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第60話「わがままを言われても」




 ブラシを上下に動かす。繰り返し繰り返し。

 毎朝の事だ。休日ならともかく平日はいつもいつも繰り返していて、手は半ば自動的に動いてくれる。

 長く艶やかな黒髪は、その度に真夜中の川のように美しく整い、真白い月明かりを反射したかのように輝いていく。

 自分の物ではないけど愛着はあって、だからこうしているのは手間ではあるけど嫌ではなかった。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はあ」


 だと言うのに零れるため息。痛みを覚える頭。その元凶はまさしく目の前にあった。



「ぶっす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」



 おたふく風邪でも患っているのではと思えるくらいに頬に空気を溜め込んだ花菜が恐ろしく不機嫌なのである。


「ぶっす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

「いい加減機嫌を直してよ、もお……」


 ……始まりは昨夜遅くだった。その時の事を思い、どうしてこうなったとまたため息が出た。



◇◇◇◇◇



 私がログアウトした直後、自室のドアがドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガドンガと絶え間無く音を立てた。


「な、何?!」


 どうもドアの向こうから誰かが叩いている模様。リンクスをそのままに飛び起きると、ドアの向こうから「何してるの花菜!!!」とお母さんの雷が飛んでいた。


「お姉ちゃーんお姉ちゃーんお姉ちゃーんお姉ちゃーんお姉ちゃーんお姉ちゃーん」


 と、ノック(と呼んではノックに失礼だけども)が止むと、今度は半ば以上悪夢のように花菜が私を連呼し出す。

 あの子の脳内構造については理解が及ばない時が多々あるものの、砂粒程度の良識の持ち合わせもある筈だ。なのにこうまでするなど余程の事態でも起きたのか。

 ……ほっときたいなあ……。

 とは言え呼ばれてるなら終息させられるのも私かと、お母さんが叱りつけても一向に治まる気配の無い花菜に応対する為に決死の覚悟でドアノブに手を掛けた。

 キィと鳴る蝶番が悪魔の笑い声に聞こえたのは気の所為でしょうか?


「あれ? お姉ちゃんだ」

「何を言ってるの」


 廊下側のドアノブにしがみつき、両足を引っ張るお母さんに抵抗していた花菜が放ったのはそんな意味が通るようで前後の脈絡をばっさり絶つ疑問系だった。


 お母さんにひとまずこの場は任せてもらい、2人きりになったそこそこ冷え出した秋の夜の廊下で首を傾げ矯めつ眇めつ私の様子を窺う花菜を正座させて問い詰める。


「で、こんな夜中に人の部屋をドカドカとやたらめったら叩いたりして何がしたかったの」

「お姉ちゃんに会いたかったのです」

「一緒に住んでいるんだから普通にしてれば会えるでしょう。それがどうしてあんな奇行になるの」

「だって……」


 そう言って、花菜は情報端末を取り出していくつかの操作を経てこちらに画面を向けた、っば。


「手乗りお姉ちゃんに会いたかったの!!」


 ……情報端末の画面には、セレナの肩におっかなびっくり乗り、必死に髪を掴んでいるアリッサの姿が写っていた。

 紛れも無く先程、着替えの後にセレナとルルちゃんに呆れる程撮影された画像の内の1枚だった。頭を抱えた。


「な、何、で……」

「MSOでセレナさんからのメールに貼付されてた!」


 掠れた声への明瞭な答えに、更に私は目眩を覚えた。セ・レ・ナアアアア…………。

 思い返せば子爵邸の客室での着せ替え(られ)タイムの中でセレナがウィンドウ操作をしていた記憶があるけど……まさかよりにもよってこの子にメールを送っていたなんて……余計な真似を!!


