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41.巫女

「やぁ、アレク。君から訪ねてくるなんて珍しいね」


 右の魔術師フレアレクはその日、早朝から同期であるケヴィーノ=オレゴンの自室を訪ねていた。用件はオレゴン兄弟が解析を担当している魔石について。相方である弟のセフィルドは奔放な性格で、人付き合いの嫌いなフレアレクにとって実に苦手な相手だ。それ故、迷うことなくフレアレクは真面目で紳士な兄であるケヴィーノの方を選んだ。


「さ、入って」

「……お邪魔します」


 歯切れの悪いフレアレクの様子にも慣れているのか、ケヴィンは気にせず彼にソファを勧める。まだ仕事を始める前だった彼の部屋は綺麗に片付いていて、例の魔石も目に触れる所には置いていないようだった。


「それで? 用件はなんだい?」

「……君が持っている、魔石について」


 するとお茶を用意していたケヴィンの手が止まる。そして居心地悪そうに体を縮めてソファに座っている彼の顔を見た。おどおどした態度は相変わらずだが、目を逸らさない所を見ると真面目な用件なのだろう。


「それはラズ殿から預かっている魔石のこと?」

「あぁ……」

「そうか。続きを話して」

「……解析は、ど、どこまで進んでいる?」


 淹れ終わった香りの良いお茶を客人の前に出す。だが、フレアレクがそれに手をつける様子は無い。早く教えてくれと言わんばかりだ。


「申し訳ないけど、私はラズ殿に依頼を受けて解析をしている。依頼主の許可も得ずに詳細を話すことは出来ないよ」


 ラズとフレアレクが既知の間柄だというのは勿論知っている。けれどこれとそれとは別問題。あくまで魔石は預かり物なのだから、ラズの意向を確認しなくてはならない。そう説明すれば、フレアレクは明らかにがっかりと肩を落とした。


「何かあったのかい?」

「……セシュールが」

「セシュール? あぁ、君が保護した水の精霊だね。あの子がどうしたの?」

「昨日から様子がおかしいんだ」

「おかしい?」


 フレアレクが契約し、セシュールと名づけた〈水〉は元々魔石の魔力に侵され、自らの意思を奪われていた。だが、フレアレクの魔力置換の処置で今は正常な状態に戻ったと聞いている。その〈水〉の様子がおかしいと言うのなら、確かに魔石が関係しているのかもしれない。彼が此処を訪ねてきたのはその為だったのだろう。


「おかしいって、どんな風に?」

「周囲から魔石の魔力を感じると言うんだ。」


 この塔でケヴィンが預かっている魔石は解析中以外厳重に封じてある。封じる為の箱を作成してくれたのが結界専門の優秀な魔術師であるテグラルだからぬかりは無い筈だ。今ケヴィンと双子の弟セフィルドで魔石から込められた魔力を外に解放しないまま、解析をする為の方法を模索中なのだから、預かっている魔石から漏れた魔力を感じ取っているのだとは考えにくい。


「私の手元にある二つの魔石はまだ一度も魔力を解放させていないんだ。原因が此処にあるとは思えないが……」

「でも……魔力を感じ取っているのは確か、なんだ。再び魔石に意思を奪われるんじゃないかと……今も、怯えている」

「セシュールに魔力の源を探させることは出来ないのか?」


 するとフレアレクは悲痛な表情で首を横に振った。


「少しでも魔力を感じると混乱が酷くて無理だ。俺も彼女の内側(・・)に入れさせてもらえない」

「まともに話も出来ない状態なのか……」


 溜息を吐き、ケヴィンがソファの背に体を預ける。もしも本当に城内で魔石と同様の魔力が発せられているとすれば大問題だ。何せこの魔石が、この国の呪いの原因だとラズによって推測されているのだから。


「君はどうなんだ? アレク。その魔力を感じないのか?」

「……何も。他の〈水〉達も何も感じてないらしい。一度魔石に侵されたセシュールだからこそ、ほんの僅かな魔力に反応しているのかもしれない」

「それはまた…対応が難しいな」


 例えば飲み水の中に毒が入っているとする。それが体に害を及ぼすほどの量ではなく、影響がないぐらい薄まっていれば飲んでも問題にはならない。ラズの予測通り魔石が呪いと関係しているとなれば、国内の水から微量の魔力が見つかるのは当たり前のこと。今更セシュール一人だけが気づける程度の魔力量を上司に報告した所で、今はサディア国訪問の最中。対応に追われて忙しい塔が動くとは思えない。


