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30.過保護

 ネイが眠るベッドの脇には騎士の証である剣が立てかけられている。その横、絨毯の敷かれた床の上では黒い豹が横になっていた。まるで猫のように体を横たえ、交差した腕の上に顎を載せている。

 すっかり寝入ってるように見えた黒豹の耳が不意にぴくりと動いた。


『久しいな』


 空気に溶けるような声は頭上から。グライオが閉じていた目を開けると、そこには風の精霊が二人、音もなく姿を現していた。突然の訪問に驚くこともなく、グライオはのんびりと大きな欠伸をする。


『懐かしい匂いがすると思ったらお主らとはな』


 その声に睡眠を邪魔されたことに対する不機嫌さは含まれていない。それどころか金色の目が透明な彼らの姿を捉え、愉快そうに細められる。それを確認して〈風〉の一人が昼にラズが聞けなかった疑問を口にした。


『随分懐いているようだが、ネイザンを知っているのか?』

『あぁ。この小僧は我の恩人だ』

『恩人?』

『なんだ、ヒトに興味があるのか?〈風〉にしては珍しい』


 くくくっと喉奥が震えると共に彼の髭が揺れる。すると男性的な〈風〉が片眉を上げた。


『それはこちらの台詞だ。お主のような上位の者がヒトに恩があるとはな』

『未熟者ゆえの失態だ。しかし、あの娘がコレのヨメではないとは意外だった』


 すると〈風〉の眉間に皺が寄る。この精霊の不機嫌そうな顔など滅多にお目にかかれるものではなく、グライオはこっそりほくそ笑む。


『あの二人がそう(・・)ではないと、最初から分かっていた筈だろう』

『そう怒るな。コレの感情が随分と動くものだから、ついからかってみたくなったのだ』

『己の契約者をからかうとは……』


 美麗な面に呆れ顔でため息を付かれてもグライオはただ笑みを深めるだけだ。


 本人は覚えてないようだが、グライオはまだ少年だったネイと契約を交わしていた。あの時はどうしようもなかったとは言え、その後幼い彼に随分と酷な運命を強いてしまったと後悔もしている。元々の性格もあろうが、己との契約のせいで彼は感情を面に出さなくなってしまったのだ。だから距離を取った。これ以上彼を異質にしない為に。それでもこうして会いに来てしまったのは、最近彼の感情に変化を感じたからだ。

 〈風〉が言った様にラズがネイの“ツガイ”ではないと知っていた。何故なら契約者であるネイの感情がグライオに伝わってくるからだ。そして同時に幼い頃に凍りついてしまったネイの心を溶かしているのもラズだと知った。だから単純に会ってみたかった。心を溶かしつつある自分の大切な契約者と、その相手であるに。


 そしてそれ以上にネイを本質的に求めるものがあった。あの時の状況下であろうが気に入らない人間と精霊が契約を交わすなど有り得ない。きっとあの時出会っていなかったとしても、いつかは出会い、そして契約を求めた筈だ。それ程ネイはグライオにとって運命的とも言える相手なのである。

 昼に同胞から居場所を聞いたと言ったが、正確には補足説明を求めたに過ぎない。契約者であるネイの居場所は聞かずとも分かるのだから。


『そういうお主らはあの娘と契約を交わしたのではないのか?』


 ネイザンと共にいた碧の目が印象的な若い娘。己の契約者を変えた娘。彼女とこの〈風〉達の間には確かに深い絆が見えた。

 すると女性的な〈風〉がくすくすと笑った。


『残念ながら違うわ。でも私達はあの子を自分のものにしたいわけじゃないの。あの子は私達の友達なのよ』

『トモダチ?』

『あぁ。そうだ。あれは友だ。そして我々の娘でもある』


 その言葉にグライオは目を丸くした。そしてクッと喉を鳴らす。


『ほう。上位精霊を親に持つか。それは面白い』


 人よりも遥かに長い時間を生きるグライオだが、こんなのは初めて聞く事例だ。


『しかし、ネイザンがお主を使役するとはな』

『こちらはその気だが。コレにその気があるかは分からん』

『勿体無いことだ。お主の力を手に入れたい者などゴマンといるだろうに』

『その価値が分かっていないからこそ手を貸すのだ』


 当然上位精霊の力ともなれば求める人間は多い。上位と契約を結べる人間などトップの魔術師が集まる塔であってもほんの一握りだ。

 そもそもほとんど魔力のないネイはグライオと同等とは言えない。それでも契約者として問題なく過ごしていられたのは、お互いがお互いに一方的な搾取を望まないからだ。上位であるグライオは魔力をネイから供給されなくても問題はなく、自分が契約者だと知ってもネイはそれ以上をグライオに望まないだろう。

