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16.魔術師の塔

 翌日。黒い瞳に睨まれ、ラズは朝から冷や汗をかいていた。そもそも自分の護衛であるこの騎士は元々表情豊かではない。声を上げて笑う姿など目にしことはないし、苛立ち誰かを罵ったりすることもない。だから今、彼から醸し出されているこの冷気が一体何を意味しているのか、ラズにはさっぱり分からなかった。大体自分は彼を怒らせることなど言っていない筈。ただ訊ねただけだ。塔に行くにはどうしたらいいんだ?、と。


「……塔?」


 聞き返されたネイの声はやはり凍り付いている。何が気に入らないんだ、と思いつつも彼の静かな迫力を前にそうとは言えず、自分の護衛に対して思わず敬語になってしまう。


「……塔、ですが、何か?」

「何故塔に?」

「何故って……」


 そこでラズは自分の棚に置かれている布の塊を指差した。今は〈風〉の力を借りて魔力が出ないよう封じてあるその中には、先日二人がイーシャに行って採ってきた魔石が置いてある。ここ数日のマリアベルの失踪騒ぎですっかり忘れていた調査をラズは開始しようとしていた。


「あの魔石を調べてもらう為だよ。俺は魔術には詳しくないし、専門家に聞くのが一番だろう?」

「…………」


 するとネイは納得したのか物騒な雰囲気を引っ込めた。何が彼の地雷を踏んだのか、結局分からないままだ。


「俺は塔に行ったことがない。騎士団と魔術師はほとんど交流がないんだ」

「そうか。ならハディーさんに相談してみようか」


 自分の仕事を管理しているハディーに訊くのが一番だろう。そう思ったが、ネイが魔術師の名前を一人挙げた。


「リケイア殿は?」

「あぁ、リケイアさんなら力になってくれそうだな。彼に魔術師を紹介してもらおうか」


 リケイアはマリアベル失踪の際に力を貸してくれた壮年の男性で、右の中でも高位の魔術師だ。彼ならば快く協力してくれるだろう。塔に行って彼を訪ねよう、と言ってみるがネイは賛成してくれなかった。


「彼をここに呼ぶのではダメなのか?」

「うーん。立場としては俺の方が下だし、やっぱりこちらから出向くのが礼儀だろう」

「…………」


 今日のネイはおかしい。これほど歯切れの悪い態度は初めてだ。

 ラズが覗き込むように彼の表情を窺うと、ネイはそっと目線を外した。


「そんなに塔に行きたくないのか?」

「……そういう訳ではない」


 行きたくないのではなく行かせたくないのだ。クレイドの忠告を思い出すが、そうは言えずにネイは口を閉じる。


「ふーん。騎士と魔術師は仲が悪いって聞いてたけどホントなんだな」

「…………」


 するとネイは魔術師嫌いだ、と結論付けたラズはとんでもないことを口にした。


「リケイアさんが今回の件を了承してくれれば塔に行くのは俺一人でも大丈夫だろうし、別に無理してついて来なくてもいいよ?」


 何故そうなるんだと言いたくなるが、元々スラスラと言葉の出てこないネイでは絶句するしかない。

 あぁ、いくら自分が言葉を重ねてもラズは塔に行くのだろう。彼は何事も自分の目で見て、耳で聞かなければ納得しない性質なのだ。自分の足で塔に行くことを厭わない彼を口下手な自分が説得など出来る訳がない。となれば、自分に出来るのは彼の傍に付き、不埒な輩が近づかないよう目を光らせることだけ。

 ネイはつきそうになった溜息を飲み込み、ラズを見た。


「……いや。行く」

「そう? まぁ、ネイが来てくれるなら助かるよ」


 最後に向けられた笑顔に再びネイは口を閉ざした。あまりにも無防備に信頼されている、そんな顔をされたら行くしかないだろう。心の中だけで悪態を付き、ネイはラズと共に彼の部屋を出た。






