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17.左の魔術師

「おや。またお会いしましたね」


 再びリケイアの部屋に戻るか、それとも今日は一旦引き上げるか。魔術師の塔、七階の踊り場で悩んでいた二人に声をかけてきたのは見覚えのある銀髪の魔術師だった。


「オレゴンさん?」

「ケヴィンで構いませんよ。ラズ殿」


 ケヴィーノ=オレゴン。マリアベル捜索の際、共にエルラインの下まで同伴してくれた魔術師だ。整った顔立ちに身奇麗な彼を前にすると、先程まで見ていたフレアレクが益々みずぼらしく感じる。魔術師にも色々いるんだなぁ、とラズは変に感心していた。


「ケヴィンさんの部屋もこの階に?」

「えぇ。そうです。お二人はここに来るのは初めてですか?」

「はい。先程までフレアレクさんの部屋にお邪魔していたのですが」


 するとケヴィンは目を瞬いた。


「へぇ。あいつにお客さんなんて珍しい。お知り合いでしたか」

「いえ。ちょっとお話を聞きたくて、リケイア殿に紹介していただいたのです」

「では、これから城に戻る所ですか?」

「できればもう一度リケイア殿にお会いしたいのですが……」


 けれどいつの間にか案内の少年が姿を消している。魔術を使えない二人がリケイアの部屋まで行こうと思えば長い長い階段を上らなければならず、どうしようかと思っていた所だ。

 それを察したケヴィンが苦笑した。


「成る程。今日の受付はハロイでしたね。申し訳ありません。彼は若手の魔術師の中でもプライドが高く、その分剣への偏見が強くて」


 騎士団ではなく剣と称したのは彼なりにネイに気を使ってくれているのだろう。リケイアもそうだが、皆が皆騎士を嫌っているのではないと分かってほっとする。


「よろしければ私がリケイア殿の下へお連れしましょう」

「いいんですか?」

「えぇ。勿論。塔の者がご迷惑をおかけしたお詫びです」


(魔術師というより、どこぞの貴族みたいな人だなぁ)


 短く整えた銀髪と甘いマスクの彼には紺色のローブよりもっと華やかな格好が似合いそうだ。もしかしたら元々良い家の出なのかもしれない。そんなことを思いながら転送陣まで案内され、二人は再びリケイアの部屋を訪ねた。






「成る程、左ですか」

「えぇ。お忙しい所に何度も申し訳ございません」

「いえ、構いませんよ。私もその魔石には興味があります」


 高位の魔術師であるリケイアの自室は広い。部屋は私室、研究室、応接室と分かれていて、三人がいるのは応接室だ。重厚なソファと落ち着いた内装。目の前にはきちんとお茶も用意されている。


「解析ならば心当たりが何人かいるのですが、せっかくだからケヴィーノに依頼されてはどうです?」

「え? ケヴィンさんに?」

「えぇ。彼も解析を得意とする一人です。それに顔見知りの方が話も早いでしょう」

「確かにそうかもしれません」


 フレアレクとひと悶着あった後なら尚更だ。あんな騒動は出来るだけ避けたい。ケヴィンならば人当たりもいいし、騎士団に対して偏見もないからやり易いだろう。


「という訳だから、入ってきて構わないよ。ケヴィーノ」


 リケイアの言葉と同時に扉が自動で開く。魔術の一種なのだろう。そこからケヴィンが顔を出した。ここまで送ってくれた彼がまだ居たことに驚いたが、二人が帰る為には魔術師の協力が要る。その為に残っていてくれたらしい。


「バレてましたか」

「隠す気もなかっただろう。それで? 協力する気はあるのか?」

「リケイア殿の命とあれば勿論ですよ」


 ラズから魔石を受け取り、彼は立ったまま包んだ布を除けて手をかざした。まずは表面の術式を読み取る。中の魔術を閉じ込める為の網、そして漏れ出す威力を調整する為のシステム。それを乗り越えると次は中身を隠す為の術式がパズルのように組み合わさっている。それを解いてもまた次の術式が顔を出すのだろう。一枚一枚薄い衣を剥いでいくような作業だ。


「成る程、これは中々面倒ですね」


 魔石から手を離したケヴィンを下から窺う様に見上げていたラズと目が合い、彼はにっこりと微笑んだ。


「ですが面白い。時間は掛かりますが私にお任せいただけますか?」

「ありがとうございます。助かります」


 ラズは立ち上がり頭を下げた。一時はどうなるかと思ったが、この解析が無事に終われば呪の正体に大きく近づく筈だ。

 魔石はケヴィンに預け、リケイアに礼を言って部屋を出た。再びケヴィンに下まで送ってもらい、悪びれた様子など少しも無いハロイから受付で剣を受け取って塔を離れる。陽はすっかり中天を過ぎていて、昼食を食べ損ねていたラズとネイはそこから真っ直ぐに騎士団の宿舎へと向かうのだった。





