45.魔石
城門と王城入口の間に位置する前庭。そこには二台の馬車が用意されている。この国とサディア国の殿下達を乗せる為のものだ。当然馬も馬車も一級品。しかも馬車には塔の魔術師が防御用の結界を施している。この馬車に乗り、周囲を騎乗した騎士達が固めることを考えれば、これ以上ない程強固な守りだ。
馬車の前まで着いたマリアベルは手を繋いだヘリオと共に馬の下へ近付いた。良く訓練された馬は二人が手を伸ばしても嫌がる素振りを見せず、大人しく顔や胴を撫でられている。けれど、その隣に繋がれている馬の様子がおかしいことに気づき、マリアベルは首を傾げた。せわしなく前足で土をかき、耳が後ろに下がっている。
(……怯えてる?)
まるで何かから逃げようとしているかのように、少しずつ後ろに下がろうとしている。
「あの、オリバさん」
「はい。どうしました?」
いつものように自分の護衛に当たってくれているオリバに声をかける。彼に馬の様子を伝えようとしたマリアベルだったが、それは別の声に阻まれた。
「剣を抜け!!!」
突然の怒号。マリアベルもオリバも互いから目を離し、そちらの方向へ視線を走らせる。するといつの間にか自分達は透明な塊に囲まれていた。
「何だこれは……」
そう呟いたのは誰だったのか。日光を反射して光る透明な水の塊。それは顔のない人型の人形のようだった。
「水の精霊?」
ぎゅっと握る手に力を篭めたヘリオが呟く。けれどマリアベルは首を横に振った。
「違うわ。あれは精霊じゃない」
精霊ならば感じる筈の意思がない。マリアベルの目には正に文字通りの人形に見えた。けれど一体これらが現れたのは何故なのか。周囲を固めるだけで動きがない。騎士達も剣を抜き、警戒しているものの、どう対応すれば良いのか分からず困惑している。
しかしその沈黙はすぐに破られる事となった。合図でもあったかのように一斉に水人形達が腕を伸ばし、騎士達に襲いかかってきたのだ。
「きゃあ!!」
あっと言う間に美しい王城の前庭が戦地と化す。オリバ達近衛騎士は王子達の楯になるよう水人形に立ちはだかり、剣を振る。けれど、水の塊であるものをいくら斬った所で手ごたえはない。
「殿下!! 馬車の中へ避難してください!!」
同じく剣を抜いたクレイドの指示で全員が馬車の中へ誘導された。馬車ならば左の魔術師が施した結界に守られている。馬車に繋いだ馬達が暴れだしても良いように、すぐに連結が外された。
マリアベルもディンとヘリオに手を引かれて馬車の中へ乗り込む。だがその瞬間、目の前でオリバが二体の水人形から同時に攻撃された。左から伸びる腕を斬り落としたが、見えない死角から伸びたもう一本の腕がオリバの側頭部を殴打したのだ。
「オリバさん!!」
悲鳴に近い声を上げてオリバの下へ駆け寄ろうとしたマリアベルをディンが抱きしめて留める。
「よせ!」
「でも……!」
その時、身に馴染んだ気配が近付いてくるのを感じ取り、マリアベルは迷いなくその名前を呼んだ。
「ブルネイ!!」
空気を裂かんばかりの獣の咆哮。それだけで一斉に水人形の動きが一瞬止まる。優秀な騎士達はその隙を逃さず目の前の水人形を斬り落としてく。けれど斬っても斬っても元に戻る水人形の動きを鈍らせる効果はあっても、倒すまでには至らない。
『小僧!! マリアベルを馬車から出すな!!』
「分かってる!!」
白豹からの指示にディンは叫ぶようにして応え、マリアベルと共に馬車に乗り込む。マック達も各々近衛騎士達の誘導で馬車の中へ避難していた。
「大丈夫か?」
「あぁ、すまん。」
クレイドの手を借り、膝を付いていたオリバが立ち上がる。軽い脳震盪を起こしているが、戦えない程ではない。けれどいくら剣を握れた所で効かないのでは意味がない。
「魔術師もこちらへ向かっているだろうが、到着が遅れていることを考えると此処だけの問題ではなさそうだな」
「あぁ……」
城下の視察が目的であった今日は、馬車の結界だけで魔術師が同行する予定はなかった。その為、今此処にいるのは騎士だけだ。剣が効かないとなれば魔術師の力を借りる他ない。けれど殿下達がいる場でこれだけの騒ぎになっているにも関わらず、未だ魔術師達が現れない所を見ると、恐らく王城内の至る所にこの水人形が姿を現しているのだろう。各所で騎士や魔術師達が応戦しているに違いない。
