第30話「ロスト」
「くんかくんかくんかくんか、くかー」
「……どうして現実にはGMコールウィンドウが実装されてないんだろう。今ならもれなく即タップするのに」
べったりと油汚れよりもしつこい花菜を引き剥がす。
ベリッ。
「ていっ」
ぽすっ。
「zzz……」
ここは花菜の部屋、そのベッドの前に私は立っている。ちなみに私は制服で花菜はパジャマ。
毎日ではないけど、週に2、3回はこうして起こしにこさせられていた。私は目覚ましじゃないって言うのに……。
誤解の無いよう言えば、これはMSOを始める前からこんなもんなので、昨日のようにゲームを理由に目覚まし役を突っぱねるに至っていない。
出来れば自力で起きてほしいと思ってはいるんだけど中々上手くいかない。
その理由が……床には無惨にも欠けたり割れたりしている目覚まし時計くんが討ち死になさっていた。
(報われないなあ……)
花菜は睡眠を邪魔する物には容赦が無い、およそ1日周期で繰り返される惨劇には彼のプラスチックな軽量ボディ(金属製では逆に花菜が危ないので却下された)では荷が勝ち過ぎているのだ。
それでも毎朝身を奮って叫び続ける彼に哀悼の意を表さずにいられない。
「ふにゃ……あ、お姉ちゃんだ! おはよー!」
そして私だと無意識に接近を感知して抱き付き自動で覚醒する(どんな生態なのだろうか)。私が目覚まし役を押し付けられる原因である。
「早くない早くない、遅いから来たの! ホラ、早く下に行くよ!」
「ヤん♪繋ぐなら手がいいよぉ」
襟を引っ張ってズリズリと引きずる。いつの間にこんなにおっきくなったんだか、ああ、重いったらない。
(…………)
そうして左手に花菜の重さを感じつつ、右手でドアノブを握った所でふと思う。
(…………普通、だよね。私)
右手を胸に当て、心の片隅でそう自問した。でも、答えは出てこない。
唯一いつも通りの、左手から伝わる当たり前の花菜の態度が、今はひどく頼もしかった。
◇◇◇◇◇
下に降りた私たちはお母さんが朝ごはんを用意する間に花菜の髪だけでも梳かすべく、駆け足気味にブラシを上下させていた。
「何だって毎朝こんなに忙しなく時間に追われないといけないの……」
「あははー、お姉ちゃん。人生長いんだからそんなに急いだら息切れしちゃうよー」
「だ・れ・の・せ・い・だ・と(ギリギリギリ)…………」
そうして不意に思い出す。少なくとも昨日、花菜の夜更かしを助長したのは私である事、するとどうした事か朝の清々しい空気に少し影が落ちたような気がした。
思い出す度に恥ずかしさに悶える。
昨日の、錯乱が何だったのか。私自身にもよく分からない。胸が締め付けられたような感覚が一体何を指し示すのか……それを理解しようとするのはひどく……怖かった。
情けない話だと思う。
普段花菜に散々好きな事を言い散らしているくせに、当の自分があんな様で……そしてそれを解決しようとするのすら怖じ気付いているのだから。
動かしていた手を止める、意を決し背中を向けて上機嫌そうに鼻歌を歌う花菜に話し掛ける。
「花菜、昨日は――」
「昨日はごめんね、お姉ちゃん」
「え?」
けどそれは被せるように発せられた花菜の一言にかき消されてしまった。
「ど、どうして花菜が謝るの? 昨日は私がおかしな真似をしたんだから、謝るなら私が……」
「違うよ。あたしが“あんな顔”したのが悪かったんだよ。だから、ごめんなさいしなきゃいけなんだよ」
「……」
あんな顔、思い出すのも躊躇われる花菜の“顔”。本来関わり合いになりたくないような人に向けられる顔を、昨日私は初めて見て、向けられた。
冷たく鋭いそれを見た私は動揺し、花菜にすがり付いて泣きまでした。
「あれから、布団の中で改めて想像したんだよ。もしあたしがあんな顔をお姉ちゃんに向けられたらって」
