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第35話「力をくれる言葉」




 静止した私とセレナ。

 彼女の顔には困惑が浮かび、きっと私の顔は青い。


 加護《古式法術》を得た事で失った力。それを補うべく残された加護の再検証を行う中、《詠唱短縮》に新しくスペルカットと言う機能が発生し、その効果を確かめる中で起こった異変に、私たちは困惑していた。


「ちょっと、それ本当なの?!」


 セレナが喘ぐように叫んだ。私だって一歩違えばそうしていた、ぎゃあと叫んで悔しがるくらいはしたかった。

 が、育て上げた加護を失った昨日に続き、更に起死回生となるかと思われたスペルカット、もしそれにまで何かデメリットがあったとしたらヘコみもする。前途多難だなあ、もう……。


「うん、多分……もう一度試してみるね。“聖なる御手”」


 すぐさま私は視界内のHP・MPゲージを注視する。普段意識しない場面では簡素な物でしかないけど、こうして注視すると端に正確な数値も表示されるようになる。それを利用すれば実際に消費されるMP量の確認が出来る。


 キィンッ!


 藍色の光球が出現すると同時に、視界内のMPゲージが減少した。減少した数値は10点。

 加護を取得した際に最初から修得している初期スキルの消費MP量は一律で5点だから2倍になってる計算。そう伝えるとセレナの顔が渋くなる。

 この原因は間違い無く――。


「チッ、スペルカットの代償ってコト……?」


 〈ヒール〉をキャンセルしつつ、コクリと頷く。


「多分」

「くわぁ〜っ! せっかく使えそうだと思ったのにっ! 初期スキルのコストですらそこまで増えるとか、やってらんないわね!」


 地団駄を踏み悔しがるセレナ。私も同じだから、その気持ちはよく分かる。

 ステータスが盛大に弱体化した今の私は以前よりも大量のスキルを用いねばならなくっている。そこへ来て消費MPの多さは非常に使い勝手を悪くする。


「スペルカットはいざと言う時以外は無闇に使えないね……」

「逆よ、逆! ガンガン使うの!」

「え、でも、こんなにMP消費しちゃったらさすがに持たないし、負担も増えちゃうよ?」


 消費が倍増したスキルに加え、〈コール・ファイア〉なども併用すれば更に消耗は激しくなる。それをポーションで回復していてはおサイフが悲鳴を上げてしまう。


「レベルが上がれば消費量が減ったりするのかもしれないし、そうでなくても他の加護のレベルだって上がるからMP量も増えるじゃん、使わな過ぎて宝の持ち腐れにしてどーすんの!」

「あ、そっか」


 それは確かに一理ある。

 乱発出来ないのも事実だけど、このスペルカットのすべてを把握していないのもまた事実。使い続けてみないと芽の有り無しも見えてはこない。

 加護の固有効果はレベルによって変動する。スペルカットと同じ《詠唱短縮》の効果であるカウントカットもそうだった(あれはレベルアップで消費MPが増えちゃうけど)。

 可能性としてはレベルアップによって必要なコストが減少する、と言うのはありえるかも……?


「後は……増えたコストがMPだけか、とか、待機状態に出来る数はどうか、とか、威力に変化はあるか、とかかしらね」


 セレナが新たに疑問を提示する。


「最後のはここじゃ確かめようが無いけど、後の2つは早めに試した方がいいかもね」


 早速と[ステータス]ウィンドウを閉じて[ギフト]メニュー内にある『RATリスト』ウィンドウを表示する。

 これは、使用して再申請時間中のスキルがリストアップされるウィンドウ。今までが今まで(加護の数頼み)だったので使った事無かったけど、任意に視界内に表示状態にする事も可能、だった筈。


「じゃあ改めて……“聖なる御手”」


 またまた藍色の光球の出現に合わせてウィンドウに変化が現れる。



『RATリスト』

『〈ヒール〉NEXT

 [00:00:54.]

 [00:00:27.]』



 あ、やっぱり。初期スキルは一律30秒の筈だから再申請時間も増えて……ん?


