第87話「ようこそ、湖の街へ」
見渡す限りの平原、それにだって当然ながら終わりはある。
レリーナ平原はアトゥ村を境にしてその様相を変え樹木が繁るようになった。
アラスタや王都周辺に群生していた針葉樹は基本的に常緑樹であったか青々としていたものだけど……こちらの木は種類が異なり、梢の葉は明るい黄色に衣替えしている。
有り体に言えば、黄葉。
通り過ぎても通り過ぎても続く木々、そこからひらひらと時折落ちる葉は、季節柄良くも悪くも見慣れていた物の筈だけど場所が違えば感想も変わる。
更にそこを馬で駆け抜けるなどすれば心はどうにも舞う木の葉に誘われるように踊るもの。
アトゥ村を出てから少し、私は勉強開始を少し遅らせて窓からその絶景を眺めていた。
「わ、きれーい」
近くを通り過ぎる物、遠くに並ぶ物、徐々に密度を増す黄色く色付く風景に歓声を上げる。セバスチャンさんの隣に座るボーイくんなど、宙を舞う黄葉に手を伸ばしたりしている。
きっと暖かな陽射しの下で散歩など出来ればさぞかし素敵な事だろう。残念ながらモンスターは出没するので悠々と、とはいかないけども……。
そうした景色の中を駆けていくと、軽快だった馬車の足が鈍る。疲れではなく、道が右へ左へと短く蛇行を繰り返すようになったのだ。
「このまま道なりに進めばフィエスラ湖が見えてきます。この分ならば今日中に到着出来るでしょう」
唯一フィエスラ湖へ行った事のあるセバスチャンさんの声が耳に届いた。
「そりゃ朗報ね」
それに馬車の屋根でひーちゃんと共に周辺の警戒を担当しているセレナが応じた。
顔を御者席側に突き出したらしく彼女の髪が私の視界に風に揺られながら落ちてきた。
「ここからはあんまスピード出せなさそうで心配してたトコだったから」
セレナの言にあるのは曲がった道の事ばかりではなかった。
草原から黄葉の繁る街道へと進んだと言う事はフィールドが変わったと言う事。
それに合わせて出現するモンスターもまた変わる。基本的にゲームなので先に進めばモンスターは手強くなる。
加えて道の左右は色めく木々たちが視界を遮り見通しが悪い。下手にスピードを上げれば飛び出してきたモンスターとの人身事故も有り得る。
そうなった時に被害を受けるのは今も力強く馬車を引いてくれている馬さんたちなのだから多少の減速はやむを得ない。
そして理由はもう1つ。
「平気平気。少しはのんびりしてられるって」
と、セレナが脈絡の無い言葉を発する。多分パーティーチャットで後方を警戒中の天丼くんと会話しているんだと思う。
「油断するな」とでも言われたのかな?
試験勉強をする為に私だけはチャットから外れているから聞こえないんだ。
「だってさっきアリッサに〈ムーンパフューム〉掛けてもらったばっかじゃないの。現にモンスターが退いてくし」
セレナが言ったのは《月属性法術》のエキスパートスキル〈ムーンパフューム〉の事。
一定時間モンスターの嫌がる香りを身にまとう事でモンスターが近付かなくなると言う大変有用なスキルで(あんまり強いと効かないけど)、現在私たちはそれを使用してモンスターとの戦闘を回避している。
今も傍まで寄ってきたモンスターが立ち止まり、すごすごと引き返していく。
数時間前に出会った犬人族の商人さんが持っていた破邪香と同じような効果だ。
攻撃に比重の寄った《日属性法術》に対し、《月属性法術》はこうした支援や回復・防御に秀でた加護らしい。
ただ、あまりスピードを上げると逃げる前に接触してしまうので速度を緩めた、と言うのが期間限定2つ目の理由だった。
「でもー、初めて使ったスキルで効果時間はまだ正確には分からないから気を付けてねー」
「んー、りょーかーい」
そんなのほほんとしたやり取りの間も馬さんたちは休み無く足を動かしてくれている。頼もしい限り。
後方に備わる窓に移ると視界を埋め尽くす黄葉の森の向こうに広い広いレリーナ平原がある。更に遥か彼方には古の城塞のある山々がわずかに霞んで見えた。
(ずいぶん遠くまで来たんだなあ)
旅立ったのは昨日の筈なのに、もう王都など欠片も見えない。車や電車ならいざ知らず、馬さんたちに乗ればこんな所まで足を伸ばせる事に少なくない感動を覚える。
そして、その旅のひとまずの目的地まで後数時間。
この森の向こうにはどんな景色が広がっているのだろう、想像するだけで楽しくて胸はドキドキとワクワクでやたらめったら高鳴り……ちょっと困る。
(勉強に身が入るかなあ)
