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23.兆候

 

(なんだろう。コレ……)


 ラズは異様な雰囲気に溜息をついた。目の前には自室に遊びに来たダンがいる。今日は彼と夕食を共にする予定だったのだ。二人が座っているソファの間にあるテーブルには既においしそうな料理が並んでいて、さぁこれから食べようと思っていたのだが――


「どうしたんだ、あいつ」

「いやぁ。アハハハ……」


 ラズは力なく笑うことしか出来なかった。

 顔をしかめるダンの視線の先にいるのは自分の護衛ネイである。二人が食事を食べる時いつもなら隊舎に戻るネイだが、今日はドアの横に立ったまま動こうとしない。元々愛想を振りまく性格ではない彼がむっつりと部屋に隅にいるのでは気にするなと言う方が無理だ。

 ラズは彼が部屋から出て行かない理由をなんとなく分かっている。それは先日の事件があったから。セフィルドに騙されおかしな薬を飲まされて以来、過保護とも言える行動でネイはラズの傍にいた。今この部屋から出て行かないのも、自分を心配しているからこそ。口下手なネイは言い訳する事も無く黙って立っているしかないのだろう。

 ラズは苦笑してネイを振り返った。


「ネイ。ここに居るなら一緒に食べようよ」


 そんな誘いを受けるとは思わなかったのだろう。ネイは目を瞬いた。


「いや……」

「そこにじっと立って居られたらダリオン殿下も気を抜けないだろう」


 なぁ、とラズは笑ってダンを見る。意外な提案に傍観しているしかないダンだったが、話を向けられてぎこちない動きで頷いた。そしてネイを見る。自分が仕えるべき殿下にそう言われては近衛騎士であるネイが逆らえる筈も無い。


「……失礼します」


 ネイは一礼してラズの隣に腰を下ろした。ネイの分のグラスと皿も用意して、やっと二人は食事を始める。だが、元々社交的ではないダンとネイの二人が顔を合わせた所で話が弾む訳が無い。おまけにラズもネイがいる限りは殿下と呼ぶしかないから、ダンも次第に不機嫌になっていく。息抜きに来ているのにこれでは確かに不満だろう。

 困ったなぁ、と思って前菜に手を伸ばした所でダンが口を開いた。


「お前、サーカスに行かないんだって?」


 てっきりラズも同行すると思っていたダンは口を尖らせる。一方ラズはサーカスと聞いて微妙な顔をした。


「あー、まぁ」

「見たこと無いんだろ? 興味ないのか?」

「いや…、なんと言うか……」

「?」


 いやに歯切れの悪いラズにダンは眉根を寄せる。


「なんだよ」

「あのさ……」


 ラズは何とか笑顔を作っているが、口元が引きつっていた。


「サーカスってなんでしたっけ?」

「……マジか」


 最初にその単語を耳にしたのはオリバからだった。次にマリアベル。段々と周囲にその話が多くなり、皆が当たり前に知っているものを知らないと口にする事が恥ずかしくなって聞きそびれていたのだ。お陰でマリアベルの誘いに素直に応じる事も出来なかった。


「何で知らないんだよ。マリアベルはシィシィーレにいた頃お前とサーカスの本を見たって言ってたぞ」

「本ねぇ……」


 いくら頭を捻った所で記憶はさっぱりだった。芋の冷製スープを口にしながらラズは首を傾げる。


「もしかして船を襲って金品を奪う、あれ?」

「それは海賊だろ。いったい何の本を読んだんだ」


 ダンが呆れて溜息をつく。思い返してみればマリアベルは御伽噺や見たことの無い動植物の図鑑などの本をよく読んでいたが、ラズは嘘のような冒険譚や古い国の歴史が好きだった。もしかしたら一緒にサーカスの本を見たのかもしれないが、ラズは付き合い程度で頭に入っていなかったのかもしれない。


