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第65話「マリー・オネット」




 宿を出た私たちは、ポータルの近くで馬車を借りた。普段使う乗り合い馬車をバスや電車とするならこちらはレンタカーみたいな物。

 有料ではあるけど、大型の乗り合い馬車では通らなかったり通れなかったりする場所を通れるのでより速く移動が出来る。


「『その侍女見習いについて話してくれた子の反応が妙だった気がする』」


 揺れる馬車の中で情報を整理していると天丼くんがそんな事を言ってきた。


「『気がする、って何よ。はっきりしないわね』」

「『いや、だからさっきは時間の都合で焦ってたんだって。だからその子の反応も追求し切れなかった、だが……やっぱそれも聞いておいた方がいいかもってよ』」

「『ふむ、そうですな。情報では“オーデュカス男爵の屋敷”となっておりますし、下手に接触を試みるのは時期尚早やもしれません。まずは足場を固めましょうか』」


 との事で、まず私たちは侍女見習いに歌を聞かされた人の許に向かう事となった。

 ガラガラと軽快に走る馬車がある屋敷の前で止まる。オーデュカス男爵邸の目と鼻の先にあると言うそこは鉄柵に囲われてはいたけど、その向こうにはタミトフ子爵邸に負けず劣らずの大きなお屋敷がそびえていた。

 天丼くんは馬車からひらりと飛び降り門の前で槍を持って直立不動の門番さんに声を掛ける。


「……また貴様か」

「『よぉ、度々悪い。さっきの人をもう1回呼んでくれないか?』」

「一度だけと言わなかったか?」

「『すまん! 聞きたい事が出来ちまったんだ、この通り!』」


 パンッ! 勢いよく両手を打ち鳴らして頭を下げる。

 不快そうに顔を歪めた門番さんは不承不承と言った体で懐から精霊器らしい物を取り出し、何やら話し始めた。

 少しすると門の向こうから私によく似た格好の女の子、要はメイドさんが走ってきた。メイドさんは大きな門の脇の通用口から出てくると息を切らせながらも天丼くんに相対する。


「はぁ、はぁ……な、何かご用でしょうか?」

「『ああ、手間を掛けて悪いがちょっと事情聴取に付き合ってくれ』」


 天丼くんがメイドさんを私たちのいる方へと招く。メイドさんは私たちをいぶかしんだ様子だったけど、星守だと知ると肩から力を抜いた。ネームバリューあるんだなあ。


「『聞きたいのは色々あるんだが、とりあえず……侍女見習いから歌を教わったって言った時、アンタの様子がちょっと妙だった気がしてな。どうしてだか気になったんだ。出来ればその理由を聞かせてもらえないか?』」

「あ、ああ……」


 天丼くんにそう聞かれると言葉を濁すメイドさん。視線を泳がせるけど、やがて息を吐いて天丼くんの目を見る。


「私がオーデュカス男爵家侍女見習いのイライザからその歌を聞いた時に……違和感があったのです」

「『違和感、と申しますと?』」

「私とイライザは数年来の友人ですが何か……所作や、話し方が……表面上は変わらないのですが……いつもと、どこか違ったのです」

「『……』」


 セレナの目が細まる。


「『オーデュカス男爵の屋敷の様子がおかしい、と聞き及んだのですが、その事なのでしょうか?』」

「……おそらくはそうだと思います。私の他にもオーデュカス男爵家に仕える方に違和感を覚えた者もいるそうですから……」


 それは……まるで昨日のセレナだった。マリー・オネットの用いる状態異常(バッドステータス)魅了(チャーム)はPCやファミリアなどのコントロールを奪う効果を持つ。

 やっぱりマリー・オネットは、男爵邸の人全員に魅了を掛けているんだ。


「それに……」


 途端メイドさんの言葉が鈍る。表情が沈み、まるで話す事を怖れているかのよう。


「『どうかしたのか?』」

「……なのです」


 目を伏せたまま、掠れるような声でメイドさんが言葉を発する。


「『なに?』」

「私も……なのです。あの歌を聞いてしばらく、私の意識はまるで夢うつつのようになっていました。そして自分の体が独りでに動き……あの歌を広めていたのです。端から見れば私も、イライザのようだったかもしれません」