つり上がりそうになる唇を抑えようとパタリと窓を閉じて、私は積み上げられているノートへと向かうのだった。
◇◇◇◇◇
――ゴンゴン。
不意に馬車の壁がそんな音を立てた。
(モンスター……じゃないか、みんなが騒いでないし)
鉛筆を放ってそちらに向かうと同時に窓が外から開かれた。前方、御者席側の窓ではあるけど、聞こえてきたのはセバスチャンさんではなくセレナの、喜色を全面に押し出した声だった。
「アリッサアリッサ! 見えた見えた見えたわよ!」
「見え――?」
そう言われた私が窓を覗き込む。
そこには変わらずに黄葉の道が続いていたのだけど……木々の隙間からキラキラと光が掠めるようになり、パカパカと蹄を鳴らしていた馬さんたちが足を止めた。
「あうっ」
陽光を反射したのものか、飛び込んできた眩しさに思わず目を細める。
風が湖面を揺らし、光が散らされると見えるのはどこまでも続く……水と水と、水。
今まで見たどんな湖よりも広く大きく、もし内海と言われれば信じてしまいそうな規模の湖。
(空より深い青色の湖、これが……フィエスラ湖)
――静かだった。
風が後ろに広がる黄葉の森を揺らしている筈なのに、輝く湖面を波立たせている筈なのに、それらを忘れさせる程、この景色は穏やかだった。
だからか、
「……ずいぶん掛かったモンね」
目の前の広大な湖を感慨深く見つめるセレナが口にした言葉が殊更に強く意識に残った。
◇◇◇◇◇
しばし私たちはその光景に見入っていたのだけど、ディファロスくんが文句を言うように嘶いた所でようやく我に返った。
「あの、それで……ライフタウンって、どこ?」
周りを見る。正面を眺めても、首を出して左右を見ても湖岸が広がるばかり……遠くに島がぽつんとあるけど、街らしき物はまるで見当たらない。
どうしてだろう? このフィエスラ湖のライフタウンは割合大規模なものであると聞いているのに影も形も無いのだ。
「ほっほ。では参りましょう」
セバスチャンさんが手綱を振るい馬車を先へと進ませ、湖岸に沿う道を進むのだけど……一向にライフタウンは姿を見せず、だと言うのにとうとう横道に逸れてしまいフィエスラ湖もその姿を木々の合間に埋もれさせていってしまう。
最早首を傾げるどころの話ではなく、周囲を頻りにキョロキョロと窺う私を、ケラケラとセレナが笑う。どうも事情を知っている様子。
「どう言う事?」
「秘密に決まってんでしょ。精々楽しみにしてなさい」
「セレナだって初めてのくせに」
「私はちゃんと予習してるものー、だから不安になんてなんないのよー」
頬を膨らませるけど効果は無く、行く先に見えてきた物に気が付くとあっさりと萎んでしまった。
「何だろ。トンネル……?」
のように見えた。明らかな人工物。ただ古の城塞とは違い、地下へ向かう為の入り口のようで、なだらかな坂道が続いているみたい。
「え、じゃあ、ここのライフタウンって……地下都市なの?」
折角あんな綺麗な湖があるって言うのに? 湖畔にログハウスでも立ててくれればいいのに……。
「ま、行ってみれば分かるって」
セバスチャンさんが手綱を引いて馬車をトンネルへと向ける。
不安が燻りつつも、生憎とあくまで絶賛カゴの鳥である私には手も足も出ない。ここにはハンドルもブレーキペダルも無いのだから。
「列を乱さないようにー! スピードは抑えてくださーい!」
トンネルはやはりライフタウンに通じているのだろう、王都程ではないにせよ少なくない人たちが行き来し、様々な方向へと旅立っていく。
声を張り上げているのは兵士さん数名、人の流れが滞らないように交通整理に勤しんでいるらしい。
私たちもそれに習い、大人しく順番に並ぶ。もっとも、トンネルは大きくそう時間も掛からずに中へと入る事が出来た。
内部は精霊器が光を灯していて明るい、けど……一体どこまで続くのか、緩くカーブを描くトンネルの先行きは知れないまま。
カッポカッポと言う蹄の音が反響しては消えていくばかりの代わり映えのしない景色に、飽きの色が自覚出来始めた頃の事。
ようやく坂道が終わり、平坦な道になる。そしてトンネルの先に今までの精霊器とは異なる光がかすかに見えた。
――そして私たちは更に進み、そこへ至った。
「あ、結構綺麗なライフタウンだね」
地下に広がっていたのは薄青い街並みだった。背の高い建物は殆ど無いけど、だからこそ可愛らしい印象を与えてくれる。
唯一の高層建築は街の中心だろう場所に建てられていた塔。それは高く高くどこまでも伸びていた。
(あれ……?)
