第94話「遥かなる挑戦」
10月26日土曜日。
試験明けの今日は終日お休み。
中間試験の結果には心労がかさむけど、それも含めて溜まったストレスを発散したいので本日は早めにMSOにログインするつもりだった。
「休みじゃああああああああっ!!」
2階からそんな轟きが……花菜もそのつもりらしい。
「喧しい起き方なんだから……」
朝食を済ませてリビングでくつろいでいた私は一緒にテレビを見ていたお母さんを制してキッチンで花菜の朝食の準備をする。
食パンをトースターに入れた所で、階段からダバダバと転げ落ちるような音がする。
――ばったーん!
「あーさー!!」
そんな英語圏に不特定多数いるだろう名前を叫びながら、荒々しくドアを開いて花菜が現れた。嬉々としつつ目に隈がある辺り、夜更かししてたと思われる。
「今作ってるから先に歯を磨いてきちゃいなさい」
「やー!」
返事とも思えぬ返事を残して再びドアの向こうに消えた花菜だった。
◇◇◇◇◇
「がっふがっふ!」
目玉焼きとベーコンにウィンナー、そしてサラダをひとまとめにして2枚のトーストの間に挟んだ急造品の朝食サンドを花菜は見るも無惨に貪っていた。
「ほらまたこぼして……落ち着いて食べなさい!」
「もがもが、ごっくんごっくん」
頬張った分をホットミルクで流し込んで残りをまた口に入れる様は、とても他人に見せられる類いではなく、こんな妹がゲーム中に食事をどう摂っているかについて考えるべきかと真剣に検討していると、コトンとマグカップがテーブルに置かれた。
「ごっちそーさまでーしたー!! 行ってきます!!」
「待ちなさい!」
食べ終わってすぐさま2階へ戻ろうとする花菜の襟首をひっ掴み、「ぐえ」とカエルみたいな声を漏らしてどうにか止める。
「そんなすぐに寝転んだら体に悪いでしょ、少し間を置きなさい!」
「お?」
私を見て、お腹を見て、また私を見た花菜は――。
「お姉ちゃんがあたしのカラダの心配しとるー! 嫁ー!!」
「字が違う! 家じゃなくて市ですっ!」
トチ狂って襲い掛かる妹を腕力で制しつつ、リビングで小休止させる事にした……のだけど、
「なんでこんな事になってるの……?」
花菜はソファーに座った私に向かい合う形で抱き付いた上に四肢でがっちりホールドしている。
「……重い。色々と重い」
「お姉ちゃんの愛に応えているのです、むふーむふー」
「鼻息を荒くしないで! 見なさいよ、お母さんが頭痛めてるじゃないの!」
「あたしの事は気にしなくていいのよ……」
そんなやり取りの末にお母さんが「掃除しないと」と這々の体で逃げ出し、謎な体勢のまま残された私は花菜については諦め、テレビで現実逃避する道を選んだ。
ピ、ピ、ピ。
リモコンで適当に変えたチャンネルの中で目に付いたのはワイドショー、数日後に迫ったハロウィンで使うコスプレ衣装の作製やイベントの情報などを流している。
「そう言えば、MSOでもハロウィンやるんだよね……」
開催期間は今日、26日から31日のハロウィン当日までの6日間、開始は午前8時かららしい。
珍しくこの子が休みに早く起きたのもその為だろう、隈はイベントが楽しみで寝付けなかったから、とかかな。
イベントに関するメールも届いていたし、公式サイトもオレンジと黒を基調とした物にガラリと様相を変えていた。
気にならない、とは思えずポツリと口から零すとお腹に寄生中の花菜がピクリと反応した。
「うん! 今日からのオフィシャルイベント楽しみ〜!」
言葉通りなのだろう、ピョンピョンと跳ねて楽しみなのを表現している。
