第46話「ビー・ハッピー」
日曜の朝。ぐっすりと布団の中で丸くなっている私。日曜日だし多少の寝坊も多目に見てもらえるでしょう。ぐー。
しかし。
ガタガタ、ガチャガチャ。
そんな眠りは耳元で立てられる物音によって唐突に中断させられる。せっかくの日曜だと言うのに何の騒ぎー?
「ふんふんふふーん♪」
聞き覚えのある鼻唄に嫌な予感が迸る。照明は点けられていたので薄く開いた目が何やらごそごそと動く人影を捉えてしまう。
「何……?」
気だるげなのは今がまだ6時前だから。外だってようやく明るくなり始めたばっかりだもん。まだ眠い。
「あ、お姉ちゃんおはよー」
「……起きたら花菜が私の部屋にいる……夢だ」
寝る時はちゃんと鍵掛けてるもの。花菜がいる筈も無いもの。なら夢でしょ、夢ならどうでもいいや、夢だもの。寝よう。ぐーぐー。
「もー。お姉ちゃんてばー、お寝坊さんだなぁ……あ、寝顔ー。かーわーいーいー」
パシャシャシャシャシャ。
「……待ちなさい、何をしているの」
「お姉ちゃんのフォトコレクションを増やしてるんだよ。ときめくぜ♪」
花菜は情報端末を構えて連写モードで私の顔を撮影しまくっていた。さすがに見過ごせずに目を醒ます。
「思い出した。昨日一緒に私の部屋で寝たんだった。早まった……花菜、変な事しないでって言ったでしょう」
「触ってないよ!」
「屁理屈を……」
それにしても……ここまで露骨な行動を起こすなんて(いや、ちょっとは思ってたけど)油断した。まさか私より先に起きるなんて、明日は雪か。
「消しなさい」
「ヤ」
「消しなさい」
「ヤー」
「……」
「……」
黙り込む私と花菜、どちらも素早く動けるように体勢を整えている。一触即発とはこう言う事なのかもしれない。
だがしかし、結局フォトデータは回収出来ず、花菜のコレクションが潤うだけに終わってしまったのだった……くっ。
「……で、結局一体何をやってるの?」
花菜の向こう側にはリンクス一式がセットされている。ただし、その本体カラーが私の物とは違っていた。私のはマットシルバーで、今セットされてるのはパールホワイト、花菜のリンクスだった。それがどうして私の部屋にあるの?
「せっ、せせせせっかくお姉ちゃんとデッ、デデデデデートするんだからこっちでも一緒がいいなぁ〜って「え、嫌」……ぶべっ?!」
さっきの今だって言うのにこの子と一緒の部屋で、ゲーム中はまったくの無防備になる体を曝せと?
「説明書にも書いてあったでしょ。『リンクスを使用する際は十分に余裕のあるスペースを確保してください』って」
理屈で攻めてみる。
使用中は脱力状態なので変な方向から力が加わるのは健康上良くないみたい。私のベッドはくっつけば2人で寝られる程度のサイズなので一緒にリンクスを使用するには適さない。
「あたしのお布団床に敷くから平気! ね、ね、いいでしょ〜。この通りだからぁ」
土下座はやめなさい土下座は!
「……………………妙な事はしないって約束出来る? さっきみたいなのもアウトだからね」
「約束するー! 超するー! わーいわーいわーい」
「はあ……今日だけだからね」
「だからお姉ちゃん好き〜」
ガバッと抱き付く花菜に対応しながらも、やっぱり甘やかし過ぎかなあ……と後悔したりするけど。
(まあ、いっか)
すぐに花菜の笑顔に感化されてしまう私だった。
◇◇◇◇◇
「いけーっ! そこだーっ! がんばれーっ、エンマダイオー!!」
日曜の朝、花菜としては画期的なまでの早起きをした為(普段はゲームを深夜までプレイしているので10〜11時起き)、いつもは見ない特撮ヒーロー番組を夢中で観ていた。
「毎回こんな大立ち回りしてるなんて大変そう……ええと何ジャー?」
テレビの中では巨大なロボットに乗った全身タイツ姿のカラフルな5人組が、巨大化した異形の怪人を相手に市街地で取っ組み合いをしている。あー、ビルが倒壊した、中の会社の人たち資料とかちゃんと持って逃げたのかなあ。私物とかは確実にご臨終したよね。そもそも損保って有効なのかな、アレ。
「えっと、地獄戦隊オニレンジャーだって。思いっきり悪者だよね、このネーミング。大丈夫かなテレビ夕日」
「角が生えて金棒持って虎柄パンツ履いてるのが正義の味方なの?」
子供たちは果たしてコレに憧れたりするのかな……。
「あー、やっぱりプロは見得の切り方が様になってるなー。かっこいーや」
するんだ。
