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第32話「そして、物語が動き出す」



「……え?」


 ウィンドウに目を釘付けにされながら、困惑と共に言葉が漏れる。

 失意の中、ログアウトしようとしたまさにその瞬間、新たに現れたチャットの着信を告げるウィンドウ。



 そこには、間違いようも無く『from[セレナ]』と記されていた。



 ……そう言えば、誰かからチャット通話が来るの初めてだなと、場違いにもぼんやり思う。


(でもどうしてこんなタイミングで?)


 そんなのただの偶然に過ぎないのだろうけど、動揺するには十分だった。



 ピリリリリ……ピリリリリ……!



 徐々に音量を増す着信音。

 出ない、と言う選択肢は頭に無かった。だってそんな事をしたら、セレナを傷付けてしまうかもしれない。そんなのは、例え自分がボロボロでも許容してはいけない気がした。

 息を整え、せめて心配をさせてはいけないと顔をごしごしと擦ると、意を決してチャットを繋げた。


『もしもし、アリッサ? 今大丈夫?』


 2日ぶりに聞くセレナの声は明るく楽しげに弾んでいた。


「……うん、大丈夫だけど……どうかしたの、セレナ」


 どの道後はログアウトするだけだったのだし、下降しっぱなしの気分をセレナの元気な声で上向けてもらえるかもしれない、と言う現金な目的で私は肯定の意を示す。


『そうそう。私今日王都でちょっと気になる物見つけたからそれでね』

「気になる物、って?」


 『ふふふ』と勿体つけるセレナ。私は苦笑しながら続きを待った。


『紙よ、紙』

「か、紙?」



『そ。ホラ、アリッサが大屋さん……マーサさん? に買った、メッセージカードと一緒に渡すって言ってたアレ、小箱のラッピングに良さげな包装紙よ』



 ピクッ、と体が反応し思考が止まる。


『たまたま寄ったショップで良い感じの包装紙見付けてピーン、ときたのよ。やっぱ、あのままじゃ素っ気ないかなーって、後リボンとか探してラッピングしたらどうかなって思ってさ』

「……、ぁ」


 返事をしようとしたのに一瞬、声が詰まる。


『アリッサ?』

「あ、そ、そう、だね。その方がいい、ね」


 それは更なる動揺を呼び、言葉は途切れ途切れにすぼんでしまう。


『……ちょっと待って。アリッサ、どうしたの? なんか……』


 あまりに露骨な態度だったからか、セレナの声音が怪訝な色を帯びる。


「う、ううん。何でも無いよ、大丈夫、大丈夫」


 何が大丈夫だと言うのか、自分でも分からない。そんな心境で焦りのまま返答をしたとても、更なる疑惑への呼び水にしかなりはしないのに。

 それは、互いに姿の見えないセレナであっても同じであるらしかった。


『……ねぇアリッサ、今どこにいるの?』

「え?」

『その、どうしても嫌だってんならいいけどさ。でも、そうじゃないなら教えてほしい、なんか……直接話したい』


 至極真面目に、真摯に、セレナは言う。それは答えをはぐらかすのをねじ伏せる力を持ってでもいるようだった。


「…………」

『…………』

「……アラスタ、の教会」


 だから……逡巡を挟んでも、私は答えを口にしていた。


『待ってて!』

「セレ――」



『すぐに行くから!!』



 そう力の限りに叫んで、そのままセレナは通話を切った。


「――ナ……」


 どこに向けたものか、私の手は半端に宙に伸ばされたまま、その動きを止める。駆け出したのだろう誰かに、いくら伸ばしても届かないと理解したかのように。

 その手が力無くぽすん、と膝の上に落ちると同時、通話が終了したので[チャット]ウィンドウが消え、後にはセレナからの着信以前まで操作していた[ログアウト]ウィンドウが変わらぬ姿を見せていた。


「ぁ」


 それを理解して、頭がぼやけた。そこには、こうあったから。



 [Yes](ここから去る)か、[No](ここで待つ)か、と。



 まるで試すように、からかうように、そんな選択が私の前に用意されていた。


 ギュッ。


 手を握る、唇を噛む。眉間にはシワが寄り、顔は俯く。


「ひど」


 それは誰でもなく、そんな事を思ってしまった私自身への、侮蔑の言葉だった。

 ゆるゆると腕を上げる、答えを選択する為に。



 バン!!



