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21.おねだり

 

「見て見てダン兄様!!」


 どんっと背中に衝撃が走る。城の廊下を歩いていたダンは前に転びそうになった……が、なんとか踏み留まった。突然背中に抱きついてきた弟を見下ろせば、見上げてくる顔は満面の笑み。あまりにキラキラした目を向けてくるので、一言文句を言ってやろうと開きかけた口が止まってしまった。


「……どうしたんだ?」

「これ!!」


 ずいっと目の前に突き出されたのは一枚のチラシ。カラフルなそれにはこう印刷してあった。


“ウェイバーンサーカス団 ついに王都へ凱旋! 空中ブランコに火を噴く男。人気の猛獣ショーはよりパワーアップ! これを見逃したら話題に乗り遅れること間違いなし! 大人も子供もアルバーナ広場に集まれ!!”


「……。随分とテンションの高いチラシだな」

「もー!! そうじゃなくって!! ホラここ!」


 ヘリオが指差す所を見れば、興業は一週間後から約半月となっている。待ちに待ったサーカスの日が迫っていることを知り、街の子供達と同様ヘリオも興奮しているようだ。


「これから父上の所へサーカスを見に行かせて欲しいって話をしようと思って。兄様も一緒に行きますよね?」

「……いや、俺は」

「お、なんだこれ?」


 ひょいっとダンの手からチラシが取り上げられる。後ろを振り向けばそこにいたのはディンだ。彼はそれをしげしげと眺め、パッと顔を輝かせる。


「おー! サーカスか! いいな、俺も行く!!」

「本当!?」

「当たり前だろ! 一年にこの時期しか来ないんだぜ、サーカスは!!」


 幼いヘリオと一緒になって目を輝かせるディン。もう二十三になったというのにサーカスでこの興奮状態。これでいいのか、とダンが頭を抱えていると彼が握っていたチラシを更に横から伸びた手が抜き取った。


「成る程。サーカスか」

「マック兄様!」


 次に姿を現したのはマックだ。まさか長兄までもが行きたいなんて言い出すんじゃないだろうな。そう心配したダンだったが、彼は良い意味で予想を裏切ってくれた。


「サーカスが来たんだよ! マック兄様もご一緒しませんか?」

「ありがとう、ヘリオ。でも俺は執務があるからね。マリアベルも楽しみしているようだし、一緒に行って来るといい」


 そう言ってマックは末弟の頭をくしゃりと撫でる。残念そうな顔をしたヘリオはその手に慰められて顔を上げた。


「俺の分までしっかりマリアベルをエスコートしてあげてくれ」

「はい! 兄様」


 するとその会話を横で聞いていたディンがムッと眉を歪めた。


「なんでエスコート役がヘリオなんだよ。それだったら俺が……」

「ディン」

「…な、なんだよ」


 先程ヘリオに笑いかけていたのと同じ人物だとは思えないほど冷たい笑顔でマックはディンを見る。その迫力にディンがたじろいだ。


「お前も仕事があるだろう。俺と共に留守番だ」

「なんでだよ! 一日ぐらいいーじゃねーか!」

「そう言って一昨日も仕事をサボったな、お前は」

「うっ……」


 一昨日もそして五日前も。前例を挙げればキリが無いほど、何かにつけてディンはサボる癖がついている。今度ばかりは見逃さないと言う長兄の言葉に押されて、ディンはしぶしぶサーカス観覧を諦めた。

 長兄・次兄共に行けないとあっては、ヘリオの矛先も自然とダンに向けられることになる。


「ダン兄様。どうしても一緒に行ってはくれませんか?」

「…………」


 大きな飴色の目を潤ませて見上げてくる末弟にダンは負けた。結局三人の兄達はなんだかんだ言って歳の離れた弟が可愛いのだ。






「見て見てラズ!!」


 どんっと正面から衝撃が襲う。ネイと共に廊下を移動していたラズは突然現れたマリアベルに体当たりのように抱きつかれ、思わず咳き込み……そうになったがなんとか我慢した。一言非難しようとぎゅっと腕を回している彼女を見れば、逆にキラキラとした眼差しで見返される。余りに嬉しそうなその表情に口から出掛かっていた苦情が引っ込んだ。


