第92話「別世界への旅路」
ブラネット高地。
ブラフザ瀑布はそこから延々と降り注ぐのだと言う。
私たちは水没せし都・ブラノーラへ向かう為にそこを目指す……ただ、それがどれ程の物であったかを私は知らずにいた。
だってディドブラ村まで来た昨日は夜で周囲の地形なんて判別出来なかったんだもん……。
「冗談ですよね♪」
「本気です」
「帰る〜……」
半ば以上、十中八九はそう思い体を180度程回転させるも、襟首掴まれて逃げられません。
「……気持ちはよく分かるのですがここまで来たのです、進んでみませんか」
「無理に決まってるじゃないですかあんなの!」
そう言って指差す先はデコボコとした岩肌が剥き出しの直角に切り立った崖。左右を見ても上を向いてもどこまでも続くような、まさしく絶壁だった。
だと言うのにセバスチャンさんたらこの崖を登るのだと私たちに告げ、先程のやり取りに続いたのだ。
「登れます」
「悪い冗談であってほしかった……」
素直な感想がそれである。
ディドブラ村から少し歩いた先にこの崖はある。
こんな崖でなくとも山道のような歩いて登れる場所は無かったのか。
無いんです。
聞く所によれば、目指す一帯は大地の一部が飛び出たような地形なのだと言う。
テーブルマウンテン。
そこを指すならその言葉が思い浮かぶ。もっとも現実のギアナ高地程標高は高くないそうだけど……。
本来それは柔らかい地盤が風雨などで削り取られ固い地盤のみが残り形成されるものらしい。
けど、セバスチャンさん曰くこの世界においては「悪しき神が内側から叩いた名残」なのだと言う。それこそ敷き詰められたブロックを下から押し出したようなものか、迷惑にも程がある。
そんな訳でこの崖はぐるりとブラネット高地を囲み、山道のような歩いて登れる場所なんか無いらしい。
「でも……これって専用の道具とか持ってこないと無理でしょ」
「《登攀》の加護は生憎と持ってないなー」
今回ばかりはセレナと天丼くんも否定的らしく絶壁を仰ぎながらそう語る。
「いえいえ、さすがに登攀するのは難しいのでアリッサさんのエキスパートスキルに頼らせて頂こうかと」
「え、私ですか? 何だろ、こんな所登れるようなエキスパートスキルなんてあったかな?」
記憶の中を探る。高い所に行くスキル……。
「えっと〈ウィンドバルーン〉とかですか? 風の風船を作って、その中に入ると浮かんでいく、って言う……」
フロムエールの高い木の上に住んでいる妖精さんたちに会えるかな、と思って調べた事がある。
でもあれは効果時間が短いからとてもあんな崖を登りきるのは無理だと思う。
「いえ、使って頂きたいのは《樹属性法術》のエキスパートスキル〈ツリーグロウス〉なのです」
「〈ツリーグロウス〉?」
生憎と遷移属性法術のエキスパートスキルはまだ完全に把握出来ていない。どんなスキルなんだろう?
「〈ツリーグロウス〉は植物の生長を促すスキルです」
「この前の〈ツリーリンカネイション〉みたいなモンか?」
オーデュカス男爵邸で焼け野原となってしまった庭園を元通りにしたのが〈ツリーリンカネイション〉の効果だった。
けどセバスチャンさんは否定する。
「いえ、損壊した植物系オブジェクトの再生とは異なり、〈ツリーグロウス〉は植物の種や苗に使用して生長させます。その成長はPCのMP頼りですので、MPさえあればどこまでも生長させる事が可能です。例えばあの崖の上までも」
そう言ってセバスチャンさんが実体化したのは掌からも余るようなとても大きな豆だった。
「それを成長させるんですか?」
「これは『ギガントペアプラントの種』と申しまして、どこまでも真っ直ぐに伸びる性質を持ちます。それも茎は人を乗せられる程に大きく太いのです。これでブラネット高地を目指そうと思います」
◇◇◇◇◇
周囲の鳥類型モンスターをあらかた殲滅した私たちは地面の一点を見つめている。
そこにはギガントペアプラントの種が植えられているので私はそれをターゲットサイトで捉えて教えてもらったスペルを唱えた。
「汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ樹の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、苗木。目覚めんとする苗木。我は助力し、手を貸そう”“天は高く、地は深く。芽を出し、根を張り、幹太く、枝を伸ばして葉を青々と繁らせよ”。“芽吹け、育ち育む樹”」
唱え終わると同時に種が光り輝き、小さな芽がピョコンと生えた。それは急速に成長し、根を張ったのだろう地面がわずかに盛り上がる。
そして芽は二股の茎となり私が両手を伸ばしたよりもずっとずっと太くなって螺旋を描きながら瞬きの間にすら上へ上へと伸びていく。
「アリッサ、掴まって!」
「うん!」
セレナが私の腰を掴み、その茎の頂点へと舞い上がる。セバスチャンさん、(今回ばかりは鎧を脱いだ)天丼くんもなんとかそこまで辿り着く。
でもギガントペアプラントはそんな事すらお構い無しと生長を続けていく。
これも一応植物であるから、生長は茎(直径で約2メートル)の先端が伸長していく事を指す。二股の茎は螺旋状にぐるぐるぐるぐると絡み合いながら結構なスピードで上を目指している。
私たちは2人ずつに分かれそれぞれ伸長する茎に背中を預け、押されながら急勾配な茎の上を歩いていく。
楽と言えば楽だけど、一歩踏み間違えれば真っ逆さまに落下すると言う事実が頭の中にこびりついて恐い事この上無い。
せめてと上ばかり見ていると数分としない内に地面が遠く離れ、周囲の木々を追い越すのも時間の問題か。
「アリッサさん、いつでも飲めるようポーションをご用意下さい」
「あ、はい」
ギガントペアプラントの生長に合わせるように急速に私のMPゲージが減少を始め、早々に赤く染まる。
ごくりと喉を鳴らす。今飲んだ『ハイMPポーション』は少し酸味のある柑橘系ジュースに近い。
《古式法術》のエキスパートスキルの効果は半分しか発揮されないので〈ツリーグロウス〉の場合は通常の半分しか生長しない。
セバスチャンさん曰くブラネット高地の標高は約800メートル。こんな調子でMPを消費し続けるとすれば一体私はどれくらいの量のポーションを飲まないといけないのかなとちょっと憂鬱だったりして……。
「っ、眩し……」
とうとう辺りに繁っていた木すら越え、遮られていた沈みゆく夕陽が直に私たちを照らす。ぐるぐる回っているので何度もその光は私の目を射してくる。
赤く染まる木々や光を反射する川は綺麗と思うけど、遮る物が無い今は早めに沈んでくれると助かるなあ、と思う。
「ジャックもこんな気分だったのかしら」
下を眺めていたセレナがぽつりとそんな事を呟く(ちなみに外側がセレナ、内側が私)。誰に向けたものでもなさそうだけど返してみる。
「ジャックって、もしかして『ジャックと豆の木』のジャック?」
「そうそう」
私も昔、花菜と一緒に絵本で読んだ記憶がある。
「あの頃はほんとに豆の木を登る事になるなんて思わなかったなあ」
「そう? 私は登ってみたいと思った事あったわよ。気持ち良さそうだなって。でもいざホントに登るとなると……結構ヤバいわね」
じりっと半歩中心に寄る。さすがのセレナでも恐かったみたい。
「今から行く所に恐い巨人がいないといいね」
「巨人より恐い相手ならいますがな」
「……降りたい」
セバスチャンさんの無情な横槍に、もれなく心を挫かれながらも、お構い無しにギガントペアプラントは生長を続けていくのでした。
◇◇◇◇◇
「けぽ」
もう何本目かも分からなくなったポーションを飲む。
「今度は何味だった?」
「葡萄味」
ひと所で買い続けてはあまり意識しないけど、お店によってポーションの味は変わる。
アイテム名としてはどれも同じハイMPポーションでも、配合や作り方などにより効果や味もまた千差万別に変わるらしいのだ。
その為、この手のポーションは単純な回復量のみならず味でも評価が分かれ、『美味しいポーション』のお店はそれだけでも人気になるのだと言う。
「次は何味に致しましょうか」
「次がある事に頭が痛くなります……」
セバスチャンさんはこの登頂(?)が長期に及び、私が沢山のポーションをがぶがぶ飲まねばならないのが分かっていたから様々なお店のポーションを買い集めておいてくれた。
