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52.熱

 

「ブルネイ!!」


 鮮やかな花々が咲く美しい王城の庭に、少女の悲痛な叫び声が響き渡る。ユーリィは非現実的な光景を目の前に思考が上手く動かずにいた。

 突然姿を現し、地面に倒れた白い豹。泣きそうな表情でその獣に駆け寄る巫女。そして、その姿を表情一つ変えずに見下ろしている若い騎士。だが、騎士の鎧を身につけた彼の手には剣でなく杖が握られていた。


「おい! 何があった!!」


 ユーリィの後ろから庭に飛び込んできたのは先程尋問の際に同席していた若い魔術師だ。彼は素早く今の状況を見て取ると、マリアベルとユーリィを庇う様に白豹を傷つけた騎士の前に立ちはだかった。

 そこでようやく、ユーリィは己の置かれた状況を理解した。倒れているのは噂に聞いていた光の精霊だろう。それを倒すほどの魔力を持った騎士。相手が何者かなんて疑問すら浮かばない。ただユーリィに分かるのは、今自分は危険な場に居合わせてしまったという事だけ。次いで頭に浮かぶのは死んだ夫の事。まさか、私も――?


「お前! 一体何をした!!」


 バンは杖を構えると目の前の騎士を睨みつけた。いや、男は騎士ではない。トゥライア王国の鎧を着た騎士が、帯剣せずに魔術師の杖を持っているなんて事はあり得ない。

 くすんだグレイの短髪。同じ色の瞳。日に焼けた肌をしているが、まるで造られた人形のようにどこか嘘臭い。仮面のように少しも変化しない表情がそれに拍車をかけている。巧妙に隠しているのだろう。こうして目の前で対峙しても相手の魔力を伺い知る事はできない。だが、ここから離れた場所で昼寝をしていたバンにも伝わってきた先程の爆発的な魔力。それを追って来てみればこの場に辿り着いたのだ。

 倒れている光の精霊。そして杖を握っている男。あの魔力の持ち主はこの男で間違いない筈だ。けれど……


(……悔しいが、俺では役不足だ)


 たった一人で上位の精霊を倒す事なんて、塔の魔術師でも出来る者など居ないだろう。


(だが、先程の魔力は他の者も感じている筈。ならば、)


 バンに出来るのは仲間達が駆けつけるまで時間を稼ぐ事のみ。


「ユーリィ様、マリアベル様を連れて城の中へ!」


 背中越しに叫ぶものの、一向に返事が聞こえてこない。目の前の男から目を離さないように慎重にユーリィを視界に納めれば、彼女の様子がおかしい。


「ユーリィ様?」


 名前を呼んでも視線がこちらを向かない。そう言えば、こんな戦いの場に居合わせたことなど無いであろう貴族の女性が、震えもしないでただ突っ立っているなんておかしい。


「まさか……」


 先程の尋問でユーリィは酷く落ち込んでいた。当然だ。夫が死に、しかも犯罪者であることが分かってしまったのだから。そして催眠術や洗脳は対象者が精神的に衰弱している時にかかりやすい。絶望の淵に立たされた人間は少しでも希望の光が見えればそれに縋りつく。正しい判断が出来なくなる。恐らく、ユーリィはマリアベルをこの場に呼び出す為に利用されたのだ。


(目的は、やはりマリアベル様か……)


 もう泣いて欲しくない。そう思っていた筈の女性を自分達が追い詰め、そしてまんまと利用されてしまった。バンは不可抗力とは言えこの状況を作るのに荷担してしまった自分も、そして彼女を利用した目の前の男も許す事はできなかった。


「マリアベル様」

「……はい」

「見た所、ユーリィ様はこの男に操られているようです」

「え?」

「彼女は今正しい判断が出来ません。それに、この男の目的は貴方です。出来ればユーリィ様を連れて此処から離れてください」

「で、でも……」


 彼女戸惑いの元は恐らく倒れている光の精霊だろう。けれど今此処で光の精霊を助ける事など誰にも出来ない筈だ。


「俺にこの男を倒すことはできません。光の精霊を抱えてお二人と共に逃げることも出来ません。情けないですが、今はそれしか方法がないのです」


 背中越しでもマリアベルが逡巡しているのが分かる。けれど、それも一瞬。彼女の答えはすぐに返ってきた。


「……分かりました」

「行って!!」


 叫ぶと同時にバンは杖に魔力を篭める。杖の形状からして相手は右の魔術師。対してバンは戦いよりも繊細で緻密な陣の形成が得意な左の魔術師だ。まともに魔力同士でぶつかっても勝算は皆無。