「でも……なんでお姉ちゃんおっきいの?」

「それはゲームの中での事です! 現実に影響がある訳無いでしょうがっ!」

「がーーーーーん!!!」


 本気で残念がってるよこの子……。

 「小っちゃなお姉ちゃんイタズ……見たかった」と微妙に鳥肌が立つような事を呟く。

 けどそれもわずか数秒、跳ねるように頭を上げて私に肉薄する。


「でも、じゃあこの画像はほんとなの?! アリッサお姉ちゃんは小っちゃくなっちゃてるの?! 見たい会いたい抱きたい食べたい!!!」

「食べたい?!」

「お姉ちゃん、もー1回ログインしよー♪」

「身の危険を感じまくるので大却下!! と言うかしばらくは会わない! 今決めた!」

「がーーーーーん!!!」


 こうして縮小化が解決するまで会わない事が決まり、またも項垂れる花菜をほっぽいて私はお風呂やらに向かった。

 戻った時には既に廊下に花菜の姿は無く、花菜の部屋から「めそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそめそ……」とすすり泣く声だけが聞こえていた。



◇◇◇◇◇



「ぶっす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


 そして翌朝になると花菜はご覧の通り、ご機嫌がすこぶる斜めになっていた、と言う訳です。


「はあ……」


 さてどうしたものか。

 アリッサと会わせると許可すれば、それはもう手の平を返したようにご機嫌になるのは分かっている。

 しかし、元々今回に限らず戦闘に関しては花菜(クラリス)に助力を乞う気は無い。

 《古式法術》でびっくりさせる、と言う漠然とした計画がある以上は私が戦う場面を見せる訳にはいかないからだ。

 そしてマリー・オネットが魔法使いである以上ライフタウン内でもいつアクションを起こすか分からず、それが戦闘にならないとも限らない……一応早々は来ないだろうって結論にはなってるけど。


「ぶっす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

「……」


 ……そもそもみんなとの合流前には時間があるものの、私たちは子爵邸に宿泊しているのでログインはそこから。しかも今の私ではそこから出るのもままならないじゃない。


(でも……手が無い事も無いんだよね……)


 それは結構なギャンブルであった。間違い無く騒ぎになるし、花菜の自制心にも左右される。

 一応、花菜が拗ねようが取り合わない、と言う選択肢もあるにはあるんだけど……。


「ぶっす〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


 ……結局は妹を放って置けない悲しき姉の(さが)にいつも負ける私なのだった。


「…………………………私のばか」




◆◆◆◆◆




 ログインしてきたのはタミトフ子爵邸の客室、そのベッドの上だった。

 その大きさときたら、ホテル・アラスタのロイヤルスイートのベッドすら霞む程。

 今の私(、、、)にとっては、だけど。


(やっぱりログアウトしても治らなかった……)


 周囲の品物の縮尺からして私の大きさは人形サイズのままのようだった。そもそも服装にしたって昨夜ルルちゃんに貸してもらった妖精さん用の物なのだから。


(……落ち着かないなあ、もう)


 借りた服は空色のチュニックに焦げ茶のホットパンツ、黒いサイハイソックスに履き物まで用意されている。

 服を都合してくれた事に関しては素直に感謝しているんだけど、こんな足を出す格好を普段していない私としては羞恥心が首をもたげる。


「大体絶体領域って何なの」


 セレナは自分の足とスカートの間を指してそう言っていたけど、何がいいやら私には全然分からなかった。

 パチンとソックスの位置を直してこれからの事を考える。

 本日のみんなとの待ち合わせ時間は午後4時20分。そこから午後6時過ぎまで情報収集に当てる予定だった。

 しかし、その予定に反して今日の私は午後3時半過ぎにログインとずいぶん早く訪れている。

 それはもちろんクラリスに会う為なのだけど、その所為で今日はそれなりに無茶をした。

 例えばいつもは帰宅してからみんなとの待ち合わせ時間までに済ませるようにしている課題などは学校の休み時間を使って終わらせた。下校にしても走る一歩手前くらいの速度(お陰で帰宅時には既にぐったり汗まみれ……)だった。


(それもこれも花菜とセレナの……いや、もういいや考えるのはよそう)


