第25話「約束の日」
「もぐもぐもぐもぐ」
「結花、食べるならもう少しゆっくりね」
「(こくり)もぐもぐもぐもぐ」
「……花菜の駄目な所が感染ったのかしら」
「うえっ?! 何であたしに飛び火するの!? 流れ的におかしくない?!」
場面は晩ごはん時。私と花菜、お母さんの3人での食卓で、私はただひたすらに黙々と食事をしていた。
いつもならこのポジションにいるのは花菜で、しつけに頭を悩ませているお母さんとしては私が花菜のようにならないか心配なんだろうなあ。
……と、頭の片隅では理解しているつもりなのだけど、いかんせん残りの大半を占めるのはMSOの事ばかり。これではゲーム中毒の花菜をまったくもって責められない。困った。姉の面目丸潰れ。
「もぐもぐもぐもぐ、ごくん。ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さま」
「おわ、は、速い?! ま、負けてられない! がつがつがつ」
「あんたはもう少し綺麗に食べなさい、はしたない」
「お姉ちゃんの時と反応が違う?!」
そりゃ私はいつもより箸と口のスピードを上げただけなのに対して花菜の食べ方は急げば急ぐだけ雑になるからね。お皿に口付けてかき込んでれば注意もされるでしょ。
そんな中、私は流しで食器を洗い、拭いて、食器棚に戻し、一足先に自室に戻る。
ざっとメールチェックを終え、私はリンクスに手を伸ばした。
◆◆◆◆◆
ログインすると仰向けだった体勢から直立姿勢に変わる。
閉じた瞼からでも感じる陽光、ざわざわとした人のざわめき。そう、ここはマーサさんの家ではなくお久しぶりのアラスタ中央のポータル前。
晩ごはんの直前まで探索を続けた結果マーサさんの家まで戻るのを断念しメニューからログアウトした為にここからのスタートになった。
(……むう、最近はずっとベッドから起き上がってたからなんだか変な感じ)
ぺちぺちと頬を叩いて頭を切り替える。
時間も押しているんだからと、私はまず褒賞金目当てにユニオンへと向かう事にした。
◇◇◇◇◇
(433G……後433G)
うーんうーんと唸りながら、私ははじまりの湿地の攻略へと戻ってきていた。
ユニオンでの褒賞金はフロアボス分300Gに雑魚モンスター討伐分210G(1つだけ達成出来なかった)。
これで所持金は4067G。新しく討伐依頼を請けてはいるけど間に合うかは本当にギリギリだった。
「433G! ……じゃない、〈コール・ファイア〉――」
もはやモンスターがドル袋に見えている私の目は以前見たシロネさんもかくやなG表記になっているのかもしれない。
げに恐ろしきは欲なりけり。
そんな第三者から見れば挙動不審気味の私は再びフロアボス・ビッグキャットフィッシュの潜むボスエリアへと向かっていた。
ポーションの在庫から言ってボスへの挑戦は明日以降にしたのだけど、その場合必要額的に不安だったので、ならいっその事フロアボスに再挑戦してはどうだろう、と至った訳である。
ちなみに、定期討伐と書かれている割りにはさっき私がビッグキャットフィッシュを倒したにも拘わらずもう次の定期依頼が舞い込む辺りはさすがゲーム、と思ったりもした。
「よし、本日2度目!」
目の前には捻くれた一対の木。フロアボスへのゲートが変わらずに佇んでいる。同じボスに挑むのはジャイアントモス戦以来だけど、最初はセレナと天丼くんが戦ったから純粋な再戦となると今回が初となる。
(攻撃パターンは掴んでるけど、油断はしないように)
もう何度目かも忘れた内容の復唱をする。
そして、自身の状態の確認と回復を終えた私はビッグキャットフィッシュの待ち構えるエリアへと足を踏み入れた。
◇◇◇◇◇
ザッパーンッ!