でも、遠目に見たそれはどこかぼやけて見えた。
どうしてかを確かめようと下から上へとそれこそ首が痛くなるまで曲げて曲げて曲、げ……て――――そこでようやく、私は気付く。
「え?」
最初は理解が及ばなかった。
地下都市の筈のそこは光に満ちていた。ただし、それは精霊器などによる限定的な灯りじゃない。
――射し込んでいる。
――陽光が、空から燦々と。
「天井が……水で覆われてる??!」
天井全体がそれこそアクアリウムのように水で覆われ、揺れる陽光をこの地下にまで送っていた。
(この都市は……フィエスラ湖の底にあるんだ……!)
改めて空を……と言うのは語弊があるのだけど、見上げてみれば湖の水はすぐそこにある。多分王都の5階建ての建築物より少し高いくらい。
アクアリウムのよう、そう自分で表現したけど……揺れる湖面の様を見るに、現実の物での表現ではまるで足りない。
キラキラと射し込む光を自身の瞳で捉えていたら意識を吸い込まれそう。
そんな時、すぐそばのセバスチャンさんが声を掛けてくれる。
「ようこそ。“湖底都市”『フレスレイク』へ」
「フレス……レイク」
それがこの街の名前……。
「どう? びっくりしたでしょ!」
「う……うん、すごい……!」
衝撃から未だに復帰し切っていない私を、みんなは微笑ましく見守ってくれている。
「昼間の内に来たがってたの、これが理由だったんだね」
湖水を透過して降り注ぐ光は昼間でこそここまで街を美しく照らすんだろう。
「まーねー。どうせならそのびっくりした顔見たかったしね」
「さ、皆さん。いつまでも止まっていては通行の妨げとなってしまいます。ひとまずはポータルポイントに登録を済ませ、宿を探してしまいましょう」
全員が頷き人の流れのまま、私たちはフレスレイクのメインストリートを進んでいく。
湖底にあるとは言っても木々や草などは普通に自生しているし、生活している人たちも他のライフタウンと変わりは無いように見える。
遠くに目を向ければ街の端の4ヶ所からどうどうと湖の水が滝として落ちてきている、それらは四方八方に張り巡らされた水路を流れて街の各所に行き渡っているみたいだった。
周りには大量の水があるからか、かつて精霊院で見た小さな精霊がそこかしこに見受けられる。
街の様子や施設などの簡単なレクチャーを受けながら中心部、あの長大な塔の根本に到着する。
そして私は遠目に塔がぼやけていた理由を知った。
「どうなってるの……?」
呆然とそう呟く。
4ヶ所から落ちてきた大量の水はこの塔へと集まっていた。そしてそれはどう言う仕組みか、重力を無視して湖へと戻っていく。
その大量の水が遠目には判別しづらく中の塔をぼやけさせていたのだ。
「四方の滝と塔に関しては精霊器によるものだそうですよ。通常の精霊器よりも上位の精霊が中に棲んでいるのだとか」
「はあ〜……」
こんな事まで出来てしまうなんて、一体何レベルくらい上げればいいのか……。
塔の内部はエレベーターにもなっていて湖上にまで行けるそう、その入り口付近に立つ像がフレスレイクのポータルポイントだと言う。
「あれ? あの像……王都にあるポータルと同じ物じゃない?」
「お、ホントだ」
見上げる程大きな銅像は、たおやかな妙齢の女性だった。ゆったりとしたドレスに錫杖を構え、穏やかな微笑みを讃えている。
「左様です。あの方は『四聖女』と呼ばれる偉人なのですよ、詳細は省きますが、かつてこのフレスレイクを襲った災厄を鎮めたそうです」
……そう言えば前に質問したけどクラリスの乱入でうやむやになってたなあ……思い出すだに恥ずかしい。
「四聖女……じゃあ王都の各区ポータルにある銅像がそうなんですね」
「ええ、それぞれ『地の聖女』『水の聖女』『火の聖女』『風の聖女』と呼ばれており、その偉業を讃えて王都と各ライフタウンに彼女らの銅像が建てられたそうです」
ポータルに触れる為に馬車から降りると、セレナと一緒にいたひーちゃんの様子がどうもおかしい事に気付く。
「え、あれ、ひーちゃんどうしたの?!」
『キュ〜……』
元気が無い。と言うかこれは……恐がってる、のかな?
