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51.もう一人

 

 日に焼けた絨毯を踏みしめれば目に見えるほどの埃が舞い上がる。長い間手入れがされていない廃屋はカーテンと窓を開けても、カビと埃の匂いが鼻につく。けれどそんな不快感とは別の理由でテグラルは眉間に皺を寄せた。


「追跡は不可能ですね」

「どう思う?」


 サグホーンは主の居ない居間を見渡しながら口を開いた。問いかけた相手は直属の部下ではない。ガウディー=ハーゲン殺害現場である廃屋に調査の為随行しているケヴィーノ=オレゴンに対してだ。

 問われたケヴィンは被害者ガウディーが倒れていたとされる絨毯上から目を離さずに答えた。


「……私は、馬車の仕掛けを使ってラズ殿を誘拐した所まではセフィルドが犯人である可能性が高いと思っていました。あいつは派手な事を好むし、自分が手に入れたいものの為には容赦しない奴ですから。けど、人を殺してまで身を隠すのはあいつのやり方ではありません。セフィルドだったら、もっと堂々と人前に姿を見せるでしょう」

「うん。僕もそう思う」


 正直な彼の意見にサグホーンも頷いた。真面目なケヴィンと違って双子の弟であるセフィルドは周囲に自分を誇示することを好む。複雑な陣を完成させる程の実力を見せつけ、彼のお気に入りであった巫女の護衛を手に入れる。いかにも彼が好みそうな手段だ。けれど人前から姿を消し、逃げ回るのは違う。セフィルドなら堂々と自分のものだと主張し、周りに見せつけるだろう。ならば、答えは一つ。


「もう一人いるんだ。この屋敷丸ごと一つに上位精霊から目隠し出来る程の結界を施すことが可能で、かつ魔石の扱いに長けた魔術師が」


 ここは中流程度の貴族が所有していた屋敷だ。建物だけではなく庭も含めた敷地全てを覆う事が出来る程の結界となればかなりの大きさになる。つまり、犯人の一人は塔の魔術師にも匹敵する実力者である事は間違いない。


「ですが、主犯ではないにしてもセフィルド=オレゴンが誘拐にかかわっている事は間違いないのでしょう?」

「……分かっているよ、テグラル」


 自分よりも歳若い魔術師の提言にケヴィンは苦笑した。わざわざここで釘を刺されなくても分かっている。あの陣が発動した現場で上位の精霊達を退けた反術はセフィルドのもので間違いない。どんな形であるにせよ、セフィルドは犯人の一人なのだ。弟を捕らえて罪を償わせる。オレゴン家の名を貶める事になろうとも、それは兄としての義務だ。そうケヴィンは腹を括っていた。

 若い二人のやり取りを耳にしながらサグホーンは部屋の中央付近に置かれた一脚の椅子の前で佇んでいる人物に視線を移した。自分たちよりもずっと小柄な砂色の髪を持つ少年。彼はこの部屋に入るなりずっとそこから動かないままだ。


「トマス、どうした?」

「…………」


 師の問いにも答えず、トマスはずっと何かを考え込んでいるようだった。その椅子に何か痕跡でも残っているのかとサグホーンも横に立つ。手をかざし、意識を集中して魔力の痕跡を探してみるが何も拾えない。所々塗装の剥げた木製の椅子。背もたれと座部に張られた厚手の布は足元の絨毯と同様に色褪せている。一見何の変哲も無い、ただの古びた椅子だ。だが――


(埃が付いていない……)


 長年放置されていたにしてはこの椅子に埃が積もった様子は無い。恐らく犯人が使用していたのだろう。もしくは被害者のガウディー=ハーゲンだろうか。今だその前から動こうとしない幼い弟子を見下ろせば、彼の目はその年齢に見合わず厳しい視線を向けていた。


「この椅子に、何か?」


 答えを期待せずに再度問いかける。すると目線は動かさず、小さな唇が動く。


「……覚えのある気配が残っている」


 幼さに反して老練した声が、不気味に空き家に響き渡った。





 ***


 泣き崩れる一歩手前。正にその瞬間、扉が開くと同時に声がかかった。


「失礼致します」


 ユーリィは思わずはっと息を飲んで顔を上げる。一人きりだった客室に入ってきたのは若い騎士が一人。先程までトルマーレと共に尋問していた彼とは違う人物だ。当然ユーリィの知り合いではない。何かトルマーレから伝言でも預かってきたのだろうか。


