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第28話「もしかして、もしかする?」




「…………う〜ん」


 はじまりの湿地のボス戦を勝利した私はボスエリアを抜け、一本道を歩いていた。

 そこはまだ多少地面が湿っぽくはあるものの1層や2層よりかはずいぶんとマシになっていた。具体的には歩きやすい、気分がいい。

 そしてその道の脇には並ぶようにサラサラと流れる小川がいつの間にやら出現していた。

 今、私の視線は底の小石まで透けて見える小川へと向けられていた。


「……えい」


 左右に首を振り、誰も居ないのを確認するとやにわにしゃがみこみ、パシャパシャと手洗いを開始した。

 綺麗な川面を茶色い泥で汚してしまって申し訳無いけど、せっかく手を洗えるチャンスがあるのだから見逃せない。ついでにと杖を洗い、髪をまとめて顔も洗ってしまう。ひんやりとした水が気持ちいい。


(欲を言えば、この全身泥まみれをどうにかしたいんだけど……)


 正直戦闘では高揚していてまだ気にならなくても、改めて見ればずぶ濡れなのだから感触は良くないし、それなりに重いし、何より茶色に染まってるしで……意識が向いてしまえば尚の事悪感情が増幅されてしまうのであった。


(はあ……帰るのが憂鬱だよ)


 このまま街中を通らねばならないのもだけど、マーサさんに洗濯してもらっている服を汚してしまったのだ。これはもう洗濯の仕方を教えてもらって自分でするしかないのではあるまいか……。

 あ。


(そうだ、新緑の外套と帽子だけなら……)


 新緑の外套は緑と茶のマントだ。体をすっぽりと覆うので汚れも酷いけど、逆に言えばこれと頭の目立つ初心者のトンガリ帽子さえどうにか出来れば服の汚れをカバー出来るかもしれない。


(………………………………だれもこない)


 チローリ、チローリと左右を見るけど人の流れは無い。元よりはじまりの湿地には人が少なく、ここのボスエリア一面が泥んこなのもあり評判が悪い。

 この先に行くには次の村にポータルを利用して移動すればいい訳だし、戻りたければ〈リターン〉もある。今更ボスを攻略してここを通る人も珍しいんだろう……。


(…………よし)


 胸元で結ばれている紐を解いてバッと外套を脱ぐ。そして脱いだ外套を小川に突っ込んでバッチャバッチャと音を立てて外套を揉み洗う。

 頭の片隅で、誰も来ないで! と念じつつ、〈ライトアップ〉の明かりで汚れがあらかた落ちたのを確認すると、今度は渾身の力を込めてずぶ濡れになった外套を絞る。


 ぎゅーーっ、ぎゅぎゅーーっ。

 ざー。ぽたぽた。


「…………力が無いなあ私」


 あきらかに絞りが足りずまだ水分が残ってるけど、これ以上は期待出来そうにない。

 パンパンとシワを伸ばして再び外套を羽織る。キュッと紐を蝶々結びにする。


「んー…………平気、だよね」


 多少のシワは残っちゃってるけど、元々木を模した物だしあまり気にはならずにすむと思う。


「あ、そだ。忘れないうちに……」


 メニューの[装備]ウィンドウを開く。



[装備]

『[武具]

 両手:初心者の杖

[防具]

 頭部:初心者のトンガリ帽子

 胸部:初心者のケープ

 腰部:―

 腕部:―

 脚部:―

[服装]

 体:初心者のローブ

 足:初心者の靴

 腰:初心者のアイテムポーチ

 下着:初心者のランジェリー

[装飾]

 指:初心者の指輪

 体:新緑の外套

 指:耐毒の指輪

 腰:狂犬の尾飾り

 ―:―

 ―:―

 ―:―

 ―:―

 ―:―

 ―:―


 [武具解除]

 [防具解除]

 [装飾解除]

 [服装解除]

 [全解除]

 [戻す][終了]』



 ここにさっきのボス戦で入手した『頭:ガマリボン』をセットしてみると、一瞬の閃光の後に私の右側頭部に新しく装備された。ただ自分ではどんなデザインかの確認が出来ないので自分でリボンに触れてみる。


「あれ、これって?」


 カチッ。


 リボンの裏には金具があり、それで髪を挟んで止めていた。どうもリボン部分は飾りで、実際にはバレッタだったみたい。

 外したガマリボンは黄緑色の蝶結び型、結び目部分にはデフォルメされたカエルが設置されていた。


「……いや、これは無いでしょ」


 小学生でも割とアウトなデザインでした。幼稚園児くらいなら喜んでくれるかもしれない。

 耐毒の指輪とはまた別ベクトルの着けるのを躊躇うデザインのリボンを前に、悩む。


(でも、これ着けないとステータスに反映されないと思うし……でも、うう〜ん?)