「おねむ?」
「ううん、違うと思う……って、まさか……」
視線を上へ上げる。そこには大量の水がある、それこそこのフレスレイクを水没させるくらいの水がたっぷりと。
「なるほど、そりゃ恐がりもするか」
ひーちゃんは火属性の精霊。火属性と水属性は互いを打ち消し合う関係にある。
圧倒的な物量の水があるだけならまだしも逃げ場の無いこの状況はひーちゃんに取っては恐がるに十分なんだろう。
「了解。今日はもういいよ、〈リターンファミリア〉。また明日ね」
『キュイ〜』
申し訳無さそうに一声鳴いて、ひーちゃんは送還されていった。明日はフレスレイクの外に出てから喚んであげよう。
◇◇◇◇◇
無事ポータルに登録した後、セバスチャンさんの案内で『踊る魚亭』へとチェックインする事になった私たち。
ただ、馬さんたちを休ませてあげる為で私たち自身はまだログアウトはしない。
ボーイくんのメンテナンスの為に、商人さんに紹介された人に会いに行くつもりなのだ。
馬屋へと馬さんたちを連れていき首筋を撫でる。
「お疲れ様。ゆっくり休んでね」
「ぶるる」
低く嘶くとディファロスくんは備え付けられていた水をガブガブと煽り始めた。
「んじゃ、さっさと行こっか。ログアウトまでそんなに時間無いし」
「うん。セバスチャンさん、紹介された人の居所は分かりましたか?」
私たちが馬さんたちを連れてくる間にセバスチャンさんは情報を集めてくれていたのだ。
「ええ、宿の主人が顔の広い方で助かりました。ここからそう遠くはないようですよ」
「良かった。じゃあこのまま向かいましょうか」
みんなが頷き、セバスチャンさんに先導してもらいつつ歩き出した。
◇◇◇◇◇
空からの光を受けて淡く青く色付き、水の動きに光が瞬き毎に代わり行く街。
さざめきもどこか遠く、歩く度に鳴るヒールはコォンコォンと澄んだ音を響かせて、やがて青の中へと溶けていく。
ああ、魚たちはいないけど……水の中を旅出来たら、きっとこんな風なのだ。
「またぞろメルヘンチックな事考えてそう」
街並みを見上げて考えていた私を、横を歩くセレナはそう評した。そんな事無いですよ。
「ふむ……あそこの様ですな」
セバスチャンさんが見上げた先の建物、そこにはステラ言語で『クランク工房』と書かれた看板が掛けられている。
ただ、その看板はずいぶんとくすみ、傾いているのはどうしてだろう。
「ふむ、営業はしておるようですな」
ドアにはやはり古めかしい木製のプレートにステラ言語で何か書かれている。セバスチャンさんの言葉の通りなら『営業中』か『OPEN』辺りかな。
一抹の不安が無いでもないんだけど……商人さんを信じよう。
ボーイくんを連れたセレナが代表してドアへと歩み寄る。
「すみませーん。ゴーレムのメンテナンスを頼みたいんですけどー」
「へいへーいっ!」
声はすぐに返ってきた、きたんだけど……?