…………楽しみ、かあ。
「サイトを見た感じだとポイント制のイベントみたいなんだよねー、そりゃ廃人プレイヤーには負けるだろうけど……」
「まあ平日も入ってるからね」
イベント開催日時の内、休日2日、平日4日。私たちみたいな学生ではどうしようもない時間の壁がある。そこはどうしようもない。
「でも折角だしガッツリやりたいからなるべく早くログインしてスタートダッシュ決めたい、の・に! だめだ! お姉ちゃんから離れられない! 吸引力の変わらないただ1人のお姉ちゃん!」
「もうそろそろ離れてもいいけど……と言うか早く離れて」
「じゃあお姉ちゃんも一緒にログインしてイベントを楽しもーう! イエー! ヒャッハー!」
「……ああ、それなんだけど……生憎と私はイベントには行けそうにないの」
「 」
私の言葉に花菜が硬直した。
しばらくそのままにしているとぎこちない動きで私の顔を覗き、ぎこちない声で私に問う。
「――なんですと?」
「だから、イベントは無理そうかなって。私今加護のレベルアップの為に遠出してて、そっちを優先する事になると思うから……」
アリッサたちは現在隔絶されたテーブルマウンテンにいる、転移では行けないそこにいると言う事は目的を果たさない限りは下山しないと言う事だろう。
せめて少しでも参加はしたいと思うけど、それがいつになるかは見当も付かない。
「だから、その……」
花菜が絡み付かせていた四肢から力が少し抜けた。
「…………まただ」
ぼそりと花菜がそんな言葉を呟いた。けどそれはテレビの騒がしさを物ともせずに私の耳を打つ。
「え?」
頬をパンパンに膨らませて、ちょっぴり瞳を濡らして、花菜が私を見ている。
「お姉ちゃんまた、お仕事で楽しまないんだ」
「 」
今度は私が硬直した。
それはMSOを始めた日。
現実での仕事を優先してMSOをするのを控える事にした。結果としてそれが花菜と仲違いする原因となったのだ。
もちろんあの時と構図は違う。
あの時は花菜を蔑ろにした、今度は花菜との約束を大切にした、でも結論は同じ……私は忙しさにかまけて楽しむ事を投げ出すのだ。
代わり映えも無く。
「で、でもね花菜、私は――」
「あたし、お姉ちゃんがあたしと遊ぶ為にがんばってくれてるの嬉しい。キュンてなる」
ギュギュウッと背中に回していた手が、私の服を強く強く握り締める。
「でも……あたしの所為でお姉ちゃんが楽しめないとか、ヤだ」
それに、わたしはぐらりと視界が揺れた。
「花菜……でも、私たちすぐには戻れないし……それに、レベルアップの為にそこまで連れて行ってもらったのに……」
《古式法術》を使いこなすまで花菜には秘密にしたい。しなきゃ。
そんな自分で作った制約に縛られている私に、花菜ははっきりと告げる。
「諦めなきゃ、なんとかなるもん!」
ずびびと鼻水を啜る花菜。そのまっすぐな視線が、私の視線と交わった。
「…………それって、さっさとレベルアップして遊べって言ってるの?」
それは、以前では出来なかった事。
どちらかが大事だから、どちらかを優先するのではなくて。
どちらも大事だから、どちらもこなす為にがんばるのだと。
「……わがままだけど……」
小さく小さく頷きながらも、花菜は下に引いた頭を戻さずに俯いてしまう。
「わがままでも……今度は諦めたくないんだもん……」
その言葉に、私は……ぎゅっと一回り小さな、大事な大事な妹の体を抱き締めた。
「そうだね。私も……諦めるのはもう嫌かも」
諦めなければどうにかなるだろうか?
