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27.二人目の王妃候補

 

 ネイがいつも通り部屋のドアを開けると、ラズは朝食を終えて執務用のデスクに座っていた。手元には食後のお茶と書類。ラズは城の文官達に比べても朝が早い。ネイが訪れれば大抵既に仕事を始めている。

 ラズが顔を上げ、笑顔を向けた。


「おはよう、ネイ」

「おはよう」


 ラズは挨拶する時必ず名前を呼ぶ。それがとても心地良く、自分の名を口にするその声にネイはいつもほっとする。今日も自然と頬が緩んでいる事に気付かないまま、彼はラズの元へ移動した。


「早速なんだけどコライム調査の許可が出たんだ。これからの予定を話したいからちょっと座って」


 二人で対面式のソファへと移動する。ローテーブルの上に広げられたのはコライムへの地図。王城から真南、深い森林地帯の手前にある百人に満たない人口の小さな町だ。旅の行程はそれ程難しいものではないが、以前訪れたイーシャよりも距離がある。


「この辺りまで行くにはどの位かかるかな?」

「片道二日。調査の時間を考えれば全部で四・五日みた方がいいだろうな」

「うーん。四・五日か……」


 それを聞いて難しい顔をするラズ。何が問題なのか分からないまま、ネイは黙って次の言葉を待った。


「十日後にサディア国王家の方が来るんだろう? その前までに終わらせておきたいんだよ。準備にはそれほどかからないけど、すぐに出発しないと厳しいなぁ」


(すぐに?)


 今朝言われたばかりの上司の言葉を思い出してネイの表情が硬くなった。


「ラズ、一つ報告があるんだが」

「ん? 何?」


 ラズが僅かに首を傾げる。綺麗な碧色の目に真っ直ぐ見つめられるとシークからの忠告を無視してしまいたくなる。その気持ちを何とか堪えて口を開いた。


「休みを取らなきゃいけなくなったんだが……」

「あぁ、なら丁度良かった」


 にっこりと笑顔を向けるラズを見てネイは焦りを覚えた。まさか自分以外の騎士に護衛を依頼するつもりなのだろうか。ラズがコライムへ行っている間ネイが休みを取れば丁度良い、そう言っているのか?


(つまり、他の騎士と共にラズが四日間二人で旅をすると……?)


 途端に胸がざわつく。また前回の旅のように宿が一部屋しか空いてなかったら? 湖の調査で服が濡れたら? 何か事件に巻き込まれ、怪我をして服を脱がなくてはならなくなったら?

 もしも自分ではない男が彼女の正体に気付いてしまったら? 体に触れたら? そんなの冗談じゃない。


「まっ、待ってくれ」

「へ?」


 らしくもなく焦った声を出したネイを見て、ラズは目を瞬いた。


「丁度いいって言うのは、その……」

「あぁ。三日後出発する事にするから。明日は一日休みを取ればいいよ」

「……何?」

「何って、城出る前に休みを取ってくれないと。出発したらまたしばらく休暇取れなくなるんだから。それしかないだろ?」

「あ、あぁ……。そうだな」


 聞けばなんて事はない。ラズは最初からネイを連れて行くつもりだったのだ。そのことを当然だと思っていることにネイは安堵した。同時にじわり、と喜びが胸に沁みる。ラズにとって自分は特別なのだろうか、そんな風に錯覚しそうになる。


(あぁ、駄目だ)


 今朝否定したばかりの感情が揺さぶられる。自分にとってラズは特別ではないのだと言い聞かせた筈なのに、その考えがもう傾いている。なんて自分は弱いのだろう。ラズの笑顔や言葉はいとも簡単にネイの決意を上書きしてしまう。自分の方を見て欲しいと願う気持ちが勝手にあふれ出てしまう。


「ネイ? 疲れてるなら今日から休みをとってもいいよ?」


 眉根を寄せて苦しげな表情をしたネイに気付き、ラズは彼を気遣った。ネイがここの所休みを取っていないのには勿論気付いていた。だからシークへこっそり相談していたのだ。

 ネイは顔を上げると首を横に振った。


「いや、平気だ。それよりコライムへの調査の日程を詰めよう」

「……うん。その前にネイの分もお茶淹れてくるよ。座って待ってて」


 そう言って立ち上がったラズの後姿をネイは複雑な想いと共に黙って見送った。





 ***


 その日の午後のお茶の時間、マリアベルはユーリィ=ササラと初めて席を共にしていた。先程マックから紹介されたばかりの彼女はゆったりとウェーブした柔らかそうな胡桃色の髪を結い上げ、瑠璃色の瞳で優しく微笑んでいる。首元まで隠れた藤色のドレスを上品に着こなした洗練された女性だ。実際会うのは初めてだが、その名を耳にするのはこれで二度目。一度目は王城に来る前、ラズから聞いた名だ。王城に勤めるササラ子爵の一人娘、王子達の王妃候補。正しくは、元王妃候補だが。


