第66話「真っ正面から立ち向かう」
朝、今日は1日雨なのだと天気予報が告げていた。11月を先取りしたような低い気温だからとテレビの中のお天気お姉さんが大仰な身振りで厚着を薦めている。
「寒いのね、やだわぁ」
「本当。コートはどうしようかな……」
「ぶっすーーーーーーーーーーーーっ」
クリーニングの袋に入れたままの愛用のダッフルコートは部屋のクローゼットで出番を待っている。例年なら11月まではベンチを温めてもらっているものだけど……。
「どうするの、出す?」
「んー、今日明日くらいならやせ我慢しようかな。またしばらくは使わないだろうし……」
「やせ我慢でどうにかなる問題じゃないだろう、そんな事言っていると風邪を引くぞ。結花はただでさえ無理をしがちなんだから着ていきなさい」
「ぶっすーーーーーーーーーーーーっ」
うーん、それは確かにそうかも……。暗い窓の外を見て今回は素直にお父さんの忠告に従おうかな。私は2階の自室に向かおうと歩き出した……のだけど、お父さんの横を通り過ぎる時足を止めた。
「あ、ねえお父さん」
「ん? どうした?」
「ぶっすーーーーーーーーーーーーっ」
私は指を顎に当てて少し思案、後に一言。
「ありがと」
「あ、ああ、気を付けるんだぞ」
「うん、了解」
「ぶっすーーーーーーーーーーーーっ」
そう言って私はリビングを出た。昨日の余韻のわずかな暖かさが徐々に失せていく中で自室にまで向かうのだった。
あ、花菜は昨日と同じ手でわがまま言うのが目に見えてたので知らんぷり。
「……ぷすん」
◆◆◆◆◆
「『は?』」
そんなセレナの疑問の声が部屋に響いた。ここは昨夜泊まった宿の一室、そこでのセバスチャンさんの発言がその原因だった。
「『ちょっと待って、予告状が届いた?』」
「『はい。それはもう盛大に』」
セバスチャンさんは昨日の地図をテーブルに出してマジックジュエルの印に次々と駒を置いていく。その数5つ。今まで9回襲撃しているのにその半分以上の数を一気に襲おうとしている。
その中には一昨日のターゲットであるタミトフ子爵邸も含まれている。
「『アリッサの傀儡化が進行してイベントでも発生したか?』」
「『さて、どうでしょうな。予告状の文章は概ね同じ、午前0時にマジックジュエルをまとめて奪う腹積もりのようですな』」
「『ま、人形を操る訳だからな。数を増やせるなら出来なくはないか』」
「な、何だか落ち着いてるね天丼くん」
「『どの道今日が天王山だろ、こっちでの午前0時には全部終わってる。やる事は変わらないさ』」
まあ確かに。
私の体の変化は足から腕に移った。手首が球体関節へと変わり、指なども人形のそれとなってしまった。
ログアウト毎の変化は予測通りではあるけど、今回は手と言う事でさすがに堪える。更に夕方と夜のログアウトで肩までが人形になってしまう。
胴体と首がどう言う扱いかは判然としないので私たちは今日、マリー・オネットに仕掛ける予定なのだ。
「『でも……ねぇ、ホントにするつもりなの?』」
そう呟いたのはセレナ、昨日の好戦的な発言からはとても考えられない態度だった。ちなみにルルちゃんもまたそれに頷いている。
「うん、無理を言っているとは思うんだけどね……でもごめん、やりたいの」
昨日ログアウトする前、私はみんなにお願いをしていた。それを改めてセレナと、ルルちゃんは案じていたのだ。
「『そうだよなぁ。確かに俺もアホかいって思いもしたが……昨日聞いた話じゃ、そうするのもアリかもしれない。やるだけやってみりゃいいさ』」
「『コルァッ!』」
「『別に1人でだなんて言ってねぇよ。俺らだって一緒に行くんだからな。さ、ぐずぐずしてねぇで行こうぜ』」
そうして私たちは宿を後にする。
◇◇◇◇◇
そこは昨夜も遠くからも見た場所、オーデュカス男爵邸の前だった。
『キュー……』
「し、心配しないでひーちゃん。大丈夫大丈夫……うん」
