48.暗闇の下で
謁見の間での報告と話し合いが終わり、マック達は客室と続きになっている応接間へと移動していた。そこにはサディア国の二人に加え、トゥライア国の王子達、マリアベルが揃っている。事件以来要人への護衛が強化された為応接間の中にも外にも近衛騎士達が並んでおり、王族が揃えど華やかな空間とは言えないものになっていた。客人も含めて各々ソファに座っている皆の表情も暗く、空気は重苦しい。
「レギ師長が言っていた小鳥とは一体なんのことだ?」
犯人達が下位の〈風〉を使役していた事が分かった時、“サディアの小鳥に紛れ込ませたのか”と魔術師長は言っていた。意図的ではないにせよ、今回の犯人達の情報伝達に一役買ってしまったその要因をダンは放っておく事が出来なかった。
「……事前に巫女殿を調べる為に俺が放った〈風〉の事だろう」
謁見の間での話し合いに参加していなかったフェイロンはそう答えた。事実が明らかになっていない状況で国内で起きた事件の詳細を異国の客人の耳に入れる訳には行かず、フェイロンとティナトナの二人は客室で待機していたのだ。
「マリアベルを調べる為だと?」
「あぁ、そうだ。以前にも話をしたが、俺が今回此処を訪れた目的の一つが彼女がどんな人間かを見極める事。だから事前に〈風〉を放って情報を集めていた。……それを利用されるとは思ってもみなかったが」
淡々と事実だけを述べていくフェイロン。ディンとダンに睨みつけられようと彼の表情は動かない。
分かっている。彼は母国を代表してここに立っているのだ。簡単に頭を下げられるような立場の人間でないことぐらい。それでも勝手にマリアベルのことを嗅ぎまわっていた事にディンが、間接的にラズを攫った犯人の手助けをしてしまったことにダンが、それぞれ怒りを顕にしていた。
「ねぇ、ラズの〈風〉ならすぐに居場所が分かるんじゃないの?」
不穏な空気の中、心許ない表情でヘリオが隣に座っているマリアベルの袖を引く。その言葉を受けてマリアベルは静かに首を横に振った。
「〈風〉達はラズと契約をしていないの。今も探してくれているけど、契約者とは違って繋がっていないから、……すぐには分からないと思うわ」
「そっか……」
ヘリオが期待通りの答えを貰えずに項垂れる。それは弟王子の質問に期待していたダンも同様だった。
上手く笑顔を作れないまま、兄に寄り添っていたティナトナが口を開く。
「き……騎士団も魔術師団も捜索をしているのでしょう? それに、誘拐の本来の目的が彼じゃないのならば、すぐに解放されるのでは?」
「そう事は簡単ではないんだよ。ティナトナ姫」
それまで黙って一人がけのソファに座っていたマックが重い口を開く。その声に余計な抑揚は無く、いつもと違ってどこか冷たい印象がある。
「彼の身柄と引き換えにマリアベルを要求されるかもしれない。それに彼が用無しならば、最悪すぐに消される可能性だってある」
「そんな……!」
「そうなれば、神殿と王族との間に消えない遺恨を作ることになるだろうな」
命が危うい事態である事にショックを受けるティナトナとは対称的に、フェイロンは為政者らしい見方をする。それを聞いたダンが激昂した。
「そんなことがどうだっていい!! 問題はラズが危ないって事だろう!!」
「ラズって奴と仲の良い君ならそうだろうけどね。少なくとも、マックの意見は俺と同じだと思うよ」
「兄上……?」
不安げに第一王子の顔を窺うダン。マックは黙って弟を見返した。そこに何の感情も見ることが出来ない。
「ダン。王族が政治や外交を優先するのは当然の事だ」
「兄上!!」
「落ち着け。公私を混同するな。今お前達がするべきことは自分の身柄を守る事だ。決して勝手な真似はするなよ」
「もういい!!」
ダンは立ち上がり、感情的になったまま部屋を出た。室内に控えていた騎士が黙って後を追う。その動きを確かめてから、マックは深い息を吐いた。そして横目で飴色の瞳を睨みつける。
「フェイ。余計な事を言うな」
「俺は本当のことしか言っていない。お前は弟たちを甘やかし過ぎなんだ。国の上に立つ人間が周りを見ていなくてどうする。俺達はいつだって取捨選択を迫られる。正しいものを選び取らなければ多くのものが失われるんだ。それを分かってない。ダンも、……そしてお前も」
「何?」
唐突に視線を向けられ、ディンは凄むような声を上げた。それも意に介さす、横滑りしたフェイロンの視線がマリアベルも捕らえる。
自分の思うがままに彼女の手を取るディンには分からないだろう。王座を継ぐべく生まれたマックが選んだものが。そしてその選択の為にどれ程自分の心を殺しているのかを。
益々重苦しくなる居間の空気に誰も口を開かず、しばらくの間静寂だけが続いていた。
(くそっ!)