「『セレナ、どうだ?』」

「『ああそうよ。私もあの時、視界が狭くなって周りの声がぼやけて体の感覚が鈍くなったわ。アンタもそうだったってのね』」

「は、はい」



 魅了を受けてしまったセレナは……自らの意に反した行動を強制された。

 自分と同じ体験をした人がいた事に驚いた様子のメイドさん。同時にセレナは目を吊り上げて、まさに一触即発な雰囲気。


「『要はあの歌も、クソビッチの差し金だって話ね。とことん人を舐めてるわね……!』」

「で、でもどうしてこんな……自分が不利になるような事――」


 …………待って。

 私は前にも、こんな事を思わなかった? タミトフ子爵邸で、厳重な警備だと知って、どうして予告状なんて出したのだろう、って。

 マリー・オネットはそれを忠告と言っていた。手間を省く為と。けどそれで結局は私たちに犯行を阻止されている。


(こちらもそう。歌を広める事で自身を不利にしている)


 それに……予告状にしてもマリー・オネットは答えるのにわずかな間を作っていた。


(何か……何かあるの? 自分を不利にしなければならない理由が……?)


 ぐるぐると巡る思考、けど話は尚も続いていた。


「『ア、アリッサ、お姉さん……?』」

「あ、ああごめんなさい、何でもないの」


 みんなは、本格的にオーデュカス男爵家への疑いが濃くなり、男爵家についての情報をメイドさんに尋ねているみたい。


「あくまで人伝ですが……」

「『構いません、今は兎に角情報が足りませんのでどのような物でも有り難いのです』」


 セバスチャンさんの言葉に頷き、思い出そうと頭に手を当ててメイドさんが話し始める。


「ご当主のエルストイ・オーデュカス男爵様は……とても厳しいお方であると聞いています。ご自分にもご家族にも、もちろん使用人たちにも」

「『厳しいってのは恨みを買うくらいか?』」

「いえ、イライザが言うにはきちんと仕事をこなせば相応に評価してくださるそうです。そこまでの事は……」

「『ふむ、高潔なお人柄であると』」

「そう聞いています。ああ、でも……ご家族には特に厳しいとも言っていました。オーデュカス家を誇っていらっしゃるが故に跡取りとなるお嬢様には本当に厳しく接されているとか……」

