第24話「あなたはだあれ?」
西暦2041年10月8日火曜日。曇天なれど風強し。
耳で拾ったテレビの天気予報をまとめればそんな所。まるで私の心境みたい、とぼんやり思う。
ぐしぐし。
「お、お姉ちゃん?」
「…………うん」
がしがし。
「あうあ、お姉ちゃん痛い痛い」
「…………うん」
ぐわっしぐわっし。
「もぎゃーーーっ!」
「…………うん?」
あれ?
花菜が頭を押さえて私を睨んでいる。確かいつも通りに、起き抜けで弾けている花菜の髪を梳いていたと思うんだけど……あれ?
「花菜、どうかしたの?」
「どうかしてるのはどっちかと言うとお姉ちゃんだと思う!!」
間髪入れずの反論に少々気後れする。う〜ん……花菜がここまで強く言うなんて……何した私。
「いつもだったら優〜しく温か〜く愛情たっぷりにあたしを可愛がってくれるのに「え、それは誰の話?」違うのぉ!?」
あ、泣いた。
撫でておこう。
なでこなでこ。
「にゃ〜〜〜〜♪」
「それでどうしたの?」
撫でてるといつまでもふやけてそうなのでここらで止めておく。ちょっと、そんな切なそうな顔しないでもらえる?
「だって今日のお姉ちゃんてば、心ここにあらずみたいな感じであたしの髪をぐいぐい力任せに引っ張るんだもん。お姉ちゃんだったらちょっと痛いのでもやぶさかじゃないけど、ちゃんとあたしを見てくれなきゃヤーダー!」
プンスカと擬音を発しそうな花菜はお餅のように頬を膨らませて拗ねてしまった。
それにしても……そっか、そんな事になっちゃってたか。
「ごめんね、痛かったよね」
なでこなでこ。
「にゃ〜〜〜〜♪」
花菜の髪は艶やかで指通りがいいから撫でると気持ちいい。その上花菜も喜ぶので気を付けないといつまでも続けてしまいそうになる。
途中で止めるとそれはそれで面倒だけど。
「ねぇお姉ちゃん、何かあったの? そうじゃなきゃあんな風にはならないと思うんだけど」
「――う、」
不意に寄越された質問に、私はギシリと体を固まらせる。
「あの……その……えと」
私は答えを探すように目をキョロキョロ左右に泳がせてしまう。うう、あれを話すのは微妙に恥ずかしいんだけど……。
「あぁっ、お姉ちゃんが恥じらってるぅ。可愛い〜、話してくれなくてもいいから抱き締めてい〜い?」
「話すから近付かないでください」
そんな私の様子に何故か花菜が異様に興奮していたのでキッパリとお断りした。だから切なそうな顔しないでよ!
「ちぇ〜、いけず。それじゃあお姉ちゃんの恥ずかしい話を聞かせてー」
あの、恥ずかしい話とか大声で言わないでほしい……。
「……………………はあ……昨日ね、アリッサをカメラで撮影したの……」
「ほっほう」
ニヤァ、私の発言を受けて花菜は口を三日月のように開けた。何その不吉な笑顔。
「それで……その……」
話し出す、昨日の事を。
昨日から、ずっと繰り返し思い出していた事を。
◆◆◆◆◆
マーサさん宅でのお風呂上がり、私は自身をカメラ機能で撮影していた。
まこと光子の要望だったけど、アリッサの容姿を今まで知らなかったから丁度良いかな、とも思った。
でも、専用ウィンドウに表示された画像を見たまさにその瞬間。
私は、固まったのだった。
「…………え?」
ようやく発した声には困惑が色濃く表れている。
ウィンドウには若干の緊張に身を強張らせ、じっとこちらを向いた見知らぬ女性が写っていた。
見覚えがあるのは白い肌と明るい金色の長髪、その中からは長く尖った耳がひょっこりと覗いている。
……そこまでなら分かる範囲だった。
だから……だから問題は中央に写る顔立ちなのだ。
「…………だ、誰?」
このMSOでは現実の容姿は関係せず、全くのランダムでPCの容姿が決定される。だからここに写るのが別人であっても、それは驚くような事じゃない。
