24.サーカス
暗転したステージの中心にスポットライトが一つだけ当てられている。何が出てくるのかと弾む胸を押さえて待つ満席の客達。やがて現れたのは白塗りの顔に真っ赤な鼻。きょろきょろと動く目の回りは星形のメイク。サーカスの定番ピエロだ。ライトに反射して派手な衣装に縫い付けられた飾りがキラキラ光る。それだけで子供達はわっと歓声を上げた。
しゃべることの無い一人のピエロが大袈裟な仕草で一礼すると、それを合図に真っ暗だったテントがぱっと明るくなる。同時に楽団がオープニングに相応しい明るい音楽を響かせれば、客達は笑顔で拍手と指笛を送った。
ヘリオとマリアベルが笑顔で互いの顔を見る。それを隣で見ていたダンの顔も緩んだ。ウェイバーンサーカス団の演目は定番のものもあれば、毎年変わるものもある。幼い頃から何度か観たことのあるダンでも、実際テントの中に来てみれば楽しみなのは間違いない。だからこそ友人となったラズにも来て欲しかったのだが、自分の話を待っていてくれると言うのならそれはそれで嬉しかった。彼に土産話をしたいのは自分だけではない筈だが、それでもラズの為に楽しい話が出来れば、と思う。
楽団に気を取られている内に姿を消したピエロ。代わりに現れたのは澄ました態度で歩くピンクのミニドレスの女性。すると後から毛の長い茶色の大型犬が駆けてきた。その口元には赤いバラ。どうにか彼女にバラを送りたいようだが、彼女は澄ましたまま受け取ろうとはしない。なんとか彼女の心を掴みたい大型犬は音楽に合わせてステップを踏む。段々とそのパフォーマンスに惹かれる女性。音楽の盛り上がりと共にステージ上には大小様々な種類の犬が現れ、まるでミュージカルのように踊りだす。
音楽のフィナーレで大型犬が二足歩行になり彼女に銜えたバラを差し出すと、胸を打たれた様子で彼女が手を伸ばした。ここで客席から拍手が起こる。だがそれだけでは終わらなかった。突然後ろから走ってきた白地に黒ぶちの小型犬が、二足で立っている大型犬の肩にひょいっと乗ったのだ。そして肩の上で絶妙なバランスを取って同じく二足で立ち上がり、彼女に二本目のバラが差し出される。彼女がまぁ、と感激した仕草で受け取ったのは小型犬のバラ。そしてそのまま二人は周囲の犬達と共にステップを踏みながらステージを後にする。
大型犬は二足で立ったまま固まり、オチの音楽と共にすごすごとバラを銜えたまま一匹ではけていく。犬達の訓練された芸とコミカルな物語は感嘆と笑いを誘った。
お次はピエロと共に現れた可愛らしい猫達の綱渡りや玉乗り。すごいすごい!! 見て兄様! とヘリオが袖を引っ張る度にダンもステージを観ながら返事をする。だが、猫の芸が一通り終わったと思った時、大きなライオンが出てきて同じ芸をしたのには流石に驚いた。ライオン用に用意された大きな玉と太い縄。ライオンを間近で見れただけで子供達は大興奮だが、大人からすれば野獣のイメージが強いライオンが玉乗りをする光景はなんとも奇妙で笑いを誘う。
お揃いのレオタードを着た人達が猫やライオンが使っていた物よりもずっと細く高い位置に付けられたワイヤーの上で披露した綱渡りには客達が一様に息を飲んで見守った。ただ渡るだけでなく、目隠しをしたり、一輪車を使ったりと人々の想像を超えたパフォーマンスが繰り広げられる。ぐらりと演者の体がバランスを崩しそうになった時、きゃっとマリアベルから小さな悲鳴が上がる。それでも持ち直して最後まで渡りきれば、皆が安堵の息を吐き、そして大きな拍手を送った。
客を飽きさせない演目が次々と続き、あっという間に終盤に差し掛かる。ウェイバーンサーカス団のフィナーレは定番の空中ブランコ。その前にいつも客席参加型の演目がある。知っている者は今か今かとそれを待ち、知らない者は驚き興奮するイベントだ。