地鳴りと共に増した水が私へと押し寄せる。この後はビッグキャットフィッシュがこちらに向かってダイブしてくるのがお約束。空中からか地上からかの違いはあれど、ダイブ自体はしてくる筈。
「分かっていれば! 〈ウォーターフロート〉!」
一度水の届かない位置まで飛び上がった私はスキルを使用する。
〈ウォーターフロート〉は《水属性法術》10レベルで修得したスキルで水上歩行が可能になると言う非常に便利なスキル。
ただ効果時間は〈ウィンドステップ〉よりも短く、更には水面以外(地面とか木とか草とか)に靴底が触れるだけで解除されてしまうなどの欠点もある。
ピィン。
静かな、澄んだ音を響かせて、茶色く濁った水面へと私は着水した。
波は激しく打ち寄せているのに、私の作った波紋はどうしてか消されず、絶え間無く新たな波紋を生み出している。
足はほんのわずかな青い輝きを帯び、靴越しの感触は柔らかめのマットに近いかな。
バシャバシャバシャバシャ!
騒がしさに顔を上げれば、今回は地上からのお越しらしい。ビッグキャットフィッシュはその巨体で私を押し潰そうと迫っている!
「わっ?!」
ピィン、ピィン、ピィン!
水面を蹴って外周を走り抜ける、堅い地面に比べればいくらかは走りにくいけど、それでも水浸しの草地をこの靴で走るよりかはずいぶんとマシに思えた。
(波の揺れさえ無ければだけど、ね!)
上下の揺れは地面の振動よりも当たり前ながら大きい。〈ウォーターフロート〉は“水の上に乗る”感じなので水面が斜めになると私の足も同じ角度になってしまう。
足を挫いたりしないよう(そもそもそんな事が有り得るのか知らないけど)バランスに気を付けながらスキル詠唱を開始する。
(……これなら追加の水球にも対応出来るかも……)
ビッグキャットフィッシュのHPが50%を切ると陸地に上がっての攻撃時にいくつかの水球が追加される。前回は水に足を取られて何度も当たったものだけど、この状態なら……当たらない距離まで逃げるくらいなら出来る?
ジタバタと暴れるビッグキャットフィッシュを視界の端に収めながら、私は初戦とは違う落ち着いた自分を実感していた。
◇◇◇◇◇
「リリース」
空中からのダイビング中のビッグキャットフィッシュ目掛けて、私は攻撃を仕掛けてみた。いつも後手に回るのもなんだか癪だったので、ちょっとした意趣返し。
ドゴゴゴゴゴッ!
爆音と爆光が轟き、次の瞬間、なんとビッグキャットフィッシュがわずかに押し戻され草地でなく沼の端へと落下した。
ドッパーン!
「うーわー」
盛大に水飛沫を飛び散らせての落着を呆気に取られながら見守っているとビッグキャットフィッシュは沼の中央へと引っ込んだ。
(う、撃ち落とせるんだー。痛そー)
ちなみに落ちた際に追加でちょっとだけダメージが発生していたりする。
スキルの準備状況次第になるからいつでも出来る訳じゃないけど、攻撃手段が1つ増えた、と思っていいのかな。
そうこうしている内に水は引き、〈ウォーターフロート〉が解除される。沼に戻ったビッグキャットフィッシュは今度はにゅっと頭を出して〈水鉄砲〉を撃つつもりらしい。
ビッグキャットフィッシュの残りHPは3割程度、これなら2回の連続攻撃でなんとかなる。
(再申請時間も問題無し。うん。また追い掛けっこといきましょうか)
ぐっ、と足に力を込めて、大分慣れたマラソンへと復帰した。
◇◇◇◇◇
じーーーーーーーーーーーっ。
「オイ」
じーーーーーーーーーーーっ。
「……オイ」
じーーーーーーーーーーーっ。
