第31話「嵐の中で」Ver.B
どうも047です(三度目)。
目次で第31話が二種類表示されている事と思いますが内容について変わりはありません。
変更点は以前同様、一部文章のみです。
Ver.Aでは原文ままでひらがな。
Ver.Bではアリッサが脳内変換した(と言う設定)で漢字となっています。
先に記した通り内容は同じですので、皆様のお好きな方をお読みください。
m(__)m
私の手の中には白い封書がある。
「……ティファ」
表に宛名は無く、裏には小さく小さく『ティファ・ティアンノ』とステラ言語で記されていた。
導きの妖精・ティファ。
彼女はMSOで最初に行われるキャラクターメイキング時にプレイヤーをサポートしてくれる。彼女がいたからこそこのアリッサが生まれたと言っても過言じゃない。それくらい私にとっては思い出深い存在だった。
でも、当たり前だけどあれ以来会った事は無い。もう会えないとそう思っていた……。
なのに私の許には、彼女からの手紙が送られてきていた。
「どうして…………まさか」
私はあの時、ティファと約束を交わした。
『星の一つくらい見つけてみせる』って、何も知らない初心者以下だった私との約束。
一ヶ月も間を開けてしまったけど、それを果たしたらこれを送ってくれた?
だとしたらそれがとても嬉しくて、でも申し訳無くて……胸が詰まる。
私は新たな加護《古式法術》を得た事にわだかまりを感じていた、後悔すら覚えた。
だって今まで使い続けてきた七つの加護を失ったのだ。自身の選択を悔やんでも尚お釣りが来る。
私が解き放った星であるミスタリアさんとの語らいで最早取り返しはつかないのだと諦めはついた。それでも、後悔した事に変わりは無い。
ティファが約束を覚えてくれていて、こうして手紙まで送ってくれたと言うのに私って奴は、と机に突っ伏す私。
封を開けようと指を伸ばし、でも私にそんな資格はあるだろうかと離して、でも読みたいと伸ばし、いやそんな都合のいい話はと離し……を何度か繰り返し、ようやっと意を決して封を開いた。
カサリ。
洋形の封筒の中には二つ折りされた便箋が一枚ともう一つ、羽根が入っていた。
それはずいぶん不思議な羽根だった。手のひらに収まる程度の大きさで鳥の羽根らしいけど半透明で、角度を変えれば光の加減で幾通りにも色彩を変化させる。
「きれい……」
指先でクルクルと回転させる。今は生憎と夜中だけど、陽の光に透かせばどれだけ綺麗だったろう。
一通り堪能したので羽根を置き、封筒から便箋を取り出す。
ドキドキしながら開くと、やはりステラ言語で文章が書かれていた。ひらがなばかりなのはティファなりの配慮だろうか。
『前略 変な星守のアリッサへ。
お久し振りです。私の事を覚えていますか? 忘れたとか言ったら許しませんが。』
……その呼び方は固定ですか?
『今日、見上げた夜空でまた一つ、星が輝きを取り戻していました。
それを成したのが貴女であると知り、急ぎ文をしたためた次第です。』
さすがにものの数分でしたためるのは急ぎ過ぎじゃないかなあ……ああいや、せっかく手紙をくれたのだから細かい所でいちいちつっこむのは野暮だよね。
『約束を守ってくれたんですね、とっても嬉しかったです。
遅いとか思ってませんでしたよ、ええ。』
……最後の一文は……何だかティファっぽいな。
うん、遅かったよね。待たせてごめんなさい。
『長老もすごく喜んでいます。本当に、ありがとうございました。』
そっか、長老さんも……。
ティファの話してくれた長老さんは、ティファが導きの妖精になる切っ掛けとなった人と聞いている。その人にも喜んでもらえたなら、私も嬉しい。
『お礼と言うには少々なりとささやかではありますが、とある品を同封しておきました。よければお役立てください。』
とある品、ってこの羽根だよね……使ったら無くなっちゃうんじゃない? せっかくティファがくれたのにそれは何だか勿体無い。
『貴女にはこれからも数多くの試練が待ち受けているやもしれません、私に出来る事はとても少ないですが、それでも遠くより貴女のご活躍を祈っています。
あらあらかしこ。
導きの妖精 ティファ・ティアンノより。』
カサリ、手紙がかすかな音を立てる。
「はあ…………そっか。祈って、くれてるんだ………………なら……………………がんばってみるよ」
離れていても遠くからでも、そう言ってくれるのなら、やはりもう塞いでばかりはいられない。動かなきゃ。動いて、どうにかしなきゃ。
(情けなくて、ごめんなさい。励ましてくれて、ありがとう)
便箋をそっと封筒に戻して机の引き出しに大切にしまっておく。
「で……これは何なのかな?」
置いておいた羽根を二回タップしてテキスト文を表示させてみた。
『・星刻鳥の羽根。
星の輝きをその羽根に刻む星刻鳥の羽根。
この羽根を持つ者は刻まれた地上の星の許へ導かれると言う』
?