 外見に割合無頓着な私をすら悩ませるリボンを数秒間見つめた後、ふと思い付いて腰に目を移した。

 そこにはジャイアントドッグ戦で入手した『狂犬の尾飾り』がポーチの横にくくり付けられている。黒い毛並みの15cmくらいの飾りには前々からもう少し可愛げが出ないものかと気になっていたのだけど……。


(丁度いいか)


 尾飾りの紐との境目辺りにリボンの金具を合わせてパチンと留めてみる。チグハグ感は否めないけど、単体で見るよりまだマシかな。

 私はポンポンと軽くそれらを叩いて進んでいくと次第に地面がしっかりと乾いた土へ変わっていく。


(最初は林道で、次は急勾配の崖、次はどんな景色が広がっているんだろう?)


 気分転換になるような場所ならいいのだけどと思いながら進んでいくと視線の先で左右に連なっていた木々が途切れていた。

 ザァッ。その向こうから涼やかな風が舞い込んで来る。。


「みず、うみ……?」


 私の横を流れる小川が続く先にあったのは開けた空間、その大半を占めるのは澄んだ水を湛える広い広い湖だった。吹き付ける風は湖の上を通ったからか、涼やかに私の頬を撫でていく。


「素敵……」


 木々にポツポツと実る光る木の実が湖面に反射し、星空のただ中にいるかのようで……その光景にしばし私は見入られる。

 きっと昼間でも綺麗と思うけど夜にしか見れないこの光景に出会えた事は幸運と思う。

 ゆっくりと湖に歩み寄って周囲を見渡す。

 目を凝らせばこちらとは別の小川とそれに沿って伸びる道が見えた。

 私の横を流れる小川の他に右側の小川と左側の小川、そして私から最も離れている一番幅の広い“小”が取れるくらいの川が湖を中心として丁度十字の位置になっていた。


「えっと、どこに行けばいいの……?」


 特にこれと言った看板や目印なども見当たらず、首を傾げる。はじまりのフィールドばっかり調べてたからその先が分からないって……。


(今までは割と分かりやすかったんだもの……やっぱり一番奥、かな? 川幅だけでここの何倍もあるっぽいし。それにどの道左右の小川のどちらかは通り過ぎるんだから、反対側も見るだけは出来るから判断はその時でもいっか)


 ザッ。


 湖畔では草は減り、踏み固められ地面が露出して出来た道に従って私は歩き出した。



◇◇◇◇◇



 しばらく歩きながら確認したけど、湖にはモンスターらしい影は見当たらなかった。時折目に付くのはゆらゆらと泳ぐ小魚やかすかな光を放っている虫くらいのもの。そこだけ見れば、ここには実に平和な光景が広がっていた。

 が、そんなに楽ばかりさせてもらえる筈も無く、代わりに湖の周囲を疎らに取り囲む木々の間からは何種類かのモンスターに襲われていた。


「……〈コール・ファイア〉〈ウィンドサークル〉〈ソイルサークル〉」

「「「ピピヨピヨ〜?!」」」


 範囲攻撃の餌食となったのは雛鳥型モンスター『チック』。まだ上手く飛べないのか、集団で地面を蹴立てて走ってくる。

 ずんぐりむっくりなその姿に、一度ならずも攻撃を躊躇ってしまうのだけど、何しろ数が多いから放って置いたら放って置いたで四方八方から嘴でつつかれたりする。塵も積もればの故事通り、最初それで一気に3分の1もHPを奪われてから優先的に範囲攻撃で屠っていた……精神的にクるのは果たして運営さんの思惑通りだったりするのか、激しく問い質したい。