「アレク。気の毒だが、今の所打つ手は無いよ」

「そう、か。……分かった」

「リケイア様には報告を入れておく。何か他に気づいた事があったらまた教えてくれ」

「あぁ……」


 トボトボと部屋を出て行くフレアレク。結局お茶は冷めたまま口をつけられることはなかった。





 ***


「へー。ここがネイの部屋なんだ」


 八畳程の広さの部屋にベッドとテーブル、クローゼットが一個だけ。実にシンプルだが、片付いているせいかそれ程狭さは感じない。大浴場から移動して部屋に通されたラズは、勧められるまま木製の椅子に腰を下ろした。


「すまなかった」

「え?」

「その……、宿舎の大浴場など客人に勧められる所ではないから」


 珍しく歯切れの悪い様子でネイが呟く。余程申し訳ないと思っているのか、こちらを見ようともしない。だからラズは明るい声を意識してそれに応えた。


「あぁ。気にしないで。ここの部屋にもお風呂ってないみたいだけど、皆あそこに入るの?」

「風呂は上官の部屋にしかない。他は大浴場を使っている」

「ふーん。そうなんだ」


 騎士達が何百人と詰めているのだ。流石に一部屋ごとに風呂を設けるという訳にもいかないのだろう。

 不意に濡れた髪から雫が落ちてラズの首筋を濡らす。その様子に一瞬で目を奪われたネイは、ラズに気づかれないよう慌てて視線を逸らした。


「……朝食はここで食べるか?」

「え? いいの?」

「あぁ。食堂から食事を持ってくる。それまでに着替えておいてくれ」

「うん。ありがとう」


 着替えを手渡し、足早に部屋を後にして廊下を進めばあっと言う間に食堂の前まで着く。するとそばかすの残る新人騎士がまだ床を掃除していた。けれどそんな事にはもう関心がないのか、ネイは彼に目もくれずに食堂へ入っていく。

 食事を受け取る列に並び、トレイを持ってカウンターの前まで行くと、何故か配膳の女性にがっかりとした顔をされた。


「なんだい。結局一人なのかい」

「?」


 突然文句を言われてもネイには何のことやらさっぱりだ。一方、食堂のおばちゃんは深い深い溜息をついた。

 今日は食堂のテーブルに座ったまま誰かを待っている様子だったから、きっとラズと一緒に食事をする為に待ち合わせしているのだろうと思っていたのだ。だから朝にぴったりのフルーツゼリーだって用意して待っていたのに。一時姿が見えなくなったと思ったら、再び姿を見せたのはネイ一人。文句の一つも言いたくなるってものだ。

 やるせない気持ちでスープをよそれば、ネイはそれを受け取りつつ、もう一つ皿を指差した。


「二人分載せてくれ」

「……二人分?」

「あぁ。部屋でもう一人共に食べるのが居るから……」


 言った途端、おばちゃんの顔が輝く。それには流石のネイも驚かされた。


「なんだい! そうならそうと早く言いなよ!! 待ってるのはあの子なんだろう? あぁ、ゼリー出してやんなきゃね」


 ウキウキした様子で一人しゃべるおばちゃん。その様子にネイが口を挟む余裕など無い。あっと言う間に二人分の朝食とデザートがトレイの上に載せられ、ご機嫌なおばちゃんに見送られて食堂を出る。すると先ほどまで姿が見えなかったグライオがいつの間にか隣を歩いていた。


『すまぬ。我がついていれば……』

「いや、ラズに伝言を頼まれて傍を離れたんだ。気にすることじゃない」


 二人揃って部屋に戻る。ドアを開ければ、中でラズがテーブルに臥せっていた。慌ててテーブルにトレイを置き、顔を覗き込む。だが聞こえてきたのはすやすやと穏やかな寝息。どうやら待っている間に転寝してしまったらしい。