……とは言え、さすがに量がかさめば飲むのもキツくなる。
満腹感と言うものは特に感じないけど、精神的に『もういらない』と思ってしまうのだ。
「ちょっと、大丈夫?」
「ん、まだ大丈夫大丈夫……大丈夫」
セバスチャンさんの貸してくれた装飾品『アレキサンドライトリング』により普段よりもMP最大値が上昇している事もあり、ポーションを飲む回数が抑えられている事を思えば、まだがんばれる……まだ。
ただ、既に夕陽は没し夜闇が辺りを支配している。毎度お馴染み精霊器のランタンで灯りは確保されているものの、崖の上までは見通せない。
「後どれだけ続くのかは知った方がいいのかなあ?」
「やめときなさい」
「……そうする」
幸い襲ってくるモンスターはセバスチャンさんの〈ディフェンシブエコー〉により防がれ、その中からひーちゃんがヒット&アウェイで攻撃をするので割と平気なのだけどね。
そんなやさぐれ気味な気分を少しでも紛らせようと景色を見やる。暗闇ではあるけども、人の点している灯りはある。
位置的にディドブラ村の灯りは見えないものの、遥か下の離れた場所にはぼんやりと淡く光る何か……多分フレスレイクの光を透過しているフィエスラ湖、そしてずっとずっと先、一際明るく強く光り輝くのはきっと王都だろう、他にも沢山の灯りたちがこの世界には点在している。
それらは美しく力強い、私たちの帰る場、所……。
……ライフタウン?
「あの、セバスチャンさん、この上にはライフタウンは存在するんでしょうか?」
「ありません」
即答。
「あの、と言う事は……帰る時は〈リターン〉だとして……もし途中で死んじゃったりした場合は……」
このゲームでは死んだ場合最後に立ち寄ったライフタウンに戻る事になっている。
「勿論、再度ここを登る事になりますな。ほっほ、一度も死に戻り出来ませんな」
「「「どう考えても絶望だ!!」」」
もう本気での絶叫が吹く風にも負けずに木霊した。
◇◇◇◇◇
「おや、皆さん。そろそろ到着のようですよ」
「! 分かるんですか?!」
セバスチャンさんが上を仰ぎながらそう言った。こんなに真っ暗闇なのに?!
「ええ、視界内にブラネット高地のマップが表示されました。皆さん、飛び移る準備をなさって下さい」
「ようやくかぁ〜、さすがに体が凝った気がするなぁ」
「気の所為とは言い切れないわよね……さすがに」
あくびと共に体を伸ばす天丼くん、セレナはもうどれだけ高いのか見当も付かない下界を見下ろす。
「あ、見えた!」
崖をじっと見ているとようやく、本当に本当にようやく、その崖が途切れたのだ。
その地点をわずかに過ぎた辺りを見計らって――。
「キャンセル!」
待ちに待ったその言葉を、ターゲットサイトで捉えていたギガントペアプラントに唱えれば、ずっと背中を押していた茎の伸長が停止する。MPの減少も無くなり、〈ツリーグロウス〉が解除された事を実感する。
「あれが……ブラネット高地……」
「ええ、その通り。高い山々などは他のフィールドにもいくつかは存在致しますが、ここ程来るのが面倒な場所はそう無いでしょうな」
セバスチャンさんがランタンで向こう岸を照らし、生い茂る草地が姿を現す。
そこが私たちの新たな冒険の地……ううう。
「さってと、じゃあ飛び移るわよ、心の準備はオールOK?」
「う、うん」
そうギガントペアプラントから飛び移らなければならない。
なるべく崖の近くに植えたとは言え、それでも向こう岸までは1メートル以上離れているのだ。
真っ暗闇の眼下は私が落ちるのを待ち構えているようにすら感じ、喉を鳴らさずにいられない。
「ま、気持ちは分かるけどさ。恐いならしっかり掴まってなさいよ」
「よろしくお願いします……」
私のパラメータで、この走り幅跳びをこなすのは酷である。となれば方法は限られる。
例えばそれこそ〈ウィンドバルーン〉で……だめだ恐い。後は……連れていってもらう、とか。
「ここまではアリッサばっか苦労したんだもんね、これくらいは普通よ普通」
ぎゅうっと抱き締めてもらい、「ふーっ……」セレナが呼吸を整えるのを待つ……そして、ブーツが音を立てた次の瞬間……ふわっ、重力が一瞬消えた。果たして――。
――ッ、ダンッ!!
