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46.罠

 美しく保たれていた筈の北の裏庭の前でフレアレクは愕然としていた。


「どうして……」


 昨日まで見事な睡蓮を咲かせていた池の水は全て無くなり、無残にも花は踏み荒らされている。水が干上がったわけではない。その証拠にまだ池の底は濡れていた。まるで池の中の水を排水したばかりのように。

 ふと、睡蓮の葉の裏でキラリと日光を反射した何かが光る。フレアレクは慎重に池の中に足を踏み入れた。それを拾い上げれば、見覚えのある血の塊のような石。ラズと共にコライムで見つけた魔石とそっくりの、けれどそれよりも遥かに小さい魔石だ。そしてそれは先程まで襲い掛かってきた水人形の中にあったものと同じ石でもある。つまり、今回の事件の首謀者が睡蓮の池に魔石を投げ入れ、水人形を生み出したという確固たる証拠だった。

 その様子を後ろから見ていた同僚のノイメイが、彼にしては珍しく硬い表情で告げる。


「此処以外にも庭園の川や噴水から魔石のかけらが見つかりました。犯人は城内に侵入して魔石を使い、至る所で魔法生物を生み出したようですね」


 水は生物が生きる為に必要不可欠。それは人間も例外ではない。小川や池、井戸に至るまで王城内には必ず水場がある。その水自体が敵ならば、侵入者を防ぐ筈の結界も意味など成さない。最初から結界内にあるものを敵に加工するだけなのだから。


「セシュールが言っていたのはこれだったんだ……」


 フレアレクは力の無い声でぽつりと呟いた。

 城内の水場に魔石が投げ込まれ、そこから伝わってくる僅かな魔力を感知して怯えていたのだ。もっと早く自分が調べていれば、こんな事態にはならなかったのかもしれない。

 自分を責めているフレアレクを慰めるようにノイメイがその肩を軽く叩く。


「過ぎたことを悔やんでいても仕方がありません。今やれることをやりましょう」

「……うん」

「あれらが精霊ではなくて良かったですね」


 そう。今回の事件、フレアレクにとって救いがあるとすればそこだった。

 水人形の動きは実に単純なものに過ぎない。自分達の近くに存在する生命体を攻撃する。ただそれだけ。セシュールのように水を操り目的物を排除するわけでも、守ろうとする物を隠すわけでもない。その場の状況に応じた複雑な動きが出来ないのは、媒体が元々意思も生命も持たないただの水だったから。下位の精霊であるセシュール相手でも上位精霊の力を借りねばならない程苦戦したのだ。水人形の元が精霊であったのなら、これ程簡単に事態が終息するわけがなかった。

 フレアレクはようやく顔を上げてノイメイと目を合わせた。


「私は、城内の〈水〉達の様子を見て回ります。……魔石に、影響を受けている者がいるかもしれないから」

「私も〈木〉達に声をかけて回りましょう。もしかしたら犯人を見ている子がいるかもしれません」


 その場で二人は別れようと言葉を交わす。だが、予定通りには行かなかった。


「!!?」

「これは……?」


 今までにない程強力な魔力が二人の肌を刺激する。方向は城門から。

 二人はほぼ同時にその方向へ向かって駆け出していた。






 城内から出たラズの目に馬車がある前庭が見えてきた頃には既に殆どの水人形が駆逐されようとしていた。城の周囲で戦っていた騎士や魔術師達もその場に集まり始めている。その中に知った顔を見つけて、ラズは彼の名前を呼んだ。


「ケヴィンさん!!」

「ラズ殿! 無事でしたか」

「えぇ。 ケヴィンさんは……、腕、大丈夫ですか?」


 ローブの下から見えたケヴィンの左腕には大きな痣が出来ていた。恐らく水人形から打撃を受けたのだろう。内出血しているのか、赤黒く変色し腫れ上がっている。


「えぇ。動かせない程ではありません」


 ケヴィン達塔にいた魔術師には緊急事態の連絡が入り、それぞれ城内に侵入して来た水人形の駆逐に回っていたらしい。城には剣も魔術も扱えない侍従や文官達が多く働いている。案の定彼らはパニックに陥っていたが、騎士と魔術師達の素早い対応によりあまり大きな被害は出なかったようだ。それはラズも同様で、三階バルコニーから此処へ来るまでの間、水人形に襲われている掃除夫や料理人達を助けながら移動していた。そのお陰で前庭に着く迄に随分と時間がかかってしまった。