「なんでカウントが2つもあんの?」


 横から覗き込んでいたセレナが首を傾げている。そう、おかしい。説明書で読んだけど、スキル1つに対して残りの再申請時間を示すカウント表示は1つだった。


「セレナも見た事無いの?」

「無いわよこんなの。とりあえず下の方が早く終わるみたいだからそのタイミングで〈ヒール〉使ってみて」

「うん、分かった」


 待機状態の〈ヒール〉をキャンセルし、カウントが0になると同時に再び〈ヒール〉を唱える……でも発動はしなかった。


「って事は1段目のカウントが〈ヒール〉本来のカウントなのかな?」

「そうなるんだろうけど……とすると、アレ(、、)かしらね」


 セレナには心当たりがあるのか、アゴに手を当てて思案顔。


「アレって?」


 そう言うと力が抜けたようにコケられた。


「アンタねぇ……さっき自分で言ってたじゃん! 〈ファイアショット〉と〈ウォーターショット〉の後に〈ウィンドショット〉が使えなかったって! おんなじ加護のスキルなんだから何かしら関連があるかもでしょ!」

「あ」


 それは昨夜の事。はじまりの湿地での一幕。


「別のスキルの再申請時間が他のスキルに影響を及ぼした……?」

「別、なんて事は無いんじゃない? 同じ《古式法術》の同じレベルのスキルなんだしさ」


 それを確認するべく、スペルカットの2つ目に〈ファイアショット〉を登録する。


「じゃあ、始めるね。“火の一射”」


 上に向けた手の平から赤い光球が出現する。『RATリスト』には先程〈ヒール〉を使用した時と同様のカウントが表示された。


「じゃあ下のカウントが無くならないうちに……“聖なる御手”」


 セレナをターゲットサイトで捉えて〈ヒール〉を唱えた……が、反応は無し。少し待って2段目のカウントが無くなってから再度〈ヒール〉を唱えると今度は普通に成功し、セレナを回復する。


「……間違い無さそうね」

「うん。そっか、それであの時は……」


 思い返せば、はじまりの湿地での戦闘では〈ファイアショット〉から〈ウォーターショット〉までは時間が開いてるけど、次の〈ウィンドショット〉は追撃をしなきゃと思いっきり早口で捲し立てたかも……その次のも、早く早くと気が急いていたから発動出来なかったんだ。