「うわー。魔術師って高い所が好きなのか?」

「……さぁ」


 そんなに魔術師が嫌いか。硬い声で返事をするネイに思わず内心ツッコミを入れる。

 魔術師達が詰めている塔は真下から見上げれば天辺がどこまであるのか分からないほど高い。円柱の形をした建造物は石造りで、一階から五階ほどまでは緑の蔦で覆われ、ポツポツとある窓はそれほど大きくない。不思議なことに窓は部屋によって大きさが異なり、あまり計画的に造られたようには見えなかった。もしかしたら後から上へ上へ増築を繰り返した結果なのかもしれない。城の敷地の中で最北に位置するこの塔の周りは木々が多く、花々が美しく咲き誇っている。もっと研究所然とした所を想像していただけに意外だった。

 そんな景色を眺めていると、段々と塔に近づくに連れてネイがピリピリとしてくるのが分かる。隣にいるんだから止めてくれないかな、と思うが仕方ない。ラズはそれに気付かぬフリをして塔へと足を踏み入れた。


 一階にあったのは二つに分かれた螺旋階段と中央の受付。鼠色の長いローブを羽織った少年にリケイアを訪ねてきたことを告げると、彼はにこりともせずに「あぁ、伺っていますよ」と口にした。ここに来る前にアポイトメントを取っておいたのだ。だが、それですんなり通して貰えるわけではなかった。


「剣は置いていってください」


 あまりにも不遜な態度の少年にラズは唖然とした。歳で言えばまだ十二・三歳程だろう。その彼がネイを睨め付け、そう言ったのだ。ラズは愛用の剣を自室に置いているが、護衛のネイは違う。しかも彼は騎士。命とも言える剣を手放すことはその意義を無くすことに等しい。そんな条件飲める筈がない。

 無言でピクリと眉を動かしたネイの代わりに、ラズが口を開いた。


「何故剣を?」

「ここは魔術師の塔です。護りは万全で剣など必要ありません」

「それは分かりますが、何も預けなくたって……」

「ここには貴重な資料や資源が集められています。少しでも誤ってそれを傷つけられるようなことがあってはいけませんからね」


 随分と嫌われたものだ、とラズは嘆息した。だが騎士にとって剣は誇り。それをただ同伴の為だけに手放させる訳にはいかない。


「ネイ。ここで待っていてくれないか。リケイア殿には俺が会ってくるよ」

「俺も行く」

「けど……」

「俺はお前の護衛だ」


 そう言うと、ネイはあっさり腰元から鞘ごと剣を抜き取った。それを少年に渡し、二人は階段へと案内される。

 魔術師と騎士団の遺恨は相当根深いらしい。ラズはネイに申し訳ないと思うと同時に、この先のことを思って無意識の内に溜息を吐いていた。



 リケイアはやはり話の分かる魔術師だった。二人の相談にも快く応じ、水を専門としている魔術師を紹介してくれた。早速その足で彼の部屋へ向かう。その魔術師の名前はフレアレクと言い、塔の七階の端に自分の研究室兼自室を構えているらしい。

 驚くことに塔は二十四階まであった。一階につき十部屋があり、それらは左右に分かれている。単純に右の魔術師達は右側の五部屋、左の魔術師達は左側の五部屋。高位の魔術師ほど上の階に部屋を与えられる。リケイアは高位に数えられる右の魔術師の為、その部屋は二十一階の右側に位置していた。塔の内部には階段が設けてあるが、当然それを一階から上るわけではない。三階まで行くとそこには左の魔術師が作った陣があり、魔術を扱える者が同伴していればそこから自分の望む階に敷かれた対の陣まで移動できるのだ。ラズにはどうなっているのかさっぱりだったが、実に便利な魔術だった。

 そして今度は二十一階からフレアレクの部屋がある七階までその陣を使って降りてきた所だ。二・三階の移動なら階段を使用するらしいが、後はもっぱら転送陣を使用して魔術師達は移動するのだという。

 彼の名前が刻まれた金属プレートがかかっているドアを見つけ、ラズは軽くノックした。


「こんにちは。フレアレクさん。いらっしゃいますか?」


 だが返事がない。何度かノックを繰り返してもそれは同じ。外出中かと思ったが、ならばプレートは裏返しになっている筈。今度は強めにノックした。


「いないんですか? フレアレクさーん」


 すると若干の間があった後、カチリとドアが開いた。けれど開いたのはほんの十センチ程度。そこから顔を覗かせたのは中途半端に伸びたボサボサの黒髪に、分厚い眼鏡をかけた男性だった。