 * * *


 目の前の菓子が次々に無くなっていくのは不可思議な光景だ。一体この小さな体のどこに入るのだろうと思うほど、勢いよく口に放り込まれては消えていく。マリアベルと一緒にお茶をしていたヘリオも、それを見ながら感心した様に呟いた。


「よく食べるねぇ」

「えぇ。そうね」

「精霊ってお菓子も食べるんだね」

「食べる子もいれば食べない子もいるわ。シィシィーレにはお酒を飲む精霊もいるのよ」

「へぇ、そうなんだ」


 そんな二人の間で、実に美味しそうにクッキーやタルトを頬張っているのは木の精霊、アールハマトだ。二人の会話も右から左で、彼は皿の上の菓子を手にとっていく。そんな姿が面白くて、ヘリオは更に新しい菓子を持ってくるよう侍従に頼んでいた。

 先日の失踪事件以来、マリアベルとヘリオの二人はアールハマトとすっかり仲良くなっていた。と言っても気まぐれなアルが姿を見せるのはお茶の時間くらいのもので、明らかに美味しいお菓子が目当てのようだ。それでも自分の傍に姿を現してくれるのが嬉しいらしく、ヘリオはアルを歓迎していた。


『これ旨いな』

「あぁ。これ? チョコブラウニーって言うんだよ。バニラアイスを乗っけて食べるともっと美味しいんだ」

『そっちが食べたい』

「今日はアイスがないからまた今度ね。こっちも美味しいよ」

『なんだこれ』

「食べたことない? クリームブリュレ」

『くれ』

「いいよ」


 手渡すとすぐに皿が空になっていく。アルは今知り合いにしか見えない姿になっている。その為最初は何事かと驚いていた侍従達も、二人に精霊の友達が来ているのだと説明されると納得したのか普段通り給仕に徹していた。


「あ、ラズ!!」


 騎士団の宿舎から城へ戻るラズ達を見つけて、中庭のテラスにいたマリアベルは手を振った。それに気付いたラズが傍に寄ってくる。するとアルはげっと表情を歪ませた。


「アールハマトじゃないか。何やってるんだ? こんな所で」

『お前はあの時の!! って事は……』


 恐る恐るアルが後ろを振り返る。すると音も無く現れた美しい二人を見て表情を凍らせた。


『なんて下品な』

『あら、本当。アールハマトったらお行儀良くしなきゃダメじゃない』


 姿を見せたのは二人の〈風〉。ラズの親友であり、アールハマトの教育係を名乗る上位精霊だ。


『ジジィとババァめ……』


 口の中でこっそりと呟いた言葉もしっかり二人には届いていて、特に女性的な〈風〉がそれに敏感に反応した。


『だーれーがーババァですってぇ!?』


 その場に風が巻き起こり、アルの体が浮いたかと思うとあっと言う間に〈風〉に拘束される。グリグリと拳で両こめかみを攻められている姿は見ているだけで痛々しい。


『いててててて!! ギブギブ!!』

『前回からちっとも反省していないようね! いいわ! 私が特別メニューを用意してあげる』

『嘘だろ! もうアレはいやだぁぁ!!』


 アルの悲鳴を残して三人の精霊は消えてしまった。騒がしかった中庭が一気に静まり返る。唖然とそれを見ているしかなかった四人だったが、誰もが同じ事を思ったことだろう。〈風〉のお仕置きだというアレって一体何なんだろう、と。





 ***


 一週間後。ラズの下に一通の書簡が届いていた。贈り主の名は魔術師のケヴィーノ=オレゴン。内容は魔石の解析が進んだから意見を聞きたいとの事。早速彼の下を訪ねたい所だが、ラズは躊躇していた。

 実は今日、ネイは非番で傍にいない。せっかくの休み中に呼び出すのは忍びないので一人で行きたい所だが、前回塔を訪れた後約束させられたのだ。絶対に一人で塔には行かないと。


(うーん。どうすべきか……)


 約束を護りたいのは山々だが、一刻も早く呪いは解きたい。それに相手はケヴィンだ。彼を訊ねるだけなら以前のように不快な思いをすることもあるまい。話を聞くだけで長居をしなければ大丈夫だろうと結論付け、ラズは上着を手に取り塔へと向かった。


 塔の受付まで行くと、今日の担当はあのハロイと言う少年ではなく、彼と同じ歳位の丸ぶち眼鏡の少年だった。小動物を思わせるくりくりとした目に砂色の髪。彼は微笑みいらっしゃいませ、と迎えてくれた。どうやら今日は当たりの日のらしい。それとも騎士が傍にいないからだろうか。

 とっとと用件を済ませてしまおう。早速七階まで転送陣で送られて、ケヴィンの部屋をノックする。返事があって中に入ると一瞬ラズは戸惑った。

 背は高く、タレ目がちな整った顔。紺色のローブとそして自分を出迎えてくれた声。どれも自分の知っているケヴィンと同じなのだが、髪の色が違った。以前会った時は短い銀髪だった筈なのに、目の前の彼は肩まで伸びた長い金髪をポニーテールにしている。

 部屋に入る前にプレートは確認した。ここは彼の部屋で間違いない。まさかこの一週間でイメチェンでもしたのだろか。魔術で髪の色を変えたり、伸ばしたりできるものなのか?