花菜は背中を向けたまま、ぽすんと私の胸の中に倒れ込んできた。私は自然と肩を抱き、静かに花菜の話に耳を傾けた。
「ヤだった。死ぬ程ヤだった。もしされたら……おでこを擦り付けるくらい土下座して、見捨てないでってすがり付いて、喉が嗄れるまで謝って、涙が涸れるまで泣きじゃくって……それでもダメで、目の前が真っ暗になって、この世の終わりみたいに思ったよ。布団の中でほんとにちょっと泣いたし」
花菜は自分の体を抱きブルリと震えた。今もまたその事を想像したのかもしれない。
「花菜…………私も、そんなの嫌」
そんな風になった花菜を想像でもしたくない。強く強くそう思った。
だって、優しいこの子に何より似合うのはお日様みたいな温かい笑顔だもの。いつだってそうでいてほしいと思える笑顔だもの。曇ってなんてほしくない。
「大切な人にあんな顔しちゃいけなかったんだよ、あんなに……悲しくて、辛くて、苦しくなっちゃうから。だから、ごめんなさい」
肩を抱く私の手に、そっと花菜の手が添えられた。当たり前ながら私よりも小さいその手をギュッと握り締める。
「……なら、そもそもそんな顔を花菜にさせちゃったのは私だから、私もごめんなさいだね」
ふっと笑い、花菜を押し戻す。
「さ、早く髪を整えなきゃ時間が無くなっちゃうよ」
「うんっ」
私は髪を梳く作業に戻る。花菜も憂いが取り払われたからか、ウキウキと体を揺らしている。
(…………)
そうしながら、私は心中で考えていた。
(花菜も、同じ……家族だから、姉妹だから、大切だから……そうだよね)
それでいい筈なのに、どこか何かがしこりのように残っていた。どこだろう? 何だろう? 疑問は晴れない。
外では、しとしとと雨が降っていた。今日が始まろうとしているのに、先行きはどこか見通せない。
◆◆◆◆◆
スッ、スススッ、スッ、ピッ、ピッ。
今日は学校から帰ってログインしてからずっとこうして〈言語解読〉のウィンドウに向き合って、加護のレベルアップに勤しんでいた。
今は既に昨日から1レベル上がって5レベル。
だったらいっそ今日いっぱいはレベルアップの為に使わなければならないかもしれない。 ただ架空の物とは言っても日本語とはまったく異なる言語なのでそれで文章まで書けるようになるかと問われれば難しく、せめて2桁くらいのレベルは欲しいのが本音だった。
他の加護の感じからするとどうも10レベルからレベルアップに必要な経験値がかなり増大してそうなので、ひとまずそこまで上げ切ってしまおうか、そんな事を考えている。
(まあ、そんな簡単でも無いだろうけど……)
画数の多い漢字であれば経験値の入りも良くなるとは言え、やはりレベルが上がればそれだけレベルアップに必要な経験値が増えるのだから、次第にペースは落ち始める。数日に分ける事も考えたけど、複数の事をこなせる程自分が器用とも思っていないのでまずはこれを集中して済ませてしまおうと思う。
経験値の情報の確認を済ませ、〈言語解読〉ウィンドウに戻す。
(集中力が続きますように)
動かし続けた人差し指をマッサージする。両目を閉じて深く息を吸い込む。
残り時間は1時間弱と言った所。6レベルまで上げてログアウトしたい。
(さあ、再開。がんばるぞっ)
◆◆◆◆◆
「休でしょ、気もそうだし糸とか竹に……年、百と回、光。えっと後は……(ぶつぶつ)」
「結花。危ないからそんな調子で箸を動かさないで」
どこか心ここにあらずと言った雰囲気の私をお母さんが止める。
さっきのは6画漢字、無事《言語翻訳》を6レベルに上げられたので今のうちに思い出せるだけ思い出していた。
〈言語解読〉を長く続けた結果、どうも同じ文字ばかり入力し続けると経験値の入り方が悪くなるようなので出来るだけ多く思い出そうとしていたら……注意されちゃった。
普通に料理を口に運んでいただけだとおもうんだけど……そんなに危なっかしく見えたのかな?