魔法生物の来襲など無かったかのように綺麗に修繕された廊下をダンは苛立ちに身を任せながら早足で歩いていた。どこに向かえばいいのかも分からない。けれどラズが心配でしょうがなくて、マックの言うようにじっと城に篭っていることなど到底出来ない。何か自分に出来る事は無いのだろうか。こんな時、王子という立場は行動の妨げになる事はあっても役に立つ事はない。
ラズは自分を助けてくれた。ならば今度は自分の番だ。何かしてやりたい。助けてやりたいのに。剣も魔法も使えない自分では単独で犯人を追うことなど無謀でしかないのか。
黙って自分の後を着いてくる近衛騎士が憎らしい。自分を護っている暇があるのなら、今外を捜索中の騎士と共にラズを探しに行ってくれたらいいのに。
(そうだ……、ネイザンは?)
謁見の間には居なかった。外の捜索は一般の騎士。彼は近衛騎士だからもしかしたら王族と客人の護衛に回されているのかもしれない。けれど彼が黙ってラズの帰りを待っているとは思えない。
(ネイザンなら協力してくれるかもしれない!)
他の騎士や魔術師に協力を仰いだ所で彼らがダンの気持ちを汲んでくれることはないだろう。けれどラズの護衛であったネイザンならば、話を聞いてくれるかもしれない。
唐突に足を止め後ろを振り返ると、自分を追っていた近衛騎士二人も足を止めた。
「おい、ネイザンはどこにいる?」
「ネイザン? ネイザン=ヴィフィアですか?」
「そうだ。あいつは今どこで何をしてるんだ」
すると二人は顔を見合わせた。平静を努めて聞いたつもりだが、鎧を着た騎士達は中々口を開こうとしない。自分の考えなど見透かされているのだろうか。
「おい。知らないのか?」
「いえ、その……」
腐ってもダンは王子。強く聞き返されれば、臣下である騎士がそのまま無視出来る筈も無い。右側に立っていた近衛騎士が言いづらそうに言葉を発した。
「ネイザンは、今城には居ません」
「……任務か?」
もしかしたら騎士達の捜索に加わっているのかもしれない。そう思ったが、目の前の近衛騎士は首を横に振った。
「彼は今、休暇を取っているのです」
「は……?」
予想の斜め上を行く回答に、ダンは二の句が継げなかった。
***
ネイは城下の端、昼でも暗い路地へと足を踏み入れていた。服装はどこにでもあるような地味な色合いの私服。腰に剣を下げているものの、一見城に勤める近衛騎士には見えない装いだ。顔色も悪く、体は汗や埃で汚れている。だが、その目だけは殺気にも近いものを宿してギラギラと暗く光る。彼の足元には着かず離れずの距離で黒豹が寄り添っていた。
『ネイザン。いい加減に休息を取れ。ヒトはいつまでも動き続けられるようには出来ておらぬ』
自分を案じているグライオの言葉。無理も無い。ラズが姿を消した日から丸二日、ネイは不眠不休でラズを探し続けていた。水や簡易な食事は取るものの、一切休まないその姿には鬼気迫るものがある。けれどグライオにはいつ倒れてもおかしくないように見えた。
今回の事件を受けて王族、客人への護衛がさらに強化された。その為、近衛騎士は皆護衛の任に付き、ベックの指示の下、その他の騎士達によって失踪したラズの捜索が今も行われている。本来近衛騎士であるネイも王城で護衛の任につかねばならない立場だ。だからネイはシークに休暇届を出した。単独でラズを探す為に。ネイの本気が分ったのだろう。シークは黙ってそれを受理してくれた。
城下の端まで来たが未だ有力な手がかりは掴めず、ネイは黙って人気の無い建物の裏に詰まれた木箱の上に腰を下ろす。既に疲労で足に力が入らない。けれどじっとしていることが出来なかった。あの時、自分の目の前で消えたラズの姿が今も脳裏に焼きついている。
