11.消えた巫女
ラズがマリアベルの部屋に駆けつけた時、そこには多くの者が顔を揃えていた。ディン、ダン、ヘリオ三人の王子。近衛騎士のオリバとクレイド。侍従長ストレイラとマリアベルについていた侍従達。そして魔術師長レギとラズの知らない魔術師が一人。
部屋に入ってきたラズとネイを見つけ、真っ先に駆け寄ってきたのは近衛騎士の二人だった。
「ラズ殿」
「オリバさん。マリアベル様が姿を消したと聞きました。本当ですか?」
「申し訳ございません」
二人がラズに向かって頭を下げる。だが、ラズが欲しいのはそんなものではない。
「詳しい状況を教えてください」
オリバが語ってくれたのは最後に見たマリアベルと、彼女がいないことに気づいた時の状況だった。
彼らがマリアベルを最後に見たのは昼食を終え、この部屋に戻ってきた時。その時の彼女にはなんら変わった様子は無かった。それ以後は誰も部屋を訪ねて来ていない。そして彼女が居ないことが発覚したのは、三時のお茶を用意してきた侍従とダンが共に彼女を訪ねて部屋に入った時だ。
女性が極端に少ないこの国では当然侍女はおらず、世話するのは男の侍従達である。彼らがマリアベルに邪な感情を抱かないよう、男の盛りを過ぎた六十代の侍従が一人、ヘリオと同い年くらいの幼い侍従が三人ついている。だが、彼らも男性である限りは常に女性の部屋に居ることはできない。その為、当時室内の様子が分かるものは誰もいなかったのだ。
隙だらけにも思えるがその分部屋の外は警備が厳重で、出入口には二人、窓の下には三人の近衛騎士が常にいる。更にこの部屋には王宮魔術師が施した結界が敷かれていた。これはマリアベルと城の者以外の人間が出入りすれば塔に知らせるセンサーと、不審な人間を捕縛する二つの役割がある。だがどちらも効果は発揮されなかった。
この部屋は南棟の三階。マリアベルが出入りするのは近衛がいる扉しかない。自ら出たなら彼らの目につき、第三者がいたのなら結界が発動する。そのどちらも掻い潜り彼女を誘拐することは不可能なのだ。おまけに彼女がいなくなったのはまだ陽も高い時間。不可解な事だらけだった。
ラズは周囲を見ながら小声でオリバに訊ねた。
「リベリ嬢は?」
「昨日から王城には来ていません」
「女一人で誘拐は不可能。彼女には協力してくれそうな貴族達がいる筈です。例え彼女自身が家に篭っていても事が起こる可能性は十分ある」
「承知しました。そちらを調べましょう」
その場にはクレイドが残り、オリバは足早に部屋を出て行く。
女性が稀少であるこの国では体の関係があるというのはかなり強い力を持つ。リベリの男関係がどこまで広がっているのは分からないが、ダンの話を聞く限り複数いることは間違いない。
(やはり動いたか……)
自分の考えが甘かったことを思い知らされた。彼女に害をなすとすればリベリしかいない。国王が先週から外交で不在の今がチャンスだったのだ。
「ラズ……」
「ダリオン殿下」
「すまない。俺……」
「謝らないでください。殿下のせいでないことはよく分かっています」
彼女を頼む、と言ったから責任を感じているのだろう。だが彼にも仕事がある。常にマリアベルに張り付いていられないのは承知の上だし、時間がある時に傍にいて欲しかっただけで護衛を頼んだつもりは無い。それでも悔しそうな顔を見せるダンに、ラズはこれ以上かける言葉が見つからなかった。
既に騎士や魔術師達が彼女の探索に出ていると言うから、ラズの出番など無いのかも知れない。けれどラズは自分が許せなかった。彼女を幸せにする為に自分はシィシィーレから共にここへ来たのだ。誰かの妬みや恨みを被せる為では決して無い。
(くそっ……)
何やら打合せしている侍従や魔術師達を横目に、ラズは部屋の中央に進んだ。
「〈風〉いる?」
呼びかけと同時に室内に風が巻き起こる。即座に姿を現した友にラズは驚きもせず目を向けた。
『はぁ〜い』
『此処に』
「君達の目から見て、何か気付くことはないか?」
人の目に映らなくても精霊の目から見えるものは多い。あまり彼らの力に頼るのはよくないが、今はそんなことに構ってはいられない。ラズにとって何より大切なのはマリアベルで、プライドや信念など二の次なのだ。
突如独り言をしゃべり始めたラズに驚かなかったのはネイだけだが、中でも魔術師の二人は興味深げにラズを眺めていた。
『……分からないわ』
『すまぬ』
「いや、いいんだ」
『〈光〉を呼ぶか? 気難しいあれが応えるかは分からぬが』
「この部屋では難しいかもね」
〈光〉は精霊の中でも自己主張が強く気位が高い。マリアベルと相性は良いが、彼女が不在の上、人間が施した結界が敷かれたこの部屋に姿を現せてくれるとは思えない。