「査定に響かせるぞ」
「ごめんなさい」
ウィンドウをじっと見つめていたノールさんをじーーーーーーーーーーーっと見つめていた私は注意されて即座に視線を外す。あれ、デジャヴュが……。
ここはアラスタ南大通りに軒を連ねるノールさんのお店・NPCshop。
フロアボス戦を乗り切った後、ユニオンに寄り褒賞金を受け取り(この時点で一応は目標額に達してる)、現在はドロップアイテムの換金に訪れていた。
「お前、そんなに現金な性格だったか……?」
「コホン。失礼しました、ちょっと色々と入り用なもので」
今後の事を考えて少しでも金額が多くなるといいなー、と思っていたらどうもノールさんを見つめ過ぎてしまったらしい。
「んな事言っても増えんぞ」
「…………ですよね」
「おい、その空虚な顔はやめろ。いたたまれないから」
何やら若干距離を取られてしまった。いや、どんな顔してたの私。
「ほら、買い取り額はこんなもんだ。確認しろ」
「あ、はい」
後ろを向いて顔をほぐしていたら声が掛かる、査定が終わったらしい。ドキドキ。胸を高鳴らせて私はウィンドウを覗き込んだ。
「……よんびゃく、ななじゅう、なな、がる」
「477Gだな」
さっきユニオンで受け取った褒賞金が570G。必要額433Gを引いて137G、合わせて614G。
「よ、良かったー、500超えたー」
「…………そうかい」
深く深く安堵していると、何故かノールさんが哀しげな顔をなさっていた。
「えと、何でしょう?」
「いや、別に……じゃ不満も無さそうだし、この額でいいな。それで、お前アイテムは大丈夫か? ここ2、3日は売るばかりだったろう」
「う」
確かに、アイテムポーチに残っているポーションはHP用が1本のみ。補充しないととてもボス戦には挑めない……けど。
「まだこれから何が入り用になるか分からないので、とりあえず明日外に出る前にもう一度来ます。では、失礼します」
「あいよ、またな」
挨拶を済ませ、NPCshopを後にした私は以前通った道からシロネ工房へと向かった。
道程は長くはあるけど、一度でも通った道は視界内マップに表示されてる。その中でウネウネと回り道しまくっているルートを辿れば問題無い。
さあ、レッツ・ゴー!
◇◇◇◇◇
ぽてぽてぽて。
ぽてぽてぽて。
うねうねと続く道を進む程、何度となく角を曲がる度、次第次第に私の気分は高揚してくる。
だってここ数日の苦労が実るのだから、これで何も思う事が無ければ私のマーサさんへの感謝の念を疑ってしまう所。
「♪」
だから鼻歌混じりで歩くのも仕方無い、もしも時々人とすれ違わなければ年甲斐も無くスキップなんかしてしまっていたかもしれないんだもの。
ぽてぽてぽて。
ぽてぽてぽて。
そうして私は細い道を通り、
「♪」
たまに柴垣の下を潜り、
「♪」
回り道に回り道を重ねて、
「♪〜」
私はようやく2日ぶりのシロネ工房をその目に捉えたのだった。
「着いたー♪」
陽の光に照らされた真新しいログハウスを前にしたら、歩き疲れなんかどこかへと吹き飛んでいた。
逸る気持ちをそのままに、私は店内へと――――。
「あれっ?!」
「あ。き、奇遇ね、アリッサ」
「よう」
店内では久しぶりに会うセレナと天丼くんが品物を物色していた。いや、セレナに教えてもらったお店なんだから居てもなんの不思議も無いんだけどね。
「よーう、来たか疫病神〜」
「や、疫病神?」
奥のカウンターで微妙にやさぐれていたシロネさんにそんな事を言われてしまった。私何かしましたっけ……?