それは分からない。けど、一筋の光明を私は思い浮かべていた。
昨夜、セレナが考えていた事、それ自体は分からないけど……1つだけ、何かを悟って浮かべた笑みが強く印象に残り、この状況を打破するワイルドカードに思えていた。
◆◆◆◆◆
もぞり、もぞもぞ。
目を覚ませばその先には布地の天井がある。セバスチャンさんと天丼くんが設営してくれたテントの中だ。
私とセレナ用のそれは2人が寝転んでも十分に余裕のある大きなテント。
その中で私はみの虫よろしく寝袋に包まれていた。温かくソフトな肌触りは実際入っていてもとても気持ちいい。
けどいつまでも寝転んでもいられない。だって花菜と約束したのだから、寝袋の気持ちよさに負けてなんかいられますか。
首の辺りにあるファスナーをジイィィ……と下ろしていく。
中から出てきた私はパジャマ姿。マーサさん家の物ともまた異なり、フリルが多めで袖も裾も七分丈。セレナに借りた一品だ。
少し可愛すぎないかと思うけど、周りの反応はとても良かった。
ひーちゃんを呼び出しつつ着替えてテントを出ると、外は一面の真っ白な霧に包まれていた。
昨日も霧の中を通ったけど……今日のこれは濃霧、いえこのブラネット高地の高度を考えればもしかしたら今は雲の中なのかもしれない。
(湖と湖畔はセーフティーエリアだって言われたからのんびり出来るけど、他もこうなら戦闘なんて出来るのかな……)
遠距離から攻撃する私は視界を塞がれると一気に出来る事が減る。
モンスター相手には色を変えるターゲットサイトの機能も、昨日の限りじゃ濃霧では発揮されない。
それこそ範囲を一気に攻撃するくらいしか能が無いのだ。
(そもそもここのモンスターが私1人じゃ倒せないのは昨日見て分かってるし……みんなが来るまで湖畔でエキスパートスキルを練習しておこう)
ともかく出来る事をしていこう。そんな事を考えていた時の事。
『――もし』
声がした。
例えば水滴がガラスを弾いたような、そんな声がクリアに聞こえた。
(…………え?)
それは、おかしくない? 湖の畔とは言え川へと流れる水の音ばかりが聞こえる場所の筈、現に今もザアザアと耳に響く。
なのにどうしてそんな声が届くのだろう?
(いえ、それよりあの声……どこかから――)
『――もし』
また。やはりクリアに、まるで傍で鳴ったように聞こえる。
ザリッ。石が敷き詰められた湖畔、私はそこで一歩後退りする。どこからそれが聞こえたか分からないけど、そうしてしまう。
(ここはセーフティーエリアで、ブラネット高地にはライフタウンは無くて、なのに……誰かがいるの?)
『――もし』
さっきよりも大きく、間隔は短く、声がする。近付いてくる……?
背筋に嫌な物が走る。更に後退る、その前に状況は劇的に変化する。
――サアッ。
風が霧を散らす。白く染まっていた視界が色を取り戻す。
色が濃い空、切れ長の雲、灰色の廃墟と透明度の高い湖……そして、そこに誰かが――けど昇っていた太陽が逆光となり瞳に飛び込み、視界がまた白く染まり反射的に瞼を閉ざしてしまう。
「うっ?!」
『この地に……何をしに来た』
「っ?!」
声がした。確かに、誰かの声が!
(聞き間違いじゃ、なかった!)
