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15.向き合う心

 

 欲しいと思った。誰よりも何よりも。優雅で美しい国王の子息達。初めて見たその時から、確かに自分は恋をしていたのだ。


(何がいけなかったというの……)


 リベリはぎりっと奥歯を噛み締めた。


 公爵家に引き取られたリベリが初めて王城を訪れたのは十歳の時。養父であるロベル=ゴーゴルンが仕事で登城する際に同伴し、今まで遠くから眺めるだけだった白亜の城に足を踏み入れた。幼い頃から王子達の妃になるのだと教えられ、淑女としての教養、仕草やダンス。あらゆるものを叩き込まれ、一方で数少ない女児として思う存分甘やかされてきたリベリにとって、あらゆる女性の中でもトップの地位である妃の座は当然自分に与えられるべきものだと信じて疑わなかった。だから初めての登城に緊張することもなく、むしろ興奮を覚えたものだ。そして、謁見の間でリベリは三人の王子達に出会った。

 違う、と一目で分かった。周りにいるどの貴族の子息達とも、屋敷にいるどの大人達とも彼らは違う。美しい顔立ち、凛々しい空気。生まれた時から特別で、高貴な血を引く王子達。どうしようもなく欲しいと思った。彼らが欲しい。どんなことをしてでも欲しい。いや、手に入れる為に自分は公爵家に引き取られたのだ。彼らを手にいれ、妃となってトップに立つ為に存在しているのだ。

 だが、同時に現実を知った。謁見の間に招かれたのはゴーゴルン家だけではないこと、妃候補は自分だけではないことを。自分にはない大人の色香を纏った子爵家令嬢ユーリィ=ササラがその場に控えていた。

 まだ十歳のリベリは焦燥を覚えた。第一王子のマクシミリアンは当時二十歳。三十一のユーリィとは十一もの差があるものの、彼から見れば十歳のリベリよりも大人なユーリィの方が魅力的に映るだろう。

 その日、リベリは自分が憧れの王子達の傍に行くことの出来る選ばれた存在であることを実感すると同時に、早く大人にならなくては彼らを手に入れることが出来ないと知ったのだった。


 リベリに近づこうとする男は多い。同年代は勿論のこと、果ては父親と同じ歳程の大人達もリベリを欲しがる。当然だ。自分は王子達の相手に選ばれるほど優秀で美しいのだから。歳を重ねるごとにリベリは女性としての魅力を身に付ける。それに比例して言い寄る男達の数も増える。それはリベリにとってステータスであり、女としての魅力のバロメーターだった。そんな養女の成長を公爵もまた、満足げに眺めていた。

 男達ばかりに囲まれた思春期。だからリベリは知らなかった。恋の仕方を。養母は自分とは似ても似つかないリベリを愛してはいなかったし、自分よりも身分の低い貴族の家の娘達とリベリは付き合おうともしなかった。それ故に女同士で憧れの男性の話に花を咲かせることも、友人に恋愛相談することもなく、リベリは男の欲望だけを知って成長していた。


 初めてリベリが体の快楽を知ったのは十四の時。夜会に出席した十歳も年上の青年にアプローチされ、リベリは夜の庭に足を運んだ。彼は優しく紳士的だった。だからリベリは王子達への恋心とユーリィへの嫉妬を吐露した。すると彼は言ったのだ。きっと大人のユーリィの方が、王子達の心を掴む術を心得ているだろうと。