当たり前。
そう、当たり前……だけど――――。
すっと通った形の良い鼻梁。
緊張か、あるいは湯上がりだからか赤く染まる頬。
少しだけ優しげに垂れる瞳は涼やかな薄緑色。
とても柔らかそうな唇は艶やかな桜色をしてる。
握り締めるウィンドウの中、そこにはとてもとても綺麗な女性が写っていた
「え、え、え……ええ〜〜っ?!」
だから、私は驚いた。
その日私は初めて、アリッサが美少女だと知ったのだった。
◆◆◆◆◆
「要するにアリッサお姉ちゃんが予想以上に可愛かったからびっくりしちゃったんだね」
「…………うん、そんな感じ」
目が覚めるような、そんな感想を抱く程に綺麗だった。でもだからこそ困惑してしまった。
「今まで私とアリッサの違いなんて殆んど意識してこなかったから……フォトを見てもそれが自分の顔だって信じられなかったの。ああまで自分と違うと分かったら、何だか急にアリッサが遠く感じて、気後れて……それで、こんがらがってぼーっとしてたみたい、ほんとにごめんね」
もう一度頭を下げる。いくらなんでも花菜の髪をそんな乱暴に扱うなんて酷かった。上の空にも程がある。
「んー。いいよ、そう言う事なら。でも、普通なら美少女になったら嬉しい! とか、ラッキー! とか思いそうなのに、そこら辺は実にお姉ちゃんだね。中にはそうなりたくて容姿変更しまくった人もいたくらいなのに」
ああ、確か課金して新規IDを取得すると容姿が変わるんだっけ。この場合は容姿を変える為にIDを変更する、だろうけど。
「お姉ちゃんも、合わないなら変更出来るんだよ?」
「しないよ。実質1週間くらいの付き合いだけどアリッサには愛着だってあるもの」
「だーよねー。その方が嬉しいよ、あたしアリッサお姉ちゃんも大好きだもーん」
明るく言う花菜。
……でも、目は伏せられ返す私の声は萎んだ。
「ある、んだけど……」
だって、私は昨日先輩に言われた通り「目立つような容姿じゃない」もの。その容姿前提で今まで過ごしてきたのだし、アリッサも当たり前にその延長だと思ってたから、その違いがわだかまってる。私なんかには過ぎた容姿では? と。
「花菜はどうだったの? クラリスの顔を知った時どう思った?」
私だけで考え込んで答えが出ないならと、私がそう尋ねると花菜は腕を組んでうんうんと唸り始めた。
「特にどうこうは無かったかな……そもそも容姿なんて戦闘には関係無いからね。あたしは割と気にしなかったよ☆」
「気にし過ぎな私が言える事じゃないけど、その理由はどうかと思います……」
「女子である前にゲーマーだからね、あたし!」
「花菜はゲーマーの前に女の子ですっ、胸を張るんじゃありません!」
いや、ある意味花菜らしいんだけども!
「それじゃあ、クラリスの容姿とかはどうでもいいの?」
「ううん、そんな事ないよ。だって、お姉ちゃんはクラリスを気に入ってくれてるでしょ」
「え?」
何でそんな事知ってるの?
確かに私はクラリスの事を可愛らしいなとは思ってるけど、花菜に話した覚えなんか無いのに。
「えへへ。分かるよー、お姉ちゃんが優しそうにあたしを見てくれてたもーん。長年お姉ちゃんを見つめたあたしにはそれでなんとなーく分かるんだよ♪」
「ぁ……そう」
目を逸らす。
そこで浮かんだ感情は果たして何だったか、私には分からなかった。顔の熱さの正体を花菜なら言い当てるのか。
「うん、お姉ちゃんに気に入ってもらえた以上、あたしは容姿のあれこれなんて気にしなかった、って言うか考えもしなかったよ。だからね、お姉ちゃんだってそれでいいんじゃない?」
「それ?」
「……それ。んー……お姉ちゃんにもフレンドが出来たんでしょ?」
「え、うん」
まだ2人だけど……でもどうしてそんな事を聞くんだろ?