 時間の無駄と悟り、システムメニューを開く。そして私はさっさとログアウトした。




◆◆◆◆◆




 直立姿勢から仰向けに、突如変わる体に若干の違和感を感じつつ、パチリと目を開くと卓上の情報端末を操作してリンクス用フルダイブアプリを起動、再度卓上に戻してベッドにごろり、目を瞑る。




◆◆◆◆◆




 このゲームではログアウト方法によりログイン時のスタート地点が大きく変わる。

 宿屋さんなどの施設やマーサさんのお家のような下宿で、『宿泊』と言う行動を行った場合、次回ログイン時のスタート地点はその施設からとなる。

 そしてもう1つ、上記の施設でも宿泊でなく『休憩』を行った場合やシステムメニューの『ログアウト』からログアウトした場合、次回のスタート地点は最後に立ち寄ったライフタウン、正確にはそのライフタウン内のポータルポイント、となる。

 つまり、私の場合は――。



 ――ザワザワ、ザワザワ。


 ――ワイワイ、ワイワイ。


 ――ガヤガヤ、ガヤガヤ。



 王都北区のポータル、以前よりも巨大になった石像の前に転移すると言う訳。

 ドアの1つも開けられなくたってこれなら外に出られる。まあ〈リターン〉が使えればこんな面倒な事せずに済んだんだけど、まだレベルが……って!?

 目の前に巨大な靴底が迫っている、このままじゃ踏み潰されちゃう?!


「あ、あわわわわっ」


 私は慌ててポータルの真下に避難する。壁のようなそれに寄り添えばそうそう踏まれはしない筈……。

 王都はその名に違わず、私の知る限り最大の大きさを誇る大都市であり、それに恥じない程大勢の人が行き交い住まう都である。

 たかだか20センチ前後の私など子供であっても容易く踏み潰されてしまうと言うのに常時人で溢れかえり、それは昼でも夜でも衰えない。

 そしてそれは踏まれるのとは別の危険でもある。


(見つかったら見つかったで大変だよね、やっぱり)


 もし見つかれば騒がれるのは火を見るより明らか。さすがに小さ過ぎるからだろう、幸か不幸か未だ誰の目にも留まっている様子は無い。このまま見つからない事を祈りつつクラリスの合流を待とう。


(それにしても……今日はいつにも増して混んでない?)


 ここはひっきりなしにPCが転移してくるポータル前なのだから混雑は基本的にデフォルトの仕様みたいな物だ。だけどそれが今日に限って何故か3割増しくらいに思えた。

 しかもその増えた分はどこかに行くわけでもなく、ある一角に固まっているらしかった。

 それらが領域を圧迫する所為でしわ寄せが周りに及び、普段より転移の頻度が上がっている。


(もう、迷惑だなあ)


 一体何なのか。騒音みたいなざわめきに耳を傾けてみると……。


「ねぇ、誰かと待ち合わせしてんですか?」「ウチらとパーティー組みませ〜ん?」「お、やっぱ可愛い〜」「あれ、何で黙ってんだ?」「つーか何か興奮してね?」「握手してくださーい」「いてっ、バカ押すな!」「こっち向いてクラリス(、、、、)ちゃ〜ん」


 ………………ん?

 ク・ラ・リ・ス?

 その後も時折クラリスの名前が漏れ聞こえてくる。その様は芸能人に対する黄色い声援じみていて、それらはじりじりとした熱を帯びて聞こえた。


(……クラリスってこんなに有名人だったの?)


 この前一緒にこの王都を巡ったけど、その時も幾度も声を掛けられた。そしてその度に近寄る人を近付く端からそれこそ牙を向いて威嚇し続けていた。後半は殆ど話し掛けてくる人がいなくなるくらい

 けどその時の人たちは女の子2人で歩いているからナンパでもしてくるんだと何と無く思ってた。

 でも、今あそこにいる人たちはクラリス個人を目当てに集まって話し掛けていた。ある人は容姿に、ある人は実力に、ある人は人柄に惹かれて。


 それは、私の知らない妹の一面だった。


 ……私の妹はこんなにも人から慕われ、愛されているんだなあ。私はそれが誇らしくて、嬉しい………………………………………………………………………………筈なのに、私の口は笑っていなかった。唇を引き結んだへの字口。


(胸が、じくじくする……?)