結界が反応しなかったとなるとそれを施したものよりも強い魔力を持った者の仕業かと思ったが、それ程強い魔力を使えば当然その痕跡が残る。それが〈風〉達の目に留まらないとなると、魔術を使った業ではないようだ。
(ならばどうやって……)
『二人とも待って。あれは?』
〈風〉の一人が指したのは部屋の隅に置いてある鉢植えだった。赤い大輪の花をつけたそれは青々とした葉をつけており、見事だが葉が茂り過ぎて少し不恰好にも見える。
「ストレイラ侍従長」
「どうしました?」
ラズが彼の前に行くと傍にいた魔術師の二人が頭を下げた。それに応えて軽く会釈して、ラズはあの鉢植えを見る。
「あの鉢は以前からこの部屋に?」
「いえ。私は覚えがありません。ボルトー」
「はい」
「あれは?」
「昨日マリアベル様に届いた鉢です。ゴーゴルン公爵令嬢からの品で、マリアベル様が嬉しそうにしていたのを覚えています」
「公爵令嬢から?」
途端に嫌な予感が駆け巡る。マリアベルをよく思っていない彼女が単なる好意で贈り物などするわけが無い。けれど魔術を施されていないただの鉢植え一つでマリアベルを誘拐することは不可能だ。
「けど、おかしいですねぇ」
「え?」
「今朝私が手入れしたばかりなのですが、もう整えた枝葉が伸びてきている」
そう言って年老いた侍従は鉢の傍に行き、その枝に皺のある手を伸ばした。部屋に飾る鉢ならば当然余計な枝葉を切り落とし、形を整える。ラズがそれを不恰好だと思ったのは枝が伸びていたからなのだ。
(今朝手入れしたばかり?)
ただの植物がそれ程早く成長するわけが無い。
(消えたマリィ。枝の伸びた鉢。魔術の跡がない部屋)
これらを繋ぐものが一体何なのか。ラズには先が見えなかった。
***
「見て見て。綺麗ね、アル」
「またぁ? エルはそればっかりじゃないか」
「だって綺麗なんだもの」
「花が綺麗なのは当たり前なんだよ! さっさと先進まないと陽が暮れるぞ!」
「あ、待ってよ、アルー!!」
小さな少女が森の中を駆けていく。何度も何度も振り返るその先には春の花々が咲き誇っていた。ゆっくりと眺めていたいのだが、せっかちな友人に急かされて仕方なくその場を後にする。
(空も綺麗。森も綺麗。木漏れ日も綺麗)
世界は綺麗なもので一杯なのだ。少女はこの森に来てその事に初めて気がついた。いつも通り過ぎるだけだった足元に咲く花を眺めることが出来るようになったのもつい最近のことだ。
迫り来る火の恐怖から逃れる為に夜の闇の中を必死で走っていたあの日が嘘のような穏やかな日々。
(皆、どうなったのかな……)
あの日を境に少女の生活はがらりと変わってしまった。多くの物を多くの人を失い、残されたのはこの身一つ。
「オイ!」
「痛っ!!」
「ボーッとすんな!」
「アルのいじわる!!」
すっと目の前に差し出される小さな手。少女はそれを目を丸くして見返した。
「アル?」
「お前がフラフラしてるからだよ。こうでもしないと足が前に進まないだろ
」
呆けている少女の手を取り、少年は歩き出す。それは少女の知っている温もりとは違ったけれど、ぶっきらぼうな言葉や仕草が彼女の心を温めた。
「うん。ありがとう、アル」
知らず知らずの内に少女の目からは涙が零れた。嬉しいのか悲しいのか、恐らくはその両方で。微笑みながらその目に涙を滲ませる少女を見て、少年はふんっと鼻を鳴らし照れくさそうに顔を逸らした。
***
ラズの私室には三人の姿があった。ラズとその護衛ネイ、そして初めてこの部屋を訪れた魔術師リケイアである。彼は藍色の髪と目を持つ壮年の男性で、穏やかな気性から多くの魔術師に慕われている。ラズとネイに向けられている一重の目は優しく、噂にたがわぬ人だとラズは思った。
「わざわざ此処までご足労いただいてありがとうございます。何か分かりましたか?」
「えぇ。この鉢には木の精霊の跡がありました」
彼らの前に置かれているのはマリアベルの部屋から借りてきた例の鉢植えである。ラズが魔術師長レギに頼んで、異常発育に魔力が絡んでいるかどうか調べてもらっていたのだ。そしてその報告に来てくれたのがリケイアだった。
「〈木〉か……。王城の周囲には古い木が多いようですが、ここの〈木〉達は王城まで近づくものですか?」
「確かに王城の周りにも木の精霊はいます。しかしこの鉢に触れたのはまた別の〈木〉です」
「別?」
「えぇ」
「そんなことまで分かるのですか?」
精霊同士ならともかく、人の身でどの精霊の魔力かなんて判別がつくとは思えない。それともトゥライア国最上級の知能が集まる『塔』ならば、そんなことすら分かってしまうだろうか。
