第38話「また逢えるように」
朝。
目が覚めるのはどうしてだか端末のアラーム音よりも早かった。
3連休初日の土曜日なのでいつもよりも設定時刻をずらしたのだけど、いつもよりもわずかに遅いくらいの起床になってしまった。
「…………………………」
一昨日が相当遅いログアウトとなった為に、昨夜はセレナを見送った後にマーサさんのお家に帰宅、スキルの練習をしてわずかばかりの経験値を稼ぎながら10時半頃にはログアウトした。
3連休前の夜だと言うのに寝るのも相応に早かったからか、どうも寝るのはもう十分と判断したのか目が自動で覚めてしまったらしい。
「…………むゆ…………」
ぐしぐしと目を擦って体を起こす。こうなるといつまでも横になっているのは勿体無いかもと思ってしまう。
ベッドから抜け出し、部屋を後にした私はトイレと歯磨き・洗顔で本格的に目を覚ましてからリビングへと向かった。
「おはよ。お父さん、お母さん」
リビングではソファーに腰掛けたお父さんが新聞(電子版)のスポーツ欄を興味津々に読み耽っていた。私が声を掛けると朗らかに笑って応じる。
「おお、おはよう結花」
対してお母さんはキッチンでお父さんのお弁当を作っていた。
「おはよう。どうしたの、今日は休みでしょ?」
「目が覚めちゃったから。お弁当作るの手伝うね」
予定には早く手持ち無沙汰な私はエプロンを装着してキッチンに立つ。普段お父さんのお弁当は基本的に私と花菜のお弁当と同じおかずで構成されているのであまり個人の好みは反映されないのだけど、私たちが休みの日のお弁当はお父さんの喜びそうなおかずが(栄養が偏らない程度に)入れられている。
ただ、さすがに1人分のおかずを作るのは手間なので多めに作って、残りはお母さんの朝ごはんになったりする。
「お母さんも大変だよね。お父さんの好物の中でバリエーションつけなきゃいけないんだから」
料理のレシピが表示されているタブレット端末を覗き込むと、そこにはお父さんの好物のレシピに加え、そのアレンジレシピ案がいくつも書き込まれている。
「そうね、でももう習慣になっちゃったもの。今はどんなレシピを作ってやろうかって楽しみになっちゃってるわよ」
「すごいなあ。お父さんてば感想は『美味かった』しか言わないから作り甲斐もなさそうなのに」
「い、いやお母さんの作るごはんはどれも本当に美味いから他に褒めようが無くてだなー」
焦ったようにそう言うお父さん。お母さんはそれが可笑しいのかコロコロと笑う。
「そうね、何がとかどこがとか全然言わないけど、だから余計にバッチリストライクに入った時の感想は分かるものなのよ。多分その時にやった! って喜んじゃってるのね、あたしは」
幸せそうに微笑むお母さんは眩しくて、照れているお父さんは……やっぱりどこか可笑しかった。
「ごちそうさま。もう、10年経ってもそんなにしてられるとか、感心しちゃうよ」
「結花だってそのうち分かるわよ。好きな人の為にごはんを作るようになったら、ね」
そんなお母さんの発言にキョトンとする間も無く、ソファーに座っていたお父さんがやにわに立ち上がり、青い顔で私に詰め寄ってきた。
「ゆゆゆゆ結花っ?! だっ、誰か好きな奴がいるのかっ!?! どこの誰だ!? どんな奴なんだっ!!? まだそんなのは早いぞーーっ?!」
何をとち狂ったのか目を回して私の肩を掴んでガクガクと揺らすお父さん。
「いっ、いないから! そんな相手いないからっ!! って言うか危ないでしょおっ!?」
料理中なんだから危ないってば!