恐れよりも先に瞼を開けるけど、陽光に焼かれた視界が回復する頃には辺りにはさっきの影は形も無く、静かに揺れる湖があるばかりだった。
「………………ひーちゃん、何か見た?」
『キュ〜……』
私同様に瞳を瞬かせている、陽光に邪魔されてしまったみたい。
「なんだったんだろ……あれ」
耳に触れる。
透き通った、どこか人間離れした声。いつまでも耳に残るそれを繰り返し思い出していると……テントの揺れる音がした。
◇◇◇◇◇
「ほう、既にイベントが発生しておりましたか」
全員が集合し、先程起こった事について話すとセバスチャンさんからそんな反応が返ってきた。やはり何か知っているらしい。
「あれは……あの人は、何なんでしょうか?」
逆光で人影としか認識出来なかったけど、あの言葉は聞き間違いの筈がない。
「ふむ……それは、直接お聞きする方が良いでしょう」
セバスチャンさんが視線で示したのは湖、廃墟となったブラノーラだった。
――ピィン。
全員に〈ウォーターフロート〉を掛け、湖の上を歩く。澄んだ音色が連なる様は音楽でも奏でているよう。
崩れた建築物に触れれば解除されてしまう為、周囲をきちんと確認しつつ進んでいく。
「モンスターが出ない、ってのは分かるんだが……どうにも緊張するな」
「その話もどうなんだか。なーんかキナ臭いのよね」
「ほっほ」
飄々とセレナの視線を受け流すセバスチャンさんを先頭に進む中で、私は奇妙な事に気付く。
「あれ?」
街並みが途切れたのだ。
突然、ぷつりと。
でも、彼方にはまた街並みが見える。
「何よ、コレ……穴?」
街並みが途切れた場所を境に、湖の色が変わっていた。浅いとは言え底が見えるくらいだったのに、そこからはただ暗く青黒い色へ変じていた。
そう、そこには底などまるで見えない程深い深い穴が口を開けているのだ。
「水没、ってまさか……」
穴の縁は殆ど直角に切り立っている、そしてとある家が穴の縁に半分だけ残っている。その様を思えば想像が働く。
「ええ、大水魔により開かれたこの穴により、ブラノーラの中心街は丸々没してしまったのです。今もこの底には大水魔が封じられているそうですよ」
セバスチャンさん以外の全員が穴を覗く。底なんて見える筈も無いけど、それがとても怖い。
「……水の聖女さんも、この底にいるんですか?」
フレスレイクでのクエストで水の聖女と呼ばれる人物が大水魔を封じた、とあったのだ。
「ええ、そうなのでしょう」
セバスチャンさんは昨夜のようにシステムメニューを開き、アイテムを実体化する。
それは花束、『アリナイムス』と言うMSOオリジナルの花だそうだ。風に揺れる薄い青色の花びらは螺旋状に花を成し、チューリップのようなシルエットを形作っている。
「このアリナイムスは水の聖女殿がお好きな花なのだそうです」
セバスチャンさんは花束をどうするつもりなんだろう? ここに捧げても湧き上がる水に押されてどこかに流されてしまうのに。
「……宜しければ、彼の方にお届け頂けませんかな?」
誰にともなくセバスチャンさんが言葉を投げる。私たちは首を傾げるけど、反応は意外な方向から返ってくる。
『我を小間使いにしようとは、軽く見られたものよ』
後ろ、私たちが通ってきた道から声がした。それはさっき聞いたあの声!
バッと全員が振り返るとそこには、1人の女性が佇んでいた。
「ご気分を害してしまったのなら申し訳ありません」
『構わぬさ。此度はそのアリナイムスの青さに免じて目を瞑ろう』
その声に怒りは無く、嬉しそうにすら揺れて聞こえる。
一歩、二歩。水の上を彼女が歩くけど、一切の音は無い。近付いてくると逆に私は一歩下がってしまう。
綺麗な人、ではあった。
藍色の長髪は青い空の下を流れる川のよう。深い青の瞳は人のそれではなく爬虫類のようにまっすぐな瞳孔で、額の角と共にドラゴニュートだと告げている。
身に待とうドレスは鱗を散りばめたようにキラキラと光を反射させ、一歩ごとに模様を変える。
「どうぞ」
『ふん』
アリナイムスの花束を受け取ると、無造作に穴へ向かって放り投げた。
『我が友よ、貴女の愛した青き螺旋だ。受け取られよ』
パシャリ。小さな音を立てて、花束が着水した。けどそれは水の流れに乗る事は無く、花束だけ映像を逆再生しているかのように中心へと遡り、やがて湧き上がる水の中へ沈んでいった。
「どうなってんのだ……?」
「分かんない……でも、我が友って……まさか」
「分からないなら本人に聞きゃいいのよ」
花束の行方を静かに見守っていた女性にセレナが近付いていく。
「説明くらいは期待していいモンかしらね?」
『……説明?』
クスリと笑みが浮かんだ。
それは嘲るようなものではなく、まるで小さな子供にじゃれつかれた時にでも浮かべるような優しい笑みだった。
「何よ」
ムッとするセレナを、やはり笑みで応える女性。同じドラゴニュートながら、赤と青、逆しまの色合いの2人が対峙する。
『むくれるな、竜の娘よ。姿を見せたならば語りもしよう』
女性の手がふわりと振るわれた。するとザブザブ、ザブザブと湧き出していた水の量が変化する。更に穴の奥底からゴボリと大量の水泡が湧き、次の瞬間水面が一気に盛り上がり、
――ザ、ブアァァァッ!!