 これは何だろうと首を傾げると……ヒュウ、一陣の風が吹いた。背中を打つ筈のそれは、胸の真ん中を吹き抜けるようで……。


(…………………………?)


 私は俯いた。

 ……その瞬間、場が乱れた。


「え?」


 群がっていた人たちの中心付近から、誰か(、、)が飛び出し……誰もが空を見上げていた。


 ――ッ、ズダンッ!


 そして私の目の前に、わずかな砂埃を巻き上げて着地したのは青い影……私の妹だった。


「ど」


 どうして私の居場所が? どうしてこの(、、)タイミングで?

 そんな疑問がよぎるけど、それより先に目に映ったクラリスの顔に浮かぶ満面の笑みが言葉を喉に詰まらせる。


「えへ」


 そう言って右手の平を私の前に置く……私はそれをじっと見つめて、親指を支えに座った。

 クラリスは縮んだ私の体重なんて無いかのようにひょいっと右手を持ち上げ、顔の前まで持っていく。


「お姉ちゃん〜♪」


 ふやけた笑顔のクラリスは、左手で私を背中から抱き締め頬擦りする。普段なら文句の1つも出るのだけど、何故か今はされるがままになっていた。何故だか、それでいいやと思っていた。

 けど、冷や水は周りから浴びせられる。


「なぁ、あれ何だ? 美少女が小っちゃい美少女抱いとる」「え、妖精じゃね?」「いやいや、何でこんな所にいるんだよ」「あれ、何か見覚えがあるような……?」


 元より注目されていたクラリスが抱き締めている私の存在に周囲が気付く、ざわめきとして伝播していくのが分かるのだ。

 想定とは違っていた。

 クラリスが喜ぶならきっと騒がしくなって目立ってしまうと思っていた。だからそれを抑えればいいと。

 けどクラリスはただただ嬉しそうに私を頬擦りしてくるばかり……これだけならまだ良かったのに、別の意味で目立っていたクラリスにより想定の数倍の規模と勢いで目立ち、私の存在が更に注目を集めてしまう。


「ク、クラリス、早く移動しよう。このままじゃ……」

「んー? んふふふふー。ん!」


 奇異の視線の嵐に私はすくみクラリスの髪を引く、そんな私の様子を見たクラリスは更に頬を弛めるけど頷き、さっきのように人垣を飛び越える。

 驚きとも戸惑いとも取れる声がする。けど、クラリスが私を両手でその胸に抱き締めていたから私がそれらを発する人たちを見る事は無かった。


(………………平気だ)


 胸部を覆う銀色の軽鎧、硬質で無機質な筈のそれはしかし心を落ち着かせた。

 どうしてだろう。私はそれが妙に恥ずかしくて、ひんやりとした表面に頬を預けた。


(………………私、思ったより変だ)


 クラリスを誘う声、それに抱いた感情……あれは、クラリスを取られちゃうとでも思ったのかどうか。


(ヤキモチ焼くとか、ばかみたい)