四人の男女によるジャグリングが終わり、そろそろかなとダンが思っていると、一人の少年がステージに上がった。トマスと同い年くらいの彼が首に下げた黄色の笛を鳴らす。その合図と共に現れたのは二匹の豹だった。一匹は白、一匹は黒の混じり気の無い毛並みを持った獣。優雅で無駄の無い動きでステージを一周し、少年の傍らに座る。先に出てきた野性的なライオンとは全く違い、豹達は静かで美しかった。おぉっと歓声を上げる客席。その中でテグラルは驚愕で目を見開いた。思わず立ち上がろうとした彼に、後ろから声がかかる。
「黙って観ていなさい」
「…………」
静かに発せられた師匠の言葉にテグラルは従った。ちらりと後ろを見ればサグホーンの隣でトマスも緊張の為か表情を硬くしている。顔を前に戻すと、豹達は他の動物達と同様少年の指示に従い芸を見せていた。段々と高い位置に付けられる輪を次々とジャンプして潜る。体重を感じさせない軽く滑らかな動きだ。最後にその輪に火が付けられた時には客席が息を飲んだが、それでも恐れることなく豹はそれを越えて見せた。歓声と共に送られる拍手の波。両脇に豹を従えた少年がステージの中心で一礼すると、マイクを持った燕尾服の男性が「さぁさぁ皆様!」と声を上げた。
「お待たせしました! いよいよ次で本日のフィナーレです!」
すると客席からえぇ~! と残念そうな声が上がる。
「ですが、その前に我がサーカス団から皆様へ素敵なプレゼントをお贈りしたいと思います」
その言葉に子供達が顔を輝かせる。同じくワクワクと笑みを見せるヘリオとマリアベルの二人。ヘリオはともかく、幼い子供達と同様の反応をするマリアベルにダンの頬も緩んだ。
「どうぞ皆様、お座りになっている座席の後ろご確認ください」
皆が座席の背に付けられている番号を確認する。その時、サーカスからのサプライズには興味の無いテグラルと番号を見るために後ろを振り向いたマリアベルの目が合う。にこっと微笑んだ彼女の不意打ちの笑顔にテグラルは顔を赤く染めた。
(おやおや……)
それを見て悪い笑みを浮かべたのは後ろから見ても分かるほど耳を真っ赤にした魔術師の後ろに座る師匠だ。
(いやぁ、頭が固くて口うるさくとも、やはり若き青年。まだまだだねぇ)
これは良い事を知ったとほくそ笑む。いざという時はこれをネタにしようとその顔が雄弁に語っていた。
(テグラルさん、おかわいそうに……)
横で全てを見ていたトマスはそっと心の中で手を合わせた。
そんな胸の内のやり取りなど気付かないまま、マリアベルは再びステージに顔を戻す。すると燕尾服の男性が言葉を続けた。隣に立つアシスタントの女性の手には大きな白い箱がある。
「この箱の中には皆様の座席の番号札が入っています。私が引いた番号の席にお座りのお客様はどうぞステージへお上がりください!」
男性が箱に手を入れるとドラムロールが鳴り響く。どうか自分の番号が呼ばれますように、と子供達は皆目を瞑り両手を握ってその時を待つ。バンッとドラムとシンバルが鳴らした音に目を開けば、男性が番号札を高く掲げていた。
「百六番の方!!」
自分じゃないと分かった途端に肩を落とす客達。だがその興味はすぐに移る。一体この幸運を手に入れたのはどんな人なのだろう、と。
「私だわ……」
ポツリと零したのはヘリオの隣。
「マリアベル?」
「どうしよう! ヘリオ! 当たっちゃった!!」
口元に手を当てて驚くマリアベル。わぁ、すごいよ! とヘリオは喜んでいる。だが、オリバとクレイドは一瞬固い顔で互いを見た。彼女が一人でステージに上がれば警備の手から離れる事になる。付き添いという形で同行しようか、と思ったその時、後ろに座っていたテグラルがオリバに向かって首を横に振った。
「しかし……」
「大丈夫です」
テグラルの言葉は確信めいていた。二人の殿下とマリアベルには王城を出る前、テグラルが護りの術式を施した腕輪を渡している。端からは目立たない細い木製の腕輪だ。それをつけている限りは魔術や武具によって傷付けられる事はないし、テグラル本人の目の届く所に居さえすれば威力を高める事も出来る。