「フレンドになった時、嬉しかった?」
「うん」
嬉しかった。それはすぐに思い出せる。
「その人たちからフレンドに誘われたんだよね。どんな人たち?」
「どんなって……」
聞かれて思い浮かべる。
休憩してきたセーフティーエリアに風と一緒に飛び込んできた2人組。こちらが慌てふためくくらいに喧嘩腰な時もあれば、戦闘では息の合ったコンビネーションを発揮もする(ちょっと失敗もしてたけど)。そして、私を誘ってくれた。
「……優しい人たち。明るくて楽しげで、会ったばかりの私にも良くしてくれて……少しだけ取っ付きにくい所もあったけど、仲良くなりたいって思える人たち」
そんな漠然とした解答を渡された花菜は「ふぅん」と唇を突き出し思案顔。
「……あたしはまだ会った事無いからどうこう言うのは違うかもだけど……お姉ちゃんがその人たちの色んな所を話してくれたみたいに、相手の人たちがフレンドになろうと思った理由だって色々、だったんじゃないかな?」
「色々……?」
「そう。優しくて、素直で、がんばり屋さんで、ちょっと天然で、頑固で、ぶきっちょで、ほっとけなくて……それでその中には可愛いからって言うのもきっと有るよ」
すっと右の手を自身の胸元に当てる。
「だから、違和感とかあったって……その人たちが好いてくれるなら、仲良くなれる切っ掛けになれたなら、それでいいやって思えばいいじゃん。あたしみたいにさ」
「……」
そっと瞳を閉じて思い出す。今度は、一昨日感じた気持ちを。
『でも折角知り合えたんだから、なんか……その……このまま終わり、とか、なんか……勿体無いでしょ』
『だから…………フ、フレ、フレンド、になん……な、ろ…………なって、ほしい』
そう言ってくれた人がいた。
出会って間も無いのにそう言ってくれた人がいた。
それはありったけの勇気を振り絞ったような言葉で……彼女がどんな心境でそれを言ったのか私が知る由も無い事ではあったけど、それでも私は嬉しかった。
私とこれからも遊びたいと思ってくれた事が、これからも遊べると言う事が、とてもとても嬉しかった。とてもとても、心が温かくなった。
そうなれた事にアリッサの容姿が一助となってくれたなら確かに、花菜の言う通りそれでいいと思えるかもしれない。
「……出来そう?」
「どうだろう、でも……うん。なんだか落ち着けた」
コトリと、ずれていたパズルのピースがちゃんとはまったような気分。
「……そっか、自分じゃない仮想の体だけど、だからこそこんな気持ちになるんだもんね……好きになってもらえるなら、私もアリッサを好きになれるかもしれない……ありがとう花菜。大切な事を教えてくれて」
ぽすん。
花菜がゴロンと寝転がり私の膝に頭を預けた。
「お姉ちゃんはちょっとパニクってただけだよ、だから難しく考えなくていいと思うな」
「花菜……」
「今まで通りでいいんだよ。そうして出会えた人がいて、そこに後悔が無いならさ」
後悔? そうだ、そんなものある筈が無い。だって、彼女たちとの出会いは何よりも幸運な出来事なんだから。
「……時々、どっちが年上か分からなくなるよね、情けない事に。しっかりしてるね、花菜は」
「カッコつけてみたからね。でも……ここからは平常運転で行きます」
「うん?」
花菜はそう宣言するやバタバタと手足をばたつかせ始めた。
「くーやーしーいー」
「はい? 何が?」
眉をしかめ、膨れっ面になって不平不満を喚き出す。
「だってー、お姉ちゃんは“あたしがアリッサお姉ちゃんを好きだからそれでいい”ってなってくれなかったじゃーん」
「それは……いや、だってフレンドの例えを出してきたのは花菜じゃない」
「だってお姉ちゃん、あたしが“お姉ちゃんが好いてくれるならそれでいいや”って言っても反応鈍かったんだもーん。別アプローチで攻めるしか無いじゃん。あーあー、お姉ちゃんにあんな風に想われるとか悔しーなぁもう」
ぷぅ〜っ、と風船のように膨らむ花菜。私は困ってるのに和んで、つい笑ってしまう。
「そんな事言わないで。ほら、拗ねない」
「拗ねるもん。お姉ちゃんはあたしが大事じゃないんだー、しくしく」
「そんな事無いから」
「じゃあなんでー?」
「なんでって……」
あれ、そう言えばなんでだろう?
花菜が、私に好かれればそれでいい、と言った時には一応反応はした。じゃあどうしてそれを自身に当てはめる事が無かったんだろう。
………………………………………………………………………………………………………………?
首をいくら捻っても答えは出ない。そうこうしているとお母さんから「いつまでやってるの」と声が掛けられる。
「……まあ、分からないならいいか。さ、起きて。さっきの続き、髪を梳かしちゃお」
それも、なるべく急ぎ足で。
「え〜、答えをまだ聞いてないよお姉ちゃん」
「大丈夫大丈夫、私は花菜の事が大事だよー(棒読み)」
それだけで花菜はみるみるうちに目を輝かせる。
「ほら、早く起きる」
「うん! あたしの1日はお姉ちゃんに髪を梳かしてもらわないと始まらないと言っても過言じゃないからね!」
「過言にして」
そうして慌ただしく、今日も1日が始まろうとしていた。
◇◇◇◇◇
「ぶえぇぇぇぇん!!」
あー、うるさい。あー、うるさい。
「お姉ちゃんと一緒に行きたいよぉう!」
「別々に登校するだけでしょう?!」
「やーだー、一緒に行くぅ!」
玄関前の廊下、そこには既に制服に着替え終えすぐにでも登校しようとしていた私と、まだパジャマ姿で子供のように泣き喚く花菜(14歳・中2)がいた。
果たしてこれはさっきまでの、私を諭してくれていた花菜とほんとに同一人物なのだろうか?