『大丈夫? 顔色が悪いわ』
優しい声が耳朶に触れる。顔を上げれば、そこに居たのはラズが懇意にしている〈風〉の一人。彼女は心配そうに眉根を寄せた。いつも共にいるもう一人の〈風〉の姿は無い。
『アレはどうした?』
『ダメね。こちらの呼びかけに応えてくれないの』
『無理もない……』
グライオは姿を見せぬ〈風〉の心情を思って嘆息した。
ラズの親を名乗ってはばからない男性的な見目の〈風〉はあの日、ラズが姿を消すと共に怒りを顕にした。ヒトごときが我の子を害するのか、と。そして自らの力でラズを探し出すと言って消えてしまったのだ。ヒトは信用できない。そう言葉を残して。
「……何か情報は?」
自らの相棒と同じく我を忘れているようなネイの姿に、〈風〉は同情とも哀れみとも付かない表情を浮かべた。
『魔石がバラ撒かれたのは夜会の夜で間違いなさそうね。サディア王家の献上品として多くの荷物が持ち込まれた中に紛れていたようだわ。まもなく持ち込んだ貴族に関しては城の方で調べが付きそうよ。それと、あの陣の移動範囲』
それまで凍った様だったネイの表情が僅かに動く。その目に剣呑な色が宿る。
『あれだけ複雑な陣だもの。やはり移動できる距離はそれ程遠くないみたい。最初の移動地点は城下街で間違いないわ』
「まだ二日だ。そこまで遠くには行けない筈……」
大人しくラズが犯人に従うとも思えない。ならばまだこの街の中で篭っている可能性は高い。
ネイは当に力の入らない体を無理矢理動かして立ち上がる。もしかしたら傍にラズがいるのかもしれないのだ。じっとしている時間が惜しい。
『よせ、ネイザン。一度休め』
『そうよ。無理してもいざという時動けなければ意味が無いわ』
二人の精霊の声が聞こえているのかいないのか。ネイは黙って歩き出す。グライオは悲しげに首を一度横に振り、ネイの前に回りこんだ。
『ネイザン=ヴィフィア』
ぴくり、と自らの意思とは反してネイの足が唐突に止まる。恐らく闇の精霊の魔法だろう。自分の邪魔をしようとしている黒豹の金色の目を睨みつけようとした時、ネイは足元から力が抜けていくのを感じた。
「っ…! まだ……」
地面に倒れそうになった体を〈風〉が受け止める。その時にはもうネイの瞼は完全に閉じられ、浅い呼吸を繰り返していた。
『許せ。ネイザン』
闇の精霊がもたらした眠りの魔法。それに一時身を預け、ネイは深い深い眠りへと落ちていった。
***
「話が違う!!」
城下街の隅。廃屋となって長い間人の手が入っていない部屋の一室。そこで一人の男が声を荒げた。けれど不思議な事に音を吸収してくれる絨毯も無いのに男の大声が響くことはない。
激昂する男と対峙している人物は、正反対に凪いだ声を紡いだ。頭からすっぽり姿を覆い隠しているのは闇に解けてしまいそうな真っ黒いローブ。そこからほんの少しだけ覗いているのは血が通っているのかと疑いたくなるような青白い肌。同じく血の気の無い唇がほんの少しだけ上下する。
「違うのは結果の方でしょう? 君達が連れてきたのは巫女ではなく、彼女の護衛の男でした。ワタシが求めたのは巫女なんですけどねぇ」
「そ、それは……」
ローブの人物の指摘に男は分かりやすくうろたえた。埃だらけの荒れた部屋など似合わない、小奇麗な格好をした男は青年と言うには老いており、壮年というにはまだ若い。
「君は結果を出せなかった。故に報酬もなしです」
「馬鹿言わないでくれ! 今回の件で俺がどれだけ危ない橋を渡ったと思ってるんだ! それに、俺はアンタに言われた通りの事を全てやった! 俺に過失は無い筈だ。このまま何の報酬もないのでは割に合わない」
「もう一人はそれでも構わないと言っていましたが?」