「……何かあった?」

「これ!!」


 バンッと目の前に突き出されたのは一枚のチラシ。色鮮やかなインクで印刷されたそれはこう謳っていた。


“ウェイバーンサーカス団 ついに王都へ到着! お馴染みピエロに綱渡り。猫の玉乗りは必見!! これを見逃したら向こう一年後悔するぜ!! 老若男女、特にカワイ子ちゃんはアルバーナ広場に集まれ!! セクシーなオネエさんも大歓迎!!”


「これはまた……。書いている奴の人柄がよく分かる押し付けがましい勧誘だな」

「ラズったら! そうじゃなくて、ここ!」


 彼女が指している一文を見れば、サーカスの開幕は一週間後。興業期間は二週間となっている。以前から楽しみにしていたサーカスがもうじき見られることを知って喜んでいるようだ。


「ヘリオが一緒にって誘ってくれたの。ラズも勿論行くわよね?」

「……いや、俺は」

「ラズ―――っ!! ……おっとっと!」


 廊下の端からラズの姿を見つけて走りこんできたのは金髪の魔術師セフィルド。けれどその鼻先によく手入れされた剣の切っ先が突きつけられ、ラズ達の二メートル先でその足を止める。抜刀したネイに両手を上げて降伏のポーズをとってはいるが、嬉々としているその表情を見れば降伏の意思など微塵も無いことが分かる。彼はその格好のままラズの背に庇われ呆気にとられているマリアベルに笑みを向けた。


「こんにちは。マリアベル様」

「……こんにちは、オレゴンさん。その……、大丈夫ですか?」


 剣を向けられたまま挨拶するとはなんとも異様な光景だ。けれど挨拶を返されたのが嬉しかったのか、変態魔術師はデレッと顔を崩した。どれだけ神経図太いんだ。


「巫女様は優しいなぁ。俺のことはセフィルドと呼んでください」

「呼ばなくていいぞ」

「呼ぶ必要はありません」


 隙間無く発せられた否定の言葉。ラズならともかくネイまでも。いつもなら黙ってラズの警護に集中しているネイの珍しい姿と、未だに剣を下ろさない様子を見て余程仲が悪いんだわ、とマリアベルは密かに思う。


「酷いな二人とも。俺が彼女と仲良くしたっていいじゃないか」

「しゃべるな。近寄るな。目を合わせるな。マリィに変態がうつる」

「ラズ~。そんな病原菌みたいな言い方をしなくたって」

「黙れ」


 ネイの剣先が眼前まで迫る。背を反らして距離を取るが、その表情が引きつった。ネイが本気で刺す気だと分かったらしい。

 そんな騒動に巻き込まれ、結局サーカスの話を有耶無耶にされてしまったマリアベルだった。





 ***


 重厚な造りのこの部屋はトゥライア国騎士団の最高責任者ベック=ワイズの執務室である。若い騎士達なら扉を開けるだけでも緊張を強いられるだろう空気。それは今、シークの目の前に座っているワイズ騎士団長本人が持つ独特の雰囲気のせいだろう。四十を越えても衰えなど見えない鍛えられた肉体。短く整えられた髪と同じ色のボルドーの瞳は、いつも冷静な光を帯びている。騎士達のトップに立つのに相応しい見目と実力を彼は兼ね備えていた。