彼の言葉に頷き、オリバはマリアベルに手を差し伸べた。
「マリアベル様。ステージの傍までエスコートします」
オリバに連れられ、興奮冷めやらぬ様子でマリアベルは席を立った。客席の横を通りステージまで行くと、幸運を手にした彼女に拍手を送る人もいれば、マリアベルの美しさにはっと息を飲む男性も数多くいる。
「これはこれは美しいお嬢さん。どうぞこちらへ」
オリバから手を離し、マリアベルはステージへ上がる。テントの中の人々が皆彼女に注目した。護衛の騎士達の緊張も高まる。
「本日はお客様に我らの芸を手伝っていただきたいと思います」
ピッと少年が笛を鳴らすと、脇にいた二匹の豹が左右に別れ、ステージの両端に立った。そしてマリアベルには拳大の四つのボールが渡される。
「まずは一つ、どちらでもお好きな方へ投げてください。」
頷きマリアベルが白豹へ黄色いボールを投げる。すると器用にそれを口でキャッチした。しかしそれだけでは終わらず、白豹は向かいにいる黒豹へそれを投げる。続いて黒豹がキャッチする。二匹の豹によるキャッチボールだ。
「どうぞ、もう一つ」
言われるがまま青いボールを黒豹へ投げる。黄色いボールを相棒に投げ、続けざま黒豹は青もキャッチ。二個に増えたボールを豹達は投げ続ける。そして三個、四個とそれは増え、一つ前の演目のようにジャグリングが始まった。客席と一緒になってマリアベルも拍手を送る。すると今度は少年に手を引かれ、ボールが投げられている中心に導かれる。彼と共にそこに立てば、カラフルなボールが上手く二人を避けていく。人間のジャグラーにも負けない演技だ。
最後に四つ全てのボールを少年がキャッチして演目の終了。嬉しそうに手を打つゲストのマリアベルに燕尾服の男性は笑顔で豹達を指した。
「どうぞ。怖くないですから、最後に撫でてあげてください」
「え! いいんですか?」
「勿論。噛み付いたりしないので安心していいですよ」
子供達からいいなぁ~という声がステージまで聞こえてくる。もとよりマリアベルは動物が好きだ。豹達を美しいと思っても、怖いとは最初から思っていない。
彼らを脅かさないようゆっくりと近づき、しゃがんで目を合わせた。目線を合わせるのは対等に動物達に接しようとする彼女の昔からの癖だ。二匹の前でマリアベルはにっこりと笑う。
「ありがとう。楽しかったです」
すると並んで座っていた二匹の内、白豹が腰を上げて彼女に近づいた。そして彼女の白く細い手が頭を撫でると、自ら鼻先を頬に近づけ、ぺろんっと彼女の首筋を舐める。
「ひゃっ!」
びっくりしたマリアベルが目を丸くして、客席が笑いに沸いた。けれど驚いているのは彼女だけではない。その様子を傍で見ていたサーカス団員達も同様だった。
元より黒豹は人懐っこい性格だが、白豹は気位が高く、自分から中々人に近づこうとはしない。それがたまたまクジに当たった女性に懐つくなんて信じられない光景だ。
そんな彼らを余所に白豹は銀色の目を嬉しそうに細めてマリアベルを見た。
『お初にお目にかかる。フェルノーイの愛し子』
「貴方……」
それは確かに、目の前の白豹が発した“声”だった。
***
夕暮れの陽が差し込む自室でラズは熱心に目の前の資料に目を通していた。机の上には大きな地図も広げられている。それは以前ラズが呪いと言われる現象が報告された箇所に印をつけた地図だった。
カチャッと控えめな音を立てて、その部屋の扉が開く。入ってきたのは本を抱えたネイだ。
「ラズ」
「お帰り、ネイ」
当たり前に与えられる何気ないその挨拶がネイの心を揺らす。照れくささを隠しつつ「ただいま」と返事をして、ネイは図書室から持ってくるよう頼まれた本をラズに手渡した。
「ありがと。助かったよ」
「いや、いい。茶でも飲むか」
「うん」