そこを訪れると、どうにもひーちゃんが落ち着かない様子だった。そわそわと男爵邸……いや、庭も含めたその一帯を気にしているみたい。
一見不自然な所は無い。けど、あそこは怪盗マリーのアジト、人形の巣窟なのだから、私たちには分からなくても精霊であるひーちゃんには感じるものがあるのかもしれない。
それでも「還そうか?」と問えば頭を左右に振ってくれるひーちゃんなのだった。
「じゃあちょっといってくるね」
そう告げて、私は単身固く閉ざされている門へと向かった。そこには門番さんが常に目を光らせている、もちろん前にいた私たちもその視界に入っていた。
だから、一歩前へ踏み出した私を見るのは当然だった。
「あの、すみません」
なので話し掛けてみた。
「オネット・オーデュカスさんに会いに来ました」
別に、そう言って相手を油断させようだとかそんな話じゃない。
なんの事はなくて一昨日と同じ事をしてみただけ。話してみようと思ってそう行動していた。
(だって彼女は戦うしかないモンスターではなく、言葉を交わせる魔法使いだから)
ただ一昨日、話してみたらこの有り様にされたものだからセレナには怒られ、それを聞いたルルちゃんには心配されてしまう羽目になったのだけど……さすがに殴り込みは遠慮したかったのだ。
『…………』
そして、そんな事を言った私を門番さんがじっと見つめていた。感情のこもらない瞳でじ〜っと。やがて背中が汗ばんでくるのとほぼ同じタイミングで動きがあった。
『ど、う、ぞ……』
短い言葉、けど一昨日聞いたような微妙な違和感があるような気がする。私の言葉に応えたのも合わせればやはりこのお屋敷にいる人はみんな操られている、と考えていいらしい。
ややあって重々しく両開きの門が開く……でも、それは人が1人通れるかどうかくらいで止まってしまった。
「あの……」
『中、へ……』
それだけを告げ、門番さんは口を閉ざした。入っていいみたいだけど……いや、古人曰く“虎穴に入らずんば虎児を得ず”。ここで怖じ気付いてはいられない。
私は後方のみんなに頷いて門へと歩き出した。その隙間から見えるのは広い庭園に一歩踏み込んだ。
――ぬるり。そんな絡み付くような感覚に襲われ、そして――。
「なっ?!」
瞬間、景色が一変した。
それは一昨日見た瘴気の結界。黒い靄が半球状に展開して男爵邸をすっぽりと覆っている光景だった。
(外から見た時は何も……ひーちゃんはこれに気付いて――)
「あだっ?!」
『キュ?!』
「え?」
後方から聞こえたのは間違いようもないセレナの声。何事かと振り向けばそこには顔面を抑えているセレナと、まるでガラスに押し付けられたように半球状になっちゃってるひーちゃんの姿があった。
「ど、どうしたの?!」
「どうしたもこうしたも見えない壁みたいなのが、鼻痛……って!? いやいやいや! そっちこそどうしたのよソレ! 何か黒くなってんですけど?!」
「は、え?」
セレナが慌てたように叫ぶ。それが指しているのは私自身、視線を下ろせば男爵邸を包むのと同じ黒い靄、瘴気が私の体にまとわりつき、いくら払おうとしても振り払えない。
セレナはセレナでこちらと向こうを隔てる見えない壁をドカドカと蹴りまくっているけど……効果は一向に現れない。
「ふむ。少々状況を確認した方が良さそうですな」
セバスチャンさんの言葉に否やは無く、状況を並べてみた。
1・オーデュカス男爵邸は瘴気の結界に覆われていて、敷地には私以外入れない。
2・私は自由に出入り出来るけど入っている間は瘴気が体を包む。多分体内にある怪盗マリーの瘴気の影響と思われる。
3・入っている間はパーティーが強制解除される上にメール・チャット・位置情報に関する機能が使用不能になり、外部と完全に分断されてしまう。
4・スキル自体は使用可能。けど何故かひーちゃんは入れない。
今の所はこんな感じかな……?