するとリケイアはにこりと人の良い笑みを浮かべた。
「塔の魔術師にも色々いましてね。その中に城の敷地内全ての〈木〉と顔見知りの者がいるのです。その男が本人達に聞いて回ったのですから間違いありません」
「へぇ、すごいですね」
「機会があれば、彼をご紹介いたしましょう。右の魔術師の中でもかなり変わった男です。話を聞くだけでも面白いと思いますよ」
魔術師達はその専門分野に応じて大きく二つに分けられている。一つは自然界に存在するエネルギーを利用する魔術を専門とする『右』。もう一つは魔術の組み合わせによって新たなものを作り出す錬金術を専門とする『左』。何故右・左という言い方をするのかと言えば、その能力によって右と左に別れている脳をモチーフにいつの間にかそう呼ぶようになったのだという。医療を学んだことの無いラズでは良く分からない話だが、要は魔術の塔は国の『脳』である、という象徴なのだ。よって、それぞれの分野に属する者を右の魔術師、左の魔術師と呼ぶのである。
その時、ノックの音がして三人はドアの方を見た。ラズが返事をすると、顔を出したのは近衛騎士のオリバだった。
「先客がいらっしゃったとは、失礼致しました」
「いえ、構いません。マリアベル様の件でしょう?」
「えぇ」
するとリケイアが二人に向かって頭を下げた。
「私の報告は終わりましたので、これで」
「はい。ご協力ありがとうございました。レギ魔術師長と同僚の方にも感謝をお伝えください」
「えぇ。確かに」
すれ違い様オリバにも一礼して部屋を出て行く。彼は実にあっさりとした性格のようだ。
オリバの為にとラズが茶を淹れ直し、さっそくその報告を聞くことになった。彼にお願いしたのはリベリの周囲に居る貴族の調査。ラズが一番怪しいと踏んでいる所だ。
「ラズ殿の仰る通り、リベリ嬢には繋がりのある貴族の男性が何人かいました。けれど、昨日は皆アリバイがありました」
「今回の事と無関係なのでしょうか?」
「無関係と決めつけるのは早いでしょう。マリアベル様に身近な人間で動機があるのは彼女だけです」
(確かにそうだ。呪いを解くことの出来るマリアベルはこの国にとって必要不可欠。彼女の事が邪魔になるのはそれを知らない外部の者でしかありえない。そして彼女に対して負の感情を抱いているのはリベリだけ)
思考に耽るラズの様子を伺いながらオリバは出されたお茶に手をつけず、更に口を開く。
「それと……今回の一件とは関係ないのですが、リベリ嬢を調べていて気になったことが一つ」
「なんです?」
「彼女と関係を持っている貴族の子息達ですが、そのほとんどがダリオン殿下の元学友なのです」
「……。それ、本当ですか?」
ダンでなくとも思わず顔を顰めてしまう事実。そんなことをして何の意味があるというのだろう。彼女が執着しているのは王家ではなかったのか? 彼女の狙いはダンだけだった? けれど先日オリバが目撃したのはディンに擦り寄ろうとする彼女の姿。
訳が分からずオリバを見返すと、彼は苦々しい表情で頷いた。
「えぇ。一体何を考えているのか……。王家の妃候補でありながら他の男性と関係を持つなど」
「それが分かっていても彼女を妃候補から下ろすことは出来ないのですか?」
「難しいしょうね。ゴーゴルン公爵の影響力は強い。それにトゥライアはこの状況です。ただでさえ女性が少ないのに、王家に嫁ぐ程の地位を持っている家の娘となるとかなり数は絞られる。現に四人の王子に対して候補は三人しかいません」
「後はキュリハース男爵とササラ子爵のご令嬢でしたか」
「えぇ。ですがキュリハース家のミーア様はまだ幼く、ササラ家ユーリィ様は既に三十半ば」
「けれど最も力があり、年齢の吊り合うリベリ嬢は男と遊びまくってる、か。これは難ありですね」
「えぇ」
あっさりと国王がマリアベルを受け入れ、花嫁候補の貴族家に断ることも無く王子達に宛がったのはそういった事情もあるのだろう。
「他の候補達が自分の敵ではないと分かっていたから今まで好き勝手してこれたのでしょうが、マリアベル様の出現でそうもいかなくなってしまった訳だ」
増々リベリの動機が確固たる物となる。だが証拠が無い。動機だけでは彼女の名を犯人として上げることは不可能だ。
リベリには動機がある。マリアベルをあの部屋から連れ出した方法も分かった。けれどこの二つが噛み合わない。一体その間を繋ぐには何が欠けているのだろう。
「あと侍従からも報告が」
「なんです?」
「マリアベル様の外套が一着無くなっていたそうです」