 そんな本人を目の前にしても緊張することなく、警備の打合せの為に執務室を訪れたシークは手元の書類を確認しながら、向かいのソファに座る騎士団長に話しかけた。


「お忍びですか?」

「あぁ。街の警備団に騎士を紛れさせる。私服の近衛騎士を客席にも配置するから問題はないだろう」

「人員は?」

「殿下達とマリアベル様にはオリバとクレイドをつけて行動を共にしてもらう」


 頼りがいを感じさせる落ち着いた声が部屋に響く。巫女の護衛の責任者であるオリバとクレイドならば問題なく任務を遂行するだろう。上司の指示に不備など見当たらないが気になることが一つ。シークは周囲から細いと評される目を上司に向ける。


「ネイザンは良いのですか?」

「ネイザン? ネイザン=ヴィフィアか?」


 確かにネイザンも優秀な近衛騎士の一人ではある。けれど今は別の客人の護衛を専属で任せているのだ。この任務に付けるわけには行かないだろう。近衛騎士団長として直属の部下の事情を把握している筈のシークから出たその疑問にベックは眉根を寄せる。それに気付いたシークは「おや?」と首を傾げた。


「ラズ殿も同行するのでは?」

「いや。彼も行くという話は聞いていない」


 陛下から指示があったのは第三王子ダリオンと第四王子ヘリオスティン、客人マリアベルの三人だけ。彼らがこの度王都にやってきたサーカスに行きたい、と言うのでその護衛をベックに命じたのだ。その中にラズの名前は無かった。

 ベックの応えにシークは意外そうな顔をする。


「そうでしたか」

「何かあるのか?」

「いえ。シィシィーレ島にはサーカスがないと聞いていたもので、てっきり彼も一緒に行くのかと」


 客人達の故郷、シィシィーレ島にサーカスが訪れないとは初耳だ。ラズはネイザンと共に近衛騎士の訓練場に時折顔を出すらしいから、シークとそんな話をしたのかもしれない。

 代々続く貴族家長男のベックとは違い、市井出身のシークは近衛騎士を率いる団長とは思えないほど気安い性格をしている。明るい山吹色の髪と目、親しみやすい口調。けれどいざと言う時の判断力に優れ、一瞬で部下達を引き締める事の出来る力も有している。彼が気にしているらしい細い目を気楽にからかうことが出来るのだから、決して舐められている訳ではなく、部下達とは良好な関係を築いているのだろう。それは陛下の客人に対しても同じらしい。


「子供じゃあるまいし、彼にも仕事がある。行かないこともあるだろう」

「まぁ、そうですねぇ。ラズ殿とネイなら腕が立つし、護衛と二役で丁度いいと思っていたのですが」

「成る程な」


 そうだ。目の前のこの男は抜け目の無い性格だった。お陰で城の内務官や魔術師達には「キツネめ」と毒を吐かれる事もあるが、自分にとっては頼もしい限りだ。確かにシークの言う通りラズならマリアベルの幼馴染だから自然に友人として接する事が出来る。お忍びで警護するのには最適な相手だ。だが相手はあくまでも客人。元々行く意思がないものを無理に同行させる事など出来ない。


「代わりに同行させる騎士を増やすか」

「その方が良いかも知れません」

「サーカス関係者との打合せと下見も必要だな」


 お忍びとなれば当然サーカス団の協力が必要になる。前もって会場内、客席、テント周りをチェックして警備の配置を決めなければ。


「呼びますか?」

「いや、こちらから出向いた方が不自然ではないだろう。しかし俺とお前は大衆に面が割れているからな。オリバに行かせるか」


 王都に住む人間でベックの実家、旧家であるワイズ家を知らない者などいない。ボルドーの髪と目は彼らの血族の特徴でもあるし、何よりかの家はある因習により有名でもある。それは影で囁かれている噂。ワイズ家の血を他に渡さぬ為に近親結婚を繰り返している、と。数百年も昔であれば当たり前であった近親との婚姻も今では忌むべきものとなっている。当のベック自身は独身だが、彼が騎士団長に選ばれた際にはかなりの反対意見もあったらしい。結局は実力がものを言って反対を押しのけたわけだが、彼を畏怖しながらも尊敬している騎士達とは違い、昔から反発している魔術師達は今だベックを認めてはいない。それが余計に双方の仲を悪化させているのだ。