 二人は互いの状況を確認し合いながら馬車の下へと走る。そこには既に水人形の姿はなく、騎士達は王子達を一旦城へ避難させる為に動いているようだった。


「ネイ!」


 打ち合わせをしている近衛騎士達の中にいたネイの無事な姿を見つけてほっと息を吐く。それはあちらも同じだったようで、彼はすぐにこちらに駆け寄ってきた。


「怪我はないか?」

「うん。平気。ネイも?」


 彼の全身を確認するが、隊服が汚れていても怪我は見当たらない。その傍にはグライオも居た。


「あぁ。問題ない」

「良かった。マリアベルは?」

「無事だ」


 それを聞いてようやくラズの肩から力が抜ける。余程緊張していたのだろう。今になってどっと汗が噴出してきた。


「大丈夫か?」


 ネイの手がラズの頬に触れる。その手が土埃に汚れていてもそんなことは気にならない。自分よりも高い体温を感じて、ラズは頬を緩める。自分にとって安心できる温度だ。


「うん。ありがとう」


 足元を撫でるような感触に気づいて目線を下げれば、グライオがその体を摺り寄せていた。ラズはしゃがみこみ、その体を撫でる。


『今日ほど、己の身が二つあればと思ったことはない』

「心配かけてごめん。我侭を聞いてくれてありがとう」

『お主の実力も、お主の〈風〉も信用していない訳ではないのだがな』

「分ってる。そういうの、理屈じゃないから」


 マリアベルの傍にブルネイが居てくれれば滅多なことは起こらないだろうとラズも分っている。けれど心配な気持ちは収まらない。どれだけの備えをしようと、どれだけの守りをつけようと、相手が大切ならば大切なだけ尚更。

 立ち上がったラズは今後の動向をネイに尋ねる。


「視察は中止だ。殿下達には城へ戻ってもらう」

「そっか。でも、城内にもあの水の固まりは現れたよ」

「陛下や殿下達の私室と謁見の間はどこよりも結界が強固になっている。一旦、陛下達は謁見の間に集まり、そこで今後の対策を立てることになった」


 既に騎士達は要人の誘導と被害の確認に、魔術師達は原因の究明に動き出しているという。ならばラズが横から口を挟むようなことは何もない。


「分かった」


 馬車の方を見れば、殿下達が騎士や魔術師に囲まれて馬車から降りてくる所だった。ティナトナ姫はすっかり怯えてしまったようで、フェイロン王子にしっかりと抱きかかえられている。

 また、別の馬車からはヘリオやディンが姿を見せた。マリアベルならディンと同じ馬車に乗っているだろう。そう踏んで、ラズもそちらへ歩いていく。予想は当たり、先に下りたディンに差し伸べられた手に自分の手を重ね、マリアベルが馬車の入口から顔を出した。傷一つ無いその様子にラズはほっと息を吐く。その姿を見つけたマリアベルも顔を綻ばせた。


「ラズ!!」

「マリアベル……」


 思わず彼女の下に駆け寄る。ディンも気を使ってくれたのか、ヘリオと共にその場を離れ、代わりにラズがマリアベルの手を取った。手に伝わる体温。ネイの時とはまた違う、この温度がラズに安心を与えてくれる。幼い頃から傍に居た、大切な女の子。

 マリアベルが馬車から降り、ラズに抱きつくようにして地面に足をつける。


 その時だ。突然、強力な魔力が二人を包んだのは。


「なっ……!!?」


 一瞬で視界を覆う強く白い光。光源は下。その眩しさに目が眩むが、目を細めて何とか足元を確認すれば、そこに見たことの無い文様が描かれている。流れるような曲線が光を発しているものの正体だった。


(これは……陣?)


 以前ケヴィンに見せてもらった、魔術師が使う陣に良く似たものが馬車の真下に敷かれている。そこから発せられた光。つまり、陣が発動しているのだ。一体何の効果をもたらすものなのかはラズには見当も付かないが、すぐにこの場を離れなければまずい。


「マリアベル!?」

「ラズ!!」


 突然の異変にディンとネイが駆け寄る。だが、馬車の傍に近づけない。壁のように立ちはだかる何かが邪魔をしていた。ディンは見えない壁を叩き、ネイは迷うことなく剣を一閃。だが、どちらも効果は無い。


『何なのよ、これ!!』

『こしゃくな真似を……!!』


 怒りをはらんだ声は頭上から。上空から〈風〉達が近付こうとしているが、それも出来ないようだ。上位精霊さえ退ける力を持った陣。余計に焦りが募る。


『どけ!!』


 反射的にネイ達がその場を避ければ、入れ違いに白と黒の豹が飛び込んできた。体当たりのようにして力を放出するが、壁を破れないのは彼らも同じ。白豹が悔しげに歯を食いしばり唸り声を上げる。


「こんな馬鹿な……」

 

 どれほど優秀な魔術師の手によるものでもこれ程強力な結界は異常だ。結界の一部でも破ることは出来ないかと、ケヴィンが反術を描き出す。だが元の陣の術式を正しく読み取れないまま造り出した半端な反術は、やはり願った通りの結果には繋がらない。陣が発光しているのは恐らく魔術師に術式を読み取らせない為の目くらましでもあるのだろう。魔術に精通した者の仕業に違いなかった。