「けどな、こういうのは得意なんだ!」


 三十センチにも満たない短いバンの杖が男の持っている六角錐の杖に向けられる。そこで男の表情が動いた。一瞬自分の杖を見たかと思うと、次に興味深そうにバンを上から下まで眺めてくる。そして初めてバンの前で口を開いた。


「ほう。脈を塞いだか。あの一瞬で陣を描いた……訳ではなさそうだな」

「…………」


 相手に気づかれずに精密な陣を描くのはバンの得意技だ。ユーリィの尋問の際にも使用された技術で、杖を男に向けて身構え、マリアベルと会話している間もバンはずっと男の杖を使用不能にする為に陣を描いていたのだ。

 これで男は代わりの杖を用意するか、バンの術を他の魔術師に破ってもらうかしなければ魔術を使えない。自分よりも実力が上の男相手に時間稼ぎをする為に考えたバンの苦肉の策だった。


「面白い術の使い方をする。だが、」

「!?」


 男が杖を持つのと反対の手を、空気を切るようになぎ払う。同時にバンに襲い掛かったのは突風。

 明らかに魔力を変換して生み出された風だ。衝撃波と言っても良い程のそれを正面からまともに受けたバンの体が地面に叩きつけられる。


「ばっ……かな……」


 背中を打ちつけた痛みに耐えながら、そんな筈が無い、と自分に言い聞かせた。


 人は魔力を魔力のまま放出することが出来ても、杖や陣の介在なしで他の物質や現象にそれを変換することは出来ないと言われている。その理由の一つが人体に張り巡らされた血管やリンパだ。

 魔力も血液やリンパ液と同じく魔脈と呼ばれる専用の管を通して体を循環している。けれど魔力ではなく『物質』で構成されている人間の体は生きる為に必要な血管やリンパを優先に進化してきた。その一方で魔脈は徐々に衰え、昔は人間達皆が一定量持っていた魔力も比例して減っていき、今に至っている。つまり魔術師とは一般人よりも魔脈が発達している者達なのだ。

 魔脈の衰えがもたらしたのは魔力量の減少だけではない。毛細血管のように細かく幾筋にも伸びていた魔脈は徐々に退化し、単純化した。故にかつて魔力放出までに体内の長い路筋を通っていた時間が短くなり、その分術者の意思を反映しづらくなってしまったのだ。

 そこで魔術師達が考え出したのが杖と陣だった。杖が魔力のコントロールに役立つのは杖を通っている木の導管や師管を魔脈の代わりに利用しているからだ。杖が全て木製なのはこの為である。そして杖でコントロールした魔力を陣で変換する。中には杖自身に陣を刻み込み、コントロールと変換を同時に行う魔術師も居る。

 だからバンは陣で男の持つ杖の魔脈を塞いだのだ。けれど人と魔術が辿ってきた歴史を無視して、この男は杖を使わず自身の体から直接風に変換した魔力を放った。それはつまり――


(まさか、コイツは……)


『この濁った魔力には覚えがある』


 第三者の声にはっと息を飲む。バンの直ぐ横、倒れた白豹の前には牙をむき出しにして敵を威嚇する雄々しい黒豹の姿があった。


『あの魔石はお前が作り出した物だな』

「ま、せき……? ラズ殿が調べていた魔石のことか?」


 バンの呟きには答えず、黒豹は低く喉を震わせ唸る。だが、間違いないだろう。呪いの元として客人のラズとケヴィン達が調べていた魔石のことだ。


(この男が、トゥライアに呪いをもたらした当事者なのか?)