「ふむ。もしやこれもイベントやもしれませんな……」
「イベント?」
「つまり……アリッサが何かしらの条件を満たさない限りは俺たちは中には入れないんじゃないかって話だ」
「単身扉の隙間から内部に入りその扉の鍵を見つけて開く、と言う古今よくあるタイプのイベントですな」
そう言われると簡単に思えるけど……問題はその“鍵”かな。物が瘴気の結界な以上、文字通りの物がポンと落ちている筈も無い。
「鍵ってやっぱり……」
「オネット・オーデュカスを説得すればいいんじゃないか? 良かったな、お望み通りの展開だぜ」
「だよね。そっか……どうにか出来るんだよね」
そう思い至れば気合いも入ると言うもの。私は両の拳を握り、改めて男爵邸へと向き直る。
「危なくなったらいつでも戻るなりログアウトなりしていいんだからね」
「分かってる」
幸いなのか結界中でもログアウトは問題無く出来るみたい。
パーティーは半径2メートル内でなければ組む事は出来ない。だから結界が解けてもすぐにみんなが駆け付けられるかは分からない。なので万一の場合の逃走手段にするつもり。
まあ本当に最後の手段だから使わないならそれに越した事はない。
「ア、アリッサお姉さん、がんばって」
「うん、ありがとう。じゃあ、いってきます!」
ひーちゃんを送還した後、私は男爵邸に向けて歩き出した。
◇◇◇◇◇
と、力強く言ったはいいものの、ただでさえ広い庭園に対して私はと言えば人形サイズな訳で、屋敷まで遠い事遠い事。早速ちょっと挫けてしまいそう。
「うう、これじゃあ時間が掛かるなあ……晩ごはんの時間になっちゃうよ……ん?」
道の脇にある柴垣が突如としてガサガサと揺れる。
「な、何何何?!」
へっぴり腰で身構えていると柴垣を割って現れたのは……一昨日も見た事のある猫型の人形だった。
「え、ええええええっ?!」
マ、マズイマズイマズイマズイッ! あの猫型人形は割と簡単にセレナに倒されていたけど、その直後魅了状態に陥れた……油断なんて出来る筈が無い。
(に、逃げなきゃ!)
距離を取ろうとじりじりと後退っていると、猫型人形がのっしのっしと近付いてきて……ちょこんとお座りした?
「え、と……?」
襲ってくる様子も無く、それどころか頭を振って背中に乗れ、と語っている。あの……もしかして連れてってくれるのかな?
私はこの先の道程を思い……待っているみんなを思い……ひいひい言う私を思い出して猫型人形の申し出を受ける事にした。
「ん、しょ……ん、しょ……」
足からよじ登り背中に辿り着く。ずり落ちないように足に力を入れて両手を首に回す。
そうすると猫型人形は立ち上がり恐い、広い庭園を歩き出した恐い。テッテケテッテケと軽快に歩く恐いのだけど、何だか段々スピードが上がっ恐い恐い恐いってば!
振り落とされないように必死にしがみつく。猫型人形は我が庭とばかりに悠々と敷地を進み、大きく歴史を感じさせる屋敷に近付いていく。
そこにはこの屋敷の使用人とおぼしき人が先程と同じように屋敷の中へと続くドアを開き私たちを招き入れる。
(瘴気の結界の中にも人がいる、しかもあの様子……やっぱり全員が魅了状態になってるんだ)
それを示すかのように屋敷の中にいる人々は例外無く、前や横を闊歩する私たちを気にも止めない。
無視していると言うより、それこそゲームの街にいるNPCのようで機械じみた、どこか少し薄ら寒い光景だった。
そうして猫型人形は誰の邪魔を受ける事も無く廊下を進み階段を登っていく。
踊り場、2階、まだ登る、踊り場、3階。そこからはまた廊下をテッテケテッテケと軽快に走り抜ける。やがて見えてきたのは巨大な(今の私からすれば全部そうだけど)両開きのドア。
そのドアの前で猫型人形は歩みを止めて行儀良くお座り、その背中に乗っていた私は廊下に降りる。
(この先にいる、彼女が……うん、望む所望む所! よし)
前へ進む。果たしてドアは私の歩みに合わせるようにわずかに口を開けて招く……人がいたようには見えないのにこのドアはどう開閉しているのか。恐ろしさが背中を走る、けど止まる選択肢は無くドアの向こうへと入っていく。
――バタン。
小さくない音を立ててドアが閉まるのを聞き改めて周囲を見る。室内は……以前泊まったロイヤルスイートにもひけを取らないような豪奢な物。むしろ経た歳月の重みを感じさせる分こちらの方が上かもしれない。
見た所誰もいないようだけど……そう思っていると奥にあったドアが不意に開かれ、そこから人影が現れる。
(あの顔……!)