「え、と……どう言う効果なのかな、コレ」
テキスト文から読み取れるのはこの羽根が綺麗なのは地上の星の光を刻んだからで、その刻んだ地上の星の所まで案内してくれる……って事なのかな?
「でも、どうやって使うんだろ」
タップしても特に変化は現れない。
アイテムポーチに入れてウィンドウから操作してもポーチから取り出す事以外は出来なかった。
「……地上の星、かあ。途中に寄るくらいなら出来るかな」
すっと立ち上がってパジャマを脱ぎ出す。時刻は既に九時半を回っている。
今日はもうあまり時間が無いとは言え《古式法術》のテストをしないといけない。気が重くはあるけど、どれだけのものなのか確かめて、それを明日ログインするまでに精査してこれからどうすべきかを決めないといけない。
(どっちもどうなるのかまるで分からないから、移動くらいはなるべく急がないと……)
◇◇◇◇◇
私は挫けていた。
場所的にはマーサさんの家を出て数歩くらいで、地面に手をついて全力で挫けていた。
私の前にはウィンドウが開いていて、そこには《古式法術》で使用出来るスキルの一覧が表示されていた。
『☆《古式法術》』
『・ファイアショット
・ウォーターショット
・ウィンドショット
・ソイルショット
・ライトショット
・ダークショット
・ヒール』
移動しようと〈ウィンドステップ〉を使おうと思ったのに発動せず、スキルを確認したらこの通り。
そりゃ頭の片隅で予想してたけど、実際に失った事をこの目で見るとショックがすこぶる大きかった。1レベルの加護一つで七種のスキルが使えると言う利点が、スポーンと頭から抜け落ちてしまう程に。
「ううう……」
ふらふらと立ち上がり、私はゾンビのようなスローペースの危なっかしい足取りで前進を始めた。もうそんなに時間だって無いんだから、と言う切迫感に突き動かされながら足を動かした。
ぽてぽて、ぽてぽて。
そうしながら歩く道は、大分慣れてきたのにいつもよりも長く感じる。やっぱり〈ウィンドステップ〉が有ると無しじゃ違うんだなあ。
ぽてぽて、ぽてぽて。
些細と呼ぶには大きく、重大と呼ぶには小さい差を肌で実感しながら通い慣れた道を進む。
ぽてぽて、ぽてぽて。
夜の街には灯りが溢れていて賑やかなのに、対照的に沈む私にはどこか入り込みづらい。
ぽてぽて、ぽてぽて。
次第に考え込むでもなく頭をからっぽにしていた、考えるべき事なんていくらでもあったろうに。せめて今は確かめる事だけに注力しようと、それだけを心に決めて。
ぽて、ぴたり。
顔を上げれば巨大なオブジェ。このアラスタのポータルポイントこと地上の星へと私はいつの間にやら到着していた。
「ふう…………始めよっか。星刻鳥の羽根」
ポーチから『星刻鳥の羽根』を取り出して色々と弄ってみた……けど、結果は芳しくなかった。
ポータルの範囲内でタップを行っても、羽根をポータルに当ててみても、耳に当てたりしてみても音も無く、外見上にも変化は無く頭を捻る。
と、そこである事を思い出す。
「そう言えば前に……メルタ村で……」
『ま、ポータルオブジェクトに触って『ムーブ・アラスタ』って唱えるか、ある程度近付いてメニューに新しく増えてる[タウン]から選べば転移出来るから』
メルタ村に訪れた際に、ポータルの使い方が分からなかった私にセレナが教えてくれた[タウン]メニューからの操作が残っていた。
「あ」
[タウン]メニューを開いた私は小さく声を上げた。そこにはアラスタに始まり、メルタ、ラナ、ウテアと行った事のあるライフタウンの名が続くのだけど、一番下に見覚えの無い名前が記載されていた。
[タウン]
『☆アラスタ
・メルタ
・ラナ
・ウテア
・フロムエール』
『フロムエール』……つまりここが星刻鳥の羽根に刻まれたポータルのあるライフタウン、と言う事なのかな。
どうやら羽根は使用するのではなく、持っているだけで効果を発揮するアイテムらしかった。
ああ、確かに手紙には『使ってください』とは書かれてなかったっけ。
(……行くだけ行ってみようか……ううん、今日は時間も押しているし加護も調べないといけないんだからそんな余裕は無いか)