 せっかくの朝食が冷めてしまうが仕方が無い。ネイは黙ってラズを抱え、自分のベッドで横にした。

 ネイはどうしてラズが性別を偽って城に滞在しているのかを知らない。けれどもし、素性がバレて彼女が此処に居られなくなったら……。それを考えると迂闊に真実を問えなかった。今日のように性別がバレる様な危険があれば、事実を知っている自分が彼女を守ってやらなくては。

 気づけば、ラズの肩に寄りかかって全身真っ黒な小人が数人寝むりこけている。それまで精霊の姿などロクに見えなかったのだが、コライムの泉でグライオと出会ってからというもの、こうして時折その姿を目にするようになっていた。何故だかは知らないが、特に害は無いのでその事について追求した事はない。


(ますます起こしにくくなったな)


 ベッドに日光が当たらないよう開けていたカーテンを半分閉める。ネイはその寝顔を眺めながら先に朝食をとることにした。その足元では黙ってグライオが横になっている。


 今日はサディアとトゥライア、両国の殿下達にマリアベルを加えたメンバーで城下の視察に行く予定だ。近衛のネイも護衛に加わる為、今日も一日ラズとは行動を共にする時間は無い。その間グライオには彼女の傍に居て貰う事になっている。

 難しいことは良く分からないが、グライオは自分と意思疎通が出来る。だからコライムから王城に帰ってきてすぐにラズの傍に居てくれるよう頼んだ。人懐っこいこの黒豹は上位の精霊らしい。魔術師ではない自分に何故これ程協力してくれるのかは知らないが、聞かずともグライオは無条件で自分の味方で居てくれるとネイは確信していた。

 幼少の頃、自分はグライオと会っているのだと聞いている。未だ思い出せないが、協力してくれる黒豹を見ていると早く思い出してやりたいとも思う。

 ユラユラとしっぽを揺らしながら体を丸めている黒豹。ベッドの上で気持ち良さそうな寝姿を見せている大切な女性。そしていつの間にか彼女と黒豹の傍にいる、黒い小人達。この不思議で温かな光景の中に自分がいる。それだけでネイの心が自然と穏やかになっていく。こんな時間を、人は幸せと言うのだろうか。



 その時のネイにどうして思えただろう。これがラズの姿を見る最後になるかもしれないなんて。





 ***


 庭に面したサロンでは両国の殿下達とマリアベルが顔を揃えていた。これから馬車に乗って城下の視察へ行く所で、その準備が終わるまでの時間を此処で過ごすことになったのだ。

 民にも公表している視察の為、皆夜会の時ほどではないにしてもそれなりに見栄えのする公式な衣装を身に就けている。マリアベルに関してはドレスではなく神殿の正装だった。


「流石巫女殿。厳粛な正装もお似合いになりますね」

「ありがとうございます。昨夜からお褒めの言葉をいただいてばかりで恐縮です」


 ヘリオのエスコートで席に着いたマリアベルは開口一番褒め言葉を口にしたフェイロンに頭を下げた。彼は優美に微笑みながら首を横に振る。


「本当のことを幾ら言った所で誰も咎めませんよ。なぁ、ディン?」

「少しはその軟派な口を閉じればどうだ? フェイ。お前の株も少しは上がるかもな」

「おいおい。辛辣だな。こっちは昨夜初めてお会いしたばかりなんだぞ。ちょっと話す時間をくれたっていいだろう」


 するとディンはケッと言い捨て、不貞腐れたようにそっぽを向く。その態度をマックが窘めたがどこ吹く風だ。けれど自分達がホスト、フェイロン達がゲストという立場はわきまえているのだろう。これ以上会話の邪魔をする気はないらしい。それを確認して、フェイロンは再びマリアベルに向き直った。


「マリアベル殿は此処に滞在してからどの位になるんです?」

「二ヶ月くらいだと思います」

「へぇ。もうしばらくは此処に?」

「その予定です」

「それは神殿からそのように? それとも陛下から?」

「陛下のご好意で、こちらに滞在の許可をいただいております。この国の為に神殿で祈りを捧げる毎日ですわ」


 にこにこと会話を交わす二人。実に面白くなさそうにそれを見ているディンに対して、マックはこっそり溜息をつく。


「昨日マック達とも話をしたんですが、この辺りに随分と精霊が増えた気がしていたんです。それは貴方の祈りの影響なのでしょうか?」

「まぁ、それは初耳でした。フェイロン殿下は精霊がお見えになるのですね?」

「えぇ。多少ですが。」

「よく見かけるのは木の精霊ですか?」

「あぁ、言われてみれば確かにそうですね」

「ならきっと原因は私ではなく、魔術師のノイメイ殿の影響だと思います」

「魔術師? 塔の?」

「えぇ。彼に紹介して貰ってから、それまで見なかった沢山の〈木〉達と会うようになりました。精霊達は増えたのではなく、人を恐れず姿を見せてくれるようになったからそう見えるのだと思います」