 叩き付けるようにドアが開いたのはウィンドウが消えるのとほぼ同時だった。



「お待たせ!!」



 どれだけ急いで来たと言うのか。セレナは肩を弾ませ、強い光を瞳に宿して、そう言った。



「待ってないよ」



 弱々しい苦笑を混じえてそう言い、私はセレナを迎えた。ここに残って、彼女を迎えたのだった。



◇◇◇◇◇



「ちょっ……ま、待って、セレナ。どこに?」


 ガッ、とセレナは私の手首を掴んで歩き出した。私は慌てて立ち上がり足をもつれさせながら、セレナに続く。


「あそこじゃいつ誰が来るか分かんないでしょ、場所変えるわよ。アリッサの下宿先でいい?」

「ぁ、の」

「……じゃ、どっかで宿とろう」


 テキパキとやる事を決めて、セレナは私を連れて北大通りから南大通りを目指して移動する。その間、私はセレナに問わずにいられなかった。


「……どうして、来てくれたの?」

「なんとなくよ」


 そう言うセレナはさっきから顔を向けず、ズンズンと歩を進める。


「なんとなくだけど、放って置いちゃダメな気がしたの。勘よ、女の勘」


 「でも、ただの勘だからさ」、そう言ってセレナは足を止めた。


「言っとくけど……これから根掘り葉掘り聞くからね。迷惑だと思ったららこの手をさっさと振りほどきなさいよね」


 少し、手首を掴む力が緩む。


「別に、それでも私は気にしないからさ」


 ……確かに戸惑いは消えない。でも、誰かに胸に渦巻くモヤモヤをぶちまけてしまいたい、そう言う思いがある。

 迷惑かもしれないと思うのはむしろこっちだけど、今はセレナの好意に甘えたかった。


 だから、するりとセレナの手から抜け出して――。


「ごめん、セレナ」

「……」


 ぎゅっと、セレナの手を握り締めた。


「え?」

「ぐちらせて」


 か細く、情けなく、泣きそうな笑顔を向けて。


「――っ、行くわよ!」


 そうして私たちは歩く。手を繋いで、どちらが引っ張る事もなく……並んで、歩いていく。



◇◇◇◇◇



「あの……ほんとにここにするの?」

「こう言う時にケチってどーすんのよ。いい? お金は使う為に稼ぐのよ!」


 そう私たちが口論(?)を繰り広げているのは『ホテルアラスタ』と言う、アラスタの中で一番大きな宿泊施設の前だった。

 宿屋のレベルを明らかにオーバーしたその施設の規模に私の腰は完全に引けていた。


「いらっしゃいませ」

「宿泊、二人ね。どうせだから一番高い部屋にしとくわ」

「ちょっ?!!」

「一番高いお部屋ですとロイヤルスイートになりますが」

「じゃ、それで」

「かしこまりました」


 この上何を言ってるの?! あれよあれよと進む話に戦々恐々とする。

 あわあわしながら手を引かれて精霊器らしいエレベーターに促される。セレナは渡されたカードキーを階数パネルのカード用のスキャナーに差し入れるとまだどのボタンも押していないのに上昇を始め、パネルの一番上にまで到達する。