「あんな道楽と一緒にしないでくれ! 俺とは立場が違うんだ!」
必死にローブの人物に食らいつこうとする男。けれど感情の読めない相手は自分の主張などまるで聞く気がないらしい。苦し紛れに、男はローブの下の顔を睨みつけた。
「もしも……」
「…………」
「もしもこのままアンタが何の報酬も払わず消えると言うなら、俺は今回の事を何もかもバラすぞ」
すると脅されているにも関わらず、初めて白い唇が弧を描く。まるでこのやり取りそのものを楽しんでいるかのように。
「ほう。その告白が自らの首を絞めることになってもいいのですか?」
「俺はアンタに脅されたと言えばいい。少なくとも家が取り潰しになるような事は無い筈だ」
この脅しに相手が屈しなければ、もう男に後は無い。報酬を手に入れる為の最後の一手だったが、それも一笑されただけだった。
「バカですねぇ」
「何?」
「このまま何も手に入れられずに大人しくおウチに帰った方が君の為でしょうに」
「……どういう意味だ?」
まるで小さな子供に言って聞かせるような言い方に、焦りではなく苛立ちが募る。最初からそうだ。不気味なローブの人物は最初から自分の事を馬鹿にしているような、見下しているような話し方をする奴だった。
「何も手にしていないという事は、何の証拠も残さずに日常に戻れるという事です。最初に約束していた通り、君が突然大金を手に入れたとなれば当然疑いの目が向けられることになる」
「お前……、最初から報酬を渡す気などなかったんだな?」
「まさか。ちゃんと用意はしていましたよ。けれどワタシが望んだ結果は得られませんでした。支払う義務は無いでしょう?」
「貴様……!! 騎士団も魔術師達も躍起になって街中を捜査している。此処が見つかれば俺達はお終いなんだぞ!」
自分達が立っている廃屋の地下室。そこに王城が探している人物が今も眠っているのだ。こんな所で揉めている場合ではない。すぐにでも此処を離れなければ不味いというのに。それでもローブの人物が焦る様子は無い。
「終わりなのはあなただけでしょう」
「何?」
「ワタシを捕らえたところで手錠も檻も意味を成しません」
「化け物がっ……!」
「酷いですねぇ。あぁ、そうか。一度捕らえられて城内に入り込んでから、巫女を捕まえる方が簡単かもしれませんね」
「ふざけるな!! お前と違って俺は捕まる訳にはいかないんだ!」
自分達は共犯なのだ。ローブの人物が捕まれば当然自分のことも芋づる式にバレてしまうだろう。まるで新しい遊びを思いついたように提案する目の前の人物に、男は再び激昂する。こんな不気味な奴と心中など絶対にゴメンだ。
「えぇ。そうでしょうねぇ。地位のあるお貴族様が、まさか巫女の誘拐に手を貸したなんて知られたら大変ですからね」
「…………」
「でもね、ワタシも困っているのですよ」
ローブの人物がそう言って溜息をつく。
「何?」
「あなたが、意外に小物で」
「なんだと?」
「巫女を手に入れる前に貴方に全てをバラされては困るんです。手に入れてからならいくらでも構いませんがね」
ローブの下から発せられる不穏な空気に、男は喉を引きつらせた。思わず距離を取ろうとを足が後ろに下がる。
「ま、待て…。バラすつもりは……」
「でも、報酬を与えなければ何もかもしゃべるつもりなのでしょう?」
「いや、待ってくれ!! あれは冗談だ!! しゃべらない! 何もしゃべらないから……」
唐突に男の口から言葉が消えた。喉が引きつり、声が出なくなる。驚き喉をかきむしるような仕草をするが無意味だ。
ローブの人物は途端に興味を失ったように踵を返す。その後に残ったのは話す事も動くこともなくなった男の体が一つだけ、ボロボロのカーテンの隙間から注ぐ蒼い月光に照らされていた。




