第51話「虹色の翼」
――キィィィィン。
一際ひどい耳鳴りに襲われる。目の前にはその原因であるエリザベートさんが満足げに余韻に浸り、鳴深さんが周囲に謝り倒している。そして当の私はと言うと、ただ呆然と口を開けたまま立ち尽くしていた。
(え、と…………)
今聞こえた事を反芻する。色々と余剰なセリフのオンパレードだったので必要な箇所だけ抜粋すると……。
(今、ヴァルキリーズ・エール……って?)
確かにそう聞こえた。けど、初めてじゃない。私はある人物からその名称を聞いた事があった。
「あ、あの……すみません、ちょっといいですか?」
「あらッ!! どうかしましてッ!?」
音の放つ衝撃に吹き飛ばされそうになりつつ私は彼女に問い掛ける。
「そのヴァルキリーズ・エール、と言うギルドなんですけど……」
「あらッ!? もしかして入団希望なのですかッ!! ええ、ええッ!! もちろん歓迎致しますともッ!! 貴女のような器量よし、そうそう巡り会える筈も無しッ!! こちらからも是非お願いしたい所ですわッッ!!!」
「い、いえそうではなく……」
「ああ成る程ッ!! 詳しい情報をお知りになりたいとッ!? 失礼致しましたわッ!! まずギルドの構成メンバーは現在79名ッ!! ギルドマスターはアサバと言う女性が勤めておりましてッ!! 3名のサブマスターが補佐をする体制を敷いておりますッ!! 実を申せばこのワタクシ、エリザベーーットッ!! ・ハルモニアもその内の1人なのですッッ!!!」
「そ、そうですか。でも、私が聞きたいのは――」
「ご安心下さいませッ!! 我がギルドの特徴として女性が大変多いのがあげられますッ!! なんと男女比3:7ッ!! 男性にしてもきちんと面接を重ねた上で入団しておりますので不埒な手合いに悩まされる事は御座いませんわッ!!」
「そ、それは安心なんですけど――」
「グランディオンの南区に構えるギルドホーム『泉の館』は100人規模用の比較的大型の施設ですのでまだまだ個人スペースにも余裕があります、プライバシー保護も万全ですわッ!!」
「は、はあ、でも私が言いたいのは――」
「ご心配には及びませんッ!! 見た所まだゲームを初めて間も無いご様子ですがッ!! 我がギルドは初心者支援にも力を入れておりましてッ!! 懇切丁寧な指導をお約束致しますわッ!!」
「だ、だから……」
エリザベートさんのマシンガントークが私の言葉をことごとく飲み込んで吹き飛ばす。まだ何もしていない筈なのにへとへとになった頃、鳴深さんがエリザベートさんを制止した。……すいませんほんとに遅いです。
「エリー、アリッサさん何か話したそうだから聞いてあげなさい」
「あらッ!! そうでしたのッ!? どうぞどうぞご存分にお話し下さいなッ!!」
「うう、長かった……」
ともあれ私は背筋を伸ばして2人に向き合う。
「あの、そのギルドにクラリスと言う女の子が所属してはいませんか? 青い髪で、剣を2本持った、このくらいの背丈の……」
「あらッ!! 彼女をご存知でしたかッ!! ええッ!! 確かにクラリスさんは我がギルドに所属しておりますわッ!!」
やっぱり……以前クラリスがそのギルドのメンバーだって言っていたのは記憶違いじゃなかったんだ。
「もしかして彼女のお友達かしら?」
「あ、いえ違います。クラリスは私の妹です」
「妹?!」「まぁッ!!」
驚く2人。こちらでは本人に聞くくらいしか確認する方法無いから信じてもらえるか不安だったけど、フレンドである事と……あの子がギルドで色々と吹聴していたらしく納得してもらえた。何を言いふらしたかは……精神衛生の観点から聞かずにおいた。
私は改めて2人に会釈する。
「妹がいつもお世話になっています。ご迷惑などお掛けしてはいませんか?」
「いえこちらも彼女たちがギルドに加ってくれて色々と助けられているわ」
「ええその通りッ!! クラリスさんはこのエリザベート・ハルモニアにも物怖じせずに接する中々に気概のある方ですわッ!! 一目も二目も置いておりますッ!!」
聞けば少なくともトラブルを起こすだの巻き込まれるだのは無いそうなのでひと安心する。
「……そうですか、あの子は楽しく過ごせているんですね。良かった」