何やらオニレンジャーの構えに感化されていたのか次々とポージングをし始める花菜。どうも2本の剣を構えているような感じ……クラリスが剣を使うのは知ってるけど、その“かっこいー”ポーズが何の役に立つのやら。
「この後のも参考になりそうだから予約予約……」
軽快なエンディングテーマを聞きながら手早くリモコンを操作する花菜の姿を横目に、画面左上の時刻表示を見る。
手早くリモコンを操作すると花菜が立ち上がる。
「よし、準備完了! さぁさぁ、お姉ちゃんとデートだー!! 今日はお姉ちゃんをあたしの虜にするよー!」
「無い無い。そもそもデートじゃないから、適当に遊び歩くだけだから」
「それを世間一般ではデートってゆーんだよ、お姉ちゃんの世間知らずめ! あ、箱入りお姉ちゃんってかわいい!」
「はいはい、行くよ」
花菜の場合思考があらぬ方向に飛びやすいので時には強引に切り上げないと話が進まないのである。
「これから2人はゲームするのか?」
「そーだよ、デートするの! デート、デートだよデート! うひょひょひょひょひょ」
うわあ、行く気無くなるう。
「お母さん、お昼は何時くらいになるかな?」
「んー……12時半くらいにしようかしら、それまでにはちゃんと帰ってくるのよ。それと、今度の期末テストの成績次第ではゲーム取り上げますからね、花菜」
「あれぇっ!? 何であたしだけ?!」
日頃の行い。
今までだってゲームに夢中になるあまりに成績が目を覆いたくなる点数になった事が少なからずあるのだから。むしろ今更とも思ったりして。
ま、私も最近は人の事言えないけど。
私は花菜と一緒にリビングから私の部屋へと戻る、部屋の中央に置かれていた折り畳み式のテーブルは脇にどかされ、花菜の部屋から持ってきたマットレスや毛布が敷かれている。
「といやー♪」
そこへ花菜がダイブする。昨日に引き続きテンションが高止まり状態だ。
「やめなさい埃が舞うでしょ」
お母さんが定期的に干してくれてはいても、いくらかは舞っている。花菜の部屋ならいざ知らず、ここは私の部屋で掃除するのも私なので注意する。
「はーい」
花菜はそう返すとウキウキと楽しそうにリンクスのチェックをし始めた。
「じゃあ花菜先に行ってて、私もすぐに追うから」
私もそれに倣い、ベッド脇に置いてある自分のリンクスのセットを始める。
「りょーかーい。ポータルの前で待ってるから早く来てね」
「はいはい」
そそくさとリンクスを被った花菜は横になりスマート端末で操作を行って「行ってきまーす」と手を振ってからMSOの世界へとダイブした。
数秒前には手を振っていた体から不意にすっと力が抜け口許の笑みも消えた、興奮して多少荒かった呼吸は静かな寝息へと瞬時に変わり、身じろぎ一つしない眠りへと突入した。
そう言えば他人がダイブした瞬間を見るのはこれが初めてなのでいつも私もこんな風なのかと、規則正しく呼吸をする姿を興味深く見ていた。
「……いつもは騒がしいけど、黙ってるとなんだか……っと、いけない。私も急がなきゃ」
リンクスを被り携帯端末を操作して専用アプリを起動する。ベッドに横になってからタップし、『10』の文字が表示されたのを確認してから端末を側の机の上に置いて、体から力を抜いて瞳を閉じた。
◆◆◆◆◆
足の裏に地面の感触、脚に重量を感じ、右手には愛用の杖が握られている。
うっすらと開いた目には光の粒が映る。徐々にそれらは消え、代わりとして人々の声や物音が幾重にも幾重にも重なり、彼方には真っ白いお城が見えた。
――ザワザワ、ガヤガヤ。
――ザワザワ、ガヤガヤ。
アラスタとは比べ物にならないくらいの人が道を歩いてる……PCもそうだけどNPCの数が、やはり飛び抜けて多い。
(世界の中心……ってこんな感じかも)
圧倒されそうな活気を肌で感じ、改めて感嘆のため息を吐「お姉ちゃーんっ!」く暇も無かった。
むぎゅっ。
私の左腕に、青銀の軽鎧を着込み2本の剣を帯びた青い髪の少女・クラリスが両腕を絡み付けてきた。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、待った? って聞いてー」
「はい?」
「いいからいいからー」
「……待った?」
「今来た所だよ! えへへへへへへ」
「…………」
ゴロゴロと猫のようにじゃれつくクラリスに、動きにくいなあと思っていると周りからざわめきが……?