「ゴルァ! アリッサのどこが疫病神だっつーのよ!」
それにセレナが噛み付いた。対して天丼くんは涼しい顔で物色を続けている、いや止めてよ。
「るせぇ! そいつが今日来るっつったらお前が延々待ち続けてっから邪魔くさくってしゃ〜ねぇんにゃ! 原因のそいつが疫病神じゃにゃかったらにゃんだっつーんにゃ!」
「そうなの?」
「気の所為よ」
そんな全力で首ごと逸らしたら「そうです」って言ってるのと変わらないよセレナ……。
「冷やかしに用は無ぇのにゃ。しっしっ! 居たいんにゃら何か買えにゃ!」
「アンタいつも私からぼったくってんじゃないのよ! ちょっとくらいサービスしなさいよ化け猫守銭奴!」
「おーおー言うもんにゃ、いつも高値吹っ掛けても頬を引き吊らせにゃがら涙目で『や、やややや安いもももんじゃないのよ(プルプル)』とか見栄張って買ってくださる誰かサンのセリフとは思えませんにゃあ〜?!」
「それを今言うなぁぁぁぁっ!?」
「えーと、とりあえず落ち着かない?」
実に息の合った口喧嘩を展開している2人に、野暮かなーと思いつつも、どうやら原因になってしまったらしい私が止めねばと仲裁に入った。
「フーーッ!!」
「ガルルル!!」
「…………シロネさん、この前の品を買いたいのですが」
「ばっちこーい!!」
そう言うとシロネさんはセレナから私へ瞬時に向き直り、カウンターから例のブローチ入りの小箱を取り出した。
顔に張り付く満面の笑顔は、何やら欲に歪んでいるような気もする。また現金な……商売人としてもそこまで露骨なのはどうなの。
先程までの喧嘩をほっぽりだされたセレナは「けっ」と悪態をついてカウンターにもたれている。
「先日お預かりした2000Gをお引きしまして4500Gににゃりますにゃ〜」
「はい」
開かれたビジネス用のウィンドウの所持金欄には[5514G]と表示されている。よくもまあ2Gから丸2日でこれだけ稼げたなあ……なんだか感慨深い。
一桁一桁と支払い欄に入力していき、最後に[決定]をタップした。
ガシャガシャチーン。
甲高い効果音が響き、私のおサイフが軽ーくなった事を告げてくる。
(それにしても……何度経験しても所持金カウンターが減るのは切なくなるなあ)
売買契約は無事に成立し、私の前にブローチが置かれた。
「毎度ありですにゃ、他に何かお買い求めになられますかにゃ〜?」
「いえ、今日はこれだけにしておきます」
「チッ」
「お客相手に舌打ちしてどーすんのよ、お客様は神様なんじゃないの」
「貧乏神と疫病神は例外に決まってんにゃろスカタン」
「あ、あはははは……」
買わないとなった途端、掌返しにシロネさんの態度が悪くなった。ほんと露骨な。
……でも、自分の感情を隠そうともしない開けっ広げさはむしろ清々しく、潔い……のかもしれない。セレナが遠慮せずにいられるのも何となく分かる。
キィ。
そうして話していると後ろのドアが開いたのか、蝶番が音を立てた。それに反応して振り向くと、そこには――。
「え」
「おや」
優しげに微笑む老執事さんがいたのだった。
「セバスチャンさん!?」
「これはこれは。アリッサさん、お久しぶりです」
「あ、はい。お久しぶりです」
セバスチャンさんは胸に手を添えて丁寧に会釈したので私もそれに応える。
それにしても……突然の再会に再び驚く。私の知人は実に少ない。その半分近く、中でもこの人たちは私自身がこの世界で過ごす中で出会った人たちで、それが今ここに集まっているのだから驚かずにはいられない。
もっとも何よりも勝るのは、こうして会えた嬉しさと喜びで、つい頬が緩むのだけど。
「おう、ジジィかにゃ」
「ごきげんようシロネさん。依頼した品を受け取りに参りました」
カウンターに足を乗せていたシロネさんはウィンドウを操作して何かアイテムを取り出した。
「ほれ、ご要望通りに仕上げたつもりにゃ」
コトリとカウンターに置いたのは控えめに装飾された片方だけの丸い眼鏡……えっと、なんて言うんだっけ……?