「その術ってなんですの?」


 リベリは必死だった。そして無知だった。青年は顔全体で微笑むと、優しくリベリの唇にキスを落とした。


「なっ……、何を……」

「こういうことですよ」

「え?」

「リベリお嬢様は殿下達の心を手に入れたいのでしょう? ならばこちらのお勉強もしなければ」


 そう言って、彼はドレス上からリベリの発達途上ながらも豊かな胸に手を伸ばす。初めて男性の手に触れられ、リベリは羞恥で顔を赤くした。


「やっ……」

「男は女性の体に触れたいものなのです。それは殿下達も例外ではありません。貴方が上手に彼らを満足させることが出来れば、必ず王家は貴方を選ぶでしょう」

「ほ……本当?」


 それは目が眩むほどの誘惑だった。あっという間にリベリは体の快楽を知り、そして夢中になっていった。自分に群がる男達の嬉しそうな顔。満足げな顔。それを見れば王子達もこんな風に自分を求め、そして快楽に身を任せるだろうと容易に想像できた。

 そしてリベリはまず一番歳の近いダリオンの友人達を誘惑した。友と一緒なら何の抵抗もなくダリオンは自分と戯れることが出来るだろう。そう思ってあの夜を計画した。けれど、


「……殿下は?」


 いつまで経っても用意した部屋にダリオンは現れない。男達の手に翻弄されながらも、リベリはダリオンを待っていた。しかし告げられたのは作戦の失敗。部屋の前まで来たものの、彼は驚き去ってしまったのだという。


「そんな…、どうして……」

「まだダリオン殿下は子供なのでしょう。私達のように大人の喜びを知らないだけです」

「……そう、そうね。なら、マクシミリアン殿下やディストラード殿下なら喜んでくれるかしら」

「えぇ。きっと」


 くすくすと漏れる男達の嘲笑。そしてすぐに再開される愛撫。再び快楽の波が襲ってきて、リベリは王子達を思い浮かべながら体を震わせた。

 女に生まれたが故に親の愛情を知らずに育ち、公爵家に引き取られて何不自由ない暮らしと引き換えに妃の座を射止めることが全てと刷り込まれて育った。そして男達に囲まれて育ったが故に体の欲を満たすことを愛だと信じ、自らもその欲望の中に身を沈めてきた。だからリベリは知らない。心を通わすことで得られる、本当の愛を。





 ***


 マリアベルとヘリオスティンを含む一行が王城に帰還したのは朝の七時を回った頃だった。そのまま報告の為に謁見の間に行くものと思っていたが、彼らを出迎えた騎士と侍従達が案内したのは意外にもマリアベルの部屋。そしてそこには先に帰還していたディンとダン、そしてマックが顔を揃えていた。


「マリアベル!!」


 扉をくぐるとほぼ同時にマックの腕に閉じ込められる。ぎゅっと強く抱きしめられ、マリアベルは驚きと同時に泣きそうになった。


「マリアベル。無事で良かった……」

「マック、どうして……。視察が終わるのは来週の筈じゃ」

「報告を聞いて帰ってきたんだ。君が行方不明になったと聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ」

「……心配かけてごめんなさい」


 いつも余裕のあるマックらしくない、掠れた声。マリアベルはぎゅっと胸が掴まれたような苦しみを感じて彼の胸に縋りついた。あぁ、彼にも心配をかけてしまった。そう実感するには十分だった。


「怪我はない?」

「えぇ」


 このままずっと彼女を抱きしめていたい所だが国王不在の今、代理は第一王子であるマクシミリアンになる。彼は名残惜しそうに彼女を腕から開放すると、後から部屋に入室していたラズに向き直った。


「リベリ嬢はどうしました?」

「ゴーゴルン公爵と共に屋敷に帰したよ。彼女には二年間の謹慎処分と今後の登城禁止を言い渡してある。ホロは地下牢行き。裁判にかけられるが、まず実刑は免れない」

「……そうですか」


 それだけ聞ければ十分だとラズは後ろに下がる。マックは部屋に集まっていた面々を見渡した。


「皆ご苦労だった。トラブルに巻き込まれたがこうして彼女が無事に戻ってきたのも皆のお陰だ。レギ、トルマーレ。捜索に加わってくれた魔術師・騎士達を十分に労わってやってくれ」