「ああッ!! 何と言う麗しき姉妹愛なのでしょうッ!! ワタクシ琴線に直撃してしまいましたわッ!! クラリスさんは良いお姉様をお持ちになって幸せですわねッ!!」
「ど、どうも……」
オーバーアクションなエリザベートさんはどうにも対応に困るなあ……。
「それで……本題なんですけど、ここで起こった痴漢騒ぎに私が関わった事を内密にしてほしいんです、妹にも」
エリザベートさんと鳴深さんは互いに顔を見合わせてから私に向き直す。
「元よりそのつもりよ。個人情報だもの、誰だろうと吹聴したりしないわ。まぁ、目撃者はいるからそちらから情報が漏れる可能性はあるけど……」
「そちらは仕方ありませんから……ありがとうございます、それで十分です。そうだろうとは思ったんですが……お2人のギルドに妹も所属していると思い出したので、同じギルドなら知る機会もあるかもと、念の為に。もし私が痴漢になんて遭ったと知ったらあの子が心配してしまいますから」
「了解したわ。貴女の事は自分たちの胸の中にしまっておきます。いいわねエリー」
「もぢろんでずわッ!!」
「ふわっ?!」
何か静かだなと思ってたらエリザベートさんが扇で顔を隠して泣いていた! な、何事?!
「ウウウッ!! な、なんて妹想いの方なのでしょうッ!! ワ、ワタクシ感激致しましたわぁぁッ!!」
「あ、あの、このくらいは姉としては普通なんですけど……」
「言ったでしょう、エリーは感動しいなの。面倒でしょうけど勘弁してあげてね」
「は、はあ……」
私もセレナ辺りからは大概に言われてるけど、これは負けるなあ。
「ああ、それでさっきエリーが突っ走っていたギルドの件だけど、アリッサさんは興味があるのかしら? もしそうなら自分たちが紹介するけど?」
「いえ、私は今の所ギルドに所属するつもりはありませんからお断りします、すみません」
「なんとッ!? 折角姉妹水入らずで過ごせますのにッ?!」
「それはそれで素敵ではあるんですけど……私には力を貸してくれる人たちがいるので、今はその人と一緒にがんばりたいんです」
「別にギルドへの入団は自由意思なのだから自分たちがとやかく言う話では無いわよエリー」
「そうですか……そうですわね。分かりましたわッ!! ですが我がギルドはいつでも門戸を開いているとご記憶下さいなッ!!」
「は、はい」
「ごめんなさいねアリッサさん、騒がせてしまって」
「いえ、エリザベートさんも良かれと思ってご提案して下さってるんですし、誘ってもらえて嬉しいですよ」
そうして私たちはこの偶然の出会いを記念してフレンド登録し、2人は私にギルドホームの場所を伝えて去って行ったのでした。
◇◇◇◇◇
2人が去った廊下をぼんやりと眺めながら、私は振っていた手を降ろしもせずに考えていた。
(まさかこんな形で関わる事になるなんて……でも、良い人たちで良かった)
そして感想をもう1つ。
(世間って狭いの)
セバスチャンさんといい今回の2人といい、自分の巡り合わせの奇っ怪さに懊悩しているとひーちゃんが現実に引き戻してくれる。
『キュイ、キュイ?』
「あ……ごめんね、ぼーっとしちゃって。さ、行こう」
『キュ〜』
今どうこうと考えても仕方無い、思っていたより時間を使ってしまったし早くクエストを始めちゃおう。
室内の隅に固まっている人たちの中にいる筋肉質の巨漢、ビリエスさんにクエストの再開を申し入れ、輝生原石のある部屋に連れていってもらう。
◇◇◇◇◇
輝生原石の部屋に来た私はまた原石に抱き付き、次々と変わる各属性のマナを感じていた。
加護《法術特化》の取得クエスト《我が全ては法を統べる術と共に》の第1段階は、マナを発生させる輝生原石の変化を先読みし、特殊なスキルで足下の星法陣を起動して自身を変化した属性に合わせる事。しかも7連続。
抱き付いてるのは変化の前兆であるかすかな音を聞き分ける為、それでもわずかな変化は気を抜けばすぐに間違えてしまう。目を閉じ耳を澄ませてようやく聞き分けられる。
再チャレンジ1回目は音の確認に費やし、2回目は感覚を擦り合わせる為に使い、そして今3回目のチャレンジに挑んでいる。
「すう……〈ライトハート〉〈ウォーターハート〉〈ソイルハート〉〈ダークハート〉〈ホーリーハート〉〈ファイアハート〉〈ウィンドハート〉ッ…………ぷは」
今のは……成功、した?
