例え同時に動いたとしても、陣を描く必要の無い男の方が術の発動は格段に早い。


「うるさい。喚くな小僧」

「くっ!!」


 再び男の手が空を切る。同時に現れたカマイタチがバンを襲う。だが、裂傷は深くなかった。出血による見た目は酷くても、体に対するダメージはそれ程大きくは無い。それを横目で確認したグライオはあくまで冷静に言葉を紡ぐ。


『継いだ、と言ったな?』

「左様」

『お前にソレを託したのは誰だ?』

「……私だ」

『…………』


 意味の分からない話を続けている二人に再びバンが口を開こうとするが、それは自分を庇うように目の間に立った人物によって遮られた。何も無い空間から突然現れたのは鼠色のローブを羽織ったさして大きくない背中。


「やぁ。面白い話をしているね」

「レギ様!」

『遅い』

「悪い悪い。けど、ダリオン殿下とバンのおかげで助かったよ。直ぐに位置が分かった」


 男とは違った意味で感情のつかめない飄々とした口調。この国トップに位置する魔術師は名前を呼ばれて口の端を上げた。

 ダンがユーリィに用意された客室の異変に気付き、直ぐに騎士達に彼女を探すよう指揮を取ったお陰で徐々にこの場にも騎士達が集まりつつある。それに加えてバンは男に気付かれないよう同僚達に裏庭で異常事態が起こっていることを知らせていた。密かに魔力のある者しか見えない狼煙を上げていたのだ。

 絶対的な信頼の置ける最強の魔術師の登場にバンが肩の力を抜いたその時、男が確かめるようにその名を口にした。


「……レギ=フレキオン」

「やぁ、久しぶり、と言いたい所だけど」

「…………」

君は(・・)初めまして、だね?」


 男の事を知っているかのようなレギの口ぶりにグライオが眉根を寄せる。


『どういう事だ?』

「昔、プレディオ=コーザという男がいた。彼は魔術師で、研究者だった」

『研究者?』


 魔術師は皆誰もがある種の探求者であり研究者だ。それ自体は不思議な事ではない。けれどレギの次の言葉はバンをぞっとさせた。


「そう。精霊の、ね」

「……精霊を、研究?」

『!! ……思い出した』


 一気に黒豹の魔力が膨れ上がる。男もレギも動じないが、バンも周囲の騎士達も息苦しさを感じていた。まるでこの場の空気が黒豹の魔力によって全て押しつぶされてしまったかのようだ。


『昔、我の友がヒトの魔術によって岩穴に閉じ込められ、狂った事があった。あの陣から感じた魔力はお前のものと良く似ていた。あれもお前の仕業か!!』


 自由を奪われた未熟な風の精霊。狂い、己の意思とは無関係に周囲を傷つけ、そして……自分の手で滅した大切な友。あれがこの男の研究の為の犠牲だとすれば、グライオがこの男を許すことなど到底できない。


「あの陣は不完全だったがな。未熟な精霊を押さえ込む事はできても、上位精霊には効果が無かった」


 男の喉下に喰らいつこうとぐっとグライオの四肢に力が篭る。だが、レギはそれを手振りだけで制した。滅多に負の感情を表さぬ旧友の怒りがどれほど深いものかは理解している。けれど怒りの感情のままグライオが力を発すれば周囲を巻き込みかねない。それはグライオにしても本意ではない筈だ。それにこの男を滅して真実が闇に葬られるのはレギ自身が望んでいないことだった。


「だから、セフィルドに目をつけたのか?」

「結界ではなく反術で上位精霊を退ける。あの男の発想は素晴らしい」


 ずっと背中越しに三人の話を聞いていたバンが同僚の名を聞いてたまらず口を挟んだ。


「まさか! セフィルドさんも操られて?」

「違うな。あの男は自ら進んで手を貸したのだ」


 ある意味バンの期待を篭めた言葉は瞬時に否定される。だがセフィルドのことはレギの予想の範囲内だ。驚くべき事ではない。けれどセフィルドがこの男に手を貸した過程には疑問を持っていた。

 上位精霊を退ける事のできる反術は恐らくセフィルドしか使えない高等魔術だった筈だ。切り札ともいえるそれをセフィルドが簡単に見知らぬ男に教えるとは考えづらい。


「セフィルドに何を言った?」

「反術を見せろと。その後、目的は何だと聞かれたから答えたまでだ」


 彼の目的。巫女を消す事。それだけ聞けば、後の惨事は容易に想像が付く。


「セフィルドは頭がいい。直ぐに気づいたのだろう。お前が巫女の傍にいる上位精霊達を退ける為に反術を使うこと。そして、巫女の元護衛であったラズ殿がそれに巻き込まれるであろう事を」