「ぶ、はっ!!」
溜め込んでいた空気を、セレナは勢いよく吐き出した。そっと地面に下ろされた私が背後を振り返ると、2メートル近く離れた場所にギガントペアプラントがある。
なんと殆ど助走も無しにこれだけの距離を飛んだらしい。さすがと言うか……。
ただ、やはりそのセレナでも今回の走り幅跳びは緊張を強いられていたんだろう。地面に座り込んでしまった。
『キュイ〜?』
ひーちゃんも心配なのかセレナの周りをくるくると飛び回っている。
続いてセレナよりも大分崖に近い辺りに天丼くんが、最後にセバスチャンさんがひょいっと至極軽い調子で飛び移った。
全員が安堵する。まだまだ最初の最初だけど、全員無事にスタートラインには立てたのだから。
「皆さん、お疲れ様です」
セバスチャンさんが腰を深く折ってそう告げる。
「この爺めの無茶な案に乗って下さった事に、後れ馳せながら感謝を」
「確かに、今回のはくたびれたよな。精神的にもうぐったりだ」
私とセレナも笑顔で同意する。こんなの普通に戦うよりもずっとずっと大変だ。
「でも、ま。何だかんだ上手くいったから、とりあえずは文句は言わないでおくわよ。これからろくでもない目に遭ったら言うかもだけどさ」
「あはは、それは考えておかなきゃね。……あの、それで私たちはこのままブラノーラに向かうんですか?」
「いえ、今回は近場のセーフティーエリアからログアウト致しましょう。若干早うございますが、一旦リフレッシュせねば戦闘はお辛いでしょう?」
それにも全面的に同意する。
PCとしては疲労なんてしていない。歩きづめだったもののスタミナ値が底をつくような速さじゃなかったのだから。
でもPCを操作しているプレイヤー側はそう簡単には割り切れない。
例えば先程私がポーションを飲むのが辛くなったように、精神的な疲れはPCの能力とは関係無く活動に限界を設定し、PCの能力を制限してしまう。
歩きづめだったのならいつも通りのセレナの足さばきは期待出来ない、と言った具合に。
セバスチャンさんの言が正しければ、このブラネット高地にライフタウンは存在しない。
そんな中で無茶をして、万一死に戻りしたら目も当てられない。休憩は必要だ。
「つまりはその2時間強の間に出来るだけリフレッシュして戻ってこいってコトか。ひでぇ話」
天丼くんの笑いを含んだ言葉を合図にして、私たちは立ち上がった。
◆◆◆◆◆
MSOをログアウトして現実へと帰還した私はリンクスを外して下へ行き、今はリビングのソファーにぐったりと横たわっている。
リフレッシュと言われても、うたた寝をするくらいしか思い付かない無趣味な私。
テレビを点ける事もせず、エアコンが出す温かい風にうつらうつらとしている。
ふぁさっ。
瞼を閉じてしばらくすると、毛布が体を覆う。ぽんぽんと優しく肩を叩いてくれたのはお母さんだろう。
それが呼び水にでもなったように、私の意識が微睡んでいく。
◇◇◇◇◇
(あれ――どれくらい寝てたんだろ?)
思考停止していると耳に包丁がまな板を叩く音や鍋かフライパンを取り出す音がする。
(ああ、早く起きてお母さんのお手伝いしなきゃ)
そんな風に頭で考えても、そこからの命令をいくら出しても一向に体に届かないようだった。
(動かない動かない。瞼が重い)
瞼がわずかに上にずれただけ、狭い狭い視界の中では何が見えるでもなく、いえ――……肌色が見えた気がする。
「…………?」
部屋着であまり肌を出していないから私のものではない。
もしそうなら私は相当アクロバティックな姿勢で寝ている事になるけど、私の姿勢は背もたれに背中を預け、手足をわずかに丸めている形。
つまりはこれは別の誰か。
でも調理の音の主はお母さんで、今日はお父さんは遅い筈、だから答えは1つ。
「あふ」
小さなあくびをかみ殺し、キシリとかすかに音を立てるソファーから起き上がる。
そこには想像通り花菜がいた。
ソファーの前に座り、しなだれかかっている。その手は私の手を包んで、それを枕代わりに頭を預けている。
「すぴか〜…………」
幸せそうな寝顔だった。
でも、そろりと手を抜こうとするとくしゃりとその顔が崩れる。
起きてるんじゃないの? と言う考えもよぎるけど……まだ霞がかかった頭はそれ以上の思考の展開を許容してくれそうもなく、気持ち良さそうな花菜の寝顔を見ていたら腫れぼったい瞼が落ちてくる。
こうなれば今日はとことん寝てしまえと開き直り、再びソファーに沈み込んだ私は睡魔に身を任せる事にした……。
◆◆◆◆◆
再度ログインした私がいるのはブラネット高地、それもギガントペアプラントで到着した場所から数メートル程度しか離れていないセーフティーエリアだった。
そこは草と岩と苔しか無く、どうにかセーフティーエリアと判別出来るのは規則正しく配置された一部の石や岩程度のもの。
私はそんな岩の1つに腰を下ろしていた。ちなみに1人。
(リフレッシュしたのかなあ?)