それは本人ではないものの、2回程見た顔だった。
1回は写真で。
そしてもう1回は法術院の魔法研で。誰あろう私の中から噴き出した瘴気が結んだ像、それと瓜二つだった。
(この子が……オネット・オーデュカス)
その子はどこかで見たような軽いウェーブの掛かった栗色の髪と翡翠色の瞳を持つ、まだ幼さを残す女の子だった。
彼女はこちらに気が付くと、まさしく子供がおもちゃを見つけたように小走りで寄って来る。
「こんにちは、わたしは……オネット。あなたのお名前は?」
飛び出すのは舌足らずな甘い声。喜色を隠さない表情、けどそれはどうしてか儚げに見えた。
そんな彼女だからか私は特別作りもしない笑顔で挨拶をした。
「こんにちは。私はアリッサ、名字は無いからただのアリッサ」
「アリッサ……アリッサ……うん。覚えた」
そう言うと彼女は私を抱き上げて微笑んだ。そこに邪気は無く、悪意も無く、ただ一抹の寂しさのようなものが滲んだのはどうしてか……。
彼女はそのまま駆け出し、出てきたドアへと向かう。見えてきたのはベッド、そしてその上に座っている人形だった。
私のようにサイズをただ変えただけの物ではなく、ゴシック風のドレスに身を包んだフランス人形のような今の私よりも大きな人形が。
(……あれが)
手を少し握り込む。
はしゃぎながら彼女はその人形に示すように私をかざして見せた。
「見て見て。この子、アリッサと言うんですって、素敵なお名前よね、マリーもそう思うでしょう?」
マリー、と目の前のフランス人形に向かって彼女はそう言った。
「……」
私はそれを知っていた。昨夜かつて男爵家に勤めていたホリンさんからいつも彼女はマリーと言うお人形といつも一緒にいると聞いていたから。
そして彼女、オネット・オーデュカスがどのような人物かも多少は……。
「アリッサ、この子がわたしの一番のお友達のマリー……とってもとっても寂しがりなのよ。だからね、お友達になってあげてほしいの」
そう言われ、私は一瞬口をつぐみ首を巡らせる。
「……それに答える前に確かめさせてほしいの」
そんな私を見て彼女は困り慌てていて、それをまた私が見て心苦しく思えた。
それでも私は言葉を続ける。
「貴女はマリー・オネットなの?」
昨日まで様々情報を得て、そしてこの瘴気の結界の中でこうして普通にしている。状況証拠なら固まっている。
でも。
今ここにいる彼女と一昨日相対したマリー・オネットと言う魔法使いには共通項なんて無かった。怪盗なんてする理由すら見つからない。
だからその疑問を直接ぶつけに、私はここに来たのだ。
「うん、そうだよ」
彼女はそう答える。ただ、わずかに瞳が伏せられたのは見逃さずにすんだ。
「どうして……どうしてあんな事をしたのか、しないといけなかったのかを話してほしいの」
沢山の人が怪我をした。家を壊され困った人がいた。マジックジュエルを奪われ辛い思いをした人もいるだろう。
さっきのような優しく笑える女の子が……どうしてあんなひどい事をしたのか。
「だって……だって……」
私の問いに俯いたオネットはマリーへと寄り添いその髪を愛おしそうに撫でる。
「ひどいの……」
「ひどい?」
「お父様が……マリーを捨ててしまおうとしたの」
瞳を潤ませながらそう語る。
「…………私がいつもマリーとばかりいて……いつまでもそんな事でどうする、もっと他にやる事があるだろう……って」
彼女の父親、エルストイ・オーデュカス男爵は厳しい人だとは聞いていた。特に彼女に対しては。
「わたし悲しくて悲しくて……そうしたら夢にマリーが出て教えてくれたの。お父様が、みんながわたしのお願いを聞いてくれる……おまじない」
(……やっぱり、彼女だけの意思じゃなかった……!)