どこかで入れ替わってない?
「そりゃ最近はずっと一緒に登校してたけど、そこまで執着するような事じゃないでしょ。どうせ途中から通学路は別になるんだから大して変わらないってば」
「変わるもーん、超変わるもーん! なんでこれから別々に登校しなきゃいけないのー!? ハッ、まさかお姉ちゃんに嫌われた!? そんなのヤだぁ、うぇぇぇん」
花菜が私の脚にしがみつく。涙はともかく鼻水が汚い。
「仕方無いでしょ。うちの学校で変な噂が立ってるからしばらくは時間をずらして登校したいの。分かりなさい」
これ以上あのアホな噂にヒレを追加するのはごめんだし、花菜と一緒だとまた何か起こりそうなんだもん。
「ぐすっ、噂? …………うひっ」
「……待ちなさい、何よ今の薄気味の悪いにやけ顔は」
「昨日学校でね〜、あたしとお姉ちゃんが抱き合ってたのがね〜……ふわっ?! お、お姉ちゃーん?!」
力尽くで花菜を振りほどき大慌てで玄関を出る。案の定花菜の中学でも良からぬ噂が跋扈しているようだった。予想通りで全然嬉しくない。
「なら尚の事一緒に登校なんて出来ますか!」
ポケットティッシュで涙と鼻水を拭い、競歩ばりのスピードで通学路を急ぐのだった。
◇◇◇◇◇
「おはよ、結花」
「うわあ」
登校途中、とある丁字路で私は恐ろしく不運な事に幼馴染みとバッタリ出くわしてしまった。
「またあからさまな反応をするものね。わたしもずいぶん嫌われたものだわ、ああ悲しい悲しい」
「あ、いやそう言う事じゃなくて、ゴメン」
事情があったとは言っても出会い頭に取る態度でもなかったか。素直に謝ろう。
「OK、許してあげる。あ、お詫びはゲームのフォトでいいわよ。ああ、それだけでいいなんてわたしも甘いわね、ふふふ」
「結局そこなのね……」
一連のアリッサの騒動の原因の片割れであるまこは自分の情報端末を取り出している。
それを見て私はポケットの上から端末に触れる。一応画像データはパソコン経由でコピーしてきた。
「………………」
「結花、何難しい顔しているの。もしかして持ってこなかったの?」
「え、あー、持ってきてはいるよ、うん」
ただ照れくさいだけです、はい。目を逸らす私を見てどう思ったやら、まこはいやらしく笑みを浮かべる。何て不吉な……。
「……ああそうね。先に見た、なんて言ったら光子が拗ねそうだものね? 合流してからでもわたしは別に構わないわよ。それでいい?」
「え、あ、まこがそれでいいなら……」
ぱっと表情を解いたまこはさっさと端末を鞄に戻す、それを見て静かに私は安堵の吐息を「よ、おはよ」なんてこったーい!?
「やられた……うう」
「なぁ、何で結花はあんなにへこんでるんだ?」
「くっ、くく……さぁ?」
背後から現れた光子は緊張から解放されかけていた私の心臓に見事に突き刺さった。
おそらく、正面に立っていたまこには私の背後から近寄る光子が見えていたのだろう、思惑通りになったと分かればへこみもしよう。口を押さえて笑いを噛み殺すまこを恨まずにいらない、くうっ。
「で、どうするの? 学校に着いてからにする?」
「ん? ああ、例のフォトか」
「そ。結花持ってきたみたいだからね、光子と一緒の時にしようと思ってたら丁度合流出来たし、せっかくだから見たいなーって、ねぇ?」
にっこりと、今度は明るく笑って私に先を促してくる。
「うう……どうして今日に限ってこんな朝から2人に会うのよう……」
と、思わず溢した私の愚痴に2人は互いを窺うと、やれやれと話し出した。
「そりゃ結花だもの、あんな噂が流れれば花菜ちゃんとは別々に登校するでしょう」
「かと言って花菜ちゃんの登校時間に口出しはしないから、ずらすなら自分の登校時間だろうな」
「でも、それなら遅く出るかもしれないじゃない」
「結花は遅れるような選択はしないわ、妙な所でマジメなんだから」
「待ち合わせでもいつも10分以上前からぼーっと待ってるじゃねーか。あたし結花より先に着いた記憶無いぞ」
「ぁぅ」
た、確かに……遅れては悪いからと待ち合わせでも必要以上に早く着いて、ぼーっと時間を持て余してる気が……。
幼馴染み2人にとって私の行動などお見通しだったらしい。なんだろう、状況が状況だけに全然嬉しくない。