 セレナはスタスタと、私はビクビクと、この建物の最上階へと足を踏み入れた。


 ふわっ。


 ……カーペットに足が沈む。

 なんと言う事でしょう、エレベーターの向こうはそのままスイートルームに直結していましたよ……。

 どうやら最上階はこのスイートだけで占められているらしく、おそろしく広い。今いるリビングだけでパーティーでも開けそうだった。


「なにビビってんのよ」

「だ、だって、ただ話すだけなのにこんな……ロ、ロイヤルスイートになんてしなくたって」

「もう借りちゃったんだから、今更何言ったって遅いでしょ」


 そう言ってセレナはソファーからクッションをいくつもいくつも抱えて暖炉の前で適当に放り、その内の一つに座った。


「アリッサもこっち来て」

「うん」


 促されてセレナの対面のクッションにそっと腰を下ろした。

 セレナは暖炉に手を伸ばしている、するとウィンドウが表示され操作を行うと薪に火が灯された。


 パチ、パチッ。


 時折かすかに薪がはぜ、少しだけ部屋の温度が上がっていく。


 そう言えばはじまりの湿地で濡れてそのままだったっけ。セレナが気を利かせてくれたみたい。

 ……汚れてないかなカーペット。


「話せる?」

「……うん、ちょっと長くなるかもしれないけど」

「だから落ち着いて話せるようにここに来たんでしょ、徹夜だってバッチリよ!」

「それはだめ」

「冗談に決まってんでしょ」


 くすくす、と互いに笑う。軽くやり取りを交わして緊張はほぐれていた。こちらをじっと見つめるセレナに応じて、私はポツポツと言葉を探しながら語り始める。


「最初は、ただの偶然だったの」



 そう偶然、偶然私は《言語翻訳》のレベルアップ作業の最中にスキル名が異常に長いステラ言語に訳される事を知った。


「それなら私も知ってる、スペルでしょ?」


 セレナも知ってたんだ、やっぱり常識なのかな。


「うん、その名称を知ったのはもう少し後だけど」


 そしてステラ言語を和訳してみた、それが〈ライトショット〉のスペルだった。何の気無しに、私はそのスペルとステラ言語訳のスペルを唱えてしまった。


「そうして唱えたら、加護を見つけたの。まだ誰も見つけていない加護だった」

「……!」


 セレナは酷く驚いて見えた。確かに、常識だったスペルを唱えただけで加護を見つけたとすればその反応も分かる。

「でも、取得するには条件があったの」

「条件、ね。取得に何か必要って言うスキルは結構あるけど、それの条件って何だったの?」

「セレナは知ってるよね、私が最初から七つの属性法術を揃えてたの」

「忘れろったって忘れられないわよ、それでそれがど――っ、ちょっとまさか」


 コクリ、力無く頷く。



「取得条件は『すべての属性法術を失う事』だったの」



 そう言うとセレナは呆気に取られていた。


「……また盛大な代金ね。まぁ、見つかってなかったのも理解したけどさ……で、その様子だと取得したのよ、ね?」


 再び頷く。


「その時は殆ど反射的に取得しちゃって……後から無くした加護を考えて呆然としちゃって」

「そりゃそうでしょうね」


 呆れられたかな……そう思っているとセレナの顔からはそんな感情は読み取れなかった。


「ま、私も衝動買いしてサイフの軽さに頭痛くなるしね」


 との事。どんな例えかと思ったけど、飄々とした態度がどこか“あまり気にしてもしょうがない”、そんな風に聞こえさせた。


「……慰めてくれてる?」

「あのねぇ……そう言うのは思っても口に出すなっての! ったく、いいから続き続き」


 そうして続きを促され、私はそれからの事を思い起こす。

 今の状況を確認する為にはじまりの湿地に赴いた事、フロッグに戦闘を挑んだ事、そして……。


「やられて、蘇生部屋送りになった、って事だったワケね」

「……うん」

「それであんなにへこんでたの」


 力無く首を縦に振る。

 その時の感情がまたぶわっと押し寄せて、体育座りの私は膝に顔を埋めた。


「少しは……本当に少しかもしれないけど、がんばったんだよ。がんばったけど、でもだめで……次も、その次もだめで……段々、疲れちゃって、辛くって、苦しくって……」


 ミスタリアさんにもティファにも応援してるって言ってもらえた。

 だからがんばった。

 けど、がんばれなくなった。

 前に進もうともがいてもその度にふりだし(教会)に戻され続け、虚しさが積み重なり、いつしか……崩れ落ちた。

 その時は私1人で、ただ俯くしか出来なくて、ログアウトしてしまおうとしていた。もう逃げ出してしまいそうだった。


 ……でも。


 ぽすん。


 私の隣からそんな、誰かがクッションに座ったような音が聞こえた。

 肩に何かが触れた感触がある、そこからはじんわりと温もりが伝わってくる。


「……ホント、不器用よねアリッサって」


 その温もりが本当に温かくて、その言葉が本当に優しくて、弱音がポロポロポロポロと止めどなく溢れてしまう。


「ごめん、ごめんね。ただのゲームの筈なのに、分かってるのに……でも私、もうどうしたらいいのか分からなくて……っ」


 鍛え上げた力を失い、一蹴していたモンスターに敗れた。

 ……怖かった。

 明日私は何をすればいいのか、どうすればいいのか、進んでいた道が途切れて、道に迷ってしまったような感覚が背中を這いずっていた。焦りが、不安が、目標を成し遂げる気概をガリガリと私の中から削り取ってしまっていた。