「普通にプレイしてたら気付いてたよね、きっと」


 今まで加護の数に飽かせて再申請時間を漠然としか意識してなかったツケだ。


「ま、原因が分かったのは儲けもんよ。ホラ、他の事もさっさと調べられるだけ調べちゃお、時間が勿体無い」

「うん、そうだね」


 そうして、朝食に舌鼓を打ちつつ《古式法術》や《詠唱短縮》についての検証や討論を重ねる。

 分かったのは以下のような事。



 《古式法術》について。

 ・スキルはスペルを唱える事でしか発動しない。

 ・発動に必要なMPや再申請時間に関しては今までと変わっていない。

 ・スキルを使用した際の再申請時間は通常の物とその半分の物の長短2段階あり、他のスキルは短い方の再申請時間が0にならないと使用不可。

 ・スペルに関しても適用されるようで、再申請時間が0にならない内に唱え始めても発動しない。

 ・スキルの待機状態は通常と同様、レベル1の現在は1つのみ。

 ※ただし、まだレベル1なのでこれから修得するスキルにも当てはまるかは不明。


 《詠唱短縮》について。

 ・カウントカット。法術系のスキルを登録すると、消費MPに+(レベル×2)%し、再申請時間に−(レベル×2)%する。

 ・《古式法術》との組み合わせによりスペルカット機能が追加される。

 ・スペルカット。法術系のスキルを登録するとスペルを省略可、今の所消費MPは+100%、再申請時間は+80%されている。

 ・カウントカットとスペルカットは重複不可。どちらかにスキルを登録するともう片方では登録出来なくなる。

 ・スペルカットに登録していてもスペルを唱えての発動は可。その場合コストは通常時の物が適用される。

 ・カウントカット・スペルカットにはそれぞれレベルの十の位+1まで法術を登録出来る。

 ※ただし、スペルカットに関してはまだ発見したばかりなのでこれからどう数値が変動するかは不明。



「こんな所……かな?」


 食べ終わった食器を脇に退けながら、指折り数えていた項目を確認する。


「そうね……欲を言えばスペルカットのコストはもっと詳しく知りたいとこだけど」

「そこはもうレベルアップしてみない事には何とも。《古式法術》との組み合わせだから……私以外は知らないだろうし」

「えー、いくらなんでも特定の加護だけの為の機能ってのは無くない?」

「うーん、そう言われれば……」


 セレナの言う事ももっともではある。加護はそれこそ星の数だけあるのだから、もしかしたら《古式法術》以外にもスペルカットの使い道があるのかもしれない。


「じゃあ、ログアウトしたらネットで調べてみるね」

「それがいいわ。じゃあ……次は、スペルカットに何を登録するかを決めちゃおっか」

「〈ファイアショット〉と〈ヒール〉で良いんじゃない?」

「それはダメ。私がガードしてその間にアリッサが攻撃する、って感じで進めるつもりだから〈ヒール〉を使う機会が無いわ。素直に攻撃用のをセットしときなさい。今更ザコMOBにまともなダメージ食らう程弱かないもの」

「セレナ……うん、ありがとう」


 それでもダメージが蓄積したら普通に〈ヒール〉を唱えればいいか。

 スペルカットには〈ファイアショット〉と〈ウォーターショット〉を、それとせっかくだからカウントカットには〈ウィンドショット〉と〈ソイルショット〉を登録した。

 消費MPは増えちゃうけど、《詠唱短縮》のレベルアップはそれだけ早くなる。そうすればスペルカットの疑問も解けていくかもしれないのだから。


「あ、そろそろ時間だね」


 システムメニューの時計は[PM17:27.]と指し示している。多少の前後はあれ、私とセレナはここで一度別れる予定だった。


「もう? なんか早くない?」

「楽しい時間は早く過ぎるって聞くから」


 私は楽しかった。今まで1人で進めてきたからセレナと一緒に顔を付き合わせて相談するだけでも楽しい。

 セレナもそうなら嬉しいな。


「は、こんな調子じゃ今日はアラスタから出られないんじゃないの?」

「あっと言う間にも程があるね」


 コロコロと笑い合いながら8時に南門前で待ち合わせると確認してこのロイヤルなスイートルームを後にする事にした。



「うわ」

「どうしたの?」


 エレベーター近くに置かれていたクリーニング済みの私たちの装備。それを手に取っていたセレナが、何やら呻いていた。

 その視線の先には、小さめのウィンドウが表示されていた。


「見てコレ」



『・ブリリアントスカーレットドレス』

『▲

 分類:服装

 装備部位:体

 NP(必要パラメータ):[Phy/23]

 DP:[520/520]


 Str:[+102]

 Min:[+81]

 火耐性:[+15%]

 水耐性:[−2%]』



 この装備アイテムの性能データ? へえ、凄いなあ……私の装備とは比較にならないや、初期装備と比べても仕方無いだろうけど。


「これがどうかしたの?」


 でも特段変わった所は無さそう……?


「昨日アリッサに会うまで、私かなり先のフィールドでクエストこなしてたのよ。それで着の身着のままアリッサに合流して……だってのに、ホラ見て耐久値が全回復してるでしょ、サービスが行き届いてるわよね」

「え、ええっ?!」


 私も慌てて自分の装備を2回タップしてテキストウィンドウを開き、それをスライドするとアイテムの性能表示に移行する。



『・新緑の外套』

『▲

 分類:装飾

 装備部位:体

 NP:[Phy/3]

 DP:[100/100]


 Str:[+8]

 Min:[+6]

 土耐性:[+7%]

 風耐性:[−2%]』



「ほんとだ、DPが最大値になってる……」


 修復は耐久値=(デュラビリティ)(ポイント)の回復行為。

 ダメージや時間経過により減少するDPを回復するには装備に関する加護を持つPC、もしくはなんらかのアビリティを持つNPCに頼まないといけない。私の場合はマーサさんがお洗濯してくれるついでに直してくれている。本当に頭が上がらない。


「やー、助かったわ。修復の代金って装備の性能で上下するから最近キツくなってたのよね」

「ああ、そうらしいね」


 でも耐久値無くなっちゃうと『破損』と言う状態になってしまって性能が発揮されなくなり、更に使用を続けると壊れてしまうのだとか、だから常に耐久値は高めにキープしないといけない。