 目を白黒させて自分を見ているラズの前で、彼は可笑しそうにくすくすと笑った。


「ここはケヴィーノの部屋で間違いないよ」

「は、はぁ」

「ごめんね。君の反応があまりも可愛いから、ついつい黙って観察しちゃった」


 そう言ってケヴィンそっくりの金髪男がソファから立ち上がり、ラズの前に進み出る。彼はその場で腰を折ると、まるでどこぞの貴族の娘を迎えるかのようにラズの手を握った。


「俺の名前はセフィルド=オレゴン。ケヴィーノの双子の弟なんだ。よろしくね」

「あ、ご兄弟でしたか」

「そっくりだろ?」

「えぇ。びっくりしました。あの、ケヴィンさんは?」

「あぁ、ごめんね。上から急な呼び出しがあって今出てるんだ。それまで俺が代わりにお相手を仰せつかったわけ」


 そう言って手を取ったままラズをソファまでエスコートする。なんだかキザッたらしいが、それも絵になっていて美形って得だなぁ、とぼんやり思った。


「すぐに帰ってくると思うから、お茶でも飲んで待っててよ」

「はい。ありがとうございます」


 出されたのはきちんと揃えられた白磁のティーカップ。なんだかフレアレクとは大違いで、思わず笑ってしまった。


「何? 何か面白かった?」

「いえ。先日フレアレクさんを訪ねたのですが、お茶といい、お部屋といい随分違うと思って」


 ケヴィンの部屋は本こそ多いものの、きちんと整理整頓されていて雑多な印象は受けない。隅々まで掃除されていて清潔だった。


「あぁ。アレクの部屋に行ったのか。あいつはあんまり研究以外のことに興味ないから」

「親しいんですか?」

「親しいっていうか、同期だからね」


 そんな雑談をしながらティーカップに手を伸ばす。赤味の濃いお茶だ。口元に近づけると花の香りがした。


「これは今流行しているお茶でね。知人にいただいたのでどうか思って」

「へぇ。いただきます」


 一口飲むと鼻から甘い香りが抜ける。飲んだ後には苦味の残る、不思議な味だった。流行っていると言っていたが、あまり沢山飲む気にはならないお茶だ。


「味はどうだい?」

「苦味のあるお茶ですね。香りが大分強い……」


 不意に違和感を感じてラズは言葉を止めた。じわりじわりと体の中心が熱くなる。吐いた息も熱を持っていて頭がボーッとする。風邪を引いた時に近い気もするが、体を襲うのは寒気ではなく篭る熱だ。


「?」


 戸惑うラズをセフィルドは首を傾げて見返した。


「どうかしたかい?」

「あ、いえ」


 ティーカップを置いてラズは背もたれに体を預けた。革張りのソファが冷たくて気持ちいい。


「そうそう、このお茶なんだけど、流行しているのは一部でね。どこか知っているかい?」

「いえ、存じ上げません」

「成る程。君は真面目らしい」

「……どういう意味です?」


 お茶を知らないから真面目、とは意味が分からない。道楽で多くの種類のお茶を好む貴族は多いが、それとは意味が違う気がする。するとセフィルドは無邪気とも言える笑みで楽しそうに語った。


「これが流行しているのは娼館だよ。情欲を促し行為を盛り上げるのに使われるのさ」

「なっ……」

「これには少しアレンジを加えてあるけどね」


 意味を理解して血の気が引く。今、自分が飲まされたのは催淫作用のあるお茶だったのだ。あまりにあっさりと言われ、肉欲など感じさせない笑顔を向けているから一瞬意味を飲み込むのに時間が掛かってしまった。

 ラズはぎゅっと拳を握って自分を嵌めた男を睨みつける。


「お前……」


 すると怯むどころかセフィルドは口角を上げた。途端にその視線が蜂蜜を垂らしたような甘ったるさを帯びる。こうして笑うとケヴィーノとは違う顔が覗く。


「あぁ。いいね、意思の強いその目。たまらないよ。謁見の間で君を見てからずっと手に入れたいと思っていた」

「くっ……」


 まるで自分も同じ茶を飲んだかのようにセフィルドの声が浮つく。彼が立ち上がり、自分の傍に来ようとしていることに気付き、ラズは歯噛みした。

 剣は自室に置いてある。段々と熱に侵され力の入らないこの体では魔術師のホームであるこの塔から逃げ切るのは困難だ。

 ラズは精霊の友人の力を借りるべく、意識を集中させた。

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