最後は駆け足気味に唱えちゃったけど、今までで一番良く出来た。でもまだ成否が分からず、扉の横に佇むビリエスさんへ視線を向ける。
「……うむ、見事」
目を塞いでいる筈なのにこちらの反応に対応するビリエスさん。エスパーか心眼かそんなですか?
「では、次の修行へと移ろう」
そしてビリエスさんから第2段階の説明が始まった。
大まかには以下の通り。
1.右側にあるもう1つの星法陣に入る(左のは私へ、右のは輝生原石へ効果を及ぼす物らしい)。
2.使うスキルは第1段階の7種から1つ省き、別のスキルを1つ増やす。ただし、今回は属性に合わせるのではなく対極属性(対極属性は互いが弱点となる2つの属性の事。火と水、風と土、光と闇、そして聖と魔がそれに当たる。なので新たに聖属性に対する〈イーヴィルハート〉を教えてもらった)を用いて発生したマナを中和する。
3.それを7属性分こなして最後にあるスキルの発動に成功すれば加護《法術特化》が取得出来る。
(やる事はあまり変わらない……?)
それはそれで、慣れはあるから楽でありがたい話。
『キュッキュッ!』
「応援ありがとね、ひーちゃん」
私がトライしている間は大人しくしてくれているひーちゃんも、ここぞとばかりに張り切って応援してくれてる。
法術院に来てから停滞しちゃってるし、早くクリア出来る要素があるなら受け入れよう。
息を整え、再び輝生原石に抱き付き耳を澄ませた。さっきとは使うスキルが違うからそこだけは注意して……。
――沈むように深い音、闇属性。なら。
「〈ライトハート〉」
そう唱えると同時、聞こえていた音と感じていたマナによる変化が忽然と消えた。
(えっ)
驚いて目を開くとそこには淡く白い光を放つだけの輝生原石があった。
(これが中和したって事なの?)
でもそれも一瞬。
次の瞬間からは通常通りに色とりどりに光り、マナを発生させてる。
(……もう一度)
――流れるように涼やかな音、水属性。
「〈ファイアハート〉」
やはり消える音、でも今度は耳を原石に付けたまま微動だにしない、次の音が聞こえるタイミングを聞き分けなきゃ。
――――、?!
(軽やかに高いこの音は風属性、でも……鳴り始めが遅い。しかもマナの発生までが更に短くなってる……!)
難易度が一気に上がっていた。
ある意味先に進めばそうなるのは当然かもだけど、これはまた時間がかさみそうな予感……。
◇◇◇◇◇
実際それからは結構な時間を失敗に持っていかれた。既に晩ごはん前の記録を越えていて、35回目に差し掛かっていた。
「〈ファイ……あーっ、また間違えたっ」
ばたーん、力が抜けて横に倒れる。
(早口が得意になる加護とか無いかなあ)
ため息。
この第2段階は回数を重ねる毎に間隔が短くなり、後半に入るともはや聞く⇒唱えるの流れが成り立たない。
この輝生原石のローテーションは基本7属性1セットで、順番だけが毎度違う事が分かってるから最後の方になれば今まで出た属性から先を類推も出来る。
なので最後の3つは博打としてここ数回は取り組んでいた。
結果はハズレが2回、唱えるのが間に合わなかったのが3回、舌を噛んだのが1回。
「あーもうっ、難易度高いんだから」
さっき《二層詠唱》を取得する時にセバスチャンさんだって言っていた、初期取得可能な加護ではないから難易度が高いのかもと。こちらもそうらしいし、難しいのも当然なのかな。
私向きと思ったけどこうまで手こずると後ろ向きな考えがよぎらないでもない。
『キュ〜?』
そうなる前にいつも励ましてくれるひーちゃんには感謝をせずにいられない。なでなで。
『キュ〜』
「さ、もうひとがんばり。ラストくらいまでは進められてる、ファイトファイト。質が足りないなら量で押し切ってやるんだから」
『キュー!』
「おー」と腕を振り上げ再チャレンジ。ここまで来て取得しないなんてそれこそ時間の無駄になっちゃう、諦めるつもりはない。
けど、何度も何度も失敗を繰り返す。
タイミングはもう数瞬ずれてもアウト判定、どれだけシビアなのと呆れる。
ラスト1回に持ち込んだ事もあった、でも結果は失敗。出来ない自分に腹が立つ。
出てきたため息は何度目かも分からず、その度にひーちゃんに癒される。
そして、その果てに巡ってきたチャンス。
(ラスト! ここで間に合わないなんてあってたまりますかっ!)