「お姉ちゃんはアレだよね。集中の仕方が不器用なんだよ(もぐもぐ)。何て言うか危なっかしい、みたいな」
「そんな事は――」
「でも前に集中してる時に抱き付いてもしばらく気付かなかったよ?」
すぱーん。
おでこにチョップが綺麗に入った。
「……お母さん。私、身の危険を感じるんだけど気の所為じゃないよね?」
「結花。愛されるって素敵な事だと思わない?」
「時と場合と相手によります! って言うか、目を逸らしながら言われたって説得力なんて欠片も無いんだってば!」
「おごご……」
「ねぇ、さっきのは一体何だったの?」
晩ごはんを食べ終え食器を洗っていると、隣で洗った食器を拭いていた花菜に問い掛けられた。
「さっきの?」
「お姉ちゃんがぶつぶつ呟いてたヤツ」
「ああ……MSOの加護でちょっとね」
言ってからしまった! と思う。隣を覗き見れば花菜はギラギラと瞳を光らせている。この子のいる前で迂闊にゲームの話題を出せば長引くのは自明の理だったと言うのに……油断した。
「どんな加護?!」
「別にそんなに勢い込んで聞くようなのじゃないんだけど……《言語翻訳》は前に話したよね。昨日はそれに関する〈言語解読〉って言うスキルをエクストラ修得したから、そのレベルアップの為に入力する漢字をピックアップしてたの」
それで怒られちゃ世話がないのだけどね。
「何だお姉ちゃん〈言語解読〉取ったんだ」
「やっぱり知ってたんだ。もしかして花菜も持ってたりするの?」
「あはは、やだなー。あたしはガチで戦闘特化に決まってるじゃない」
……まあ、そんな気はしてたけどさ。戦う以外のクラリスの姿を思い浮かべられないのは私の想像力が貧困だからなのであろうか。そうであってほしいなあ。
「持ってるのはフィンちゃんだよ」
「彩夏ちゃんが?」
フィンちゃん、フィンリーこと山城彩夏ちゃん。背が高いけどおとなしめな花菜のお友達は、確かにメガネでも掛けて図書館の隅で本を読む姿を容易にイメージ出来る。
「《言語翻訳》は〈言語解読〉があれば『古代語』の和訳が出来るからねー。むしろそっち目当てで取るって人もいるよ」
「古代語? ステラ言語でなく?」
「一般的に使われてる汎用語がステラ言語、ず〜っと昔に使われてたのが古代語だよ。古文書とか古いって設定のダンジョンなんかにはたまに古代語で書かれたメッセージとかが残ってたりするんだよ。だからフィンちゃんが役立つだろうからって取ってくれたの」
「へえ、そんな事も出来たんだ……古代語は《言語翻訳》だけじゃ読めないの?」
「ダメらしいね。《言語翻訳》はステラ言語オンリーだって言われてるよ。普通に本を読むだけなら《言語翻訳》だけで十分だけど、別に修得にマイナス要素も無いからね。攻略組だけじゃなくて、古代の薬の調合法とか金属の錬成法とかもあるから生産職でも割と持ってそうかなー」
なるほど、〈言語解読〉にはそんな使い方もあったんだ……。
薬とか金属があるなら、昔の法術とかもエクストラ修得出来たりするのかな?