「おい、あれって先月のイベントの?」「そうだよ昨日もここでさ」「ごっつぁんです」「クラリスちゃーん、こっち向いてー」「なぁ、あっちの娘も可愛くね?」等々……マズイ。
ポータルと言う場所柄PCが取っ替え引っ替えやってくるので悪目立ちしてる。特にこの子はどうも少なからず有名らしく、昨日の事も相まって視線が痛い。
「ク、クラリス、場所移そ」
「えっ、そんな2人きりになりたいなんて……でもお姉ちゃんとならあたし……きゃー♪」
「火に油を注がないでっ?!」
恥じらいを帯びたクラリスの発言に、周りから「「「おおー」」」と拍手混じりの感嘆が贈られる、いらないからそう言うのは!
「これ以上騒ぎを大きくしたらゆっくり歩けないでしょうっ?!」
「ちぇー、ノリ悪いの。でもま、そろそろ潮時かなー」
周りでは立ち止まり様子を窺う人の姿もチラホラと……中にはカメラウィンドウがこちらを狙っていたりもする。
「しっつれーい」
「え? ちょっ!? 何を?!」
突然クラリスが私の背中と膝に手を伸ばしてごくごく簡単に抱き上げ……お姫様抱っこした?!
「「「おおおおーっ!!」」」
周りからはどよめきと歓声が上がり囃し立てる人もいた、私は羞恥に赤くなったり青くなったりしてる。こんな街中でとかどんな拷問ですか!
「ちょっ、まさかっ?!」
「うん、こうすんの!」
クラリスは一度ぐっと体を沈み込ませ次の瞬間――。
バッ!!
「しっかり掴まっててねー」
私を抱えていると言うのに、私たちを疎らながらも囲んでいた人の輪をひとっ飛びで飛び越えた!
荒々しく輪の向こう側へ着地し砂埃が舞う、恐くなってクラリスにしがみつくしかなかった私は事態に追い付けずに頭がく〜らくら。
「行っくよ〜!」
「っ?!?」
ごぉうっ!!
クラリスはそこで終わらない、私を抱きかかえたまま走り出す!
「いやいやいやいや人込み人込み人込みぃ〜っ!?」
そう、ここは王都。ついさっき世界の中心とか思った程に人で溢れているって言うのにこんな猛スピードで走るとか、昨日の1回だけで勘弁してよ〜っ?!
「だいじょぶだいじょぶ、この程度どんとこーい」
「どんときちゃダメでしょお?!」
「あはははははっ」
が、私の心配は杞憂に終わる。クラリスは結局誰ともぶつかる事無く走り抜ける、考えてみれば昨日は欲に目が眩んでも誰ともぶつかった様子は無かったんだから平時の今ならこれくらいはやってのけるのか。でも、良かったなんて思う間も無かった。そう、私はもっと別の心配をすべきだった。
「壁ーーーっ?! ストップストーップ!?」
クラリスはまったくと言っていい程にスピードを落とさずに建ち並ぶ建物へ向かって走り続けていた。危ない危ない止まって止まって!
「お姉ちゃん、
喋ってると舌噛むよー」
「やっ、やっぱりそれですかぁあぁぁっ?!」
ダンッ! ダ、ダ、ダ、ダ、ダァンッ!!
クラリスは建物と建物の隙間やら窓の縁、屋根、果ては緩やかにカーブを描く壁を“走って”登り始めちゃった! 昨日こんなのはごめんだって言ったばっかりなのにっ!?
「ぁぅぁ〜〜〜〜っ?!」
割と洒落にならないレベルで好きになれない移動方法に体を縮こまらせ瞼を固く瞑っていると、楽しげに弾むクラリスの声が聞こえてくる。
「お姉ちゃん昨日来たばっかりでポータル登録まだでしょ? 回るの時間掛かるから手伝うよー。はぁはぁ」
う、確かに王都は中央区を東西南北の4つの区が囲んでいて、その大きさはそれぞれアラスタがすっぽりと収まってしまう程もあるのだとか。
各区を繋ぐポータルを自由に使う為には直接触って登録しないといけないので大変そうだって思ってはいたからクラリスの提案は助かるけど……っ?!