「今の声、なんだかやけに子供っぽくなかった?」
「いやいやアレだぞ? 声が高いだけの女って線もあるだろ。もしくはボイスチェンジャー的な機械使ってるとか」
「そこまで行きますと喋るゴーレムと言うのも有りになりそうな気がしますな」
みんながいぶかしむ間に、ドアが勢いよく開かれる。そこからひょっこり顔を出したのは頭の大きさに見合わないゴーグルを着けた男の子だった。「直球ど真ん中」とはセレナの言。
「ようこそクランク工房へ! ウチに来るなんてアンタら良い趣味してんな!」
見事な元気の良さと満面の笑顔でこちらを歓迎してくれる男の子。
私たちはさてどうしたものか、と顔を見合わせているけど……対して男の子はそんな様子はどこ吹く風、ボーイくんに目を止めてしげしげとためつすがめつしている。
その時セレナの前にウィンドウが開いた。
「クエスト?」
「ん、《ゴーレム修復》だってさ。ホント直球」
ケタケタと笑うセレナは迷わずそれを請けたようだ。
「ボロっちい奴だなぁ、へへへっ、直しがいがあるぜ!」
ウィンドウが消えると同時、そう言ってボーイくんを引ったくって工房の中に走って行ってしまう男の子。
「ちょ、ちょっと?!」
まだ紹介状も渡していないのにボーイくんを連れ去った男の子を追って工房へ飛び込むと、
――ゴインッ!
まるで拳骨で頭をしたたかに殴ったような音がした。
「いっ、でぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「勝手に客を取ってんじゃねぇバカ孫が」
蹲る男の子の前には片腕を振り上げた白髪のお爺さんが立ち塞がっていた。
孫、と言う言葉に違いなく顔には深いシワが幾筋も走っているものの、それを感じさせない程に、盛り上がった腕や体つきはがっしりとしていた。
その拳骨を貰った男の子の安否が気遣われる所だ。
私がその様子に立ち尽くしているとお爺さんがボーイくんを片手でひょいと持ち上げるとセレナの腕にぽすんと渡してきた。
「え、は?」
「帰んな。生憎と店は閉めてる」
低く重い声音でそう告げられる。確かに周りを見ればあまり使われた様子は無い。
「あ、あの、でも営業中のプレートが……」
「……デリク」
びくうっ! そんな効果音が聞こえそうな程にビビるデリクくん。そんな彼をお爺さんは歯を剥き出して睨んでいる。
「テメェ。また勝手に掛け変えやがったな……何度言わせりゃ分かる、客取るにゃまだまだ腕が足りてねぇだろうが、ああ?」
「そっ、そんな事ないやっ! オイラもう立派に一人前さっ! クランク工房の看板だってちゃんと背負え――」
――ゴイン、と脳天に拳骨を落とされてデリクくんはまたも悶絶している。私は思わず頭を庇ってしまうのだった。
「ガキが生言ってんじゃねぇ。一人前だぁ? 十年早ぇんだよ」
痛さか、あるいは悔しさか、ベソをかくデリクくん。どうしようとあたふたする私。セレナと天丼くんも困っているみたい。
「セレナさん、紹介状を渡してみましょう。何の役にも立たないと言う事はないでしょう」
「あ、ああ、そう言やそうか」
セレナは早速商人さんのくれた紹介状を取り出し、びしりとお爺さんに差し出した。
「ちょっと! 仕事請けるかはコイツを読んでからにしてちょうだい!」
お爺さんはそれをチラと一瞥すると、ややあってからぐりんと驚いた風に振り返った。
「……見覚えのある字だ」
そう言って紹介状を受け取ると、中身を読んで「あの犬コロ野郎め」と呟き、ぐしゃぐしゃと握り潰してしまう。あああ……。
短く鼻を鳴らして近くの椅子にドッカと腰掛けるお爺さん。こちらをギロリと睨むと口を開いた。
「知り合いが、世話になったらしいな」
「まあちょっとね。それでどうなのよ、請けるか請けるか請けなさい」
「選択肢がおかしい」
そんなセレナのおかしい選択肢に対して、お爺さんは第4の選択肢を選んだらしかった。
「だが、悪いが無理な相談だ」
「は?」
お爺さんは左腕を示す。その腕は小刻みに震えているようだった。
「生憎と歳でな。昔のようには動かん、そいつの持ち込んだ仕事をこなした頃のようにはな」
「納得出来る仕事が出来んから引退した」とお爺さんは語った。
「……だが、あの犬コロには世話にもなった。引き受けん訳にはいかん」
「じゃあ」
「出来の保証はしねぇがな」