「でもどうして〈言語解読〉取ったの? 《言語翻訳》取得したってのは聞いたけど、『字が読めないと不便』ってだけだったでしょ、古代語の事も知らなかったみたいだし……何で?」
「え、」
言葉に詰まる。ど、どうしよう。お礼の手紙を書きたいから、なんて何だか気恥ずかしい……。
「ハッ! あたしの直感が告げているっ、さては「違うね」まだ何も言ってないのにっ!? くうっ、お姉ちゃんとの以心伝心がこんな所で仇になるなんてっ……」
「以心伝心ならそもそも間違わないと思うな」
仕方無く所々はしょって話す。すると驚いた事に、そう言う事ならばと花菜が残りの片付けを引き受けてくれた。
「経験値稼ぎの大変さはこれでもかってくらい分かってるからね。たまにはお姉ちゃんの代わりに家事の手伝いをしたげるよ」
「普段からその気遣いを……いえ、いいか。せっかく花菜が自分からそんな殊勝な事を言い出してくれたんだから、甘えさせてもらおうかな」
と言っても大体はもう片付いているけど、張り切ってる花菜に水を注すのも悪いのでそのまま部屋へ下がらせてもらう事にした。
「ありがとね」
「うんっ! がんばってねお姉ちゃん」
「うん、全力を尽くしてみるね」
キッチンを花菜に任せ、今日中に目標レベルへ到達させる為に2階へと向かうのだった。
◆◆◆◆◆
「ふう。これでもう一息、かあ〜」
凝ってる訳でも無いけど、右肩を揉みほぐす。
目の前にウィンドウにはレベルアップの告知、《言語翻訳》が7レベルへと上がったのを報せていた。
花菜の言っていた通りならいずれ役立つ事もあるだろうと今は可能なだけレベルを上げておこうと決めたのだ。
「これでひらがなとカタカナが7文字まで解読出来るんだよね。長めの言葉でも試しに入力してみようかな?」
とは言え、漢字の画数ばかり意識していたのでそろそろ趣を変えてみたくなった。何せ晩ごはんの休憩があったとは言え3時間以上これなのだから。
「何がいいかな……」
それから少しの間、私は現実やこちらの固有名詞を思い付いた端から次々に入力して適当に買ってきたノートに書き込んでみた。結局はステラ言語になるのは同じとは言え、気分転換としての結果は上々だった。
そして、もうそろそろ経験値稼ぎに戻ろうかな、そんな風に思い始めた矢先。
それは起こった。
「え?」
私の口から零れたのは疑問の声。
瞳が捉えるのは〈言語解読〉ウィンドウ。困惑に固まった指は宙に留まったまま。
「何、これ?」
今度は明確な言葉として疑問を呈する。しかし答えが返る筈も無く、クエスチョンマークの浮かぶ頭で何が起きたのかを思い出す。
(えっと私、解読したんだよね)
そう、それだけ。そして結果はウィンドウにきちんと表示されている。ただそれだけの事だった、筈。
(なのに、どうして?)
解読しようとした言葉は上限であるカタカナ7文字。難しい文字でもない。だと言うのにウィンドウに表示された文字は、
およそ100文字近いステラ言語に化けていた。
今までこんな事は無かった。
そもそもの話1つの単語からこんな量の文章と呼べるくらいに増えるなんて明らかにおかしい。
(どう言う事なんだろう? ただ――)
ただ――――スキル名を入力してみただけなのに。
◇◇◇◇◇
あれからどれくらいの時間が過ぎているのだろう?
確認してはいないけど、時刻は既に9時を過ぎているのは間違いない。
私はあれから、〈ライトショット〉と打ち込んでから、少々試してみた。例えばライトとショットを別々に打ち込んでみると普通に解読出来た、けど同じくスキルとなると〈ヒール〉や〈キュア〉含め似たような結果となった。
これが何かは分からない。
けど自身の用いるスキルに、何か隠された要素がある。
それは私のモチベーションをずいぶんと引き上げた。
「“彼方を”……」
カリ、カリ、カリ。
私は今、例のステラ言語訳の長文の和訳へと取り組んでいる。いちいち覚えるにはかなり長いので買っておいたノートが活躍してくれていた。
教本とウィンドウを参考にしながらノートに書き込む様は現実とさして変わらず、私には珍しい事に慣れた様子で経験値も増えていき、今まで以上に精力的に解読に邁進したお陰か現在は7レベルを通り越して8レベルにまで達している。
やはり直近で興味を引かれる事があると違うなあと実感する。
カリッ。
そうして、何とか私は全文の和訳を完了した。
「終わったあ〜、これはいくらなんでも長過ぎでしょ……」
苦笑する。毎日唱えていたスキルに、こんなにも長い文章が隠されていたなんて……一体どれだけの人がこの事を知っているだろう。それとも周知の事実だったりするのかな?
「でも、うん。疲れたけど続けて良かったー」
予想よりも気合いが乗ってレベルアップも早くなった。ただ漢字を書き続けるよりも他のスキルの文章も同じように試してみようかな?