オリバは目の前で水人形達に対峙している白豹に祈るような気持ちで声をかけた。
「光の精霊殿。あなたはこれらを退ける術をお持ちですか?」
『……根本から消し去るのは容易い。だが、それには必ず代償がつく』
大きすぎる力は必ず犠牲を生む。ブルネイが本気で力を行使すれば正体が分からずともこの水人形達の存在ごと消すことは簡単だ。けれど、この場にいる人間も大地も共にその力の余波受け、ただでは済まないだろう。上位の精霊と言えど万能ではない。
「そうですか……」
今自分達に出来ることは正体不明の敵が王子達に、そして力のない者達を傷つけないよう体力が続く限り足止めすることだけ。
決意を新たに剣を握り締める。その時だ。力強い声がその場に響いたのは。
「サグホーン様!!」
勢い良く開かれた自室の扉。文字通り飛び込んできた弟子の姿に、サグホーンはいつものように穏やかな笑みを向けた。
「結界内に正体不明の魔法生物が多数出現。敵は水を媒体にしたものの様ですが、効果的な撃退法が見つかっていません。それに何より、数が多過ぎます」
「うん。分かってる。結界の損失は?」
「私が確認した限りでは……見られませんでした」
「やはりそうか」
落ち着き払った師の態度に、その弟子テグラルは厳しい目を向けた。いつも不真面目な態度で自分を苛立たせている師だが、このような非常事態の時にまでマイペースを貫けるのは何か裏があるのではないかと思われても仕方がないだろう。
「そんな顔をしないでよ、テグー」
「サグホーン様は、何をご存知なんですか?」
こんな状況でも冷静で居られるのは何か根拠があるからだ。そう確信して問えば、サグホーンは苦笑した。
「残念ながら肝心なことは何も」
「…………」
「陛下の下にはワイズ騎士団長とリケイア殿が付いている。守りは問題ないだろう。魔法生物の対処に関しても既に伝令が回っている。すぐに駆逐される筈だ」
「伝令?」
「シィシィーレの〈風〉だよ」
ラズから水人形の撃退法について皆へ伝えるよう依頼された〈風〉が先程ここにも訪れたのだ。いずれ城内全ての騎士や魔術師達にも伝わるだろう。敵は個々の能力が高くない魔法生物。対処法さえ分かれば国が誇る騎士や魔術師にとって脅威ではない。
「魔法生物達には核となる魔石がある。それを破壊すれば存在を保てなくなり、ただの水に戻る」
「一体何故、そんなものが……」
「それを究明するのが僕らの仕事だよ」
口元には笑み。だが、その目はいたって真剣そのもの。テグラルはサグホーンの本気を汲み取り、指示を仰いだ。
「その為には一体何を?」
「オレゴン兄弟を此処に。それと、トマスを見かけたら一度私の下に来るよう伝えてくれないか」
「承知致しました」
一礼してサグホーンの部屋を出る。テグラルはそのまま移動の陣に乗り塔を出た。今、塔内に殆どの魔術師達は残っていない。既に皆魔法生物の対処に追われているからだ。同僚達を見つける為には塔内より王城の敷地内を探した方が効率がいい。
塔から王城へ続く舗装路を急いでいる途中、のろのろとした動きで自分の前に立ちはだかったモノを見てテグラルは舌打ちした。現れたのは例の魔法生物。思わず眉間に皺が寄る。
「この忙しい時に邪魔をしてくれる」
懐から出したのは左の魔術師達が好んで使う羽根ペン程の大きさの杖。そこに魔力を篭め、空中に描いたのは一つの陣。
だが、その間にも水人形達はテグラルとの距離を詰めていた。それぞれが伸縮自在の腕を伸ばしてくる。
「鬱陶しい」
それらが自分に触れる直前、陣が完成し、テグラルは迷わず魔力を注ぎ入れる。するとその陣に触れた水の腕が次々に動きを止めた。否、凍りついたのだ。テグラルが描いたのは触れたものから温度を奪う術式。水人形達は腕からどんどん凍り付いてく。瞬く間に全ての水人形達がただの氷の塊に変わる。その一体に近付き、テグラルは眼鏡の奥の目を細めた。
「成る程、魔石か」
傍で観察すれば確かに一体の水人形につき、一つの魔石が体内に埋まっていた。これが意思のある生物のように水の塊を操っていたという事になる。
(目的は……なんだ?)
