25.白豹
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
マリアベル達が城に帰還する三時間前。ディンはふてくされた顔で机に突っ伏していた。
「いーなー。サーカスー……」
頬を膨らませ、子供のように拗ねている弟に打合せをしていたマックがその頭を小突く。
「コラ。もうすぐサディアが来るんだ。そんな暇ないことぐらい分かっているだろう」
「そうだけどさー」
「俺達のスケジュールを詰めるのはお前の担当だからな。ぬかるなよ」
「あいあいさー」
気の抜けた返事をするディンにマックは仕方ないな、と溜息をついた。
サディアは母国トゥライアに隣接する同盟国である。領土の広さはトゥライアに及ばないものの、国力が弱っているこの国にとって経済的な協力を約束している同盟国は自衛の為に欠かせない存在だ。
そもそも人口が減り、力を失う一方のトゥライアがこれまで他国に攻め入られる事がなかったのはシィシィーレ島がこの国の領地であるからだ。この世界の多くの国がフェルノーイ神を信仰している。その為、神殿があるシィシィーレ島には国籍を問わず多くの人々が訪れる。争いを好まないフェルノーイの教えと、神殿を血で汚さない為にこの国は侵攻の対象から外れているのである。トゥライア自身も偏って他国を贔屓する事のない永久中立国だ。けれど信仰だけでは国は立ち行かない。その為経済的な意味での同盟はやはり存在している。サディア国はその一つだった。
同盟国同士は定期的に互いの王族が顔を合わせる機会が設けられている。それは経済協力のための会議であったり、親交を深める為の宴であったりする。そして来月親交を深める為にサディアの第一王子と妹姫がこの国を訪れる事になっていた。半年に一度設けられるこの機会の指揮を取るのは国王ではなく、次代を担うマックとディンに任されている。次代の王子達が国を支えるのに相応しい力をつけているというアピールでもあるのだ。
「ハッ! そうか夜会だ!!」
突然大きな声を出した弟にマックは驚き彼を見た。すると先ほどまでふてくされた顔はどこへやら。一転ウキウキとした表情で企画書を握っている。
「マリアベルにうんと綺麗なドレスを選ぼう! な、兄上!!」
「……あぁ、そうだな」
集中しろと注意しようと思っていたマックだが、ディンと同様ドレスで着飾ったマリアベルを想像してしまい、すっかりペンを握る手が止まってしまうのだった。
***
割れんばかりの拍手と共にサーカスはその日の公演を終えた。マリアベルとヘリオは興奮冷めやらぬ様子でダンと共にテントを後にする。
警備上何事もなく過ぎ去り、さぁ後は城へ帰還するだけ。オリバがそう思っていた矢先、問題が起きた。広場の横で待たせていた馬車に着き、御者の男が恭しく礼をしてから馬車のドアを開けた途端悲鳴を上げ、腰を抜かしてへたり込んだのだ。
「うわぁぁぁぁ!!」
その声にオリバとクレイドは素早く二人の王族を背にかばい、テグラルはマリアベルの腕を引いて馬車から遠ざける。三人がそれぞれ剣と杖に手を伸ばした時、その場の緊張にそぐわない声がそれを遮った。
「あら? 白豹さん?」
テグラルの後ろから声を出したのはマリアベルだ。引きとめようとするテグラルににこりと微笑み、大丈夫と手振りでアピールして馬車に近づいた。いつの間に入り込んだのか、馬車の座席の上で悠々と横になっていたのはサーカスで演技を披露した美しい白豹だったのだ。
「な…なんでここに……」
まさかサーカスの檻から逃げ出したのだろうか。サーカスの人間を呼びに行こうかと後ろを振り返ったダンだが、後からトマスと共に来たサグホーンがちらりとマリアベルと白豹を見て笑った。
「大丈夫ですよ、殿下。あれはただの獣ではございません」
「何?」
その言葉に驚かなかったのは弟子の魔術師二人だけだ。オリバは警戒を解かないまま馬車とサグホーンを交互に見る。だがここは人目に着く。先ほどの悲鳴を聞きつけて警備団や野次馬が集まるのも時間の問題だ。
「大丈夫、というのは近づいても危険は無いと思って宜しいのですね?」
「えぇ。勿論です。今は城への帰還を優先させるのが得策かと」
サグホーンの提案にダンは驚きの声を上げた。
「優先って……、あの白豹はどうする?」
「彼が馬車の中で待っていたということは共に城へ行くつもりなのでしょう」
「は? 待て、言ってる意味がさっぱり……」
「え!! 一緒に帰るの?」
ダン達の会話を遮ったのは隣にいたヘリオだ。その声には喜色が滲み出ていて、マリアベルに頭を撫でられている白豹を見る目はキラキラと輝いている。どうやらヘリオは白豹と共に居られるのが嬉しいらしい。
未だ腰を抜かしている御者に手を貸し、オリバは頷いた。
「人目につくのは良くありません。危険が無いのならすぐに城へ戻りましょう」