セバスチャンさんはそれを手に取ると真剣な顔でじっと見つめ、やがてふっと唇を緩めた。
「ふむ。『|天高くより居抜きし鷹目の片眼鏡』、確かに。いつも通り見事な出来ですな。見違えました」
「はっはー、にゃーを誰だと思ってるにゃ? その程度の事お茶の子さいさい朝飯前の寝起き後にゃ」
気安いやりとりからしてどうやらセバスチャンさんはシロネ工房のお得意様みたい。
つんつん。
「ん?」
肩をつつかれ、振り向くとセレナが声をひそめて話し掛けてきた。
「ね、あの人アリッサの知り合い?」
「あ、うん。マーサさんのお友達のセバスチャンさん、前に一度会っただけだけどね」
やはりセレナもご高齢なセバスチャンさんの事が気に掛かるのか、チラチラと盗み見てる。
と、話しを終えたのかセバスチャンさんがこちらへとやって来た。その右目には先程の片眼鏡が早速掛けられている。
「失礼、お話しの邪魔をしてしまいましたかな?」
「いいえ、お気になさらないで下さい。丁度セバスチャンさんの話題でしたから」
「ほっほ、そうでしたか。美しいお嬢さん方に噂されるとは、いや照れますな」
「ま、またそう言う事を……対応に困るんですが」
ほっほ、と朗らかに笑うセバスチャンさん。もうっ。
顔にほんのりと熱さを感じながらセレナと天丼くん、セバスチャンさんを互いに紹介していく。
「それじゃあ改めまして、こちらセバスチャンさん」
「セバスチャンと申します。どうぞお見知り置きを」
「で、こちら私の友達のセレナと天丼くんです」
「こ、こほん。セレナよ、呼び方は“セバスチャン”でいいかしら?」
「はい、お好きにお呼び下さい」
セレナはなんだか少し緊張してる、でも強がって見せてる辺りセレナらしいかな。
「天丼だ、天を(略)と言う意味だ。よろしくな、えー……セバさん」
「ほっほ、なるほど。では、こちらこそよろしく、天くん」
どうも天丼くんは堅苦しいのは苦手なのか年上でも砕けた口調だ。セバスチャンさんもそれに倣ったのか軽く返した。
そうして簡単に名乗りを終える。シロネさんは買い物をした私たちに免じてか、特に何も言わずカウンター奥のドアの向こうへ消えていった。
私たちは少々手狭な店内から入り口横にあるテラスへと移動し、雑談を始めている。
「セバスチャンさんはこのお店にはよくいらっしゃるんですか?」
「はい、シロネさんの腕前に惚れ込みまして。小物類はここで作っていただく事にしておるのですよ」
「そうなんですか。そのモノクル、よくお似合いですよセバスチャンさん」
「おお、ありがとうございます。やはり執事のマストアイテムの1つですからな、これでまた理想の執事へと近付きました」
「なぁ、|天高くより居抜きし鷹目の片眼鏡って結構先のボスのレアドロップじゃなかったか? セバさんって、もしかして腕っぷし強い?」
「ほっほ、まあ年の功と申しますからな、伊達に爺をやってはおりませんよ」
「いやこのゲーム、まだ4ヶ月目でしょ……」
そんな何気無い会話の最中、私の頭にふと引っ掛かる事があった。
「あの、そのモノクルってドロップアイテムなんですか?」
「ええ、そうですが」
「でもさっきシロネさんは『ご要望通りに仕上げた』って仰っていませんでしたか?」
頭にハテナマークが浮かぶ。
アイテムにはそれぞれ耐久値があって0になると壊れちゃうから職人さんに回復してもらうらしいけど……今回のは言い方から違う気がする。
首を捻る私に、天丼くんが答えを示す。
「そりゃ『形状加工』してもらったんじゃないか?」
「けいじょう、かこう?」
ただし、それを理解出来ない私だった。
「ふむ。アリッサさんはご存じ無いようですな」
「う、すみません……」
どうやら常識の範疇だったらしい……うう、無知が恨めしい。
