12.追及
ツカツカと硬い靴音が部屋に響く。行き場の無い足音の主は応接用の一室でイライラとした感情を隠しもせずに室内を往復していた。居ても立ってもいられないとはこの事だ。
「ディン兄様。座ったら?」
「………」
ヘリオの言葉も耳に入っているだろうに、彼の頭の中はマリアベルのことで一杯らしい。言葉の届かないディンの様子に弟二人は顔を見合わせる。ダンは溜息をつき、ヘリオは肩を落とした。
マリアベルが姿を消した翌日。朝食を終えてから三人はそれぞれの仕事も勉強も手につかず、この部屋に集まっていた。今回の捜索の指揮を取っているトルマーレ副団長と魔術師長レギが詰め所代わりにしている執務室の隣室である。執務室では今も人の出入りが激しく、様々な報告が交わされている。だが三人の居る応接室に報告に来る者は居ない。それは朗報がない証だった。時計はもう夕刻を指している。
(どうして俺はあの時傍に居なかったんだ。どうして……)
ディンの頭を駆け巡るのは後悔ばかり。外交で不在の国王の代わりに長男のマックは今領地視察へ出かけている。だからこそ、自分が護らなければいけなかった。自分が傍にいなければならなかったのに。
そんな彼の思いは口にしなくとも伝わっているのだろう。ダンもヘリオも彼を慰めるようなことは言わなかった。
(マリアベル、マリアベル、マリアベル……)
シィシィーレから王城を訪れた美しい少女。常に穏やかで笑顔の耐えない巫女。たった一ヶ月。共にいたのはそれだけの時間なのに、こんなにも大切になっていたなんて。
一目惚れなんてしたのは初めてだった。国王へ来客を知らせに行く騎士がやけに興奮していたので掴まえてみれば、目の覚めるような美しい少女がいると聞いてふざけ半分に弟達を連れて見に行った。玄関ホールで出会ったのは言葉通りの美少女。彼女の笑顔を見た瞬間に心臓を鷲みにされた。
(何をやっているんだ俺は……)
ライバル視していた彼女の元護衛ラズも捜索に加わっているというのに、自分はここにいて沙汰を待つだけ。何も出来ない、何もさせてもらえない自分が嫌になる。
(俺は……)
その時、応接室の扉が開く音がしてディンは足を止めた。ソファに座っていたダンとヘリオもその方向を見る。入室してきたのはトルマーレ副団長だった。
「失礼致します」
「……なんだ。何か分かったのか?」
前に進み王子達の前で一礼すると、トルマーレは神妙な表情で口を開いた。
「ご報告致します。マリアベル様の部屋を捜索した結果、誘拐したと見られる痕跡は見つかりませんでした」
それを聞いて思わずディンの口から舌打ちが漏れる。
「それなら昨日から進展は無いじゃないか。一体何を言いに来たんだ」
「はい。部屋からはマリアベル様の外套が見つかりませんでした」
「……。それがどうした」
「あくまでも推測ですが、マリアベル様はご自分で部屋を出て行ったものと思われます」
「……なん、だと?」
「ご自分の意思で失踪したのであればこれ以上騎士団を捜索に割くわけには行きません。捜索任務には」
カッと頭の中が熱くなる。トルマーレの言葉を最後まで聞かずに、ディンは声を荒げて彼に詰め寄った。
「ふざけるな!! お前……」
マリアベルがここを出て行くなんてあり得ない。自らの意思で自分達から離れるなど、そんなことはあり得ない。
感情的にその手をトルマーレに伸ばそうとした所を、ダンが慌てて止める。それと同時に部屋に飛び込んできたのは冷静な声だった。
「ちょっと待ってください」
「……お前」
「その前に、私の話も聞いてもらえませんか?」
入ってきたのはラズと侍従長ストレイラ、そして魔術師長レギ。我に返ったディンが乱暴に自分を抑えていたダンの腕を解くと、ラズは彼らの下に来て話を始めた。