その時、私の背中が強張った。ギシリと軋むような音を聞いた気さえした。
おかしいと感じていた事。
昨日戦ったマリー・オネットとのあまりの違い。口調や性格、当てはまらない点が多すぎる。
彼女と重なるのはむしろ……操られていたセレナ。『喜んでくれる』と言ったあの姿。
(予想通り……怪盗マリー・オネットは、2人組。でもそれって――)
「そうしたら今度はマリーが……お願いがあるって」
「……お願い?」
「2人だけじゃ寂しいって、お友達が欲しいって、手伝ってって言うの……だからわたしがんばらなきゃ……だってマリーはわたしの……たった1人のお友達だから」
目眩がした。
(……それで、大量の瘴気を必要とする傀儡化の為にマジックジュエルを集めようと……いえ、その方法すらあるいは……)
私は置かれている人形を見た。
(マリー……いえ、夢の中と言うなら、あの人形の姿を借りた誰か)
それはきっと一昨日、自分を『マリー』と呼んでいた、この子ではない誰か。その名前はおそらく、
(魔法)
魔属性法術、悪い神様が与える加護。魔法自身が意思を持って魔法使いを、それこそ使っている……。
そんな事あるのかとも思うけど、セバスチャンさんは言っていた。『魔法使いは唆されている』んだって。
この子に宿った魔法はそうして甘く囁き、道を踏み外させようと唆している。
マリーを信じて、マリーに喜んでもらいたくて、マリーを失いたくないと思うこの子の心に漬け込んで。
(助けなきゃ)
そう思った。
魔法への憤りもある、でも何より強い思いはこの子にこれ以上の罪を犯させてはいけないと言う気持ちだった。
だから、私は……。
「そう」
頷いた。
「お友達からお願いされたらがんばるよね」
その答えが意外な物であったらしく、オネットちゃんは目を見開いていた。
私はその反応に薄く笑って話を続ける。
「分かるよ。私にもいるもの」
話す。首を傾げるオネットちゃんに私の事を話そうと決めた。
「私にも……どんな時でも一緒にいてくれたお人形がいるの」
「本、当? 星守にも、そんなのが?」
「本当。名前はリタちゃん。スタイルが良くて金色の髪と青い瞳が綺麗な女の子。楽しい時もそうだけど、寂しい時でも傍にずっと居てくれた」
思い出す。
お父さんが再婚するまで、お仕事から帰ってくるまで広い家で1人きりだった私の寂しさをリタちゃんの笑顔が支えてくれた。
「動いてはくれないけど、喋ってはくれないけど、でも一緒にいてくれれば寂しくなかった」
「うん……」
「でも私わがまま言えなくて、お洋服を買ってあげる事も出来なかった。だから、レースのハンカチをドレスにして、庭に咲くお花で髪飾りを作って、髪を結って編んだりしたの」
「うん……うん」
「そうしていつも、いつも一緒にいたの。お喋りしてくれたらきっといつまでだって話してた、動いてくれたらきっといつまでだって遊んでた。そう夢見てた」
子供の頃はお人形が喋ったり動いたりするアニメを見て、いつか私のリタちゃんもあんな風になるだろうか、それはいつだろうかと思って瞳を輝かせていた。
オネットちゃんは私の話に聞き入っている。すべてではないだろうけど、どこかに共感していた。
「だから、もし私がリタちゃんからお願いされたら……って考えたら、その気持ちは分かると思う」
それを聞いたオネットちゃんはあからさまにほっと安堵していた。それは自分と同じ考えの人がいた事によるものか。
でも、それはつまり今まで自分がしていた事について不安を感じていたと言う事。
その事を知れたから、私は改めてオネットちゃんの目を見て話す。
「……でも、お友達だから止めるかもしれない」
「え……」
「それが間違ってるかもしれないなら」
「……」
「貴女と一緒でしょ?」
「!」
オネットちゃんはその言葉にひどく驚き顔を上げ、ぱくぱくと口を開閉している。
「あ、あの……」
「ずっと不思議に思ってた。怪盗マリーがわざわざ予告状を出す理由も、怪盗マリーの情報を含んだ歌が存在する理由も。でも、マリー・オネットがマリーとオネットちゃんの2人組だって分かって、ようやく分かった」
私は自分の想像を口にする。