オリバの判断の下にダン達は馬車へ乗り込み、元々別々に来ていたサグホーンとトマスは後から行く、とテグラルに言い残してその場を去った。恐らく彼らは街の乗合馬車を使って帰るのだろう。
馬車の中にはマリアベル、ダン、ヘリオ、オリバ、テグラル。クレイドは御者と共に外の御者台にいる。馬車、と言っても十分に広い造りをしているので定員が一人増えたところで問題は無いのだが、増えた客人が白豹というのは奇妙な光景だった。白豹は横になったままマリアベルの膝の上に頭を乗せ、ずっと頭を撫でてもらっている。その姿は豹というより大きな飼い猫だ。ユラユラ揺れるしっぽを見れば随分と上機嫌なのが分かる。マリアベルとは初めて会った筈なのに、ここまで懐いているのもおかしな事だ。その真向かいに座っているヘリオは自分も撫でたいのを我慢してウズウズしている。
「本当に城に連れて行くのか? サーカスの人間にはなんて説明するつもりだ?」
この異常な光景の中で極まともな質問をしたダンはオリバとテグラルを見た。それに答えたのは魔術師の方だ。
「城に連れて行くのは問題ありません。この白豹は獣ではありませんから」
「……どういう意味だ?」
白豹が獣ではない。その意図分が分からず怪訝な顔をするダンに対し、マリアベルが穏やかな表情で頷く。
「この子は光の精霊なのよ。ダン」
「精霊!?」
絶句するダンと驚き声を上げるヘリオ。オリバも同様に驚いているようだが声には出さずにじっと話に耳を傾けている。自分達の目にはどう見てもしなやかな肉体を持った豹にしか見えないが、話し振りからするとマリアベルとテグラルは最初から知っていたようだ。
「舞台に出てきた時から気付いていたのか?」
「うん」
「えぇ。師のサグホーンを含め、私達魔術師も気が付いていました」
頷く二人。当然のように答える彼らにダンは溜息を付く。
「ならもっと早く言ってくれれば……」
「サーカスに参加する精霊も居るんだなぁ、と思ってて」
そう言いながらマリアベルは笑う。
一般的に精霊は人前に姿を現すことを厭うと言われている。けれどそれが全てではない。幼い頃から精霊が傍に居たマリアベルにとって、精霊が人と共に生活していることはさして不可思議な事ではないのだ。だからサーカスで他の動物達と共に演技をしているのも、珍しいなぁ位にしか思わなかったのだと言う。
自分達の常識から外れた彼女の見解に、ダンはただ「はぁ」と息を漏らすしかなかった。精霊達が彼女を慕っているのはよく知っているから、この白豹の姿をした精霊も彼女と共に居たいというのも頷ける。けれど二個目の疑問は残ったままだ。
「サーカスに所属する精霊が居るにしても、いきなり居なくなったら困るだろう」
マリアベルの膝に頭を預けたまま目を閉じていた白豹を見れば、その瞼がそっと開いた。銀色の瞳にちらりと一瞥され、ダンの表情が強張る。
『あの人間達と同行したのは、最初から我らがココに来るまでという約束だった。問題は無い』
頭の中に直接響く男性的で冷たい声。それは馬車の中にいる全員に届けられたようで、皆が白豹を凝視する。
「我ら……、ってあの黒豹も精霊なの?」
ヘリオが首を傾げると白豹は肯定するように鼻を鳴らした。
『左様。アレは人間を好いていて義理堅い。サーカスの日程が終わるまではテントを離れまい』
「君はいいの?」
『問題ない』
それだけ言うと再び白豹は瞼を閉じる。どうやら黒豹と白豹では性格が違うらしい。けれど精霊とはいえ黒豹に義理堅い、というのはなんとも不思議な表現だった。人間同様精霊にも個性があるならば、さしずめ目の前の白豹は自由奔放な俺様タイプと言える。
目の前の豹が精霊だと分かった事で一つの不安が杞憂に変わる。豹を城に連れ込んだりしたら大騒ぎになり、檻など必要なものを用意させなければいけない所だが、知識のある精霊ならそんなものは必要ない。ヘリオと仲の良い木の精霊はよくお茶の時間に顔を出すが、本来精霊には食事を用意する必要も無いのだ。
(けどまた厄介ごとが増えたような……)
一体この精霊を連れて行くことで何が起こるのか。さっぱり見えない未来にダンは溜息を付くしかなかった。
***
「……と、まぁ、そんなわけだ」
オリバに呼ばれ、マリアベルの部屋に来たラズはダンにこれまでの経緯を説明されていた。テーブルを囲むソファには二人の殿下とラズ、そしてマリアベルと何故か白豹も座っている。オリバとクレイド、そして魔術師の三人は立ったまま後ろに控えていた。
精霊だと言う白豹は彼女の隣に座った状態で、ダンと混じって話をする彼女の頬や耳元を時折ペロリと舐めていた。くすぐったそうに彼女は身をよじり、それを追う様に白豹の舌は首筋、鎖骨の辺りまで舐め始める。じゃれている、と言えはその通りなのだろうが、その様子を見ていたテグラルは顔を引きつらせていた。
「んっ、くすぐったいから」
ぴくりとテグラルの顔に青筋が立つ。
(段々きわどい所を舐めているように見えるのは気のせいか……?)