「ここの宿代で結構サイフ軽くなってたから丁度良かったー」

「やっぱりここの代金高かったんだね?! ごめんなさいっ!!」


 そんなこんなで騒ぎつつ私たちは、二度と訪れなさそうな程に豪華なロイヤルでスイートなお部屋にお別れを告げたのでした。

 ……一体いくらくらいだったんだろう、ここ。



◇◇◇◇◇



 ホテルアラスタ前。


 チェックアウトを済ませた私とセレナはそこで今まで自分たちが泊まっていたホテルを感慨深く見上げている。風にそよぐ木の葉がキラキラと陽光を反射し、少し眩しい。

 昨日今日と過ごし、大切な思い出の場所となったホテルアラスタ。ただ、惜しむらくはあそこがおいそれと泊まれるような場所でない事か。


「私たち、あの一番高い所に泊まってたんだよね」

「何よ今更」

「だって、なんだか名残惜しいんだもの……」


 私には本当に高嶺の花以外の何物でも無いから、余計にそう思う。


「ま、いつかこんなトコでも楽に泊まれるくらいになればいいだけの話じゃん?」


 そんなセレナに「豪気だね」と返すと「アリッサにもこれくらいの気概が欲しい」と言われてしまった。面目無いです。


「じゃ、私はここで落ちるわ。また後でね、アリッサ」

「うん。またね、セレナ」


 そのままセレナはログアウトし、私はそれを手を振って見送った。


「さて、と」


 方向転換する、まだ私がログアウトするまでには幾ばくかの余裕があるから少し野暮用を済ませてしまおうと思った。



 まず行ったのはユニオン。

 この後ははじまりの草原に赴く予定だった。だからそこで果たせる依頼を請けておく。


 次にNPCshop。

 《詠唱短縮》で消費MPが増えれば今まで以上にポーションの消費量も増えてしまうので補給は必須だった。

 今日はノールさんはおらず、カウンターに腰掛けていたのは恰幅の良いおばさんだった。


「えと、ビギナーズHPポーションを2本とビギナーズMPポーションを……16本下さい」

「はいよ、全部で810万Gだよ!」

「あ、はーい……って、えええっ?! いつからそんなに値上げしたんですか?!」


 おばさんの爆弾発言に動揺の極致な私。こんな世界にもハイパーインフレが存在したのかと、今後の計画がガラガラと――。


「いやいや、そんな筈は無いでしょ」


 そんな私を見てカラカラと笑うおばさんは「はっはっは。悪かったねぇ、つい口から出ちまうんだよ」と豪快に笑っていた。

 名前をジェニーと言うらしきおばさんは表情筋が固定されてでもいるかのように笑みを絶やさず、私が実体化させた硬貨を受け取るとポーションを取り出した。


「ほら持っておいき」

「あ、どうもー」


 ポーチにポーションを放り込み、NPCshopを後にする。

 ジェニーおばさんは手を振りながら「またおいで」とにこやかに言ってくれた。あ……ノールさんより話しやすいかもしれない。

 若干失礼かもしれない考えを思い浮かべながら、私は最後の目的地へと足を向けたのだった。



◇◇◇◇◇



 右に曲がる、まっすぐ歩き、また右へ。

 通い慣れた道を遡り、私は進む。やがて開けた通りへ抜けた更にその先にマーサさんの家がある。

 昨日は飛び出したきり戻らなかったから、マーサさん心配してないかなあ。


「……ただいま帰りましたー」

「あらら?」


 リビングのソファーで手紙を書いていたらしいマーサさんは手を止め、こちらを向いた。


「あらら! アリッサちゃん、お帰りなさい」


 マーサさんはペンをテーブルに置き、パタパタと小走りでこちらに近付いてくる。


「ごめんなさいマーサさん。連絡もせずに外泊してしまいました」

「あらら、いいのよ。アリッサちゃんは星守さんなんだから、そんな日もあるわ」


 そう言いながらも、ホッと息を吐く姿はどこか安堵しているように見えた。

 ああ、参る。そんな姿を見せられたら、この先を言うのを躊躇ってしまうじゃないですか……。


「あのマーサさん……言っておかなきゃいけない事があるんです」

「あらら。じゃあ座ってちょうだい」

「あ、は、はい」


 そう言って腰を落としつつも、私は頭の中でどう言ったものかと考え込んでいた。


「あらら。それでお話って何なのかしら?」


 正面に相対した私とマーサさん。緊張をほぐそうと軽く呼吸をして、私はゆっくりと口を開いた。


「あの、私……これから、ちょっと遠くに出掛ける事が多くなると思うんです。だから、泊まりになる事も……その、増えそうで」


 《古式法術》のレベル上げに関してはセレナが力を貸してくれると言ってくれた。けど、それは自分で努力しなくていい理由にはならない。力を貸してくれるからこそがんばらないといけない。