その奥から、藍色の巨体がその身を現したのだ!!
『我が名は水竜・クリアテール。この地の守り手だ』
女性は自らをクリアテールと名乗り、その身を水へと変化させるとパシャリ、崩れ去った。
残ったのは昨夜戦ったブラネットティラノよりも尚二回りは大きく水色の鱗に覆われた体、一対の翼を背負い、鋭い角、突撃槍よりも太い爪と牙、爛々と私たちを睥睨する黒い眼を持つその姿は――竜。ドラゴン。
古今様々な物語の中で語られ、絵に起こされ続けるファンタジーの代表格。
それが、今、私たちの眼前にいる――。
『さて、改めて問おう。約束の鈴音を鳴らし、安らぎの花を捧げし星の守り人たちよ。汝らは如何な目的でこの地を訪れた?』
どうすればそんな器用に発音出来るのかと思うくらいわずかに開閉を繰り返す竜の口から言葉が紡がれる。
そして、対する私たちの反応は芳しくなかった。
いきなり竜が出てきた事には激しく驚いた上で、何しに来たのかなんて問われてもセバスチャンさんに連れてこられただけなものだから困惑ばかりが拡がっていた。
更に私はそれに加えてクリアテールさん(竜)が現れてよりガタガタと震えまくるひーちゃんを宥めるのに忙殺されてもいる。
そんな私たちをどう思ったか、竜は唯一のほほんとしていたセバスチャンさんに水を向ける。
『人の翁よ、この者たちは我に醜態を晒す為に来たのか?』
「いえ、そのような事は。説明をして参りますので少々お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
『う、うぬ? ま、まぁ良かろう』
そんな、姿には似つかわしくない会話を交わした竜は微妙に不貞腐れつつ(多分)、その身を再び水底へと没したのだった。
◇◇◇◇◇
「つまり、こなしてあったクエストはあのドラゴンを出現させる為の前提クエストだったって事なのね?」
セレナが両手を腰に当て、セバスチャンさんに詰め寄っている。
〈ウォーターフロート〉の効果もいつまでも続く訳ではないので、近場にあった廃墟にお邪魔する形で。
「説明を省いて申し訳無い。皆さんに新鮮な驚きを、と年寄りの浅知恵で黙っておりました」
セバスチャンさんてば……びっくりしましまけども。
「でもセバさんの事だ、俺たちに得があるから連れて来たのは間違い無いんだろ?」
「それはもう」
「具体的には?」
「特定の手順を踏んだ場合、クリアテール殿は1パーティーに1度のみ力を貸して下さるのです」
力を、貸す?