「すーっ、はーっ」
私は一度深く息を吸い込むとノートに書いた和訳文へと視線を落とした。
「“汝、黄のエルーガの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ光の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊なり”。“輝け、光の一射”」
「……って、やっぱり恥ずかしい〜。こんなの1人の時じゃなきゃ――?!」
気恥ずかしさに身を捩っていると突然右手が輝き始め、そして足下からも光が放たれている!
「えっ、えっ、何コレ……ひゃうっ!?」
手を上向けると、手のひらから黄色い光の球=〈ライトショット〉が生成され、それと同時に足下の光は消えていった……。
「こ、これって〈ライトショット〉? ……えっ、この文章からでもスキルって発動するの?!」
確かにあの文章は元々〈ライトショット〉のステラ言語訳を経て更に和訳した物だからある意味当然……なのかな?
だとすればあれは文章と言うよりも、まさしく呪文だったのか。
空中にふわふわと滞空する光の球に驚いているのも束の間、これはどうすればいいのかと慌ててしまう。
「えーっとえーっと……説明書には何て書いてあったんだっけ。スキルを途中で停止させるには……ターゲティングしてから『キャンセル』、だったっけ?」
ターゲットサイトで光球を捉えてキャンセルと言うのと同時に、パチンッと音を立てて弾けて消えた。良かった、間違ってなかった。スキルを自分で消すなんて初めてだったから思い出すのに手間取っちゃった。
「ふう……こんな意味があったんだ」
1つ息を吐く。
私は机の上に置いてあるノートに手を伸ばす。紙の質はかなり荒い上に紐で縛ると言う、史料か嗜好品以外でお目に掛かる機会も手に取る事も無かったと言える古めかしいデザインのそれには私の字がいくつもいくつも書き連ねられている。
(なら……こっちはどうなのかな?)
その中には先程の呪文、そして隣のページにはカタカナの文字列が書き込まれている。それなりの長文は日本語や英語などの見慣れた物ではなく、一見しただけでは意味不明の文字の羅列でしかないだろう。
私はそれをゆっくりと間違えないように音読していく。
そして。
キィン!
再び手と足下が光り輝き、手の平からは黄色い光の球がポン! と飛び出した。
「ああ、やっぱり。訳が間違ってなくて良かったあ」
発動した〈ライトショット〉を満足しながら眺める。
〈言語解読〉ウィンドウでステラ言語を解読すると読み仮名も表示されるので書き留めておいたのだけど、やっぱりスキルはステラ言語でも発動するのだ。
「でも、むしろこっちがデフォルトなのかな……まあどっちもまず実戦じゃ使えないけど……何でこんな事が出来るんだろう?」
何だか無駄な所に力を入れているなあ、と苦笑を浮かべながら〈ライトショット〉をキャンセルする。
ポーン。
「え?」
私の耳に効果音が響く。そして新たにウィンドウが開かれた。
『【加護契約】【NEW!】
未だ眠りに沈む星との結び付きが強まりました。
星を目覚めさせ、契約を交わしますか?
▼』
「加護の契約?! もしかして今の呪文を読み上げるのが条件だったの? ……でも、あれ? 何だかいつもと文章が……えっ、コレってまさか……」
目を左右に忙しく動かして、何度も何度も確かめる。やがて喜びがフツフツと胸の中から沸き上がる!
「まだ眠ってる星って事は……私が初めて見つけた、って事?! すっ、すごい、すごいすごいすごいすっごーいっ! こんなの初めて! あー、どうしよ。急だったから興奮してきちゃったー、わあーっ」
きゃっきゃっとやたらめったらはしゃぐ。でも誰も見た事の無い宝物を発見したようなものなのだ、初めてでもあるのだから大目に見てほしい。
「あー、どうしよどうしよ、クラリスに言ったらびっくりするかなっ……ん? あれ、スクロール?」
興奮の中、改めてウィンドウの文章を読むと、一番下には[Yes][No]の選択肢ではなく矢印があった。この文章以外にも知らせるべき事があるみたい。
この新しく発見した事を告げるウィンドウ自体初めてだったので、私は特に不思議に思う事も無く矢印をタップした。
――それが私の運命を大きく変える選択肢への誘いだと知る事も無く。
『▲
【CAUTION】
※ただし、その場合現在取得している《火属性法術》《水属性法術》《風属性法術》《土属性法術》《光属性法術》《闇属性法術》《聖属性法術》の全ての契約が解除されます。
[Yes][No]』
「え…………え、え、えええぇえぇーーーっ?!?!」
絶叫が迸る。ご近所のみなさん、うるさくしてごめんなさい。
「ちょっ、えっ、契約解除って何?! ま、まさか……まさか……加護が無くなっちゃう、の?」
呆然と呟いた。
星の加護は星守と契約する事で力を与えてくれる……それが解除されるとなれば、今まで必死に経験値を積み上げたレベルも、向上したステータスも、使い慣れたスキルも、そのすべてが失われてしまう、と言う事ではないの?