「ごめんね」


 再開する歩みはどこか重い。

 このフィールドに出てくるモンスターは一見して敵とは認識出来ない(少なくとも私には)。

 さっきのチック然り、リス型モンスター『スクアラル』然り、子鹿型モンスター『フォーン』然りと、穏やかな湖畔に居ても全然不自然じゃない愛らしい見た目だと言うのに集団で牙を剥く。いや、肩くらいの大きさのフォーンが数を揃えてとかほんと怖いから。


 ――カリカリカリカリ。


「……」


 幾重にも重なる何かをかじる音が耳に届き、目を上向ければ木の枝には何匹ものリスが『さぁ我らが前に出て来るがよい』とばかりに爛々と輝く瞳で獲物を探していた。

 体長が20cm近くあるスクアラルは接近すると鋭い歯でかじりついてくるけど、遠距離だと今手に持ってかじってる固い木の実を勢いよく投げてくる。


「はあ……〈プロテクション〉」


 スクワールはいくつかの枝に分散している為に一度に全滅させるのは難しいと判断して〈プロテクション〉をあらかじめ展開しておく。スクワールくらいの攻撃ならそう簡単には砕けやしないから、これで攻撃に集中出来る。


「〈コール・ファイア〉〈ライトサークル〉〈ダークサークル〉」


 まずは範囲攻撃を行い、それで倒しきれなかった残りがこちらに気付いたら〈プロテクション〉で防ぎつつ更に範囲攻撃で追い撃ち、と……こんな所かな。


「チ、チチッ!!」


 ピシピシと木の実が当たり少しずつ障壁にヒビが増えても、その頃には大半のスクアラルが倒れ死屍累々の惨劇(死体は消えてるけど)も終幕となる。

 最後まで残ったスクアラルは懸命に障壁にかじりつき『覚えておくがいい、矮小な我らとても意地と言うものがある事を。この膝は屈さぬ……屈さぬぞォォォッ!』と訳の分からない幻聴が聞こえる程の気迫を見せていた。


「〈ソイルショット〉」


 バコン。


 土塊の直撃を受け、最後のスクアラルが呆気なく倒れた。力無く消えていくその姿にはどこか哀愁が感じられる……私の背中からも出てないかな哀愁。


「……疲れた」


 精神的なダメージが蓄積してきた頃、道の先に村らしきものが目に映る。どうやらようやくこの旅路にも終わる時が来たみたい。

 ここのライフタウンは川を中心に広がっていて、私はそのまま村の中へと入る。


 ギィ……ギィ……。


 川はしっかりと整備された水路へと変わり、その先に見えるのは水路の傍にいくつか建つ水車小屋。私の背よりも高い木製の水車は川の流れを利用して絶え間無く回転している。

 小学生の頃に遠足で博物館に行った時に見た水車小屋だと水車を動力に臼を回したりしていたと思うけど、この小屋の中でもそうなのかな?


 反対側に目をやるとお店がちらほらと見受けられた。どうも川を挟んだこちら側にお店が集中していて、あちら側には民家が多いみたい。数少ないPCはこちら側を歩いていて等間隔に架かる橋を渡るPCはあまり見られない。

 その後は店舗を冷やかしていたけど時間に後押しされ、村をざっと見回った後にポータルへ移動する。

 ここの村のポータルはなんと噴水。石造りで中央からは私の身長とおおよそ同じくらいの塔がそびえていてこんこんと水が湧き、金属球はそのてっぺんに安置されていた。

 いつもならオブジェに触ればよかったけど、これは一体どこに触ればいいのかな? あの塔だと乗り出さないといけないんだけど……そう思い何気無く噴水の縁に腰掛けるとウィンドウが開いた。



『新たな星の廻廊[ウテア]が開かれました』



(なるほど、この噴水自体がポータルなんだ。もしかしてここの水に触れただけでもOKだったりして?)