 そんな周囲の攻防を陣の内側から見ることが出来ないまま、ラズは咄嗟にマリアベルを抱きかかえて陣の外に押し出した。彼女の名を呼ぶ、ディンの声が聞こえた方向に。


「マリアベル!?」


 眩しくて周囲が確認できないがそこにはやはりディンがいたようで、彼の声からマリアベルを受け止めてくれた事が分かる。内側からなら陣の外に出ることが出来るのだ。ラズも外へ踏み出そうと足に力を篭めた。だが、陣の光はラズの下に集束しようとしていた。陣が術式の対象をラズに定めたのだ。

 反射的に腰元の剣を抜き、ラズは陣を崩そうと愛用の剣で地面を斬り付ける。だがキンッと弾かれる音と共に手に鋭い痛みが走り、剣を離してしまった。


「っ!!」


 陣を傷つけた者に対して防衛機能があるのか、利き手にはいくつもの裂傷が走る。 出血はそれ程多くないが力も入らない。

 自分一人が陣の外に投げ出されたことに気づいたマリアベルが光の中に手を伸ばした。


「いや! ラズ待って!!」

「マリアベル!!」


 ディンは再び光の中に飛び込もうとした彼女を抱き止める。その間にも陣は術式の通りに役割を終えようとしている。


「ラズ!!」

『ラズ!!』


 ネイと精霊達が同時に名前を叫ぶ。もうそれしか彼らに出来ることがなかった。けれど既にラズにはその声すら届かない。何かに引きずられるように意識が地へと落ちていく。足元から体がバラバラに分解されていくような奇妙な感覚が自分を襲う。先程まで眩しかった筈なのに、いつの間にか目の前が真っ暗になっていく。

 皆の声は聞こえない筈なのに、遠い遠い闇の中でマリアベルの泣く声が聞こえた気がした。


(泣かないで。マリィ……)


 唐突に光が消えた。自分を阻んでいた壁に体当たりしていた勢いそのままに、陣の中へ飛び込むネイ。だがもうそこに、求めた者の姿は無かった。


「ラズ……?」


 あるのは役割を終えた陣とラズが握っていた細身の剣だけ。


「いやぁぁぁああ!!!」


 マリアベルの悲鳴がその場の空気を引き裂く。

 ネイの目には細身の剣の鍔元に填められたラズの瞳と同じエメラルドグリーンの飾り石が痛いほど輝いて見えた。





 ***


「あぁ。やっぱり君だった」


 暗い部屋の中にポツンと置かれている簡素なベッド。その上に横たわる人物。その顔を見て男は顔を綻ばせた。ベッドの下には僅かに陣が発光する光が残っている。男が近付くと光が消え、そこはほの暗い空間と化した。

 男がその人物の頬に手を伸ばす。枕の上に散らばっているのは栗色の髪。いつもは一つに結んでいるが、此処に移動させた時の弾みで紐が切れてしまったのだろう。首元に紐が落ちていた。それを男は自分の服のポケットにしまい込む。

 愛しげに頬を撫でる手。髪と同じ色をしたまつげにそっと触れる。今は閉じられたこの瞼が開けば美しいエメラルドグリーンが覗く筈だ。今はそれを眺めることが出来ないのが残念でならない。意志の強い瞳は男が何よりも好むものだから。


「ラズ……」


 男がそっと呟く。そう、魔術の陣を使ってこのベッドに移動してきた人物はラズ、と云う。所々に小さな傷を作ったラズの顔色は決して良いとは言えない。けれど穏やかな寝息を立てていた。

 ベッドの上に投げ出された右腕には鋭い刃で切裂かれたような裂傷がいくつもある。既に起動した術式を無理に傷つけようとしたのだろう。そんな事をすれば術式に篭められたエネルギーの一部が飛び出し、その者の身に還るのだ。今のラズのように。

 男は用意していた布で傷口を拭き、薬を塗って包帯を巻いた。“対象”が怪我をしていた時の為にと予め用意していたのだ。ラズが滞在している王城が魔法生物によって襲われるのは男も知っていたから。

 力を持った者が戦う姿は好きだ。けれど傷を負って血を流す姿は好きではない。男がラズを治療するのはそういった自分の嗜好からくるものであって、誰にも与えられるような優しさではない。

 治療を終えると、労わる様にその腕をそっとベッドの上に置いた。


「お疲れ様。今はゆっくりお休み。邪魔者は来ないから」


 ラズの体にシーツを掛け、額にかかった栗色の髪をかき上げる。そして男は優しくその額にキスを落とした。愛する子供にするように、愛しい恋人にするように。

 男の長い金髪がさらりと揺れる。それを耳に掛け直し、男はベッドから立ち上がる。形の良い唇から紡がれるのは柔らかく優しい言葉。


「良い夢を」


 扉が開き、真っ暗だった部屋に一瞬だけ廊下に灯されたランプの光が差し込む。けれどすぐに扉が閉じられ、光は部屋から追い出された。同時に響いたのはガチャンという重い、錠前が閉まる金属音。

 良い夢とは無縁な、無機質で冷たい音だった。

 

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