 ぐしぐしと顔を拭う。こんな顔、誰にだって見せられるもんか。引っ込め、ばか。



◇◇◇◇◇



「『小っちゃいお姉ちゃんだー、小っちゃいお姉ちゃんだー。かーわーいーいーかーわーいーいーかーわーいーいーなー』」


 人垣から距離を取り、通りを歩き始めたクラリスはご機嫌な調子だった。

 私はどこかバツ悪く、周囲を気にするフリをして視線をずらしながらクラリスを戒める。


「お願いだから騒がないでよ。もうなるべく目立ちたくないんだから……」

「『うん分かったー、るんたったー』」

「…………」


 まるでミュージカルの出演者のように軽やかなリズムでステップを踏むクラリスに頭を痛める。

 予定ではタミトフ子爵邸まで送ってもらうだけの道程なのだけど、多少時間に余裕があるようにしているとは言えこんな調子で集合時間までに間に合うかなあ。

 だと言うのにクラリスはお気楽に私を高い高いと掲げていたり……。


「『あー、今日のお姉ちゃんは格別に可愛いよう、手放したくないー』」

「よだれはやめなさい……はあ、この調子だとストーキングしかねないんじゃ……そう言えば、さっきどうして私がいる場所が分かったの?」


 ポータル前で、クラリスは突如私の目の前にやって来た。視界は人垣でほぼ塞がれていたし、パーティーを組んでいた訳でもないからマップでも詳細な位置は把握出来ない筈なのに。


「『お姉ちゃんの匂いがした!』」

「……私は一応ちゃんと質問したつもりなんだけど……?」

「『あ、疑ってる。違うよう。あのね、《嗅覚探査》って言う《イヌ鼻》みたいな加護があるんだけど……』」


 《嗅覚探査》については知らないけど、《イヌ鼻》については記憶にある。

 天丼くんのような兎人族(ウェアバニー)に聴覚に関する《ウサギ耳》があったように、犬人族(ウェアドギー)は《イヌ鼻》と言う嗅覚を強化する種族アビリティを持つ。


「へえ……そんな加護を……」

「『お姉ちゃんの匂い嗅ぎたくて取っちゃった♪』」

「……そんな理由で……」


 バチーン、とウインクするクラリス。この子の事だから本当なんだろうなあ……。


「『この《嗅覚探査》のすごい所はね、PCとかアイテムを登録するとその匂いにオートで反応して知らせてくれる効果があるの。あの時吹いた風がお姉ちゃんがいるって知らせてくれたのー』」