どうにかこうにかお父さんをなだめてソファーへと引き下がらせる。「まだ早いまだ早い……」とブツブツ呟くお父さんには頭が痛い。
「あら、結花にはそんな人はいないの?」
「問題を蒸し返さないでよお母さん」
乱れた(元から寝起きなのであまり整ってもいなかったけど)髪を手櫛で整えているとお母さんがそんな事を言ってくる。
「だって思春期の女の子なんだから、恋愛の相談の1つや2つは受けてみたいんだもの。もう1人は……まぁ、論外として」
お母さんにすらそんな認識の花菜って一体…………そう思いつつも、「今の所はそう言った事はありません」と答える。
けど、あれ? と心の中で首を捻る。
近場では、まこはしょっちゅう男子に言い寄られているし、光子は絶賛片恋中の身の上、クラスでは聞き耳を立てずともその手の軽い話は日常的に交わされる物だ。
けど、私自身がその対象に入った事ってあったっけ?
例えば誰か……身近な異性に恋心を抱いた記憶はと聞かれたとして頭の中の記憶を探っても、ときめいたり、憧れたり、そんな記憶すら見つからなかった。
(……灰色だなあ、私の青春)
ぼんやりと料理に戻る。
首は捻ったままに。
お母さんは私を指して『思春期の女の子』と言った。それはそうだ、だって私はただ今17歳……なのにそんな話題と無縁なのはどうなんだろう。
そしてそれに、そんな自分に違和感も焦りのひと欠片も抱いてないとか……。
昨日のまこからの謎掛けにも通じるような気がする疑問は氷解する気配も無く、結局は料理へと集中せざるをえなかった。ぼんやりと刃物とかシャレにならないんだもの。
◇◇◇◇◇
「くあ〜〜〜〜っ」
階段のある方のドアからズボンの裾をズリズリと引き摺るような風体で入ってきたのは、ご期待に沿わなくてもいいのに沿ってる妹だった。
開口一番大きな大きな欠伸をした花菜は「おひゃよ〜」と目元を袖で擦りながらソファーに倒れ込んだ。
「10時回ってるからおそよう、よくもそれだけ寝られたね」
花菜が昨日ログアウトしたのは11時過ぎだった。そこから先は知らないけど、ベッドに入ったのは日を跨ぐ前と思う。それで今まで寝ていたなら十分寝過ぎだ。
「だって休みだも〜ん、ぎゃあっ!?」
花菜はテーブルに視線を向けると大袈裟に仰け反り、クッションの1つを頭から被ってガタガタと震えている。
「……何してるの」
「こっちのセリフだよぉ〜……3連休初日の朝から何してるの〜?!」
涙目でそう訴える花菜に、私はあっけらかんと答える。
「勉強。どの教科の先生も3連休だからって張り切っちゃって、結局いつもの2倍くらい課題が出たから昨日のうちに終わらなかったの」
カリカリと古文の課題を続ける。
現在私はリビングの机に張り付いている。ただMSO内とは異なりノートに書く訳じゃない。
リビングのテーブルにはタブレット端末としての機能があり、情報端末と連動させたり、記憶媒体を接続したりすればスクリーンとして使用出来る(今朝のお父さんもこれで新聞を読んでいた)。
普段なら自室の勉強机でするのだけど、時折こうしてリビングで勉強したりもする。
「花菜も早く終わらせちゃいなよ、ギリギリになって泣きついてきても手伝わないからね」
この光景を見て悲鳴を上げる辺り、花菜にも結構な数の課題が出されているんだろう。一応忠告だけはしておく。
「いいじゃん別に〜。まだ3日もあるんだからさ〜」
「花菜の場合は後3日しか無いって思った方がいいと思うの」
毎度毎度の事ながらこの子は課題などからは目を逸らす傾向がある。長期休暇などは最たる物で、最終日に付き合わされて青筋を浮かべたのは1度や2度ではない。
「う〜〜。今日はみんなでダンジョンアタックしよーって約束してるのに〜」
「それはわた――」
――しも同じ、と言いかけてふと思い止まる。
ダンジョンアタックとは要するにダンジョン、またはそれに類する場所の攻略の筈。私も、などと言えばこの子の事だから詳しく話を聞かれるかもしれない。
しかし、私が挑むのははじまりの草原だ。他のはじまりのフィールドは既に単身突破しているのに今更パーティーを組む事を訝しまれはしないだろうか?