いつもなら自分の目で資料を探してくるラズだったが、今日は集中力を切らせた無くなくてネイに頼んでいた。以前採取してきた魔石の解析には時間がかかると分かった為、イーシャの他にも似たような現象が起こっている地域を調べている所なのだ。そこに行けば、もしかしたら同じ魔石が見つかるかもしれない。
「次の検討はついたか?」
「うん。ベンタかコライムに行こうと思ってる」
どちらもイーシャより王城からは遠い。ベンタは北西に位置する遊牧地、コライムは真南の森林地帯の手前にある小さな町だ。
ネイが淹れてくれたお茶を受け取り、いただきますと言ってからそれに口をつける。お茶を淹れるのはラズの方が上手いが、ネイのお茶も味は悪くない。多少蒸らす時間が足りないくらいだ。
「行くとしたら、やっぱりコライムかな」
「何故?」
「ちょっと気になる点があって」
そう言ってラズが開いて見せたのはネイが先ほど持ってきた各地に伝わる御伽噺を集めた本だ。彼が指差したページには南部に多い、水の神様の話が綴られている。
「大魚と娘」
ネイがタイトルを読み上げるとラズが頷いた。
「人々の行いによって汚れた沼に住む大魚が実はその地の水神で、怒った神が次々と村に災いをもたらす。それを憂いた娘の謝罪と身を捧げた説得に神は胸を打たれ、これ以上愚かな行いをしないよう人々を諭して天上へ帰っていくって言う、ありふれた御伽噺なんだけどね」
「それで?」
「神のいなくなった沼は美しい泉へと姿を変えるんだけど、そのモデルとなった泉が今もコライムに残っているんだ」
こっちも見て、とラズが別の本を渡す。そこには似たような御伽噺が載っている。違いは神が竜の姿であったこと。そして美しい宝玉を残し、神の戒めを忘れぬようそれを竜神の代わりに祀るようになったこと。
「魔石があったイーシャの泉は驚くほど澄んでいて綺麗だった。だからもしもコライムにある泉に同じ魔石があったなら、不自然なほど綺麗な水を湛えていると思うんだ。何も知らない人々の目には神がかって見えるほどにね」
「……この話に出てくる宝玉が、魔石だと?」
「トゥライアに最初の呪いの現象が現れたのは約百年前。御伽噺になっても不思議じゃないと思わないか?」
成る程、とネイは頷く。呪いが発見された地とその御伽噺が残る地が重なるのなら、可能性は極めて高く感じる。
今後の予定を二人で話し合っていると、コンコンッとノックの音がした。ネイがドアを開ければ、そこには同僚のオリバが立っている。けれどいつも落ち着いて人に接する彼にしては珍しく、少し急いている様子で口を開いた。
「オリバさん。サーカスから帰ってきたんですね」
「えぇ。ラズ殿、お仕事中申し訳ございませんが、マリアベル様のお部屋に来ていただけませんか?」
「それは構いませんが、どうしました?」
「私の口から説明するより見ていただいた方が早いかと」
「??」
ラズとネイは互いに首を傾げて顔を見合わせる。一先ず仕事の話は先送りにして、ラズ達はオリバに連れられマリアベルの部屋へと急いだ。
「お邪魔します。」
「ラズ!」
マリアベルが笑顔で三人を出迎える。サーカスの興奮が未だ残っているようで、その声は弾んできた。部屋には彼女と一緒にサーカスへ行った面々も揃っている。ヘリオは彼女と同様笑顔だったが、何故かダンやテグラル達は何とも言えない複雑そうな顔をしていた。
するとラズの前に立ったマリアベルの後ろから何かがのっそりと姿を現した。美しい真っ白な毛並みの、大きな一匹の豹。二足で立ち上がればマリアベルやラズの身長など軽く越えてしまいそうな獣だ。それが何故か当然のように彼女の隣に立っている。
驚きで言葉を失ったラズにマリアベルは照れくさそうに微笑んだ。
「連れて来ちゃった」
サーカスを観に行って、そこの猛獣を拾ってくる人間がどこに居るのだろう。ラズは久しぶりに目にしたマリアベルの天然ぶりに、自然と深い溜息が零れた。
ラズが溜息ついた所でまた来年。
皆さま良いお年をお迎えくださいませ。