「『タンマ! 男爵には娘がいるの?! その子の名前は?! マリーとかそんなんじゃない?!』」


 勢い込んでメイドさんに詰め寄るセレナ、肩を掴んで迫るその姿にメイドさんが怯えていた。


「『落ち着けバカ!』」

「『なっ、バカって言う方がバカなのよこのバカ!』」


 憤りの方向が逸れてメイドさんが解放される。セバスチャンさんがフォローして事無きを得、そしてメイドさんは話し出す。



「……マリーと言う名に心当たりはありません。オーデュカス男爵様のご令嬢のお名前はオネット(、、、、)様ですので」



「『「『「『「『「!!!」』」』」』」』」


 全員が目を見開く。


「『……ビンゴね』」


 ニヤリと獲物を見つけた猛獣を思わせる笑みをセレナが浮かべる。ふらりとどこかへ向かおうとするセレナだったけど、天丼くんが危なげ無く腕を掴んで制する。


「『どこ行く気だオイ』」

「『決まってんでしょケンカを売りに……じゃない。買い叩きに行くのよ、行かなくてどーすんのよ』」


 端々に刺々しさを満載したセレナを天丼くんは説き伏せようと言葉を掛ける。


「『落ち着け! まだそうと決まった訳じゃねぇし、もしもそうでももっと屋敷に関する情報を集めてからでも遅かないだろ!』」

「『遅いわよ! アリッサはこの後また人形に近付いちゃうのよ?! 下手すりゃ敵対するかもしんないのよ?! 私は嫌よそんなの! だったら一分一秒だって遅いわよ!』」

「セレナ……」


 昨日の自らにされた出来事よりも私を案じてくれている事に胸を熱くする。


「『後は後で考えりゃいいのよ!! ここは突撃あるのみ!! 敵は本能寺にありっつーでしょ!!』」

「『ダメなパターンだろうがそれは!! 行き当たりばったり過ぎるわ!!』」


 固く拳を握るセレナに天丼くんのツッコミが即座に入る。苦笑してしまうけど、私も天丼くんに続く。


「ありがとうセレナ。でも私もちゃんと調べてからがいいと思う。今は特に」

「『今?』」

「夜中だから」


 そう言って空を指す。黒く、いくつかの星が瞬く空が広がっている。こちらの世界もまた夜で、それも結構遅い時間帯なのだ。


「ほら、さっきの活動時間の話を覚えてる?」


 マリー・オネットは(私たちの感覚での)午後10時〜翌朝の午前6時くらいまでが犯行時間。それ以外に現れたとは聞かされていない。


「今丁度その活動時間に入ってるの、それがどんな理由からかは分からないけど、少なくとも今は昨日みたいに人形を大量に動かす事が出来るんじゃないかって思って」

「『お、そうだな。強引に正面突破しようとすればその大群が襲ってくるシナリオもありえるかもな』」


 昨日は実際に目撃した訳じゃないけど、それによる被害は目にしている。斬られた壁、砕けた床、割れた窓、それだけでも脅威と思うには十分だった。


「あくまで可能性の話だけど。でもそう言うなら、その可能性の低い昼間にした方がいいかもって……」


 この世界は1日36時間周期で現実とはズレがある、明日ログインする頃は丁度昼間に活動出来る。それがマリー・オネットの虚を突く事になればいいのだけど……。


「『だな。昨日は子爵んトコの兵が抑えてくれてたが、実際戦うとなると物量ってのは厄介だ。俺たちはまだ集団戦の経験も無い……だったらかち合う可能性の低い方を選ぶのは妥当だ、な』」


 最後の一言に割合力を込めてそう言う天丼くん。セレナは恨みがましく唇を尖らせる。


「私の体は少なくとも明日いっぱいは何とかなると思うから今日は情報収集に回そ」

「『分かったわよ。でも、明日は絶対にぶっ飛ばしてやるんだからね!』」


 言うやいなやセレナはオーデュカス男爵家へ向き、高く拳を突き出した。


「『待ってなさいよね、マリー・オネットッ!!』」


 力強いその宣言に天丼くんは少々呆れつつ笑み、私もまた頼もしく思った。


 その後、私たちはオーデュカス男爵家についての調査を開始する事にした。

 とは言え男爵家にいる人たちは軒並み操られているようなので他に誰か心当たりが無いかをメイドさんに聞いていた。


「……あ。そうだわ、2ヶ月程前にイライザが長年勤めた使用人が退職したと言っていました。その人ならきっと詳しい話が聞けると思います」

「『その方のお名前と今どちらにお住まいかは分かりますかな?』」

「確か……ホリン……ウィル、いえ、ウェル……そう、ウェルキス。ホリン・ウェルキスと言う方だった筈。住んでいるのは北区だったと記憶していますが、それ以上は……」

「『十分です、ありがとうございました』」


 私たちはメイドさんにお礼を言ってこの場を後にした。

 自らレンタルした馬車を走らせるセバスチャンさんにセレナが話し掛けた。


「『ちょっと、ログアウトまでそう時間も無いのにどうすんのよ。北区ったってアラスタがすっぽり収まるくらいはあんのに、聞いて回るには広すぎるわよ?』」

「『ほっほっほ。そこはそれ年の功、この老いぼれにどうぞお任せ下さい』」


 ぴしりと手綱を鳴らして夜の道を馬車が疾走していった。



◇◇◇◇◇



 そこは北区のとある路地裏だった。精霊器の明かりの隙間を縫うような浅い暗闇が落ちる場所。大通りの喧騒からも離れたそこは妙に物悲しい。現実ならば近寄ろうとは思わない、そんな街の片隅。