 ともあれ無事にウテア村への登録も済ませられてホッと一安心。今はアラスタに戻ってそのままログアウトしてしまおう。ショッピングは晩ごはんの後って事で。




◆◆◆◆◆




「ふう(ふるふる)」


 髪を振り乱して籠った熱を追い出す。ログアウトすると部屋は夜の帳のただ中にあった。10月も中旬に差し掛かり、日の入りも早まっているのだから当然か。

 ベッドから身を起こし照明のスイッチを入れる。


「ん〜〜、凝ったかなあ」


 キシキシと鳴る体をほぐしながら見た時計の針は午後6時前。いつもよりも結構早いログアウトとなった。


(ま、昨日の今日だからね)


 昨日、お父さんから『ゲームをやり過ぎないように』と言う旨の注意を受けていた(花菜も当たり前のように受けている筈なんだけど、きっと耳を素通りしたのではなかろうか……堪えてる気がまるでしない)。

 確かに何時間もベッドに横になってゲームをしている図は不健康そのものでしかなく、そんな私を心配してくれているんだから無下には出来ない。


(目的からまた遠のくんだけど……)


 クラリスに追い付く事も、マーサさんへのプレゼントも、まだまだ越えなければいけない山も谷も多い。

 果たして頂に到達するのはいつになるやら……。


 私はメールチェックの後、リンクスの電源ケーブルをコンセントから引き抜き、照明を落として1階へと降りていった。


「あら、結花。どうしたの、今日は早上がりかしら?」

「そんな所、手伝うねお母さん」


 キッチンではお母さんが晩ごはんの準備に追われていた。どの道他にする事も思い浮かばず、壁に掛けてある自分のエプロンを着けて参戦する。

 エプロンのボケットには花菜がプレゼントしてくれた愛用のシュシュが入っていて作業中はそれで大して長くもない髪をまとめている(ちなみにこうすると何故か花菜の鼻息が荒くなる)。


「何すればいい?」

「じゃあ胡麻和えお願い。今お湯沸かしてるからほうれん草茹でちゃて」

「はーい」


 冷蔵庫の野菜室からほうれん草を取り出す。煮物とお味噌汁を同時進行でこなすお母さんの隣で調理を開始した。


 ザブザブ。

 コトコト。

 カチャカチャ。


 私とお母さんは言葉少なに作業を進めていく。ツーカーとまでは言わないけど、こうして一緒に台所に立つようになってもう10年近くが経つ。

 少なくとも足手まといにならないようになれたと時々嬉しく思う。


「ふふ」


 ゴリゴリと胡麻を擦っていると不意に口が緩んだ。


「なぁに? 急に笑っちゃって」

「……うん、ちょっと昔を思い出しちゃって。ほら、最初の頃はお母さんの手伝いのつもりで邪魔ばっかりしてたなって思い出してたの」


 小学校低学年だったとは言え、おむすびに砂糖とか使おうとしたり、子供用の包丁で切った野菜の大きさがバラバラだったり、盛り付けで嫌いな野菜を他のお皿に隠そうとしたり(毎度犠牲になるのはお父さんだったけど)。