「御意に」

「はっ」


 魔術師長レギと副騎士団長トルマーレがそれぞれに頭を下げる。それに頷くと、マックはマリアベルや弟達にも顔を向けた。


「皆昨日から寝ていないのだろう。軽食を用意してあるから、食事を取ったらゆっくり休むといい。各自の報告は後で聞こう」


 そこでこの場は解散となり、各自が己の持ち場へと戻っていく。ラズは隣に立っていたネイに声をかけた。


「ネイ。君も宿舎に戻っていいよ」

「いや、部屋まで送る」

「城の中だし、俺は平気だよ。それより早く休みたいだろう?」


 自分の護衛とは言っても彼もマリアベル捜索の為に奔走したのだ。疲れているだろうと思ったのだが、ネイはきっぱりとそれを断った。


「送る」

「……まぁ、ネイがいいならいいけど」


 こういう所は頑固なんだよなぁ。真面目なのも良いけど、いつ気を抜くんだろう。そんなことを思いながら部屋を出ようと歩き出すと、マリアベルに群がっている兄弟達の輪から離れて一人立っているダンが目に付いた。彼も色々あって疲れているのだろう。顔色が良くない。


「ダリオン殿下。大丈夫ですか?」


 ラズに気付いたダンは力のない声で返事をした。


「あぁ……。なぁ」

「はい?」

「後で部屋に行ってもいいか?」

「えぇ。構いませんよ」


 リベリの事を話したいに違いない。夕食前に時間を作ることを約束して、ラズは部屋を後にした。





 ***


「んー……」


 隣から幼い声が聞こえてきて、思わずマリアベルはそっと笑みを零した。ここは彼女に与えられた客室。軽食を済まし風呂に入って、今はカーテンの閉じられたぼんやりと明るい部屋のベッドで横になっている。その隣にはすっかり疲れて眠っているヘリオの姿があった。

 寝ていない兄弟達は全員仮眠を取ることになったのだが、そこでヘリオが彼女と一緒に寝たいと言い出したのだ。今までそんな我儘を言ったことがなかっただけに意外だった。けれどそれだけ心配をかけてしまった、ということなのだろう。目が覚めてまたマリアベルがいなくなっていたら嫌だ、と言われ断れなかった。だがそれに猛反対したのがディン。ならば自分も一緒に、と言い出したのだ。幼いヘリオならともかくディンも一緒となると少し意味合いが違ってくる。ラズや騎士達がいなくなった後の部屋ではそんなひと悶着があった。そして、その結果が今マリアベルの細い腰に巻きついている腕なのである。

 不意にぎゅっと後ろから抱きしめられ、マリアベルは拘束されたまま首だけで後ろを振り返った。


「ディン……。起きてるの?」

「寝てる」

「もう……」


 目を閉じたままマリアベルの頬にキスを落とすと、ディンは更に拘束を強くした。隣に自分がいるのに、ヘリオばかり見ているのが気に入らなかったのだ。そんな拗ねた自分の態度にくすくす笑う彼女が可愛くて、くるりと腕の中で彼女の体を自分に向かせると今度は目を開けて唇を重ねた。


「……デ、ディン。ヘリオが起きちゃうわ」

「いいよ。その時は見せ付けてやる」

「そんなの、…ん……」


 首の後ろを手で押さえ、逃れられなくして何度も唇を啄ばむ。彼女の香り、柔らかな体、温かな体温。その全てを全身で感じてやっとディンは彼女が自分の元に帰ってきたのだと実感した。


(マリアベルがいないとダメだ)


 今回の出来事でそれを痛感させられた。同時に兄のマクリミリアンの顔が浮かぶ。いつも冷静で完璧な兄が慌ててこの城に帰還してきた時の様子には驚かされた。何があっても途中で仕事を抜け出すようなことはしない筈なのに。彼女が無事だと知ってもその姿を見るまでは始終落ち着かず、帰ってきた途端人目もはばからずにあの抱擁。


(兄上も、同じなんだな……)