「っと、そろそろ人が増え始める時間帯だな、ここで突っ立っててもしゃーない。とりあえず学校行こうぜ」
「そうね。じゃ、続きは歩きながらって事で。それでいい?」
「はあ……いいよ、もう。覚悟を決めます」
この2人を相手にしていたら、なんだか恥ずかしさも引っ込んでしまった。
そう言えばこうして3人一緒に登校するなんてずいぶん久しぶり、なんて会話を交わしながら私たちは歩き始めた。
「さてさて、んじゃ見せてもらおうじゃないか」
「はいはい、分かりましたよ」
せめて教室の中で話し合うよりかは人の疎らな登校途中の方が多少はマシだと思っておこう……。
「はい」
画像を表示した端末を差し出すと、2人は食い入るように凝視した。
「「………………」」
いや、なんで無言になるかな。
「誰?」
「……私」
まこの質問に顔を明後日の方向に向けて答えると、押し殺したような含み笑いが耳に届く。対して私の顔は熱い。
「く、くくく……あー、なるほど。こりゃ結花が渋る訳だ」
「べ、別に私が容姿を決めた訳じゃないからね?! 勝手に決まるんだからね!」
「言われなくても分かってるわよ、結花がそんな面白い真似が出来るような性分じゃない事は。あ、どうせだからそれ頂戴」
「却下に決まってるでしょ!」
どっ、と今度は隠す事も無く笑い出す。
私に至っては涙目だ。
「笑わないでよ、もー」
「悪い悪い。でも、スゲーなコレ。あたしちょっとムラッときた」
「微妙に分かる所が悔しいわね。これで結花が中身とか……ああ、ちょっと本格的に見たくなってきたわ。そのゲームって動画録れない?」
「録れても録らないもん……」
そうして、朝も早よから賑やかに、私の登校風景は過ぎていくのだった。
◆◆◆◆◆
パシャッ、パシャッ、パシャッ。
昨夜とは異なり陽の射し込むはじまりの湿地の中を私は歩いていた。
今日はシロネ工房の取り置きのタイムリミット。自然と進む脚は速まり、気は急いていた。
昨日までの私の所持金は822G。
昨日の分の討伐依頼の報酬が280G。
ノールさんのお店でドロップアイテムを売って2455G。
合わせて現在の所持金は3557Gになった。
「後、約1000G……リリース」
「!?」
蛭型モンスター『リーチ』を遠間から光と闇の同時攻撃で撃破し、ウィンドウもこの際と見ず、脚も止めずに奥へ奥へと進んでいく。
(こうして雑魚モンスターを時間いっぱいまで倒すのも手ではあると思うけど、必要討伐数を超過しても報酬は変わらないんだよね……)
いっぱい倒したのだからサービスとかオマケとかご褒美とか無いものか。
(となるとやっぱりフロアボス戦かな。フロアボスの報酬は300G、新しく請けた依頼を全部こなせば260G、ドロップの量次第だけどなんとか目標額に届く目がある)
このはじまりの湿地1層のフロアボスは『ビッグキャットフィッシュ』。
キャットフィッシュは行動範囲が沼だけのある意味凄く安心な相手だった、多分フロアボスとなってもそこは変わらないと思うので追い掛け回されないとなると少しだけ安堵していた。
(……いけないいけない。こう言うのが往々にして油断に繋がるんだから。気を引き締めないと)
今まで散々しっぺ返しに遭ってきた身としては、いい加減学習しないといけない。
頭を振って考える。広範囲に蜘蛛の巣を発射したビッグスパイダー然り、複数で襲ってきたビッグバット然り。今までのフロアボスだってただ大きくなった訳じゃなかった。今回だって何かしら変化したり強化してるかもしれないのだから。
法術を前方の敵に放ちながらも、フロアボスエリアを探すべく私は脚を急がせた。
◇◇◇◇◇
あれから昨日訪れた境界線を越え、敵に襲われるようになってペースこそ若干落ちたものの、そこははじまりのフィールドを2つ突破した経験が生きたのか、苦労も少なくマップを埋めていた。
「っと、こっちは沼か。危ない危ない」
そんな中で実は境界線の先で一番要注意だったのが沼に潜むキャットフィッシュだったのだ。
以前はこちらから攻撃しない限りは沼をプカプカ泳ぐだけの人畜無害さを誇っていたのだけど、一歩境界線を越えたらその真価を発揮し、沼を潜って近付きいきなり飛び出して〈水鉄砲〉攻撃を繰り出す伏兵となっていた。