 今思い返してもお母さん大変そう。


「そんな事ないわよ。結花が一緒にお料理したいって言ってくれてあたし泣きそうになるくらい嬉しかったもの。ほんとよ?」

「えー?」


 疑問符を付けながらも、納得はしていた。

 お母さん、野々原千鶴と私に血の繋がりは無い。そして、私が手伝いを言い出したのは一緒に暮らし始めてまもなくの頃だった。

 そんな折に私から手伝いを申し出たから喜んでくれたのじゃないかな、と。


「お母さんの夢の1つだったもの、娘と一緒にキッチンに立つのが。ま、もう1人はまるでそんな気配が無いから尚の事そう思うのよ」

「花菜の場合は……ねえ」


 花菜は料理をしない。

 “出来ない”ではなく“しない”。何故なのか。

 曰くする所によると――。



『だってあたしが料理したらお姉ちゃんの手料理を食べる機会が減っちゃうじゃん!! そんなのヤだい!!』



 ですって。

 相変わらず頭が痛くなる回答にかけては右に出る者がいない花菜である。


 ちなみにあの子はレシピにガンガンアレンジを加えるタイプで、それが結構予想外に美味しかったりする。

 レシピ通りにしか作らない私とはまるで真逆で、その感性がちょっと羨ましいんだけどね。


「あの子の頭の中はどうなっているのやら時々確かめたくなるわよねぇ」

「恐ろしい事言わないでよ、見たら目が潰れる気がする。パンドラの箱も玉手箱も開けちゃいけない類いなんだからそっとしておこうよ」


 あれの中身を見たら平静でいられる自信は無い…………いや無くていいか。平静だったらそれはそれでどこかおかしいのではないか。



 砂糖と醤油と味醂に顆粒だしを入れて胡麻を加え、さっと茹でたほうれん草を冷水で冷やす。切り分けて水気を絞って胡麻と和えれば出来上がり。

 今日はサンマとの事なのでおろし金で大根を擦り下ろす。私と花菜とお母さんは大根おろしにポン酢派、お父さんはそのまま派なので帰宅が遅くなるお父さんの分は考えなくていい。


「結花、残りはあたしがすませちゃうから花菜起こしに行ってきてちょうだい」

「ま・た・で・す・か」


 グリルでサンマを焼き始めたので、やはり私が花菜の目覚まし時計役に任ぜられた。

 否やと言える筈も無く、エプロンを脱いで2階へと駆け足で向かった。



◇◇◇◇◇



 花菜はまだ戻ってきてないらしく部屋は真っ暗なままだった。リンクスの駆動音と花菜の呼吸だけがかすかに届き、ランプがチカチカ瞬いている。確認出来るのはそれで全てだった。


 カチッ。


 手探りで明かりをつけて花菜の元に近付き、側面のスイッチを押し込んで花菜に強制的にメッセージを送る。


「むにゃ」


 それから十数秒、今日は比較的早めに花菜は目を覚ました。


「……おはよう」

「お姉ちゃんだー、うひゃほーい」


 抱き付こうと腕を伸ばすもリンクスの重量で頭を持ち上げられずにジタバタしている。

 何この間の抜けたイキモノ。


「バカな事していないで早く起きなさい」

「もう〜、お姉ちゃんはせっかちさんだなぁ」


 そそくさとリンクスから頭を引き抜く花菜を見て、私は不意に質問を投げ掛けていた。


「……今日はずいぶん早くログアウト出来たみたいね、何かしていたんじゃなかったの?」


 だから遅れたのじゃないの? それがちょっと私の琴線に触れた……これはひょっとして姉の勘?


「エ。ウウン、別ニ……」


 答えた花菜はぎこちない言葉を歯切れ悪く詰まらせた。それが私の疑念を更にムクムクと膨らませる。



「……じゃあどうして私が呼ぶまでログアウトしてこなかったの?」



「さぁ、晩ごはんは何だろな!」


 明らかに挙動不審になって私の脇をすり抜けて逃げ出そうとする花菜の襟を捕まえてこちらを向かせる。


「待ちなさい」

「ぐえっ」

「答えなさい、ログアウトしなかったのはどう言う理由だったの?」


 目と目を合わせて問い詰める。

 と、何故か頬を染めて恥じらいながら目を逸らされた。今この時(晩ごはん前的な意味)においては頭の痛みでなく、イラッと額の青筋が浮かぶのが先立つ。


「話したら頭撫でてあげ「お姉ちゃんが起こしに来てくれるまで待ってました!」……ほう」


 私が毎日毎日1階と2階を余分に往復する原因が白日の下に晒された瞬間であった。


「待っていた。のんべんだらりと、待っていたの……いつも?」

「に、2割くらいで――」

「へー、ほー、ふーん」

「すみません3割方は狸寝入りでしたー!!」


 へへー、と土下座の構え。

 この場合の狸寝入りは多分、私がこちらからの呼び出しスイッチを押すまでゲーム内で待機していた、と言う意味と思われる。


「仕方無かったのです。お姉ちゃんに起こしてもらいたかったのです。目が覚めたらお姉ちゃんがいるのが至福な――――ほにゃ?」


 なでなで。


「お、お姉ちゃん?」

「まあ、正直に言ったから約束は果たしましょう」

「ほ、ほあ……あ?」

「なでなで」


 ごりごりごり。


「あ、あだっ?! お姉ちゃん!? 言葉と擬音に著しい解離が発生している気がしてならないのですが!?」

「気の迷いです、心で感じ取りなさい。なーでなで」

「ムリムリムリムリ!? ちょっ、グーで頭をごりごりするのは『撫でる』とは表現しないよ?! あれ、もしかしてお姉ちゃんご立腹?!」

「うふふふふふふー……」


 ぎにゃ〜〜〜〜っ、と言う叫びを上げた花菜を解放して一旦終了する。

 実際はまだ終わるには早いとも思っていたのだけど、頭を撫でていたら花菜の顔に愉悦の色を見たので引き下がっている。もはや私の拳では罰にすらならないかもしれない……そんな予感がする。