 そして、これからははじまりの草原を越えて王都を目指す。もしかしたらより強いモンスターと戦う為にフィールドの奥地へ向かう事もあるかもしれない。

 けど、ライフタウンへの転移スキルである〈リターン〉も移動速度を上げる〈ウィンドステップ〉も失った以上、このお家に帰宅するには相応の時間を要する。

 その時間をギリギリのギリギリまで経験値稼ぎに回す事になる、かもしれない。そうなった時には外泊になるだろうからマーサさんに心配させないようにあらかじめ言っておかないといけない。


「あらら。そうなの……寂しくなるわぁ」


 しょんぼりするマーサさん、そんな様子を見て慌てて。


「あ、あのっ、そんなにはっ、出来るだけそうならないように、私がんばりますからっ!」


 マーサさんを心配させたくなくて言ったのに、それでマーサさんがしょんぼりしてしまっては元も子も無い。確約出来る訳じゃないけど……そうなるよう心掛ける事は出来る。

 マーサさんはそう言う私に優しく笑みを返してくれる。


「あらら。分かったわ、でも体には気を付けていってらっしゃいねアリッサちゃん」

「大丈夫です。友達も一緒ですから」

「あらら。お友達と?」

「はい。ホラ、以前にマーサさんのお弁当が縁で仲良くなった……」


 それからはセレナの事を色々と話す。少し照れ屋さんな事、とても優しい事、助けてもらった事や、一緒に泊まった事も。


「あらら、うふふ。とっても素敵な女の子なのね〜」

「はいっ」


 セレナが聞いたら赤面しそうなセリフを交わしていると。


「あらら。そうだわ、今すぐに出るのかしら?」

「いえ、まだ少し時間がありますけど……?」


 そう言うとマーサさんはやにわに張り切り出した。


「あらら。なら、出掛ける前にもう一度ここに来てちょうだいな」


 それだけ言うと私を締め出してしまった。首を傾げるものの、そろそろ時間なのでログアウトしなければいけない。階段を昇り2階の自室へと引っ込む。


「ふう」


 そこはさして特徴も無く、広くも無い私の部屋。ベッドにタンスにクローゼット、そして机。私物と言えばステラ言語の教本や筆記具が片手の指で足りる程度あるばかり。


(そろそろ1週間だっけ?)


 ここが私の部屋になって、そもそもマーサさんと出会ってまだ1週間しか経っていない。

 なんだか長い1週間だと思いながら椅子に腰掛ける。


「はあ……」


 ぐったりと机に突っ伏す。

 思い出すのは昨日の事。

 この机の前で、その1週間の間に得た物を色々と失った。そこからはまさしく激動と呼べる出来事が続いたのだ。思う所の1つや2つは出てくる。


(前みたいに……ううん、前よりも強くなるには一体どれだけ掛かるだろう……)


 ――足手まといにならないくらい強くなる。


 スタートはそこだった筈なのに、どうしてだか以前よりもハードルは上がっていた。それなりに得ていた実感は霧消して、今は足元も覚束無い。


(大丈夫かなあ……)


 そう考えると漠然とした不安に襲われ、私は体を縮こまらせる。

 瞳を閉じる、その寸前。



 バッチーンッ!!



 両手で力一杯頬を叩く、アリッサの白い肌にはさぞ紅葉模様が映えているに違いない。


(……違う、感傷に浸ってどうするの! どれだけ早く今から脱却出来るかは私次第だって、そう考えなきゃだめなの!)


 ぼけっとしているから悩むんだ、とベッドに飛び込む。ログアウトを選択して瞼を閉じる。


(次に来る時は……はじまりの草原に行くんだから)