 それでもグライオは彼の傍にいることを選んだ。例えネイ自身が自分の力を必要としていなくても、いつか来るかもしれないその時の為に彼の傍に居ようと決めたのだ。


『成る程ねぇ。グライオがそれ程過保護だとは知らなかったわ』

『それはお互い様だろう』

『確かにな』


 三人の精霊が自分の大切な者達を思って笑みを交し合う。雲のない夜空に星が瞬く、コライムの静かな夜の事だった。





 ***


 ラズは思わず顔を引きつらせた。

 二人の目の前ではフレアレクが馬に乗っている。というか、しがみついている。これから王都へ帰還する所なのだが、残念ながら馬は二頭しかいない。そこでネイがラズと共に騎乗し、空いた馬をフレアレクに貸すことになった。だが、


「うわぁぁぁ、あぁ、まって……、動かないでぇぇ……」


 流石引きこもりと言うべきか。どうやら彼は馬に乗れないらしい。先程なんとか乗り上げたものの、馬を御することが出来ずに振り落とされないようしがみついているだけだ。なんとも情けないが、馬も乗せるのが嫌なのか首を振って彼を拒絶している。これでは何時まで経っても出発できない。


(まさか馬に乗れないから移動魔法を多用してるんじゃあ……)


 そうラズが思っても仕方がないことだと思う。何とか漏れそうになる溜息を我慢して、ラズはフレアレクの下へ行き、馬を宥めて彼を下ろした。


「大丈夫ですか? フレアレクさん」

「だ、だだだ、だめ……です……」


 馬屋の地面にべったりと座り込み、涙目でしょんぼりと肩を落としている。ラズは腰が抜けた彼に手を貸して立たせた。


「仕方ないですね。俺と一緒に乗りましょう」

「え? いいんですか?」

「えぇ。体格差を考えると、ネイとフレアレクさんが一緒に乗るよりは馬に負担がかからないでしょうし」


 見る見るうちにフレアレクの表情が明るくなる。その顔には助かった、とありありと書かれている。それを見ているとなんだか可笑しくなってラズはつい笑ってしまった。

 だが、寒気を感じたかのようにフレアレクがビクッと体を震わせる。彼の後ろには無表情で佇むネイの姿があった。


「あ……あの……」

「…………」


(ひぃぃぃぃぃいいい!!!)


 フレアレクは内心叫んだ。黒髪の近衛騎士は明らかに自分に対して怒りの感情を向けている。それもフレアレクに逆らうことを許さない絶対零度の視線を向けて。


「……ラズ、さん」

「はい?」


 そんな彼の視線に気づかないラズは顔を青くした魔術師の様子に首を傾げながら返事をした。


「や、やっぱり、私……、一人で乗ろうかなぁ……なんて……」

「フレアレクさん。男と二人乗りなんて嫌でしょうが、さっきの調子じゃ無理ですよ」


(それはそうなんですけどぉ~~~)


 板ばさみにされて頭を抱え込むフレアレクだったが、そこに救いの手が現れた。それまで三人の様子を傍観していたグライオがさっと身軽な動きで先程の馬の背に乗ったのだ。グライオの体は大きいが、精霊である彼に重さなどあってないようなものだ。馬がそれを気にした様子はない。


『我が同乗しよう』

「え?」

『馬ごとき御するのは容易い事』

「ほ、ほんとですか~~~~!!!」


 わたわたと慌てて乗り込むと、確かに馬は暴れなかった。ほっと胸を撫で下ろしてフレアレクは手綱を握る。


「で、ではでは、お願いします……」

『怯えるな。主の自信の無さは馬が敏感に感じ取る。だからお主は嫌がられるのだ』

「は、はい!」


 しゃきっと背筋を伸ばすと馬はゆっくり歩き出した。今グライオの姿は一般人には見えなくなってるから、端から見ればフレアレクが馬を操っているように見えるだろう。彼の馬が馬屋から出て行くのを見送ってラズも自分の荷物を担いだ。


「じゃあ俺たちも行こうか」

「あぁ」


 ラズが振り向くとネイに先程までの不機嫌さはすでになく、穏やかな瞳が見返すだけだ。慣れた手つきで先にラズが馬に乗ると、その後ろにさっとネイも跨る。そのまま彼が手綱を握るとまるで後ろから抱きしめられているような気がして、ラズの心臓がドキリと鳴った。


(お、…落ち着け……。なんでこんな時に思い出すの馬鹿!!)


 無意識にフラッシュバックしたのはいつかの夢。ネイに抱きしめられ、甘い甘い熱を与えられて彼の名前を何度も呼んだ夜。


(だから思い出すなってぇぇぇ~~~!!!)