もう音を聞くなんてせず、慌てず素早く正確に口と舌と喉を動かす事だけに注力する。
「〈ソイルハート〉ッ!!!」
そう発すると同時、輝生原石が眩いばかりの輝きを放ち始める。
(やっ……た、成功した!? なら、この変化がビリエスさんの言っていた……?)
ビリエスさんがしてくれた第2段階の説明を思い出す。
――輝生原石に変化が起こったならば、両手で輝生原石に触れ誓いを立てよ。お主が紡ぐ言の葉は――。
「“汝は火、汝は水、汝は風、汝は土、汝は光、汝は闇、そして汝は聖なるもの”。“この世の息吹、神の愛、その力をここに集わせ、証と成せ”。“我は誓う、我が全ては法を統べる術と共に在らん事を”。“遥かなる盟約をここに交わそう”!」
更に眩く輝く輝生原石、その輝きは5メートル四方もある部屋の壁すべてに伝播し複雑な星法陣が浮かび上がる。
そして私の眼前にはその光を防ぐようにウィンドウが開いた。
『【加護契約】
《法術特化》の加護を与える星との結び付きが強まりました。
契約を交わし、星の加護を得ますか?
[Yes][No]』
「な、長かった……」
ようやく取得出来る感動が去来し指が震えるけど[Yes]をタップ。
「契約を交わしたのならば今一度輝生原石に触れるがよい」
「あ、はい」
なんだろう? と首を捻りながら再び両手を触れると、輝生原石の輝きが次第に触れている私の両手にも――っ、あぐっ?!
「いっ、痛っ?! な、何コレ!?」
光が伝った前腕部に針で刺すような(それでも本当に刺されるよりは幾分かマイルドなんだろうけど)痛みが襲う。
つい手を離してしまいそうな誘惑に駆られていると横から不意に声が掛けられる。
「耐えよ」
声はすぐ側から、いつの間に近付いたのかビリエスさんが超然と立っていた。
「いっ、いつまでっ、ですかっ?!」
そうしている間にも腕に痛みが走り続けている。
「間も無く終わる、故に耐えよ」
「ううう」
結局それだけ、私は必死に痛みに耐えるしか無く、ようやく輝きと痛みが引いていく頃には涙目になっていた。
「はあ、はあ……」
痛みを振り払おうと両腕を擦りながら、ペタンと地面に座り込む私。ひーちゃんも心配そうに私の周りをくるくる忙しなく飛び回っている。
そして。
『【加護契約】
星と契約を交わしました。
加護《法術特化》がギフトリストに登録されました』
私は加護《法術特化》を取得した。ううう……。
「良くやったものだ」
傍で見守っていたビリエスさんは感心したように頷いている。
「あの、さっきの両腕に走った痛みは一体何だったんでしょうか?」
未だにヒリヒリしてる腕を示す。
「先程お主が誓ったままよ、それは証を刻んだ痛み」
「誓った……って“その力をここに集わせ、証と成せ”って言うスペルの事ですか?」
首を縦に振るビリエスさん。
「百聞は一見に如かず、法術を使えば理解出来よう」
「法術を?」
そう言われ何にしようかと思ったけど、やっぱり〈ヒール〉かな。腕に使えば痛みが少しはマシになるかもしれないし。
「“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を祓う聖なる一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、友を癒す尊き祈り”。“導け、聖なる御手”……?!」
スペル詠唱を行うと両腕から光が放たれる、それは袖すら透過してはっきりと形を成していた。
「……翼……?」