「ああ、あの時の……」

「『お姉ちゃんの匂いはねー、ふわふわしてぽわぽわして甘酸っぱいのー、くんかくんか。うぇっへっへ』」


 元より力で敵わないのに今は人形サイズなものだからされるがまま。


「匂いを嗅がない。後、変な笑い方もしないの。そんなんじゃ周りにひかれちゃうよ……」



「いーよー、そーゆーのは。あたしはお姉ちゃんに大事にされてればそれでいいんだもーん」



 天真爛漫にそう言う妹に、息が詰まった。


「――そう言うのはいいから早くタミトフ子爵邸に向かいなさい。遅刻したらみんなに迷惑が掛かっちゃうんだから。遅れるような事になったら怒るよ」


 そう言うくせに、どうしてか胸を撫で下ろしている私がいた。

 良い筈がないのに、唇がわなないて笑んでしまう。


「『そんな急がなくても〜、きっとこんな事二度と無いよ〜? ちょこっとでいいから遊んでこうよ〜う』」


 そんな私の心境なぞどこ吹く風か、クラリスは変わらずにお気楽。だから私もいい加減ひと息と共に肩の力を抜く。

 この子相手だもの、肩肘を張る道理なんて無いよね。


「約束したでしょ、ポータルから子爵邸まで一緒に行くだけって!」


 殊更に強く、明るく、ちょっとだけ楽しげにそう言った。


「『ちょっとくらいなら平気平気、あたしが本気で走ればあっと言う間ですよ! だからあーそーぼーあーそーぼー』」

「だーめ」

「『もへー!』」


 ようやくクラリスの魔手(文字通り)から解放された私は肩に乗り先を急かすけど、当然なのかクラリスは渋る(?)……むう、お灸の1つでも据えなきゃだめかな……。


「それが出来ないなら私にも考えがあります」

「『およ?』」


 クラリスが首を傾げた。私はそんな事構わずにスキルを使用する。


「〈サモンファミリア〉、“おいでひーちゃん”」

『キュー』


 私の召喚に応じ、目の前にテニスボール大の火の玉が燃え上がる。私と契約している火精霊のひーちゃんは、見慣れぬクラリスに興味津々なご様子。


「『ぬ、貴様がお姉ちゃんと四六時中一緒にいると言う丸い悪魔か』」


 と、やけに気合いを入れた間抜け面を晒している。


「『ふっふっふ。どれ、ここらで1つどちらがお姉ちゃんの傍にいるのが相応しいか決めたげよう。あたしだがな!』」

「ひーちゃんこっちおいでー」

『キュ?』

「よいしょ」

『キュ』

「『なーっ?!』」


 ひーちゃんに対抗心剥き出しのクラリスをスルーし、私はひーちゃんに乗り換える。

 今の私の大きさならひーちゃんはバランスボールより大きく、かつそれよりはしっかりしているので腰掛けるくらいなら(バランスに気を付けさえすれば)問題無いのだ。……高いから恐いけど。


「クラリスに構ってたらいつまで経っても着かなそうだからひーちゃんに送ってってもらいます。サヨウナラオゲンキデ」

「『ギニャーッ?! お姉ちゃんに捨てられたーっ?! あたしのレゾン・デートルが崩壊したーっ?!』」

『キュキュ?!』

「わわっ!?」


 人通りの多い路上であるにも関わらず、失意の果てにもんどりうつクラリスにひーちゃんが驚き、その動揺に私もバランスを崩して落下してしまう!


(――っ、ま……ずっ?!)


 人間大ならせいぜい胸辺りでしかない距離も、今の私に取っては10メートル近い高所、ライフタウン内だからダメージは発生しない筈だけどそれでも――ッ!?


「『お姉ちゃんっ!?!』」


 ぽすんっ。

 クラリスが咄嗟に差し出した手がギリギリで私を受け止める。


「『「……ぶはあ」』」


 両者共に変な姿勢でしばし荒れ狂う心臓の音に支配されていたけど、忘れていた呼吸をようやく思い出す。


『キュキュキュキュー?!』


 ひーちゃんは私を案じて傍に付きっきり。撫でて安心させると、今度はクラリスがパニック一歩手前で私に迫る。


「『お、おおおお姉ちゃんだいじょぶぶぶぶ……』」

「大丈夫、大丈夫だから、どこも痛く無いしそんな騒がなくても…………――――」


 足首を触っていた、それだけだ。言った通り傷みも違和感だって無い。けど……これは一体どう言う――。


「『お、お姉ちゃん? やっぱどっか痛いの?』」

「っ、う、ううん。このお洋服借り物だから汚れてないかなって……ちょっと心配になっちゃっただけだから、ほら平気平気」


 立ち上がって無事だとアピールする。クラリスはほっと息を吐いて立ち上がる。


「ごめんね、心配させちゃって」

「『んーん、あたしも……わがまま言ってゴメンナサイ……』」


 しょぼんと沈むクラリスの腕を伝い肩にまで戻ってその頭を撫でる。


「じゃあこれでおあいこね。さ、いつまでもこのままじゃ周りの迷惑だからクラリス、ひーちゃんもそろそろ動こうか」

『キュキュ』

「うん、あ」

「え」


 何を思ったか、クラリスは私を掴んで自らの胸と軽鎧の間に収めてしまう。


「『これでお姉ちゃん落ちないよ! 安心安全!』」

「本音を言いなさい」

「『お姉ちゃんと密着出来てドッキド――違うのです』」

「はいはい」


 脂汗をだーらだら流しながら言い訳を垂れ流しそうになるクラリスを制して先を促す。

 その後は子爵邸に向かうクラリスながらせめてもの抵抗か、のんびりゆっくりと徒歩で行く。


「『おー散歩ー、おー散歩ー』」

『キュ? キュ?』

「もう」


 たまの2ひーちゃんいるけどだし、との言い訳で現状を諦めて、私たちは連れ立って王都を歩くのだった。


 一応投稿日がイヴなので2人でお出掛け。



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