「ユーリィ=ハーゲン様ですね?」

「えぇ……。あの、何かご用事が?」

「はい。トルマーレ様から、気分転換をお勧めするようにと」

「…………」


 今のさっきで気分転換? 夫が犯罪者である裏づけがされたばかりのこの気持ちを、そう簡単に変えられる気などしない。

 穿った心のまま社交辞令の笑みも忘れて騎士を見返せば、彼は柔らかく微笑んでユーリィに手を差し伸べた。


「裏庭の小さな花壇の近くなどいかがです? あまり人の来ない静かな場所ですから。気持ちを落ち着かせるには良いと存じます」


 騎士の顔と差し伸べられた指の長い彼の手に何度か視線を往復させる。迷っているのだ。誰にも会いたくない気分だからこの部屋から出る気なんてしなかった。


「でも……わたくし……」

「このままお一人で居ては気も塞いだままでしょう」

「…………」


 彼の言う通り、信じたくない真実を知ってしまったこの空間から出たい気持ちは確かにある。


「思いつめては悪い方向に転がるばかりですよ」


(そう、なのかしら……)


 まるで微風のようにゆるやかな抑揚のついた言葉。彼の言葉のテンポだろうか。それとも穏やかな声のせいだろうか。それは沈んでいたユーリィの心の隙間にすっと染み込んで来る。


「私がご案内します。何も心配なさらず」

「……えぇ。そうしようかしら」

「親しい方がご一緒に居てくだされば心強いでしょう。マリアベル様と仲がよろしいと聞きました」

「えぇ」

「お声をかけておきましょう。女性二人でおしゃべりすればきっといやな事も忘れられます」

「えぇ……。そうね……」


(疲れているのかしら……)


 さっきまでの緊張が解けたせいなのか、上手く頭が回らない。けれどきっと彼の提案を受け入れれば、少しは良くなる筈。


「行きましょうか?」

「えぇ。お願い……」


 差し伸べられた手に自分の手を重ねてソファから立ち上がる。

 少しでも慰めをとこの騎士を差し向けたトルマーレ副隊長に後で感謝の言葉を述べよう。それまでは自分の事しか考えられないみっともない今の自分を許してあげよう。






 ダンはユーリィ=ハーゲンが通されたという客室へ向かっていた。客室と言っても密談や上流階級の人間を尋問する為に使われる場所で、一見ただの客室にしか見えないが完全な防音を施された特殊な部屋だ。

 自然と足早になっているのは焦っているから。騎士も魔術師もそして兄達も皆がそれぞれ己の役割を果たしているというのに、自分だけが大切な者の為に何もすることが出来ずにじっとしている。それが酷く不安で惨めだった。


(俺は俺が出来る事をしよう)


 そこで犯人の一人として名前が挙がっているハーゲン伯の妻であり、自分も良く知っているユーリィが城に来ていると聞き、自分で直接話を聞いてみようと思ったのだ。


「…………?」


 部屋の前に着いたが、そこでダンは眉根を寄せた。見張りで一人は騎士が立っていなくてはおかしいが、そこには誰も居ない。


(もう退室したのか?)


 ノックをするが返事は無く、慌ててドアを開ける。あまり広くは無い個室にはやはり誰も居ない。


「入れ違いになったか……」


 気が抜けて溜息を吐く。だが、違和感に気づいた。


(なら何故、ドアに鍵が掛かっていないんだ?)


 ここは通常の客室とは異なる特殊な部屋。許可のない者が入らないよう、使用時以外は施錠されている。だが使用中にしては部屋が薄暗い。中を見渡せば窓にカーテンが掛かっていた。まだ昼前のこの時間にカーテンを掛けるのは不自然だ。


(カーテン……)


 それが気になって部屋を横切り、カーテンを開ける。その瞬間視界に入ってきたモノに、ダンは思わず声を上げた。


「おい! どうした!!!」


 カーテンと窓が閉められた向こうのバルコニー。そこに背の高い男性が倒れていた。ガラスドアを開けて声をかけるが、気を失っているのか反応が無い。鎧を着けていないが、体格の良さや剣だこの出来た手のひらを見ると騎士のようだ。


(何故ユーリィが居る筈の部屋で騎士が倒れてるんだ……)


 疑問は尽きないが、いくらゆすっても目を覚まさない事を考えると、騎士の方はすぐにでも医者に見せなければまずいかもしれない。


「おい! 誰か……」

『……どうしたの?』


 人を呼ぼうと大声を上げかけた時、目の前に現れたのは陽の光に透けた美しいおもて。それはラズが慕っている風の精霊の一人だった。





 ***


 朝食を済ませて自室を出たネイは騎士団の厩へと向かっていた。騎士達が各街道に検問を敷いているのでそう簡単にラズを誘拐した犯人達が城下街から出ることは出来ないだろうが、何せ城下街は国の中心地なだけあって広い。捜索範囲を広める為には馬が必要になる。今までは馬で街中を駆ければ目立ってしまうので避けていたのだが、時間が経てば経つほど発見は難しくなる。その為、今日から馬を使うことにしたのだ。