「成る程。てっきり貴方が精霊達を呼んだのかと」


 にこやかな笑みを崩さないフェイロンの言葉に、マリアベルは苦笑する。


「……私に、そんな力はありませんわ」

「フェルノーイの愛し子と呼ばれる貴方でも?」

「フェルノーイ様は私にお言葉をかけることがあっても、何がしかの力を与える事はありません。それは精霊達も同じことです」

「へぇ。女神様からお言葉を頂戴することが出来るなんて凄いですね。貴方はそのお言葉に従って日々を過ごしていらっしゃるのですか?」

「フェイルノーイ様の為に出来ることがあるのならば従うのは神殿の者の務めです」

「僕には想像もつかないなぁ。それで、貴方は何を?」

「え?」

「貴方は此処で、何をしていらっしゃるのですか?」


 その一言でさっとマリアベルの顔が青ざめる。それでも真っ直ぐに彼女を見つめるフェイロン。その視線に雁字搦めに囚われて、マリアベルは言葉を失っていた。

 マリアベルが託宣を受け入れて此処に来た事は公表されていない。けれどマリアベルが言葉を発することが出来ないでいるのはその事を口に出来ないからではない。目の前の王子から感じる強い意志が、自分を責めているような気がするのだ。

 不穏な空気がサロンに流れる。そんな中、沈黙が続く二人の間に入ったのはマックの冷静な一言だった。


「話をしていなかったか? 神殿との交友を深める為に、父上がお呼びになったのだ」

「あぁ、そうだったな」

「フェイ、お前何を……」

「失礼致します」


 はっと全員が顔を上げる。それまでの空気を破るように、ツカツカと音を立てながらサロンに入ってきたのは栗色の髪を後ろで一つにまとめた若い男。予定になかった訪問者に、彼を見たダンが思わず声を漏らした。


「ラズ……」


 その呼びかけには応えず、彼らの前でラズは頭を下げる。


「マリアベル様のお加減が優れないようですのでお迎えに上がりました。この場を中座するご無礼をお許しください」


 突然の事で唖然とする一堂の中でラズだけがマリアベルの傍に行き手を差し伸べる。震える白い手を取り彼女を立たせると、ゆっくりとした足取りで二人はサロンの出口へ向かった。だが、それを引き止めるようにフェイロンの言葉が追ってくる。


「トゥライアの為、フェルノーイの為。貴方の話はそればかりだ。そこに貴方の意思はあるんですか」


 肩を震わせ、ぎこちない動作で後ろを振り返ろうとするマリアベル。けれどラズはその肩を力強く抱いて彼女を押し留めた。


「それとも巫女ってのはそういうものなんでしょうか? 自己犠牲の塊になることが女神の意思ですか?」


 足元から這い上がってくる不安、眩暈、そしてフェイロンのもの

ではない(・・・・)言葉の数々。次第にマリアベルの視界が歪み、心が空っぽになっていく。

 その時、力強い声が彼女を呼んだ。


「マリアベル」


 迷子になってしまった幼い少女のように怯えるマリアベルに、ラズは両手を差し出した。


「おいで」


 その一言にくしゃっと表情を歪め、マリアベルは隣に居る幼馴染にしがみつく。そんな二人の姿に、フェイロンは冷たい視線を浴びせた。


「それがシィシィーレのやり方ですか?」


 現実を見せずに、都合の悪いことに耳を塞いで綺麗なものだけを信じさせることが。巫女を都合の良い傀儡にすることが。

 フェイロンが言いたい事を理解していても、その言葉には何も答えずラズは頭を下げて退出した。そして心の中だけで憎々しげに呟く。


(何も知らないくせに……)

 

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