連なった7枚の羽根、のように私には見えた。それが翼を形作っているようにも。そしてその内の1枚だけが藍色の光を帯びていた。
「それこそが証。証を刻むにはあらゆる属性のマナを宿した肉体と大量の無垢なるマナが必須であったのだ。お主はその為の修行を完成させ証を得た。今後はより強く法術を扱う事が可能となろう」
ビリエスさんは重々しく扉を開け、外へと促す。
「さぁ行け、星守よ。得た力をどう使うかはお主の自由、敵を討つも友を助けるも、己が心の赴くままに」
『【クエストクリア】
《我が全ては法を統べる術と共に》
Congratulations!』
ウィンドウがファンファーレを伴って祝福のメッセージを届けてくれる。
『キュキュキュ〜』
ひーちゃんも喜んでいるようでそこかしこを跳ね回っている。ああほら、そんなにグルグル回っちゃ目を回しちゃうよ。
「ふふ、ありがと。じゃ、行こうか」
『キュイ!』
「ビリエスさん、お付き合い下さってありがとうございました」
「構わぬ、これが某の役目故。達者でな」
「はい」
『キュ』
ビリエスさんにお礼を言って別れた私たちは法術院を後にした。ここでずいぶん掛かっちゃった。
(まあ、役立つ物がそうそう簡単に取得出来ても有り難みも無いか)
腕を見る。そこには何ら変化は無い、痛みも引いた、けど確かにクエストを達成した成果がある。それは何だか感慨深く、笑みが浮かぶ。
今も着ている新緑の外套をまとった時にもこれと同じように感じたっけ。
(やっぱり、何かを成し遂げて手に入れた物が目にも分かると嬉しいなあ)
そんな思いに足取りを軽くしながら王都を歩き出す私だった。
◇◇◇◇◇
勢い込んで外に出た私はまず新たに得た加護の力を試すべくはじまりのフィールドに向かう事にした。明日は皆と一緒に加護のレベルアップに勤しむ予定だけど、その前に使い勝手をちょっとくらい理解しておきたい。
その為にひとまずポータルまで戻らなくちゃいけないので乗り合い馬車に駆け込んだ…………までは順調だった。うん。
空はとっぷりと暮れていた。けど風は思いの外冷たくはなく、昼間の余韻を残してかほんのりと暖かくすらあった。
そうなれば馬の蹄の奏でる音や馬車の揺れさえ心地よくなり、ついつい微睡みそうになってしまう穏やかな夜半。
そしてそれがまともに作用してしまった子がここにいた。
『キュ〜……キュ〜……』
今日は色んな所に行ってはしゃぎ疲れたのかひーちゃんは私の膝の上でうつらうつらと船を漕いでいる。
(ひーちゃんがこんな調子じゃ、荒事は出来ないね)
それに法術院を出た時点で既に午後9時半を過ぎていた、今からはじまりのフィールドまで行こうと思えば30分近く掛かる、更にマーサさんのお家まで戻るにもそれなりの時間が掛かる事を考えれば……。
(今日はもうお開きにした方がいいかな。早めにログアウトしてエキスパートスキルをリストアップするとか……向こうでやれる事もあるからそれでいいよね)
ひーちゃんを撫でながら視線を前へ向ける。
(にしても……やっぱり時間が掛かるなあ……)
ようやく見えてきたポータルを眺めながらそう思う、なにせひーちゃんがおねむになっちゃうくらいなのだ。
王都の広さは尋常でなく、ポータルに戻るにも馬車を使わなきゃいけない。クラリスのようにピョンピョン飛んでは行けないから、いっそ一度ログアウトしてしまおうかと考えもした。
(〈リターン〉使えればポータルまですぐに戻れたの、に………………あれ?)