◆◆◆◆◆




「……う〜ん」

「あーん、お姉ちゃーん。反応してぇ〜」


 晩ごはんの少し前、私は落ち着き無くリビング周りを徘徊していた。手には情報端末、腰には何故か妹が装備されていて重い。

 どうして落ち着きが無いかと問われれば、この後の事で頭が占められているからで、その為に反応が薄いので花菜が構ってほしがっているのでした。


「はあ……」

「お姉ちゃんが・ソワソワと・端末を操作しながら・ため息を吐いた?! もぎゃあー、そーゆー反応はあたしに対してしてほしかったーっ、おぎゃーん!!」


 逸る気持ちを吐き出す。

 でも、落ち着け落ち着けと思う度に鼓動の高鳴りは尚増していく。


「あー……意識したらなんだかドキドキしてきちゃった。どうしよ」

「ドッ、ドドドドド?! な、なななな何に、何にドキドキしてるのお姉ちゃん!?」


 待ち合わせはまだ1時間以上あるのにこれでは先が思いやられる。


「2人共ー、ごはんよー」

「はーい」

「お姉ちゃんの反応が無いのがこんなに切ないとは思わなかったーっ!!」

「「静かにしなさい」」

「反応が返ってきたー! ひゃっはーっ!」


 今はさっさと晩ごはんにしたいと言うのに、この子は本当に無駄な方向に元気だなあ……。



◇◇◇◇◇



「ねーねー、お姉ちゃん」

「なあに?」


 晩ごはんの後、私は花菜と後片付けに勤しんでいた。その中で私たちは軽い会話を交わしている。

 交わさなければまたしがみつかれそうなので普通に話す事にしたのだ。


「さっきは一体どうしちゃったの? 心ここに在らずみたいな感じだったよ」

「ああ、うん……色々考えててね」


 ……まあ、いいか。


「ええと。この後、MSOで友達と一緒に出掛けるの」

「え、お姉ちゃんパーティー組むの?」

「うん。パーティー自体は組んだ事あるんだけど、しばらくは一緒に行動するから、それでちょっと気が逸ってると言うか緊張してると言うか、ね」


 それは今も同じだった。こうして食器を洗っていても、洗う手はいつもよりも速い。


 私がパーティーを組んだのは初日の花菜とセレナと天丼くんに初めて会った日の2回だけ。

 花菜は緊張などとは心底無縁の間柄だし、そもそも初日でゲームに慣れる為の練習の意味合いが強かった。

 セレナたちとの時はパーティーと言っても形ばかりのもので見学扱いに過ぎなかった。

 だから今回が本格的にパーティーを組む初めての機会なのだ。


「そっかー、何だか悔しいなぁ」

「どうして?」

「だってあたしもお姉ちゃんと一緒に遊びたいもーん。ずっこいずっこい!」


 ぶうぶうと唾を飛ばす花菜は、まあいじらしくてつい苦笑してしまう。


「花菜と遊びたいからセレナに手を貸してもらうの、だから拗ねないで、ね」

「今の一言で拗ねる気が失せました」


 花菜はそうしてあっさりと機嫌を良くすると踊り始めた。何故踊る。

 ともあれ折角だし、聞ける事は聞いておこうかな。


「ねえ、パーティーを組む時の注意点とかあるの?」

「ん〜そだな〜……やっぱり基本をしっかり、かなぁ〜」

「基本……それって戦闘での話?」

「戦闘も含めて何でもだよ。向こうにいるのもあたしたちと同じプレイヤーだから、礼節を守るのはリアルもゲームも一緒。ちゃんと相手の事を考えるのは集団行動の基本だよ、ってね」

「うん、了解」


 人付き合いなのだからそこらは当たり前と言える。

 ただ、「まぁ、相手が“なってない奴”ならこっちが下手に出る必要は無いけどね」と続けた花菜の顔からは表情が抜けていたように思うのだけど……何があったの。


「後は……自分が出来る事と出来ない事、パーティーメンバーが求める事と求めていない事を理解して、その中で自分が何をすべきかを考えて、きちんと実行する。そんで何よりみんなで話し合う、どこが良かったか悪かったか、じゃなきゃ次に繋げらんないもん。基本はそんな感じかなー?」