正直蛙や蛭が真っ当に見えるくらい卑怯じゃなかろうか。
(この分じゃ、フロアボス戦が思いやられるなあ)
危機感を少しずつ増やしながら、私ははじまりの森と似た黒い枯れ木のゲートに辿り着く。
HP・MPの回復をしようとして、アイテムポーチに伸ばしていた手が不意に止まった。
(そうだった……ポーション買ってないんだ)
1Gでも惜しい状況から、NPCshopでポーション購入を渋った事を今更ながらに思い出す。
HPポーション2本、MPポーション5本。フロアボスとは言え、ボス戦に挑むには不安が残る在庫数ではある。
特にHPポーションが問題で、〈ヒール〉と違い再申請時間が無いから、いざと言う時に重宝している。
(敵の攻撃にはいつも以上に気を付けないといけない、か)
4割程減少しているMPをちょっとだけ躊躇いつつもポーションで回復し、一度長く息を吐き出して、私はボスエリアへと入っていった。
◇◇◇◇◇
「はー……こんなのもあるのねー」
はじまりの湿地1層のフロアボスに挑戦する事にした私は、その初めて見る光景に驚いていた。
円形なのはいつもと同じなのだけど……一回り内側からは底の見えない沼に変わってしまっているのだ。
外側は相変わらず水浸し草地、幅は1〜1.5mくらい。沼側にも木片が散見されるのである程度の逃げ場はあるのかもしれない……私の運動能力で逃げられるかは別にして。げんなり。
そうしていると、エリア中央では黒い靄が形を成そうとしていた。ビッグキャットフィッシュが出現するまでそう時間は無さそうだった。
(でも、ちょっと確かめておこうっと)
私は沼へと近付き杖を突き入れてみた。無いとは思いたいけど、もしも落ちた場合を考えておかないといけないから。多少の汚れは仕方無い。
ズブ、ズブ、ズブズブ。
杖は大した抵抗も無く半ばまで沈み込み、やがて柔らかい底に行き当たる。引き上げてみると大体太ももくらいの深さがあると分かった。
(ロングスカートと外套な私にはずいぶんと絶望的な……どうか引きずり込むような攻撃をしてきませんように)
視線を転じればフロアボス、ビッグキャットフィッシュが完全にその姿を現わしていた。
黒いどっしりとした体に、長い髭が2本伸びている。体長は5mくらい。思い返せばキャットフィッシュもずっと沼の中だったから別種とは言えこうして目の当たりにするのは初めてか。
空中に静止していたビッグキャットフィッシュは、一転して尾を大きく振り上げる――!
バッッッシャアアァァッン!!!
咆哮に代えてか、盛大に水飛沫を上げて水面に飛び込んだ。穏やかだった水面は波立ち、草地にまで押し寄せる。
「〈ウィンドステップ〉!」
一所に留まる訳にもいかず、スキル詠唱と共に私は駆け出した。
相手の出方が分からないので軽くジョギングくらいのスピードでグルグルと外周を回るだけではあるけど。
「〈コール・ファイア〉――」
攻撃手段はいつも通りに法術12連続攻撃を予定してる。
でも、困った事に目標は未だ沼の中。ビッグキャットフィッシュの体は私の胸くらいはありそうだったのに、太もも程度の水深の沼からは頭の先も出てない……沼の水深が端から端まで同じ保証なんて無いから中心近くになる程深くなってるのかも?
(これじゃいつまでも攻撃出来ないよ……)
対処方法も思いつかずヤキモキしていると、中心付近の水面が揺れた、ような気がした。
「!」
ザバッ!!
ビッグキャットフィッシュは水面から頭だけを出して、正確に私を追い掛けてグルグルと泳いでくる。目を回さないかな……いや、こっちが先にダウンするよね、うん。
(何かする前に!)
杖を構え、サイトで捉えた瞬間には法術を解放する!
「リリース!!」
光の軌跡を描きながら飛ぶ法術球。でも狙いを定めた瞬間、わずかに走るスピードが緩む。
法術が命中して盛大にダメージを与えたものの、ビッグキャットフィッシュも行動を起こした!
「やっぱり、そうなる……!」
頬を少し膨らませるそのモーションから〈水鉄砲〉を思い起こす。
キャットフィッシュの〈水鉄砲〉はせいぜいホースで強めに放水する程度の威力だったけど、3mを超えるビッグキャットフィッシュのそれであれば比較にもならない。
――ブシュウウウッ!!