「それって加護をポーンとレベルアップさせてくれたりするのか?」
「可能ですよ、加護1つを1レベルだけですが」
「だめじゃないですか……」
《古式法術》も《二層詠唱》、ひいては《多層詠唱》も、10以上のレベルアップを必要としている。
「他にも『水竜の祝福』と言うアビリティを装備品に付与して下さったり、ファミリアやサーバントを特殊な種族に進化させて下さったりと、それはもう色々と――」
「はぐらかすのはやめなさい」
言い募るセバスチャンさんを止めたのは、普段よりも静かな面持ちのセレナだった。
「今は少しだって時間が惜しいんじゃないの?」
「ほっほ。いえいえ、やはりきちんとお話しせねばと……」
最後に鋭く目を細めたセレナに対してセバスチャンさんは柳に風と受け流しているけど、いつまでもじとっと睨まれ観念したのか咳払いを1つした。
「こほん。では本題を……少々荒っぽいのですが……」
「それって、どんな事なんですか?」
「クリアテール殿と戦うのです」
「……やっぱりね」
「戦うって……クリアテールさんはモンスターじゃありませんよ?!」
モンスターはすべからく瘴気により生み出された存在だ。言葉を介するモンスターなら以前戦った怪盗マリーがいるけど、知っているからこそあのクリアテールさんがそうだとは思えない。
「戦うならそれは……」
傷付ける、倒す、もしモンスターでない相手をそうしたなら、果たしてどうなってしまうのか……考えたくもない。
私がそう言うとセバスチャンさんも大きく頷く。
「もちろんです。戦うと申しましても倒すまでには至りません、鍛えて頂く、と言った方が正確でしょうか」
「要するにドロップとか撃破分の経験値とかは無い模擬戦闘って事か?」
「ええ、それでも強敵と戦う呈ではありますからな、加護使用分の経験値は入るのです」
「つまりは……『パワーレベリング』をしよう、そう言う話なんでしょ?」
「パワ……?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。
「強い相手程獲得経験値が高いのは知ってるでしょ、だから低レベルのPCを高レベルのPCが守りつつ強敵にぶつけて経験値を稼いで一気にレベルを上げる行為がパワーレベリングよ」
以前戦った怪盗マリー戦を思い出す。その際、大量のモンスターや強力な怪盗マリーを撃破した事でレベルがかなり上がった。
それに近い事を意図的に行うって事なのかな……?
「それなら……」
花菜との会話が蘇る。
それなら、もしかしたらそう時間を掛けずに済むかもしれない。あの子との約束を守れるかもしれない。
そう思えば私の心は高揚し、拳を強く握り締める。
しかし、天丼くんの言葉がそれにストップを掛ける。
「なるほどな……パワーレベリングには否定的な見方もあるが、時間制限があるっちゃあるし良い選択じゃないか?」
「否定的……非難されるような事なんですか?」
「ええ。例えばシステム面、戦闘面、そしてマナーの面でも急速に高レベルになる事で未成熟のままになってしまう場合もあるのです。ヘイト管理、MP管理、アイテム管理、パーティーとの接し方……それらは経験値でない経験でもって培われる物でしょう? そうなってしまわれた方々を非難される方もいはするのです」
「……そうですね」
キャラクターでなくプレイヤーに求められる事。
プレイヤーはキャラクターのように大量の経験値を得て一気に成長するなんて出来ないから、パワーレベリングなんてすれば置いていかれるのは当然。
キャラクターに見劣りしないプレイヤーである事は、早く強くなろうとする分だけ難しくなるんだろう。
(ああ、パワーレベリングだけじゃないね……私は、どうだろう?)
みんなの力を借りて頼って、ずいぶんと早く、楽に、レベルアップしている自覚がある。
(そんな私はきちんと様々な面で学べてきたのかな?)
今までの出来事は反省しなければならない点ばかりを思い出して、省みては思い悩む。
そしてそんな私がパワーレベリングをしたとして、力に振り回されずにいられるのかな?
力に胸を晴れるのかな?
誰かの迷惑にならないかな?