食指を動かされたけど、渋々メニューを閉じる。
そして四方に伸びる大通りの中からはじまりの湿地へと続く東大通りへと進路を取った。
(あそこのモンスターあんまり動かないもんね)
他のフィールドのモンスター、特に飛行型はとにかく動き回るので当てにくい。はじまりの湿地にはその手のモンスターが出現せず、フロッグなら殆ど動かず鳴いてばかりなので都合が良かった(地面が水浸しなのを除けば)。
他にもキャットフィッシュは沼から出てこないし、唯一動くリーチも攻撃力は低いしスピードも遅い(気持ち悪いけど)、灯りも最低限有って、遮蔽物もそこそこの量、などの理由がある。
不快感は高くても、あそこもきちんと初心者用のフィールドなのだ。
(ユニオン……は、いいや)
今回は討伐目的でも無いし攻略も済んでいるので依頼を請けなくてもいいとユニオンを横目に通り過ぎる。
そして東門をくぐりはじまりの湿地へと足を踏み入れた。
パシャッ。
少し進めば狙いやすそうにゲロゲロと鳴いているフロッグを発見出来た。
「ゲロゲロ、ゲロゲロ、ゲロゲーロ」
「他は……大丈夫っぽいかな。よし、《古式法術》の初陣……!」
なるべく離れた位置から周囲を確認。沼などは近場には無く水音も無かった、タイミングとしてはベストと言えた。
確かに大半のスキルが失われたけど、いつまでもへこんでいたら前には進めない。
「すぅはぁ……〈コール・ファイア〉〈ファイアショット〉」
…………………………………………………………………………………………………………あれ?
「〈ファイアショット〉!」
…………………………………………………………………………………………………………ええ?!
お、おかしいおかしい。
杖は光を帯びてる、〈コール・ファイア〉がちゃんと発動した証……それなのに肝心要の〈ファイアショット〉が発動しない?!
「〈ファイアショット〉……〈ウォーターショット〉……〈ウィンドショット〉……〈ソイルショット〉〈ライトショット〉〈ダークショット〉!!」
……………………………………………うそ。
「な、なんで?」
膝から力が抜け、へなへなと崩れ落ちる。スキルが発動しない……ううん、違う。〈コール・ファイア〉は今も発動してる、だから問題は《古式法術》のスキルだけ。
(攻撃用のスキルが使えないんじゃどうしようも無いじゃない……私には杖で叩くくらいしか他に攻撃手段なんか無いのに)
だからこそスキルを使えるようにしないと……でも、本当にどうして使えないの?
さっきメニューを確認した時には7種のスキルがあったのに……。
すぐさまメニューを開いてもう一度確認する。[ギフト]メニューから《古式法術》をタップしてメニューバーから『スキル』を選択して一覧を表示する。
『☆《古式法術》』
『・ファイアショット
・ウォーターショット
・ウィンドショット
・ソイルショット
・ライトショット
・ダークショット
・ヒール』
そこには確かにさっき見た時と同じ七種類のスキルが表示されていた。
「……どうして? ちゃんと〈ファイアショット〉も〈ウォーターショット〉もあるのに、どうして使えないの?」
少々の苛立ちを含んだ声音でウィンドウを凝視し、〈ファイアショット〉をタップした。するとその横には今まで見た事の無いメニューバーが現れたのだった。
『スペル』
これは……この場合は“英語のスペル”とかではなくまさしく呪文と言う意味の『スペル』……だよね。
私には心当たりがある。しかもその可能性にもっと早く気付きなさいよと言いたくなる程の心当たりが、ある。
(ま、さか)
〈ファイアショット〉の『スペル』をタップしてウィンドウに表示されたのは次の文章だった。
『“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ火の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“燃えよ、火の一射”』
この加護を得るきっかけともなった〈ライトショット〉の訳に近い文章がそこに綴られていた。
つまりこれから攻撃の際にはこれを唱える必要がある、と?