 はあ、ため息一つ吐いて気分を切り換える。


「ま、ともあれ次からは起こしに来なくても大丈夫、って事ね」

「ぶはっ、ままま待ってよー! 寝起きにお姉ちゃんの顔見ないと頭がシャッキリしないよー、うええ〜ん」

「体がベッドで横になってたって頭まで寝ている訳でもないでしょ!」

「あいたっ!」


 ポカリと小突く。


「いいわね? 今度からは自分でしっかり起きなさい」

「え〜〜、戦闘中とかだと結構時間とか分かんなくなっちゃうのに〜」

「アラームでもセットなさい。私は明日から起こしに来ないからね!」

「が〜〜〜〜ん」


 そして、『花菜は自力で起きる』事が(私の独断で)正式に(もしくは強引に)決定され、その後花菜のすすり泣きは晩ごはんの間中続きましたとさ。


「めそめそ」

「……譲りません」


 終始そんなやり取りがあったとか無かったとか。




◆◆◆◆◆





 アラスタへと舞い戻った私は一路南大通りを目指す。

 まずは売れる物を売り払って購入資金にしなきゃ、昨日の買い物で残りはまたも雀の涙なんだから。そう考えた私はNPCshopへと急いだ。

 ちなみに今、と言うかアラスタに戻る前から私は帽子を脱いで、新緑の外套のフードをすっぽりと被っている。顔はともかく髪は汚れたままだから隠したい。街中なら帽子分のパラメータが減っても関係無いしね。


「〈ウィンドステップ〉」


 ひゅうん。


 一陣の風が私を包む、地面を蹴る力は変わらないのにわずかながらも体感速度が上がった。

 やっぱりこう言う細かい所で経験値を増やしていかないとね。


 早々にNPCshopへと到着した私は中にいるのがノールさんである事を確認して店内へと足を踏み入れた。


「どうもノールさん」

「おう、来たか……って、お前なんか汚れてねぇか?」

「い、言わないでください。こんな格好で街中を歩くの勇気がいるんですから、手早く買い取りをお願いします」

「面倒くせぇなぁ」


 ノールさんは慣れた手付きで、私も時々つっかえながらもスムーズに買い取りを済ませた、ボス攻略の為に雑魚モンスターとの戦いを控えたのであまり金額が伸びなかったけど仕方無い、結果私の所持金は902Gとなった。惜しい、もうちょっとで1000Gに届いたのに。


「『アイルダ湖道』にまで行ってきたのか、ご苦労なこった」

「アイルダ湖……って言うんですか、あの湖」

「ああ、あそこはモンスターは多いが逆に買い取り金額は低くしてる。量が出回るし、性能面でも少し見劣りするからな」

「なるほど」


 確かに、あれだけ群れを成していればドロップアイテムの収集自体は他のフィールドよりも簡単だから、同じ値段だと釣り合いが取れなさそうではある。


「あ、そうだ。ノールさん、あの鉛筆やノートを売っているお店って紹介してもらえませんか?」


 カウンターの向こうの机に置かれている筆記具が目に入り、丁度いいので聞いてみる。


「あぁ、アレか? 西大通り中央近くにあるNPCショップで買ったモンだ。店名は『サッタルカ雑貨店』、じいさんが店主でカウンターに鳥を飼ってるから、行きゃ分かるだろ」

「ありがとうございます、探す手間が省けました」

「他にも売ってる店もあるかもしれんが、そっちの方が安くても恨むなよ」

「……まさかー」

「棒読みはやめろ」


 と、そんな事を話していると背後からガヤガヤと騒がしい声が聞こえ、振り向くと男性のグループがこのお店へと入ってきた。


「失礼する」

「ノルさん、ちィ〜す」

「どもー」

「おう、らっしゃい」


 どうやらお客さんのようなので辞する事にしようと身を引いた……その瞬間。


「おわっ! ノ、ノルさんこのかわいこちゃん誰?!」


 ガツン! と、頭を殴られたような衝撃が突き抜ける。ちょっ、やめてよ、気にしないようにしてたのに!?