不安は多くて……でも私にはパワーレベリングは必要で、行いたいともう決めていた。
(なら、それに付随する問題があるのなら、私に出来る事は心に留め置いて忘れず、そしてそうならないようにしていく事だ)
キッと顔を上げる。
「……アリッサさん?」
「分かりました!」
「ほ?」
「私、慢心せず研鑽を積んで、ちゃんとしたプレイヤーになれるようにがんばりますっ!!」
ふんすと気合いを入れていると何故かみんなが何かに対してうんうんと頷いていた。
「アリッサだわー」
「アリッサだな」
「アリッサさんですなぁ」
『キュー』
「?」
その反応がよく分からずに首を捻る私であった。
◇◇◇◇◇
「セレナは昨日にはもう気付いてたの?」
「まーね。だってオフィシャルイベント真っ最中にわざわざこんなトコに連れて来られたのよ。それってつまり、面倒な事はソッコーで終わらせて遊びに繰り出そうぜ、その為なら多少のリスクくらい乗り切れ、って事でしょ?」
「いやはや」
参ったと言わんばかりに頬を掻くセバスチャンさんと言うのも珍しい。
「リスク……昨日もギャンブル、って言ってたよね。セバスチャンさんの言ってたような事?」
「まさか。私はそんな事を気にするタマじゃないわよ」
「それはそれでどうなんだ」
と言う天丼くんのツッコミは黙殺される。
「私が言ってたのは実際の戦闘の話よ。正直ね、アリッサのレベルを必要分にまで引き上げるって相当大変よ。《古式法術》はレベルが上がる度に必要経験値がガンガン上がってるし、対して攻撃がショボければ入る経験値も少ない。つまり、初めから長期戦覚悟でって話なの」
長期戦……それはいつまでを言うのだろう? 1時間? 2時間? それとももっと――?
「そうだな……セバさん、あの竜、強敵、なんだよな?」
「ええ、今の我々では打ち勝つなどは夢の又夢、確実に無理でしょうな」
「格上相手に長期戦、か。強けりゃそれだけ経験値は増えるだろうが、生き延びるのは難しいよな……」
「そ、そうだよね。死に戻りがあるもんね……」
ぶるりと体が震える。
テント系アイテムはあくまログアウト時の位置で再開する為の物でしかない。戦闘で死んだ場合は必ず最後に寄ったライフタウンのポータルポイントまで戻ってしまう。
そして私たちがいるブラネット高地にライフタウンは存在せず、ここに来るまで数時間を費やしている。死ぬ度に登り直すのは時間が掛かり過ぎる。
「そこなのです」
セバスチャンさんはそれはそれは得意げに人差し指を立てる。
「わたくしがこの地、そしてクリアテール殿を選んだ理由がそこなのです」
「と言うと?」
「皆さん、このブラノーラは少々奇妙だとは思いませんか?」
「奇妙?」
「我々は昨夜湖畔にテントを張りました。それはここがセーフティーエリア内である、と言う事です」
「まぁ、そうだな。あの手のアイテムはセーフティーエリア外じゃそもそも使えないし」
「であるのにクリアテール殿との戦闘もまたこのブラノーラを舞台に行われるのです」
「それは……魔法使いの使う瘴気の結界みたいな物ですか?」
巨大なセーフティーエリアであるライフタウン内でも、一時的にフィールドやダンジョンと同じような戦闘可能な空間にするのが瘴気の結界だ。
クリアテールさんも何らかの力でそれと同じ状態にするのだろうか?