「マリアベル様の外套がないのは私も確認しました。人目につく昼日中の誘拐であれば余計な工作をしている時間すら惜しい筈。わざわざ犯人が外套を探して彼女に着せるとは考えづらい」
トルマーレに同意するその発言にディンは歯噛みする。
「ならお前もマリアベルが自分で外套を着て部屋を出て行ったと言うのか」
「えぇ。そうです」
「だが近衛は彼女の姿を見ていない!!」
「仰る通りです。外套云々をどう結論つけようと、結局はそこが問題になります」
「だったら……」
一歩踏み出すディンに、ラズは動揺することなく冷静な目を向けた。
「ディストラード殿下。落ち着いてください。今回私がマリアベルの部屋で見つけた異変は外套だけではありません。彼女の部屋においてあった鉢植えもその一つです」
「鉢? あの枝が伸びていたという鉢か?」
「えぇ。朝切ったばかりの枝が夕方までに急成長するなんて通常はあり得ません。そこに何らかの魔力が作用したとしか考えられない。そこで塔の方にあの鉢を調べていただきました」
そこでレギが一歩前に出る。ラズと同様リケイアからの報告を受け取っていたレギは彼に代わって説明を始めた。
「右の魔術師ノイメイが調べました所、あの鉢には魔術ではなく精霊の力の痕跡があることが分かりました」
「……精霊?」
「えぇ。そうです。城の敷地内にも木の精霊は存在しますが、そのどれとも違いました。つまり、通常城外に居る筈の〈木〉があの日マリアベル様の部屋に侵入し、鉢植えの花に力を与えて成長させたことになります」
その言葉を継いで、再びラズが口を開く。
「木の精霊は通常自分の住処を離れません。何か目的を持ってマリアベル様の部屋を訪れたのです」
人為的に行われたと思っていた彼女の誘拐。けれどそれが精霊の仕業だと聞かされ、その驚きでディンの苛立ちが消える。だが、不可解であることには変わりがない。精霊が意図的に人を攫うなんてことがあり得るのだろうか。
「……待て、ならば精霊がマリアベルを攫ったと?」
「攫った、という言い方が妥当かは判断つきかねますが、少なくとも扉以外からマリアベル様を外に出すのに一役買っていることは確かです。恐らくは部屋の外に植えられている木の枝を部屋のベランダまで伸ばし、彼女を地面まで下ろしたのだと思います。その証拠に部屋の前の大木にも精霊の力の跡が残っていました。鉢植えの枝が多少伸びていたのは精霊が使った力の余波だと思います」
木は日光の力を得て成長を繰り返す。光の恩恵を強く受けている存在なのだ。だから光の気が強いマリアベルとも相性が良く、シィシィーレに居る頃も多くの〈木〉達がマリアベルを慕っていたのだ、とラズは言う。
「マリアベルは自分の意思で外套を着て〈木〉の助けで部屋を出たってことか」
「それが一番無理のない推理なんです。理由は分かりませんが、彼女はむやみに人に心配をかけるような性格じゃない。恐らくはすぐに戻ってくるつもりだったのでしょう。けれどそれが出来なくなってしまった」
つまり木の精霊が起したあの部屋の脱出劇と彼女が戻らない事とは別問題なのだ。〈木〉とマリアベルの間にどんな取り交わしがあったのかは分からないが、誰にも見つからぬよう彼女は部屋を出た。そしてその先で何者かによって足止めされている。
「彼女はどこに?」
「その答えを得るために、殿下方には協力していただきたいのです」
真っ直ぐなラズの目がディンに向けられる。彼は躊躇することなくその言葉の先を求めた。彼女がこの手の中に戻るならなんだってする。その覚悟がラズにも伝わってくる。
「何をすればいい」
「リベリ=ゴーゴルン公爵令嬢を呼び出してください」
一同の表情が厳しいものになる。国王の不在の今、国内の有力貴族とヘタに揉め事を起すのは得策ではない。だが、ディンは迷わなかった。