 キュッ。


 そうして一際強く顔を膝に押し付ける私を、隣に座っているセレナが抱き寄せて、囁いた。


「……なら、やめる? アリッサの言う通りでしょ、これ(MSO)は……どんなにリアルだってゲームなんだから、辛いならやめればいいじゃん」


 ギュウッ、抱き締める力を強めながらセレナは問う。


「前に話してくれた妹ちゃんだって、アリッサが苦しんでまで続けてほしいなんて思わないんじゃないの?」


 ガツン。ハンマーで殴られたような衝撃に、グラグラと視界が揺れる。


「それは………………それはだめだよ」


 フルフルと首を横に振る。掠れた声で否定する。

 夜の暗闇の中、街灯の下で前後も左右も分からず、蹲って、膝を抱えて、俯いて……途方に暮れている。それが今の私。

 それでも――。


「だめだよ、だって約束したの……待ってるって言ってくれたの。楽しみだって、言ってたの。守らなきゃ、応えなきゃ……だって私、お姉ちゃんだも、ん」


 ポロポロと涙が流れる。

 あの子との約束を反故になんてしたくない。きっと今も私が追い付くのを待ってくれている、そんなあの子の笑顔を曇らせたくない。


 ――あの子の笑顔が、見たい。


「そんなの、やだ。やだよ……」


 なのに。なのに。


「でも……でも、どうすればいいのか……分かんなくて、動かなきゃいけないのに……動けない……何でこんなにだめなんだろう、私……私、私……うっ、うっ」


 肩を震わせる。花菜が、クラリスが、挫けた事を知ったらと思ったら、今までの比じゃないくらいに悲しくなった。涙が止まらない。


「そっか。まだ、そう思えるなら…………」

「セレ、ナ?」


 腕をほどき、セレナが立ち上がった。泣き腫らした顔を上げればそこには、変わらずに強い光を放つ瞳が私を射抜いていた。



「私の手を取って、アリッサ」

「何を――」

「一緒に行こう、パーティーを組んで!」



 私に手を差し伸べて、セレナはそう言った。力強く、迷い無く、真摯に、そう言った。


「……ぇ?」


 まっすぐに私の目を見つめるセレナ。私はその申し出が理解出来ず、頭を真っ白にしていた。


「1人でどうしようも無くたって、2人でなら何とかなるかもしんない。そうでしょ? 違う?」

「それ、は……でも、でもだめだよそんな」

「……どうして?」

「だって私のばかの所為で迷惑を掛けるなんて……そんなの、だめ、で」


 自分の責任だからと言うその発言に、セレナの瞳が鋭く細められる。


「あのねぇ……ホンット、バッカじゃないの?!」


 強いその言葉とは裏腹に、セレナはひどく悲しそうに苦しそうに、それでも尚吐き出し続ける。



「苦しくて困っててもうダメだって思ってた、でも手を差し伸べてくれる誰かはいるって! 助けてくれる誰かがいるって! ここは、MSOはそう言う場所だって私に教えてくれたのは、アンタでしょ!?」

「――ぁ」



 それは、セレナとの出会い。

 はじまりの森のセーフティーエリアでお腹を空かせたセレナと天丼くんと三人でお弁当を分け合った、たかだか数日前の、何て事も無い……私たちの出会いの話。


「飛び込んできた私たちを、アリッサは迷惑だとか思ってたの? 違うでしょ?! 見返りなんて気にしてなかった、困ってるから手を貸した、それだけだったんじゃないの!?」


 セレナの声は私の中に木霊する。揺り動かす。


「あの時、何のてらいも無く差し伸べてくれた手が嬉しかった。こんな子と友達になれたらなって思って! なれて! 嬉しくて! でも今度はアリッサが困ってて! だから!!」

「セ、レ」



「助けるわよ、友達だから! 手を貸すわよ、アリッサが泣いてるんだから! 私は、アリッサの友達だから、涙を拭うくらいなんでもないんだからね! この程度で迷惑だなんて思うワケないでしょ!? バカにすんのも大概にしなさいよ!! 友達、なめんなぁああぁあぁっ!!!」



 そう絶叫した……してくれたセレナの瞳からもポロポロと大粒の涙が止めどなく、溢れていた。

 息を荒らげ頬を赤らめる彼女はとても眩しく、とても……綺麗だった。


「……セレナまで泣かなくたっていいのに」

「そんなの、アンタが不器用なのが悪いんでしょ。ったく……私、誰かの前で泣くのなんて初めてなんだから……責任くらい取りなさいよ」


 ぷいっとそっぽを向いてしまう。その様子はすごく可愛くて、さっきまでの深刻さをやっつけてしまう程に、胸に心地よい温かさを届けてくれる。

 凝っていた気持ちすら解かすような、そんな温かさを届けてくれている。


「そっ、か……そっか……それは、責任重大だね」

「そうよ」

「だよね」


 涙を拭う事もせず、セレナは私に手を伸ばし続ける。セレナが私の涙を拭ってくれるのならきっと、セレナの涙を拭うのは……。



「うん……助けて、セレナ」

「遅いっ!」



 キュッ。


 私たちは笑顔で、手を取り合った。互いの手の温かさを感じながら、互いの涙を拭って、支え合って立ち上がる。


(ああ、立てる。また……立てた)


 一人ではどうしようも無かったのに、私の心にまた前に進む勇気と希望が湧いていた。弱気の虫はもういない。


(セレナがばかな私をぶっ飛ばしてくれたから、また立ち上がれたよ)


 込み上げる気持ちを表す素晴らしい言葉を私は一つ、知っていた。




「ありがとう」




 そうして今日、私は大切な友達とパーティーを組むと決めたんだ。

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