ふと思い付く。
現在《古式法術》は6レベル、通常の属性法術なら未だビギナーズスキルしか扱えない筈なのだけど、ガニラさんによれば《古式法術》は今の状態でもエキスパートスキルは使えるのだと言う。
(だとするなら、7レベル以降の未修得ビギナーズスキルはどうなんだろう。スペルさえ分かれば使えたりするのかな? もしそうなら嬉しいんだけど……)
唯一の不安は封印状態になってしまうかどうかだけど今考えても仕方無い、それも含めて明日試してみよう。もし使えるなら時間の節約にもなるし、10レベルのスキルには色々と便利なのが多いもんね。
(調べる事が増えちゃった……やっぱり早めにログアウトするので正解かも)
馬車を降り、ポータルに手で触れてアラスタへと転移する。契約精霊であるひーちゃんも私と一緒に転移出来るそうなので問題無い。
『……キュ〜?』
「起こしちゃった? まだ寝てても平気だよ」
転移をしたからか寝ぼけ眼のひーちゃんが目を覚ましてしまう。疲れているだろうから家に着くまで寝かせてあげる事にする。
くたりとおねむなひーちゃんを腕に抱いて家路についた。
「…………………………………………………………………………………………」
少しだけポーチに意識を向けながら。
◇◇◇◇◇
「あらら。あららあららあららあららあららあららあらら〜っ」
帰宅した私たちをマーサさんが出迎えてくれた、のだけど……マーサさんてば私の腕の中でくうくうと眠るひーちゃんを見るやいなや瞳を輝かせて大興奮していた。
(ひーちゃん可愛いもんね)
もう完全にお休みモードに突入してしまったらしいひーちゃん、平時はまんまるなその体躯も現在は空気の抜けたボールのようにくたっとなっている。
出来ればマーサさんに紹介したかったんだけど、ここまで気持ち良さそうに眠られちゃうと……。
ひーちゃんを起こさないように小声でマーサさんに話し掛ける。
「起こしちゃ可哀想なので、今日はもう還しちゃいますね」
「あらら。残念だわ〜」
「いつでも喚べますから、また今度改めて紹介しますね」
〈リターンファミリア〉でひーちゃんを送還するのを終始残念そうに見つめているマーサさん。ひーちゃんが起きてたら終始抱き締めてたかもしれない。
そんなしょんぼりなマーサさんを見て、私は腹を決める。
(…………よしっ)
システムメニューを開いてアイテムを実体化する。手の平に乗せられる程度の大きさのそれを私はマーサさんに差し出した。
「アリッサちゃん?」
「えと、その、プレゼント、です」
その言葉にきょとんとするマーサさんは私と差し出されたプレゼントを交互に見ている。
手の平の上にあるのはシロネ工房で買い求めた代物。……それだけではないけど。
「プレゼント自体は前から買ってあったんですけど……色々あって渡すのが遅れちゃって……」
「あららぁ」
大事そうに、私の手の平からプレゼントを受け取ってくれるマーサさん。
「包装紙は友達が贈ってくれました、リボンは……妹と一緒に選んで、今日やっと準備が出来たので渡そうって……」
木箱は買った時のままではなくて、赤と白の幾何学の包装紙に包まれ、青と白のストライプのリボンできちんと包装されていた。
《古式法術》を取得した日にセレナと私を繋いでくれた包装紙と、今日クラリスと王都を巡った時に買ったリボンで。
マーサさんはその箱を胸にぎゅっと抱き締めてこう言った。
「ありがとうね、アリッサちゃん」
私はその言葉に急に顔が熱くなり、唇がひくひくとつり上がりそうになってしまって、そうそうに退散を決め込む。
「じゃ、じゃあ今日はそろそろ休ませてもらいますねっ」
「あらら。はいはい、お休みなさいねアリッサちゃん」
「はい、お休みなさい。また明日……っ」
パタパタと駆け足で2階へ。ああ、急がなきゃ。急いでログアウトしなきゃ。マーサさんが包装を解く前に。
だって、あの包装の中には、木箱の中には、私のへたくそな字で書かれたメッセージカードが忍ばせてあるのだから。
『マーサさんへ
いつもすてきなえがおでいてくれてありがとう。
わたしはそんなマーサさんがだいすきです。
これからもずっとげんきでいてください。
アリッサ』
幼稚園児だって今時分もう少しまともな文を書くかも。でも、メッセージカードは小さくて……私の気持ち全部は入りきらなくて、言葉をぎゅっとぎゅっと凝縮したらああなって……自分で読んでも恥ずかしかったけど、それを思い切って木箱に入れた。