(《古式法術》の事は言いたくないしなあ……)
散々苦労をした手前、もし知られたら心配して『あたしが守ったげる!!』などと言い出しかねない。
かと言って花菜を相手に嘘をつくのは嫌だし……。
などと思案していると、その様子をこそ訝しんだ花菜が問い掛けてきた。
「わた?」
「わ、わわわ……わたわたするのが目に浮かぶなーって」
結局、《古式法術》が露見するのを恐れた私は色々と伏せる事にした。嘘とのラインは微妙な所だけど。
花菜はそんな事もつゆ知らず、私の言葉に尚ショックを受けているようだった。
「おうふ。ヤな想像しちゃったよう。お姉ちゃん、課題やるから手伝ってへ〜」
「手伝わないって言ったばっかりなのに……はあ。分からない所教えるくらいならしてあげるから急いで持ってきて。私お昼食べたらログインする予定なんだから」
「分かったっ!!」
バビュンとリビングを後にした花菜を見送りつつ、テーブルのスクリーンを2分割してスペースを確保する。
(忙しくなりそう……)
多少げんなりしつつも、自分の課題も残っているので今のうちにペースを上げておく私だった。
◆◆◆◆◆
MSOにログインした私だけど、セレナと、セレナが連れてくると言う天丼くんとの待ち合わせにはまだ時間がある為にアラスタのポータルポイントを訪れていた。
(時間ならあるし、流れちゃっていた“アレ”を試すには丁度いいよね)
私はシステムメニューを操作する。
[タウン]
『☆アラスタ
・メルタ
・ラナ
・ウテア
・フロムエール』
ティファからの贈り物である星刻鳥の羽根の効果なのだろう、今まで行った事の無いライフタウン・フロムエールへと転移出来るようになっているらしい。
一応一昨日には知っていたのだけど、色々とあったもので延び延びになっていた。
「ふう……さてはて、どんな所なのかな?」
ウィンドウのフロムエールをタップすると、次の一文が表示された。
『【タウンムーブ】
星の回廊を渡り、[妖精の里・フロムエール]へと向かいますか?
[Yes][No]』
妖精の里。それはまた心が踊る、ティファみたいな子がいっぱいいたりするのかなあ。
顔を緩めたまま[Yes]をタップした。ウィンドウが自動で閉じると足下から生じる光に私の視界が覆われていった。
◇◇◇◇◇
「……?」
おかしい。
確かに私はフロムエールへと転移した筈なのに……目の前には林が広がるばかり。こちらの世界は夜中なので辺りは暗く、人影も殆ど見えず閑散とした雰囲気だった。なんだかちょっと怖い。
「えっと……」
私はポータル(ここのは金属の破片が大木に飲み込まれていた。多分若木の頃に幹の上に置かれて、成長の過程で幹に飲み込まれたのだと思う)から離れて周囲を探ってみる事にした。
“林”と表現したものの、それが正しくこの場所を表しているかは自信が無い。そもそもここには樹木の他には草むらや芝、雑草なんかがほぼ無く、草の緑よりも地肌の茶色の方が余程目立ってる。
そしてこの林を形成するのが見渡す限り何本も何本も生えて――いえ、なんかもうそびえていると言いたくなるような木々の群れ。見上げても天辺は見通せず、首を傷めるだけのような巨木なのだった。
まっすぐ垂直に伸びる幹の幅は両手を伸ばしただけではまるで足りない程に太い。一体樹齢はどれくらいなのか想像も出来ないけど、そんなのが何本も乱立してたら地中では根っ子が大変な事なってそうだ。
……とは言え。
(そりゃ、確かにすごいとは思うんだけど。これのどこが妖精の里なの?)