走る私めがけて放たれた水流はまるで消防車の放水だ。
全力で走って逃げてもじりじりと距離は縮まる、私は逃げるのを諦めスキルでの防御に切り替える。
「〈プロテクション〉!」
杖を中心に半球状に展開された光の壁に〈水鉄砲〉が直撃し、バシャバシャと音を立てて弾かれる。内心ヒヤヒヤしたものの、次第に勢いは弱くなり水流は停止した。
壁にはかなりヒビが走っているけどなんとか持ってくれた。
(……あ、そう言えばボスの攻撃を防ぎ切ったのは初めてじゃない? フロアボスだけど)
なんだかちょっと嬉しくなった。
〈プロテクション〉自体は破壊されない限り場に留まるので次の攻撃まで待つのも手ではあるけど、こんなにヒビが走っていてはどんな攻撃であっても耐えられないと思う。
(ならいっそ……!)
〈プロテクション〉はモンスターにとっては強固な壁だけど、PCにとってはその限りじゃない。壁に触れれば何も無いかのようにすり抜ける事が出来る。
タイミングを見計らって再び飛び出す、それまでは可能なだけ詠唱を――。
――バシャン!!!
その瞬間、横合いからの激しい水音。私はそちらに視線を向けた。
――ひゅ〜〜ん。
飛んでいた。
巨大なナマズが。
「――――ちょ」
自分の目を疑いたくなる光景だった。3m超の巨大ナマズの影はまっすぐ私へと迫ってくるのだから。
(泥沼から跳ね上がったの?! あなた鉄砲魚でもなければ飛び魚でもないでしょうに!!)
あんなのに直撃されたらどうなる事か!
慌ててダッシュした直後、轟音と共に地面から強烈な振動が発生した、しかもそれだけでなく背後から突風が私を煽ってバランスを崩してしまう!
「く、ぅ?!」
ふらついた脚に力を込めて踏ん張る! だってすぐ横は沼なのだ、もしも落ちたら毎日服を洗ってくれているマーサさんになんてお詫びすればいいか見当もつかない。
ビチビチビチビチッ!!
背後ではビッグキャットフィッシュが激しく跳ね回る。私は巻き込まれまいと更に距離を取った、すると一際大きく跳ねて沼にドパァンと戻ってしまった。
(かなり無防備だったけど……あれは攻撃のチャンスだったりするの?)
う〜ん。
タイミング的に私が離れたから沼に戻ったとも考えられる、近くに敵がいない場合は戻るとか?
でも離れていたから無防備だっただけで近付けば反撃してくるかもしれない。かと言って攻撃したければ近付いておかないと逃げられる……反撃を受けるリスクも込みで攻撃する事も考えるべきなのかな……。
(相手がこれだものね)
沼に消えたビッグキャットフィッシュはまだ姿を見せない。相手が相手だけに、攻撃のチャンスを減らしたくない。
私は再び法術の準備に入る。
(常に攻撃を受けるのも嫌だけど、こうして何も起こらないって言うのも不気味……)
静寂が耳に痛い。水面はまたしても波紋1つ無く穏やかだった、その下に凶悪なフロアボスが潜んでいるとは思えない程に。
パシャパシャ
小走りを続ける私の足音と詠唱の声だけが響く中、ピチョン、と水面が小さく波打った。それはすぐさま巨大なうねりになって私の足元まで到達する。明らかに水かさが増しているのはどう言う事?!
ザザーンッ。
「わっ、ちょっ?!」
飛沫が当たらないようにスカートをたくし上げるけど、波は激しく足を取られそうになってしまう。
(って言うか靴の被害が甚大過ぎる!)
あっと言う間に草地は濁った沼に侵食され境目も不確かに、後は点在する石が頭を覗かせるのみ。その上地面も地震のように揺れて、私は下手に動けず出来るだけ端に端に寄っている、と。
バチャバチャバチャバチャ!!
またしても現れたビッグキャットフィッシュは体を器用に動かして、水族館のショーのように浅瀬に乗り上げてきた。もちろん私目掛けて。
(今度はイルカかアザラシか……ほんとにナマズなの?!)
さっきの地震くらいしか要素が浮かばず、多少疑惑を含みながらの視線を向ければ、さっきとは違い私を追いながら尾びれでの攻撃を繰り出してくる。
当たればダメージも多そうだけど、こんな大振りでは私ですら何とか避けられる。まあ素直に逃げるだけだけどね。
「リリース!」
去り際にせっかくこちらに上がってきてくれたのだからと、法術を解き放つ。
ドゴゴゴゴゴッ!!