 バンは痛む体を押して起き上がり、愕然と目の前の地味な男を見返した。





 ***



「やっ……」


 殆ど解けてしまったサラシの下をくぐって大きな手がラズの肌の上を滑る。まるで強張るラズを慰めるように優しく、ゆっくりとした動き。けれどそれが余計にラズの羞恥を煽った。いっそのこと乱暴に扱ってくれたら。そう思ってラズはぎゅっと瞼を閉じる。けれど視界を塞ぐ行為は返ってセフィルドが与える感覚にラズを集中させた。反対の手が腰を撫でると、それだけで寒気に似た何かが体を走る。


「っ……!」


 ずっと男のフリをしてきたのだ。セフィルドもラズが異性とこんな行為をするのは初めてだと予想が付いているのだろう。性急に事を進めることはなかったが、それでもラズにとっては十分な脅威だった。


「やめ……、セフィ…ルド……」


 必死に縛られた腕を前に突き出して抵抗すれば、セフィルドは妖艶な笑みを浮かべた。


「馬鹿だねぇ。そんな顔は逆効果だよ」


 どんな顔だと言うのだ。そんなこと、鏡がなければラズには分からない。ただ吐く息が苦しくて、自分に触れるセフィルドの手のひらが熱くて、段々と訳が分からなくなってくる。どうしてセフィルドとこんな事をしているのか。どうして体が上手く動かないのか。どうして触れられる度におかしな声が出そうになってしまうのか。


「あっ……」


 突然耳に濡れたものが触れて、ラズは思わず目を開いた。すると直ぐ傍にセフィルドの顔がある。触れたのは彼の舌だと分かって、ラズは身震いした。耳の外側を辿っていたかと思うと、奥に入り込もうとするかのように舌が穴の中に差し込まれる。


「やぁ……っ」


 ぞくぞくしたものが背筋から首の裏まで這い上がってくる。知らない。こんな感覚は知らない。

 セフィルドから逃れようと首を振るけれど、手足を縛られた状態ではそれも難しい。すぐに片手で顎を固定され、更に音を立てて耳をなぶられる。


「気持ちいい?」


 体中を蝕む熱がラズの脳まで侵していく。乱暴にしてくれたら、痛みを与えてくれたら我にかえることが出来たのかもしれない。けれどセフィルドはそうしなかった。恋人同士の触れ合いのように優しく甘くラズを責めていく。


「可愛い……」


 合間に呟かれたセフィルドの言葉。けれど可愛いなんて、そんな筈ない。マリアベルのように美しくも無い、女性らしさも無い自分をそんな風に思う訳が無い。


「可愛いよ、ラズ。君はすごい魅力的だ」

「っ…や……」


 いくら頭の中で否定しても、首を横に振ってもセフィルドはラズを可愛いと言う。言われる度に体の奥が痺れる。まるで脳より先にそこが彼の言葉を理解しているかのように。

 いつの間に解かれていたのか、足首の縄が無くなっていた。いとも簡単にラズが穿いていたスラックスを脱がし、右膝裏を持ってラズの足を開く。セフィルドの手が今度は内腿を撫でていく。


「ここも綺麗だ」


 そう言ってセフィルドが内腿の日に焼けない所に口付けを落としてく。色の白い肌には直ぐに赤い痕が残った。


「ラズ」

「お、願い。……やめてセフィルド」

「ごめんね」


 抵抗する術もなく、熱くなっていく体。太ももにじわりと汗が滲む。乱れる呼吸。痺れていく足先。


(嘘。な、んで……)


 こんな経験は初めての筈なのに、ラズはどこかでこの感覚を知っている気がした。熱と共にせり上がってくる衝動。震える体。このまま彼に身を任せていれば待っている筈の快感。

 セフィルドがぎゅっと全身を包みこむようにラズの体を抱きしめる。


(あつい……)


 首筋に触れるセフィルドの呼吸。彼の体。そして内腿を這ってくる、彼の指先。

 再びラズの体が強張った。先程までの漠然とした恐怖が今度は具体性を持って襲いかかってくる。


「やだ……」

「ラズ。大丈夫だから」

「も、しないで……」

「好きだよ、ラズ」


 怖がるラズを宥めるようにセフィルドは彼女の頬を撫で、そこにキスを落とす。

 その時、結界で閉じられていた筈の扉が無遠慮に開かれた。

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