「貴女は、自分たちの事を誰かに止めてほしかったんだね」
予告状を出して警備を固め、能力の歌で対策を促し(タミトフ子爵邸では逆効果になっちゃったけど)、そしてその目的を示してすらいた。
ふるふると震えるオネットちゃんの手を、及ばずながら触れる。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい……夢の中でマリーに言われるまま起こした事が、次の日には本当になって……こんなのだめって思ったのに……でもっ」
「うん、ちゃんと悪い事してるって分かってたんだね。でも……だめだとは言えなかった?」
「だって……そんな事を言ったら嫌われちゃう……それに、マリーのお願いを聞かなかったら、おまじないも消えてしまうの。そうしたらマリーは捨てられてしまうの……そんなの嫌なの……」
おまじないを使わなければマリーは取り上げられ、使えばマリーのお願いを聞かねばならず、止めようとしても嫌われてしまう……この子には選択肢が無かったんだ。誰かが、気付いて止めてくれる以外の選択肢が。
ポロポロと零れ落ちる涙。それを拭えない今の小さなこの身が恨めしい。
「そう……なら、話は簡単だよね」
「……え?」
努めて明るく、いつか私がそうしてもらったように励まそう。この子が前に進めるように。
「オネットちゃん。私がこれから言う事、信じてくれるかな?」
オネットちゃんはしばし迷い、それでも首を縦に振ってくれる。
だから私は本当の事を話す。
オネットちゃんに取り付いた魔法がマリーの名を騙っていると、だからその言葉を信じてはいけないと。
「そんなの……」
「それにね、私思うの。オネットちゃんの夢に出てくるマリーが本当に本当のマリーだったとしたら……」
じっとオネットちゃんの瞳を見つめる。オネットちゃんもまた吸い込まれるように、視線が絡み合う。
「オネットちゃんが苦しむような事、絶対お願いしたりしないよ」
ハッと息を飲む気配。心当たりがあるのかもしれない。
「オネットちゃん、こんな事はもうやめよう。お願いを聞くおまじないも、人の物を盗っちゃうのも、しちゃだめな事をこれ以上続けちゃだめ」
「でも……おまじないを解いたら……マリーと離れるの……イヤよ」
「そう言った? お父さんに、ちゃんとそう言えたかな?」
首を振る。
「お父様、恐いから……」
「でも、ちゃんとそう言おう。分かってもらえるように、伝わるように、ちゃんと言おう。マリーと一緒にいたいって。そこからはオネットちゃんのがんばり次第だよ」
「私……?」
ホリンさんが言っていた。
お母さんを亡くしてオネットちゃんは塞ぎがちになった。
そしてさっきオネットちゃん自身が、お父さんはいつまでもそんな事でどうすると、他にやる事があると言っていたと言う。
それはきっと厳しいだけの言葉じゃないと、そう思う。
「そう。マリーと一緒の方ががんばれるって、ちゃんと示して見せればいいの。私はリタちゃんと一緒だから寂しくてもがんばれた、ならオネットちゃんだってマリーと一緒ならがんばれる。きっとね」
少しの間が訪れる……私の言葉は届いたろうか?
揺れていたオネットちゃんの瞳がマリーを見た。
「………………」
言葉は無い。オネットちゃんはマリーを抱き寄せ強く強く抱き締めた。
「がんばれば一緒に……マリーといたいから………………がんばる」
「うん、偉いね」
ぐすぐすと泣きじゃくるオネットちゃん。けどそれはただの泣き顔じゃなくて笑顔も混ざっていた。ようやく重責から解放されて安心したのかどうか。
それを微笑ましく見ていると……。
――パァンッ!
その瞬間、ずっと私を取り巻いていた瘴気が霧散した。
「これは……!」
……のみならず私の中からも蒸気のように噴き出す、しかも魔法研の時よりもずっと多く、遥かに激しく……!
「あ、ぐっ?!」
ドクン! 一際高い鼓動。それに呼応するようにほんのわずかな圧迫感を感じた。
「ま、さか……元の大きさに、ってまずっ!? 服はこのままじゃ……っ!」
このメイド服はルルちゃんから貸してもらった物で元からこのサイズなのだ。このまま大きくなったらやぶけてしまうっ!