(無茶だよ、そんなの!)
こうして一層でこちらから一方的に攻撃出来るならともかく、二層やボス戦であってもこのややこしいスペルとやらを何度も何度も諳じなければならない。
「あ、あは、あはははは」
もはや笑うしかない。
ボス戦でのスキルの連続詠唱はただでさえ負担が大きい。詠唱中に攻撃が飛んでくる事も多いから急遽防御スキルに切り換えなければならない局面もある。
短いスキル名をそのまま用いる事が出来たからこそ対処も可能なのに、こんなに長いと切り換えは難しい上に途中で攻撃を受けて中断してしまう可能性だってある。
おそらくはそれで失敗になり、不発。MPだけが虚しく減少する。
実に想像しやすい未来予想図に肩を落とす。
「改めて考えれば分かる事だよね……」
くらくらと揺れる視界の中、思う。
失った七つの加護のレベルは合わせて80を超えていた。それが一気に1レベルになったとすれば、極端に弱くなるのは当たり前なのだから。
最も高レベルだった《マナ強化》が残っていたお陰でMPだけは心配しなくてすみそうなのが救いではあるけど。
「でも、ここまでとは思わなかったな……っ」
弱くなってしまったとジリジリ理解が及んで歯噛みする。考えの甘さが露呈した、もっと事前準備をしておくべきだったのかもしれない。
……でも、失われた物は戻らない。使った時間は巻き戻らない。
「は、」
なら、と短く息を吐いて立ち上がる。
「どの道この加護を使わなきゃ先に進めないんだったら……使うしかないじゃない」
諦めが色濃く込められた言葉。
今の私に攻撃用のスキルはこの六種類しか無いのだから、まずはやるしか道は無い。もう半分やけっぱちだった。
「“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ火の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“燃えよ、火の一射”」
キィンッ!
「えっ?」
詠唱の完了と同時、地面には私を中心に円形の陣みたいな物が光を発しながら広る。わずかに大きさの異なる二つの円、その内側に描かれた七角の星、それこそ魔法陣みたい。
(もしかして、これも星法陣?!)
ユニオンの窓口で何度も見た不思議な紋様。形はまるで違うけど、この光はユニオンの星法陣が発した光を思い起こされた。
次に陣の縁、円を構成する二重のラインの間には高速でいくつもの文字が打ち込まれるように刻まれ、それがラインの間すべてに打ち込まれた瞬間に一際強く発光して消えてしまった。
(さっき部屋で試した時に足下が光ってたように感じたのはこれだったの?)