一体一体が持つ魔力も攻撃力もそれ程強いものではない。本気で城を締め落とそうとするのなら、陳腐としか言いようがない。
次に炎を生み出す陣を描き、一気に水人形達を高温の炎で包み込む。すると一瞬で水が蒸発すると同時に、熱疲労の現象によって魔石はバラバラに砕け散った。
『魔石を斬れ!!』
響いた声に導かれ、ネイは目の前の水人形の頭部で鈍く光った塊に向かって剣を振り落とした。どれだけ水人形を切裂いても無かった手ごたえが初めて剣を握る手に届く。キィンと澄んだ音と共に、水人形は地面でただの水溜りと化した。
「……助かった」
体制を整えながらネイが声をかけたのは自分の隣。四肢をつっぱり、いつでも敵に飛びかかれる体制になっている黒豹がそこに居た。先程の助言はグライオだった。
「ラズは?」
『こちらに向かっている。傍には〈風〉の一人がおる』
「そうか……」
『すまぬ』
唐突な謝罪。助けられはしたが、謝られるような事はされていない。グライオの声を共に聞いた騎士達が目の前の敵を屠っていく中、ネイは周囲を警戒しながら訊ねた。
「何がだ?」
『お主の願いを全う出来なかった』
グライオは、傍に居られない自分の代わりにラズを頼むと言ったあの言葉を忠実に守ってくれようとしたのだ。生真面目な黒豹にネイの心の奥が暖まる。
「いや、いい。お前が来てくれて助かった」
『…………』
こんな状況だと言うのに、グライオの胸に宿るのは喜びの感情。それをこの場で言葉に出来ないのは残念だが、約束を違えた分己の契約者を守ろうと改めて誓う。
ちらりと横目に見れば、自分の助言を聞いた己の半身である光の精霊もまた、着実に水人形を一体一体沈めていた。今馬車の中に避難している巫女を守る為に、ブルネイも最後まで戦うだろう。此処に来るまでの間に王城内を飛び回っている〈風〉の姿も見た。事態が沈静化するのもそう遠いことではない筈だ。
「来るぞ」
『問題ない』
新たな水人形達が現れる。互いに譲れないものを守る為、一人と一匹は地面を蹴った。
***
「これも、先見の内かい?」
自分の執務室に現れた人影に、サグホーンは普段と変わらぬ口調で問いかけた。椅子に腰掛けている自分とは違い、相手は目の前に立っている。砂色の髪に黒縁眼鏡。まだ小柄な少年はこくりと首を傾げた。
「どういう意味ですか? ホーン様」
「そのままの意味だよ。トマス」
弟子の中でも一番若い少年にサグホーンは世間話でもしているかのような口調で続ける。
「陛下の下へは行ったのかい?」
「僕は、陛下の御前に出れるような者では……」
「君にそんな遠慮は必要ない筈だろう」
トマスの言っていることは正しい。まだ塔の魔術師とはいえ、まだ見習いである彼がおいそれと陛下を訪ねていける訳がない。けれどそんな彼の言葉をサグホーンはあっさりと否定する。するとトマスは口元に笑みを刷いた。少年らしくない、老練さを感じさせる笑みを。
「……なんだ、気づいていたのか」
「えぇ。まぁ、なんとなくですが」
途端に二人の口調が変わる。まるで立場が入れ替わったかのように。サグホーンはトマスにソファを勧め、二人はそちらに移動した。
トマスは目を細めて向かいに座ったサグホーンを眺め、楽しそうに片眉を上げる。
「それで、他の者は?」
「知らないと思いますよ。テグラルは薄々感づいているようでしたが」
「はぁ、やはりか」
「あの子は勘の鋭い子ですからね。それで、この事態をどう見ていらっしゃるんです?」
その問いにトマスの表情から笑みが消える。
「残念だが、私の先見には無かった事態だ」
「そうでしたか……」
「逆に言えば、国を左右する程の事ではないのかも知れぬがな」
「確かにそうも取れますが……。そう楽観的にはなれないのですよ」
「この騒ぎが罠なのか、それとも様子見なのかは分らんな。けれど意味のない事ではないはずだ」
「でしょうね」
力の無い街の住人達が相手ならともかく、鍛えられた騎士と熟練した魔術師達が集まっているこの王城を攻め落とそうとするにはあまりに幼稚すぎる。だからこそ、今回の襲撃そのものが目的だとは考えにくい。結界が無傷だったことから考えても、このまま事態が無事に終息すれば与えられたダメージは無いに等しい。
けれどあれだけの量の魔法生物を生み出す為に、首謀者が用意しなければならなかった魔石の量は相当のものだ。それだけの労力を払うだけの価値がどこかにある筈。
「オレゴン兄弟は見つかったのか?」
トマスの言葉にサグホーンは首を横に振る。
「魔法生物の駆逐に加勢しているのだと思いますが、まだ」
「そうか」
水に影響を及ぼす魔力を秘めた魔石。水人形達に埋め込まれていたものよりも遥かに大きな魔石が彼らの手元にあることはリケイアの報告を通して知っている。今回の件にその魔石が絡んでいることは確かだろう。
水人形達の魔石とオレゴン兄弟が解析中の魔石。王城を襲った原因となる魔石と国を今も苦しめている呪いの原因かもしれない魔石。どちらも同一人物が造り出したものだとすれば、その者を塔は全力で追う必要がある。
その時、強大な魔力が大気を震わせる。サグホーンとトマスは素早く立ち上がり互いに無言で頷くと、その場から姿を消した。