「ラズ?」


 呼ばれると同時に彼の吐息が耳にかかる。きっと耳が真っ赤になっていることだろう。けれどこの顔をネイに見られるわけにも行かず、振り返ることが出来ないままラズは何度も己を落ち着かせようと深呼吸した。


「……何?」

「どうした?」

「い、いや。何も……。フレアレクさん達と離れるから早く行こう!」

「あぁ」


 特に気にした様子もなく、ネイは馬の腹を軽く蹴る。二人の馬もゆっくりと歩き出し、ラズは赤い顔を冷やそうと自分の両手を頬に当てた。






 ***


 可愛らしい調度品で飾られた一室で二人の人物が優雅にお茶を楽しんでいた。白く塗られ細かな細工が施された木製のテーブルの上には鮮やかな彩りのフルーツタルトが切り分けられている。フォークを握った白く細い手がその皿に伸びた。


「トゥライア? えぇ、そう言えばそんな時期ですわね」


 タルトを一口頬張った後今思い出した、とでも言うように彼女は零した。

 彼女、ティナトナはサディア国の第一王女である。サディア王家の特徴でもある艶やかな紺色の髪は緩やかにカールし、前髪は眉の上で真っ直ぐに切り揃えられている。空色の大きな猫目を縁取る睫毛は長く、桃色の唇は豊かにふっくらとしていてキメ細かな彼女の白い肌に映える。可愛らしく微笑めばまるでお人形のようだと周囲に囁かれるのは本人も自覚しているが、今の彼女にその笑みはない。

 そんな彼女のお茶の相手、兄のフェイロンは彼女に気づかれないようそっと溜息を吐いた。


(何かそう言えば、だ)


 端から見ても明らかに自分の妹は浮かれている。期待に輝く表情もそうだが、妹姫付きの侍女から最近ドレスを新調したとも聞いていた。着々と妹はトゥライア行きの準備を進めているようだ。

 彼女と同じ癖のある紺色の髪を一度手で梳き、フェイロンは妹とは違う琥珀色の目を細めた。


「今回の夜会はマックとディンが進めているようだな」

「まぁ、そうですの。マクシミリアン殿下ならさぞご立派にお役目を果たされることでしょう。ディストラード殿下はどうか知りませんが」


 名を口にした途端そわそわと空色の瞳が動く。こんなに妹の恋心は分かりやすいのに、気づかないあの相手はどれだけ鈍いのだ。


「楽しみだな、ティナ」


 揶揄するようにフェイロンが口の端をあげると、彼女はさっと頬に朱を走らせた。


「べっ、別にわたくしはそれほど楽しみな訳じゃありませんのよ。あちらに言っている間はお友達とも会えませんし。まぁ、でもトゥライア城の庭園は美しいことで有名ですから、それが楽しみと言えば楽しみかも……」

「あぁ。王子達に庭園を案内してもらえばいい」

「べっべべべべ別にわたしくは何も殿下と一緒に行きたいだなんて……」

「マックとディンは忙しいだろうから、ダンとヘリオがいるだろう」


 すると興奮と動揺で早口になっていたティナトナの表情が一気に翳った。ひどく落ち込んだその様子に、フェイロンは我慢できずに肩を震わせる。


「……そ、そうですわね。って、何笑っているんですの!! お兄様!」

「くくくくっ、いやだってお前…、分かり易過ぎ」


 あははははっ、と声を出して笑われ、ティナトナはキッと兄を睨みつける。


「もう! わたくしで遊ばないでくださいまし!」

「悪かったよ。そう怒るな」


 そう言いながら彼の笑いの発作はそう簡単に治まらないようだ。フェイお兄様はいつもそうなんだから、とティナトナは頬を膨らませる。でもこのままでは面白くないと、彼女は澄ました表情を作って口を開いた。


「そう言う兄様こそ浮かれているんじゃなくって?」

「はぁ? なんで俺が」

「あちらに行けば噂の巫女殿に会えますものねぇ?」

「あぁ、“解呪の巫女”か」


 そう言ってフェイロンは笑みを消した。その声にはどこか嘲りを含んでいるようにも聞こえる。


「相当な美人だって話ではないですか」

「いくら美人でも相手が決まってるんじゃなぁ」


 その呟きにティナトナはピクリと頬を引きつらせる。聞くべきかどうか迷ったが、どうせ自分の想いはこの二番目の兄には知られているのだ。そう開き直って恐る恐る訊ねた。


「……やっぱりあの話は本当ですの?」

「さぁな。でも陛下の話じゃ、それを確かめに行けってんだろ?」


 女神フェルノーイに祝福された神殿の巫女。彼女の噂は隣国であるサディアまで届いている。そしてトゥライア王家が彼女を妃として迎えようとしていることも。

 トゥライアは女児の出生率が非常に低い国だ。王家に男児しか生まれなかった以上、王子達の妃は自国の貴族の娘か、他国の王女を娶るだろうと思われてきた。ところが地位としては一般人である巫女を王城に向かえた。表向きは神殿との交流の為となっているが、その実妃候補であることをサディアは密偵を通じて知ったのだ。

 何故巫女なのか。そこに重要な何かがあるとこの国の国王が判断した。


「……。騙しているようで気が引けますわ」

「ティナ」

「…………」

「お前は何もしなくていい。全部俺に任せておけ」

「フェイお兄様……」


 二人の美しい兄弟は静かに中身の冷めかけたティーカップを口元に運んだ。

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