 セバスチャンさんはそこにギリギリ入らない所で馬車を止める。


「『少々お待ちを』」


 そう言って御者台から降り、闇の中へと飛び込むセバスチャンさん。

 やがて姿が見えなくなるけど、チャットは変わらずフルモードのままなのでセバスチャンさんの声だけが朗々と耳に届く。


『どうも。お久し振りです、お元気そうで何より』

『いやはや性分なもので。お気に障ったなら申し訳無い』


 誰かと話しているのだろうけど、ここからでは窺い知れない。


『お聞きしたい事がありましてな』

『中央区のオーデュカス男爵邸にかつて勤めていたホリン・ウェルキスと仰る方の居場所』

『もちろんお礼は相応に、これで如何でしょう?』

『知っておられましたか、さすがお耳の早い』

『いえいえ、頼もしいと素直に思っておりますよ。……ふむ、ではこれで』

『ほっほ、勘弁願いたいものですな』


 とのやり取りの後、セバスチャンさんが戻ってきた。その手には折り畳まれた粗末な紙が握られている。


「『情報屋って奴か』」

「『ええ、即応性ならば右に出る者はいないとかどうとか。とは言え、急いでいるのを見透かされて足下を見られましたが……何、安い物です』」


 はー、あんな人もいるんだ。

 セバスチャンさんは手に持っていた小さな紙を捲り、書かれた文字を読んで再び手綱を握る。


「『さて、参りましょう。その方が早寝でない事を祈りながら、ですがな』」


 そう、こちらの時間を24時間周期にすると今は大体午後10時過ぎ、お布団に入っていてもおかしくない時間帯なのだから急がなきゃ。



◇◇◇◇◇



 夜の王都をガラガラと馬車が疾駆する。ゲームである手前PCは夜間の方が増えるけど、街の人はそうじゃない。

 昼は働き夜は眠る、PC向けの店舗を除けばそう言った当たり前の営みの中で生活している。

 そしてPCよりも圧倒的に元々の住人が多い王都だからこそ、ポータルから離れ、メインストリートからも外れたこうした場所は夜の寂しさと穏やかさに沈むのだ。


 背の高い建築物が数多く立ち並ぶのが北区の特徴だけど、それら中のいくつもある特筆も出来ないような建物の前で馬車が止まった。

 セバスチャンさんの話ではここの1階の端の部屋に目当ての人は住んでいるのだと言う。私たちは連れ立って中へと入っていく。

 マンションのような物なのだろう、幾つものドアが等間隔に並んでいた。


「『起きてなさいよね〜』」


 目的の部屋の前に立つセレナは終始そわそわと落ち着かない様子で、ドアノッカーの返答を今や遅しと待っていた。ともすればノッカーを破壊するまで(出来ないけど)叩きまくってしまいそうな勢いだ。

 やがて、ガチャリとドアが開いた。そこから顔を覗かせたのはマーサさんに負けず劣らずの背丈で、ふくよかな体格の初老のお婆さんだった。


「どちらさまですか?」

「『夜分遅くに申し訳ありません。わたくしは星守のセバスチャンと申す者。こちらはセレナ・天丼・アリッサ・ルル、皆わたくしの仲間です。貴女のお名前はホリン・ウェルキスさんで間違いはありませんかな?』」

「ええ、そうですよ。アタシに何の用でしょうね?」


 セバスチャンさんはオネット・オーデュカスが魔法使いになってしまったかもしれない事などをかいつまんで事情を話す。そして彼女の人となりを教えてほしいと頼んだ。

 するとホリンさんは顔をしかめるものの私たちを中へと促す。カツカツと杖を突きながら精霊器の仄かな灯りが照らすリビングに案内すると、椅子にどっかりと腰を下ろす。


「……さっき言った事は本当なの?」

「『実際に見た訳ではありませんが、無関係とは思えません。ですので今は情報を集めている最中なのです。が言ったように内情を探る術が少なく貴女を頼らせて頂きました。どうかオネット・オーデュカスさんの事をお聞かせ願えませんか』」

「……そうなの……あのオネットお嬢様が……おいたわしや」


 コツコツと杖で小さく床を叩きながら目を伏せるホリンさん。長いため息は語られた事に対してだろう。


「『……否定しないのね。魔法使いだって事』」


 沈黙に耐えかねたか、固い顔付きのセレナがそう言う。確かに、いきなりそんな事を聞かされれば否定の1つも無いのはどうしてか。

 カツン、と一際強く杖を突いた音が続きをさらう。


「……ええ。アタシはね、足を悪くしてお屋敷を去った身だけど、まだ耄碌はしていないつもりです。長年勤めたお屋敷の様子がおかしいとは聞き及んでいましたよ。そして、それをしたのがお嬢様と聞かされても不思議には思いません」


 そう語るホリンさんは息苦しそうに顔を伏せる。


「『その理由は何でしょうか』」


 長い長い沈黙。だけどようやく、ゆっくりと顔を上げる。


「……順を追ってお話しましょう。一昨年前の事です。お嬢様のお母様、ヒルダ奥様が亡くなられましてね」

「…………」


 セバスチャンさんの小指がぴくりと動いたのは……気に掛けてくれたものか。

 誰に見られる事も無く、小さく頭を下げた。


「それからですよ。お嬢様が塞ぎがちになられたのは。外にお出になる事も減られ、1日部屋にこもられるのも珍しくはありませんでした」


 「ただ」とホリンさんはまたため息を1つ吐く。


「旦那様はそれをいつまでも許される方ではありませんでした」


 先程のメイドさんが語ったように、男爵さんは厳格な人なのだろう。塞ぐオネット・オーデュカスには殊更に強く頑なに接したのだと、ホリンさんもまた語る。


「……オネットお嬢様は本当に心根のお優しい方です。だからこそ奥様を亡くされた傷は深かったのでしょう。そのような傷を抱えられたままではいずれ取り返しのつかない事になるのではと、思っていました」