 決まった愛馬を持たないネイがグライオを伴って厩の中に入ろうとした時、緊張感を孕んだ声が自分を呼んだ。


『ネイザン』


 足を止めて振り向けば、そこには数日ぶりに見る〈風〉の姿。いつも表情の硬い彼だが、彫刻のような美麗な面に鬼気迫る雰囲気を纏っている。


『何かあったのか?』


 ネイより先に声をかけたのはグライオだった。


『城下に不審な部屋を見つけた。ただの安宿なのに結界が張ってある』

「!!」


 ネイが息を飲む。結界が張ってあるとなれば当然魔術師が関わっている証拠だ。城下の安宿。そこにラズが閉じ込められているのかもしれない。

 途端にドクドクと心臓の音が体中に響きだす。


(ラズ……)


 今すぐ馬に乗って走り出しそうなネイを落ち着かせようとしているかのように、グライオが冷静な声を返した。


『お主でも入れなかったのか?』

『やろうと思えば入れるかもしれない。だが、宿は全壊するだろう』


 当然だ。上位の精霊が全力を出せば宿どころか街ごと破壊されかねない。それが分かっているから手助けを求めてネイの元を訪れたのだ。

 難しい顔をしている〈風〉とは対照的にグライオは目を細める。


『我を忘れていないようで安心した』


 ふんっと鼻を鳴らす〈風〉。途端にトゲトゲしい空気が消える。今すぐ〈風〉の案内でそこへ向かおうとした時、彼の相棒が現れた。彼よりも表情豊かな〈風〉は姿を現すなり焦った声を上げた。


『城に侵入者よ! 騎士の一人が気絶させられていたわ』


 一瞬ネイの足が止まる。一方は城の一大事。一方はラズが居るかもしれない宿屋。騎士ならば居るか居ないか分からない客人よりも王城の護りを優先するのが当然。だが――


(ラズ……)


 心の中で名前を呼ぶ。それだけでいつだってラズの姿を思い出せる。数日前まで誰よりも傍にいた筈の、あの笑顔を。


『ネイザン。此処で別れよう』


 ピクリと耳を揺らしたかと思うと、グライオがらしくなく鼻面に皺を寄せた。グルルルッと喉を震わせる。 


「どうした?」

『片割れの意識が途絶えた。恐らく侵入者に襲われたのだろう』


 グライオの片割れ。上位である光の精霊。彼が、襲われた?

 自然と導き出される現状に〈風〉の一人から悲鳴のような声が上がった。


『まさかまたマリアベルが狙われて!?』

『恐らくは。巫女の身が危うい』

「分かった。共に行けなくてすまない」


 言葉にせずともお互いに分かっているのだ。ネイはラズの下へ。グライオはブルネイ達の下へ。見えない絆で結ばれた人間と黒豹が互いの目を見る。


『お前はお前が求めるものを迷わず手に取れ。それが我の願いでもある』

「グライオ……。お前はどうして……」


 どうして、そこまで自分を大切に思ってくれるのだろう。今も彼との出会いを思い出せないネイではそれを理解する事ができない。これまではそれで良いと思っていた。けれど今は、思い出せない自分が歯がゆい。

 そんな心の内を全て分かっていると言う様に、グライオは一度頷いた。


『落ち着いたらゆっくりと話そう』

「あぁ」


 会話はそこまで。後は互いの選んだ道へ進むのみ。ネイに背を向けるとグライオは女性的な〈風〉と共に城へと向かう。


『行くぞ』

「頼む」


 もう一人の〈風〉と共にネイは馬を駆って城を出た。既に頭の中はラズの事へと切り替わっている。

 ネイは騎士である前に一人の人間なのだ。そんな自分をグライオは認めてくれる。それで良いのだと言ってくれる。背中を押してくれる。そこに人とか精霊だといった垣根など存在しない。


(ラズとって、〈風〉達もそういう存在なのだろう)


 初めは不思議で仕方が無かった。ラズと〈風〉達の間にある強い絆。生きている時間も価値観も、そして種族も。何もかもが異なる存在。けれど彼らの間に壁など存在しない。まるで本当の親子のような兄弟のような親友のような。

 それをグライオと出会ってやっと理解する事ができた。傍にいるのが当然の相手。そして、今のネイにとってそれはグライオだけではなく――


(ラズ……)


 想いをこめて名前を呼ぶ。無くてはならない、当たり前に隣にいて欲しい、その存在を。

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