私は伸びをしながら現実での事を考える。
結局晩ごはんが出来上がるまでぐーすかと眠ってしまった訳で、花菜に起こされると言う稀有な事態にまで発展してしまった。
まあ顔を洗えばしゃっきりしたし、ポーションがぶ飲みの後遺症も晩ごはんには反映されなかったのだから多少はリフレッシュ出来た、と思おう。
辺りに視線を走らせるのだけど……何も見えなかった。何も。
端的に言えば真っ暗闇なのだ。夜を照らすべき月光の無いこの世界は、光る木の実や人工の灯りが無ければ本当に暗い。
見上げれば星たちがちらちらと瞬いているけど、それは世界を照らすにはささやか過ぎる。
聞こえるのはガサガサと風も無いのに草が揺れる音、よく分からない動物の鳴き声、それらが遠く遠く響いている。
それはどうにも恐ろしく心細く、もれなく背筋を強張らせてしまう。
「…………〈サモンファミリア〉、“来て、ひーちゃん”」
『キュイ!』
「〈ダブル・レイヤー〉。“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を祓う光の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、先を、道を、行く末を、あるいは希望を照らすもの”。“輝け、光明”」
ひーちゃんの温かい赤い光と、〈ライトアップ〉の強い黄色い光が合わさりオレンジ色の光となって岩と草、そして苔で被われたセーフティーエリアが一気に照らされる。
誰か早く来ないかなあと、寂しさでひーちゃんを抱き締める。『キュイキュイ』と気遣うような声に励まされながら、光が浮かび上がらせた景色の一部に焦点を合わせる。
それは私たちを乗せて、800メートルを越えるまでに生長したギガントペアプラントだった。
「…………ひーちゃん。あれ、あんなにおっきく育ったのにもうすぐ枯れちゃうんだって。なんだか悲しいね」
『キュ』
〈ツリーグロウス〉で育った植物は急速な生長による反動の為に日時が変わると同時に枯れ、後には何も残らないのだと言う。
そもそも〈ツリーグロウス〉の本来の用途は薬草や果実などを収穫する為に用いるのだそうだ。
今回のような使い方は珍しい部類なんだろう。ここのようなテーブルマウンテンがそうそうあるとも思えないから。
でもせめてもの記念にと、あの巨大な豆の入っていると言う莢が成っていたのでそれごと貰ったのだけど……どうしようね。あの大きさじゃあ庭に植える訳にもいかないし……。
万一死に戻りした場合にはまたお世話になるだろうけど、率先してそうなりたいとは欠片も思わない。
……なんだかタンスの肥やしならぬアイテムポーチの肥やしになりそうな……まあいいか、リリウム・ポシェットになって容量は桁違いに上がっている。ちょっとくらい余計があっても困らないのだから。
「あなたの種はちゃんと持ってるから、だから…………何言ってんだろ。はあ……」
吐く息は白い。
さすが標高が高いだけあってブラネット高地は冷え込んでいる。夜中なのだから気温は一桁かそれ以下かもしれないけどPCの体感では震える程でもない。
本来ならこんな薄着でどうにかなる類いではないけど、PCは熱さ寒さには大分強い。
そりゃ氷河や火山に行くならともかく、この程度なら冬間近な近頃の朝の方がまだ寒い気がする。
「まあ、寒いは寒いんだけどね」
そう呟いてアイテムポーチからここ最近の戦闘でドロップしたアイテムを取り出す。
大概のアイテムはNPCshopで売り捌く私だけど、何も全部が全部と言う訳じゃない。
面白そうだったり使えそうだったりする物はノールさんに相談して残してある。
そして今取り出したのもその内の1つ。そのものズバリ『薪』。
薪って水分が無くなるまで乾燥させなきゃいけないものだけど、そもそもドロップするモンスターが『ウィザートレント』と言う枯れた木のモンスターだったのでそのまま薪として使えるそうだ。