「ストレイラ、ゴーゴルンの屋敷に使いを走らせろ」
「承知致しました」
ストレイラ侍従長が足早に部屋を出て行く。その後姿をダンが苦々しい表情で見送っていた。
***
ディンの名で行われた召喚に快く応じたリベリはその日、一時間ほどで王城に現れた。侍従に案内され機嫌良く応接室に入る。そこは王族の私室がある南棟しか足を踏み入れたことの無い彼女にとって、初めて訪れる場所だった。
「ごきげんよう。ディストラード殿下、ダリオン殿下、ヘリオスティン殿下。本日はお招きに預かり光栄ですわ」
「突然の呼び出しですまなかったな」
「いいえ。殿下の召喚とあらば、私はいつでも馳せ参じます」
室内に居るのは三人の王子と侍従長ストレイラ。それと若い侍従が二人、お茶の用意をしている。リベリは奥のソファに腰かけ、その向かいにディン、そして脇の椅子にダンとヘリオが座っている。客人とお茶をするには少しおかしな位置だ。
「それで、今日は一体どうなさったのですか?」
リベリはいつも通り屈託の無い笑顔を向ける。謀をしているとは思えない表情だ。それが余計に空々しくて、ダンは彼女から目を逸らした。一方でディンはその一挙一動見逃さぬよう彼女を慎重に眺めている。
「実は、困ったことに昨日からマリアベルが姿を消した」
「え! マリアベルさんが!?」
口に手を当て、リベリは驚きの表情を見せる。その様子からは不自然な点を見つけることは出来ない。
「あぁ。最近君がマリアベルと親しくしていると聞いたよ。花の鉢を贈ってくれたこともあったらしいな。だから、何か彼女について変わった様子や気づいたことがあったら話を聞かせて欲しいと思ったんだ」
「変わった様子、ですか……」
「女性にしか分からない悩みもあるだろう。何か聞いていないか?」
「お役に立てなくてごめんなさい。私、何も……」
「そうか」
悔しげな表情で唇を噛むディン。リベリは悲しげな目で彼を、そしてダンとヘリオを見た。
「あの、シィシィーレ島へ戻られたということはありませんの? ずっと過ごした故郷が恋しくなったのかもしれませんわ」
「シィシィーレか……。それはあるかもしれないな」
一瞬リベリの表情が緩む。それをディンは見逃さなかった。
「そう言えば、この前は誘いを断ってしまってすまなかったな」
「いえ、あの時は他に御用があったのでしょう? 気にしていませんわ」
「そうか。わざわざマリアベルの部屋まで来てくれたのに、近衛が追い返したと聞いたから気になっていたんだ」
「まぁ、ディストラード殿下はお優しいですのね」
「あの後はどうした? すぐに城を出たのか?」
「えぇ。皆様お忙しいようでしたので、お暇させていただきました」
「近衛が君を追い返したのは午前十一時」
脈絡のない突然の言葉。意味も意図も分からず、リベリは気の抜けた声を赤い紅で飾った唇から零した。
「……え?」
「門番は城の出入を記録していてな。城門を出たのは十四時時過ぎ。ではこの間何をしていた?」
「な、何を仰ってますの?」
「自分の侍従を馬車で待たせ、三時間もの間何をしていたのかを訊いている」
「っ…!」
リベリの顔から初めて笑みが消えた。目線は手元に落ち、唇が噛み締められる。当然のように室内に居る者全ての視線が彼女に集まる。だが、彼女はすぐに顔を上げた。
「気分が優れなくて、部屋をお借りして休んでいました」
「ほう。どこで?」
「さぁ。部屋の正確な場所までは覚えていませんが。南棟と西棟の間辺りだったと」
そこで口を挟んだのは脇に控えていたストレイラ侍従長だった。
「あぁ。それならホロから聞き及んでおります」
「ホロ?」
「はい。文官の小間使いをしている若い男です。リベリ様を空いた客室に案内したと」