「帰れ。嘘吐きは嫌いだ」


 バタンッと乱暴に閉じられたドア。まさしく門前払い。

 そもそも初対面だというに嘘吐き呼ばわりとはどういうことだろう。彼の言いがかりに、何がなんだか分からず呆気に取られていたネイは、黙ったまま何も言わないラズの名前を呼んだ。


「ラズ……」

「心配するな、ネイ。今のは言葉遊びみたいなもんだ」

「?」


 どうやらラズはフレアレクの態度が何を意味するのか理解しているらしい。首を傾げるしかないネイだが、そんな彼にラズは抑揚のない声で説明を続けた。


「何一つ嘘を付かずに生きている人間なんて居ると思うか? 要は手っ取り早く来た人間を追い払う為の言い訳なんだ……」


 言いながらラズは右足を持ち上げる。そしてそれを乱暴に振り下ろした。


「よ!!」


 バンッという大きな音と共に木製のドアが無理矢理こじ開けられる。同時に歪んでしまった鍵の金具が床に落ちた。そこにいたのは三十代半ばの男性。彼もそして隣に控えていたネイもあまりの驚きに言葉を失っている。

 そんなフレアレクにラズがニコリと笑顔を向けると、彼は表情を引きつらせて顔を青くした。


「なっ…、なんて野蛮な……」

「こんにちは、フレアレクさん。今日俺達がここに来ることはリケイアさんから聞いていますよね?」

「し、知らない!! 私は何も聞いてない!!」


 そんな筈はない。二人がこの部屋に来る前に、リケイアが彼の所へ伝令を送っているのだから。


「ほー。でしたらご本人を呼んで聞いてみましょうか? その代わり、こちらに非がないと分かった場合、事前連絡をしていたにも関わらず客人を追い払ったことへの謝罪はたっぷりとしてもらいますから、そのつもりで」


(……キレてる)


 ネイはそう一人ごちた。笑顔で責め立てるラズとビクビク怯えながら椅子の上で縮こまっているリケイア。礼を欠いた態度を見せた魔術師に非があることは明らかだが、ここまで怯えているとどちらが悪者だか分かったものではない。身なりを気にしないのか、あちこち煤けたボロボロのローブに乱れた黒髪、そして表情の見えない黒ぶちのビン底眼鏡。身なりが整っていないのはそれだけ他人と接触していない証拠だ。魔術師には人嫌いが多いと聞くが、どうやら彼もそうらしい。

 すると二人から目を逸らし、フレアレクはぶつぶつと文句を垂れた。


「だから嫌なんだ。騎士団の連中は言葉の通じない乱暴者の集まりで……」


 それが聞こえた途端一気に部屋の空気が凍りつく。怒りを募らせたのはネイではない。ラズだ。彼は無言で部屋に入り、逃げ腰のフレアレクの顎を掴むと、自分と目を合わせるように持ち上げる。かろうじて口角は上がっているものの、その目は少しも笑っていない。


「残念ながら俺は騎士団の人間ではありませんよ。ちなみにドアを蹴破ったのも俺でネイは一つも手出だししていません。その目は節穴ですか? その分厚い眼鏡粉々に砕いて俺が新しいのをプレゼントして差し上げましょうか?」

「ひっ、ひぃぃぃぃい!!」


 塔の受付から内部を案内されるまでとにかく魔術師達の騎士団差別は顕著だった。剣を取り上げた事から始まり、顔を合わせて挨拶しても無視され、不躾な目線を浴びせられる。リケイアこそそんな態度はなかったものの、積もりに積もったラズの苛立ちが爆発したのだ。一方、先に限界が来た彼の怒りを目の当たりにして、ネイはすっかり自分が怒るタイミングを逃していた。それ所かちょっとフレアレクが気の毒になってきて、ラズの肩に手を伸ばす。