「ご挨拶が遅れてしまって申し訳ございません。最近は私事で中々時間を取れなかったものですから」

「いえ、とんでもございません。こうしてお茶をご一緒できるだけでとても光栄です、ユーリィ様。ご結婚なさったと窺いました。おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 そう言ってユーリィは穏やかに微笑んだ。

 彼女は既に三十七歳。子を多く産むことを求められるトゥライア国でなくても、かなり晩婚と言える。十七の頃から王子達の王妃候補としてその名が挙がっていたが、当時一番年の近いマックが六歳。上手く適齢期が噛み合わず、一番長い間候補として過ごす事となってしまった。

 二十歳を越えれば貴族の女性は行き遅れと言われる。正直ユーリィは歳の離れた王子達が自分を恋愛対象に見ていないことも分かっていたし、自分も弟や親戚の子供のようにしか彼らを見ることが出来ないでいた。だから早く候補を降りたいと思っていたのだ。けれど父がそれを許さなかった。王子達と歳も身分も釣り合うリベリ=ゴーゴルンが候補をして名を連ねても、自分の娘が王妃になる可能性を簡単に捨てる事が出来なかったのだろう。

 けれどそんな父親が候補から降りる事を許したのが約二月前。マリアベル登城の日である。その時謁見の間で宣言した国王陛下の言葉にようやく父親も諦めたのだ。

 完全に行き遅れたユーリィだったが、それでも女性の稀少なトゥライアにあっては婿を探すのに遅すぎると言うことはなかった。候補を辞したことを知った貴族の子息達から次々と見合いを申し込まれ、ユーリィは三人の夫を得た。だが一度に三人の夫と暮らす、という訳ではない。結婚した貴族の妻に求められる事は唯一つ。子供を産むこと。故にユーリィは夫の年功序列で順番に子を儲け、それが終われば実家で静かに余生を過ごす予定となっている。

 生まれた子供を育てるのは自分ではない。それは各家が用意した乳母の仕事。その代わりササラ家は三つの貴族家から今後援助を得る事となる。身売りのような条件だが、夫達との間に愛情がある訳ではない。彼らとは子供を作る事しか繋がりがなくてもユーリィに不満はなかった。最初から自分の価値はそういうものだと割り切ってもいる。

 結果としてマリアベルに王妃候補の座を奪われた形となっているが、いつまで経っても父親の期待から開放されない苦しみから救ってくれたきっかけとなった彼女に感謝こそすれ、恨んでなどいない。だからこそ今回マックの依頼を受けたのだ。


「マリアベル様はどんなお色がお好きなんですか?」

「え? 色、ですか?」


 突然の問いに目を丸くする彼女を見て、ユーリィはおや?と思った。そして同じ円テーブルについているマックを見る。


「殿下。もしかして、マリアベル様に何もご説明なさっていないのですか?」

「あぁ、ごめん。そう言えばそうだった」

「まぁ。マクシミリアン殿下でもそんなことがおありになりますのね」

「申し訳ない。最近どうも忙しくて……」


 苦笑してマックは隣に座るマリアベルを見る。


「サディア国の王子と姫が近々ここを訪問する事は知ってるよね?」

「はい。以前窺いました」

「その時に歓迎の舞踏会を開くんだ。そこで君に着てもらうドレスを選ぼうと思って、今日はユーリィに来てもらったんだよ」

「え? ドレスですか!?」


 神殿で巫女として仕えてきたマリアベルは当然ドレスに袖を通した事はない。正式な場では巫女の衣装、王城に来てからは用意してもらった裾の長いワンピースを着ていることが多く、国王や王子達と食事をする時も許しを得て華やかなドレスに身を包む事はなかった。


「で、でも、私そんな……、ドレスなんてわざわざ用意してもらうのは……」

「君は国賓だからね。当然舞踏会にも出席してもらう事になる。その時にドレスがなくては困るだろう?」


 神に仕える巫女に贅沢は許されない。自分に対してあまりお金を使われる事に慣れていないマリアベルは困った顔で眉を下げた。そこに優しい声でユーリィが彼女を諭す。


「マリアベル様。慎ましいのは美徳ですが、こういう時に遠慮してはいけません。好意を受け取らないのは男性に恥をかかせる事にもなりますわ」

「え……、ごめんなさい、マック」

「いや、いいんだよ。ユーリィも言っただろう? むやみに贅沢を好まないのは君の魅力でもあるんだ。勿論、僕らの用意したドレスに身を包んでくれた方が嬉しいけどね」


 そう言ってマックは彼女の手を取った。そして目を見たままそっと白い手の甲に唇を落とす。それがあまりに自然な仕草で、マリアベルは人前で恥ずかしいと思うことすら出来なかった。