「それでどうして壁を登る事になるのよーーっ?!」
「それはほら、目を開けて見て」
状況は分からないけど、少なくとも今はジャンプしてはいないみたい……けど、降りた感覚も無いのだから私たちの現在位置は結構な高さに居るんじゃないかと縮こまっていると、ぎゅうっ、と私の体を抱き締めるクラリスの腕の力がちょっとだけ強くなった。
「そんなに怖がらなくたってだいじょぶだよ。今は屋根の上だし、これくらいの高さなら学校の屋上と大して変わんないからさ。はぁはぁ」
その言葉を信じてうっすらと目を開いてみる。周りは同じくらいの高さの建物が建ち並び、そこを飛び回る人影もいる。もちろんこちらを見る人も。
見られているとお姫様抱っこが無性に恥ずかしくなるのだけど、クラリスは降ろす気配も無く、私は羞恥に堪えなければならなかった。
「ほら、通りは人が一杯でしょ? 歩いてたら時間が勿体無いし、走るにはあんまり向かないんだ。馬車もあるけど急ぐ時はこうして建物の上を飛び跳ねてショートカットする方が早くて、お姉ちゃんには厳しいだろうからこうしてるの。はぁはぁ」
……理解は出来る。クラリスは王都に慣れているだろうし、この子なりに良かれと思っての行動なのだとも思う……けど。
「でも、さっきから少し息が荒くなってるじゃない……ここまで私を連れて登るのがキツかったなら無理しなくてもいいよ」
「あ、だいじょぶ。これはお姉ちゃんをお姫様抱っこして興奮してるだけだから。あぁもう怖がってるのにあたしの心配してくれるなんてお姉ちゃんかわいーなー、はぁはぁじゅるり」
途端にクラリスの顔面筋は弛んだ。目はぐるぐると渦巻き口は自然と微笑み頬は桃色に染まって……すっごく幸せそうだった。きっとこれを人は恍惚の表情と言うのだと思う。
「ちょっ?!」
身の危険を感じて首に回していた腕をほどいて出来るだけ距離を取った。お姫様抱っこされてるのは変わらないからあんまり意味無いんだけど、気分的に。
「ふっふっふ。いくら嫌がろうともお姉ちゃんだけではここから降りられないからあたしにお姫様抱っこされてるしか無いんだよ〜。さ、もっともっとくっついて♪」
「なんて悪質な罠! 最初からそれ目的だったんじゃないでしょうね?!」
「えーとー……7割くらい。えへ」
じろりと睨むとあっさり白状した。頭が痛くなるものの、この子の言った事も理解は出来るので無闇と叱れない。
「はあ……」とため息1つ。
「本当にあなたって子は……やり方は、許すから早く済ませちゃって」
「え、いいの!?」
「じゃなきゃここから降りられないって言ったのはそっちでしょ?!」
今は居るのは建物の屋根。建物は5階建てくらいで、下階に降りる階段のような物は一切見当たらない。なので降りるだけでもクラリスに手伝ってもらわないといけない。無力感抜群。
「……ううう、情けない……」
「これはこれでいいものだよ。あぁ、柔らかぁい」
頬擦りしてくるクラリスに先を促した。残念そうにしながらも駆け出し別の建物へと大きく跳んだ。
でもそれがやっぱり怖くて、私には無理だと再確認した日曜の朝だった。
◇◇◇◇◇
『新たな星の廻廊[グランディオン・ウェスト]が開かれました』
4つ目のポータルの登録を済ませてようやく私はひと息吐く事が出来た。
「ふう、ふう、これで……おしまい……」
「終わっちゃったー、もうお姉ちゃん抱っこ出ー来ーなーいー」
「良かった、本当に良かった……!」
羞恥プレイの終結をしみじみと実感する。うう、涙が滲む。
「で、これからどうするの? したい事があるのなら付き合うけど」
「いいの? じゃあも1回あの感触を「却下」ちぇっ、いいけどさっ。お姉ちゃんはどっか行きたいとかは無いの?」
「私は王都で何が出来るか全然知らないもの。だからクラリスに任せます」
「そっかー……」
クラリスは腕を組んで考え始める。でもそれはすぐに終わり、ほどいた手で私の手を取って先導する。
「やりたい事決まった! 行こ、お姉ちゃん!」
「はいはい、落ち着いて」
今度はお姫様抱っこをせずに人込みの中を歩き出す。
今私たちがいる西区は見渡す限り住宅街が広がっていて、商店などは生活に関わる物を扱うお店があるくらい、目抜き通りには街路樹が植樹され露店などは見当たらない。
基本的な構造は北区とあまり変わらない筈だけど、賑々しい北区に比べて穏やかな雰囲気の場所だった。
ポータルを使わなかったのならこの西区で用事があるんだろうけど……?