行けども行けども木々ばかり。しばらく進むと木製の壁にぶち当たり、壁沿いに進めばどうもここをぐるりと取り囲んでいると分かっただけ。扉らしき物も付近には見当たらず、私はいい加減頭を抱えてしまった。
「うう……妖精はどこー?」
ふらふらと林の中を練り歩く事十数分そこそこ、何の変化も見受けられずに注意力が散漫になっていたからか、タイミング悪くよそ見をしていたからか、あるいは暗さ故か、巨木の影から出てきた誰かにぶつかってしまった。
トンッ。
「?!」
「きゃっ!」
それ程勢いよく当たった訳でも無いので多少よろめく程度だったのに、どうやら両方共に不意の接触であったらしくて必要以上に驚いてしまう。
「ご、ごめんなさい、よそ見してて……大丈夫?」
「あ、は、はい平気、です。その、ワタシもよそ見してて……ごめんなさい」
ぺこりとおじきしたのは小さな女の子だった。
背はクラリスよりも低い。
栗色の髪はボブカットくらいで前髪がちょっと長い。横からは垂れた犬耳が覗いている。かわいい。大きめのハンチング帽を目深に被る上に俯きがちで分かりづらいけど顔立ちは幼く、このゲームに参加出来るのは最低でも12歳以上な筈だけど下手をするとそれ以下にも見えた。
服装はシンプルな膝下丈のワンピース……いえ、私と同じローブかな? 装飾は無いけど、淡い青が涼しげ。靴は濃い茶のブーツで動きやすそう。
ただ武器や防具らしい物は無い。一応ここもライフタウンだし、仕舞っているのかもしれない。
と、じっと見つめたのがいけなかったのか、女の子は恥ずかしげに俯いて固まってしまった。
「えっと……ねえ、妖精さん見なかったかな? “妖精の里”なのに全然見当たらなくて……」
膝を曲げて目線を合わせてそう言った私を、パチクリと少し意外そうにこちらを見る。え、何? 変な事聞いた?
ややあって女の子は若干おろおろとした後、人差し指を立てた。
「ん?」
「ぁ、あの、上……」
小声でそう言われて頭上を見上げる。そこには巨木がある……と言うか巨木しか無い。それでも何かしらあるのかと凝視していると、葉と葉の隙間で緑と茶以外の色がチラッと視界を掠めた。
「今の……」
「木の上に、妖精さんのお家があるって、聞いて、ます」
「そっか……妖精なら飛べるんだし、木の上でも関係無いものね」
改めてじっと見ると時折チラチラと何かが見えるけど、さすがに距離があり過ぎるので米粒以下の変化としてしか判別出来ない。
「……無理かなあ」
「?」
呟きに疑問符が浮かんだ気がして、つい話していた。
「このゲームを始めた時に会った導きの妖精がね、ここに来れるようになるアイテムを送ってくれたから、もしかしたらまた会えるかも……何て思ってたんだけど。私飛べないから、無理かなーって」
苦笑しながらそう言うと女の子はハッと顔を上げた。
「ワ、ワタシ、もです」
女の子は唐突にシステムメニューを開くとアイテムを実体化させた。
「あ!」
それはティファが送って来た物に似た、でも明らかに別の手紙だった。
「ワタシも、会えたらいいな、って、思って……それで、ここに」
「そっか同じだね」
私もティファからの手紙を実体化させて女の子に見せる。
見比べれば、ティファのは丁寧で、けど所々震えている。私のサイズに合わせようと必死に大きなペンで書いたのじゃないか、そんな風に思える。
対して女の子のは元気の良さが滲むように力強い。文字の形が直線的になっているのも勢いに任せているからかな。
この子が会ったのは一体どんな導きの妖精だったんだろう?