「その通り。そして戦闘に用いられる空間はこの湖のみ」
「分かった! その外から攻撃すりゃいいのね!」
「いえ、外からの攻撃は無効となります。そうそう楽ではありません」
「………………」
考える。
そもそもこの話題は私が振った“死に戻り”から始まっている。そこからこのブラノーラの特異性に続いた。
「…………もしかして」
かすかな閃きが呟きになると、みんながこちらに視線を送る。
「何か思い付かれましたかな?」
「え、えと……もしかして、なんですけど……蘇生猶予かなって」
PCのHPが0になった時点で与えられるのが60秒間の蘇生猶予。
蘇生アイテムなどにより復活する為の猶予だけど、蘇生したカウントの残量が次回HPが0になった時の蘇生猶予の残り時間に適用され、カウントが0になった時にライフタウンへ戻ってしまう。それが死に戻りだ。
「蘇生猶予には回復方法がある筈なの……確か、ログアウト後に30秒経過する毎に1秒回復するんだったと思う」
蘇生猶予に使えるのは最大で59秒、それでも約29分で全快する。
天丼くんも気付いたのか手を打つ。
「そうか……ここは戦闘用の空間とセーフティーエリアが併設されてる、蘇生猶予がかさんだらログアウトしてカウントを回復するのを繰り返せば強敵相手にも長時間戦えるのか!」
「でもそれってこんな辺鄙なトコじゃなくても……どっかのボスエリアの傍のセーフティーエリアでテント張ってー、ってやれば……」
「無理ですな」
セレナの考えをセバスチャンさんがぴしゃりと遮る。
「この方法がボスエリアでも通用するとなれば、難易度が劇的に下がってしまいます。故に、通常のボスエリアの場合『パーティーメンバーが出入り出来るのは1度ずつ』『パーティーメンバーの増員は最大名(6名)まで可』『メンバーの入れ換えは不可』と言うルールが設定されておるのですよ」
「なるほど……だからこの特殊な戦闘用の空間とセーフティーエリアが同居してるブラノーラじゃなきゃだめなんですね」
セバスチャンさんは肯定してくれるけど、少し申し訳無さそうに眉を八の字にしている。
「ただし、クリアテール殿の力添えは全員がログアウトした場合、もしくは誰もこのエリアに残れなかった場合、終了してしまうのです」
「それって……まさかごはん休憩とかの間、代わる代わる誰かが残ってあのドラゴンの相手をし続ける必要があるって事?」
その答えにもまた、セバスチャンさんは肯定の意を示す。
「責任重大だな。そこまで持たせられるか……どう言った順番と組み合わせにするか……」
「ええ……」
言葉を途切れさせ、セバスチャンさんが厳しい表情で私に相対する。
「アリッサさん。改めて確認しますが、我々の目的は貴女のレベルアップです」
そう言われセレナ、天丼くん、そしてひーちゃんを見て再びセバスチャンさんに向く。
「……はい」
「その為に、我々は全力を以て貴女を守ります。その上で、貴女が攻撃に専心して頂ければ獲得する経験値はより多くなる事でしょう。しかし……それは貴女に負担を集中させる事でもあります」
もし、誰かの蘇生猶予が短くなればログアウトして回復する。それは戦線離脱だけど、逆に小休止とも言える。
でも私にそんな余裕は無い。
みんなが守ってくれるなら、それこそ1度だって死ねやしない。そうした場合、私はずっと戦い通し。ごはん時を除けばそれこそ数時間単位で。
きっと疲れる。
きっと大変。
きっと辛い。
「自ら案内しておいて言う話ではありませんが、正直な話ここでなくともレベルは上げられます。勿論適切な敵を選び、転戦していくので時間は掛かるでしょうが……」
「そんなのだめです」
ぴしゃりと、今度は私が否定する。
もしかしたら、昨日までの……いえ、今朝までの私なら揺らぎもしたかもしれない。けど、今朝約束したのだ。
「あの子が待っています、ハロウィンイベントで一緒にって楽しみにしてるんです。だから私は最短で行ける道があるのなら走り抜けたいです」
力強く拳を握り、ふっと力を抜いた。
「だから、そんなのへっちゃらです」
そして今度はみんなへと頭を下げる。
「みんな、私から改めてお願いします。きっと疲れるし、大変で、辛いかもしれません。それでも私、挑戦してみたいです。どうかまた力を貸してくださいっ!」
シンと静寂が訪れる。
でもそれも一瞬。
「任せなさい!」
「ま、やったるさ」
「勿論ですとも」
『キュイッ!』
そうして円陣を組んだ私たちは頷き合い、気合いを込める。
「早く終わらせて、みんなでハロウィンイベントに雪崩れ込もう! ファイトーッ! 「「「オーーーッ!!」」」」
『キュー!』
こうして、私たちは長い長い戦いに飛び込もうとしていた。
色々と詰めたら長くなってしまいました、すみませんm(__)m
もっと削れるようにならねば……。