だから、マーサさんが開けていると思うだけで、どうしようもなく心臓に悪くて……私は逃げるように、いや、実際に現実へと逃げちゃったのでした。
……明日、私はマーサさんとまともに会えるのかなあ……。
◆◆◆◆◆
「ふう……」
ログアウト後の日課となったお風呂から上がった私は、火照った体をリビングのソファーに預けていた。
「火照りが冷めない……」
特に顔の辺りがひどい。どうしてでしょう。
「………………………………………………………………………………喜んでくれたかな」
再燃。
とは言えいつまでもこうしてぐだぐだとしてもいられない。
三連休も明日でおしまい、明後日からは使える時間も限られてしまうから今日の内に出来る事をしてしまわないとみんなに迷惑が掛かる。
なので今はテーブルのモニターと情報端末をリンクさせて操作中。
「…………」
いくつかのサイトを回り、各属性法術のエキスパートスキルをピックアップしていた。
「う……MPも相当だけど、問題は再申請時間だよね……」
数多く表示されるスキルスキルスキルの大洪水。その中から1つ1つを精査していくと消費MPよりも再申請時間の長さに頭が痛くなってくる。
例えば《聖属性法術》には〈サンクチュアリ〉と言うモンスターの攻撃によるダメージを、どんなに高くても100%遮断する凄く強力なエキスパートスキルがあるそうなのだけど、その分再申請時間は24時間も掛かる。
ビギナーズスキルの再申請時間は最長でも1分しか掛からないからここまでの差が開くものかと驚いていた。
元々封印状態が回数を重ねる事で緩和されていくと再申請時間の方が長くなるとは思っていたから1つのエキスパートスキルに注力するのじゃなく複数を並行して使っていくつもりだった。
(でもこうなると話が難しくなってくるんだよね……)
〈サンクチュアリ〉は極端だけど、それでも封印状態にならないようになるまで《二層詠唱》を使っても最短で2ヶ月半も必要となる。他にも有用なスキルとなると1時間を超える物もざらで、そう簡単にはいかないんだなと悩む。
(カウントカットも使えないし……)
再申請時間を短くする《詠唱短縮》の機能も、スキルとして登録されない《古式法術》の特性上使えないのも地味に痛い。もし使えれば同時に経験値も得られたんだけど……そうそう上手くは繋がってくれないみたい。
(そうなると頼みの綱は……)
とある加護の説明ページを拡大表示する。そこに書かれているのは《二層詠唱》の遷移先と深化先の加護だった。
(《重層詠唱》と《多層詠唱》……どちらも強力ではあるけど、《古式法術》との相性を考えるとやっぱり《多層詠唱》かな……)
遷移先の《重層詠唱》は異なる複数の法術を扱える加護だ。
例えば《二層詠唱》では〈ファイアショット〉を2つ同時に使えるけど、《重層詠唱》なら〈ファイアショット〉+〈ウォーターショット〉を同時に使用出来る。
けど、残念な事に《詠唱短縮》と同様に同時使用したいスキルをあらかじめ登録する必要がある。エキスパートスキルを覚えない《古式法術》では意味が無い。
対して《多層詠唱》は純粋に《二層詠唱》を強化したタイプの加護だ。
最初は同じ〈ダブル・レイヤー〉しか使えないけど〈トリプル・レイヤー〉、〈クアドラプル・レイヤー〉と覚え、同時に使える数を増やしていける。
(これを取得出来れば必要な回数をずっとずっと少なく出来る。例え〈サンクチュアリ〉だって……)
拳を握る。そうだよね、まだまだ可能性はいっぱいいっぱいある筈。ここに表示されたエキスパートスキルをいつか自在に扱えるように――。
「何してんのー?」
「ああ、花菜。うん、ちょっと調べ物をしててね」
2階へのドアから出てきた花菜は私の姿を認めると楽しげに近寄ってくる。
その顔をじっと見るけど「?」と首を傾げるだけだった。
ほっと静かに息を吐く。エリザベートさんと鳴深さんはきちんと約束を守ってくれているみたい。万が一にでもこの子の耳に私が痴漢被害に遭った、なんて情報が入ったらこんなに呑気にはしてないもんね
そうと分かればひと安心、視線を戻す。花菜はそんな私が気になったのか背中から抱き付くとテーブルに表示されている内容に目を通す。