「私の名前はアリッサ。良ければ少し、話さない?」
同じ理由でここに来て、同じく妖精を探す人に出会えたのが嬉しくて、この子とせっかくだから話したいと思った。
女の子はおずおずと、けど口許を少しだけ綻ばせて、こう返してくれた。
「は、はい。ぁ、ワタシ、ルルです。よ、よろしくおねがいします」
「うん、よろしくねルルちゃん、って呼んでいいかな?」
「は、はい。じゃ、じゃあワタシも……アリッサ、お姉さん、で」
「うん」
それから私たちは座れそうな場所も無かったので巨木を背に立って話す事になった。こう言う時にハンカチの1つでもあれば地面に敷いて座れるのに。
「じゃ、じゃあアリッサお姉さんがエルフなのって」
「うん、ティファのお陰。金髪がすごく綺麗だったから私も、って。現実じゃさすがに無理だからね」
主に私の中の常識と、ルックスと、校則的に。
「ルルちゃんの所にはどんな妖精が来てくれたの?」
「えと、えと……ケイちゃんって名前で、元気で面白い妖精さん、でした」
聞く所によればハキハキとした性格でキャラメイク中はずっと笑顔で接してくれたらしい。くだらない事で爆笑して、ルルちゃんもつられて何度も笑ったとか。
「ワタシ……ケイちゃんと、話すの楽しくて、お別れするの、寂しくて……また会える? って聞いたら、約束してくれたんです」
「約束?」
こくり。小さく頷くとアイテムポーチから洋服を一着取り出した。でもそれは人が着るような物ではなく、着せ替え人形の物かと思えるサイズ。
「ワタシががんばったら、会えるって……だから、ケイちゃんの、お洋服を作るからって、約束、して」
そう、それは確かに妖精が着るにはピッタリのサイズ。その上傍目にも驚く程精緻に縫製され、大事そうに扱うルルちゃんも含めすごく努力したのだろうなと感じられる。
「それで洋服が出来たら手紙が届いたんだ」
「はい。アイテムが、一緒に入ってて、ここに来れて……でも」
しょぼんと落ち込むルルちゃん。
私は木の上へと視線を上げる。相変わらず時折妖精(らしき何か)が視界を掠めるばかり。せっかく会えると思ったのに、これじゃあガッカリもしちゃうよね。
どうにかならないかなあ……そう思って何かヒントが無いかと思い返していると、ちょっと引っ掛かる事があった。
「あ、さっきルルちゃん『妖精さんのお家があるって聞いた』って言ってたけど、誰に聞いたの? もしかしたらあの上に行く方法を知ってるかも」
「ぇ、えと、最初にここに来た時に、他の人が話してて……でもすぐに、転移しちゃっと……だから、その人がどうやって知ったかは……」
「う〜ん、そうなんだ……」
既出の情報ならダメ元でそこらを歩いているPCに聞いてみようか。運が良ければ知ってるかも……。
そう思い周囲を見るけど、疎らだった人影はいつの間にか影も形も無くなっていた。
そんなに手紙を貰う人と言うのは少ないのかなあ?
「こう言う時に情報通の知り合いがいればいいんだけど……」
「ワタシも、その……あんまり」
「そっか……」
「……」
重い沈黙が場に降りる。
私はフレンドリストを見る。クラリスたちはパーティーを組んでどこか知らない場所にいる、攻略中かもしれない。セレナと天丼くんはログインしていない。そして――。
「あ、」
いた。色々知ってそうな人。フレンドリストの一番最後に登録されているのはβなんたらで天丼くんが驚くくらいに長くこの世界に関わっていた人。もしかしたら、でしかないけど。
リスト内の情報では幸いログインしているらしい、今なら……。
「アリッサお姉さん?」
「ちょっと待ってて……もしかしたら知ってるかもしれない人に連絡してみるね」
息を整え、チャットで呼び出しを行った。『CALL』表示は数瞬で終わり、私の耳には久方ぶりの渋い低音の声が届く。
『もしもし』
「お久しぶりですセバスチャンさん、アリッサです」
『ええ、ご機嫌麗しゅうアリッサさん』
にこやかな声音、相変わらずの恭し過ぎな受け答え。MSOのみならず人生の大先輩であるおじいさん、セバスチャンさんだ。
「突然連絡してすみません。今は大丈夫でしょうか?」
『問題ありませんとも、アリッサさんとの会話以上の用件などそうそうありませんからな』
『ほっほっ』と笑う。こちらとしては少々気恥ずかしいのだけど。
「あの、今日はセバスチャンさんにお尋ねしたい事があって連絡させてもらいました」
『ほう?』
「私は今、妖精の里フロムエールと言うライフタウンにいるのですけど、知っていらっしゃいますか?」
『ええ、存じております。現在導きの妖精とのシークレットクエストのクリア報酬でしか転移出来ない特殊なライフタウンですな。いやはや羨ましい』
そうなんですか?!