「そ、んなのって……ないよ」
がくっ、と肩を落とす。
そんなのOK出来る訳が無い、だって今のレベルにするまでどれだけの苦労を重ねたと思っているのか。それを捨てろと言われたとしたって、ほいほいと出来る訳が無い。
よりにもよって、どうして見つけた加護がこんなのなんだろう……ウィンドウをもう一度見ても文章は変わってはくれない。
「………………ぅ」
でも、[No]をタップする前に指は止まってしまう。心に残るせっかく見つけたのに、と言う思いが止めてしまう。
このままでは何も出来ない。どうしよう、どうすれば……頭を悩ませていると、前に花菜が言った言葉がリフレインされた。
『キャラメイクの初期スキルって大体王都で取れるらしいし、効率的なスキル構成なんて後からでも出来るし!』
ドクン。
クラリスの言っていた事が本当なら、王都に行けば今持っている加護は手に入る。レベルは……どうなんだろう、分からない。
ただ、少なくとも再び手に入ると言う情報が混乱を更に助長し、考えはぐるぐると私の中に渦を巻く。
この場で契約すべきなのかな? だって今はこうして私が初めて見つけたとされているけど、次に見た時もそうとは限らないのだから……何だか勿体無い。
でも、はじまりの草原は未だ突破していない。7つの加護を失ってどうにかなるの?
様々な考えが浮かんでは消えを繰り返す。両手で顔を覆う、頭を抱える。焦りに猛る心臓の鼓動は果たして幻聴の類いなのか。
(そ、それならほら、まずは王都に行ってから。そうすれば無くなってもまたすぐに取得し直せるじゃない)
王都ははじまりの草原を越えた先にある。どれだけ離れているかは分からないけど、1日2日あれば多分辿り着ける筈。
勿体無くはあるけどリスクが大きすぎるのが悪い。間を置けば熱も冷めて冷静に判断する事も出来ると思う。
(そうだよ、そうそう。もし誰かが先に取得しちゃっても運が無かったってだけで……その後でも普通に取得出来るだろうし、実質的には私が損をする訳でもないんだから、名残はあるけど仕方無いよね)
そう結論付けて私は[No]へ指を伸ばす。
――私ほら星守、なんでしょ? だから……。
――だから、誰も見つけてない星の1つくらい、見つけてみせるから。
――……はい、ありがとうございます。
短く息を吸う。
それは1ヶ月以上前の事、このゲームを始めた直後の話、このアリッサが生まれてもいなかった時に出会った小さな小さな女の子との……約束だった。
今。
その約束を果たせる場所に、私は立っていた。
……私の指は、
◇◇◇◇◇
「……〜〜〜〜〜〜」
私は背中を丸め、頭を抱え、机に突っ伏していた。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう…………)
勢い任せにとんでもない選択をしてしまった……。
最初に戻る、なんてレベルじゃない。それこそマイナスにまで足を突っ込んでいる。
ドクドクと不気味に高鳴る心臓は今後の不安に怯えているよう。俯いたまま頭は上がらず、まぶたを開く勇気も無い。目の前同様、気分は真っ逆さまに暗闇へと落ちていった。
だから、自分の身に何が起こったかを気付かずにいたのだ。
『面を上げよ、我らが守護者』
「えっ!?」
突如私に向けられた声に驚き目を開く――――が、そこで私は尚の事驚く事になる。
だって、目の前に広がるのは私の部屋ではなかったのだから。
「な、え、守護……え?」
周囲は暗い、真っ暗闇だった。そんな中で何故か私の体だけがいやにハッキリと見える。
「な、何が……あ痛っ?!」
ガンッ!