そして消えた後、杖の先にはボウッと燃え上がる火の球が生成される。その様子が見慣れた物と変わらなかったから少しだけ安心した。
「……じゃあ、もう一つ。〈コール・ファイア〉、“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ水の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“満たせ、水の一射”」
…………………………………。
「なんで?!」
悲鳴のように声を上げる。またしても〈コール・ファイア〉しか発動しない、足下も何ら変化しない。今回はきちんとスペルだって唱えたのに。
「今度は一体――あっ!」
ある可能性に思い至り背筋が凍る。
待機状態に出来るスキル数は加護のレベルの十の位+1……今まで私が沢山のスキルを待機状態にして使ってこれたのはあくまで加護の数故だった。加護が一つになったと言う事は、待機状態に出来るスキルも……。
「嘘でしょ……」
ドッ。傍の木に倒れ込むように身を預ける。
またも、割と本気でへこんだ。
昨日までマグナム系×12もの数を操っていたのに、今日からはたった一発で打ち止めになってしまった。
「ま、待って……それでも待機状態に出来ないだけ、の筈だよね」
ならまずはターゲティングして普通にスキルを発動、そしてこちらの〈ファイアショット〉をリリースすればいい。そうだ、今までの方法がだめなら工夫して他の方法を探せばいいんだ。
私はよろよろと立ち上がり、ゲコゲコと鳴き続けているフロッグをキッと睨み付ける、間違えないようにスペルを唱え出す。
「“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ水の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“満たせ、水の一射”」
こぷんと水の球が生成され次の瞬間には杖の先から勢いよく飛び立ち、続けざまに更に叫ぶ。
「リリース!」
杖の先で出番を待っていた〈ファイアショット〉が先行する〈ウォーターショット〉に続く。
今の私に出来る攻撃がはじまりのフィールドのザコモンスター相手に果たしてどこまで通じるのか、それをまず確かめない事にはとてもアラスタに引き返せない。私はゴクリと唾を鳴らす。
やがてバシャッバウッと水と火の球が弾け、フロッグのHPゲージが減少していく……でも、それは五分の三の手前辺りで止まってしまう。
「っ、そんなっ?!」
倒せないかもしれない。そんな漠然とした、でも拭い切れなかった予感は悲しい事に的中した。それもより悪い形で。
(まさかあんなに残っちゃうなんて、そうかパラメータ……加護でプラスされてた分が消えて……ああっ、あれじゃあ足りないっ!)
二発で五分の三、つまり〈コール・ファイア〉付きで全体の三割程度のダメージしか与えられないのだから後一発ではどうあっても倒せない。
「〜〜っ、“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ風の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“吹け、風の一射”」
ならせめて一瞬でも早く次を、そう思いスペルを唱える。
なのに。
――シィ…………ン。
「どうしてよ?!」
杖の先には何の変化も無い。待機状態のスキルがある訳でもなければ、〈ウィンドショット〉は初めて使うのだから再申請時間も関係無い。一体なんだって言うの?!
バシャン!
ビクッ?!
すぐ傍から聞こえた水音に、恐慌に陥り掛けていた私の頭はそれこそ水を浴びせられたかのように現実に引き戻される。
(そ、そうだ……私、フロッグを攻撃して、だから……)
はじまりのフィールド第一層のモンスターは平時においてPCがいくら近付こうと反応しない。
反応するようになるのは、モンスターに指一本でも触れてから、法術による攻撃であろうとそれは変わらない。だから。つまり。
「ゲェコ」
「?!」
至近距離まで接近していたフロッグが舌を伸ばしてきた! 私は身を捻ってギリギリ躱す、腕の横を通過する舌に嫌悪感を抱きながら捻った勢いそのままに方向転換、フロッグが舌を戻す間に少しでも距離を引き離す。
(どっ、どうしよう……どうすれば?!)
未だ〈ウィンドショット〉が発動しなかった理由は分からない。いや、最早考える余裕も無い。
今度もそうなったらと思うものの、他の攻撃手段は杖で叩く〈ワンドアタック〉があるのみ、正面切っての戦闘で私に勝機がある筈も無い。
(やってみな、ぐっ?!)
いつの間に距離を詰められて背後への攻撃を食らってしまう!
背中を押される形で倒れ込む。前方にあった木に腕を伸ばして何とか地面への激突を回避する。
HPがぐんぐん減少し始め、とうとうイエローゾーンにまで突入してしまった
「ゲロォッ!」
「あ、〈ワンドガード〉!」
ドゴンッ!
更にフロッグは体当たりでの追撃を仕掛けてきた。私は咄嗟に左手に握っている杖を振るい今使える防御スキル〈ワンドガード〉を発動する。
「きゃあっ!?」
〈ワンドガード〉はダメージを一定値まで防いでくれるけど、一定値以上なら上回った分は私が受ける事になる……この場合は攻撃を受けた左腕と杖が激しく弾かれた。
バシャシャン!
受けたダメージ自体はわずかながら、勢いに負けた手から杖が弾き飛ばされる。
「痛、ううっ! な、“汝、虹のミスタリアの名の下――――」
「ゲロロロロッ!」
ドパンッ!