「いえいえ。知らぬ事を学ぼうとする事が悪い筈はありますまい、特にこの老骨の無駄に多い知識を披露出来るとあらば喜ばしい限りですとも」
そう言うと1つ咳払いをしてから、セバスチャンさんは説明をしてくれた。
「形状加工とは文字通り、アイテムの形に手を加える事を技術ですな。わたくしのモノクルも入手時は全く別の形状でしたが、どうにも趣味に合いませんでしたのでシロネさんに形状加工を依頼したのですよ」
パチクリとまばたきしながらセバスチャンさんのモノクルを見る。
丸いレンズ、支えるブリッジ、外側には金色のささやかな装飾とそこから伸びる細い鎖。華美でなく、執事を目指すセバスチャンさんの一部として実に自然に溶け込んでいる。
これが作り替えた物なら、それも納得出来る。ドロップアイテムだけでは、そうそう上手くまとまらないと思うから。
「アイテムの形を……そんな事が」
思わず指にはめられた耐毒の指輪に目を落とす。変えられるのなら変えてしまいたいデザインである。
「ただしそう簡単に行えるものでも無いそうでして、形状加工には個々に特定の素材が必要ですし、アイテムのレアリティが上がればそれだけ加護のレベルも高くなければならないそうです。おお、料金もそれに合わせて跳ね上がっておりましたな」
「う……高いんですか」
「あの守銭奴に良心的な価格設定を期待する方がおかしいわよ」
セレナはどこか遠くを見つめながらしみじみと呟いた……何があったの。
「ほっほ、確かに値は張りますな。ですがシロネさんは値段に見合うだけの腕をお持ちですから文句などはありませんよ。アリッサさんもこちらでお買い物をされたようですが、そうは思われませんか?」
「ああ、そうですね」
私は手に持ったままだった小箱を撫でる。値段は、私にとってはちょっと大変な額だったけど、とても素敵なブローチだ。
「大屋さんへのプレゼントなんだっけ?」
「うん、喜んでくれるといいんだけど……あ、セバスチャンさん、この事マーサさんには内緒ですよ?」
「ほっほ、勿論勿論。サプライズと言うものはいくつになっても胸を高鳴らせてくれますからな、邪魔などいたしませんとも」
「いやはや、懐かしいですな」と昔を思い出しているのか、セバスチャンさんは目を細めている。参考に聞いてみようかな?
「それで、これから大屋さんに渡しに行くのか?」
「んー……」
小箱を見つめて少し悩む、けど、私の答えは決まっていた。
「ううん。ちょっと試してみたい事があって、マーサさんに渡すのはもうしばらく後になると思う」
「試したい事、って?」
セレナに問われ、気恥ずかしさを感じつつも私は口を開いた。
「手紙をね……手紙を書いてみたいの」
「手紙?」
「うん。あ、でもこれに添えるからメッセージカードって言った方が近いかな」
そう、つまりは私の気持ちを文字にしたためたい。それが私のやってみたい事だった。
「……あぁ成る程、それで時間が必要なのか。なんつーかアリッサって面白いな」
「ん? んん? どゆ事? 手紙ならすぐ書けるじゃん」
「いえ、マーサさんはこの世界の方ですので日本語では意味が通じないのですよ。ですからアリッサさんは『ステラ言語』を習われるおつもりなのでしょう」
コクリと頷く。
ステラ言語と言うのは今初めて知ったけどね。
「《言語翻訳》の加護で文章を読む事は出来るんだけど、自分の書きたい言葉となるとまた別でしょ? 教会で読み書きを教えているそうだから、まずはそこを訪ねてみようと思ってるの」
「……はー、なんかプレゼント渡すって聞いてたけど、またずいぶんと気の長い話に膨らんできたわねー」
「そだね」
セレナの感想に苦笑してしまう。ほんと膨み過ぎかな、とも感じてるんだけどね。
「でも、思い付いちゃったんだもの、やってみたくなっちゃうよ」