クラリスを見れば急ぐ様子も無い。ならこっちもどこに連れていかれるのか楽しみにさせてもらおうっと。
「ふんふんふーん♪」
2人で並んで歩く中で機嫌良く繋いだ手を前後に揺らすクラリスを微笑ましく見つめる。
「お姉ちゃんどうしたの? くすくす笑っちゃって」
「ああ、ちょっと昔の事をね」
小学生くらいの時、よく花菜はこうして手を繋ぎたがったっけ。転んで泣いても、犬に吠えられて怯えても、手を繋げばニコニコーってすぐに笑顔に変わって……あの頃から体はずいぶん大きくなったけどこう言う所は変わらないなあ。
「クラリスは昔から手を繋ぐのが好きだったなって思ってね」
「違うよー、手を繋ぐのが好きなんじゃなくてお姉ちゃんと手を繋ぐのが好きなんだよー。ってゆーかあたしはお姉ちゃんが好きだからお姉ちゃんと一緒なら何でも好きになるんだよ。お姉ちゃん万能だね、マヨネーズ!」
「人を調味料扱いしないでよ!」
そんな風に笑い合い。
そして割と後悔した。
◇◇◇◇◇
「……………………」
俯く。
周りがざわざわと騒がしい。
その原因は……私たちらしかった。視線の痛さが異常。
「お姉ちゃんさー、あたし前にビクビクしてたら可愛いだけだって言わなかったっけ?」
言われました。
でも出来るかどうかはまた別の話。
私は西区の通りをクラリスと手を繋ぎながら歩いていた。それを珍しがった人たちが(一部熱い)視線を送って来るのだ。
それが恥ずかしくて恥ずかしくて、私は耳まで真っ赤になりながら(クラリス談)俯かざるをえなかった。
結果今は子供みたいにクラリスに手を引かれて歩いている。
「ねぇねぇ、キミた「今あたしは手加減するつもりなんて無いから失せろ」――」
いつぞや見たあの顔をしているんだろう、クラリスに睨まれたPCは無言で回れ右して脱兎の如く逃げていく。あれで既に2桁目だ。
「むふふふ。羨望の眼差しが心地よいゼ☆」
「どこが……気疲れするばっかりだよ」
ギュッと握る手の力を強める。クラリスの手の温もりだけが心に安らぎをもたらしてくれている。
するとクラリスの目がビコーン☆と熱を帯びる。
「だっ、だだだ大丈夫だよお姉ちゃん! どこの誰だろうとお姉ちゃんに近付かせやしないから!」
「そ、それは助かるけど、これからどうするの? どこに向かって歩いてるの?」
さっきからクラリスはあえて人通りの多い所をぐるぐると回っているように思うんだけど……一体何がしたいんだろう。
「…………えへ」
「何、その顔」
「やー、お姉ちゃんの事自慢したくって、つい人の多い方に来ちゃった☆」
「…………」
クラリスはてへぺろっ☆と舌を出しておどけて見せた。対する私は涙を滲ませつつ頬を膨らませている。
「「「おおっ!!!」」」
何故か場がどよめくが気にしていられない(余裕が無いので)。
「……いじわる」
「これがあたしの嫁だぜ……っ!!」
……感涙するクラリスにいい加減頭に来るのでもうほっぽってどっか行っちゃおうかなと拗ねる。
「やーん、ごめんごめんごめんなさいお姉ちゃん! ホラッ、まずは……あ、あそこ行こ!」
「あそこ?」
クラリスの言うあそこ、その先には公園らしい芝生が植えられた広場があった。アラスタとは違って王都にあるのは街路樹程度だったので青い芝生が眩しい。
その公園では大人の人が散歩をしたり、お年寄りがベンチに座ってたり、子供たちがボールで遊んでいたりしている。
クラリスはそんな中で端の方に植えられている木へと向かう。そこには熊っぽいぬいぐるみを抱き抱えた女の子が1人で地面や空をきょろきょろと落ち着き無く見ていた。
「こんにちは〜」
「……?」
唐突に声を掛けるクラリスに対して、女の子はゆっくりと私たちを見た後で、やっぱりゆっくりと首を傾げる。『今のは私に向かって言ったのかな?』みたいな感じ。
女の子は天丼くんと同じ兎の獣人らしく、もふもふとした茶色い毛に覆われた長い兎の耳が生えている。髪の色は耳と同色の琥珀にも近い澄んだ茶色で、簡素なワンピースに身を包みぬいぐるみを大事そうに抱えている。
「おねえちゃんたちだあれ?」
「あたしはクラリス、こっちのとびきり綺麗な人はアリッサお姉ちゃん。ふたりは星守☆」
一言余計です。恥ずかしい。
「あなたのお名前はなんて言うのかな。お姉ちゃんたちに教えてくれない?」
クラリスはしゃがんで女の子の目線に近付けようとしているので私もそれに倣う。
女の子は少しの間逡巡するようにぬいぐるみをいじくった後で、スローに私たちへ視線を向ける。