喉から出そうになる驚きをすんでで飲み込み、会話を再開する。
「はい。それで、とても高い木の上に妖精たちが住んでいるそうなんですが、どうすれば会う事が出来るのかを知りたいんです」
『ふむ。そう言う事でしたか……確か、妖精からの手紙には星刻鳥の羽根が同封されていると聞き及びましたが、勿論アリッサさんはお持ちですな?』
「あ、はい。持っています」
そもそもあれが無かったらここに来れなかったろうしね。
『ならば話は簡単。星刻鳥の羽根を実体化すれば宜しいのです』
「え、それでいいんですか?」
『わたくしの知る限りでは』
「そうですか。教えてくださってありがとうございました」
私もルルちゃんも手紙とは別にしていたから気付かなかったけどそんな方法があったなんて。
『いえいえ。それで、と言っては何ですが……わたくしからもアリッサさんにお伺いしたい事があるのですが、宜しいでしょうか?』
「え、あ、はい。もちろん構いませんよ。何でしょう?」
私の知ってる事なんて大したものじゃないと思いますが、情報を貰った以上は出来る限り応えよう。
『昨日の事。マーサさんのお宅へお邪魔したのですが、聞けばアリッサさんが帰宅なさらなかったと言うではありませんか。何事かあったのかと、気に掛かっておったのです』
「ああ、なるほど」
セバスチャンさんは時折マーサさんにお料理を習いに行っているんだっけ。なら私が昨日ログインする前に訪れたんだ、共通の知人なんだから話題になっても不思議じゃないよね。
『少々不躾とは思ったのですが、アリッサさんからご連絡をいただいたもので、これも何かの縁かと思いお尋ねした次第です』
セバスチャンさんは一拍の間を置いてからそう語る。
ふむ。セバスチャンさんは深刻そうなんだけど、こちらは既にマーサさんのお家に帰宅している身。一応は解決している。
それをここで言うのは簡単なのだけど、隣にはルルちゃんがいるし、あまりプライベート(?)な話題をしていては気を遣わせてしまうよね。
「そうでしたか……あの、もしご都合がよろしければ後でお会い出来ませんか?」
『ええ、問題はありませんが……いえ、これ以上は野暮ですな」
「ありがとうございます、じゃあえっと、時間は1時……15分くらいでどうでしょう?」
「かしこまりました。ではアラスタの中央公園でお待ちしております』
「はい、では失礼します」
ウィンドウの[終了]をタップする。
「ふう……」
「ぁ、ぁの……」
囁き声に目を向ければ、ルルちゃんが所在無さげにこちらを窺っていた。
いけない。途中からこっちの話題にかかりきりだったからあわあわしてる。
「あ、ご、ごめんね。ちょっと込み入った話になっちゃって」
「ぃ、ぃぇ……」
「でも妖精に会える方法は分かったよ!」
方法が判明したと伝えるとパッと花が咲くような笑顔を見せてくれた。セバスチャンさんから聞いた説明をそのまま伝え、互いにポーチから星刻鳥の羽根を取り出した。
真夜中であっても尚キラキラと煌めく羽根が実体化した直後、それは薄ぼんやりと発光を始める。
「はっ、はわわわわわ……?!」
「おっ、落ち着いてルルちゃんっ、だだ大丈夫、の筈、多分、きっとっ!」
自身も結構慌てつつも、セバスチャンさんが言ったのだからと信じて、指先でまだ輝く羽根を見つめる。
と。
『はぁ……、何と言うか相変わらずですね貴女は』
『こっちもそんな感じだね、アハハッ』
そんな声が聞こえた。
「え」
「ぃ、今の……」
フォン。そんな不思議な音と共に頭上から2つ、淡い光に包まれた小さな小さな、妖精たちが舞い降りてきた。
1人は黄緑の髪をピシッと整え、中性的な凛々しい顔立ちの妖精。彼女はルルちゃんの許に舞い降り、ニカッと笑みを浮かべている。
そして――。
『お久し振りですね、変な星守のアリッサ』
私の目の前には金色の髪の女の子がいた。
「ほ、ほんとにその呼び方がデフォルトなんだ……でも、うん。久し振り、ティファ」
私は人差し指を、ティファは両手を出して、サイズの合わない握手を交わす。
苦笑しながら、それでも私は嬉しかった。また会えるなんて、一昨日までは思いもしなかったから。
だから、こうして目の前にいる事が、話せている事が、嬉しくてたまらない。
「もう。どうしてすぐに会いに降りてきてくれなかったの?」