「だから、セフィルドさんは……」


 セフィルド一人でこの男を倒す事が出来ないのは本人にも分かっていた筈だ。だからセフィルドは反抗して無理矢理反術を奪われるのではなく、協力してこの男からラズを守ることを選択した。今レギが考えてみても、確かにそれはその時セフィルドが取れる最良の選択だ。


「あぁ。確かに落ちてきた護衛はあの男にくれてやった。報酬はそれでいいと言ったのでな」


(セフィルドと供に居るのならラズ殿の無事は間違いないな)


 ちらりと男から目を離さない旧友を見る。セフィルドの行動の意味を知ってもそう簡単に彼を許すとは思えないが、ラズの無事はグライオにも分かった筈だ。


「レギ様……。結局この男の正体は何者なんですか?」

「バン。君なら気づいてるんじゃないのか?」

「え? あっ……」


 杖を使わずとも魔力の制御と変換が出来る。人がその術を失ったこの世界で、そんなことが出来るとすれば、それは――


「……精霊?」

「!?」


 周囲に集まった者達が驚愕で言葉を失う。それはグライオでさえ例外ではない。


『なんだと!?』


 到底自分達と同じ存在だとは認められないのか、黒豹は不快そうに喉を鳴らした。

 『物質』で構成されている人間は魔脈の衰えと共に魔力の絶対量が減り、己の身一つで魔力をコントロールすることが不可能になった。けれど体の全てが『魔力』そのもので構成されている精霊は別だ。道具など使わなくても魔力を物質や事象に変換し、放出する事ができる。杖を使用不能にされた状態でバンに向かって風を放ったこの男のあり得ない攻撃は、男自身が精霊でなければ説明がつかない。


『どういう事だ。レギ』

「どうも何も、今バンが言った通りだよ。彼は精霊。但し、魔術師プレディオ=コーザによってヒト(・・)にされた風の精霊だ」





 ***


 今、トゥライアの王城内謁見の間には国王と騎士団長ベック=ワイズ、そして第一王子マクシミリアンがこの非常事態を打破すべく、各代表者と話し合い、指示を飛ばしていた。そんな緊迫したこの場に、突如近衛騎士を従えた同盟国サディアの第二王子フェイロンが飛び込んできた。


「マック!!」

「……フェイ、どうした?」


 らくしもなく息を切らせ、動揺した様子のフェイロンにマックは窘める事も忘れて彼を見返した。自分達の前では気を緩めているとは言え、こんなフェイロンは初めて見る。


「ティナを知らないか?」

「ティナトナ姫を? いや、俺は見ていないが、……客室には居ないのか?」


 マックの返答にフェイロンの顔が青ざめた。

 水人形の襲撃後、犯人が掴めぬまま国へ帰る事もできず、フェイロンとティナトナは客室で大人しく過ごす日々を送っていた。無理を言えば帰国も出来ただろうが、王城を出た際また襲われる可能性も捨てきれない。王族はその地位ゆえに命を狙われる事など珍しくも無いのだから。若くともフェイロンもティナトナも自分達の立場はわきまえている。半ば軟禁されているような状態でも文句を言うことはなかった。

 トゥライア王城内が慌しく犯人捜索に奔走する中、フェイロンは出来る限り妹のティナトナと共に時間を過ごしていた。失恋と退屈で気が塞ぎがちな彼女を気遣う為でもあったし、自国ではないこの場では何かあれば自分が彼女を守らなければならないと兄として覚悟を決めていた為でもある。

 昼食後、今日も彼女の下を訪れたフェイロンは目を疑った。彼女に与えられた客室に妹姫の姿は何処にもなかったのだ。


「部屋の前には近衛騎士がいたはずだろう」

「……俺が訪れた時には誰もいなかった。騎士も、侍従もだ」

「フェイ……」


 ラズの失踪。そしてまたティナトナも。まさか、まさか――

 呆然と立ち尽くすフェイロンにマックが駆け寄る。若い王子達やりとりに、ベックは国王に目配せした。


「陛下。騎士達の一部を城内の捜索に当たらせます」

「魔術師にも連絡を。リケイアが塔に残っている筈だ」

「御意に」


 直ぐにベックが近衛騎士達に指示を出す。その時、再び謁見の間の扉が開いた。姿を見せたのは第三王子ダリオンだ。


「父上!!」

「何事だ、ダン」

「ディンはどこです!」

「何? マリアベル殿と共にいるのではないのか?」

「……マリアベルとユーリィは、今保護して騎士達と共にこちらに向かわせています。二人は謎の男の襲撃を受け、そちらは今魔術師達が応戦中だと。ディンにはマリアベルと一緒にいてもらおうと思ったんですが、……自室にはいなくて」


 次々と入ってくる不吉な知らせに国王も顔を曇らせる。フェイロンと共にその報告を聞いていたマックの背筋には冷たい汗が流れた。


「ディンもいないのか……」

「え? ディンも?」

「ティナトナ姫も、消えた」

「そんな……!!?」


 悲痛な声が広く美しい謁見の間に響いた。

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