「……ミオ」
そう小さな声で告げた。
「そっかミオちゃんかー、かわいい名前だねー」
「〜〜」
あ、照れた。恥ずかしげにぬいぐるみをいじくる姿がかわいいー。
「ミオちゃんはこんな所で何をしてたの? 何か探してたみたいだったけど」
「うんと……アンティエのボタンとられちゃったの」
アンティエ? と疑問に思ったけどすぐにぬいぐるみの名前と分かった。見れば確かに着ているベストの第1ボタンが無くなっていた。
「きのうここにアンティエをおいてて……もどったらカラスがもってっちゃったの……」
話を聞くに、昨日ここで遊んだ時に少し目を離したらカラスがボタンを引きちぎって持ち去ったそうな。
第2ボタンを見れば、キラキラと輝いていて光り物が好きと言うカラスだったら欲しがりそうかもしれない。
そして万一にでもカラスがボタンを落としたかもと思い、昨日今日とここらを探していたらしい。
ミオちゃんは話す間ずっと落ち込んでいる、アンティエが相当お気に入りなんだろうな。
「そう……」
「よっしゃ! あたしたちに任せてよ、必ずボタンを取り戻してみせるから!」
安請け合いを……でもまあ、私も放っておくつもりは無かったけどね。
「いいの?!」
「うん。大丈夫、このお姉ちゃん頼りになるから」
「えっへん」
クラリスが胸を張るのと同時に私たちの前にウィンドウが自動で開き、クエスト《だいじなボタンをとりもどせ!》が始まった。
「……ミオちゃん、ちょっとだけアンティエを見せてくれる?」
「うん」
アンティエを受け取り、クラリスと一緒に糸をよく見る。すると確かに自然にほつれたと言うよりも無理矢理に引きちぎったように思える。
にっこりと笑っているアンティエも心なしか悲しげに見えてくる。
「カラスが光り物を、なんて……古典的な」
「ベッタベタだね」
ボタンの形をしっかりと心に刻み、ミオちゃんに返す。
でも、相手がカラスだなんてどうすればいいのか。
この王都の広さでは1羽のカラスを見つけるだけで大変だし、更にはそのカラスの巣を見つけてそこにある筈のボタンを奪還しないといけない。
「となると、やっぱこっちもベタな手で攻めようか」
「ベタな手って?」
「囮作戦だよ」
「囮ってまさか、無事だった第2ボタンでカラスを誘き寄せるつもりなの?」
すると途端にミオちゃんが不安そうにアンティエを抱き締めた。またアンティエが傷付くのが嫌なんだ、不用意な発言を悔やむ。
「いやいや、そうじゃないよ」
クラリスはウィンドウを操作してアイテムを実体化した。
それは透明の小さな宝石のようなのだけど、よくよく見ればその中には封じ込められるように光の玉があり、チラチラと瞬いている。
「『マナクリスタル・S』って言うアイテムだよ。キラキラピカピカしてるからカラスも好きだと思うんだよね」
「なるほど……でもいいの? 下手をしたらカラスに持っていかれちゃうよ?」
「いいよ別に。普段ならさっさと売っちゃう程度のただのドロップアイテムだし。昨日は忙しかったから売りそびれていくつも在庫があるからねー」
「なら、いいか」
きっとこれは私からしたら目が飛び出るような高価なアイテムなんだろうなあ……とか思いながらもクラリスと打ち合わせを始めた。
「じゃあ、マナクリスタルをここに……後は打ち合わせ通りに」
昨日アンティエを置いていた木の側にマナクリスタルを置き、私たちは少し離れた場所に身を隠す。
当のカラスがどこにいるか分からないのでこんな作戦しか思い付かなかったし、引っ掛かるカラスが同じカラスかも分からないけど……何もしないよりはマシだよね。
それからしばらくは交代で様子を窺いつつミオちゃんと遊んだりしていると――!
「来た、カラス!」
「えっ、どこどこ?!」
「あそこ!」
ひそひそと囁き合いながら示された方向を見ると空の彼方から1羽の真っ黒なカラスがこちらに向かってやって来た。
翼を羽撃かせてもそう音も立てていない、これじゃミオちゃんが気付くのが遅れるのも無理無いかも。
「クァ〜?」
「「「……ごくり」」」
私とクラリス、ミオちゃんは木の影からじっと様子を窺い続ける、下手に音を立てればアウトだから息をしるのも静か〜に。
カラスはコンコンとくちばしでマナクリスタルをつついている、怪しんでいるのかな? 大丈夫大丈夫、ただの綺麗なドロップアイテムだから持ち帰っていいのよ〜。
やがて祈りが通じたのか……マナクリスタルをカラスが嘴でくわえた!