『無茶を言いますね。私たち妖精とて忙しいのですから四六時中下ばかり見てはいられませんし、そもそも私は貴女の顔を知らなかったのですよ?』
「え、あ、そっか」
そう言われて思い出す。ティファと出会ったのはキャラクターメイキング時なのだ、そしてこの容姿となったのはティファと別れた後。
『そうです。だから、私に来訪を告げるように星刻鳥の羽根に特別な術を仕込んだ訳です。『お役立てください』と手紙にも書いたでしょう?』
「もう少し具体的に書いてほしかったなあ」
そうすれば……ああいや、そうしたらルルちゃんと知り合えなかったか。
そう思いチラリと見れば、ルルちゃんは涙ぐみながら自らが作った洋服をケイさんに差し出している。ケイさんは本当に嬉しそうにそれを受け取り、体に合わせてくるくると舞い、ルルちゃんは満面の笑みを浮かべていた。
そんな様子が微笑ましくて、邪魔をしては悪いかとティファを誘って歩き始めた。
そうして色々な、それこそ何気無い事を語り合う。苦労した事も、楽しかった事も、色々。
『それにしてもずいぶんと時間が掛かったものですね。約束を忘れてしまったのではと不安に思った事もありました』
「面目無いです」
その大半は現実での仕事を優先していたのだし、言い訳する余地も無い。
『まぁ、いいのですけどね』
そう言ってティファはふわりと私の肩に降り立つと頭上を見上げた。
「ティファ?」
『見てください』
そう言われ、私も頭上を仰ぐ。けど見えるのは高く太い幹の先、ざわざわと揺れる枝葉ばかり。
『“あれ”を』
ティファが指を指す。そこには葉と葉のわずかな隙間があった。そこから覗くのは、墨を落としたような真っ暗な夜空。けど一点だけ、眩く輝く星があった。
「あれは……」
『あれこそは法術の祖、虹の名を冠す星ミスタリア。貴女が苦心の末に解き放った輝きです』
真白に光を放つ星を、私たちはしばし無言で見つめていた。
「……長老さんは、喜んでくれたんだよね」
『それはもう。いえ、長老だけではありませんよ。星が甦って、喜ばない者はいません。貴女は世界の全ての人に、希望を与えたのです。それは素晴らしい事、胸を張って誇っていい事です』
フィン。ティファは軽やかに私の肩を蹴って舞い上がり、私の正面に向かい合う。
『そして……私はそんな貴女を導けた事が誇らしい。ありがとう、私の星守』
そう言って微笑むティファに、私の顔は鉄板のように熱されてしまう。
(そこまで褒められたものじゃないんだよ、私は)
行き当たりばったりで、結果は偶然の連続で、情けないにも程がある。でも。
「ありがとう。でも、それも貴女と出会えたからだよ。だから私にも言わせてね。ありがとう、私の妖精さん」
そう思った事を告げる。するとティファもまた赤く赤く頬を染めた。
互いに照れて、顔を逸らして、様子を窺おうと目線を向ければそれがかち合い、また照れて顔を逸らして、それが可笑しくて笑い合う。
『くすくすくす』
「ふふふ」
ひと頻りそうしていると、ふと思い出す。この後に、セバスチャンさんと会う予定があったのだと。ある程度時間に余裕を持たせていたのだけど、そろそろ向かわなきゃ。
「……ねえ、ティファ。私、もう行かなきゃいけないんだ……また、また会えるかな?」
『言った筈ですよ。私、これでも忙しいんです』
「そっか」
『……でも、まぁ。いつもいつもと言う訳でもありませんしね。暇にしている時だって、その、ありますし』
ふよふよと落ち着き無く、踊るように宙を舞うティファ。
『たまになら、会えますよ』
「本当?!」
『でも、あんまりひっきりなしに会いに来られても困りますけどね。貴女には、貴女にしか出来ない事があるんですから』
『だから』と付け足す。
『がんばってください。そして、聞かせてください。貴女の事を、貴女のしてきた事を。その時を楽しみにしていますから』
「うん。がんばるよ、またがんばれそうだよ」
今度は小指を出した。こちらの世界に指切りなんてあるのかは知らなかったけど。
でもティファは握手の時と同じようにその指を握ってくれた。
「『指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーますっ、指切ったっ』」