 ワイズ家が有名であることを抜きにしても、騎士団長と近衛騎士団長は儀式やパレードなどのイベント事で民衆の前に姿を現すことが多い。顔が割れているも当然。代役を立てるのは正しい判断だ。シークは上司の言葉に頷いた。


「それがいいでしょうね」

「まずはサーカス側と連絡を取って日程を詰める。塔にも使いを走らせてくれ」

「分かりました」


 王族の警備には必ず騎士団と塔の双方で当たることが決められている。どちらか一方だけが王族に強い影響力を持つことを避けるためだ。昔から仲の悪い互いを牽制する為に三代前の宰相が決めた、要は抜け駆け防止である。

 シークは席を立つと頭を悩ませた。さて、一体誰を使いに出せば魔術師達と揉めずに帰ってくるだろうか、と。





 ***


 直径二百メートルの大きなテントの中では大勢の人達が働いている。移動用のテントは軽く丈夫な素材で作られているが、大きな舞台と大勢の客を迎える為のそれを建てるのは容易ではない。移動サーカス団の人員は老若男女合わせて二十人ほど。テントや舞台の建設・分解は毎回現地の大工達を雇って行われるのだ。

 ウェイバーンサーカス団が国に許可を得た広場に着いてからテントが無事に建つまでには三日を要した。今はテント内の舞台と客席の建設中。合間にもサーカスに所属する団員達には打合せや動物の世話、自分達の技の練習と休んでいる暇はない。


 サーカス団の一人、十五歳の少年ウルはそんな慌しい空気さえも楽しみながら檻に入れられた動物達の世話をしていた。ウルはサーカスの仲間でもある動物達が大好きだ。言葉は話せなくても彼らの目線や態度で意思の疎通は十分出来る。何より互いの信頼関係が無ければサーカスの仕事は出来ない。一歩間違えれば大怪我に繋がる技も、彼らとだからこそ成し遂げ、沢山の拍手を貰う事が出来るのだ。

 一通り檻の中の仲間達に餌を配ると、ウルはその端に詰まれた藁の上でのんびり横になっている二匹の獣に近づいた。檻には入れられていない猛獣。白と黒の美しい毛並みを持つ豹だ。ウルが旅の途中で彼らを見つけたのは偶然だったが、不用意に怯えず、警戒もしない豹達はいつの間にかサーカスの一員となっていた。当然最初は檻に入れようとしたのだが、彼らはそんな団員達の手をするするとすり抜け掴まえられず、絶対に檻には入らなかった。けれど鞭を振るわなくても、餌で釣らなくても彼らは大人しく一団について来た。

 檻に入れなくても逃げない事が分かった団員達は二匹の豹を好きにさせている。鎖で繋がなくても暴れる事はないし、威嚇もしない。餌を他から奪う事もしない。不思議な獣だった。

 ウルはこの美しい豹達が好きだ。彼らが傍にいると他の動物達も何故か大人しくしているし、団員達が乱暴しないことを分かっているからか、その毛並みを撫でても身をよじったりしない。ただちらりと相手の顔を見て、すぐにそっぽを向くだけだ。

 二ヶ月間共に旅をして分かったのは、白豹はプライドが高く、黒豹は意外に面倒見が良い事。白豹は必要以上に近づく事を許さない。一方黒豹はと言うと、団員の子である一歳になったばかりの赤ん坊が泣けば宥めるようにベビーベッドを覗き込んだりするし、機嫌が良ければウルを背中に乗せてくれる事もある。

 ウルは手にした皿を彼らの前に出し、今日も笑顔で声をかけた。


「シロ、クロ。ご飯だよ」


 世話係の少年がつけた名前が未だ気に入らないらしい。白豹はジロリとウルを睨み付けた。

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