「ええ、とても素敵な思い付きだと思いますよ。マーサさんの喜ぶ顔が目に浮かびますな」
「そうなるようにがんばります」
ぐっと拳を握って、決意を新たにする。
「なら、いつまでも引き留めるのも悪いな。そろそろ解散するか」
「うぇいっ?!」
天丼くんの提案に、セレナが素っ頓狂な奇声を上げた。
「ど、どうしたの?!」
「べっ、べべべ別に何でも無いわよっ!!?」
「どこがだ」
挙動不審なセレナは明後日の方向に強引に体を捻っている、そりゃ天丼くんもツッコみたくもなるでしょう。
「ふむ」
その様子を見ていたセバスチャンさんが何か思い当たったのか私に身を寄せる。
「アリッサさん、少々よろしいでしょうか」
「? はい、何でしょう」
「アリッサさんはどういった道を通ってシロネ工房までいらしたのかお聞きしたいのです」
「道、ですか?」
と、言われても……う〜ん、あの順路を正確に説明するのは至難の業ではあるまいか。
「ええっと、南大通りから裏路地をウロウロ、ウロウロして、としか説明のしようが無いです……」
「ふむ。ではアリッサさん、帰り道にわたくしも同行させていただいても構いませんかな?」
「はい?」
「どの道大通りへは無駄に長い道のりですからな、誰かと一緒の方が楽しいとは思いませんか?」
そう言われてシロネ工房の位置はおおよそ南大通りと西大通りの丁度中間辺りだと思い出す。道の事もあり大通りに出るまでそれなりに時間も掛かる。
1人黙々と歩くのは確かにちょっと寂しい。
「勿論お急ぎでなければ、ですが」
「そうですね……はい、私は構いませんよ」
ここ最近はせかせかしてばかりいたから、むしろこうしたおしゃべりの場はありがたい。
「ありがとうございます。おお、そうです。どうでしょう、お2人もご一緒されては」
「ひゃい?!」
振り向くと、セレナがこちらに耳を傾けていた。かなり露骨に。私も途中から視界の端に捉えていたんだけど……どうしたものかと悩んでいた所だ。
「な、ん……っ」
「えっと、2人はこれからどうするの? 予定とかはあるのかな」
「いや、特にこれと言って予定は無いな。元々今日ここに来たのもコイツについてきてって頼「黙んなさい」…………」
「セレナ、首に鎌は当てちゃだめだと思う」
天丼くんの防御が堅い理由が垣間見える瞬間だった。何と言うか、大変だね天丼くん。
「予定が無いなら一緒に行かない? 私ももっとセレナと話したいか「行く!」……うん、良かった」
頬を染めるセレナは可愛らしい。ちょっと乱暴な所もあるけど単なる照れ隠しだと思うし、基本犠牲者は天丼くんオンリーなので、がんばって受け止めてあげてほしい。
咳き込む天丼くんに、知らずエールを贈る私だった。
「その……ありがと」
「ほっほ。何の話やら」
後ろからは、そんな控えめな会話がかすかに聞こえていた。
◇◇◇◇◇
「そこで私の必殺スキルが、こー、ボスをかっ捌いたワケよ」
「いいなー、私なんか未だにボス相手だと右往左往してばっかりだよ」
「アリッサはホントならバリバリ後衛型のビルドなんだから、ボスにタイマン張る時点で無茶なんだってば」
「ビルドって何?」
「そこから?!」
帰り道を4人一緒に歩く、するとどうだろう長い道のりも笑いの種へと早変わり。私とセレナが話している後ろでは天丼くんとセバスチャンさんがついてきて色々とやりとりをしていたりもする。
「え、マジで?」
「ほっほ、ええまあ。殊の外幸運に恵まれていたようでして……長く生きてみるものですなあ。ちなみにシロネさんともその時からのお付き合いですよ」
「あの白猫もかよ……」
そんな中で明らかになったのがセバスチャンさんの経歴。なんと6月半ばにサービスを開始したMSOに去年からオープンβとか言う事前に行われるテスト期間にプレイヤーとして参加していたのだとか。