「えぇ、そうですわ。その方に聞いていただければ分かる筈です」
ディンの表情が険しくなる。そのホロという男と口裏を合わせていれば彼女をこれ以上問い詰めることは出来ない。だが、リベリを調べ上げた近衛の情報では彼女が不審な行動を取ったのはこの日しかないのだ。
「ならばそのホロという男を呼べ」
ディンの命令にストレイラから返ってきたのは否の言葉。
「それは出来ません」
「何故だ」
「ホロは昨日から休みを取っています」
「!!」
マリアベルが失踪した日と同時に姿を消した男。不在であるが故に深まる疑惑に再びリベリが唇を噛む。もはや彼女を見るディンの目には憎しみに似た感情しかない。
「リベリ、ホロとお前の関係は?」
「か、関係などありません。彼とは部屋に案内していただいたその日しか顔を合わせていませんわ」
「だが、お前ならホロを誑し込むくらい出来るだろう」
あっさりと言われたその言葉にリベリはカッと顔を赤くして声を荒げた。
「なっ…! なんてことを仰るのです!! あんまりではありませんか! 仮にも私は殿下達の花嫁候補。男性を誑し込むなんて、そんな事……」
「だが、普段から貴族の子息達と楽しんでるそうじゃないか」
「そんなのデタラメです!!」
涙目で訴える公爵令嬢。彼女の耳に怒りに掠れた声が届いた。
「……デタラメはお前の方だろ」
はっと息を飲んで振り返れば、声の主は拳を握って震えるダンだった。彼はリベリと目が合うと厳しい言葉を浴びせる。
「……ダリオン殿下?」
「俺が目撃者だ。そんな事実が無いなんて言わせない」
あぁ。何故彼は怒っているのだろう。リベリは心の底から打ち震えた。自分を想ってくれている筈の王子達の目はリベリを責めている。あれ程自分を求めていた彼らが憎いまでの感情をむき出しにしている。
「だ、だってあれは殿下の為に……」
「何が俺の為? お前が好き勝手に楽しんでただけじゃないか」
「違います! 殿下が私に親しみやすいようにとご学友と一緒に……」
「ふざけるな!! 何が……」
思わず立ち上がるダン。その時、応接室の扉が開いた。姿を現したのは感情の無い顔をしたラズ。
「そこまでにしましょう」
「……」
突然現れた見知らぬ顔にリベリは不快な顔をする。その表情は余計な口を挟むなと暗に物語っていた。
「誰よ、あなた」
「初めまして。リベリ様。私はマリアベル様と共にこちらでお世話になっております、ラズと申します」
マリアベルの名前にぴくりと反応を示す。彼女の供と言っただけでラズがリベリの味方でないことは理解した筈だ。
「昨日から休みを取っている城の従者は全員調べを進めている所でした。ホロという男に絞るよう先程連絡を取りましたので、すぐに居所は知れるでしょう。リベリ様。あなたがホロと接触があった以上、一時身柄は預からせていただきます。よろしいですね?」
「……私を此処に閉じ込めるつもり? お父様が黙っていないわよ」
「ならば事情をゴーゴルン公爵にお話して監視付きでお屋敷に戻しましょうか? ヘタに不名誉を周囲に晒すよりも、沙汰があるまでこちらでお待ちいただいた方が宜しいかと思いますが」
今はまだ疑惑の段階だ。ホロの証言が取れなければ彼女の罪は立証されない。監視付きで戻されれば屋敷の者からも、そしてその周囲からも好奇の目が集まるだろう。ゴーゴルン公爵から抗議があるかもしれないが、多数の男と関係を持っていたという事実を公爵にバラされれば花嫁候補を辞退する可能性もある。そちらの方が彼女にとっては都合が悪い。
「……分かったわ。部屋まで案内して頂戴」
「かしこまりました」
ラズと視線を交わし、ストレイラが侍従に彼女を案内させる。彼女は客人の扱いだが、どちらにせよ近衛の監視が付く。
リベリが部屋から姿を消すと同時に一陣の風が吹いた。