「ひゅ〜♪ ホントだ、ここまでのはかなりレアだな」

「オレ結構好みだわ」


 ……いや、確かにアリッサの容姿は美人だと思うけども、実際自分がそう扱われるとどう返せばいいのか分からない。奇異の視線に晒されて慌てふためく。あわわわわ。やめて、今結構汚れているんですっ、見ないでー。


「ノルさんノルさん、紹介してよあの子」

「何で俺がんな事しなきゃならねぇんだよボケ」

「え〜、ケチ」

「おい、人様に迷惑掛けるなといつも言っているだろう。その辺りでやめておけ」


 騒いでいた人たちを鈍色の鎧を身にまとった、やけに貫禄のある御仁が呆れ混じりに制止した。


「そうだぞ、ナンパなら余所でしろ余所で」

「ナ、ナンパって……」


 ノールさんの俺は外野ですと言わんがばかりの発言に更に気力が削がれる……そうしていると鈍色の鎧の人がこちらを向いたのでちょっと身を強張らせてしまう。


「すまない、うちの連中が騒いがせた」

「い、いえ、お気になさらず……」


 軽くではあったけど鎧の人が頭を下げたのでこちらも気にしなくていいと返す。

 と言うか、むしろ私が気にしないようになりたい……。


「もー、トドっちはお堅いなぁ。出会いは大事だよ? 女子は少ないんだしさー」

「黙れ」


 少年の首根っこを引っ付かんで鎧の人はカウンターへと向かっていった。胸を撫で下ろしそそくさとNPCshopを後にした。



◇◇◇◇◇



(む〜)


 難しい顔を作る。

 アリッサの顔立ちについては今朝の花菜の助言で気にならなくはなってるけど、それと周りがどう反応するかは別だもんねえ……。

 思い返せばすれ違いざまに挨拶をしてジロジロと見られたのも、初期装備云々の所為ばかりではないのでは……?

 いや下手をしたら再開初日に声を掛けてきた変な人たちも顔目当てだったかもしれない。


(うう……そう考えると怖いよう)


 ザワザワと周りを歩く人たちにすら話し掛けられるのではと疑心暗鬼と自意識過剰気味な不安のスパイラルに突入しながら、被っていたフードを更に目深に被り直し、俯きながらノールさんが教えてくれたお店へ向かう。


(まこだったら軽くあしらっちゃうんだろうなあ……どうすればいいか聞いても実践とか出来ないだろうけど)


 まこのあしらい方は性格による部分が大きい。男性に対する辛辣さは見ていて気の毒になる程だ、あれをやれと言われても無理な話。


(光子はそう言うのとは縁遠いし……春日野先輩とか?)


 んー、でもあの人の場合は突き抜け過ぎて下手に近寄って来なさそうなイメージが……そもそも「ゲーム内で美少女になったから男性のあしらい方を教えてください」とか聞ける訳が無い。一生からかわれるに決まってる。

 それから友人の顔が浮かぶけど、同様にゲーム云々で話そうとは思えない。


(後は………………花菜?)


 今まであまり考えた事は無かったけど、あの子は可愛い。身内贔屓を除いたとしても、あるいは身内贔屓が無いからこそ可愛く映るかもしれない(主に中身の所為で)。

 長く艶やかな黒髪、ぱっちりとした大きな瞳、すっと通った鼻梁、笑顔を絶やさない明るい性格、最近は背も伸びてスタイルも良くなってる。はた目から見れば十二分に美少女で通用する容姿だ。

 まだ子供っぽさが前面に出ているけど、後1、2年もしたら街中を歩けば声を掛けられたりするようになるかもしれない……もしかしたら私が知らないだけでナンパされた経験もあったりして………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ちくり。


(?)


 胸に手を当てる。何か……心臓の辺りで違和感があった気が?


(なんだろ、今の)


 首を傾げても答えが出てこない。胸にモヤモヤを、頭に疑問符を抱えたまま、私は先に進んでいった。

 ハッピーバースデードラえもん!

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