立ち上がろうとした私は何かにぶつかってしまう。手探りで確かめてみるとどうも机と椅子らしい、つまり暗くて見えないだけで家具はそのままだったみたい。
何も見えない状態で動くのも危ないので椅子に着席し直す。
『守護者よ。我が見えるか?』
「見えるか、って真っ暗じゃ――!?」
確かに、首を巡らせても周囲は真っ暗。でも、視線を上に向ければ中天に大きな大きな星が綺麗な光を湛えていた。この暗闇に唯一あるもの、だとすれば……。
「星……なの?」
確かに星守は正式には星の守護者だから、相手が星なら『我らが守護者』と呼ばれるのも頷ける。
『如何にも。我は魔なる眠りからそなたが目覚めさせた星が1つ、名をミスタリアと言う』
ミスタリアと名乗った星は声に合わせるように瞬く。
その声は優しく、どことなくお母さんにも通じる包容力を感じさせた。喋り方はともかくとして。
「星って……喋れた、んですか」
そんな話は聞いた事が無かったので、ポカーンと口を開けて間の抜けた顔を晒してしまう。
『無論である。が、それも我を救いたもうたそなたへの敬意故。さもなくば軽々に言葉を交わしはせぬ』
「そ、そうなんですか」
敬意なんて、と内心困惑しながら、先程までのような醜態を誰かに見せられる筈も無く努めて平静を装いながら中天の星、ミスタリアさんの話に耳を傾けた。
『うむ。目覚めと共に世の窮状は理解した、魔の闊歩を許した事は甚だ業腹であるが、我は今ひと度愛しき小さな命たちの力となる機を得た。それも総てはそなたが我を目覚めさせてくれたからに他ならぬ。我はそなたの尽力にこの上無く感謝しているのだ』
「あ、いえ、そんな……単なる偶然でしたから」
しかも悩んで、[No]をタップしようとしてたし……素直には返せない。
『謙遜は不要だ、我を救ったのは紛れも無き事実である。そも偶然でも構わぬのだ。願えるのならば、これからも我らが同胞を魔なる眠りから救ってほしい。その為ならば我はそなたと契約を交わし持てる力を託そう』
「け、契約……」
ヒクッ、と口の端が引きつった。とは言え、星に人格があると分かった以上『契約しちゃって落ち込んでる』なんて失礼な事を悟られる訳にはいかない。
『む、出来ぬと申すか?』
「い、いえそっちでなく!」
『そっち?』
「いやいやいや、ちょっと責任重大だなあと思っただけです、はい! その……非力の身ではありますが、出来るだけやってみます」
力、《古式法術》だっけ……どんな加護かはまだ分からない。せめて代償に失った7つの加護に見合うものである事を願うばかり。
『そうか……期待しよう。では、ひと度の別れだ』
ミスタリアさんはそう言って光を強め、真っ暗だった世界は真っ白へと染め上げられた。
眩さに目を細めたその時、耳にかすかに優しく温かい声が届いた。
『ありがとう。我らが守護者、アリッサよ』
そうして、次に目を開けると、そこには見慣れた部屋があった。
はあ、一息吐く。
「ありがとう……って、そんな事言われたら弱音なんて吐いて入られないじゃない」
気分が晴れた訳じゃない。ただ、ミスタリアさんと話してもう後戻りなど出来ないのだと理解してしまっただけ。
それでも塞ぎ込んでもいられないとは思う。そんな事では――。
「ん?」
ポーン。
『【加護契約】
星と契約を交わしました。
星の加護《古式法術》がギフトリストに登録されました
▼』
ちなみにウィンドウには7つの加護が失われた事が追記されていました。確認しなくてよろしいですよ、もう。
「あれ?」
ポーン。
『【称号獲得】
〈星の先駆者:古式法術〉』
星の先駆者?
称号なんて久しぶりだけど……どんな効果なのかな。
ポーン。
……まだあるの?
『【シークレットクエスト】
《小さな妖精のささやかな願い》がクリアされました。
Congratulations!
【クリア報酬】
ティファからの招待状[×1]』
――――――――――――――え?