「なるほど……ほんと、現実と変わんないね」

「そりゃそうだよ。あそこはゲームって言ったってリアルと地続きだもん。根本的な所は変わりようが無いよ」


 違いないと頷いて後片付けを終える。


 パーティーでの注意点と言うよりもそれ以前の大前提の話だったけど、それでもとても大事な話だった。

 後に何かあるとするなら、それはセレナとの話し合いの中で見つけないといけない事なのかもしれない。




◆◆◆◆◆




 ぱちりと目を開ける。木造の天井を仰ぎ見ていた私は、キシリと音を立てるベッドから体を起こす。

 そこはそろそろ見慣れてきた感のある私の部屋。窓から見える空は明るい、日は高いけど雲も多い。現実の昼間よりも幾分か温かい陽が射している。

 良い天気だとそれだけで気持ちも前向きになる。


「……さ、行こう!」


 靴を履き杖を持つ。

 ノブを捻りドアを開き、そして振り返る。


「いってきます」


 いつかよりも気合いと決意を込めて強く部屋に響いたその声が消えるのを待ち私は静かに、ドアを閉め……一息吐いてから歩き出した。

 階段を降りて、まずはリビングを目指す。マーサさんにまた来てと言われているけど、何か用があるのかな? ドアを開けて中を窺う。


「あの、マーサさん。そろそろ出掛けようと思うんですけど……?」

「あらら。アリッサちゃん、丁度良かったわ〜」


 ソファーに腰掛けていたマーサさんは何かの作業をしていたのか、テーブルには裁縫道具っぽい物がいくつか散見された。

 それらをものの数秒で綺麗に片付けるとソファーから立ち上がり、私の方へ小走りで向かってくる。


「マーサさん、何か作っていたんですか?」

「あらら。うふふ。これよ〜」


 マーサさんの差し出した両手の平には両端に半透明の綺麗な青い珠の付いた白い紐のような物が乗せられていた。

 優に50センチはありそうなそれはいくつかの細長い紐を編み上げて作られた物らしく、精緻な編み目からは根気と手間がかけられているのだろうと容易に読み取れた。


「これは……?」

「あらら。アリッサちゃんへの贈り物よ」

「………………え?」


 えっへんと胸を張るマーサさん。


「あらら。これはね、『願い紐』と言って、大切な人が末永く健やかでありますようにって願って編む物なのよ。前から少しずつ編んでいたのだけど、間に合って良かったわ」


 そう言うとマーサさんは私を180度回転させる。


「マ、マーサさん??」

「あらら、あらら〜♪」


 マーサさんはその願い紐でもって私の髪をひとつにまとめていく。


「あらら。まぁまぁまぁ、よく似合っているわよアリッサちゃん」

「そ、そうですか?」


 鏡が無いから確認は出来ないけど、マーサさんがそう言ってくれるのだからそうなんだろう。髪に手を伸ばして触れてみる。


(……先、越されちゃったな)


 プレゼントなら私も用意していたけど、準備はまだ全然なのだから。

 マーサさんにお礼をしなければと向き直るといつもと変わらない朗らかな笑顔が、薄く柔らかい微笑みに変わっていた。



「その願い紐にはアリッサちゃんの無事を願いましたから、きっとこれからの旅路は良いものになるわ。だから私も心配なんてしません、貴女も私の事は気にせずに思うようになさい。そして、いつでも元気に帰ってきてちょうだいね」



 一瞬垣間見えた、常とは異なる雰囲気。深い慈しみと尚余りある優しさを滲ませた声音。それは瞬きの間に消え、今はもういつも通りのマーサさんがいるばかり。

 けど、それは紛れも無くマーサさんの言葉で、マーサさんの真意だと私の心に届いていた。


 だから――。



「はいっ、必ず……必ずっ」



 ――涙が滲んでも、それは……きっと当たり前の結果。

 こんなにも大事に思われているのだと知れたから。

 深々と頭を下げれば、一筋二筋流れた涙はポタポタと床にシミを作った。袖で涙を拭い、私は笑う。心の底から笑うのだ。


「帰って来ます。だってここは私のお家ですから」

「あらら。ええ、約束ね〜」


 互いに微笑み、照れ隠しか私は玄関へと急いだ。

 その途中で玄関まででいいと伝えたのだけど、返ってきたのは若干残念そうなニュアンス。でも今日はそう遠くまで行く訳ではないからと説得し、渋々ながら納得してもらえた。

 ゆっくりと玄関をくぐり、踵を返してマーサさんの正面に立つ。


 わずかな間を置き、私は口を開いた。


「いってきます」

「あらら。いってらっしゃい」


 挨拶を聞き届けた私はドアを閉める。蝶番が音も立てずにドアが閉まるまでマーサさんはずっと手を振っていてくれた。


 ごちん。


 握り拳で頭を殴り、思考を切り換える。


(さ、行こう。今は前だけを見て)


 そうして私は歩き出す。

 セレナとの待ち合わせ場所、南門を目指して。

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