私は慌てて服から何から何まで全部を脱ぎ散らかす! そうしている間にも体は大きくなるので次第にミチミチと服が悲鳴をあげる、そして――。
「ゼッ、ゼッ、ま、間に合った……」
人様の部屋で全裸でいるのはどうかと思うけど構ってはいられなかった。どうにかこうにか呼吸を整える事に注力する。
「アリッサ……元に戻った?」
「オネットちゃん、もしかして……?」
こくりと小さく頷いた。
「おまじない解いたの、みんなみんな」
「そっか、ありがとうオネットちゃん」
ようやく私はオネットちゃんの涙を拭えた。けど、彼女からはまだ憂いの色が漂っている。
それはそうだ、事態は好転しても未だオネットちゃんの体内には魔法が潜んでいるのだから。
「大丈夫。私たちが悪い奴なんかやっつけちゃうんだから」
「うん、お願――」
「っ、オネットちゃん?!」
言葉を最後まで言わぬ内に、オネットちゃんの体から力が抜けて崩れ落ちる。私はそれを支え、何が起きたのかと呼び掛ける。
でも反応は無く、ただひたすらに規則正しい呼吸が返るばかり。どうやら眠ってしまっただけらしい。おまじないの解除に疲労したのか。
(いえ、違う)
……私の、あるいはどこからか集まった瘴気が像を結ぶ。けどそれは魔法研で見た物よりもずっと刺々しく毒々しく禍々しく……醜悪だった。
『安心していいですよ。ただ寝ているだけですから。邪魔が出来ないように、ぐっすりと』
「……怪盗マリー」
そう呼ぶ。人形のマリーでもマリー・オネットでもなく、ただの怪盗のマリーと。
『休んでいたら突然力が湧き上がるから何かと思えば、貴女が遊びに来てくれていたなんて。元に戻っているのは残念ですが……まぁ、またすぐに変えればいい話、マリーは気にしませんよ』
「……」
傀儡化同様、他の人たちを操るのにも瘴気量を圧迫してでもいたのか、オネットちゃんがすべてのおまじないを解除した事で結果的に怪盗マリーに気付かせてしまったらしい。
くすくすと、底冷えのする笑みが浮かぶ。
怪盗マリーの意思で自由にオネットちゃんに干渉出来る以上、穏便に済ませる道は無い。やはりあの怪盗マリー自体をどうにかしないと解決しないだろう。
蠢く黒い靄、瘴気の密度は魔法研のそれとはまるで別物、それだけで重さを持っているかのよう。
私はニタニタと不気味な笑みを浮かべる怪盗マリーに向かって口を開く。
「……聞きたい事があります」
『ええ、構いませんよ。何でしょう?』
「どうしてあんな事を……こんな優しい子をそそかしてまで」
『もちろん、すべての人間を人形に変える為ですが、それが何か?』
あっけらかんとそう言う。
「……それを捨てて、オネットちゃんから大人しく離れる気はありますか? そうすれば……少なくともどちらも傷付かずにいられますよ」
私の中にはまだ言葉を話す相手なら、と言う思いが残っていた。だからこその質問……けど、返ってきたのは嘲笑だった。
『くすくす……あはははははははは!! やはり貴女は優しいのですね!! 未だにそんな事を言える辺り、私は大好きですよ!! ああ、また一からお人形にしなきゃいけないのは本当に残念残念残念!! 早く変えたい!! きっと可愛らしいお人形になるもの!!』
あの時に聞いた笑いそのものだった。やがてそれが小康状態となり、改めて怪盗マリーは言った。
『お断りします』
「何故」
『だってそうしたらお人形遊びが出来ないじゃないですか』
「お人形遊び……?」
『貴女も一度やってみれば分かりますよ。人間でする人形遊びは、本当に楽しいのですから。あは。その子も、楽しませてくれましたよ。私の、お人形1号さん』
「――っ」
怪盗マリーは陶酔するように、言葉は徐々に熱を帯びていく。
『マリーもね、始めは矮小な存在でしかなかったんですよ。夢の中で子供に囁き掛ける程度しか出来ない、ね。でもでもでもでも、オネットがお願いのままがんばってくれたお陰でホラァ! マリーはこんなに強く大きくなれたんですよ! 今じゃオネットの意思なんて押し込めて自由に出てこれるようにまでなったんです! 友情って素晴らしいですよねっ! これからもしっかり繰り糸で動かしてあげますから一緒にがんばりましょう、マリーの大事な大事なお人形のオネットちゃんっ!!』
響く、響く……嫌な言葉が部屋に響く。
魔法も加護なら、レベルの概念があるのか……いえ、どうでもいい。
やる事は、決まったのだから。
「……そう」
私はベッドのシーツを体に巻き、眠りに落ちたオネットちゃんとマリーちゃんをなるべく遠くへ連れていき……改めて怪盗マリーに対峙する。
「もう一度聞きます。オネットちゃんは本当にただ寝ているだけなんですね?」
『当然でしょう? そのこはずいぶんと貴女になついてしまったもの。また勝手をされたら堪らないわ』
「……ありがとう、オネットちゃんを眠らせてくれて。お陰であなたみたいな人に会わせずに済んだから、それだけは言っておきます」
『あらひどい言われよう。でもどうするつもりかしら? たったの1人で、そんな破廉恥な格好で』
「1人?」
今度は私が笑ってしまった。
「私は……そんなに強くないですよ」
――ドッガンッ!!