人間ではない白豹に性的な意味は無い筈。そう自分に言い聞かせるが、精霊である場合はどうなのだろうと思い立つ。古い史実には人間と子をなした精霊も居た筈だ。意図的に彼女の肌を堪能しているのだとすれば、魔術で拘束した上で城から放り出してやりたい。だが、相手はこの国にとって重要な“兆候”。私的な感情を理由に乱暴な扱いは許されない。
テグラルが頭の中で葛藤を繰り広げている最中、ふと師サグホーンの呟きが耳に届いた。
「恐ろしい娘だ」
それは明らかにマリアベルに対しての評価。始終笑顔を浮かべ、人にも精霊にも好かれる彼女には似合わない言葉だ。
「……どういう意味です?」
恐る恐るそう訊ねれば、サグホーンはいつもの気の抜けた笑みの無い表情で隣に立つ弟子に囁いた。
「シィシィーレの巫女があれ程精霊に好かれるものなら島から出ないというのも頷ける。人ならともかく、あれ程の力を持った精霊を魅了するのだ。彼女が敵国の手に落ちたらと思うと恐ろしいものがあるよ」
「…………」
マリアベルに懐いている白豹は城の周辺にも居る精霊達とは訳が違う。間違いなく上位精霊。その中でもトップクラスの力を持つ精霊だ。比較的友好的な〈木〉や〈花〉とは違い、世界を創った根源とも言われている〈光〉は気位が高く滅多に人前に姿を現さない。フェルノーイ神の眷属とも言われている〈光〉が彼女に懐くのはシィシィーレの巫女であるからなのだろうか。
もしもマリアベルが上位の精霊を完全に味方につけ、その力を行使したならば塔の魔術師が束になっても敵わないだろう。頼もしい存在だが、一度敵に回れば最も恐ろしい存在になりうるのだ。
あの美しい巫女が争い事を好むとは思えない。けれど彼女の力を利用しようと企む人間は次々と出てくるだろう。殿下達が彼女を慕えど、あくまで陛下の客人。未だ正式な婚約者として世間に発表しようという動きがないのは彼女の存在を悪戯に世間に知らせない為なのである。機は慎重に選び、最悪の事態を避けなければならないのだ。
「それで、精霊である貴方達がサーカス団と共に王都へ来たのは、マリアベルに会うためですか?」
その質問を聞き、マリアベルにちょっかいを出していた白豹は初めて向かいに座るラズを見た。ピスピスと鼻を動かし、じっと彼の碧色の目を見つめる。無言の視線は品定めされているようで居心地が悪いが、ラズが目を逸らす事はなかった。
『左様』
「どうして私を?」
思い当たる節は無い。この〈光〉に会うのは初めてのはずだ。首を傾げるマリアベルを白豹は楽しそうに目を細めて見返した。
『フェルノーイに近い〈光〉ならばそなたを知らぬ者などおるまい。一度会いたいと思っていた』
何気ない言葉にラズを始め、魔術師達は息を飲む。目の前の精霊は自身が女神に近い存在だとはっきりと明言したのだ。生きているうちにそんな存在に出会えたこと自体奇跡のような確率なのである。
『我が主となるべき者が、そなたのような美しい娘だとは僥倖だ』
「主?」
『我が名はブルネイ。我と契約を交わせ。娘』
「え? でも、それは……」
戸惑うマリアベルをじっと光の精霊ブルネイが見詰める。上位精霊と契約を結べば自由に使役できる。つまりその力がまるごと手に入るのだ。塔の魔術師達なら喜んで飛びつくだろう。けれど彼女は首を横に振った。
『契約を拒むのか?』
その声が剣呑な響きを帯びる。拒むのなら無理矢理にでも、と言わんばかりだ。ラズと目を合わせた後、マリアベルは彼に向かって微笑んだ。
「出来れば、ブルネイとはお友達になりたいわ」
まさかそんな提案が出てくるとは思わなかったのだろう。一瞬驚いたように目を見開くが、次にはその銀の瞳を愉快そうに細めた。
『成る程。面白い』
「良かった」
満面の笑みでブルネイを撫でるマリアベル。一方でブルネイは彼女に顔を寄せ、再び彼女の頬を舐めた。
『ならば、我と契約を結びたくなるよう努力せねばなるまいな?』
「え?」
言うなりじゃれ始める白豹。ちっとも話が進まないんだが、とラズとダンは呆れた顔をする。だがそんな空気など何のその。無邪気にヘリオが声を上げた。
「じゃあさ! あの黒豹もサーカスが終われば城に来てくれるんだよね?」
ヘリオにとっては珍しいペットが増えるような感覚なのかもしれない。他意の無い純粋な問いかけにブルネイも素直に頷く、
『アレは元々我に付き合っただけで巫女に会いに来たのではないが、“印”を持っている人間がここにいると知れば、必ず姿を現すだろう』
やったぁ! と喜ぶヘリオ。もう話す事は無いとばかりにマリアベルにひっつくブルネイ。しかしラズの中に疑問はまだ残っている。
(印……?)
それが一体何を示すのか、考えても答えは出なかった。