「……ありがとう」

「うん。やっぱり遠慮よりもその言葉の方が嬉しいよ」


 マックは言葉通り嬉しそうな笑みを浮かべたまま手にした彼女の手を握り締めた。

 マリアベルには三人の侍従がついているがいずれも男性。その為普段から着替えは自分一人で行っている。けれど流石にドレスとなればそうはいかない。誰かの手助けが必要となる。それでも自分達以外の男性にそれをさせたくはないマックとディンが考えた結果、辿り着いたのがユーリィだった。彼女は昔マックに王妃になる気は無いと密かに告げていた。元候補と言えど彼女の本音を知っていた為、安心してマリアベルを任せられると踏んだのだ。それに巫女であるマリアベルには貴族の女性達のような作法、ドレスを着た時の歩き方、舞踏会のダンスなど身についていないことが多い。それらを教える為にもやはり女性の手助けが必要だった。

 マックとディンの連名で正式に依頼の書状を送れば、ユーリィは案の定二つ返事で引き受けてくれた。ならば折角だからとドレス選びから付き合ってもらうことにしたのだ。

 そこまで説明を受けて、やっとマリアベルはユーリィの質問の意味を理解した。


「じゃあ、ユーリィ様が仰っていた色、というのはドレスの色のことなのですね?」

「えぇ。そうです。それと私のことはユーリィとお呼びください」

「そんな! これからお世話になるのに呼び捨ては出来ません。それに年上の方を敬わないのは神殿の教えに反します」


 今のマリアベルはあくまでシィシィーレの巫女。地位は一般人と変わらない。身分で言えばユーリィの方が上なのだ。

 ユーリィからすれば彼女を未来の王妃として扱った結果の提案なのだが、本気でマリアベルが困っているのが分かって苦笑した。どうやら神殿を離れても巫女はとても真面目なものらしい。


「なら、さん付けならどうです?」

「ユーリィ、さん。ですか?」

「えぇ」

「なら、私のこともそう呼んでください。様付けされるのはいつまで経っても慣れなくて」


 それにマリアベルにとっては王城に来て初めて自分に好意的な女性なのだ。やはり仲良くなっておきたかった。祈るような気持ちでそう言えば、ユーリィは穏やかに微笑んでくれた。


「分かりましたわ。マリアベルさん。これからどうぞ宜しくね」

「はい! 宜しくお願いします」


 嬉しそうに笑みを交わす女性が二人。その華やかな光景に、マックも自然と口元を緩めていた。





 ***


 上等な造りのベッドの中。背中越しに夫の荒い呼吸が聞こえる。相手の体が熱くなっていく一方で、ユーリィはただひたすら頭の中で同じ言葉を繰り返していた。


(早く、早く終わって……)

 

 一人目の夫である彼は自分よりも三つ年上。歳は四十に達しているけれど今までまともに女性を相手にしてこなかった彼のベッドでの行為はしつこかった。一度や二度では終わらない。

 子供を作る為に毎晩行われるこの行為に愛はない。それ自体に不満はないが、好きでもない男性に抱かれるのはやはり辛い。自分の心の中に誰も想う相手がいないのならばまた違っただろう。けれど残酷な事に、ユーリィにはずっと片想いをしている男性がいた。


「ぅっ……」


 夫が深い息を吐く。同時に行為が終わる。願っていた瞬間の訪れに、ユーリィも思わず長い息を吐いていた。


「良かったか?」


 不意にそう聞かれて、ユーリィは心が冷めていくのを感じた。良い訳がない。快楽など感じない一方的な行為。けれど自分は納得して抱かれているのだ。文句など言えるはずもない。


「えぇ」


 なんとかそれだけ言ってユーリィは目を閉じた。もしも、もしもこれが彼だったら。そう思うだけで胸が熱くなる。同時に叶わぬ現実に胸が痛む。


(早く妊娠してしまえばいいのに)


 そうして早く夫との、夫達との契約上の関係が終われば良い。そうすればこんな思いをすることなく、自分はまた一人で彼を想っていればいいのだから。

 夫は優しくない訳じゃない。例え愛し合って結婚したのではなくとも、妻となった自分には丁寧に接してくれている。だからこそ罪悪感が募る。こんな毎日は辛すぎる。

 不意に今日会ったばかりの美しい少女の顔が浮かんだ。隣に座ったマクシミリアン殿下のあの嬉しそうな顔。彼女は愛されているのだと一目で分かる。


(いいわね……)


 自分では得られない愛情。それを目の当たりにして、今日はとても惨めな気分だった。夫と二人で横になっている温かなベッドの中で自分の体を両手で包み、ユーリィは一度だけ身震いした。

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