年の功は伊達じゃなかったのだ。
やがて、いつもよりも歩む速度はずっと遅い筈なのに、あっと言う間に過ぎ去った帰路は終わりを迎え、人々のざわめきに満ちた南大通りの中程から中央公園へと辿り着く。
そこでまず口を開いたのはこの楽しい道程をセッティングしてくれた執事さんだった。
「それでは、わたくしはここでお暇させて「あ、あの!」はい?」
別れを告げようとするセバスチャンさんを強い声で呼び止める私。それに驚いたらしく、3人は目を丸くしている。うう、緊張する……。
「あの、そのですね……えーとえーと」
「落ち着いて下さいアリッサさん。わたくしに何かご用ですか?」
にこりと微笑みをくれるセバスチャンさん。それを見て、私は一度深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「すーっ、はーっ……ふう、失礼しました」
「いえいえ、お気になさらず」
「それで、その……」
私は意を決して、言った。
「私と、フレンドになってもらえませんか?」
言ったー。言っちゃったー。
大通りの喧騒が酷く遠くに聞こえる、じわりと掌に汗でもかきそう。そして、答えは。
「もちろん、喜んで」
との事で、私は大きく息を吐いたのだった。
「良かったー、良かったー」
「ってか緊張し過「お前が言えるセリフか」っさい!」
パンチを繰り出すも避けられてイライラを募らせるセレナに今度は私が答える。
「だ、だって……私、誰かをフレンドに誘うのこれが初めてなんだもの……緊張くらいします」
今フレンドリストにはクラリスたち5人にセレナと天丼くん、だけ。しかも全員向こうから誘ってくれたのだ。
「ほう、成る程。ではわたくしはアリッサさんの初めての人である、と。これはこれは、いや身に余る栄誉ですな、ほっほ」
「ぐっ、初めてとか何か悔しいわねソレ」
「え、セレナはMSOでの初めて出来たお友達だよ?」
「(ガッツポーズ)」
「俺は?」
「え……MSOでの初めての男の子の、フレンド?」
「微妙に扱いが悪い?!」
どっと笑いが起こる中、私とセバスチャンさんのフレンド登録は滞り無く行われ、せっかくだからとセレナと天丼くんもフレンド登録を済ませた。
「♪」
セレナもフレンドが増えて嬉しいんだろう、口元が緩んでる。
でも私には、意外にも一番喜んでいたのはセバスチャンさんのように見えた。
「ほっほ」
どうやらウィンドウを開いてフレンドリスト(多分)を確認しているらしい。
その顔には暖かい笑みが広がっているように見えた。うん。喜んでもらえたのなら、誘って良かった。
「あの、ありがとうございます、セバスチャンさん。フレンドになってくれて」
「いいえ、こちらこそ。本当に、ありがとうございました。どうやらアリッサさんはサプライズがお得意のようです、マーサさんもきっとお喜びになられる事でしょう」
「あはは、だといいんですけどね」
「今日の所はここでお暇させて頂きますが、いつか皆さんと一緒に冒険の旅へ赴きたいものですな」
「……私、弱いですよ?」
「お守り致しますとも、老骨である前にわたくしも一介の男ですからな。寧ろ望む所です」
そう言って、セバスチャンさんは右手を差し出してきた。私も同じく右手を出し、握手する。
「いつでもお気軽にお呼び下さい、アリッサさん」
「はい、セバスチャンさんも」
「ええ」
セレナ、天丼くんとも握手を交わし、セバスチャンさんは丁寧にお辞儀をして去っていく。
その凛とした後ろ姿は、雑踏の中でも一際際立ち私の目を捉えて離さなかった。
「アリッサー、いつまで見送ってんのー?」
「あ、うん。ごめんごめん」
そして、教会に一緒に行く事になったセレナと天丼くんを伴って、私たちは北大通りを目指して歩き出したのだった。