ばさ、ばさっ!
カラスはそのまま黒い翼を広げて舞い上がる!
「うしっ、成功!」
「ここまではね。ミオちゃん、私たちはカラスを追い掛けるからここで待っててね」
「うん。アンティエのボタンとりかえしてきてね」
「うん、分かった」
「任せてよ!」
ミオちゃんに手を振って私たちは走り出す、空を飛んでいくカラスを見失わないように必死に!
◇◇◇◇◇
「結局はこうなるのね……」
「しょーがなーいしょーがなーい♪」
カラスは空を飛ぶ。その進路は必ずしも道に沿う訳も無く、そもそも私の脚ではすぐにでも見失ってしまうのは自明の理。なので私は再びクラリスにお姫様抱っこされながら屋根の上をぴょんぴょん跳びながらカラスを追走していたのでした。
「むむっ。カラスが降りてった……ちっ、もっと遠くまで飛んできゃいいのに」
「……その口から本音がだだ漏れるのはどうにかならないのかしらね、私の精神衛生上大変宜しくないんだけど」
カラスは公園からそう離れていない街路樹のてっぺん近くに巣を作っているみたい。葉が繁っていて今の位置からだと見えないなあ。
「ぬう、厄介な」
「出てくる気配無いね、どうしようか」
「……お姉ちゃん、ちょっとがんばれる?」
クラリスは真剣な表情で私を見つめる。そんな顔をされたら応えない訳にいきますか。それにここまで来て何もしないなんてみっともない真似もする気は無かった。
「大丈夫。って言うか私を誰だと思ってるの、クラリスのお姉ちゃんですよ。どんと来い!」
「はぅ……。じゃあ、まずお姉ちゃんを街路樹のカラスから見えない位置に連れてく、そしたらあたしがカラスを巣から引き離すからその隙に街路樹を伝って巣に近付いてボタンを探して」
下を見れば結構な高さに目が眩む。落ちてもHPダメージは発生しない筈だけど、心理的な恐怖は理屈でどうにかなる類いの物じゃない。
でも、それでもクラリスが任せてくれた役目なのだから……やってみよう!
「……分かった」
「ん。行くよっ!」
クラリスが屋根を蹴って跳んだ。狙いは違わず、カラスの巣がある丁度反対側の枝にクラリスの足が着地した。
でも私もクラリスも小柄な方とは言えさすがに2人分の重量が勢いよく落下してきた事で街路樹全体がギシギシと傾ぎ、揺れる。カラスも突然の事に「ガァガァ?!」と鳴いている。
「じゃあお姉ちゃん、行ってくる」
「気を付けて」
「ん! お姉ちゃんもね!」
お姫様抱っこから枝に降り立つ、幹に手をついてバランスを取る。細くはないけど太くもない枝は重量でたわんでいて短く言葉を交わすと、クラリスは一度落下し別の枝から器用に跳んで建物へ、更にそこから位置を変え反対側へと跳んでいった。
その身のこなしに感心していると――。
「はにゃ?!」
「ガァガァ!!」
反対側からクラリスとカラスの声が聞こえる。
「こなくそー!」
「ガァガァ!!」
どうも激しい取っ組み合いになっているらしい。木が揺れ羽撃きの音が絶え間無く続いている。
「ふんがー!」
「ガァガァ!!」
クラリスがカラスを伴って飛び出した! 私は一刻も早くボタンを見つけねばと揺れも落ち着かぬうちに近くの枝に足を伸ばす。跳び移る時は心臓が跳ね上がる、それを何度か繰り返して後、ようやく私は木の枝やら何やらで組まれたカラスの巣に辿り着く。
(ボタンボタンボタン……)
中には色々と光り物があったけど、目的の物以外を品定めする余裕なんて無い。
高価そうな指輪も、不思議な色合いの結晶も無視無視。あ、マナクリスタルは回収しよう。
そしてその中からやっとアンティエの第2ボタンと同じデザインのボタンを発掘した!