「『それが……魔法使いへとなる切っ掛けと?』」

「…………」


 ホリンさんが視線を移す。そこに飾られていたのは写真立て、それも賞状程もある大きな物。

 入れられている写真には大勢の人が写っていて、最前列の真ん中にホリンさんの姿がある。


「あれはアタシがお屋敷を去るとなった時に旦那様が撮ってくださった物でしてね。独り身のアタシが心細く無いようにと」


 その両隣には背の高い厳めしい面立ちの男性と、お人形を抱き締める小さな女の子の姿が写っている。ホリンさんはそのお人形を指差した。


「あのお人形はヒルダ奥様がオネットお嬢様の5つの時のお誕生日に贈られた物でしてね。お嬢様はそれこそ肌身離さず抱いているのです」

「お人形……」


 マリー・オネットは人形遣いだ、あのお人形が関係が無いとは言えないだろう。みんな話に聞き入っている。


「ひと月程前の事です、お屋敷の者が訪ねてきてくれましてね。その者が言ったのです……旦那様が、もしかしたらあのお人形を取り上げてしまうかもしれない、と……そんな事になればお嬢様はどれだけ悲しむだろうと案じていたのです。もしそんな事が起こっていたなら……」

「『成る程。故に男爵邸の異変と、オネット嬢が魔法使いになった事も得心なさったのですな?』」


 疲れたように、ホリンさんは背もたれに体を預けた。キシリとかすかに軋む椅子が悲しげだった。


「皆さん、どうかお嬢様をお助けください。どうか……どうか……」


 小さな体で両手を合わせ祈るように頭を垂れるホリンさんに、セバスチャンさんは「『全力を尽くしましょう』」と答えた。



◇◇◇◇◇



「……なんだか、噛み合わない」


 ぽつりと独り言として口から出たその言葉はしかし、チャットによってみんなの耳にしっかりと届いていた。


『何がよ』


 ホリンさんの前だからだろう、セレナが小声で返してきた。見上げればみんなも視線を向けたりしている。


「……男爵邸の人の様子がおかしい、その理由は今ので想像がついたよね。きっとお人形を取り上げられないように、って事だと思う」

『そうだな……全員ってのはさすがにやり過ぎな気もするが』

「うん。でも……やっぱり変だよ。お人形の事だけならそこで目的は果たしてる。怪盗なんてする意味、傀儡化を行う事に繋がってない」


 怪盗マリー・オネットは、多数のマジックジュエルを集め、莫大な瘴気を用いて大勢の人をお人形にしてしまおうとしている。

 一体どこからそんな話に飛ぶのだろう。


『ふむ。確かに……ホリンさんに心当たりが無いか聞いてみましょう』


 セバスチャンさんがマリー・オネットの目的を話すものの、ホリンさんの答えは芳しいものではなかった。


「お嬢様がそんな事を……?」


 眉を寄せいぶかしむけど、実際に小さくなっている私が証拠なのだ。


「あの、オネットさんが大事になさっているお人形は写真の中で抱いているお人形だけなんですか? 他にお人形を欲しがるような事はありませんでしたか?」

「ええ、そうですよ。それ以外のお人形を欲しがるような方ではありませんもの」



「お嬢様が心から大切になさっているのは奥様が贈られたお人形のマリー(、、、)だけなのです」



 困惑が広まるのは即座だった。



◇◇◇◇◇



「『どう言う事よ、これは』」


 ホリンさんの家を離れ、借りた馬車にまで戻った所で、セレナが頭をかきむしりながらそう言う。

 不意打ち気味に出てきたお人形のマリーと言う名に、私たちは頭を悩ませている。


「『マリーとオネットだからマリー・オネット、か。分かりやすい名前だな……名前使っただけで済めばいいんだがな』」

「『そんな訳無いでしょ!』」

「……そうだね。あの時、昨日会ったマリー・オネットの一人称は『マリー』だったんだもの」


 昨夜の事を思い返せば、確かに自分の事をそう呼んでいた。自分をそう呼ぶ理由は、果たしてなんなのか。


「『ふむ。今回の事で上がった妙な点をまとめますと……』」


 ・ホリンさんの語るオネット・オーデュカスの人物像はマリー・オネットと解離している。

 ・マリー・オネットの目的はオネット・オーデュカスの目的とは合致しない。

 ・そしてお人形のマリーと言う存在。


「…………待って……まさか」


 上げられた点を繋ぎ、そしてそれを証明するかもしれない言葉を口にする。



 ――怪盗マリーは1人じゃない。



 そう。歌は真っ先に、そう歌っていた。


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