「お姉ちゃん新しい加護取るの? パーティー組んでるならあんま使い所なさそうだけど」
確かに、《二層詠唱》を始めとした同時使用出来る加護は、7つの属性法術を持っていた頃の私ではあまり意味は無い。再申請時間が別個なので同じタイプのスキルでも連続で使用出来ていたから、多少の短縮にはなっても劇的な効果とはならない。パーティーで守ってもらえるなら尚の事。
「まあ……ちょっとね。メインはこっち」
加護の情報を閉じて、代わりにエキスパートスキルに関する情報を拡大表示する。
「あー、成る程、EXスキルだとRAT長めだもんね、その手のスキルも必要になるか。てゆーか……お姉ちゃんもそんな事を考えるレベルになったんだねぇ」
感慨深げに頷く花菜。でも正直な所属性法術は既に失っているから見当違いなんだけどね。
「お姉ちゃんの場合7属性分も持ってるから大変だよね。あたしで良ければ相談に乗るよー」
「花菜……うん、ありがとう。エキスパートスキルの事色々聞かせてもらえる?」
「えっへん、どんと来いだよ!」
私は改めてエキスパートスキルをテーブルに表示させる。
「じゃあ基本的な所からね。EXスキルは21レベルまでのBスキルの使用状況に合わせて修得してく上級スキルだよ。火水風土光闇の属性法術なら『物量系』『火力系』『範囲系』『高速系』『支援系』に、《聖属性法術》なら『防御系』『支援系』『回復系』に分けられてるの」
そこらは理解しているのでこくりと頷く。
それぞれの系統は他の系統の特徴を廃する代わりに強力なパフォーマンスを発揮する。ガニラさんがエキスパートスキルを指して『先鋭化』と評したのは適切と思う。
ネットでの情報によれば1つの系統を極める(その系統のエキスパートスキルを全て修得する)にはその系統に属するビギナーズスキルの使用率が21レベル時点で75%以上必要(曰く、『5%刻みで修得出来るEXスキルが増えていく』との事)。
その為残りの25%を他系統に振り分けて必要パーセンテージが低いエキスパートスキルを修得する事も出来るので、スキル構成をある程度コントロールする事も可能なのだとか。
「お姉ちゃんの場合聖属性を除くと丁度6つ属性法術持ってるし、系統別に全部取るとかも出来るんじゃない?」
「ふうん……」
それには答えあぐねちゃうかな。私の場合はどれでも使えるからどの系統にするかは関係無いもんね。
「全部って言っても系統が同じでも属性が違えば使い勝手も違うでしょ? エキスパートスキルの効果を読んでみたんだけど、表面的なデータだけだと判断が難しくて……花菜は何かおすすめとかってあるのかな」
「おすすめかー。そうだね、とりあえずは使えるEXスキルをリストアップしちゃってそこからどの属性法術をどの系統にするかを決めてく方がいいかもね」
花菜はテーブルに表示されているいくつものエキスパートスキルを簡単な説明を交えつつ『かっこいーの』『つよいの』『つかいやすいの』『しらないの』『だめなの』と命名したファイル(……漢字くらいは使ってほしかった)に次々と分類していく。
「これなんかは派手なんだけど、実用性は低い感じだったかなー。あ、こっちはモンスターが似たようなの使ってヤバかった。んー、これは知らないー……むむ、これは間違い無くおすすめだね」
「すごい、こんなにいっぱいよく知ってるね」
「えっへん。記憶ぐらいいくらでも引き出せるのです、お姉ちゃんの為なら張り切れるあたしだよ。褒めてー」
「はいはい」
頭を撫でると「がんばるとお姉ちゃんに褒めてもらえる」と思ったらしく更に花菜の手は速まり、わずか10分強で分類が終わった。
それにより花菜は更なる対価を要求し私の膝を枕としている。
「お姉ちゃん一緒にお風呂入ろー」
「もう入りましたから却下。ほら、早く入っちゃわないと朝がまた辛くなるよ」
「ぶー」
ふて腐れながらも立ち上がる花菜に私は声をかける。
「あ、花菜」
「はわっ! 一緒に入「りません」ぶー」
「そうじゃなくて……相談に乗ってくれてありがとう、助かったよ」
「うんっ! がんばってねお姉ちゃん!」
お風呂に向かう花菜を手を振って見送り、テーブルを片付ける。明日は花菜の分けてくれたエキスパートスキルを元に皆と相談し、慣らしていく順番を決めていく事になる。
忙しい、けど……前に進める事にどこか心踊る私だった。