「クラリス!」
「お姉ちゃん!」
それらをアイテムポーチに収納し合図を送ると、少し離れた場所でカラスと追いかけっこを繰り広げていたクラリスがすぐさま反応する。
建物の壁を勢いよく蹴って一気に街路樹の幹にまで戻ってくる曲芸じみた挙動に感心しながらも、必死に手を伸ばす。
クラリスは伸ばされた手を力強く掴むと私を引き寄せ抱き締めて幹を蹴って、来たのとは別の屋根に跳躍する。
殆ど数秒の出来事を見たカラスも追い付くのは無理と諦めたか巣へと戻っていくのを視界の端に捉えながら、私はそっと安堵の息を吐いたのだった。
◇◇◇◇◇
公園に戻ってきた私たち。木にもたれてしゃがみこんでいたミオちゃんは私たちを見掛けるや、こちらにパタパタと走ってくる。
「おねえちゃんたち、アンティエのボタンはっ?!」
「いえいっ!」
Vサインの人差し指と中指の間にはキラリと光るボタン。クラリスはそれをそっと小さな手の平に渡す、するとミオちゃんは花が咲くような笑顔になり――。
「ありがとう!」
そう言ってくれた。
無茶もしたけど、それだけで報われたような気分になる。
ミオちゃんはアンティエのボタンを直してもらう為に家へと帰る事になった。お裁縫セットでもあれば私でも直せたけど、やっぱりこう言うのはお母さんの方がいいよね。
「バイバイおねえちゃんたち! ありがとうねー!」
「バイバーイ」
「じゃーねー」
最初会った時に見た落ち込んだ表情は微塵も無くなりブンブンと千切れちゃうんじゃないかと心配になるくらいに元気よく手を振るミオちゃんに手を振り返しながら見送る私たち。
その背中が見えなくなった所でウィンドウが開きクエストの終了を告げた。それを確認してクラリスが声を掛けてくる。
「じゃ、行こっか」
「どこへ?」
「どっか」
「だと思った」
そう返すとクラリスは照れ臭そうに笑み、歩き出す。
◇◇◇◇◇
それからは色々な事した、クエストもそれ以外も。
「迷子の迷子のジョーンくーん、どーこでーすかー?」
「あ、クラリスあの子!」
ある時は迷子の子供を探すお母さんを手伝い――。
「あっ、ちょっ?!」
「えぇい! 泥棒は嘘つきの始まりなんだかんね!」
またある時は盗み食いする猫に悩むお魚屋さんの用心棒を買って出たり――。
「落ち着いてください、まずはどうしてこんな事になったのかを聞かせてくださいっ!」
「お姉ちゃんの言う事聞かないのはだーれだー!!」
更にはケンカするおじさんの仲裁に入ったり――。
「マスター、最近ここらで厄介事があったりしなかったかい?」
「あ、ミルク2つで」
雰囲気の悪ーい酒場のカウンターでマスターに「お釣りはいらない」とお代以上の硬貨を渡して情報を貰ったり――。
「うえっ、苦ッ!」
「だからそんなチョイスやめときなさいって言ったのに」
屋台で何だかよく分からない軽食を買い求めてみたり――。
「だぁー、負けたぁーーっ!」
「あははは、何でそうなるのー?」
道端でカードゲームに興じるお爺さんに3連敗するクラリスに思わず笑みが溢れる。
後も先も考えずに、目に付いたものに、思い付いたものに、端から首を突っ込んでいく。
それらはクエストであったり、それにもあたらないようなものであったり様々。
きっと掲示板で交わされる有用な物でも、何か壮大なお話の取っ掛かりでも、報酬が優れている訳でも、攻略に不可欠でもない。
本当にただの行き当たりばったり。
クラリスは王都に着いて長い。役に立つクエストや場所ならよく知っていると思う。けど、今日訪れた場所はクラリスにとっても初めてみたいだった。
そんな場所で私を連れ回した理由、それは……簡単な話。自分たちで歩いて、探して、解決する。クリア出来れば嬉しくて、失敗したら悔しい。多分誰しも通る、当たり前の遊び方。
「クラリス」
「ほえ?」
そんな初めてを、クラリスは私としたかった。きっと、ずっと。
「楽しいね」
「うん!」
私たちは笑顔だった。
そして私は、この子のこんな眩しい笑顔が好きで、こんな風に笑顔でいてくれるのが大好きだ。
それはこの街の中だけのものだろうか? この先の見た事も無いような広くて、遠くて、綺麗な場所なら、もっと素敵な笑顔になるのかな?
(なら……早く見たいな)
私は思った。いつか、どこかでその笑顔を見られるように、がんばろうって。
「おやー、あれは何かなー?」
「行ってみれば分かるでしょ」
「そだね! じゃあレッツゴー、イエーッ!」
私たちは進む。
次に何があるかも分からないけど、それでも。
2人なら何だって楽しい筈だから。