無事に命中してビッグキャットフィッシュは盛大に吹き飛ばされ……沼へすごすごと帰っていった。水かさもそれに合わせるように減っていく……ほんとどんな仕組みなのかと。
「ふう……でも、これは……」
人心地付くとこの状況を考える。
今までのボスは基本的に絶え間無く攻撃してきた。キツかったけど、それは常に反撃の機会もあると言う事。
攻撃の限られる今回は長丁場になりそう、そんな予感を私はひしひしと感じていた。
「何もこんな日に……ついてない」
そして、少なくない焦りも一緒に。
◇◇◇◇◇
「っと!」
ビッグキャットフィッシュが空中に飛び上がったのを確認して走るスピードを上げる。
水かさが増した時でスカートをたくし上げながら走っていたのでかなりギリギリになっちゃったけど。
ズズーンッ!!
衝撃を伴って落下してきたビッグキャットフィッシュはそのまま戻る事はせず、こちらへ向かって体をバタつかせての攻撃を始めた。
HPが半分を切った辺りからはそれに加えて拳大の水球を時折ばらまくようになってる。威力はそう高くもないけど、何せ私なので避け切るには至らない。
困った事に軌道がバラバラで正面にシールドを張っただけじゃだめ。〈プロテクション〉もこちらに向かってばたつき攻撃をしてくる為にじっとその場に留まるのも危険と対応に苦慮していた。
「あたっ?!」
今みたいに。
「っ、もう! リリース!」
対処としては法術をさっさと使う事。運が良ければ攻撃の大ダメージで沼にお引き取り願える。
ザサン、バシャシャ!
泥水と一緒に引くのを見て安心するけど、それはそれで攻撃出来ない、と文句が出る現金な私。
「ふう……〈コール・ファイア〉」
ビッグキャットフィッシュのHPはそろそろ1割。おそらく次の攻撃で倒せると思う。
想像通りに時間は掛かったけど、フロアボスとしては初めて戦ったビッグスパイダーや数が出てきたビッグバットに比べれば楽な相手ではあった。何せ私のHPが赤にまでならなかった程だ。
多分直撃していたら他の2体よりもダメージは高そうなんだけど、それがことごとく近接向きなものだから遠距離型な私とはずいぶんと相性が良かった。
(……とと、集中集中。フロアボスにはイーヴィライズは無いみたいだけど、かと言ってかくし球が無い理由にはならないものね)
今までの攻撃パターンが手札のすべてだと言う証拠も無い。
沼を注意深く見つめながら詠唱も佳境に入る。HP残量から言ってマグナムを6発で大丈夫と思う。
(っ! 来たっ!)
沼の中央からビッグキャットフィッシュがヌッと頭を覗かせた。最後は〈水鉄砲〉って事ね。
既に6発目の詠唱に入っているから唱え終わるまで逃げ切れれば勝てる!
ブシュウウウッ!!
背後から迫る水流、必死に逃げながら舌を噛まないように口を動かす。
「――〈ダークマグナム〉ッ」
バッと顔を上げ、ターゲットサイトでビッグキャットフィッシュの頭を捉える。
「リリース!」
解き放たれた6つの法術球が飛び立ち、交差した水流を弾き飛ばして飛沫へと変えながら命中した!
ビッグキャットフィッシュは派手な炸裂音を響かせながら咲く色とりどりの小さな花火に仰け反り、力尽きて沼の底へと沈んでいった。
ゴポン。
「はあ、はあ、はあ……」
ボボ、ボッ……フッ。
沼に灯る黒い炎が完全に消え去るとウィンドウが開かれた。
タタンターン♪
『【経験値獲得】
《火属性法術》
[Lv.11]
《水属性法術》
[Lv.11]
《風属性法術》
[Lv.11]
《土属性法術》
[Lv.11]
《光属性法術》
[Lv.11]
《闇属性法術》
[Lv.11]
《聖属性法術》
[Lv.11]
《マナ強化》
[Lv.12]
《詠唱短縮》
[Lv.9]
《杖の才能》』
[Lv.11]
【アイテムドロップ】
ビッグキャットフィッシュの骨[×1]
ビッグキャットフィッシュの胆[×1]
瘴気の欠片[×1]』
「……レベルアップは無し、かー。やっぱり上がらないな……いつまでも初心者向けをうろついてもいられないって事なのかも」
はじまりのフィールドはもう半分を越え、残すは湿地のボスと草原のフロアボス&ボスのみ。攻略ペース自体は上がっても成長速度は頭打ち気味だった。
(早く突破しないと……)
はじまりのフィールドを越えればモンスターは強力になっていくだろうけど、それだけ得られる経験値も上がる筈。それで私が強くなれるかは私次第だけど、ともかく進む以外の選択肢は無い。
(うん、がんばらなきゃ。まずはこの湿地を行ける所まで行ってみよう!)
そうして、私は湿地の奥地へと足を進めた。
晩ごはんの時間に間に合うギリギリまで探索しておく為に。