「サーカスっていうのは訓練された動物とか、空中ブランコや綱渡りの芸を見せて各地を回っている芸人達のことだ」

「大道芸人の集団のことですか?」

「まぁ、そうだな。王都にも毎年サーカスがテントを建てる。子供達にとっては年に一度のイベントみたいなもんだ」

「ふーん。そうですか」

「興味なさそうだな」


 興味が無い訳ではないが、絶対に見たい訳でもない。


「そういう訳じゃないんですけど、警備の問題とかもあるでしょう? 急に一緒に行く事にしたら困る人も出るだろうし。俺は一般人ですから、見たくなったら適当に時間見つけて行きますよ」

「……そうか」


 ラズがプライベートで見に行くだけならネイ一人を伴えば済む。王子としての立場がある以上、騎士や魔術師達の警備を断る事が出来ないダンにとっては羨ましい話だ。


「ま、それでも多分行かないと思いますけど。せっかくだから殿下の土産話を楽しみにしてます」

「あぁ。分かった」


 それはいつでもダンがラズの下に顔を出しても良いと言ってくれているようで、彼の機嫌が上昇する。たったそれだけの事で喜んでいる自分にダンは心の中だけで苦笑した。


「そういや、ネイはサーカス見に行ったことあるのか?」

「いや、ない」


 一瞬考える仕草を見せたネイだがすぐに簡潔な答えを返した。それを聞いたダンが意外そうな顔をした。


「ネイザンはどこ出身だ?」

「スーウェイです」

「北の山岳地帯か。遠いな」


 スーウェイは高い山脈が連なる北方の山々に囲まれた小さな農村だ。それならサーカスも訪れないだろう。知らないのも無理はない。


「何故騎士に?」

「知り合いの紹介です。元々は仕事を探しに王都に来ました」

「そうか。騎士団の人間に知り合いが?」

「いえ、王都でお世話になった人がシーク団長の知り合いで」


 二人の間で進む知らないネイの過去の話。それに口を挟まず、ラズは黙って聞いていた。


「なら騎士見習いから?」

「はい」

「いくつの時だ」

「確か、十だったと思います」


 たった十歳で故郷を離れ、騎士を目指した少年。それ程騎士に憧れていたのだろうか。それとも生活の苦しさ故なのか。それはダンも聞かなかった。

 しばらく他愛の無い話をしていると、テーブルの上を見渡したダンが何気なく言った。


「そう言えば、シィシィーレのワインはもうないのか?」


 初めて此処で食事をした際に出したワインの味が忘れられないのだろう。期待の篭った一言だったが、ラズはそれを一蹴した。


「何言ってんですか。以前殿下が全部飲んじゃったでしょう」

「……。そうだったか?」


 本気で覚えが無い、とその顔は語っている。確かにダンはあの夜に一本丸々飲んでしまったのだが、結構酔っていたから記憶に残っていないだけに違いない。


「そうですよ。こっちじゃ滅多に手に入らないって言ったのに……」

「そ、そうか。けどその代わり、メルジャーレ産のワインを持ってきた」


 ラズに恨めしそうな顔を向けられ、ダンは慌てて言い繕う。だが効果はあったようで、ダンが取り出したワインボトルを見てラズの表情が変わった。


「へぇ。メルジャーレって言えば、高地で甘い葡萄が出来るんですよね。美味しいんですか?」

「あぁ。俺のオススメだ」

「この前みたいに飲み過ぎないで下さいよ。もう侍従長に睨まれるのは御免ですから」

「悪かったよ。まあ、飲んでみろって」


 悪態をつきながらも互いに笑顔をかわす。酒が入ってくれば雰囲気も変わり、三人がグラスを傾けるペースも早くなった。だが、ボトルの中身が三分の一ぐらいになった所でラズがウトウトし始める。それに気付いたネイは隣で船を漕いでいるラズの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か? ラズ」