「ラズ」


 その手を肩に置かれ、ラズは視線を横に移した。フレアレクはその救いの手の主を縋るような目で見つめる。それに気付いたラズはどす黒い笑みを浮かべた。


「良かったですね、フレアレクさん。騎士の方が優しい人で」

「うっ……」


 こうしてフレアレクには恐ろしい人物として認識され、ラズは有無を言わず彼の協力を約束させたのだった。



 よくよく見ればすごい部屋だなぁ、とラズはフレアレクの自室を見渡した。

 扉から入って左手の壁は全て本棚で覆われ、正面の大きなデスクの上には所狭しと見たことのない器具が置かれている。その横には様々な色をした瓶や壷、何が入っているのか分からない箱が詰まった棚。右手に小さなベッドとテーブルがあるが、そこも物で溢れている。まさかここで寝ているのだろうか。いかにも研究者らしい、雑多で落ち着かない部屋だ。一番驚いたのはデスクからベッドの間にある小さな噴水だった。どこから水を汲み上げているのか分からないが、ちょろちょろと湧き出る水の中には白い花をつける水草が生えていて、それがラズの興味を惹いた。水を専門とする右の魔術師なのだから、もしかしたら魔術の応用なのかもしれない。

 お茶の一つも出てこないことに最初はまた差別かと腹が立ったが、しばらくしてどうやらそうではない事に気が付いた。人嫌いで引きこもりの彼は、滅多に来ないお客の対応を知らないらしい。この部屋でお茶を出されても何が入っているのか心配になる気もするのでそこには触れないことにした。今は大人しく、デスクに座ってうんうんと唸っているフレアレクの気が済むのを待っている。


 ラズが魔石を見せた時、彼は態度を一変して目を輝かせた。対象がなんであろうと未知の物に惹かれる所は研究者らしい。これまでのことを一通り説明すると、早速フレアレクはデスクに噛り付いた。最初はじっと魔石を眺めていたのだが、その後は叩いたり、何かの瓶を取り出し振りかけてみたり、時には呪文を唱えたりと試行錯誤している。その間は何を話しかけても反応せずに魔石に没頭していた。彼の様子を見ていれば無視しているのではなく夢中になっているのだと分かって、ラズ達は邪魔をしないよう彼の判断を待った。

 フレアレクがやっとデスクから離れ、ラズ達のいるソファまでやってきた時には既に一時間が経過していた。


「これは私の専門とは少しズレますね。あなたの〈風〉が言っていた通り、これは人工的に作られた術式で構築されている。これを解析するには左の方が得手でしょう」


(左、か……)


 残念ながら協力してくれそうな左の魔術師に知り合いはいない。誰か紹介していただけませんか? と問うと、フレアレクは言葉を濁らせた。


「いや、私は……」

「あぁ、引きこもりですもんね」

「うぅ……」


 初対面だというのにすっかり見透かされ、年下の青年相手にフレアレクは身を縮こませた。魔石を目の前にした時の興奮はすっかり冷めてまたビクビクとした態度に戻る。

 そんな彼の姿に苦笑してラズは席を立った。


「分かりました。リケイアさんにもう一度相談してみます。ありがとうございました」

「…………」


 初めて向けられたラズの笑顔。そこで改めて目の前の青年が整った顔立ちをしていることに気付く。久しく人から笑みを向けられることの無かったフレアレクは照れて頬を赤らめた。

 するとその態度にネイが敏感に反応した。衝動的にラズの腰を自分の元に引き寄せる。


「ネイ?」

「ふらついていたから」

「本当? 自分じゃ気付かなかった。ありがとう」


 先日はマリアベル捜索の為に徹夜だったし、まだ疲れが残っているのかもな。そう思い、お礼を言って微笑むラズにネイは穏やかな目線を送り、次に浮かれているフレアレクには冷たい目を向けた。完全に油断していた魔術師はその鋭い視線を受けて背筋に怖気が走る。


「ひっ!」

「??」


 そんなやり取りにラズは気が付かない。だが、人嫌いで始終ビクビクしている彼ならどこで悲鳴を上げてもおかしくない気がして、さして気にも留めずに再度頭を下げて部屋を出た。

 二人がいなくなった後の部屋では、寿命が三年は縮んだのではないかと心配するフレアレクが一人ぽつんと残されていた。

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