現状の打破の為にスペルの詠唱に入った矢先、フロッグが〈泥玉〉攻撃を放つ。
躱し切れずに肩口から吹き飛ばされ、またも地面へとくずおれる。もうHPゲージは赤く染まっていた。
「ぁ、ぅ……な“汝――」
立ち上がらないと、逃げないと、反撃しないと……様々な考えが頭の中を巡る。鞭を打ちながら動かす体は、しかしどれも果たす事は出来ず、上からフロッグが落ちてきた次の瞬間、私の視界には『60』のカウントダウンが映し出されていたのだった。
◇◇◇◇◇
そこは仄暗い部屋の中。
燭台の蝋燭がいくつもいくつも揺らめいている部屋の中。
天井には大きな十字が設置されている部屋の中。
そう、ここはアラスタのアスタリスク教会の中にある蘇生の為の部屋の中だった。
気が付けば、私はそこにしとどに濡れそぼって俯せで倒れていた。
「………………………………負け、た?」
あまりの惨状に頭は半ば呆然とする。ようやく喉から出た言葉は弱々しく、情けない。
(前にここに来たのは再開二日目だったかな……)
それ以来ボスとの戦いでだって苦戦はしても切り抜けてきたのに、ザコモンスターを相手に、それもこちらから先制攻撃をした上で敗れるなんて……。
「どうしよう」
ポツリと呟かれた一言に、私の戸惑いは凝縮されていた。今回の事を踏まえれば、もっと慎重に行動すればザコモンスターくらいなら何とかなるかもしれない。
けど、ボスの強さはザコの比じゃない。それを相手取れるまでにどれだけ掛かるのか全く分からなかった。
だから、私は途方に暮れた。
この部屋には誰もいない、誰もやってこない、それがまるで私だけ取り残されたような(半ば間違いでもないだろうけど)錯覚を生み、尚の事気分を落ち込ませる。
手の中に戻ってきていた杖を支えに体を起こす。
私の心は、疲れていた。でもそれ以上に満たしていたのは……焦燥。
「どうしよう……どうにか、しなきゃ」
視界はぼんやりとしていた、焦点が合っていない。ふらふらと覚束無い足取りで教会を出る。神父さまやシスターさんに出くわさなかったのは、きっと不幸だったのだろう。
夜の街を私は走る、走る、走る。見る人が見れば笑われるような風体だったかもしれない。それでも私は何かに急き立てられるように東を目指して走り続けている。
近場である筈のはじまりの丘陵でないのは、先程はじまりの湿地を選んだ理由と同じだったろうか? あるいはリベンジでも……いや、そんな度胸がある筈も無いか。それとも誰かにこんな醜態を見られる可能性が少ない場所を選んだだけかもしれない。
けど、そんなボロボロの精神状態で何が出来る訳も無い。
はじまりの湿地へ赴くも呆気無い程に負けて、十分と経たずに教会へと送り返される事になった。
「は……あっ」
俯せていた私はそれでも震える四肢になけなしの力を込める、どうにかゆらりと立ち上がって扉へと向かう。後はまたがむしゃらにはじまりの湿地へ駆け出す。
そして――また同じ事を繰り返す。
開いた目の前には見慣れてきてしまった床がある。私はまたこの教会の一室に倒れ伏していた。
「な、んで……なんで……っ」
悔しさにタン、と力無く床を叩く。ぐぐぐっと腕に力を込める、転がる杖に手を伸ばす……二度は立ち上がれた、だからまた立ち上がって、扉に向かって、でも……もう、ノブを回すには至らない。
足から力が抜け、ズルズルとへたりこむ。
「…………………………ふっ……うっ……」
漏れたのは、嗚咽。
唇を噛んでいる、視界が滲んでいる、肩が震えている、顔もきっと歪んでいる。
どこかが折れていた、何かが挫けていた。
どうにかしたいのに、どうにもならなくて、前に進むだけの力がボロボロと零れ落ちてしまっていた。
(…………どう、しよう……も)
疲れていた。とても、とても。もうログアウトし(逃げ出し)てしまいたかった、してしまおうと、そんな甘い誘惑に駆られるままメニューを開く。今日は……マーサさんにこんな顔を見せられる筈も無い。だからここからでいい。
(どうせ次のログインはポータルからになるなら、どこで終わったって変わらないもの)
そしてウィンドウに指を伸ばした。
ピリリリリ……ピリリリリ……。
「……え?」
不意に甲高い効果音が響く。ウィンドウが追加表示され、チャットの着信が告げられた。
相手は――――――。