 胸に燈るのは嫉妬。けれど兄の気持ちも分かってしまうからこそ、一方的に彼女を奪うことも出来ない。

 せめてこの時間が長く続くようにと、ディンは彼女を全身で包み込む。


「マリアベル……」

「何? ディン」

「お前が重要な使命を負っているのは分かってる。けど、俺達兄弟以外を選ばないでくれ」

「え?」

「でないと、嫉妬でおかしくなりそうだ」

「ディン……」


 いつも明るく奔放な彼には似合わない、苦しげな表情。自分を想ってくれている気持ちが嬉しくて、その苦しみが少しでも薄まればいいと、マリアベルはぎゅっとディンを抱きしめ返した。





 ***


「俺は何かを間違えたのかな」

「ダン……」


 仮眠を取り、約束通り夕方ラズの部屋を訪れたダンは開口一番そう言った。二人が座っている対面式のソファの前、ローテーブルの上にはラズが淹れたお茶と、用意してもらった茶菓子が置いてある。甘さ控えめのジンジャークッキーはダンの好物だった。だがそれに手を付けず、彼は苦々しい表情をしている。


「俺が気付いてやれれば、リベリはあそこまでやらなかったのかもしれない」


 マックから沙汰を言い渡されたリベリが口にしたのは、自分はただ王子達に愛される為の努力をしただけだ、という言葉。誰もそのやり方が間違っているのだと彼女に教えてやらなかった。ほんの少しそれを正すことが出来れば、もっと違う結末が待っていたのかもしれない。彼女はトゥライアの呪いに翻弄され、貴族の家の思惑に利用されたに過ぎなかったのだ。それを知ったダンは、あの夜もっと自分が冷静に対処出来ていれば良かったのかもしれない、と後悔していた。

 ラズはそんなダンの心を読み取り、優しく言葉を掛ける。


「君が自分を責める必要はないよ。彼女には不運もあったかもしれないけれど、何をするにも最後に決断するのは彼女だ。負うべき責は彼女にある」

「……あぁ」


 ダンは長い溜息を吐いた。いくらラズが言葉を重ねた所で、心の整理をするには時間が必要なのかもしれない。


「俺は、やっぱりマリアベルを好きになれそうにない」

「……女性が怖いですか?」

「怖い、か。いや、多分そうではなくて、俺には恋愛が理解できない。兄上達のようにマリアベルを見ることが出来ないんだ」


 彼女が無事帰還した時、それを喜ぶ兄弟達の姿を見て実感した。彼らと自分との温度差に。彼女の力になってやりたいと思うし、幸せになって欲しいとも思う。けれどマックのように人前で抱きしめて腕に閉じ込めるほどの情熱もなければ、ディンのように嫉妬に身を焦がすほどでも、ヘリオのように共寝したいと我儘を言うほどでもない。

 美しい巫女と恋愛が出来ないことへの落胆よりも、父親の期待に応えられないことの方がダンには苦痛だった。


「無理して人を好きになる必要なんてありません。自分の心が伴わないものなど愛でもなんでもない。誰に言われるでもなく、自然と一緒にいたいと思える人ができるまでのんびり待っていて良いのですよ」


 穏やかに笑い、そう言ってくれるラズを見てダンは苦笑した。自分がここに来たのはマリアベルよりもラズの言葉が欲しいと思ったから。そのことに今更ながら気付いてしまったのだ。


「お前が女なら良かったのにな」


 何気なく呟かれたその一言に、ラズはぎくりと顔を強張らせた。 


「……はい?」

「ラズと居るのは楽でいい」


 あぁ、なんだ。そういうことか。

 慌てて表情を繕い、お茶のカップに手を伸ばす。それを一口飲んでから心を落ち着かせ、ラズは言葉を返した。


「それは、俺が男だから楽なんでしょう?」

「まぁ、そうだろうな」


 ダンに気付かれないようほっと息をつく。それから夕食の時間が来るまで、二人はポツポツと他愛のない話をして過ごした。

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