それと背後のドアが蹴破られるタイミングは、計ったようにそう違わなかった。
「やっほー、出前4丁お待ち〜」
「遅い」
「遅刻分は労働で払うわ、丁度よさげなクソビッチ臭がしてるしねっ!」
そこには桃色の髪の大鎌使いの女の子と、
「いやはや、申し訳のしようもありませんな」
髪をぴしりとまとめた執事服姿のご老人と、
「ちょいと人形連中にサイン頼まれててよ。人気者は辛いな」
黒いウサギ耳の重厚な鎧を着た男の子と、
「あ、あの、これ……!」
びくびくと怯えながらも健気に私のポーチを差し出す女の子がいた。
「ありがとう」、私はそれを受け取るとすぐさまシステムメニューを開き、馴染みの初期装備一式を装備状態にする。そうすると私の体が光り、それが収まる頃には見慣れた姿の私が立っていた。
そして驚く怪盗マリーに、胸を張って宣言する。
「私たちはパーティーだもの、みんなが来るまでの時間稼ぎに付き合ってくれてどうもありがとう」
だからこそ臆せずにいられた。立ち向かえた。
「つったり前でしょ。この私が大人しくしてるワケあるかっつーの!」
ガンッ! 激しく荒々しく大鎌の柄を床に叩き付ける。ただでさえ一昨日の事があるから最早制御とか無理な話。
『チッ……どうしてここまで早く……』
憎々しげにそう吐く怪盗マリー。天丼くんの発言から人形たちから足留めを食らっていたのは読み取れる。その上でこの広いお屋敷を探したにしては確かに早い。
そんな時、得意気な声を張り上げたのはやっぱりと言うかセレナだった。
「ハッ! こっちにゃ鼻の利くルーキーがいんのよバーカッ!」
「ひ、ひうっ」
そう示されたのはおどおどしながらパタパタと可愛らしく垂れた耳をはためかせる犬人族のルルちゃんだった。
「ありがと、ルルちゃん」
「は、はい、が、がんばり、ましたっ!」
犬人族の種族アビリティ《イヌ鼻》は鋭い嗅覚を与え、特定の人物の匂いを覚えて追跡する事だって出来るのだ。
あらかじめ私の匂いを登録して、その匂いを辿ってここまで来た。それだけの事。
「セバスチャンさん、それで……あの瘴気の像を倒せばオネットちゃんは助けられますか?」
「ええ。魔法とは宿主と悪しき神を繋ぐ糸のような物、それが自ら動く為に実体と化しているならば、それは断ち切る好機」
「なら、やる事は単純だな」
「力任せ!」
「ルルちゃん、そこにいるオネットちゃんとお人形さんを守ってあげて」
「は、はいっ!」
ガシャリとみんなが武器を構える。
「行くわよ! アリッサ!!」
「うん……早く、終わらせてあげよう!」
それを見た怪盗マリーの目がギリリと吊り上がる。
『調子に……乗ってぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!』
――ゴォウッ!!
吹き荒れるのは瘴気の風。黒い旋風は一瞬で世界を暗闇に塗り潰す。
「ボスモンスターと戦闘開始の演出が同じだな……芸の無いこった!」
「ハッ! これであのクソビッチを思う存分フルボッコに出来るって事ね! 腕が鳴るわ!」
その強気発言は今この時、みんなを鼓舞するには十二分だった。
「ちょっとだけ、待っててね」
安らかに眠るオネットちゃんにそう告げ、私たちは目の前の黒い影に立ち向かう……!
もし突入が夜だった場合。
中に入る制限は無いが、操られたNPCが妨害に加わる。
オネットが始めから眠っているので説得出来ず、状態汚染などが解除不可。
などの違いがあります。