「うーん。今日は疲れてるのかな。眠……」


 酒には強いラズだが、瞼は半分落ちかけている。そして最後の言葉を言い終わる前に頭がネイの肩に触れた。そのまま寄りかかり、瞬く間に眠りに落ちてしまう。


「おい……。ラズ?」


 その問いかけに返ってくるのは寝息ばかり。完全に眠ってしまったようだ。残されたダンとネイはなんとなく気まずい雰囲気になり、ネイが時計を見た。時計の針は十一時を指している。


「そろそろお開きにしましょうか?」

「あ、あぁ。そうだな」

「お部屋までお送りします」

「いや、いい。ラズをベッドまで運んでやってくれ」

「はい」


 立ち上がったダンに続こうとしたネイだったが、その言葉に素直に従った。隣で自分に寄りかかったラズを抱き上げ、隣の寝室へ向かう。あまりに軽々と持ち上げて見せるものだから、ダンは自分でも気づかないうちに僅かな嫉妬を覚え、顔をしかめていた。

 一先ずベッドの上にラズを横たえ、ネイはダンと挨拶を交わして見送った。そして再び寝室に戻る。ラズを起さぬようそっと毛布を上にかけ、しばらくその寝顔を眺めていた。

 不意にその頬を撫で、穏やかな寝息を立てている横顔にそっと囁く。


「……あまり他の男に懐くな」


 枕の陰に隠れた〈闇〉達がそんな二人の様子を覗き見て、楽しそうにその小さな体を揺らしていた。





 ***


 翌日。昼間のアルバーナ広場は沢山の人で賑わっていた。中心にあるのは黄色が鮮やかな大きな大きなテント。様々な色の旗がそれを彩り、周囲には多くの屋台が並んで美味しそうな匂いも漂ってくる。まるでお祭りのような光景にマリアベルは言葉を忘れて魅入っていた。


「すごいね! マリアベル!!」


 隣でヘリオが繋いだ手を引くと、マリアベルは満面の笑みで何度も頷く。


「えぇ! 素敵! こんなに賑やかな場所に来たのは初めて」


 シィシィーレでも季節ごとの祝いなどで多くの人が集まる。けれど王都の賑わいはそれ以上だった。どこからか流れてくる軽快な音楽がマリアベルの心を弾ませる。

 興奮冷めやらぬ様子でキョロキョロと急がしそうに周りに目を向ける二人の邪魔をせぬようその後ろに着いて行くダンの様子をオリバは微笑ましく眺めていた。マリアベル達も、そして彼らの護衛の三人も今日は私服で広場に居る。近衛騎士の二人は帯剣しているが、端から見れば貴族の子息二人と令嬢に付き添う屋敷の私兵に見えるだろう。テグラルは貴族達が好んで着るデザインのスーツに身を包んでいるが、懐には羽ペン程の大きさの杖を隠していた。他にも多くの騎士達が護衛の為に配置されている。街の警備兵、サーカスの客席、屋台の店員など約三十名ほどが動員されているのだ。


「屋台で何かお買いになりますか?」


 三人の兄、という設定のテグラルがそう提案するとマリアベルは顔を輝かせた。


「いいんですか!」

「え、えぇ」


 余りに眩しい笑顔にテグラルは動揺する。昔から女性とは縁がなく、仕事一筋だったテグラルにマリアベルは魅力的過ぎた。あまりの衝撃に固まってしまった彼の様子にマリアベルは首を傾げる。


「あの……、どうしました?」

「あっ! いえ。何も…。や、屋台はどこを見ますか?」


 何とか表面を繕ろうとしているが、耳が赤くなっている。いくら優秀な魔術師とはいえまだ二十四の青年。打合せの時とはまるで違う様子に今年三十路のオリバは思った。若いな、と。