セーフティーエリアにはいくつか石で囲われた場所がある。その中に取り出した薪を重ねて置く。
「ひーちゃん、火を着けて」
『キュ!』
薪の上に陣取ったひーちゃんがぼわりと燃え上がる。やがてそれが薪をも燃やしてぱちぱちと爆ぜる音がし始める、立派な焚き火の出来上がり。
赤々と炎が燃え、じんわりと剥き出しの肌が熱を持つ。ひーちゃんはその上をぐるぐる楽しそうに飛んでいる。火精霊であるひーちゃんには焚き火が嬉しいみたい。
「おや、中々に風流な趣ですな」
「あ、セバスチャンさん。こんばんは」
ログインしてきたセバスチャンさんは私に歩み寄る。
「アリッサさん、ひーさん。少々この焚き火をお借りしても構いませんかな?」
「ええ、それは構いませんけど……何をするんです?」
「いや何、少しばかり暖を取ろうかと思いましてな」
そう言ってアイテムを実体化させる。それはポットと……網? 首を傾げているとセバスチャンさんは背の高い岩をいくつか並べてそこに金属の網を置き、その上にポットが乗った。
しばらくそのままにしているとシュウシュウと湯気が立ち始める。セバスチャンさんは更にマグカップを実体化すると、その中に角砂糖大の固形物を入れた。
そこに沸騰したお湯を注ぐと茶色く変わってしまった。
「これは……?」
「ご心配無く、単なるカフェオレですので。生憎とインスタントではありますが……さ、どうぞ」
言われるまま口に含むと、確かにわずかなほろ苦さと甘いミルクの風味が口の中に広がり、その熱はお腹から体をぽかぽか温める。
焚き火も加えれば寒さはもう気にもならない。
「お口には合いましたかな?」
「……はい。ずっとポーションばっかりだったので、結構入りそうです」
くぴくぴとマグカップを傾ける。
様々ポーションを飲んだけど、例外無く常温かもしくは少し冷えていた。やはり温かい飲み物の方が季節柄有り難い。
「……お元気そうで良かった」
「はい?」
「いえ、アリッサさんにはかなり無理をして頂きましたからな。お疲れではないかと……」
セバスチャンさんが視線を向けるのはギガントペアプラントの巨影。
「そうですね、無理をさせられました。すごく大変でした」
主にポーション的に。
「……でも、それもこれも私の都合が招いた話ですから。いつまでもぐでぐでしてられませんよ」
「そうですか。頼もしい限りですな」
「どうも」
中身の少なくなったマグカップを揺らしながら話す。
「ここからブラノーラまでどれくらい掛かりますか?」
「そう遠くはありませんよ。精々アラスタ〜ケララ村程度です。注意を払っても今日中に十分辿り着けるでしょう」
セバスチャンさんが見たのは暗闇の先を見た。きっと向こうが目的地なんだろう。
「そこまでのモンスターはどんなのがいるんです?」
「主に虫」
虫……どんなのだろ。足がいっぱいとか気持ち悪いのは勘弁してほしい。
「それを主食とする食虫植物」
このゲームの事だから人を食べられるくらい大きかったりして。
「爬虫類の類い」
虫と食虫植物の後だとそれでもマシに思えるなあ。
「更に恐竜が少々」
恐竜かあ、あんまり知らな――――。
「いやいやいやちょっと! なんで恐竜なんて出てくるんですか?!」
「おや、アーサー・コナン・ドイルの失われた世界はご存知ありませんか?」
「……人が死んじゃうの苦手なんです」
「いえいえコナン・ドイルとは言えホームズのようなミステリーではなく冒険小説ですよ」
セバスチャンさん曰く、テーブルマウンテンを舞台に、恐竜が出てくる小説があるのだそうな。
「一時期はリアルなそのディティールで人気にもなったものですが……場所が場所だけにその熱は早々に冷め、今では時折人が訪れる程度になってしまいました」
「はあ、そうなんですか……」
モンスターとしては結構強いそうなのでもしかしたら戦う事になったりするのだろうか。
不安を抱きつつ、セレナと天丼くんを待つ私だった。