深く深く、眉間に谷を作るお爺さんは視線をずらし、後ろで蹲るデリクくんに声を掛ける。
「……デリク。テメェの足りねぇ十年分、俺の錆びた腕で補ってやる。支度しな」
「マジかよジジ様! やっていいのか?!」
「こっちの言う事を聞くならだバカ孫」
「よっしゃあ!! 任せろジジ様! 仕事していいなら何でもするぜ!」
デリクくんは駆け足で工房の奥に消えていき、ドンガラガッシャンと家をひっくり返すように準備を始めたようだった。
「その、無理を通してくださってありがとうございます」
「アンタらの為じゃあない。借りを返すにゃあいい機会だったってぇだけだ」
「それと」とデリクくんが消えた方向を見つめ、しみじみと呟いた。
「あのバカ孫に経験を積ますにゃもってこいだしな」
「デリクさんを跡取りになさるのですな」
「ふん。何が気に入ったのか、ゴーレム技師なんざ食い扶持の見込めねぇ仕事に就きたいなんぞと言い出しやがった。誰に似たんやらバカな孫だ」
「ほっほ。左様ですか、いやはや同じ翁としてはどうにも羨ましいお話ですな」
「バカ言え。錆の浮いた体に鞭打つ羽目になってるこっちの身にもなってみろ。毎日が地獄だ」
仏頂面と微笑の2人のお爺さんはそんな風に言葉を交わす。
その間、お爺さんはボーイくんに向き合い、時折小さなハンマーでボーイくんの体をコツコツと軽く叩いている。
「一式ポップか、骨董品だな」
「直せますかな?」
「駄目なら先に言っている。少し待て」
壁際の棚に歩み寄ったお爺さんは重ねられている筒のような物をガサゴソと漁り、その内の1つを持って戻ってきた。
それは賞状などを入れるような入れ物であるらしく、蓋をキュポンと外すと中から紙が出てきた。
それを傷だらけの年期の入ったテーブルに広げるとそこにはボーイくんの、正確には試作ポップゴーレムの設計図らしき図面が描かれていた。
「おい、メンテナンスは引き受けたがカスタマイズはどうする?」
「カスタマイズって何すんのよ?」
「具体的には素材や形状の変更だ。中身は兎も角、外見ならある程度は融通が利く、希望があれば聞くが?」
そい言われたセレナは私に水を向けてきた。
「だってよ、どうする?」
「う〜ん……折角なら可愛くしてあげた――待って、“ボーイくん”なんだからボーイくん男の子だよね、可愛くってのは違うかな。かっこよく? でもなあ……」
「どうせなら派手にするとか?」
「えー? 派手の方向性にもよるなあ」
そう2人で悩んでいると、セバスチャンさんにトントンと肩を叩かれた。
「セレナさん、アリッサさん、ログアウトが迫っている事をお忘れなく」
「うぐ」
「そうでした……」
がっくりと肩を落とす。悩む時間も仕様を詰める時間も無いのだった。
「じゃあメンテナンスだけでお願い……塗装は元々のカラーリングを再現しといてもらえる?」
「ああ、それなら問題無い。だが修復には色々と素材が必要だ。何分古い型だからな。腕は出す、が材料はそちらで出してもらうぞ」
そうしていくつかの素材アイテムが提示されたのだけど、幸いな事に古の城塞でドロップした物ばかりだった。沢山のゴーレムを相手にしたのは無駄じゃなかったみたい。
聞いた話ではサーバントにした場合は戦闘もこなさなきゃならないのでもっとレアリティの高い素材が必要だったらしい。
「ふん、用意の良い事だ」
実体化させた素材アイテムをじっくりと眺めて納得してもらえた。
内容が固まったので料金を支払うとドタドタと重そうな荷物を抱えたデリクくんが戻ってきた。
それを手早くテーブルに置くとお爺さんに元気よく向き直る。
「ジジ様! 準備出来たぞ! 早く始めよーぜ!」
「見りゃ分かる、叫ぶなバカ孫。じゃあ、コイツは預かるぞ」
「メンテナンスにはどれくらい掛かりますか?」
「ふん。この程度なら明日には終わっているだろうよ」
明日……こちらの今の時間帯が夕方くらいだから明日の2回目のログインで朝方になる筈だからその時に来ればいいかな。
「分かりました。よろしくお願いします」
私は屈んでボーイくんと目線を合わせる。
「ボーイくん、私たちは一旦帰るけど、この人たちの言う事をちゃんと聞いてね。そうすれば綺麗にしてもらえるから」
「そしたらもっといいトコに連れてったげるわ。期待しときなさいよね」
ボーイくんはコクリと首を縦に振ってくれる。私たちはその頭を撫でて工房を後にした。