「何故ここにいるんですか」


 先程とは打って変わって青筋を立てながらテグラルは硬い声を出した。

 屋台で焼き菓子を買い、サーカスのテントの中に移動した三人は予め打合せされた席に二人の殿下とマリアベルを案内した。三人の両隣にオリバとクレイドが座り、その後ろの席にテグラルが着く。その予定だったのだが、テグラルの席の更に後ろにはここに居る筈のない人物が二人いた。師匠のサグホーンと弟子のトマスだ。二人は私服姿で串焼きとリンゴ飴を手にしている。テグラルを見つけるとサグホーンは嬉しそうに手を振った。


「やぁ。テグラル。奇遇だね」


 その笑みにテグラルは眉間に皺を寄せ頭痛を我慢するようにこめかみに手を当てた。


「そんな訳ないでしょう。勝手に城を空けるなんて何を考えているのです」

「勝手じゃないよ。ちゃんとレギ師長の許可は取ってある。それに塔には優秀な魔術師がわんさかいるんだ。一人や二人抜けた所で城の結界に綻びなど生じないさ」


 相変わらずの緩い態度が腹立たしいが、それでも彼が仕事を軽視していないことは自分が良く分かっている。テグラルは諦めの溜息をつくと、彼らに背を向けて自分の席に着いた。前を向いたまま、声を落として話しかける。


「それで、本当の目的はなんです」

「……あ、やっぱりバレた?」

「当たり前でしょう。単にサーカスに来たいだけなら俺の居るこの日を避ければいいだけの話です。今日のこの時間のステージでなくてはいけない理由があるのでしょう?」


 鋭い弟子の推察にサグホーンは満足げに頷いた。そして彼も声を潜めて話を続ける。


「“兆候”だよ」

「!! 二つ目の?」

「あぁ。そうだ。今日この時間この場所にトゥライアの行く末を大きく左右する“兆候”が現れる」

「“南の兆候”という訳ですか」

「その通り」

「確かなんですか? それもレギ様が?」


 その時、ぴくっとトマスの肩が揺れた。不安そうな顔をする彼にサグホーンは笑って頷く。


「いや、トマスが見た(・・)んだ」

「……成る程」


 テグラルは目の前に広がる客席と空のステージを眺めながら思考に耽った。

 この国、トゥライアの魔術師の頂点にいるのが塔の魔術師長を務めるレギ=フレキオン。現国王が幼き頃から国政を助けてきた実力者でもあり、魔力も技も申し分なく最高の魔術師として名を馳せている。ごく一部にしか知られていないが、彼には魔術師としてではない別の顔があった。それは占い師としての顔。生まれつき『先見』と呼ばれる特殊な力を持ち、未来を示す予言を残すことが出来る貴重な存在である。

 その彼が一年前、国王にある予言を告げた。


『トゥライアの運命を決める“兆候”が現れます。一つは東から。一つは南から。そして最後は西から。それらを逃さず吉兆へと導けばこの国の未来は開かれるでしょう』


 そして最初の兆候が現れた。大陸の東に位置するシィシィーレ島からの巫女、マリアベルだ。国王は彼女を国賓としてもてなし、フェルノーイ神の託宣を受け入れた。

 テグラルは目の前に座っている美しい少女に目を向ける。このたった一人の巫女がこの国を変えるのだ。予言を告げたのがレギ師長でなければ到底信じられなかっただろう。

 そして今日、次の兆候が現れるという。


(サーカス団は北上して王都へ来た。それで“南からの兆候”という訳か。兆候の一つであるマリアベル様が此処にいることが、現れる条件なのだろう)


 だからサグホーンはテグラルの反対を押し切ってこの日を選んだに違いない。けれどフェルノーイ神の愛し子であるマリアベルの時とは違う。このウェイバーンサーカス団はあくまで普通の芸人達の集まりだ。


(一体、何が現れると言うのか)


 沢山の客達の期待と熱気が集まるテントの中、テグラルは笑み一つ浮かべることなく、じっと開演するその時を待つのだった。

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